メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 > 2006年7月1日~9月30日
| 日本企業改革開放論―中国人の上司とうまくやれますか | |
![]() | T.W. カン T.W. Kang 東洋経済新報社 2006-08 売り上げランキング : 161719 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
脱亜入欧から和して同ぜずへ 体質改善がアジア進出の課題
著者のT・W・カン氏は、日本で生まれ育った韓国人。国で大学・大学院の高等教育を受け、米国のIT企業に勤務した後、経営コンサルタントとなった。この本は今後、日本企業が国際社会、特に中国を中心としたアジア社会の中で生きていくためには、いかに自分を変革する必要があるかを説いた啓発書である。
日本企業はかなり辛口ではあるものの、その言葉には傾聴に値する部分は多い。また、コンサルタントとして遭遇した実例や、それにまつわるエピソードがちりばめられており、相応の臨場感がある。
同氏の主張は、福沢諭吉の「脱亜入欧論」から始まる。「脱亜入欧論」とは、読んで字のごとく、日本はアジアから脱して、先進の欧米の仲間に入るべきとの考え方だ。
西洋文明に触れるのが比較的早かったこともあり、われわれはとかく、アジアの一員というよりも欧米並みの先進国の一人と考えたがる。しかし、日本は間違いなくアジア社会の一員だ。この思い違いから修正しなければならない。自分たちは違うと考えるから、他のアジア諸国に行っても企業活動がうまくいかないのだという。
しかも、日本企業は海外で経済活動を行なう場合、国内の慣例やカルチャーをそのまま持ち込むケースが多い。経営の意思決定は、すべて本社からの指示がないとできない。それでは、現地の事業展開に独自性を発揮することはできず、意思決定にも気が遠くなるような時間を要する。
その結果、中国などでは大手であっても日本企業に人気がない。「同業他社が海外に出たので、仕方なく出て行った」。その程度の認識の企業が多いからだろうか。
カン氏の処方箋は、日本企業は自分の考え方を明確に持って、「和して同ぜず」のカルチャーと組織をつくることである。他の人たちと和することは重要だが、だからといってすべてに同調する必要はない。自分の考えや価値基準で判断を行ない、しかも、独自の方法で事業展開を行なうべきなのである。最近、日本企業も少しずつ改革していると思っていたが、コンサルタントの目から見ると、まだ変革の速度が遅いようだ。【評者 真壁昭夫●信州大学経済学部教授】
| ファイナンス課税 | |
![]() | 渡辺 裕泰 有斐閣 2006-06 売り上げランキング : 9670 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
世界経済の急速な金融化で喫緊の課題となる課税問題
一九八〇年代以降、世界経済の金融化の流れのすさまじさには目を瞠らされるものがある。このような急速な金融化が起こった背景は、第一に世界的な国際収支不均衡、金融取引の国際化・自由化による流動性の急増であり、第二には情報処理技術の急速な進歩に支えられた金融工学の革新である。
金融取引の拡大と多様化は経済活動の実態を変化させ、それに伴って法律をはじめとするさまざまな制度的対応を必要とさせる。これら金融取引にどのような課税を行なうかは身近で、かつ喫緊の課題である。金融取引がますますクロスボーダー化していることを考えると、この問題は国際的なスタンダードを誰が支配し、誰が税収を確保するかという生々しい話になってくるからである。
本書はファイナンス課税というテーマについて、基礎的な問題意識からスタートしつつ、理論的かつ実務的な検討を行なうという日本では初めての試みに挑戦した力作である。刻々と進化する金融取引について幅広く最新の実態を取り上げているだけでなく、実際の判例や海外の状況についても適切で豊富な紹介が行なわれている。研究・解説だけでなく、実際に金融取引に携わるビジネスマンにとっても貴重な指南書として役立つであろう。
