メイン > 週刊エコノミスト書評 『ブックレビュー』 > 2008年1月22日~1月29日
| ストーリーテリングが経営を変える―組織変革の新しい鍵 | |
![]() | John Seely Brown 同文館出版 2007-09 売り上げランキング : 34278 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
語り継がれる企業の「物語」には 創造や変革のヒントが詰まっている
1980年代に組織文化や組織学習の研究が誕生し隆盛した時に、組織のなかで語り継がれる物語や、その組織のDNAに近いようなものの共有、そのための語り部としてのリーダーという役割が話題になった。その後、単なるブームとしてではなくて、経営の実践、とりわけ知識創造、組織変革、対話の促進のために、ストーリーテリングを重視してきた一連の研究者がいる。
本書には、ゼロックス・パロアルト研究所(PARC)の元所長で、常に学問の境界を取り払ってきたジョン・シリー・ブラウンや、保守的な世界銀行をナリッジ・バンク(融資先の助けとなる知識創造をして情報提供できる銀行)に変身させる組織変革に携わったステファン・デニングなど、専門分野の異なる4人が登場。シンポジウムにおける彼らの講演の記録(第2~5章)が本書の中核部分となっている。
第2章は、社史や会社案内など公式の文書よりも、その会社の内部者や関係する人の語るオーラル・ヒストリーのほうが信頼できる、とする。私も経営学者として大勢の経営者にインタビューしてきたが、無理して何かを聞き出そうとするよりも、自然な語りが開陳された時、その経営者やその会社のアイデンティティーがより鮮明になってくるものだと実感している。
思えばキャリアの調査は、それ自体が職場を通じて人が人生を学ぶ語りにほかならないとさえ思える。仕事の世界の人類学的研究「エスノグラフィ」に本書で初めて触れる人もいることだろうが(第3章)、ゼロックスではコピー機の修理法がマニュアルではなく、同僚と話し合いながら、物語を紡ぐように解決が図られている。組織におけるプロセスとは、人を鋳型にはめる手続き・手順・マニュアルといった強制力ではなく、物語を通しての潜在力・可能性・即興の余地であることを、ブラウンは強調している。
組織変革に物語を活用したいと思う読者には、世界銀行の改革が素晴らしい実践的ケースを提供するだろう(第4章)。私も、経営者の貴重な語りをお聞きするたびに、映像を残すように心がけているが、映画製作会社による映像教材の作成は、ヒントに満ちている(第5章)。
偉大な経営者や伝統ある企業の物語がうまく語り継がれる時、それは周りの人々にも物語を生成させる器となる。本書を読みながら、「物語を生成する物語」という言葉を思いついた。【評者 金井壽宏 神戸大学大学院経営学研究科教授】
| 敗戦の記憶―身体・文化・物語1945-1970 | |
![]() | 五十嵐 惠邦 中央公論新社 2007-12 売り上げランキング : 256233 おすすめ平均 ![]() 敗戦の記憶の文化/社会史Amazonで詳しく見る by G-Tools |
文学から力道山・ゴジラまで 戦後の意識を形作ったものは何か
ゴジラが東京を破壊し尽くそうとしているのに、米軍は、援軍をよこそうともしない。映画を見る観客の意識からは、日本国内にある米軍基地は消え去っている。
安保闘争で爆発した反米感情のエネルギーは、軍事力をアメリカに肩代わりしてもらうことによって経済発展に向けられて、皮肉にもアメリカを手本とした物的豊かさのなかに吸収されて、霧散する。
そこに実在していても、ないかのようにふるまい、愛憎相半ばする日米関係について、意識形成を読み解こうという著作である。著者自身は、戦後日本の文化史を扱った著作として書いたものであるが、日本人の読者には戦後日本の所産に対する日米関係の影響を描いたものといったほうが正しいだろう。
というのも本書は、アメリカの大学で戦後日本文化史を教えている日本人研究者が、2000年にアメリカで出版したものを、自らが翻訳したものである。「あとがき」に学生に「わかりやすい講義」をしようとした悪戦苦闘の成果と書かれているように、アメリカ人向けの入門書として書かれたものである。
アメリカに関する記述は少なく、著者自身がいうように、日本に関する記述は、「さして目新しくもない」。しかし多くの日本人が例示を知っているという事実そのものが、本書で展開されている隠蔽や誇張のメカニズムが働いた結果、われわれの記憶となっているのではないかと読者に思わせて、説得力を持つ。
