メイン > 週刊エコノミスト書評 『ブックレビュー』 > 2007年7月17日~7月24日

市場を創る―バザールからネット取引まで
市場を創る―バザールからネット取引までジョン・マクミラン 瀧澤 弘和 木村 友二

エヌティティ出版 2007-03
売り上げランキング : 11019

おすすめ平均 star
star不完全なメカニズムとしてのマーケット
star経済学にとって重要なことは何だろうか、それがわかった。

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世界の事例を紹介し市場「設計」の必要性を説く

ベルリンの壁崩壊後の資本主義社会にあって、人々の関心は専ら各国の経済システムの違いや経済における政府の大きさに集まるようになった。しかし、そこにおける議論を聞くと、規制や政府のあるべき大きさについて、イデオロギーに基づく「宗教的信念」から語られることが多い。

規制緩和による小さな政府を主張する側からは、あたかも自由放任の「市場」によって、すべての問題が解決されるかのように「バラ色の眼鏡」を通して語られ、逆にこれを拒絶する側からは、すべての問題が最近の規制緩和によって生み出されたかのように「市場に対する懐疑心」から発言される。

本書はこうした世界的現象に警鐘を鳴らし、法制度が市場機能に与える影響を現実に即して検討することにより、市場を「脱神秘化」させることをひとつの目的としている。

市場は制度や手続き、ルール、慣習を通じて機能する以上、これらプラットフォームのいかんによって、交換プロセスで発生する摩擦や取引費用は異なってくる。本書は著者の卓越した洞察力と広い知識により導かれた歴史的事実や世界の事例を紹介することにより、市場が機能するためにはうまい制度設計が必要であることをわかりやすく説明する。

法制度の小さな違いは、市場機能の大きな差を生み出す。たとえば特許法は知的財産の保護により企業の研究開発を促進させる半面、取引に制限を設けることによって知識の普及や産業の発展を妨げる。マサチューセッツ州では、従業員が前の企業で学んだことを転職先で使用することを一定期間禁止する競業避止契約が認められてきた。これにより新技術の普及や共同開発が阻止され、かつてこの分野の中心地であったルート128地区の発展にブレーキがかかった。これに対し、カリフォルニア州ではこの規定が法律により認められなかったために、競合企業の従業員同士のオープンな関係が発達し、エンジニアの転職を通じ、シリコンバレーの発展がもたらされたという。

だが、常に弱い知的財産保護が良い結果をもたらすわけではなく、成否は企業の必要初期投資額の大きさとイノベーション速度によって異なることが具体例をもって説明される。

今後、政策論争を脱イデオロギー化させていくうえでは、本書が唱えるような観察事実に基づいた具体的研究が不可欠であろう。本書は今後の法規制のあり方を客観的に考えてみたいと考える多くの一般読者に、ぜひ読んでほしい書物である。【評者 樋口美雄(慶応義塾大学教授)】

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

大地の慟哭(どうこく)
大地の慟哭(どうこく)秦 尭禹 田中 忠仁 永井 麻生子

PHP研究所 2007-05-19
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おすすめ平均 star
star必読です。大迫力でした。

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中国のバブルを支える出稼ぎ農民労働者の悲劇

中国経済は5年連続で成長率10%台を維持し、都市は「泡沫(バブル)」に沸き立っている。しかし早晩、「泡沫」は弾ける。問題は、弾けるのがまずは「民工」であることだ。「民工」は農村から都市に出稼ぎにきた農民労働者であり、すでに2億人を超えた。

農村、農業と農民は経済発展の恩恵からはずれ、農村と都市との間の収入格差は1985年の1対1・85から昨年は1対3・4に拡大したはずである。日本の厚生労働省にあたる労働社会保障省は、こうした過剰な格差が「社会的動揺の境界線」であると警告を発している。農村問題の真摯な研究者で中国共産党中央財経領導小組弁公室の陳錫文副主任は、農村、農業と農民の「三農問題」の解決を指示してきた温家宝首相のブレーンとも言われるが、放置すれば2020年までに格差は1対20になり、事態は悲劇的になりかねないとも語っている。

悲劇の中心は北京や上海である。北京は来年8月に開かれるオリンピック、上海も2010年の万博の開催に向けて再開発ラッシュである。競技場や会場の建設現場には大量の労働者たちが働いているが、彼らのほとんどは「都市戸籍」をもった都市住民ではない。「農村戸籍」所有の農民たちである。