著者は国税庁長官としての経験を持つ一方、プリンストン大学で最新の財政金融理論を学び、現在は大学で教鞭を執っている、この分野での重鎮である。
ファイナンス課税というのは当然優れて専門的分野であるから、本書も素人が気楽に読めるというものではない。しかし、この本は早稲田大学大学院での講義をベースにしているため、受講者の関心が反映されており実務的理解がしやすくなっている。
ファイナンス課税は今後も発展を続けなければならない重要な国家的課題の一つである。そこで大切なのは市場参加者のニーズが十分に吸収されることであろう。そして当事者が適切で有効な声を上げるためには、現状と課題についての理解が必須である。この本が多くの実務者たちに読まれることはその意味でも望ましいことだ。【評者 行天豊雄●国際通貨研究所理事長】
| コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て | |
![]() | コルナイ ヤーノシュ Kornai J´anos 盛田 常夫 日本評論社 2006-06 売り上げランキング : 39204 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
激動の世紀に生きた経済学者の人生と社会主義の崩壊
よくも悪くも、二〇世紀の歴史を動かした最大の思想は、社会主義だった。それが間違いだったことも明らかだが、どこでどう間違えたのかは明らかではない。
一九二八年にハンガリーで生まれた著者の人生は、そのまま社会主義の歴史と重なる。本書は、一個人の自伝を超えて「経済学の目で見た二〇世紀」ともいうべき貴重な同時代史である。
著者は共産主義者として青春を過ごし、戦後はハンガリーの社会主義政権の下で、ナジ首相のスピーチライターも務めた。しかしハンガリーの民主化運動は、五六年にソ連の軍事介入によって弾圧され、著者は政治の世界を離れて研究者になる。
彼の学問的名声を世界的にしたのは、六〇年代に発表した計画経済モデルである。これはワルラスの一般均衡理論を社会主義経済に応用したもので、著者はそれを計算機に実装して経済計画を立てる実験を行なった。
しかし実験は失敗した。それは計画に明確な目的や厳密な予算制約がなく、情報が中央当局に報告されるとき政治的に歪められるためだった。ハイエクの言うように、市場の本質は社会全体に分散した情報を分散したまま使えることにある。つまり著者の実験は、社会主義を効率的に運営することは不可能だということを逆に証明してしまったのである。
したがって社会主義経済が破綻することを、著者は早くから予想していた。彼は、その非効率性の原因を「ソフトな予算制約」に求めた。これは国営企業への融資が焦げついたとき、政府が「温情主義」で追い貸しして融資がズルズルと拡大する現象で、日本の不良債権問題にも応用された。
ベルリンの壁が崩壊すると、著者の予想以上のスピードで社会主義は崩壊したが、それは過去の思想ではない。社会主義を意識して導入された「福祉国家」は、今でも先進国の政治を強く呪縛している。著者は、福祉国家が財政的に破綻する危機も迫っていると警告し、官僚統制による温情主義を批判する。社会主義の負の遺産はいまなお残っており、それを清算することは現代的課題である。【評者 池田信夫●須磨国際学園研究理事】
| バイオテクノロジーの経済学―「越境するバイオ」のための制度と戦略 | |
![]() | 小田切 宏之 東洋経済新報社 2006-07 売り上げランキング : 84723 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
二一世紀の基幹産業を初めて包括的に分析した“基本文献”
先駆的な業績というべき一書である。バイオテクノロジーと聞けば、誰であれ一般的なイメージは持っているし、この分野が二一世紀の科学と経済において先導役を果たすであろうことも、巷にいわれるとおりであろう。
