メイン > 週刊エコノミスト書評 『ブックレビュー』 > 2007年10月16日~10月23日

株式会社はどこへ行くのか
株式会社はどこへ行くのか上村 達男 金児 昭

日本経済新聞出版社 2007-08
売り上げランキング : 19351

おすすめ平均 star
starニッポンのカイシャがかなりやばい!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

法人を人間と見なす日本企業市民社会の論理なきを憂う

株式会社が暴走する時代になっている。ライブドア、村上ファンド、スティール・パートナーズなどの事件がそれを表しているが、この本では、この暴走によって荒稼ぎしている投資ファンド、弁護士、コンサルタント、学者などを厳しく批判している。

本書は対談集であるが、上村氏に対して金児氏がもっぱら聞き役になって、話が縦横無尽に展開されており、株式会社がいまいかに危険な状態にあるか、ということがよくわかる。

上村氏は2002年に出した『会社法改革』で、証券市場を使いこなす公開株式会社法を提案していたが、経済産業省が主導し、ファイナンス理論の経済学者などがからんで生まれた新会社法はとんでもないしろものになった。

例えば株式を公開している大規模な株式会社と小規模な閉鎖会社を同じように取り扱う新会社法は、株式会社の資本金が1円でもよい、というような理不尽な内容になっている。

対談のなかでブルドックソース、西武鉄道、三菱自動車、カネボウ、大和銀行などの事件について上村氏の見解が詳しく述べられているが、いずれも市民社会の論理によって日本の株式会社のありかたを批判している。

日本の法人資本主義は法人間での株式相互持ち合いによってアメリカやヨーロッパとは違う構造になっている。法人を生身の人間と同じように取り扱う日本のシステムがこのような状態を作り出していったのである。

金融商品取引法は、本来は会社法の延長としてではなく、独占禁止法と同じ次元で考えられるべきもので、それによってはじめて証券市場を使いこなす公開株式会社になるのだ、という主張も納得できる。

議論はアメリカ型とヨーロッパ型の株式会社を対比し、それらを輸入して変型した日本型を浮き彫りにしているが、日本型には市民社会の論理が欠けている、というのが全体のトーンになっている。

このように日本の株式会社は極めて危険なものになっているというのだが、しかしアメリカの株式会社もいま大きな矛盾を抱えているのではないか。個人の金を機関投資家が、そしてそれをさらに投資ファンドが運用することによって、いったい株式会社の株主は誰か、ということがわからなくなってしまっている。

誰が株主かわからないような株式会社、それが株式会社といえるのか。株式会社が暴走しているのは単に日本だけではないのではないか。【評者 奥村 宏(会社学研究家)】

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

敗北の文化―敗戦トラウマ・回復・再生 (叢書・ウニベルシタス 869)
敗北の文化―敗戦トラウマ・回復・再生 (叢書・ウニベルシタス 869)ヴォルフガング・シヴェルブシュ 福本 義憲

法政大学出版局 2007-08
売り上げランキング : 96222


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

敗戦国民は精神的ショックからいかに立ち直ったのか

明治維新という日本の滅びについては、渡辺京二の『逝きし世の面影』という名著があるが、もう1つの日本の滅びである第2次世界大戦の敗戦については、それに匹敵するものがない。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は敗戦を包括的に描いた力作ではあるが、ダワー自身は戦勝国の人間である。本書は敗戦国の文化的再生のメカニズムを描いた意欲作である。

2度の世界大戦で敗戦国となったドイツ生まれの著者は、敗戦国民が敗戦のトラウマから回復し、再生するメカニズムを解き明かすために、南北戦争、普仏戦争、第1次世界大戦を取り上げている。

日本は1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言したが、われわれがたどった精神的・文化的再生は、他の敗戦国にも共通するものであることを知ることになる。

著者によると、「降伏の直後から、正義をめぐる敗者の闘いが始まる」。まずは敗戦を拒否し、敗北を納得するためにありとあらゆる理由付けを試み、次いで敗戦を旧体制のスケープゴートとして排除する機会に転化して革命のような状態になり、勝者の経済や技術的な優位を認めて、そこから学びはするものの、自分たちの文化的優越性を再確認するという。こういった過程が、歴史的事実による傍証の積み重ねで語られるため、欧米の戦史に通じていないと読み進むのに難渋する。