たとえば湖北省の農村出身の35歳の農婦は出稼ぎの夫を追いかけ、清掃作業に従事して6年以上も北京に滞在している。少しずつ豊かになったが、10歳の息子は故郷に残している。「うちの子はすごく賢くて」と自慢するが、「私たちは子供を連れてこれない」と答え、「子供に会いたい?」との「残酷な質問」に対して彼女はうつむいて「涙をこぼした」。

戸籍制度の改革はすでに始まっているが、なお実験段階である。農村から都市の戸籍変更には年収の数倍が必要だ。都市戸籍なしでは子弟は義務教育の小中学校に入れず、病気治療の医療保険もないままである。

7億人の農村人口、そのうちの2億人以上の「民工」が発展優先の社会的風潮に耐えられるのか。胡錦濤政権が提唱する「和諧(調和のとれた)社会」構築の実現を信じ、差別克服を期待するのか。これが中国の将来シナリオの最重要の手がかりとなるはずである。

本書は豊富な資料と綿密なフィールドワークを駆使して、「民工」の現実を活写し、「社会の協力を得て、事態を改善すること」を目指している。上海総領事を務め、夭折した杉本信行著『大地の咆哮』(PHP研究所)と併せて読まれることをお勧めしたい。【評者 小島朋之(慶応義塾大学教授)】

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

サムライ・ノングラータ I (SB文庫 ヤ 1-1)
サムライ・ノングラータ I (SB文庫 ヤ 1-1)矢作 俊彦 司城 志朗

ソフトバンク クリエイティブ 2007-06-23
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サムライ・ノングラータ II (SB文庫 ヤ 1-2)
サムライ・ノングラータ II (SB文庫 ヤ 1-2)矢作 俊彦 司城 志朗

ソフトバンク クリエイティブ 2007-06-23
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快盗タナーは眠らない
ローレンス・ブロック (著), 阿部 里美 (翻訳)

血沸き、胸躍る懐かしい大活劇

最近のヒット映画「カジノ・ロワイヤル」は、コンピュータ・テクノロジーの時代に007を鮮やかに復活させた。あやかるわけではないが、昔懐かしき冒険小説路線の2本を。

矢作俊彦・司城志朗『サムライ・ノングラータ(1・2)』(SB文庫、各750円)は、二十数年前の『海から来たサムライ』のリニューアル版。矢作・司城コンビ3部作のトリとなった作品の復活である。たんなる新装文庫にはあらず、全面的に作者の改筆が入っている。一例は、主人公チームの1人があの実在の快人物に置き換えられたところ。どの人物なのかは読んでのお楽しみ。

時は明治の中期。政府要人から密命を託されたチームが、難攻不落の要塞に潜入し、幽閉されたハワイ王国の王女を救出するという話。まったく創作の設定かと思えば、いくつかの史実はきちんと踏まえられている。チームの1人に『十二支考』などの碩学南方熊楠を配するという、大胆な仕掛けもあるが。

前半は、ハワイへ到着するまで。客船内での、米英中国日本入り乱れた情報機関の暗闘、荒れ狂う嵐との遭遇など、見せ場も盛りだくさんだ。後半は、ハワイに上陸してからの本番救出劇。

美男美女、サムライの意地。そして異能の脇役たち。ともかくテンポよく読ませる大活劇が懐かしい。

もう1本、ローレンス・ブロック『快盗タナーは眠らない』(創元推理文庫、798円)は、作者初期の不眠症スパイ(泥棒)シリーズ。初紹介となるが、原本は007全盛期のもの。冷戦期のヨーロッパ情勢が懐かしい。というより、多芸のストーリーテラーの原点に感服した。

戦傷によって睡眠を取れなくなった主人公だが、戦争後遺症ではなく、一種の「人間百科事典」に変貌する。スパイ活劇ものの流行に乗った作品ながら、不思議といま読んでも新鮮だ。【野崎 六助 (作家・評論家)】

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

ダイヤモンド「腐食の連鎖」 政・官・業が集う「日本の密室」
ダイヤモンド「腐食の連鎖」 政・官・業が集う「日本の密室」立石 勝規

講談社 2007-05-30
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著者インタビュー 立石勝規(ノンフィクション作家)

戦後の黒幕「児玉」の陰にダイヤモンドがあった

――「戦後最大の黒幕」児玉誉士夫氏になぜこだわったのですか。

■私が毎日新聞社会部に来た1977年春、ロッキード事件取材のヤマは越えていた。戦後最大の疑獄取材に加わることのできなかった悔しさが、ロ事件と、ロッキード社代理人だった児玉氏にこだわらせました。ある時、彼が財界大物に対し、フィクサーの仕事に協力してくれた謝礼としてダイヤモンドを渡していたという新聞のベタ記事を見つけました。「一体なんだ」と古い資料を調べていくうちに、彼が戦時中、中国・上海で集め、運んだダイヤの一部で、これこそが戦後、自民党の母体となった日本自由党の結党資金になるわけです。それからダイヤをこの目で確かめたいと追いかけました。

