メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 > 2005年4月2日~6月25日
| 中世とは何か | |
![]() | J.ル=ゴフ 藤原書店 2005-03 売り上げランキング : 34,463 おすすめ平均 ![]() 中世文明への旅Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「中世」と聞くと、われわれはごく自然に「西洋」の中世をイメージする。日本の鎌倉時代や室町時代も「中世」には違いないが、西洋の中世とは明らかに印象が違う。現代人は西洋の中世にロマンを求めており、そこは魔法使いや怪物が闊歩するファンタジーの世界である。そういえば「指輪物語」でも「スターウォーズ」でも、正義の味方は皆、中世の騎士か托鉢僧の格好をしている。
本当の「中世」はどうであったか。本書はそれが、物語よりもずっと魅力的な世界であったことを教えてくれる。著者J・ル=ゴフは、アナール派第三世代を代表する歴史家である。アナール派は、伝統的な政治史・経済史の枠を超え、普通の人びとの普通の暮らしぶりを、いきいきと再現する歴史学を唱えてきた。同じくアナール派のF・ブローデルのファンだという人も多いだろう。
評者には、第3章「商人、銀行家、知識人」が特におもしろかった。中世とはじつは経済の時代であった。しかし周知のように、教会は当初、利子を禁じていた。その理由は、単に聖書が禁じていたから、ではなかった。
「利子とは時間につけられた価格である」という、現代の経済学者が目を見張るような理解がまずあって、しかし時間は神の持ち物だから、利子を取ったらそれは神の物を横取りしたことになる、だから冒涜(ぼうとく)だというのである。
では、利子はいつ頃許されるようになったか。著者はここに「煉獄」の誕生を重ねる。煉獄とは天国と地獄の中間にあって、天国行きと地獄行きを分ける場所である。商人やカネ貸しは、死後いったんここに入るとされた。つまり、カネ貸しイコール地獄行きではなくなったわけで、この煉獄という概念を中世が発明したことと、経済に対する認識の変化とが、じつは根底でつながっていた可能性を著者は示唆する。中世が、急に身近に思えてくる話である。
本書はインタビュー集で予備知識などは必要ない。それでも次々繰り出される話題につられるうち、気がつくと中世の風景を眺めている。想像力をかき立ててくれる一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 日本のお金持ち研究 | |
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共著者の一人、橘木俊詔氏は、ご存知、所得格差研究の大家だ。彼とその若き後継者、森剛志氏が日本型富裕層の全貌解明に挑んだ。
日本は世界最大の債権国だ。世界でいちばんリッチな国である。カネ持ちがたくさんいて不思議はない。ところが、本書のはしがきにあるとおり、日本には「貧困者の実態に関しては……研究報告は数多くあるが、富裕者に関しては……系統的に議論した例はほとんどない」。それだけ、日本社会の集合的自己認識が実態を反映していないということだろう。超成熟国なのに、どこかに駆け出し国としての自己像が残存している。
日本人であることとカネ持ちであることがどうもイメージとして重ならない。裏を返せば、日本に関する平等社会神話が深く堅固に根を張っている。そのことが忍び寄る格差と不平等への無頓着につながる。
この点について、橘木氏は以前から鋭い論考を重ねている。いつもとは視点を変えてカネ持ち像を浮き彫りにするところから、この問題に切り込んだのがこの本だ。 カネ持ちは上流階級なのか
なかでもカネ持ちであるということと、上流階級であるということとの関係をどう考えるかはおもしろい見方である。
著者たちの調査結果によれば、現代日本のカネ持ちの双璧は一にサービス分野の起業家型企業経営者、二に開業医型のお医者さんだ。こうしたプロフィールを持つ日本の富裕層は、同時に現代日本の上流階級でもあるのか。
本書の第四章「日本の上流階級」がこの点をかなり突っ込んで取り上げている。そこでの一つの結論が、「大企業の経営者、特にオーナー経営者は、所得、権力、支配力のすべてを兼ね備えた上流階級と見なすことが可能である」ということだ。