しかし「敗者が勝者を模倣するのは、ほとんど反射作用のようなもの」といった、折々に抽出される敗戦の定理のような記述、さらには敗北の3分類など、敗戦国の人間には思い当たる節も多く、敗戦国民の感情の記述に接すると、いつまでもギクシャクしている日中、日韓の関係に照らし合わせると納得するがゆえに、絶望的な気分にもなる。

アフガンやイラクの例を見ても、戦争もこれまでとは様変わりして、軍事的攻撃よりも戦後処理のほうが難しいようだ。その意味では勝敗が決してからが本当の戦争が始まるようになっていて、敗戦の意味が変質しているため、この本で扱っている以降の敗戦の研究が必要だろう。さらには本書にあがっているのは白人のキリスト教徒間の戦いだけであって、異教徒や異なる人種の戦争では、違うメカニズムが働くのではないだろうか。着眼点の見事さゆえに、さまざまな興味をかき立てられる。【評者 浜野保樹(東京大学大学院教授)】

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

NEXT 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)
NEXT 上  (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)マイクル・クライトン 酒井 昭伸

早川書房 2007-09-07
売り上げランキング : 1307


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

NEXT 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)
NEXT 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)マイクル・クライトン 酒井 昭伸

早川書房 2007-09-07
売り上げランキング : 1290


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

遺伝子工学の暴走で現実となる恐怖

マイクル・クライトンの新作『NEXT(上・下)』(早川書房、各1785円)の扉には、こうある。《本書はフィクションである。フィクションではない部分を除いて》。

そう。これはエンターテインメント読み物である。そうでない部分を除いては――。

本作のテーマは遺伝子テクノロジーの暴走への警告だ。ここに描かれる恐怖は、ありうるかもしれない未来ではなく、すでに起こっている現在にかかっている。遺伝子は人間が手をつけてはならない聖域かもしれない。しかし……。作者は物語の末尾に異例のあとがきを付して、警告を繰り返している。「遺伝子を市場の商品にするな」と。

異例さは、作品の構成にも及んでいる。これまでのクライトン作品の読みやすさを捨てて、多くのエピソードを並べ、短いシーンを目まぐるしくたたみかける手法を採った。そこに、遺伝子をめぐる狂騒的な実話も巧みに取りこまれる。全体としてスピードが速すぎて、ついていきにくいところもあるのだ。

そして(というか、しかし)読者は、最終的には、不謹慎ながら、これほど腹をかかえて笑えるクライトン作品は絶無だ、という正直な感想を持たざるをえないのだ。かつてなくブラックな笑いに満ちている。

映画の名科白を引用するペダンティックなオーム、会話能力のみならず格闘技の達人ぶりまで披露するチンパンジー。彼らは遺伝子交配の産物なのだが……。人間たちがこうむる災厄に比べれば、笑えるだけマシかも。

だが忘れるなかれ。『NEXT』は、地球温暖化への警告をテーマにした作者の前作『恐怖の存在』よりも、はるかに切実な危機感を持って書かれている。あえて冒険的手法を採用し、あとがきで警告を再説するほどに、この恐怖は実体的なのだ。『ジュラシック・パーク』のファンタジーは「ここまで来た」というべきか。【野崎六助 作家・評論家】

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

石油 もう一つの危機
石油 もう一つの危機石井 彰

日経BP社 2007-07-26
売り上げランキング : 1483

おすすめ平均 star
star現代石油市場を読み解くための良書

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

著者インタビュー 石井 彰(石油天然ガス・金属鉱物資源機構主席エコノミスト)

原油市場の「金融市場化」 1バレル=100ドル超えも

──この本を書く動機になった、原油市場の「異変」を感じたのは、どんなことがきっかけですか。

■原油価格の上昇が始まったのは、2004年ですが、その年は中国で特殊要因があって需要が急増しました。ところが05年に中国の需要が前年比マイナスになったにもかかわらず、原油価格は上がり続けたのです。そのころから、ニューヨーク商品取引所(NYMEX)の金融関係者と、石油事業関係者の見解が大きく分かれるようになり、「市場価格がおかしい」と感じるようになりました。