――そしてダイヤを見つけました。

■「とうとう、児玉のダイヤモンドと逢えた」と96年3月10日の私の日記に書いてあります。裁判所の競売で落札した都内の宝石商が持ち主で、20カラットのダイヤを見た時の興奮は今も忘れません。児玉氏がヤミ社会のドンに登り詰める元手になった物です。

――児玉氏の人物評は?

■戦前は右翼で出て、戦後は政界の黒幕になる。河野一郎、大野伴睦の後ろにいて、鳩山政権では主流派で、ともにA級戦犯容疑で収監された岸信介元首相とはつかず離れずの微妙な関係だった。佐藤栄作政権下では、東京地検から捜査対象として狙われたが、すり抜ける。その時点で政界から経済界のフィクサーになる。実態は総会屋で、いくつかの株買い占め事件を調停していく。彼の利口さはそれ以降政界の黒幕にならず、表だって口出しもしない。分析力が鋭く、権力との間合いを取り、時代を先読みする目を持っていました。

――黒幕はとかく実像より大きく描かれがちですが。

■確かに児玉は取材すればするほど魅力的なんです。豊富な資金力、政財界の人脈から吸い上げる豊富な情報量、相手を威嚇する暴力装置という黒幕に必要な「三つの力」をあれだけ備えた男はいない。児玉が出るともめ事も収まる、当事者たちには月光仮面のような存在です。週刊誌や雑誌の対談にもしばしば登場し、おしゃべりだが肝心要なことはしゃべらない。ロッキード社の秘密コンサルタントになった経緯や全日空への裏工作などについて、一言も語りませんでした。

――児玉氏の最大の罪は何ですか?

■保守政党の誕生時に資金提供をしたことで、政界に金権体質のDNAが生まれた。その後の政財界には常に児玉のような黒幕が必要となり、行きついた先が田中角栄――ロッキード事件です。

――東京国税局査察部は児玉脱税事件を摘発し、その手法を金丸脱税事件に生かしましたね。

■彼らは徒弟制度。先輩の手法を見よう見まねで覚えていく。後に金丸事件を摘発する3人の中心人物がロ事件時に駆け出しでいました。査察部が蓄積した政財界大物のカネの動きを記録した「Aファイル」が決め手でした。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

マーベリック・カンパニー 常識の壁を打ち破った超優良企業
マーベリック・カンパニー 常識の壁を打ち破った超優良企業ウィリアム C テイラー ポリー ラーベル 小川 敏子

日本経済新聞出版社 2007-05-24
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おすすめ平均 star
star「神は細部に宿る」式で丹念に描く未来の組織と競争力

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型破りな発想で大きな挑戦を試みる企業を訪ね、企業理念、技術革新手法、顧客との絆、優れた人材の集め方という4つの角度から、未来の超優良企業の条件を掘り下げる。『エクセレント・カンパニー』『ビジョナリー・カンパニー』がすでに評価の定着した企業を素材に論じたのに対し、本書は世界的にはなお無名に近い急成長企業の動きを迫力ある筆致で紹介、新時代のトレンドを探っている。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

地域を育てる普通の会社―ドメイン経営/地方小都市からのメッセージ
塩谷 未知 (著), 小原 昌美 (著)

長野県駒ヶ根市、伊那谷の人口3万4000人の地方都市で存在感を保つ企業を、その「ドメイン」発見・確認の旅として素描する。ドメインとは、企業の「わかりやすく」、しかも「あいまいな」生存領域の定義。これが定まると経営にぶれがなく、しかも柔軟に成長の余地が生まれる。自社の生い立ち、顧客からの評価、やりたいことの3つの軸からドメインを定義せよと説く。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

文化と国防―戦後日本の警察と軍隊
文化と国防―戦後日本の警察と軍隊Peter J.カッツェンスタイン 有賀 誠

日本経済評論社 2007-05
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「日本の警察と自衛隊の分析」と謙遜するが、実は日本の安全保障政策に「集団的アイデンティティ」「制度化された規範」という文化的要素からメスを入れた画期的研究書。日本語ができない米コーネル大教授が苦労して、日本が敗戦を境に軍国主義から平和主義に転換した、という通説を否定する。ドイツとの比較は秀逸。読みやすい訳でグングン読める。おすすめだ。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル
三浦 博史 (著), 前田 和男 (著)