著者の仮説はこうだ。アメリカは原爆の力を借りて、窮地にある日本を救い出し、改心させ、日本側にあっては、アメリカの力を認めた昭和天皇の戦争終結の聖断によって、日本は窮地から救われる。この「起源の物語」が、アメリカは戦争の道義を担保し、日本は軍部を悪者にすることで、天皇の戦争責任を回避し、戦争の負の面を忘れさることを可能にしたという。代表的な文学作品、知識人の言説から、力道山やゴジラに至る大衆文化のアイコンまで、戦後の人々をとらえ、語り継がれてきた物語は、「起源の物語」と規定されているという。
われわれの意識がどのように形作られてきたかについて説明を試みた興味ある論考であるが、結果についてだけ考察されているのは残念だ。文化的所産が生み出される過程を明らかにし、そこに作為があったかどうかの事実調査が行われていたら、より刺激的なものとなったのではないだろうか。文章は平明で読みやすい。【評者 浜野保樹 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授】
| 桃山ビート・トライブ | |
![]() | 天野 純希 集英社 2008-01-05 売り上げランキング : 5880 おすすめ平均 ![]() いっきよみ 映像が浮かぶ 映画化希望Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 乙女虫 奥羽草紙 ―雪の章― | |
![]() | 澤見 彰 光文社 2007-12-14 売り上げランキング : 320355 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
カタカナと歯切れのよい文体時代小説で“ロックする”
日本の時代小説は、講談の予定調和を破壊するため、西洋のエンターテインメントの趣向を導入することで始まった。そのため初期の名作のなかには外来語が飛び交うことも珍しくなかった。カタカナと現代語の歯切れよい文体も魅力の天野純希『桃山ビート・トライブ』は、久々に時代小説が持つ野放図なパワーと魅力が堪能できる傑作である。
三味線を盗んだ藤次郎、笛職人の小平太、女猿楽の役者ちほは、出雲のお国の舞台を見て衝撃を受ける。信長に仕えていた黒人の弥介をパーカッションに迎えた3人は、現代でいえばロックバンドを結成。激しいビートで人気を集め始めた藤次郎だが、その前に厳格な身分制度を作るため芸人の統制を進める石田三成が立ちはだかる。
ロック=反体制の図式を現代小説で用いればチープに見える危険もあるが、“歴史”というフィルターを通しているので、藤次郎たちが身分や格差で自由を縛ろうとする武士のルールに逆らう姿は非常に生々しく映る。それだけに藤次郎たちの音楽に勇気づけられ、名もなき庶民が声を上げるクライマックスは、とにかく痛快だ。
澤見彰『乙女虫』(光文社、1785円)は、鷹と仔犬を連れた謎の浪人と、男装して兄を殺した敵を追うおりんの奥羽旅を描く伝奇小説。
非業の最期を遂げた姫君の怨念が生み出した乙女虫に襲われた2人は、怪異の背後に、出世のためなら他人を蹴落とすことも厭わない為政者の心の“闇”が関係していることを知る。だが暗いだけではなく、仇討ちというおりんの悲壮な目的が、ミステリー的などんでん返しによって明るく希望あふれるラストに転じるので、読後感は心地よい。【末國善己 文芸評論家】
| 思考の整理学 (ちくま文庫) | |
![]() | 外山 滋比古 筑摩書房 1986-04 売り上げランキング : 177 おすすめ平均 ![]() この本のエッセンスを現代風にアレンジすることが思考の訓練 実用的、思考のコツ 間違いなく「出会って良かった」と思える一冊Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者インタビュー 外山滋比古 お茶の水女子大学名誉教授】
創造性はハングリー精神からしか生まれない
──1983年に単行本で出版された本が、ベストセラーになっています。「若いときに読んでおけばよかった」という帯が効いたんですか。
■盛岡の書店員が考えたキャッチフレーズですが、それが新しい読者をとらえたようです。ぼくも驚いています。38万部のうち、17万部はここ1年半ほどの分です。
──もともとは「ちくまセミナー」の1冊でしたね。