──原油市場が金融市場化し始めたということですね。

■04年以降、NYMEXの原油先物市場には、ヘッジファンドや商品インデックスファン

ドを通じた年金基金など大量のニューマネーが入ってきました。先物市場でどれくらい実需に基づかない投資や投機が行われているかを統計でとらえるのは難しいのですが、50%を超えていると見られます。そもそも、NYMEXで生産量の400倍にも上る取引が行われていること自体、原油市場が金融市場化したと言わざるをえません。

──その副作用は。

■原油価格の高騰が、産油国の資源ナショナリズムに火を付けたことです。それは消費国にも伝染し、世界中で石油権益の分捕り合戦が始まっています。また、これに油田開発や採掘の資機材の高騰が加わって、いま世界では、メジャーズをはじめとする民間資本による油田開発の新規投資がほとんど行われていません。この影響は5年先、10年先にボディーブローとして効いてきます。生産力が減退して、それこそ本物の需給逼迫を招きかねない。「虚が実を生む」可能性があるのです。

──直近にも動きがあるようです。

■ロンドン市場(ICE)の取引高が急拡大していることです。NYMEX以上に、金融取引が増えている可能性があります。また、サブプライム問題が起きた結果、証券市場から引き揚げられた資金が一部商品市場に流れ込みました。ETF(取引所で取引される投資信託)といった新手のプレーヤーが参入して、原油市場の金融市場化の流れはますます強まっています。このままいくと、1バレル=100ドルを超す事態もありうるでしょう。

──解決策はありますか。

■実態を離れて高騰した価格を下げるには、需要を減らすことです。特に価格統制によってガソリン価格などを低く抑えている国があり、そうした市場メカニズムが働かない状態は改善されなければなりません。また、世界には大量の石油備蓄があり、多少の生産途絶には十分に対処できます。このことを市場に対するメッセージとしてもっと有効に使わなければなりません。

──われわれ日本にできることは。

■将来のためには、さらなる油田開発投資が必要です。日本としては、世界中で新規投資を促す方向で、資源外交を進めていくしかないと思います。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

中国の不良債権問題―高成長と非効率のはざまで
中国の不良債権問題―高成長と非効率のはざまで柯 隆

日本経済新聞出版社 2007-09
売り上げランキング : 112230


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

中国経済は、北京五輪や上海万博が閉幕すれば、蓄積された構造上の矛盾が一気に噴き出す恐れが指摘される。これまでの高度成長のメカニズムは、国民の将来不安を背景とする極めて高い貯蓄率、それに支えられた設備投資と輸出にあるとの視点から、中国の金融制度と不良債権の実態を総合的に分析する。金融制度改革を急ぎ、金融市場開放を段階的かつ確実に実施していくことの重要性を浮き彫りにしている。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1ジョン・J・ミアシャイマー スティーヴン・M・ウォルト 副島 隆彦

講談社 2007-09-05
売り上げランキング : 1207

おすすめ平均 star
star知識人必読の書です
starヴィヴァアメリカーナ
starもう訳が出てしまいました

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

米国を代表する2人の保守派の政治学者が、批判がタブーとされる「イスラエル・ロビー」に正面から切り込んだ。米国の外交政策に、彼らがどのような影響を与えているか、という問題提起だ。2人が導き出した結論は、「米国の国益に適っていない」ばかりか「イスラエルの長期的な利益をも損なう」――。訳者の副島隆彦氏が、米国の「国論が変わるであろう」(あとがき)とする問題の書である。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権
「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権梅田 正己

高文研 2007-09
売り上げランキング : 422617


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

北朝鮮のミサイル発射、核実験は米朝正常化への最後のカードだったが、米政権も乗り、歴史的和解に向けて動いている。だが、日本は北の脅威を叫ぶ。冷戦崩壊でソ連の脅威が消え、自衛隊は北の脅威がないと困る。テポドンでミサイル防衛を、不審船で対ゲリラ戦略を始めた政府は今、集団的自衛権解禁に向けて動いている。右傾化した政治への異議申し立ての書だ。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