4月の都知事選を戦った石原慎太郎陣営の選挙参謀と、浅野史郎陣営の勝手連の1人が、2人で一緒に本を書いた。いささかふざけた企画だが、それぞれ保守系、革新系で選挙を演出してきたプロが語る、最近の選挙の実態や内幕はたしかに面白い。とりわけ巻末の2人の対談を読むと、一時は劣勢をささやかれていた石原都知事がなぜ圧勝したかがよく分かる。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

ヒット率99%の超理論
ヒット率99%の超理論五味 一男

PHP研究所 2007-01-24
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おすすめ平均 star
star脱個性こそ、真の個性
star新しい考え方・・「先取りマーケティング」
star「ありそうでなかった・・・・・・?」の意味

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「エンタの神様」「24時間テレビ」などを手がけ、「視聴率男」の異名をとる日本テレビの総合演出・プロデューサーが、一般ビジネスマン向けにメガヒットを生み出す発想法を指南。「ベストセラーを読みたい人」と「ダイエットをしたい人」のどちらが多いか、といった問題を解かせ、「1000万人以上の人の欲求」を読者に発見させる。

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

いじめの構造
いじめの構造森口 朗

新潮社 2007-06
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おすすめ平均 star
starまたもややってくれました!
starできることできないこと

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いじめを本気で解決したいなら

安倍晋三首相は、北朝鮮問題や憲法改正問題のほかの売り物としては、教育を挙げたい人のようである。

そして、教育再生会議なるものを創生し、教育3法を改正するなど、確かに「変えて」はいる。

ただ、この教育再生会議にしても、本来は学力低下を主なテーマにするはずだったのに、いじめがマスコミのメーンテーマになると、いじめ問題を討議するような場に変容してしまった。

それはさておき、多少は教育にかかわる立場からも、いじめの実態把握をしないままに、勝手な対策が独り歩きする現状は目を覆いたいほどだ。「もう少し、調査や実態把握をしてから」と言える委員が1人もいないことが、この再生会議の最大の弱点だと私は考えている。

そんななか、多くのニュースソースから丹念に集めたいじめ情報や、自身の聞き取り調査をもとにし、また学者のいじめ研究のなかで妥当なものを適用するという「まっとうな」テキストが出た。私の信頼する教育評論家・森口朗氏による『いじめの構造』(新潮新書、714円)である。

この本がもっとも優れている点は、いじめをワンパターンなものとして理解するのでなく(今時のいじめ論や逆に自分の教師時代の体験ですべてを語ろうとする教育再生会議の元メンバーのように)、多種多様であるということを前提としている点だ。いじめを本気で解決したいのなら、多様であることを認め、それを上手にカテゴリー化することから対策が始まるのは当然のことだ。

それ以上に、私の関心を引いたのは、スクールカーストなるものを紹介してくれたことだ(再生会議の誰がこの言葉を使っただろうか?)。要するに、クラスのなかがランク分けされ、それがカーストのごとく、変動が起きにくいという現象を指す。その基準は学力の序列や、腕っ節の序列ではない。人気だという(イケメン・フツメン・キモメンに分けられるそうな)。いじめられるということは、自分がスクールカーストの下位にいることを認めることになるので、生徒はいじめられていることを認めようとしないという病理の分析も見事だ。

今の子供が「なんで仲間はずれ程度で自殺するのか」に妥当な解答を与えてくれるし、精神分析の自己愛理論にもかなった名解説である。【和田英樹 精神科医】

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

シンガポール華僑粛清―日本軍はシンガポールで何をしたのか
林 博史 (著)

憲法9条の思想水脈
憲法9条の思想水脈山室 信一

朝日新聞社出版局 2007-06
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知られざる反日と親日につなぐ平和思想

シンガポールは、かつてリー・クアンユー元首相が「ルック・イースト(日本に学べ)」を唱え、親日の国と思われがちだ。だが林博史『シンガポール華僑粛清』(高文研、2100円)を読むと、そう単純ではない。

1941年12月8日、真珠湾攻撃より2時間早く日本軍のマレー半島上陸は始まった。約2カ月の電撃戦でシンガポールを攻略、インド兵が半数を占めるイギリス軍13万人を捕虜にした。

進軍当初から始まった華僑粛清は42年2月下旬に頂点に達し、現地では4万~5万人の中国系住民が日本軍への敵対・スパイのかどで虐殺されたと伝えられる。「日本に学べ」で進められた近代化の工事現場から大量の遺体が発掘され、「血債の塔」にまつられた。