しかし、では実際にバイオテクノロジー産業の現状はどうなっているのか、そしてどのような問題を抱えているのか、公的な政策支援はあるのか否かといった具体的な知識を得ようとすると、期待の大きさの割には、案外情報に乏しいと感じている人も多いのではなかろうか。本書は、まさしくこうした論点について産業・企業経済学の立場から、きわめて包括的に取り組んだ労作である。じつに情報量の多い本であって、この分野の基本文献に位置づけられることは間違いなかろう。
主な論点を見ると、まずは日本におけるバイオ産業の規模と広がりを整理し、次に大学等の研究機関と産学連携の実情、特許権の諸問題、ベンチャーその他企業形態の比較、アウトソーシングの現状などを分析し、さらに具体例として医薬品産業を取り上げ、米国との比較から日本の政策の遅れを指摘し、最後に残された諸問題を総括する。これだけでもその視野の広さは十分伝わると思うが、評者個人は特に特許権問題の分析に焦点を感じた。
特許とはそもそも、その権利保護とともに、当該技術の達成水準を公開させることで、無用な二重投資を避けさせることに意義があった。ところが、バイオの世界では大学を含め、ますます基礎研究的な部分に特許をかけるようになり、特許料が原因で有望な研究開発が次々に頓挫しているのが現状だという。これを回避するため、特許にかからないように同種の知識や技術を得ようとすれば、結局、特許によって回避したはずの二重投資を、ほかならぬ特許自身が招き寄せることになる。こうした矛盾に陥らない適正な特許制度はどうあるべきか。本書が提供している情報には、大いなる示唆が含まれているように思う。
豊富な情報のなかに一貫した問題意識を滲ませた、時宜を得た一書といえるだろう。【評者 井上義朗●中央大学商学部教授】
| 人口減少パニック | |
![]() | 高橋 乗宣 PHP研究所 2006-07-19 売り上げランキング : 36707 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
人口減少という恐怖の現実が日本にもたらす意外な変革
本書を読んでいたら、かの『タイムマシーン』という小説を思い出してしまった。H・G・ウェルズの筆になる例の元祖タイムトラベル物語だ。そのなかに、進化の頂点に達した結果、あとは退化していくしかない人びとの成れの果て集団が登場する。人口が減少に転じるとは、つまりああいうことかと、ふと恐怖に駆られた。
その恐怖の世界を、本書が精緻に網羅的に広角的に描き出す。
まず第一部で人口減少にかかわるさまざまな数値が検討される。ここでの視野はマクロ的だ。マクロ的な見地から、人口減少の意味するところが徹底的に解き明かされていく。
次いで第二部では、第一部の分析が生身の人間たちのドラマとなって出現する。この第一部と第二部との平仄の合い方がいい。そこにあるのは、マクロとミクロの出会いの醍醐味だ。
時節柄、人口問題を取り上げた書物は世に多い。そのなかで、本書に読み応えを与えているのが、マクロの視点の確かさとミクロのドラマの鮮烈さだ。
かくして、怖いテーマが徹底解析されていく。大いに暗澹たる思いにさせられる。だが、それだけではない。新たな進化につながる希望の道も、ほの見える。
なぜなら、本書には意外なメッセージが秘められているからだ。それは、人口減少という現実に直面したとき、人びとは建前では生きられなくなるということだ。移民受け入れ問題にせよ、育児休暇問題にせよ、養護にせよ、介護にせよ、孤独死にせよ。
これらの諸問題を、真正面から受け止めるのはつらいが、もはやそこから逃げられない。直面しがたきに直面するなかで、人びとは次第に共通の認識基盤を持つようになる。育児分担が進むにつれて、男女間の性差意識が消える。共存することにしか、共栄への筋道がない出会いのなかで、人種間の差別が消える。
いずれの場合も、終点までの道のりはなお遠そうだ。だが、そこに至る兆候が本書のなかに見え隠れしている。H・G・ウェルズが二一世紀にタイムトラベルして来たら、真っ先に読むべきは本書だ。【評者 浜矩子●同志社大学マネージメントスクール教授】