ここですぐ頭に浮かぶのが、かのホリエモンである。本書によれば、彼は経済界における地位の点でまだ上流階級入りしてはいないことになる。
いずれは彼が日本の上流階級の頂点に立つ日が来るのだろうか?その時、名もなく貧しき紳士・淑女の世界はもはや歴史のヒトコマになってしまうのか?【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 建築家が建てた幸福な家 | |
![]() | 松井 晴子 エクスナレッジ 2004-11 売り上げランキング : 66,731 おすすめ平均 ![]() 住み継がれる家たちの幸せオーラAmazonで詳しく見る by G-Tools |
建築家が建てた家を雑誌などで見ることがある。確かに美しい。しかし、そこに人の住む気配が感じられないと思うことがある。また、凝りに凝った豪邸や狭小住宅をテレビで見るのはおもしろいが、普通の人びとはどんな住み方をしているのだろうかと、私は時々思っていた。建築ジャーナリストにも同じ思いを抱く方がいた。
著者は、建築家の建てた新しい住宅を見るたびに、この家に住むのはどんな家族なのか、どんな生活をしていくのかが気になっていたという。本書は、そんな著者が、日本全国、築二〇年以上の住宅二四軒を訪ねて、住人に話を聞き、住まいと家族の歴史を紹介したものである。 建築の冒険は住む人にも冒険
建築家に家の設計を頼むのは冒険だったと書いてある。住む人も、冒険を恐れない。この家を住みこなしてみろ!というような家を造ってくださいと、設計を依頼したという施主もいる。
住みこなすのは必ずしもたやすくないが、建築家との感性の共有によっていとも軽やかに住みこなしている家族もある。吹き抜け、天窓、高い窓から差し込む光、ルーフガーデンに出られる浴室、プライバシーを守る都市型住宅の工夫など、当時としては冒険だったと思わせる家々が紹介されている。
これらを見ていくと、冒険がいまや普通の住宅メーカーや建売業者の標準装備にすらなっていることがわかる。建築家が設計した家を住みこなしていった家族の歴史は、冒険が常識として取り入れられていった歴史でもある。登場する家族は、メンテナンスフリーとはほど遠い手間のかかる家を愛し、修理しながら住んでいる。
残念なのは緑に囲まれた家が少なくなってきたことだ。家からの眺望を工夫し、緑に囲まれた家を紹介しながら、郊外に戸建ての家を建てることの本来の意味を思い出させてくれると著者は言う。
あとがきで、建築家が設計した家に住み続けていくためのポイントを箇条書きにしている。建築家の建てた家に限らず、楽しく住み続けるためには重要なポイントばかりだ。家を愛し、そこに住む人びとを愛する著者ならではの視点がある。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 期待と不確実性の経済学 | |
![]() | 清水谷 諭 日本経済新聞社 2005-02 売り上げランキング : 27,014 おすすめ平均 ![]() 事後的な政策評価の重要性 期待に働きかける政策の重要性Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一九九〇年代の経済状況を「失われた一〇年」と呼ぶことが広く定着してきている。本書はこの間に、家計や企業はどのように行動したか、マクロ経済政策の効果はあったのかといった論点について、ミクロ統計データを駆使して丹念に実証分析したものである。
著者は「失われた一〇年」のあいだ、内閣府において、政府のマクロ経済政策調整のただ中にいた経験を持つが、九〇年代の経済政策を振り返って、「残念ながら家計消費や企業投資に対して十分刺激する効果をもたなかった」と正直に評しながらも、データを細かく見ると家計や企業の状況に応じて、経済政策の効き方が違っていたことも報告している。
地道な実証研究から著者が導いた結論は、家計や企業などの経済主体が先を読む行動を想定していない従来型の経済政策は効果を持たず、政策当局は経済主体の将来に対する期待に働きかけることが大切であり、かつ政策はターゲットを絞ることが有効である、というものである。 健全な政策のための政府統計有効利用