問題は犠牲者の数ではない。オーラルヒストリーで発掘されたケースの一つ一つに、かけがえのない人生と家族があった。従軍慰安婦や靖国神社が報じられるたびに、反日・嫌日感情が再生する。ラッフルズ・ホテルが昭南旅館とされた屈辱の記憶がよみがえる。

日本人である著者は、軍資料と英米公文書を現地の記憶とつきあわせ、粛清を再現する。こんな地道な努力の積み重ねこそ、長い眼でみれば、反日感情をときほぐす。加害の記憶は風化しても、被害の記憶は長く残る。後の世代は歴史的事実を正面から受け止め、非戦の思想として受け継ぐしかない。 山室信一『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞社、1365円)は、日本国憲法9条の平和主義を、戦争放棄・軍備撤廃、国際協調、国民主権、平和的共存権、非戦の5つの基軸の思想的凝集と位置づける。その源流をたどり、サン・ ピエール、カントらの西欧恒久平和主義の水脈と、横井小楠の戦争廃止論、小野梓の世界大合衆政府、植木枝盛の万国共議政府など幕末・維新からの日本のコンスティテューション(憲法制定)構想の合流を見いだす。

福沢諭吉はソサイアティを「人間交際」と訳した。国家と国家の間にも、憎悪と戦争に向かう流れに抗する地球社会と人間交際への希求があった。著者のいう思想連鎖から読めば、日本国憲法の世界へのよびかけは、おしつけでも例外でもなかったと納得できる。【加藤 哲郎 一橋大学大学院社会学研究科教授】

■2007/07/24, 毎日エコノミスト

美徳の経営
美徳の経営野中 郁次郎 紺野 登

エヌティティ出版 2007-05
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経営に不可欠な「美徳」とリーダーシップのあり方を学ぶ

この本の著者の1人は、日本を代表する学者で、わが国の企業組織には、精緻に体系化(あるいは、形式知識化)されていなくても、現場に豊かな暗黙知があり、革新志向のミドル・マネジャーによってトップと現場が結ばれていたことを明らかにしてきた。そしてもう1人は、デザイン・マネジメントの研究と実践に詳しい学者である。2人はこれまでも、知識創造の経営とデザイン・マネジメントを融合するような分野で共著の書籍や論文を世に問うてきたが、その最新成果が本書だ。

美徳とは「『共通善』を志向する卓越性の追求」とも、「社会倫理的な徳に加え、審美性への理解、そして知的力量が融合したもの」とも定義される。タイトルのそのものずばり「美徳の経営」は、簡潔に「共通善を念頭に社会共同体の知を生かす経営」と特徴づけられている。

このテーマは難しいトピックであり、著者たちの主張はやや理想論的でもあるので、実例に困るのではないかと思われるかもしれない。ところが多くの成功例が登場する。英国のコオペラティブ銀行、バングラデシュのグラミン銀行、わが国のクラレ、資生堂、三井……、さらにチャーチルや緒方貞子氏のリーダーシップが取り上げられるかと思えば、世阿弥などへの言及もある。

全編を通じて、哲学者A・マッキンタイアの『美徳なき時代』からの影響もあり、実践、物語、伝統からの学習が強調される。と同時に、書物全体を彩るのは、著者たちの職人の世界や工芸への憧憬だ。こう書くと、意識的に理想主義的に書かれていると思われるかもしれないが、その論調は回顧的なものではない。将来への指針に満ちている。

著者たちは、豊かな暗黙知が支えの現場の底力、モノ作りの組織能力だけでは、グローバル競争には対応できないことを認める。そのうえで、日本企業は暗黙知だけにべったりと依存しているという見方を排し、暗黙知と形式知の境界線(両者の相互作用、相互交換)を強調する。

中年以上の読者なら、美徳の実践知の追究がどこかで「よい年のとり方」にもかかわることに気づかれるだろう。アリストテレスにさかのぼるフロネシス(賢慮)の概念こそが、今後の美徳の経営におけるリーダーシップを支えるキーワードであるという。だが、それは若くしてできることではない。

もし美徳あるリーダーになりたいのなら、年を重ねた分、経験から教訓を語り、自分なりの考えを明示的に持つことが望まれると、評者は思う。【評者 金井壽宏 神戸大学大学院経営学研究科教授】

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

内閣制度
内閣制度山口 二郎

東京大学出版会 2007-05
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イギリスと比較しつつ日本型「内閣制度」の本質に迫る