■学校では知識は教えますが、考えることは別なんだ、というところから書き始めました。卒業論文の指導をしていましたが、他人の研究の寄せ集めのような論文しか書けない優秀な学生がいる一方で、成績が悪くても、いつも考えている学生のなかには独創的な論文を出す者がいる。知識と独創性は反比例するんじゃないか。この本は、こうすればできるかな、と自問自答しつつ、苦労した経験なども盛り込んで書いたエッセー集なのです。
──難問は朝飯前にやれ、散歩は考えるのに適しているなど、どこからでも読めました。
■論理的にきちっと整備すれば途中で読んでくれなくなりますから、気楽に読めるよう、気楽に書いた。観念論ではなく、生活のなかで実際に起こったことなのです。
──もし今、同様の本を出すとして、書き直しは必要ですか。
■基本的なところは同じです。ただ、知(識)ることと考えることは違うものですが、はっきり分けていない、という点で整理し切れていないかもしれません。今は情報が簡単に手に入るようになったけれど、情報が多くなると一般に思考力は低下します。例えば、小学校を出ただけで苦労しながら一生懸命ものを考えてきた人のほうが、専門知識を学んだ大学生よりずっと新しいことを考える力がある。情報があればそれだけで生活できてしまう。不自由で、分からないことがいっぱいあるという状況のなかで、何とか理解しようと苦労した人、ハングリーな人のほうが創造性を持っていますね。
──現代社会では否応なく情報が入り、ハングリー精神が持てません。思考力を鍛える方法はありますか。
■毎朝、何もしないでぼんやり考える時間を持つ習慣をつけたらどうでしょう。忙しい時は考えられない。だからゆっくりお茶を飲む。そこで頭に浮かぶもののなかに、人間の文化を変えるような発想が含まれているかもしれない。5分か10分でいいから、なるべく未来のこと、自分から遠いこと、具体性から離れたことがいいですね。面白いと思ったらメモをする。読書も知的な喜びに違いありませんが、自分で新しい考えを生み出す知的生産はもっと楽しい。頭を使うスポーツとぼくは呼んでいます。年寄りには特にお勧めです。ぼくがこの本を書いたのは60歳前後ですが、今のほうが考える楽しみをずっとよく知っている。どこでも、誰でもでき、お金もかからない。こんな楽しいこと、ほかにありますか?
| 東京‐ワシントンの密談―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈1〉 (中公文庫) | |
![]() | 宮沢 喜一 中央公論社 1999-01 売り上げランキング : 460926 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
再販願う宮澤喜一の本
宮澤喜一『東京―ワシントンの密談』は、1956年に実業之日本社から出版されたが、その後絶版になり、75年に備後会から非売品として刊行された。そして99年、中公文庫に入ったが、これも絶版になってしまった。
一般に入手が難しい本書をここで取り上げるのは、再販してほしいと願うからである。私が持っているのは備後会の本で、宮澤喜一を偲ぶ会でお土産としていただいたものだが、非常に面白く資料価値も高い。1つ1つの事実はすでに公になっているのだろうが、当事者が系統的に語っているところに大変な価値がある。現在の日本の安全保障政策の基本がいかに作られたかが極めて明確に理解できる。
宮澤喜一は『聞き書 宮澤喜一回顧録』(岩波書店)のなかで、占領下の行政について次のように述べている。
「……占領というのは、外国のプレゼンスのもとに政治が行われるということでありましょうから、どっちみちあまり感心したことではないんだろうと思うんです。もういっぺんあっていい、というふうには、まさかどなたも思っていらっしゃらないでしょう」 「と申しますのは、吉田さんが、いわば安保条約のような形で占領のあとの処理をするという考えをされた中には、どうしてもこの屈辱的状況から早く脱却したいという価値判断があったと思うんです」
右からの再軍備論、左からの全面講和論に挟まれながら、吉田茂首相は安保条約とセットで早期講和に踏み切るが、まさにこれが戦後日本の政治・外交政策の基本となっていくわけだ。
若き宮澤は池田勇人大蔵大臣の秘書官としてこの交渉の舞台裏で活躍するのだが、第一線で交渉を仕切ったのが宮澤だった。