評者は「失われた一〇年」を社会全体がまったく機能しなかった一〇年間のようにとらえるのは間違いであると考えている。二〇〇〇年代に入って経済の主役に躍り出たIT産業や復活した自動車産業や鉄鋼業、グローバル化で活況を見る海運業などは、九〇年代にただただ不況をかこっていただけではない。このような産業の活力の源泉が「失われた一〇年」のどこにあったのかを見つけることは、不確実な不安を確実な希望に転換することの具体的な事例となるはずである。
日本におけるミクロ統計データを用いた本格的な研究はこの一〇年ぐらいのあいだに始まった。政府統計はもともと政策目的で収集されたものであり、調査には多大なコストがかかっている。これらの貴重なデータを学問研究のために公開し、日本社会のさまざまな側面について理解が進むことは、政府統計の本来の目的に照らしても意義がある。個人情報保護が喧伝されている折ではあるが、政府統計の有効利用は健全な政策形成にとって不可欠である。本書はこのことを雄弁に語っている。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 改訂版 東京外為市場25時 伝説のディーラー | |
![]() | 大下 英治 徳間書店 2005-02-19 売り上げランキング : 5,380 おすすめ平均 ![]() 自慢話 「市場の神々」と双璧 殆どノンフィクション!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
為替ディーラーの快感・苦しみ・過酷さを余すところなく描いた大作である。一秒間に、何億円というおカネが動くスリリングな世界。主人公である北原一輝の一挙一動に、「生きるか死ぬかの壮絶な戦い」が織りなすディーリングの魅力に、読者は振り回されるのではなかろうか。なにしろ、主人公・北原のモデルは、「伝説のディーラー」と呼ばれ、いまなおシンガポールで現役として活躍しているチャーリー中山こと、中山茂なのである。
外国為替の取引は、今では個人でもできる。一九九八年以前は、銀行の特権事項であった。ところが、ディーラーという職業は、組織に属してはいるが、腕さえあれば、どの銀行に移っても勝負ができる一匹狼的な色彩が強い。ディーラー同士も、お互いにライバルでありながら、不思議な情を感じ合っている。世界中のマーケットを視野に入れるので、本当の意味での相場の真空状態は、日本時間で、朝の六時から七時半まででしかない。ほとんど寝る時間さえとれない。しかも、勝つためには、正確な情報をいち早くキャッチするネットワークに加えて、異常なまでの集中力・一瞬の判断力・体力が要求される。ディーラーの「定年は三五歳」といわれるゆえんである。 小説だから描ける市場の魔力
為替相場は、貿易収支・国際的な政治情勢・日本銀行の動向など、さまざまな要素によって変動する。ただ、それだけではない。この本を読めば、実際のディーリングは、もっと理不尽な、「正解のない」勝負師たちの世界であることがよくわかる。「マーケットは、本当に絶大で、なにかコントロールされない魔力のようなもので動いている」。彼らとて、生身の人間。たとえプロでも、欲深さ・慢心・プライド・プレッシャーに翻弄される。経済小説ならではこそ描き切ることができるディーラーの真実がそこにある。
本書は、九三年に徳間文庫より刊行された『東京外為市場25時』に加筆・改題したものである。八五年の「プラザ合意」に象徴される日米間の経済戦争の内幕をディーリングという視点で眺めることもできるはずだ。【評者 堺 憲一 東京経済大学教授】
| 強い円 強い経済 | |
![]() | 速水 優 東洋経済新報社 2005-02 売り上げランキング : 218,738 おすすめ平均 ![]() 円高・円安にかける座標軸 ある意味90年代日本経済を象徴する人Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一九八〇年代に始まった情報技術革命と冷戦終結によって、世界経済は効率と透明性と説明責任を求めるグローバルな競争の時代に入る。日本はこの競争のスタートに遅れた。政治と経営を新しい環境に適応させるための構造的な改革を先延ばしにした結果、政策目標の設定、政策手段の選択、政策実施のタイミングのすべてで誤りを犯した。これが資産バブルとその後遺症の背景である。