日本の情報機関―知られざる対外インテリジェンスの全貌 (講談社+α新書 88-3C)
日本の情報機関―知られざる対外インテリジェンスの全貌 (講談社+α新書 88-3C)黒井 文太郎

講談社 2007-09-21
売り上げランキング : 5601


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

冷戦からテロの時代に移って、情報機関のあり方も急激に変わる。日本の情報機関は今、どのように構成されているかを組織別に紹介する。防衛省・自衛隊、外務省、警察庁・警視庁、公安調査庁、そして総括としての合同情報会議と内閣情報調査室。その組織展開を眺めれば、組織間の情報の共有と活用など不可能に思えてくる。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本 (新潮新書 224)
邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本 (新潮新書 224)長部 日出雄

新潮社 2007-07
売り上げランキング : 11251

おすすめ平均 star
star物足りない内容
star昭和は遠くなりにけり、、、
starもう一度見てみたい

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

昭和20年代・三船敏郎/昭和30年代・石原裕次郎/昭和40年代・高倉健――戦後のスーパースターの共通点は「反抗性と不良性」という。なるほど。昭和50年代・渥美清。「寅さん」だって異端児だ。善意と異端・反逆の絶妙な結合とか。それにしても、高倉健や菅原文太のどこがカッコよかったか、監督ならともかくスターに講釈は要らないのではと思いつつ、でも読みたくなる。女優編、脇役の名優編もある。

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

派遣のリアル-300万人の悲鳴が聞こえる (宝島社新書 243)
派遣のリアル-300万人の悲鳴が聞こえる (宝島社新書 243)門倉 貴史

宝島社 2007-08-10
売り上げランキング : 7764

おすすめ平均 star
star派遣で生きる人にこそ必要な「知識」という武器
star派遣にも労働組合を
star久しぶりに門倉さんの本を読んでみて。うん目の付け所がいいなと。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

派遣を知らずに格差は語れない

私は、実は零細企業の経営者でもあるので、派遣社員に関しては、多少の偏見がある。求人広告でも、零細企業では就職氷河期といわれた時期でもろくな人は来ない。そんな時に、派遣会社に頼むとそれなりの人を紹介してくれる。

ボーナスや社会保険料を払わないでいいうえ、派遣会社の取り分もあるのだから、当たり前のこととはいえ、相場の倍近い時給に、「何でこんなに高いの?」と苦々しく思っていた。また、出来のいい人が来て、うちの正社員にならないかと持ちかけても、「私は○○○の人間ですから」と鼻であしらうような態度をとられる。○○○は大企業で、わが社は零細企業と言わんばかりの態度だ。

しかし、最近になってワーキングプアが表面化し、派遣社員の実情がようやく浮き彫りにされてきた。また派遣会社のあこぎなやり口も社会問題化してきた。派遣社員と飲んで、その本音を十分聞きだしたという中園ミホ脚本のテレビドラマ「ハケンの品格」も大ヒットした。

私自身、日本のこれ以上の格差社会化は許せないと思っているから、多少、派遣社員の現実を勉強しようと思っていた矢先に、『派遣のリアル』(宝島社新書、756円)に出合った。著者の門倉貴史氏は、私の最も好きなエコノミストの1人で、裏経済やワーキングプア問題に数字の裏付けを集めると同時に、地道な取材活動を続ける行動派のエコノミストだ。

派遣社員の二極化のなかで、日給6000円で働くスポット派遣の現実を分析、紹介してくれたかと思うと、日本における人材派遣の歴史が紹介される。正式に人材派遣が合法化したのは、1986年のことで、それまでは形式的には請負契約だったそうだ。都合のいい時だけ、携帯電話1本で仕事を与えられるワンコールワーカーと呼ばれる派遣労働者が、ネットカフェ難民に直結しているという指摘も真摯に考えるべきものだ。

そして、現在は人材派遣業がパチンコ屋を抜いて、脱税告発件数1位という現状は、こんなにモラルのない人間に、人間を扱う仕事をさせていいのかという憤りを感じさせる。

それ以上に、著者は派遣の生の声を拾い、ライターにスポット派遣労働の体験取材までさせている。派遣の現実を知らないと、格差問題は語れないと痛感させられた。【和田英樹 精神科医】

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る
ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る梅森 直之

