メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 > 2006年4月1日~6月24日
| ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する | |
![]() | スティーヴン・レヴィット スティーヴン・ダブナー 望月 衛 東洋経済新報社 2006-04-28 売り上げランキング : 54 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経済学は、答えを出すための道具は揃った学問だが、おもしろい質問が深刻に不足していると著者は言う。本書は、おもしろい質問と答えを取りまとめたものだ。
おもしろい質問とは、たとえば、麻薬の売人がそんなに儲けているなら、彼らがいつまでも母親と住んでいるのはなぜ? 銃とプールと危ないのはどちら? 過去一〇年のあいだに犯罪率を大幅に引き下げたのは何か? といったようなものだ。
著者は、データの山から、誰も発見できなかった真実を引き出し、誰も計測不能だと考えていた効果を計測できる方法を考え出す。
本書を読むと、経済学が金銭的インセンティブについて分析するものであるとともに、非金銭的インセンティブについても分析するものであることがわかる。
献血をした人を思いやりがあるとほめる代わりに少額の奨励金を払うと献血は減る傾向があるという。もちろん、より多くの奨励金を払えば献血は増えるが、インチキをする人も増える。
生徒がよい成績を取れば先生が昇進できる制度が生まれたとき、先生はどうインチキしたか、また当局はそれをどう見破ったかが分析してある。
建築確認という制度をつくっても、それがインチキされないように運営することを考えない日本人にはぜひ読んでほしいところだ。 いかにも米国的な知的探究心
中絶の合法化が犯罪を減少させたという論文は、すでに日本でも有名かもしれない。八勝六敗の力士が千秋楽で七勝七敗の力士に負けるという論文も有名だろう。私としては、八勝六敗の力士が負けるのは、立ち合いに変化しないことなどで説明できることを希望しているが、それは難しいようだ。
クー・クラックス・クランと不動産屋の行動を見ることによって、情報の力を分析している。どんな子育てをすればうまくいくかという分析もある。結果は、あなたが何をするかではなく、どんな人であるかが子どもに影響するという。
著者の両親は、子どもに人と違っていていい、と教えたという。著者の知的探究心は、米国文化が生んだものだ。本書を読めば、それがいかにすばらしいかがわかる。【評者 原田 泰 大和総研チーフエコノミスト】
| ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感 | |
![]() | 内田 洋子 光文社 2005-10-14 売り上げランキング : 305026 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「報道の自由とプライバシー保護のどちらかを選べ、と言われて、倫理感に縛られて〈プライバシーの保護〉を選んでしまうようでは、マスコミで働く意味はない」。イタリアのメディア業界を代表する名編集者、グイド・カルレット氏の言葉である。本書が取材対象に取り上げている名うてのジャーナリストたちの一人である。
この卓見を披露したカルレット氏が尊敬し、賞賛してやまないのがパパラッチたちだ。すっぱ抜き写真ジャーナリズムを業とするパパラッチ。語源はフェデリコ・フェリーニ監督の名画「甘い生活」のなかにある。そんなパパラッチはあくまでもイタリア的存在だ。
独善的で反権力的で無秩序で恐れ知らず。このイタリア魂なくしてパパラッチ・ジャーナリズムなし。そのからくりを徹底的に追究したのが本書である。楽しい本だ。
ただし、楽しいだけではすまされない。今の日本には、個人情報保護の行き過ぎが報道の自由を脅かしかねない状況があると思う。そう思って少々危機意識を抱いていた矢先に、情報源に関する守秘のあり方をめぐって、司法判断が揺れ動くという騒動も巻き起こった。このところどうも、日本のジャーナリズムの手足にはさまざま各種の束縛のクモの巣がまとわりつきつつあるように見える。
そんな今こそ、日本にたくさんのパパラッチが必要だ。お行儀よさなんぞくそ食らえ。執拗に、貪欲に、なり振り構わず、物事の裏側と奥底とを暴き出していく凄みが欲しい。
だが、それが仕事だからこそ、パパラッチは一方で知的に清く正しく、そして賢くなければいけない。このバランスが微妙だ。ここを忘れると、パパラッチは単なるゴシップ野郎だ。知的告発者と三流恐喝屋のあいだの細くてきわどい境界線上をどこまで大胆に、どこまで繊細に渡り歩くか。そのパパラッチ的醍醐味を本書が痛快に描き出している。