起こるべくして起こった世紀末の金融危機によって、日本は否応なく金融再生という構造改革の荒療治を強いられることになる。
本書は世紀の変わり目に起こった日本経済の歴史的転換に、日本銀行総裁として立ち会った著者の回想録である。 周囲からの批判に追い詰められる
長引く低成長とデフレにいらだつ政治家や業界やメディアから、インフレ的金融政策を求める声が強くなる。次第に狭まる選択肢を模索しながらも、通貨価値の維持という中央銀行の責務を貫こうとした苦悩が行間に溢れている。
当時、日銀の政策に対してさまざまな批判があったのは事実である。構造改革が必要だという正論を唱えながらも、他方ではほとんどすべての反デフレ的金融政策を導入した著者には、まことに不本意な批判であったろう。だが、巧妙な情報発信と世論操作によって政界や市場と「対話」するグリーンスパン・FRB議長が神話的中央銀行首脳として崇められるのが情報時代の現実でもある。
しかし、本書で最も感動的なのは敬虔なクリスチャンである著者が切々と語る天職と倫理にかかわる終章であろう。いまや利潤極大化を基本原理とする資本主義市場経済の流れが全世界を席巻している。欧米や日本のみならず旧共産圏をも侵食し、グローバルな規範と化している。
だが、二一世紀に入って至るところで澎湃(ほうはい)としてわき起こっている企業倫理再生を求める声は、この規範への反省なのであろう。その究極の答えは個人の内にしかない。神と対峙することで、人間は自らの道を見出さねばならないという訴えは、中央銀行総裁だった著者によって語られるとき、まことに鮮烈な響きを持つのである。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| リバタリアニズム読本 | |
![]() | 森村 進 勁草書房 2005-03 売り上げランキング : 69,197 おすすめ平均 ![]() リバタリアニズムを俯瞰するものとして わかりやすい!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「大きな政府か小さな政府か」という問題は、自由主義(リベラリズム)と保守主義との対比で語られることが多い。しかし政権がリベラルだろうと保守だろうと、政府が小さくなったことはない。世界中で、戦後一貫して政府の比重(国民負担率)は上がり続けているのである。
本書の紹介するリバタリアニズムは、こうした従来の対立軸を超えて、究極の小さな政府を目指そうとする思想である。とはいっても、日本ではリバタリアニズムには、決まった訳語さえなく、一般にはその存在さえほとんど知られていない。しかもリバタリアニズムはきわめて多様なので、そのさまざまな側面を用語集とアンソロジーによる小事典としてまとめたのが本書である。 原理主義的自由は知的財産権にも及ぶ
リバタリアニズムは、ある意味では、政府の介入を排する保守主義を徹底したものだ。しかし保守主義が経済的自由を求める一方、同性愛や妊娠中絶のような人格的自由の制限を主張するのに対して、リバタリアニズムはこうした自由も認める。しかも、求める自由は原理主義的で、教育・年金などを全面的に民営化することを求めたり、司法・警察まで民営化すべきだというリバタリアンもいる。経済学でいうと、シカゴ学派に近い。
全面的に賛成する人は少ないだろうが、その主張には説得力のあるものも少なくない。たとえば、リバタリアンは自由の根拠として財産権の保護を重視するが、「知的財産権」については概して否定的である。他人の創作した情報を利用することは、創作者の自由を侵害しないからだ。むしろ過剰な知的財産権の保護は、情報を扱う自由を侵害する恐れもある。
本書は入門書であり、本格的な議論が展開されているわけではないが、リバタリアニズムを勉強してみようという人の手軽な道案内になる。アンソロジーには、ジョン・ロックやアダム・スミスまで含まれており、リバタリアニズムが西欧の個人主義の伝統に根ざすものであることを示している。肥大化し、硬直化した「国のかたち」が問われている日本でも、このように国家の役割を徹底的に疑う発想は貴重である。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】