光文社 2007-05-17
売り上げランキング : 12639

おすすめ平均 star
star予習と復習にもってこい
star良い意味で人生観が変わった
star「想像の共同体」最良の入門・解説書

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

エスペラント―異端の言語
田中 克彦

ネーションの解釈に革命をもたらした学者

歴史書ではないが、歴史を読み解く道具立ての歴史を学ぶと、現代史を見る際の刺激になる。そんな頭の体操に格好な新書を2冊。

ネーションとは難しい言葉である。民族とも国民とも訳され、時には国家と同義になる。その理論世界に革命をもたらしたのが、コーネル大学のベネディクト・アンダーソン教授で、「ネーションとはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」というテーゼは、一世を風靡した。

その来日講演の記録、梅森直之編『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(光文社新書、735円)は、「想像の共同体」のアイデアがどこから生まれ、その著書が世界でどのように読まれ、スミスやゲルナーやホブズボームとどのように異なるか、デリダもフーコーも読まずに書いたのになぜポストモダンと誤解されたかを述べる。「想像」だからナショナリズムは近代だけの現象とする見方には反対し、「ネーションの持つ重力」から「共同体」のあり方に立ち入ってアナーキズムを評価する視角が刺激的。編者の解説も平明で秀逸だ。

ナショナリズムを追いかけると、言語の問題に突き当たる。アンダーソンも「翻訳のナショナリズム」に触れ、日本の学生に「英語以外の外国語をしっかり学べ」と勧めていた。

その世界に鋭く迫る日本の碩学の新著、田中克彦『エスペラント』(岩波新書、777円)は、巧まざる言語思想史入門になっている。

エスペラントというと、インターネットの英語帝国主義におされ、すっかり衰退したかに見えるが、国際人工語の構想がどんな理念から生まれ、どう普及してきたかを、実際の文例表記を交え、120年の歴史として振り返る。

日本には二葉亭四迷から大杉栄、新渡戸稲造から柳田国男へと世界語表現を切望する水脈があった。宮沢賢治の「イーハトーヴォ」も北一輝の「英語ヲ廃シテ国際語ヲ課ス」もエスペラントだった。日本から魯迅を経て伝播した中国は今日なおエスペラント大国という話に、著者のいう「自らの意識の基層の自由な表現」の切実さ、「ことばを人間の手に」の希望が見えてくる。【加藤哲郎 一橋大学大学院社会学研究科教授】

■2007/10/23, 毎日エコノミスト

「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ
「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ井堀 利宏

日本経済新聞出版社 2007-08
売り上げランキング : 6731


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

増税なしで財政健全化は可能か 政策論議をする前の必読書

参議院選挙で与党が敗北した一因に、安倍前内閣が格差問題に不熱心だったことを挙げ、今後の政策運営は、格差是正に積極的に取り組むべきだとする論調がある。他方、安倍前内閣は今秋に消費税を含む抜本的な税制改革に取り組むとしたが、消費税率引き上げは不要とする民主党の主張の前に、福田内閣は依然明確な方針を打ち出せずにいる。

今、増税なしで格差是正に血道をあげる時期なのだろうか。

本書は、こうした議論の展開に警鐘を鳴らしている。著者の主張は、選挙前から首尾一貫しているが、本書の刊行はまさに時宜を得ている。

未曾有の規模に達する政府債務を抱えたわが国の財政が、今後高齢化の進展を控え、増税をせずに、社会保障などの行政のニーズに応えつつ財政を健全化してゆくことは可能だろうか。

増税なしで財政健全化を行うには、経済成長に伴う税の自然増収か歳出削減しかない。しかし、自然増収という「神風」頼みでは、着実な財政健全化は無理である。他方、歳出削減は、今後も必要だが、無駄遣いさえなくせば増税をしなくても財政健全化ができるという幻想を国民に抱かせる。

ここに、「小さな政府」の落とし穴がある。著者も評者も、大きな政府が望ましいと断言するわけではない。しかし、必要とする財政収支の改善額は、無駄遣いの額に比べ、桁違いに多いのである。