これぞ、じつはジャーナリズムそのものの本質ではないのか。イタリアからの声援の書として、日本のメディア関係者にもお薦めの一冊だ。【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 障害者の経済学 | |
![]() | 中島 隆信 東洋経済新報社 2006-02-10 売り上げランキング : 8841 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
“弱者扱い”が遠ざけている自立 経済学の立場から障害者政策を提言
障害者に限らずすべての人にとっての理想の社会とは、社会のメンバーとしてそれぞれが比較優位に基づいて分業しつつ、陰に陽に互いを支え合い、共存している社会ではないだろうか。そして豊かな社会とは、自分の能力や好みに応じて職業や消費が選択でき、政治に関しても多様な選択肢が残されており、それを選ぶ自由を保証してくれるものであろう。
しかし、現実には予算や資格制限や競争によって、その選択肢がさまざまなかたちで制約を受けることで、本来の選好とは違ったかたちで最終的な選択をしている。障害者は健常者よりもはるかに多くの制約を受けており、本来享受することが保証されているはずの選択肢にさえも手が届いていないのが実情である。
本書では著者が家族とともに経験してきたさまざまな事例を振り返りながら、障害者に対する政府の態度を過保護的な「転ばぬ先の杖」型の政策から「案ずるより産むがやすし」型の政策に変更することで、障害者の選択の余地が広がること、そしてそれが障害者の自立に結び付くことを繰り返し論じている。
著者は差別される側である障害者が現状を正しく伝える情報発信をすべきであるとも主張している。障害者は助けてもらう存在でもなく、かわいそうな人たちでもないことを自らが示さなければならないということである。 経済学を社会に生かす好例
障害者をめぐる環境としては、本年四月より障害者自立支援法が導入され、障害者本人およびその家族への負担が増えつつあるというのが現状である。著者は必ずしもこの法律に否定的ではないが、障害者が自立するためのインセンティブが十分準備されていなければ、この制度は機能しないことを冷静に指摘している。
本書は、障害者ができることの自由度もさまざまであり、新法で求められる負担の許容度も本人および家族によって違っていることを認識させてくれる。障害者の実態に迫りながらも客観的に書かれており、障害者問題に関心のある人のみならず、現実を考えるうえで経済学がどのように使えるかを教えてくれる好著である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| エコノミストたちの歪んだ水晶玉―経済学は役立たずか | |
![]() | 野口 旭 東洋経済新報社 2006-03 売り上げランキング : 62013 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
論旨のはっきりした書物である。読んでいて痛快だ。著者は、『間違いだらけの経済論』『経済学を知らないエコノミストたち』などを執筆した野口旭氏である。“水晶玉”とは、経済専門家の分析ツール(占い師の水晶玉に相当する)を指している。本書で取り上げている内容は、バブル崩壊後に続いた長期経済低迷に関する、主要経済学者やエコノミストの分析・政策提言の評価と、その背景、原因の分析など多岐にわたっている。
本書の重要なインプリケーションは、わが国の経済低迷期に行なわれた“経済論戦”を客観的に見直すことによって、今後の適切な政策提言の“糧”にすることだろう。現在、日本経済は長期の低迷期を脱して、ようやく新しい成長過程に入ろうとしている。こういう時期だからこそ、低迷期に行なわれた“経済論戦”を適切に評価することができる。どうやって経済低迷から脱却したかを考えることで、何が正しい政策提言だったかを判断できるからだ。 需要不足か 不良債権か
二〇〇二年初頭から始まった日本経済の回復のエンジンは、輸出=海外要因による需要の拡大であった。需要が拡大したため、景気が上向きに転換したのである。長期にわたる景気低迷の主な要因が、需要不足であったことはいまや否定できない事実となった。
景気が回復したことによって、金融機関の不良債権処理が進んだ。不良債権処理が進展したから、経済活動が回復したのではない。景気の回復は〇二年初頭から始まったのに対し、大手銀行の不良債権処理が進んだのは、その後のことである。景気回復が原因で、不良債権処理はその結果だ。それは、ファクトを時系列に並べてみると明らかである。低迷期に、“不良債権が景気低迷の元凶”と叫んでいた人気エコノミスト諸氏は、今、この点について、どのような論法を組み立てているのであろう。野口氏ならずとも、尋ねてみたいところだ。