| 脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本 | |
![]() | 安達 誠司 藤原書店 2006-05 売り上げランキング : 6791 おすすめ平均 ![]() 歴史分析の意義 「通貨」で負けた日本、そして歴史は繰り返すのか? 現状分析の為にどうぞAmazonで詳しく見る by G-Tools |
近代日本デフレ克服の歴史を政策の分析を通じて検証する
本書は、明治以降の日本の経済政策を、「政策レジーム」間の競争という概念で分析する。「政策レジーム」とは、政策当局が目的とする経済成果とそれを実現するための手段の組み合わせである。
具体的には、大隈財政と松方財政期の欧米へのキャッチアップ期、井上財政から高橋財政期におけるデフレ脱出期、高橋財政から大東亜共栄圏期の政策をこの概念で分析する。これらはデフレ期を含んでいるか、デフレ期の経験が大きな意味を持っている。政策には、経済のみならず国際関係も含んでおり、戦争への途も分析の視野に入っている。
「政策レジーム」という広範な視野と、通説にとらわれない分析が、多くの発見をもたらしている。
松方財政期のデフレ時代に日本経済が整理合理化され、産業勃興期をもたらしたという通説に対して、本書は、大隈期の末期にすでにインフレは終わっていたという。松方期の発展は、銀本位制の採用が為替下落をもたらし、それが結果として輸出増大、正貨蓄積に結び付いたことによるという。
一九二〇年代の経済停滞については、デフレ政策の影響が大きく、決して日本資本主義行き詰まりの結果ではないという。当時のエコノミストが、キャッチアップが終わったと主張していることには驚く。当時の自動車や工作機械産業をみても明らかなように、欧米の新産業を必死に移植していた時代であるにもかかわらずだ。
現に、井上財政の後を受けた高橋財政のリフレ政策により、日本は力強く成長する。しかし、大東亜共栄圏レジームに洗脳された人びとは、満洲こそが成長の原因と誤解する。これが太平洋戦争へと続く悲劇の一因だ。
最終章では、明治初期から太平洋戦争期までの分析のうえに立って、九〇年代以降の「失われた一〇年」の原因とデフレからの脱却策を探っている。答えは、当然ながら、金融政策の発動となる。
構造ではなく、為替制度選択などの金融政策の失敗が、長期の停滞をもたらし、それがさらに、大東亜共栄圏のような誤った政策を呼び込むことを示す卓越した分析である。【評者 原田泰●大和総研チーフエコノミスト】
| 冠婚葬祭のひみつ | |
![]() | 斎藤 美奈子 岩波書店 2006-05 売り上げランキング : 27589 おすすめ平均 ![]() 社会学的アプローチによる情報本(かな) 膨大な文献を読み解き、「しきたり」「伝統」の怪しさを喝破する 必須の「マニュアル」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
家意識も死の悲しみも薄らぐ今どきの冠婚葬祭を考える
最近、結婚式や告別式に参加した人は、個人が表に出て、家の意識が消えてしまったスタイルに戸惑われたのではないだろうか。本書は、冠婚葬祭の一〇〇年の歴史をたどりつつ、現在進行中の「少子高齢化」あるいは「少婚多死」の下での結婚と葬儀の新しいあり方を考えてみようという趣旨で書かれたものである。
もちろん、本書は巷に溢れている「冠婚葬祭入門」のハウツーものではない。しかし、最新の冠婚葬祭をどう乗り切るかということを率直かつ辛らつに解説しているので、どうすればよいのか戸惑っている方にはお読みになることをお勧めする。
第一章で明らかにされているのは、家意識が薄らいできたというけれど、明治になるまでその意識に縛られていたのは武家と豪商ぐらいであり、人口でいえば二%程度であったこと、財産も名字も持たない農民や労働者が重視していたのは家より共同体、血縁より地縁であったことなどである。