評者も官僚としてさまざまな外交交渉の舞台裏で活動をしたが、若きテクノクラート宮澤が活躍していた姿が目の当たりに見えるようである。こうした高度に政治的な会談では、財務官や局長などではなく、大臣と秘書官が直接交渉に当たる必要があったのだろう。
いずれにせよ、本書は誠に興味深い外交裏面史である。文庫でいいから、再販をぜひ考えてほしい。【榊原英資 早稲田大学教授】
続対支回顧録 (上)
東亜同文会 (著)
続対支回顧録 (下)
東亜同文会 (著)
「蒙古」の呼称はどこから来たか
無神経に「蒙古」と呼ばないでと、東京外国語大学の教授が述べていた。メディアで時には「蒙古」「蒙古相撲」などが使われていることへの警告である。元来「蒙古」は中国が周辺民族を未開で野蛮とイメージした漢字表現であった。また『NHKスペシャル 文明の道(5) モンゴル帝国』(NHK出版、品切れ)によると、13世紀のモンゴルの西欧侵入が野蛮で好戦的だったと強調することで、近代西欧諸国のアジア植民地化を正当化する理由づけにしたという。日本の「蒙古」呼称にはこうした歴史的背景があった。
「満蒙」は日清日露戦争の勝利後、大陸へ膨張政策を強行する日本陸軍中枢による造語であった。東亜同文会編『続対支回顧録(下)』(原書房、1万2600円)の陸軍中将辻村楠造と「満蒙」で暗躍した片倉伝造の項目がこの事実を裏書きしている。興味深いことには、明治期に「満蒙」を表題とする出版物はないが、大正期に入るや、続々と「満蒙」と名のつく書物が上梓された。昭和期には、ご存知の「満蒙は日本の生命線」と叫ばれて国をあげての常用語となった。
「支那」は梵語とか、秦のラテン語読みとかに由来するというように語義的には蔑称ではないが、満州事変、日中戦争となり、「支那・支那人」の呼称は敵国中国を侮辱する意味を持つようになった。1930年10月に今後は中華民国の国名を用いることに閣議決定されたが、「支那・支那人」がまかり通った。
東アジアの呼称は、歴史学では1960年代の高度成長期に入るころが起点と思われる。それは日本史を一国史レベルでなく、アジアのなかでどう位置づけるかという問題意識からであった。今では学術の世界に限らず、政治経済社会文化などの分野で時空を超えて共有するキーワードとなっている。例えば、すでに儒教や漢字を共有する東アジア文化圏が提起されており、国際的シンポジウムの成果も公刊されている。だが現在、朝鮮半島の政治状勢や中国経済の発展と台湾問題などに注目すれば、平和や環境や経済を共有する地域としての東アジア像をどう構成するかが一層重要な課題となろう。【中村 義 東京学芸大学名誉教授】
| 日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択 | |
![]() | 曽我 謙悟 待鳥 聡史 名古屋大学出版会 2007-12 売り上げランキング : 119954 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
常識を覆す知事と議会の関係 知られざる真の姿を明らかに
最近、何かと話題となる知事が増え、彼らの議会との関係も注目されている。本書は、新進気鋭の2人の政治学者が、日本の地方行財政に関して政治学的に分析した書である。特に、都道府県に焦点を当て、知事と議会の関係を、政治学における従来の観点だけにとらわれることなく、地道に収集したデータに基づいて客観的な分析結果を示しており、非常に斬新である。
わが国の地方自治体は、国政と違って、首長と議会が独立した選挙で選ばれる二元代表制を取っている。他方で、国と地方の行財政関係が中央集権的であることから、地方自治体に裁量の余地が少ないとも見られている。
一見すると、知事と議会の関係は、中央省庁の言いなりになることが多い知事が強い権限を持ち、議会はあまり存在感がない、とも映るだろう。
しかし、本書では、この印象とは異なる実態を明らかにした。知事は、予算案の提案権を独占するなど、政策形成過程では相対的に強い権限を持つが、人事面では政治的任用を単独ではできないのが実態である。
実のところ、議会は、政策の決定に関与する権限を広範に持っており、特別職の人事にも関与することができる。そのうえ、関心のある争点について望まない決定を強いられないだけの権限を持つのである。
評者も、経済学の立場から日本の地方財政を分析した際、中央集権的な制度の下でも、限りある余地に裁量を働かせようとする自治体の行動を明らかにした。自治体は、単純な中央集権や首長優位ではなく、二元代表制という制度が醸し出す行動様式によって動いているのだ。