本書は、一部の経済学者や人気エコノミスト諸氏には警鐘の書である。注目を得るためのメディア迎合主義の専門家の存在意義は薄いとの警告を発している。専門家には相応の研鑽が必要だ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 基礎から学ぶ日本経済―実体経済と対外取引を中心に | |
![]() | 湯本 雅士 東洋経済新報社 2006-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は、経済を構成するモノ、サービス、ヒト、カネ、ソトとのかかわり合いという五つの基本的要素の動きから説き明かす。これらの要素がどういうかたちで、どういう経路で経済全体にかかわってくるのかということである。このアプローチは経済をまず鳥瞰的に見ることを教えるという点で大変、効果的であると思う。 理論から現実まで
本書には優れた特質が三つある。一つは、基礎的な解説を行ないながら、同時にそれぞれの問題について、昔から現在に至るあいだ、どういう理論的解明の努力がなされてきたかを簡明に紹介していることである。これはさらに一歩先の勉強を志す学徒にとって貴重であろう。
もう一つは、こういう基礎的な事象が現実の日本経済のどういう問題にどういうかたちで表れているのかを非常にわかりやすく、かつ迫真力を持って説いていることである。その点で本書は単なる解説書の域を超えている。
そして最後は、全編を通じて著者の日本経済の将来への熱い思いが横溢していることである。円高、金融バブルとデフレ、農業、エネルギー、環境、社会保障から格差に至るまで、日本経済の抱えるすべての問題が国を思う視点で取り上げられている。しかもそれが著者の豊富な理論的知識の集積のうえで行なわれていることが強みなのである。
もちろん、これだけ豊富な素材が満載されているから気軽に読める入門書ではない。そうとうな基礎知識が必要だし、またこの先を求めるためには読者が自分で勉強しなくてはなるまい。
学問の要諦は三つあるという。鳥のように大空から地形を観じ、虫のように地表を探り、魚のように流れを知ること、である。二一世紀初頭の四半世紀は日本経済にとって今までになかった課題と向き合わねばならない時期になるのであろう。著者が言うように、求められるのは課題を正しく認識することと、そのうえで強く行動することである。本書を学んだ学生や社会人に著者の思いが受け継がれればよいなと思う。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 神話論理〈1〉生のものと火を通したもの | |
![]() | クロード レヴィ=ストロース Claude L´evi‐Strauss 早水 洋太郎 みすず書房 2006-04 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
いつの時代にも、その「時代精神」を象徴する本がある。一九世紀を代表する本が『資本論』だとすると、それに質的にも量的にも比肩する、二〇世紀を代表する本が『神話論理』だといっても過言ではない。
ところが一九七一年に原著が完成してから、この邦訳が刊行されるまでに三五年もかかった。その原因は、当初の訳者が死去したことなど、不幸な事情が重なったようだが、この間に「ポスト構造主義」が流行しては消え去り、著者もすっかり「乗り越えられた」思想家のように思われている。
しかし、そういう先入観なしに本書を読めば、それが今なお輝きを放っていることがわかるだろう。「[私が]示したいのは、神話が、ひとびとの中で、ひとびとの知らないところで、どのようにみずからを考えているかである」(本書二〇ページ)という有名な一節は、原著が刊行された頃は「非科学的だ」という批判も浴びたが、今読めば、ポストモダンの主題である「主体の不在」を語っていることがわかる。
二〇世紀最大の思想的革命は構造主義言語学の誕生であり、二〇世紀は「言語の時代」だった。それはポストモダンまで含むとともに、すべての情報を二項対立による「差異」の束と考える点で「デジタル革命」の源流ともなったのである。 デジタルとして読み解く神話
本書で明らかにされる米国先住民の思考も、デジタルである。著者は「生のもの/火を通したもの」あるいは「自然/文化」といった二項対立によって神話を読み解き、多くの神話を一つの主題の変奏として位置づける。その手際は、科学というよりは芸術であり、神話全体があたかも一つの交響曲のようにハーモニーをつくり出す。本書も「序曲」で始まり、最終巻の「終曲」で終わる。
ただ学問的には、本書の神話解釈は実証的に検証不可能な「物語」にすぎないという批判も強い。一般の読者には、神話の詳細な分析は読みづらいかもしれない。しかし、神話と音楽の関係を論じる「序曲」は二〇世紀を代表する名文であり、著者を批判するにせよ乗り越えるにせよ、必読である。【評者 池田信夫 須磨国際学園研究理事】