| 成長の限界 人類の選択 | |
![]() | デニス・メドウズ 枝廣 淳子 ダイヤモンド社 2005-03-11 売り上げランキング : 5,733 おすすめ平均 ![]() 人類と地球の未来を考えている人々必携の書 前作の焼き直し?Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は『成長の限界』シリーズの三作目に当たる。二作目の『限界を超えて』が一九九二年に刊行されているが、本書はさらに新しくなったデータを用いて、人類の未来に新たな展望を開こうとしている。
『成長の限界』について、あらためて多くを語る必要はあるまい。七二年、ローマ・クラブの報告書として出版された同書は、「現在のような経済生活を続けた場合、人類の未来はどうなるか」について、当時としては斬新なシステム・ダイナミクスを用いて、大胆な予測を行なったものだった。その結論は、二一世紀の早い時期に、経済成長が不可能になるというもので、その悲観的なシナリオに世界中がショックを受けた。そして、今日から見ればやや過剰なほどの反動や反発も、多数引き起こしたのである。
この三作目が描くシナリオも、基本的には一作目と変わらない。もちろん、初版当時と比べて、今日では生産技術も環境制度も大きく進歩した。それらは逐一今回のモデルに組み込んであるというが、一方で世界人口が激増し、他方で先進国の消費水準が上昇し続けていることから、本質的な改善が見られないのである(同書を印象づけたグラフの形も驚くほど変わっていない)。本書ではさらに、ワクナゲルのエコロジカル・フットプリントを活用して、今どれほどの無理を地球に強いているかを、数量的に表現している。 『成長の限界』を読む側の成長
しかし今回の力点は、そういった数値で訴えること以上に、著者たちが依拠しているシステム論の発想を、ていねいに解説することに置かれていると思う。システム論が一般化してきた証拠でもあり、数値だけで一喜一憂の反応を示した当時とは、読者層にもはっきりとした違いが表れているのだろう。もし『成長の限界』を未読の読者がいたら、この機会にぜひ一読してほしいと思う。評者としては、最後の対策編の部分に、根拠の弱さを指摘されようとも、もう少し具体的な提案があればと思った。方向性から具体性への早急な転換が必要だと感じたからだが、その点なども含めて、とにかく検討してみるべき一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 聞き書 宮沢喜一回顧録 | |
![]() | 御厨 貴 中村 隆英 岩波書店 2005-03 売り上げランキング : 42,576 おすすめ平均 ![]() こだわりのない無色透明なサーバント 肝心の話は余り出ていませんが・・・Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、五五年体制最後の自民党総裁にして首相であった宮澤喜一氏を話し手とするオーラルヒストリーである。紙幅の三分の二が生いたちから池田内閣までで占められており、政局や自らの内閣についてはあまり語られていない。しかし、戦後の保守本流を歩んだ宮澤氏ならではの貴重な証言を多く含んでいる。
敗戦直後の回想では、蔵相秘書官として出会った人物たちを活写し、大蔵省がドッジと共同歩調を採っていく過程を明らかにしている。一九五〇年五月、随員であった池田勇人蔵相訪米については、宮澤氏著の『東京―ワシントンの密談』(実業之日本社、一九五六年。中公文庫で再刊)に加え、その影響などが語られている。また、サンフランシスコ講和会議に参加した唯一の生き残りならではの舞台裏回顧談(講和と安保条約との関係など)も貴重な証言であろう。池田を中心とする保守政治家群像、なかでも池田と肝胆相照らす前尾繁三郎の位置づけは説得的である。
池田内閣時代では、池田訪米時のケネディ米大統領の理解力・判断力の速さを高く評価。経済企画庁長官としてのGATT、ケネディ・ラウンドが語られている。池田退陣については、池田のメモにある「ウルトラC」が佐藤栄作後継か、とも理解でき興味深い。 深い経験と合理的リアリズム