第二章では最近の結婚式の新しい「しきたり」をひとしきり、辛口解説をしたあとで、結婚のかたちについて女流評論家ならではのコメントをしている。民法では「夫婦は、婚姻の際に夫または妻の氏を称する」と規定されているにもかかわらず、九六・二%の夫婦が夫の姓を選んでいる。長男長女ばかりの現在、本当にこだわらないなら、妻の姓を選ぶ夫婦が半分はいてもいいのに、この数字は何なのかと疑問を投げかけている。
第三章では「葬送のこれから」と銘打って、葬儀のノウハウを具体的に明らかにしている。いろいろと役に立つアドバイスのなかでも、次の点は特に重要だろう。すなわち、身内が亡くなった場合、小学生以上なら通夜、葬儀、告別式、出棺、火葬、収骨、精進落としまで通して付き合わせるべきだということである。
人の死が日常から隔離されている昨今、葬儀は死を身近に学べる機会であり、大切な人の死がどれほど人を悲しませるか、子どもや若者は知ったほうがいいということである。「勉強が遅れる? そんなことよりお葬式のほうが重要な勉強ですよ」。まったく同感である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学 | |
![]() | ゲーリー・S. ベッカー リチャード・A. ポズナー Gary S. Becker 東洋経済新報社 2006-06 売り上げランキング : 7663 おすすめ平均 ![]() 経済学とブログの新たな可能性Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ノーベル賞受賞の経済学者が市場原理で読み解く“世の中”
本書は、ノーベル経済学賞受賞者であるシカゴ大学のベッカー教授と、同校ロースクールのポズナー教授とのブログによる対話、さらには、ベッカー教授が「ビジネスウイーク」誌に投稿したコラムの一部を収めている。
後半のベッカー教授のコラム部分は、さすがにコラムの名手といわれるだけあって、興味深く、新しい視点を提供してくれる。
特に、「厳格な司法が米国の都市を救いつつある」は、刺激的な内容だ。米国では、刑事犯に対する司法の制度を厳格化し、犯人の検挙率を引き上げ、刑務所への収監率を大幅に上昇させたことによって、過去二〇年間に米国の犯罪率が顕著に低下したという。
この指摘は、大きなインプリケーションを含んでいる。もちろん、犯罪率が低下した主な理由には、米国景気の回復がある。しかしそれだけでなく、政府が司法制度の厳格化=犯罪に対する反対給付を上昇させることによって、潜在的な犯罪者のインセンティブを低下させることに成功したと論じている。これは、市場の価格機能=プライスメカニズムが、犯罪者に対して、「重い刑事罰を科せられる=高いコストを払うのであれば、犯罪を起こすことは割に合わない」と思わせることが可能ということである。
最近わが国では、犯罪を起こした側の人権や更生の可能性を強調するあまり、刑事罰が軽くなりつつあると指摘されることが多い。わが国の政策当局も、真剣に考えるべきポイントがある。
ベッカー教授の基本的な考え方は、一種のプライスメカニズムを働かせることによって、人びとが自然に、なにかをするインセンティブを持つ、あるいは、なにかをしないように誘引することにある。人びとが、本源的に持っているインセンティブを目覚めさせることが重要なのである。
本書を読み終わって、英国のサッチャー前首相を思い出した。同氏は、労働党政権下の企業国有化政策によって競争力を失った英国経済を、規制を緩和して自由競争を促すことによって見事に立ち直らせた。わが国の改革の方向性は、間違っていないはずだ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| ヒルズ黙示録―検証・ライブドア | |
![]() | 大鹿 靖明 朝日新聞社 2006-04 売り上げランキング : 1811 おすすめ平均 ![]() 当事者も驚愕の問題作 よくわかった! 村上会見での記者による、衝撃本!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
荒々しさの裏に潜むものとは “一揆集団”ヒルズ族の素顔