| 東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち | |
![]() | クライド プレストウィッツ Clyde Prestowitz 柴田 裕之 日本放送出版協会 2006-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本がもし、「二一世紀に世界経済の中心は西洋から東洋へ移る」とか、「中国とインドは近い将来必ず脅威になる」と声高に叫ぶだけのものであったら、あえてここに取り上げる必要はなかっただろう。
しかしこの本の目線は、むしろそうした流れをつくり出した米国経済のほうへ向けられている。確かにそれは、米国をなにより大事と考える著者の姿勢からきたものであろうが、著者はズバリ、米国経済にとっての真の脅威は他国の台頭ではなく、自前の産業基盤を自ら放棄してしまった、その失策にあると断言する。 生産力そのものを失った米国の誤り
米国の貿易赤字と借金体質は、他国が米国債券を引き受けることで成り立っている。しかしそれは米国経済への信頼というより、ドル資産を持つことの便利さに多く由来するものだと著者は言う。したがって、今後中国・インドをはじめとするアジア経済圏が台頭し、アジア通貨での決済が増えてくれば、近い将来ドル離れが起きたとしてもなんら不思議なことはない。
かくしてドルが下落したとき、米国に輸出生産力が残っていればまだよい。しかし米国は、ITバブル以降も他国へのアウトソーシングをいっこうにやめる気配がなく、産業空洞化どころか生産力そのものを失いかけている。よってドル下落は、もはや米国にとってただのダメージでしかない。このアウトソーシングに頼った短期戦略なるものがいかに誤った選択であったかを、無数に近い事例を挙げて説いてゆく。
本書は中国・インドの現状についてもじつに豊富な情報を載せている。ただし、分析が多少粗いところもあって、たとえば中国は製造に強く、インドはサービスに強いという分け方は、ビジネスの現場から見て今でもうなずけるものだろうか、とも思う。
また、これからの日本についても、ちょっと驚くべき提案を行なっている。評者はこれに同意しないけれども、その内容については、実際本書を手に取って読者自身で確かめられたい。「生産から資産へ」という風潮がますます強まるなか、あらためてその意味を問いかけた一書といえよう。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| バーナンキのFRB | |
![]() | 加藤 出 山広 恒夫 ダイヤモンド社 2006-03-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「現時点でこれほど詳細なバーナンキ分析は米国においても存在しないだろう」。著者たちが自らこう書いている。その自負に誇張はない。だが、それだけではない。著者たちは、本書で「米国金融政策の本質に迫る『FRB(FED)ウオッチング』の決定版を目指した」とも言っている。
FRBウオッチングのあり方は時代とともに大きく変わった。第五章で指摘されているとおり、かつてのFRBは政策金利の誘導目標水準さえ公表していなかった。目標が公表されていなければ、それが変更されたかどうかはわかるわけがない。
そこをなんとか、日々の公開市場操作のとり行なわれ方のなかから読み取っていく。それが一九八〇年代までのFRBウオッチングだった。評者が駆け出しエコノミストとして奮戦中だった七〇年代までさかのぼれば、FRBウオッチングという言葉さえ誕生の前にあった。状況を一変させたのが、グリーンスパン前議長であった。彼が金融政策をめぐる神秘のベールをいかにして剥ぎ取っていったか。その一部始終が本書に活写されている。
もっとも、その後の米国の金融政策は、グリーンスパン語録という新たな神秘のベールに覆われた。その透視術についても、本書が余すところなく語り尽くしてくれている。 上質な教科書でありドキュメンタリー
米国金融政策の本質に迫るという意気込みにふさわしく、本書はきわめて重要な基礎的事項の手ほどきに力を入れている。グリーンスパン・トークの謎解きもさりながら、ここに大きな価値がある。フェデラルファンド市場の仕組みを徹底解説した第四章。FRB形成史とその今日的な機能を詳述した第三章。そこには、上質の教科書と上質のドキュメンタリードラマを組み合わせた世界がある。
惜しむらくは、本書には書かれていない一章があることだ。中央銀行と金融政策に関する著者たちの見解披瀝の章である。その片鱗は随所に魅力的なかたちで顔をのぞかせている。その集大成が欲しかった。