そのうえ、選挙を機に声高になっている格差是正論に対応しようものなら、なおさらその財源を問わなければならない。増税を企てずに格差是正を試みることは、借金でその財源を賄って政府債務をさらに増やす亡国政策に堕するか、限られた財源で小規模に格差を是正するかのどちらかである。

本書では、高齢化に対応した社会保障政策のあり方や地域間格差是正のための政策を含めて、政府の規模をどのぐらいにするかについて、消費税率引き上げとパッケージで国民的な議論を喚起することの重要性を指摘している。本書に書かれているその詳細な内容は、今後の政策論議の大前提となる知識であるから、必読の書である。

消費税の増税は経済成長を阻害すると懸念する向きもあろう。しかし、それを恐れて増税を延期すればするほど、将来増税負担がより大きくなる。それを避けるためには、本書が掲げるような増税を伴う財政再建派と、経済成長重視派は、今こそ協調して財政健全化の成果を追求すべきである。【評者 土居丈朗 慶応義塾大学経済学部准教授】

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

西山夘三の住宅・都市論―その現代的検証
西山夘三の住宅・都市論―その現代的検証住田 昌二 西山夘三記念すまい・まちづくり文庫

日本経済評論社 2007-06
売り上げランキング : 369052


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

建築・都市計画学者の範疇に収まらない巨人の独創性と限界

西山夘三が没して13年である。西山は建築・都市計画学者の範疇に収まらずに、地域計画、景観計画、住居学に視野を拡大して、その独自の理論体系をつくりあげた。それだけでなく、西山がユニークであったのは、政治・行政権力から距離を保ち、地域や人々の生活実態をベースとして、自らの理論の構築に努め、高い社会的評価を得た点にある。

本書は、西山の薫陶を受けた門下生たちが西山理論の独創性や限界について検証したものである。構成は、「総論 西山住宅学論考」(住田昌二)、「第1章 西山夘三の農家研究――その視点と足跡」(中島熙八郎)、「第2章 西山夘三と『持家主義批判』」(森本信明)、「第3章構想計画――空間の論理と予測」(片方信也)、「第4章 地域生活空間計画論と景観計画論」(中林浩)、「第5章 大阪万博と西山夘三――会場計画とお祭り広場」(海道清信)となっている。

住田は西山の戦前期からの足跡をたどりながら、西山をシステム論者として位置づけたうえで、西山の住宅論をマスハウジングの推進に見ている。西山の住宅論は「フローの住宅政策」であって、「ストックとしての住宅政策」を欠いていたとする。確かに、その側面は否定できないが、時代の要請に深入りすればするほど、時代は学問に反映する。それは西山の限界というよりはむしろ、地べたに密着した西山の学問的良心の表れであったというべきではないか。

西山は森本がたどっているように、社会資本としての共同住宅の観点から持家主義批判を展開した。だが、現実には戸建て持家が市街地で進んだ。しかし、持家の質はきわめて低い。

評者には、社会資本としての集合住宅の意義は、現代において少しも低下していないと思える。住田のいう「ストックとしての住宅政策」と西山の持家政策批判を結合した都市・住宅政策が、超高齢化社会だからこそ、必要とされていよう。

評者が西山に関心を抱いたきっかけは、彼の「構想計画」と京都での景観論争だった。片方がいうように、西山の「構想計画」は、非の打ち所のない物的な未来像を示すのではなく、対立点を絶えず明らかにして、ダイナミックに都市の将来像を探ることにあった。だからこそ、西山は市民運動・住民運動の先頭に立ちえたのであろう。

とまれ、西山夘三の足跡と業績をたどった本書は、彼の専門領域での評価にもまして、学者や研究者がどのように生きるべきかを考えさせる好著である。【評者 新藤宗幸 千葉大学法経学部教授】

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

清佑、ただいま在庄
清佑、ただいま在庄岩井 三四二

集英社 2007-08
売り上げランキング : 92871

おすすめ平均 star
star「法力のつづく限り、祈って進ぜよう‥。」

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

弾正の鷹
弾正の鷹山本 兼一

祥伝社 2007-07
売り上げランキング : 208102


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

室町時代の荘園で奮闘する若き代官

時は室町。京の大寺が所有する荘園・逆巻庄を治めるため、代官として派遣された若き僧・清佑の奮闘を全13編で描くのが、岩井三四二『清佑、ただいま在庄』である。

代官は年貢を集めるのはもちろん、村で起こる事件を裁定する判事でもある。それだけに密室状態の湯屋から刀を盗んだ犯人を探す「刀盗人」、口下手な男が裁判に詳しい湯女から指導を受ける「湯女の公事指南」など、ミステリーとして秀逸な作品も多い。やがて逆巻庄は隣の地頭から領地争いの訴訟を起こされ、それは武力衝突へと発展。清佑も難しい舵取りを迫られる。