最初の一~二ページを読んだだけで、私は六本木ヒルズの異形の世界に引き込まれてしまった。
冒頭は、ライブドアに強制捜査が入った日の描写で始まる。社員たちは踏み込んだ捜査員たちを携帯電話のカメラで撮影し、広報担当の乙部綾子は社内のコンビニで同僚女性と明るい声で話し、珍しいイベントを生で体験できる興奮が社内を包んでいた。本書では、こうしたビビッドな描写が、透明感ある鮮烈な文章で、至るところに散りばめられている。
著者はライブドアとヒルズ族に長年密着し、強制捜査が入った当日も、中国・大連にいたCFOの宮内亮治と電話で二度話せるほど、親密な関係を築き上げた。本書は、膨大な情報のなかからえりすぐった珠玉のエッセンスだけで書かれた、ヒルズ族に関する決定版である。草創期には至ってまじめだったが、やがて誇大妄想で「麻原彰晃化」した堀江貴文、すばしこく立ち回る村上世彰、徹底してライブドアを見下す三木谷浩史、生家が江戸時代から漢籍を輸入し、自宅の書斎が本に埋まっている北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)、ディール中毒の「武器商人」持田昌典(ゴールドマン・サックス日本法人社長)など、関係者の実像が生々しい。
また、主要な登場人物だけでなく、さまざまな人びとの生い立ちを丹念に調べ上げ、ヒルズ族を広い裾野から描き上げている。宮内は生後まもなく両親と離れて暮らし、ライブドア取締役だった熊谷史人は学生結婚して子どもの養育費稼ぎのため深夜までバイトに追われた。ライブドアの他の幹部たちも、子どもの頃父親の会社が倒産し、弟が高校を卒業した年に母親が急死した者、実父に認知されず母子家庭だった者、自分の病気の治療代のために父親が借金し、その後父親が急死した者など、強烈な原体験を持つ人びとが多かったという。彼らは内面に沈殿した敵愾心や復讐心をバネに、荒々しい行動に転じやすい「雑兵の一揆集団」であったと著者は分析している。
読んで背筋が震えるような本に出合えるのは年に一度くらいだが、本書はそうした一冊である。【評者 黒木亮 作家】
| 周極星 | |
![]() | 幸田 真音 中央公論新社 2006-05 売り上げランキング : 21797 おすすめ平均 ![]() かつての良作を期待 星を見て・・・Amazonで詳しく見る by G-Tools |
得体の知れない強い引力を持つ中国で出会った男と女の違和感
明確なロードマップなどないまま、市場経済化を推進した中国。高度成長を実現させたものの、市場経済のルールや秩序は十分に整備されていない。したがって、市場ルールが確立した先進国の人びとに対し、“中国って、なんて無秩序なんだ! どうして、こんなにいい加減なことがまかり通るの!”といった印象を与えてしまうのも、あながち理由がないわけではない。
中国の最大の魅力は、無尽蔵ともいえる巨大なマーケット。至るところに、儲け話が転がっている。それゆえ、「得体の知れない強い引力」に引き寄せられるかのように、多くのヒトとカネが集まってくる。そのような環境の下、ビジネスマン・ビジネスウーマンは「強欲で」たくましく育て上げられていく。
本書の舞台は、中国の経済的中心地である上海。主人公は、日本人の父と中国人の母を持つ美貌の女性実業家の胡夏琳(フーシャーリン)と、父が貿易商であった関係で、北京で生まれ、投資顧問会社の社長をしている織田一輝。子ども時代に知り合い、いがみ合ったまま別れてしまう。やがて、「中国の自動車ローンを証券化して、日本の投資家に売っていこう」というビジネスとの絡みで再会を果たすのであるが……。お互いの存在が気になって仕方がなく、本当は引かれ合っているのに、憎み合わざるをえない二人。あたかも日本と中国のごとしか。
夏琳には、多くの日本人ビジネスマンは、礼儀正しいとはいえ退屈で、「言動は、みんな予測がついてしまう」。逆に、「前しか見ない上海」の人間には、煮えたぎるような溢れんばかりの不思議なバイタリティが備わっている。延長線上に浮上する二つの“イフ”。