首相や閣僚の言動、政策指向についての論評は、いつの時代でも活発である。だが、いったい議院内閣制とは何であるのか、時代状況のなかでいかなる制度設計が問われているのかは、本格的研究の対象とされてきたとはいえない。本書はまさに骨太に現代日本における内閣制度のあり方に迫ったものである。

内閣制度は、議会の多数派が行政権を掌握するという共通の仕組みのうえに、国によってさまざまなバリエーションが存在する。議会制度、行政官僚制との関係、選挙制度、政党の構造など多様な変数が、内閣制度の実態を規定している。

著者は、内閣制度に関する歴史と理論動向を踏まえて、イギリスの内閣を「下降型」、日本の内閣を「上昇型」とする。つまり、イギリスの内閣は、議会の多数勢力の指導者が構成する統治の最高指導機関であり、意思決定の主体としての合議体である。これに対して日本の内閣は、それ自体が意思決定の主体ではない。閣僚が各省官僚機構の利益代表として行動するため、内閣は政府提出法案や人事案件などについて最終決定する形式的かつ儀礼的機関となる。

「上昇型」内閣の歴史的背景には、もちろん戦前期の憲法体制がある。しかし、著者は現行憲法の制定過程におけるGHQと日本側法制官僚とのやり取りを分析し、日本側の堅牢な戦前期以来の法解釈が一定の「成果」を上げ、閣僚による各省分担管理が制度的に継承されたため、戦後内閣が「下降型」とはならなかったことを明らかにする。

だが著者は、こうした「上昇型」の内閣制度にも1990年代以降、変化が表れているとする。転機を形成したのは、衆議院の選挙制度改革、橋本政権による行政改革であり、これらを踏まえた小泉政権による日本政治の一元的民主政治への移行である。日本にも責任の所在が明確な本来の「下降型」内閣制度が、姿を現したという。

とはいえ、内閣への権力集中は、ダイナミックな民主政治にとって必要条件であっても十分条件ではない。内閣統治が独裁ではなく民主政治たりうるには、常に政権交代の可能性と公正なメディアの存在が不可欠とする。

評者もまた、政治のメカニズムとして内閣統治の実体化が日本政治に求められていると考える。ただし、政治のトップリーダーには権力行使へのおののきが、内面に確立されていなくてはなるまい。本書の所見を踏まえた安倍政権論の叢生を期待したい。【評者 新藤宗幸 千葉大学法経学部教授】

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

聖餐城
聖餐城皆川 博子

光文社 2007-04-20
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ミノタウロス
ミノタウロス佐藤 亜紀

講談社 2007-05-11
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おすすめ平均 star
star殺戮。略奪。強姦。

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「三十年戦争」を傭兵とユダヤ人の視点から見る

皆川博子『聖餐城』は、神聖ローマ帝国を荒廃させた三十年戦争を、傭兵のアディと宮廷ユダヤ人コーヘン家の運命の変転から描いている。

三十年戦争は、カトリックとプロテスタントの宗教戦争の側面があり、新教も旧教も自分たちの正義と信念のために戦っている。だがアディが加わる傭兵部隊は、金を払えばどちらの陣営でも戦うし、新・旧教を問わず差別されているユダヤ人は、一国の命運を左右するほどの経済力を持ちながら、常に勝者の味方をしていないと財産を没収される、あやうい立場にあった。新・旧両派から適度に距離を保ちながら、したたかな戦略で生き残りを図る傭兵とユダヤ人の視点から戦争を見ることで、戦争に“正義”などないことを暴いたのは鮮やかだった。

ユダヤ人への差別や大資本が戦争を支える構造、局地戦に大国が介入することで戦闘が泥沼化する展開など、三十年戦争は近代戦の原点ともいえる。それだけに現代の国際情勢を考え直すきっかけを与えてくれるだろう。

佐藤亜紀『ミノタウロス』(講談社、1785円)は、ロシア革命で内乱状態に陥ったウクライナを、アナーキーな3人組が駆け抜けていくので、西部劇(というよりもマカロニウエスタン)を思わせる物語になっている。

機関銃付きの馬車や複葉機を持つことで、自分のなかに眠る“獣性”を目覚めさせた3人は、平然と殺人や略奪を繰り返す。その無軌道ぶりは正義やイデオロギーを嘲笑うかのように過激なのだが、3人を特殊な存在とはせず、危機的状況になれば、誰もが同じような行動を取る可能性を示唆しているので、人間の本性とは何かを考えさせられる。【末國善己 文芸評論家】

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

言語学者が政治家を丸裸にする
言語学者が政治家を丸裸にする東 照二

文藝春秋 2007-06
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おすすめ平均 star
star言葉のチカラはすごい。

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著者インタビュー 東 照二(ユタ大学教授)

「戦後レジーム」は国民との距離を広げる言葉

――安倍晋三首相の「言葉」を厳しく評価していますね。

■安倍さんはひじょうにまじめで、言葉の力を有効に使おうという意気込みも感じられます。小泉(純一郎前首相)さんを目の当たりにしていたからでしょう。ただ用意したスピーチでは自分を表現できても、即興になるとうまくいかない。あまりにも形式ばった表現が多いんです。「お約束を申し上げます」とか。まさに官僚的な響きです。

――最近、気になったことは?