本書では、1960年代から70年代前半の革新自治隆盛期、70年代後半から80年代の保守回帰期、90年代以降の無党派知事期と、15年区切りで推移する大きな地方自治の流れをも見事に描写した。
これまで、ほとんどの県で知事与党が過半数を占める「統一政府」だったが、与野党双方が過半数に達しない「中間政府」や、野党が過半数を得る「分割政府」が次第に増えている。2000年以降、顕著に分割政府が増えており、05年時点では19の都県で統一政府ではないという。
こうした地方政治の動きは、目下の国政における「衆参ねじれ状態」と密に関係があると思われる。そうした観点でも、本書は読み甲斐のある書である。【評者 土居丈朗 慶応義塾大学経済学部准教授】
教育再生の条件―経済学的考察
神野 直彦 (著)
教育危機の根本原因とは何か 再生のシナリオを明示する
教育の危機をめぐるニュースには事欠かない。教育改革が連呼されながらも、不登校、いじめ、学力の低下、さらには教育の格差が社会問題とされるに至っている。安倍前政権は新教育基本法を制定し、「愛国心」や徳目教育の重視を、教育改革の中心においた。さらには新自由主義的教育改革を追求した。政権は退場したが、基本的方向はなお継続していよう。
だが、それによって教育の「荒廃」に歯止めがかけられ、「学びの場」が再生されるとは、到底思えない。いったい、その原因はどこにあるのか。また、いかなるシナリオのもとに、教育の再生が進められるべきか。本書は、この根源的な問いに正面から立ち向かったものである。
著者は教育改革が現状を悪化させ続けるのは、教育危機が単なる学校教育の危機としてとらえられているからだとする。教育危機は、社会全般の危機であり、重厚長大型産業を基軸とする社会から知識社会へと変わる歴史の「峠」に、社会が対応できていないからだという。
市場社会に登場した学校教育は、人間が人間として成長していくという欲求を抑圧し、忠誠を調達することだった。それだけではない。市場社会における実質的不平等を、形式的平等によって正当化することでもあった。それは同時に政治システムにおける支配・被支配関係を正当化することにもなる。
知識社会への歴史の「峠」にさしかかった今日、社会のシナリオとされるべきなのは、「競争社会」ではなく、「協力社会」である。子供たちに他者への敵意を植え付ける「競争原理」ではなく、人間が誰でも持つ「学びの欲求」を「協力原理」のもとでシステム化することこそ、教育の再生のシナリオなのだ。
著者の数多い著作では、たえずスウェーデンが比較の視座とされるが、本書においても、スウェーデンの学校教育の実際が、その歴史的過程を含めて、対照される。「学び」は人間が人間として誕生したときから始まる。それゆえに、スウェーデンの教育システムは、学校の外延的拡大だけでなく、学校が家族や地域社会の担っていた教育機能を取り込んでいる。まさに学校は「学びの社会」なのである。こうした「学びの社会」としての学校教育への参加を保障するためには、「誰でも、いつでも、どこでも、ただで」が、原則とされねばならない。
教育改革のあり方をラジカルに問うた本書のメッセージに立脚した教育の再生を実現したいものである。【評者 新藤宗幸 千葉大学法経学部教授】
| 殺しのパレード (二見文庫 ブ 1-19 ザ・ミステリ・コレクション) | |
![]() | ローレンス・ブロック 田口 俊樹 二見書房 2007-11-27 売り上げランキング : 26432 おすすめ平均 ![]() おちゃめなケラーAmazonで詳しく見る by G-Tools |
| 許さざる者 | |
![]() | 笹本 稜平 幻冬舎 2007-12 売り上げランキング : 30750 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 祝宴 (ハヤカワ・ノヴェルズ 競馬シリーズ) | |
![]() | ディック・フランシス フェリックス・フランシス 北野 寿美枝 早川書房 2007-12 売り上げランキング : 23548 おすすめ平均 ![]() ちょっとがっかり。。。 オールド&ヤング。 グッド! オー! 大ファンでーす。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
引退決意した殺し屋に安息の日は訪れるか