そして、佐藤内閣通産大臣時の日米繊維交渉、プラザ合意後のベーカー財務長官との会談。首相時代、バブル崩壊時の金融機関に対する公的資金投入イメージなどが登場する。PKO法案については、自身が「蚊帳の外」にあり、国会対策を竹下派に依存したと率直である。ブッシュ(父)大統領の印象も、現ブッシュ大統領と比較をしながら語られておりおもしろい。
本書が再現する氏のていねいな語調は、明晰な頭脳をほうふつとさせ、時に毅然としたイメージを与える。重光葵、岸信介、三木武夫、田中角栄らの人物月旦では、行間からにじみ出るようなシニカルな評価にも出会える。通俗的な「ハト派」ではなく、深い経験に裏打ちされ、合理的なリアリズムに貫かれた政治家・宮澤喜一を通じて、戦後政治を知ることができる好著である。【評者 小池聖一 広島大学文書館長】
| 通貨燃ゆ―円・元・ドル・ユーロの同時代史 | |
![]() | 谷口 智彦 日本経済新聞社 2005-03 売り上げランキング : 10,110 おすすめ平均 ![]() 読んで楽しく、理論と現実を理解する 人民元は経済のみならず、政治の問題である。 わたしには読みやすかったですAmazonで詳しく見る by G-Tools |
政治の思惑と経済の力学とは常に綱引き関係にある。綱引きのどちら側から見るかで、風景は少々違って見える。だが、そこに働く相克と拮抗の構図はいずれにせよ魅惑的におもしろい。
本書の帯に「通貨の本質は国際政治そのものだ」とある。この言い方に違わず、著者は通貨をめぐる政治と経済の綱引きを政治の視点から徹底追究している。だが、だからといって経済を見る目が抜け落ちているわけではない。むしろ、一定方向から徹底追究すればするほど、反対側にあるものの本質も見えてくる。それが本書の醍醐味だ。
ブレトン・ウッズ体制にニクソンショック、そしてユーロに人民元。評者にとってもきわめて心高鳴るテーマばかりだ。それらについて、著者が政治側のコーナーで精緻な実況中継者と鋭い解説者の役割を兼ねて語っている。あっち側から見るとこう見えるのか、という新鮮味があるかと思えば、驚くほど同じ脈絡で物を考えているな、と同志的感動を味わったりする。
ドキュメンタリードラマとして読んでも十二分に迫力ある本書だが、圧巻なのは、じつは序章と第1章の補論1だ。そこに、ポリティカルエコノミーというものに関する著者の熱き思いが吐露されている。 政治と通貨の緊張関係
第1章補論1は、現代におけるポリティカルエコノミーの守護神というべきスーザン・ストレンジ教授への著者のオマージュだ。残念ながら今は亡き彼女への著者の最期のインタビュー模様がそこに描かれている。ストレンジ氏とは、評者もそれなりに親交があった。あくなき真理追究の人、空理空論をさげすんで情け容赦なき人だった。彼女に寄せる著者の熱血の憧憬がよくわかる。
序章のタイトルが「権力があって、初めて通貨がある」である。経済を政治の視点から見れば、こうなる。逆に、政治を経済の視点から見れば、「通貨があって、初めて権力がある」といえると思う。経済をあなどる政治は自滅する。政治を無視する経済は暴走する。この緊張関係の核心に迫って、激筆が冴える。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| お寺の経済学 | |
![]() | 中島 隆信 東洋経済新報社 2005-02 売り上げランキング : 6,234 おすすめ平均 ![]() 「経済学」の範疇に収まらない 方便としての仏教経済学 お寺の仕組み、仏の道。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ほとんどの人びとは、お葬式とお墓参りのときにしかお寺に行かない。多くの人びとは、お寺を重要な日本社会の組織とは見ていないだろう。ところが、全国で、お寺は七万五〇〇〇ヵ所もあり、全法人の三〇分の一を占めているという。
本書は、仏教の教義の説明から始める。仏教は、苦しみからの救済を与える教えであり、仏教各派の違いは、救済方法をめぐっての違いだという。鎌倉時代には、民衆の救済を求める浄土宗と禅宗が生まれる。