これは批判ではない。本書を堪能した読者の次著への期待だ。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 日本型ヒーローが世界を救う! | |
![]() | 増田 悦佐 宝島社 2006-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、アメリカンコミックスに対する嫌悪の表明と日本マンガに捧げる賛辞からなる。
アメリカンコミックスは、すべての人物がヒーローの引き立て役にすぎず、男尊女卑で、正義の押し付けしか描かれていない。対する日本マンガは、味方の弱点をかばいながらしのぎを削る、集団主義的で男女平等な英雄像と正義の複雑さまでを描く。これが日本文化の本質であって、だからこそ日本のマンガはすばらしいという。
男性は当然だが、女性においても欧米文化はエリート主義だという。エリート女性だけが王子様を待つ権利があるという欧米文化に対して、日本の少女マンガは、普通の少女が愛について考えることを可能にした。
現実には、王子様は平等ではないが、日本マンガによって、平凡な人間が英雄の悩みを抱くことが可能になった。それは、日本人の人間性を豊かにしたと著者はいう。
バービー人形が小学校教師、看護婦、婦人警官などになっていることを米国の女性の社会進出ととらえる見方に、異議を申し立てる。米国において、これらの職は給与の低い職である。バービー人形は、女の子たちをこれらの職に誘導する役割を果たし、米国を先進国のなかで男女賃金格差が大きい国にしている。 日本マンガの奥の深さ
それに対して、日本の職業紹介系マンガは、あらゆるジャンルにわたっている。日本のマンガは、すべての人間が英雄になれるという思想を提供するとともに、現実とも向き合っている。よく生きるとはどういうことかが、日常を描くこれらのマンガにある。
日本のマンガには、暴力もセックスも秩序騒乱も既存道徳への異議申し立ても、あらゆるものが描かれている。それに眉をひそめる人もいるだろう。しかし、最もヒットしたマンガは、ほとんどなにも起こらないほのぼの系のマンガである。英雄譚とともに、平凡な幸福の意味を描き出すのが日本マンガだという。
子どもが読みたいマンガが、おとなが読ませたいマンガに勝ったのはなぜか、といったアナリストらしい分析もおもしろい。【評者 原田泰●大和総研チーフエコノミスト】
| コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語―生産者を死に追いやるグローバル経済 | |
![]() | ジャン=ピエール ボリス Jean‐Pierre Boris 林 昌宏 作品社 2005-10 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
バレンタインデーのチョコレートの山、いい香りを立てているカフェ、高級フランス料理に用いられるコショウや岩塩、とびきり生きのいい伊勢エビ、口に入れるととろけそうなマグロのトロ。われわれはグローバリゼーションの恩恵を受けて世界中から高級食材を輸入している。ではこれらの一次産品はどのようにして生産され、どのように届けられているのだろうか。われわれの払った代金は誰の収入になっているのだろうか。
著者はジャーナリストとしてフランスをはじめ、アジア、アフリカ諸国の報道に携わってきた人で、本書は著者がフランスの国営放送ラジオ・フランス・インターナショナルで「一次産品の市場動向」という番組を七年間続け、世界中の関係者を取材してきた成果をまとめたものである。 生産者と買い手の本質的な格差
本書のテーマはグローバリゼーションの陰の部分である。世界銀行やIMFが推進した市場自由化、規制緩和の流れのなかで、生産者協定が弱体化され、国際商品価格が崩壊し、生産者である農民だけが極度の貧困に陥った経緯が詳しく描かれている。
これはグローバリゼーションの問題なのだろうか。アマルティア・センは『人間の安全保障』(集英社新書)のなかで、グローバル化自体が問題なのではなく、グローバル化がもたらす利益の配分の仕方に問題があるのだと論じている。確かに、先進国の貿易商社や製造業者は農産物の価格変動や天候リスクに対して、金融派生商品を購入するなどして、危険回避を行なっているが、農民には、さまざまなリスクを回避するための手だてもなければ、金融派生商品を購入するカネもない。これではリスクが一方的に農民に転嫁され、貧困が増幅されていくのは避けようがない。この仕組みを変えることなく、直接買い付けによって生産者に最低保証価格が国際市場相場価格にかかわりなく支払われる制度である流行のフェアトレードを導入しても焼け石に水だということで、著者はフェアトレードの有効性に対しては懐疑的である。
本書はグローバリゼーションの多面性を見つめ直すいい機会を提供してくれる。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| エコロジストのための経済学 | |