ローレンス・ブロック『殺しのパレード』(二見文庫、870円)は、殺し屋ケラーのシリーズ第3作。野球、競馬、ゴルフ、バスケットボールなどのスポーツをからめた連作の趣向ながら、主人公と相棒のお喋りをつなぎにして、1冊の長編にも読めるようなまったりしたスタイルだ。「あの同時多発テロ」の心的後遺症によってスランプにおちこむケラー。仕事に倦み、飛行機に乗れなくなり、引退を口にする。そこは、ブロック得意のおとぼけと読んでおけばいい。
疲れた殺し屋は、引退資金を貯めるためにさらに殺しのハイスコアを究めなければならない。飛行機で隣り合わせた男に交換殺人を持ちかけられる『見知らぬ乗客』のパロディーめいたエピソードもあれば、ペット殺しの依頼まで引き受ける破目にもなる。ペット殺しの計画がとんでもない展開を引き起こすドタバタは、読んでのお楽しみ。ともかく、孤独なケラーに安息の日は訪れず、いつまでも勤勉にヒットを量産しつづけねばならないようだ。
笹本稜平『許さざる者』(幻冬舎、1680円)は、オーソドックスな冒険小説。追いつめられた主人公が雪原を逃亡していく緊迫の冒頭から、一気に物語のなかに引きこむ力がある。
数年前の兄の不審な死を究明するために家族の過去の闇に分け入っていく。話としての新味はないが、最後まで飽きさせない手際は見事。それだけに、ラストの破綻が惜しまれる。善玉・悪玉を固定しすぎたか。
家族の話というと、競馬シリーズの最新作『祝宴』(早川書房、1995円)は、ディック・フランシスと息子のフェリックスの共作。こちらは家族を育む結末である。
主人公の若返りは当然だが、随所に生きるフランシス節がファンにはたまらないだろう。やはり、なくてはならないものは1年1作の競馬シリーズか。【野崎六助 作家・評論家】
| 父と子の中学受験合格物語 | |
![]() | 増田 晶文 講談社 2007-11-21 売り上げランキング : 42091 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者インタビュー 増田晶文(作家)
息子の受験を通して親子・夫婦関係を見つめ直した
──長男が挑んだ中学受験について書いたノンフィクションですね。「オマエの受験戦争、従軍記者として見届けてやる」と帯にありますが、その通りに結構ハラハラ、ドキドキでした。
■月刊誌の連載だったんですが、最初はイヤでした。公立の問題もあるんでしょうが、今のように私立がもてはやされる事態は尋常じゃないですよ。だから中学受験を煽るような企画には批判的でした。でも編集者に「私小説を書くつもりで」と口説かれ、だったら批判も遠慮せずに書いてやろうと。6年生の夏合宿から連載を始めたが、親孝行な息子で、いろいろな事件を起こしてくれた。成績もいいと思うと次は悪かったりで、そのスピード感は単行本でも失われてないと思います。
──わが家にも高校受験生がいます。小学生と中学生の違いはあっても「うちもだ」とうなずける所が何カ所もありました。塾とのやり取りや学校説明会の様子なども具体的です。
■女房は反対しましたね。子供を人質に取られているのに、塾のことをあからさまに書くことに。だから連載時は塾の名前などは匿名でした。単行本にするに当たって3倍ぐらいに加筆したんですが、その時に塾の名前や、学校名を明かしました。息子の受験した学校とかは、最後まで女房を説得できずに匿名のままですが……。イジメの原因になるんじゃないかって。
──奥さんの心配も分かります。それにしても偏差値教育への怒りはかなりなものですね。
■僕が中高と通った私立は、偏差値にしか価値を置いてないような学校でした。良い思い出はまったくない。だから息子の学校選びでも、僕の母校と同じ匂いの学校は避けたかった。学校と違って、塾はビジネスですよ。偏差値やテストの結果という数字で、何でも判断し、人と人の触れ合いがない。ところが息子は塾が楽しいって言うんです。でもそれって、公立のダメさに原因があるんじゃないでしょうか。
──中学受験のノウハウ本としても使えますね。小6から塾に入れたいという同窓生に「遅すぎる」とアドバイスをしたり、家庭教師の「ゴー・カクオ先生」選びも面白かった。
■小学校の全教科を完璧に覚えても中学受験で合格は難しいでしょう。1回しかチャンスがないから、塾に頼らざるを得ない部分は確かにある。うちは最上級の家庭教師にしましたが、そこまでする必要があったか、と今は思います。塾にしろ家庭教師にしろ、道具なのにそれに振り回されていた。役に立つかどうかは別にして、経験者はうなずくことが多いと思います。
──従軍記者を務めてどうでした?