(1)そうした荒削りの強欲さに、市場ルールの遵守が加味されるならば……、(2)日本人や中国人といった「国籍」ではなく、両者の資質を併せ持った「アジア人」としての自覚が成立し、緻密な計算のできるコスモポリタンとしての資質が整えられるならば……。
これからの国際的なビジネス展開に不可欠な要素とは何かを考えさせてくれる「おシャレな経済小説」である。【評者 堺憲一 東京経済大学副学長】
| 六十歳から百名山 | |
![]() | 米倉 久邦 新潮社 2006-04-22 売り上げランキング : 6385 おすすめ平均 ![]() 勇気ある60歳 本当の山屋による百名山Amazonで詳しく見る by G-Tools |
定年を迎えたジャーナリストによる登山紀行のにじみ出るような“深み”
ベテランジャーナリストが「六〇歳になったら何をしようか」と考える。彼が人生の中締めとして選んだのは、二年間で日本の“百名山”を踏破することだった。周到な準備のうえで、定年最初の元日に富士山頂を極めるのを皮切りに、厳冬の稜線でブリザードと闘い、春のお花畑で可憐な高山植物を愛で、夏山のガレ場で汗を流し、秋の渓谷を彩る紅葉を賞美感嘆しながら、一週一山のペースで北海道から鹿児島に至る百山を登り尽くした。さすが手練れのジャーナリストだけに、自然描写も人びととの出会いや語らいも淡々としていてしかも味がある。
しかし、この日本山岳紀行を読み終わってつくづく感ずるのは「自然を愛すること」に対する日本人の態度のお粗末さである。著者が何度も嘆いているトイレットペーパーの川とゴミの山、登山者のマナーの悪さ、劣悪で俗悪な設備、商業主義が平然と犯す自然破壊を見ると、なぜこういうことが続くのだろうと腹立たしい。
根本的なことは社会の構成員たちが「自然を愛すること」をどれだけ大事だと思っているかということである。そしてその感覚は物質的な豊かさだけでなく、それと一緒に育まれた精神的な豊かさと美しさがつくり出す。 登りながら考えたこととは
本書がもう一つ教えてくれることは、山に登るということは「想う」ことなのだなということである。歩きながら何を考えたかを著者はまったく語っていない。淡々と自然を描くだけである。しかしそもそも六〇年の人生の一つの整理として百名山踏破を決意したということは、山を登り続けることで、誰に憚ることなく、六〇年の想いを自らに語りたいと思ったからではないのか。足元だけを見ながらアイゼンで雪を踏みしめて雪渓を登るとき、背中を流れる汗を感じながら真夏の急坂を喘ぐとき、著者の頭の中は空っぽではなかったはずである。六〇年の歓びと悲しみ、怒りと安らぎは大地との触れ合いのなかで著者に甦えり、そしてかすかな痛みと快感を残しながら昇華していったのであろう。
淡々とした登山記録の後ろに、定年を過ぎた男の心の深みを感じさせる。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 貧困の終焉―2025年までに世界を変える | |
![]() | ジェフリー サックス Jeffrey D. Sachs 鈴木 主税 早川書房 2006-04 売り上げランキング : 6266 おすすめ平均 ![]() ほっとけない、世界の貧しさ 問題は世界が見て見ぬふりをしていることAmazonで詳しく見る by G-Tools |
いま最も重要な地球的課題に挑む国連事務総長特別顧問の臨床経済学
現代の世界で最も重要な問題は何だろうか? 地球温暖化を挙げる人がいるかもしれないが、温暖化で死んだ人はいない。テロを挙げる人もいるだろう。確かに9・11では、三〇〇〇人あまりの人命が失われた。しかし、毎年八〇〇万人以上の人びとが感染症で死亡していることを、どれほどの人が知っているだろうか。
人命を基準にする限り、最大の問題は途上国の感染症だ。なかでもエイズとマラリアだけで、それぞれ毎年三〇〇万人が死亡している。これらの病気には治療法があるのに、医療施設がないために多くの人命が失われているのだ。したがって、その根底には絶対的貧困の問題がある。 途上国への援助は有効ではないのか?