■安倍さんは「切れる」ことがありますよね。余裕がないからだと思います。この前の党首討論(5月30日)でもヤジが飛ぶと、そこの人、笑ったでしょ!と切れました。一生懸命大切な話をしているのに、笑うとは何事かと。あれは学級崩壊しているクラスの担任の言葉ですよ。威厳がない。

――記者の質問に答える時の「カメラ目線」も気になりませんか。

■自然じゃない。国民が一番気にするのは、本音(を語っているかどうか)です。カメラ目線はそれとは逆。効果的でないと思う。「私は取り繕っていて本音は話していない」という声が聞こえてきます。

――本のなかで、言葉をスイッチして使うことの重要さも指摘していますね。フォーマルからインフォーマルへ、インフォーマルからフォーマルへと。

■言葉の点で、安倍さんは常にフォーマルなんです。もう少しやんちゃになったり、自分の地を出すことを意識すればいい。

――首相がよく口にする「戦後レジーム」という言葉には否定的ですね。

■普通の国民には響いてこない言葉です。ある意味で国民をばかにした言葉だと思う。「戦後レジームってどういう意味? 頭のいい人は知ってるだろうけどオレは知らない」と劣等感を持つ人もいるかもしれません。安倍さんには一番分かりやすくても、聞く側には「自分と関係ある言葉」ではない。

――しかし、安倍政権では「美しい」とともに多用されています。

■国民にとっては「私たちの言葉」ではなく「彼らの言葉」。大阪に引っ越した人が東京の言葉で話したら嫌われますが、相手の言葉(大阪弁)に近づけると心理的な距離感が縮まる。安倍さんはもう少しダイナミックな、動的な言葉を使ったほうがいいと思います。

――この本で訴えたかったことは?

■政治家はよく言いますよね、「説明責任を果たす」「分かりやすく国民に訴えないといけない」と。分かりやすいというのは、言葉が平易であるだけじゃなく、相手の注意や興味をどれだけ自分に引き付けることができるかということ。ポイントは聞き手との関連性だということを訴えたかった。

――最後に安倍首相に一言。

■安倍さんが今出そうとしているのは力強さですよね。カメラ目線もそのためでしょう。しかし、決定的に欠けているのは(国民との)仲間意識。もっと本音や身内の言葉で話し、両方をスイッチすればいいと思います。

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

株式会社という病
株式会社という病平川 克美

エヌティティ出版 2007-06
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「お金が大好きで、お金を儲けることにしか興味がなく、無駄な出費は一切しない。利益にならない友人とは付き合わず、責任は極力他人に押し付ける。人には厳しく、相手を押しのけてでも自分を主張する」。著者のいう「株式会社という病」とは、人間関係でいえば病んでいるとしか思えない、会社のそうした本質である。否定も肯定もしないが、そうした本質を認識する必要はあると説く。

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

一身上の都合
一身上の都合永井 隆

ソフトバンククリエイティブ 2007-05-24
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リストラ、早期退職、転職など、頻繁に登場する経済用語も、体験者にとっては人生を懸けた重みがある。それを象徴する「一身上の都合」に着目し、年齢や男女さまざまな8人から聞いた。うち4人は実名で登場する。著者自身、勤務先の新聞社の突然の休刊によって失職した経験があるだけに、人物描写はドラマ仕立てのように面白く、短編小説の趣さえある。

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

生涯野人―中江兆民とその時代
生涯野人―中江兆民とその時代岳 真也

作品社 2007-06
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「日本のルソー」といわれる自由民権思想家、中江兆民は案外その実像が知られていない。福沢諭吉の見直しが進むなかで、もう一方の明治思想の巨頭、兆民が維新後の政治に何を期待し、なぜ失望せざるを得なかったのかを生き生きと書き下ろした850枚の歴史小説。著者は今の政治・社会状況が当時と似てきた、と言う。今後の日本を考える際のよすがになる1冊だ。