■女房は完全に参戦者でした。僕は並走者です。最初は冷静な観察者になろうと思ったが、頑張っている息子を見ていて、臆面もなく可愛いと書いてしまった。受験を通して、親子関係、夫婦関係を見つめ直し、新たな物語を書くことができたと思っています。
| トヨタの品格 (Yosensha Paperbacks 32) | |
![]() | 伊藤 欽次 洋泉社 2007-11 売り上げランキング : 68955 おすすめ平均 ![]() 読ませない凡書Amazonで詳しく見る by G-Tools |
地元トヨタウオッチャーが、自動車生産台数世界一を目前にし、2兆円余りの営業利益を誇るトヨタグループの影の部分に迫る。本体を支える下請け企業の実態や、今では生産現場の基幹部分を担うようになった期間従業員の実情、さらに過労死判決が確定した内野健一さんの例に象徴される「業務外業務」の厳しい現実などを詳細に報告。エクセレントカンパニーの“もう1つの顔”が浮かび上がる。
韓国経験の政治経済学
田村 紀之 (著)
副題は「ポスト権威主義の課題」。1961年の韓国軍事革命を開発時代の幕開けとし、開発前史、韓国型権威主義体制、工業化の軌跡から97~98年の金融危機、IMF体験までをデータに基づく実証的な手法で分析した大著。大人の関係になったといわれる日韓だが、「嫌韓」「反日」感情も消えていない。その偏見の底に潜む「植民地近代化論」の分析は見事だ。
| 本当に知りたい投資信託 儲け・手数料・評価のしくみ | |
![]() | 松尾 健治 日本実業出版社 2007-10-12 売り上げランキング : 69429 おすすめ平均 ![]() 金融機関のホンネがわかる本 業界歴25年はだてじゃない 新しい視点を提供してくれます。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
個人投資家の投資信託ブームを背景に、2007年は投信の解説書が多く出版されたが、「投信バッシング」本も多かった。本書はそうした投信批判本の対極に位置する本で、「手数料が割高」などの画一的な投信批判が的外れであることを指摘する。投信の購入に興味を持つ中高年の個人投資家が、投信の成り立ちから、最低限知っておきたい具体的な投資法までを簡潔に理解できる1冊になっている。
| 核を売り捌いた男ー死のビジネス帝国を築いたドクター・カーンの真実 | |
![]() | ゴードン・コレーラ 鈴木 南日子 ビジネス社 2007-11-13 売り上げランキング : 13420 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
英BBCニュース防衛担当記者が核兵器闇市場を牛耳るパキスタンの英雄、A・Q・カーンの活動に迫った。北朝鮮がカーンからウラン濃縮型核爆弾製造のノウハウを買ったのは確かなようだ。この方式は大規模施設が不要で、発見しにくい。稼働すれば北朝鮮の核爆弾は確実に増える。イラン、リビアなど死のビジネス帝国の闇の深さに身震いが止まらなくなる書だ。
| 小林秀雄の恵み | |
![]() | 橋本 治 新潮社 2007-12 売り上げランキング : 356 おすすめ平均 ![]() 愛のある論考、かな? 奇跡のように美しい、近代追悼(ただし小林=近代という仮定が成り立つなら…)Amazonで詳しく見る by G-Tools |
好きでなかった小林秀雄を、初めて『本居宣長』から読んだ時、著者は37歳になっていた。小林死後2年だから「古典」として読んだ。「美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない」という小林の言葉の解釈や、西行を論じながら、神と仏と人の関係を解き明かす論理が新鮮だ。小林に心酔した人も反発した人も、本書を読めば彼が好きになる。
| 医療の限界 (新潮新書 218) | |
![]() | 小松 秀樹 新潮社 2007-06 売り上げランキング : 1354 おすすめ平均 ![]() 最も真摯に考えている バカばっかり 「医療の限界」も読み方次第Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私は精神科医で、高齢者を主に扱っているせいか、それほど感じはしないのだが、医者というのは世間の反感を買う職業のようである。