新たな宗派を広めるには、これまでの宗派と対立しなければならない。日蓮宗が弾圧されたのは、すでに信者を獲得していた浄土宗と禅宗に攻撃的だったからだ。しかし、攻撃的でなければ、新しい信者を獲得することはできない。これは信仰という“財”の性質から必然的に生まれてくることだ、と言う。
そもそもお葬式のときにお寺に行くのはなぜだろうか。そこにお墓があるからだ。しかし、お墓と結び付いた檀家制度は、仏教国でも、日本だけのものだ。徳川幕府は、キリスト教弾圧に当たって、民衆がキリスト教徒ではないという証明を寺院に求めた。寺院は幕府権力によって自動的に信者を得、墓の管理をすることとなった。関連して、一周忌、三回忌など祖先崇拝の儀式を行なうことによって、寺は定期的に檀家から収入を得ることになった。 檀家制度がダメにした宗教心
その結果、何が起きたか。信者にとって、信仰は、政府から強制的に供与されるサービスになった。お寺にとって、檀家制度は、安定した顧客を提供してくれるものとなった。こうした状況が二六〇年間続き、日本人は宗教心を失った。保護政策が産業をダメにする典型例であると、著者は言う。
お寺は生き残るだろうか。仏教も人びとの要望によって生まれた。それに応えるための組織としてのお寺がある。あらゆる組織は、人びとの要望に応えることによってしか存続しえない。本書には、この視点による、貴重な洞察がある。
経済学は、いかなる分野においても人びとの行動を分析し、思いもよらぬ知識を与えることができる。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 罪と罰、だが償いはどこに? | |
![]() | 中嶋 博行 新潮社 2004-09-16 売り上げランキング : 88,513 おすすめ平均 ![]() 懲役30年になっても これで被害者救済になるか 明日はわが身、国民みなが真剣に考えるべきAmazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年の振り込め詐欺の被害総額は知られているものだけで二八〇億円を超えている。そのほか、インターネットサイトの使用料の架空請求詐欺、キャッシュカードの不正使用による被害やネットオークションでの詐欺事件など、経済犯罪は枚挙にいとまがない。
たとえば、キャッシュカードの被害者は銀行の管理責任を追及し被害の弁済を彼らに求め、政府もそれを後押ししている。しかし本来は、被害者に対して弁済責任があるのは犯人自身であり、警察が犯人を逮捕し、彼らに賠償させるのが筋である。そのために、警察官を増やし、裁判制度を迅速なものに改善し、刑務所の収容能力を増やすことは、現状から見て不可避のように思われる。
本書では、弁護士であり小説家でもある著者が、犯罪者に経済的な賠償を求めることは当然であるにもかかわらず、現在の法体系では、賠償が適切になされていないという問題を指摘し、以下の四点を提案している。(一)刑事裁判と民事裁判を同時に行なう民刑併合裁判を復活させる、(二)刑務所を工場化して、そこでの労働によって損害賠償をさせる、(三)犯人が社会復帰したあとも、公設取立人を創設して、損害賠償を取り続ける、(四)犯罪の賠償が終わるまでは、債務者を収監する刑務所(債務者監獄)を造ってでも賠償をさせる。 経済犯罪量刑の不条理
著者は犯人を処刑してしまえばカネが取れなくなるという理由で死刑廃止を主張しており、そのユニークな論点がマスコミで取り上げられてきたが、より重要な点は、刑法上の判断に基づく量刑とは別に、被害者に対しては被害に遭う以前の状態に復帰させることが当然の要求であり、経済犯罪の場合、損害額が確定しており、それに基づいた適正な賠償制度を確立すべきであるということにある。
実際、経済犯罪の場合の量刑は相対的に軽く、数年もすれば出所してくる。しかも、出所後、犯人が経済的損失に対して賠償をするということはほとんどないという。これは、どう考えても不条理である。本書の問題提起は真剣に検討する価値がある。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】




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