![]() | 小島 寛之 東洋経済新報社 2006-01-27 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者の小島寛之氏は、一風変わった経歴を持っている。同氏は、当初、自然科学の分野に進み、卒業後、企業に就職して社会人になった。その後、世田谷区が主催した市民講座で、宇沢弘文氏の経済学ゼミに参加したことをきっかけに経済学の勉強を開始した。同氏の言葉を借りると、“経済のけの字も知らない”ところからスタートして、現在では、大学で経済学の教鞭を執っている。象牙の塔の中で“学者”ではなく、自発的な関心と意欲によって自家育成された研究者である。
こうした同氏のバックグラウンドが、本書の最大の特徴である、“一般読者のところまで下げた視線による、わかりやすい書きぶり”を生み出している。 環境問題の現実を経済の理論で解説
本書を貫く主張である、「環境問題は経済問題」との認識は説得力がある。タイムスパンを短期化すると、経済合理性を持った人びとが自分自身の経済合理性を考えて行動することになり、その誤謬として公害などの環境問題が発生する。本書は、それを、ゲーム理論やケインズ経済学を駆使して、懇切ていねいに解説している。特に、各個所で使っているケースはいずれも平易で、経済学の素養がなくとも理解可能だ。エコロジストに限らず、経済学の理論と、実際に起きていることを勉強したり、整理するためにも有益である。
また、環境問題解決の方策の一つとして、宇沢氏が提唱する、「社会的共通資本の理論」を紹介している。河川や海洋などの自然環境を、「自然資本」と位置づけて、環境を経済理論の外に置くのではなく、経済理論のなかに取り入れることによって、社会全体にとって、よりよい経済システムを構築しようという考え方だ。今後の環境問題の取り組みには、重要なアプローチ方法と考える。
最近、資本市場で、企業の社会的責任(CSR)の考え方が確立しつつある。これは、投資家自身が、企業の環境問題への取り組みを含めた社会的責任を評価する考え方だ。CSRを意識した企業のパフォーマンスは、相対的に好調といわれている。株式市場も、CSRを重視し始めた証拠といえるかもしれない。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| データで示す日本の大転換―「当たり前」への回帰 | |
![]() | 大武 健一郎 かんき出版 2005-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本経済の将来に一〇〇%の自信を持てる人は残念ながらほとんどいないだろう。皆不安を抱いている。そして、その不安が本当のところ何に起因しているのか、それは取り除けるものなのか、どうやったら取り除けるのかわからない。だから不安がなくならない。
本書は現在の日本人のすべてを悩ませている、最も一般的で、しかも最も根源的なこの難問を大変わかりやすく説得力を持って解き明かそうとしている、ユニークな力作である。
著者はまず、戦後三〇年続いた日本経済の目覚ましい発展は、いくつかの特別な条件の下で可能になったものであり、その条件がなくなってしまったことが不安の根源にあるのだと説く。その条件とは、(1)人口増加、(2)人口移動、(3)有利な為替レートであった。この指摘は適切である。従来の数多い論者のなかでも、この点を単純明快に提示した者はいない。
一九七五年以降この条件は次々に消滅していった。条件の消滅は日本経済がもはや、戦後三〇年の発展のパターンを繰り返しえないことを決定づけたのである。この点の論旨はきわめて明快で、これほど明々白々たる事態が進展しているのに、政治家や役人や経営者はなぜ無為に過ごしていたのだろうかと暗然とした気持ちになる。
ある意味で、日本経済は振り出しに戻ったと考えるべきなのであろう。高度成長を可能にしたさまざまなボーナスはなくなった。これからの日本経済は、自分が持っている本当の力は何なのかということを冷静に正確に見定めて、その力をどう使ったらいちばんよい生き方ができるかを、考えねばならないのである。
著者は、アジア諸国との分業、日本に蓄積されたアートとサイエンスを活用した質の時代への挑戦など、豊富な知識と現場体験から生まれたいくつものアイディアを紹介している。二一世紀の日本の課題は、こうしたさまざまな日本経済の強みが総合的に有効に力を発揮できるような、国としての意思決定の仕組みをつくるということになるだろう。誰にでもわかる問題提起で、日本経済の問題の核心を突いている好著である。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】