本書は、国連のアナン事務総長の特別顧問として、こうした問題に取り組んでいる著者が、これまで歩んだ道をたどったものだ。それは、彼が専門とする開発経済学を応用する「臨床経済学」の実践でもある。
国連が二〇〇〇年に発表した「ミレニアム開発目標」は、一五年までに飢餓人口の比率を半減させるなどの目標を掲げた包括的なプロジェクトだが、その実現は不可能ではない。先進国がGNPの〇・七%を途上国援助に回せばよいのだ。
しかし専門家や政治家には「途上国への援助は、腐敗した政治家の隠し財産になるだけだ」といったシニカルな見方が多い。それに対して著者は、援助の水準があまりにも低いことが、効果の出ない最大の原因だと反論する。たとえば米国の途上国援助予算は、軍事予算の三〇分の一だ。
著者の情熱とヒューマニズムには、誰しも脱帽するだろうが、途上国援助への批判がすべて人種的偏見であるかのような主張には、いささか鼻白む。また「反グローバリズム」のデモに理解を示す姿勢には疑問がある。
最近は、本書に序文を寄せたボノ(ロックシンガー)やビル・ゲイツ(マイクロソフト会長)などの著名人が感染症対策に多くの寄付をすることで、問題の所在が認識され始めた。これが一時の流行に終わらないためにも、各国政府の努力が必要である。【評者 池田信夫 須磨国際学園研究理事】
| 維持可能な社会に向かって | |
![]() | 宮本 憲一 岩波書店 2006-05 売り上げランキング : 140052 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公害から環境問題へと変化する視点 薄れゆく加害責任への意識に警鐘
本書の主張はこの表題に、特にその副題にズバリ示されている。「公害」という言葉、考えてみれば確かに使われなくなった。法律の名称も公害対策基本法から環境基本法へ改められた。しかしいったん「公害」という言葉を目にしなくなると、人はいつの間にか、「公害」という問題そのものがなくなったかのように思い始める。が、しかし……と著者は言う、「公害は終わっていない」と。
アスベスト問題は公害ではないのか
本書はまず、昨年来のアスベスト問題から入る。しかし、あの問題をはっきり「公害」と呼んでいたかというと、なるほど記憶がはっきりしない。著者は、公害問題が環境問題へと発展してゆくなかで、加害責任の所在をしっかり問いただす姿勢が、なし崩し的に弱められているのではないかと危惧する。
加害者と被害者を比較的はっきり分けられる公害問題に対し、環境問題は、環境破壊の被害に遭う市民の一人ひとりが同時に加害者にもなりうることを教えた点に、一つの意義があった。そしてこの発想が下支えになって、ゴミの分別やリサイクルに、一般市民も自発的に取り組むようになった。これはまぎれもない一つの成果であって、著者もこの点については評価を惜しまない。
しかし、それがために、加害責任への意識までが薄れてしまったのでは元も子もない。本書はこうした問題意識から、現在のアスベスト対策に欠けている基本的な問題点を明らかにする。そしてさらに、かつての水俣問題、四日市問題が、じつはまだ終わっていないことも説き明かす。
公害対策は中央政府の管轄であり、政府の姿勢がなにより重要なのは一見、そのとおりだが、同時に、そもそもの発生地である地域や都市で、今どれだけの自治が可能であり、どれだけの対策を自主的に打つことができるのか、これを問わなくては過去の犠牲が教訓として生かされないと著者は言う。真の公害対策とは、真の自治を求めることなのだ。本書の主張は明快である。
環境問題がより複雑になるなか、あらためて公害問題の原点を問い直した一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】









社会学的アプローチによる情報本(かな)
膨大な文献を読み解き、「しきたり」「伝統」の怪しさを喝破する



かつての良作を期待