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

日本の食と農 危機の本質
日本の食と農 危機の本質神門 善久

NTT出版 2006-06-24
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日本の食と農を悪くしたのは誰か

著者自身が冒頭で述べているように、神門善久著『日本の食と農』(NTT出版、2520円)は、食と農に関するユニークかつ正鵠を射た分析である。

最近の日本人は役人たたきが好きで、すべての問題が行政バッシングになる傾向がある。特にテレビメディアが「悪い官僚vs善良な市民」という構図で「ズバッ」と斬るものだから、これで溜飲を下げて話が終わってしまうというケースが多い。

確かに食と農の問題を含めて行政にも問題があるのだが、ことの本質が別のところにあることが少なくない。神門は「食と農の問題の本質は市民(農民および消費者)の怠慢と無責任である」という視点から論議を進める。

まず食について。食生活の乱れは消費者が安直に表面的おいしさを求めたことにあるという。実は教育問題についても同じことが言えるのだが、「大人(とくに親)こそが問題(食生活の乱れ)の元凶」であると著者は断定する。「大人が自身と子供の食生活を破壊したという責任を直視しないかぎり、問題のスタートラインにすら立つことができない」。

農業についても多くの適切な指摘がなされているが、著者も指摘するように、問題の最も重要なポイントは農地の転用についてのルールの甘さである。つまり、ここでも市民=農民の安直な貪欲が農業の産業としての発展を阻害しているというのだ。多くの農民は農業を事実上放棄しても、宅地化や公共事業などによる将来の土地の値上がりを見越して農地を手放さないので農地の集約が進まず、事実上の未利用農地が増加するというのだ。

「……圧倒的多数の零細農家はその政治力を使って農地規制の運用を骨抜きにしており、『農地規制の骨抜きに長けた者がトクをする』というとんでもない状態になっている。これでは農業が衰退するわけである」

何でも規制緩和の流れのなかで土地利用規制についても緩和が進み、農地転用は花盛りだという。「規制緩和の先進国である欧米では、土地利用規制は緩和の対象外」だという。豊かな成熟社会のなかで、規律と秩序を失ってしまった市民こそが日本の真の問題だという著者の指摘に、全く同感である。【榊原英資 早稲田大学教授】

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅
河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅河口 慧海 奥山 直司

講談社 2007-05-11
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日記で分かった秘境探検の舞台裏

明治33年(1900)、単身チベットに密入国を果たした河口慧海の日記が慧海の姪の自宅から発見されたのは3年前のことであった。慧海には、第1回入蔵から帰国後、新聞社の求めで口述筆記を行わせた『チベット旅行記』(講談社学術文庫ほか)があるが、今回発見の日記は、旅行の実録であり、紀行文(旅行記)には表れていない秘密の事情が、種々明らかにされている。

19世紀末のチベットは、清朝政府の間接統治下にあった(駐蔵大臣を通じて)が、半ば独立国で、厳重な鎖国体制を敷いていた。スヴェン=ヘディンやプルジェヴァルスキーらの西欧探検家が、ラサに接近はすれども入ることはできず、空しく引き返したのはそのゆえである。慧海は入蔵に充分時間をかけ、チベット語に習熟し、潜入路を研究したうえで、ネパールのトルボ州から関所も警戒の軍隊もいない間道を北上して、中国人の巡礼になりすましてチベット入りした。

河口慧海著・奥山直司編『河口慧海日記』(講談社学術文庫、1103円)は、前半が慧海日記の原文を翻刻したもので、後半は、奥山氏らによる詳細な解説であり、実に興味深い。口述筆記の『チベット旅行記』では、トルボ州からの峠越えは、案内人を引き返させて、慧海単身で3日間を要し踏破したことになっているが、今回発見の日記によれば、国境の峠までは同行者(ガイド)がいたことが知られる。

慧海は、ネパールの皇太子との約束により、同行者の存在を明かすことができず、『旅行記』ではわざと単独行を装わざるを得なかったのである。

ともあれ、彼の入蔵は困難を極めたもので、帰国後も、アカデミズムの世界ではなかなか相手にされなかった。慧海の入蔵を露骨に疑問視する学者も多かった。戦後、川喜田二郎氏がネパール北部に入って、慧海入蔵の前半はほぼ真実であることが証明された。今回の『慧海日記』ではネパール、チベット双方の関係地で実地調査が行われ、『旅行記』の記述の確かさが完全に裏付けられた。

地下の慧海もこれで満足の笑みを浮かべたのではなかろうか。【今谷 明 国際日本文化研究センター教授】

■2007/07/17, 毎日エコノミスト

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