勤務医は、当直明けに外来や手術が待ち構えている激務で、収入も大企業の社員に40歳前に抜かれてしまうが、高給で威張っている人という印象がつきまとう。
そして、たとえば手術やお産で人が死ぬと、最近は簡単に医療ミスの扱いを受けてしまう。故意でなくても、患者が被害者、医者が加害者という構図が当たり前のようになっている。
しかし、お産ひとつとってみても、昔は死を覚悟した大イベントだった。医療側の努力によって、その危険を減らしていった結果、安全なものという患者の認識が広まり、ゼロにできないお産による死亡や後遺症が、あたかもすべて医療の側の責任のように論じられる。
この問題を正面切って、極めて科学的で真摯な態度で論じている本に出合った。小松秀樹『医療の限界』(新潮新書、735円)である。著者は虎の門病院の部長で、医療事故防止委員会の委員なども務めている。
世界で最も権威ある医学雑誌が、3万件以上に及ぶ診療録を分析して、医療過誤があったもののほとんどが訴訟になっていないし、逆に訴訟になった事案のかなりの部分に医療過誤はなかったという紹介や、裁判や刑事訴追を恐れるあまり、中小病院が救急医療をやめている現実などを、1つ1つ論理的に解説する。
かと思うと、不老不死に関する哲学的議論もあるし、法律の矛盾も突いている。たとえば、冤罪事件を起こしても、検察官も裁判官も、刑事どころか民事の損害賠償の請求対象にすらならないという事実の紹介にははっとさせられた。個人が訴えられないのなら、冤罪をなくすインセンティブ(誘因)が働かないのは医療ミスと同様なのに。
また、医師会という開業医団体の圧力により、入院の報酬は少なく、外来の報酬が高いため、病院をやめて開業する人が後をたたないという現実分析も的確だ。しかも、一方的に医療者の肩を持つのではなく、医療事故の調査機関の専従者を増やすなど、対策も現実的である。
感情論を抜きにした医療事故論議をマスコミも真剣にやらないと、自分のほうがいい医療を受けられなくなる。【和田秀樹 精神科医】
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イメージと記憶をめぐる現代史の虚像と実像
ピーター・バーク『時代の目撃者』(諸川春樹訳/中央公論美術出版、3780円)は、副題に「資料としての視覚イメージを利用した歴史研究」とある。ケンブリッジ大学社会史の碩学が画像・映像の歴史と向き合う。
20世紀は写真・映画・テレビ画像が人々の歴史イメージを支配した。ベンヤミンの複製芸術論は「礼拝的価値から展示的価値へ」「アウラの凋落」を見事に論じた。だが著者は芸術作品に限らず視覚イメージを問題にする。絵画の背景の道具や情景に目配りし、ポスターや広告につながる画像も丁寧に読み解く。受容する大衆の欲望や羨望のまなざし、宗教・人種・性の差異による送り手・受け手のイメージギャップも、史料として扱う際は注意すべきだという。その検証に周到に準備された素材はイコンから戦争写真まで十分に楽しめる。オーラルヒストリーにもインターネット情報戦にも応用できる時代の解読法をしっかり伝授する。
映像の時代を体験したことで、感性が麻痺し鈍ることもある。生命が簡単に抹殺される戦争映画や殺人ドラマを見慣れると、一人一人の1回限りの命と表情が見えなくなる。通常「戦争と革命の時代」と総括される20世紀は、ホロコーストもスターリン粛清も犠牲者数と殺人技法で注目される。記憶の再現も残酷で悲惨なイメージが先行し、普通の人々のかけがえのない生命の切断の記録は後景に退く。
松村高夫・矢野久編『大量虐殺の社会史――戦慄の20世紀』(ミネルヴァ書房、4725円)は丹念な史資料収集・批判的解読で20世紀を「大量虐殺=マス・キリング」と特徴づける。
数十の事例中、第1次世界大戦期のトルコによるアルメニア人虐殺から1997年メキシコ・アクテアルの虐殺まで11件を深く掘り下げ、国家暴力による犯罪としてのジェノサイドを暴き出す。日本軍の南京虐殺のように虐殺があると必ず「虐殺幻論」が出てくるという。そこから記憶と記録の関係を問い直し、史実に即した歴史学のあり方を説く終章が新鮮で説得力がある。
両書に共通するのは方法論的内省。記憶やイメージに過剰に入れ込むポストモダンの流行も峠を越えたか。【加藤 哲郎 一橋大学大学院社会学研究科教授】













ちょっとがっかり。。。



金融機関のホンネがわかる本