時代劇に登場する代官は悪役ばかりだが、清佑は強く出れば反発し、下手に出ればつけ上がる村人と折り合いをつけながら仕事を進める。清佑の葛藤からは、上の人間には責任に比例する苦労があることが伝わってくる。

逆に貧しい村人たちは、生きるために小狡く立ち回ることも厭わない。それがリアルな悲喜劇を生み出すので、村人の生き様は現代人にも共感できるはずだ。

山本兼一『弾正の鷹』(祥伝社、1575円)は、愛する者のため、信長暗殺に命を懸ける男女を描く連作集。

鉄砲名人が、贅沢好みの遊び女を手に入れるため賞金の懸かった信長を狙う「下針」、信長に父を殺された桔梗が韃靼人から鷹を使った暗殺術を学ぶ「弾正の鷹」など、作中に出てくる暗殺者はいずれも最新の技術を身に付けているので、当時の技術水準の高さを知ることができる。暗殺を軸にしたハードな物語ばかりだが、その背後には愛する人を手に入れたいという“情”がからんでいるので、恋愛小説としても楽しめるだろう。【末國善己 文芸評論家】

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

総理の随行医―歴代首相の脈をとって
総理の随行医―歴代首相の脈をとって水町 重範

大和書房 2007-08
売り上げランキング : 4784

おすすめ平均 star
starもうちょっと...

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

著者インタビュー 水町重範(水町クリニック総院長)

本当に孤独な首相こそ心のゆとり失わないで

──鈴木善幸、中曽根康弘両氏の首相随行医として、安倍晋三前首相の辞任表明―病気入院をどう見ましたか。

■首相という最高権力者は実に孤独であり、最終責任はすべて自分で負い、誰のせいにもできない。人情もあるけど厳しい判断を冷静にできる人、つまり普通の人がなってはならないのです。安倍さんは父・晋太郎外相の秘書官時代、同行した外遊直後に疲れてしまい、診察して点滴を打ちました。育ちがよく、皆から「晋ちゃん」と親しまれていましたが、そのころから頑健な体とはいえず、若干線が細い印象でした。今振り返って、風雪にさらされることは酷だったのではないかと思います。惜しむらくは入院後に辞意表明したほうが、世間の理解を得られたでしょう。

──鈴木氏は現職首相で病死した大平正芳氏の後任でした。主治医として何に一番留意しましたか。

■鈴木さんは、大平総理と福田赳夫さんの「40日抗争」を終結させるため走り回られた末、高血圧性のめまいを起こして入院され、治療したのがご縁です。その翌年に大平総理が急死した直後、鈴木さんから「角さん(田中角栄元首相)が、僕を総理にと言ってくれている。体は大丈夫かね」と相談され、「一定のルールと健康管理をさせていただければ大丈夫かと存じます」と答えました。そこで土日は休み、夜の宴席はやめ、週1回、ゴルフ一辺倒だが運動をしていただきました。

──首相の「心の健康」はどうケアしましたか。

■総理よりはるかに若輩の30代だったから、ただ一生懸命務めるしかなかった。診察中にはゴルフや新聞の社会面など政治から遠い話題をよく振りました。でも遠慮せず、主張すべきことを主張するため、総理の政治信条、交友関係は常に把握しておきました。鈴木さん、中曽根さんとも、睡眠不足であろうとどうってことないし、食が細くなることなどありえなかった。基本的な体力の強さは感じました。

──大物政治家は自分の病を隠したがりますが、医師の立場から病気情報の公開についてはどう考えますか。

■与謝野馨前官房長官ががん手術を公表したり、開示する傾向にはありますが、大体開示するのは治癒の見込みが立つ人。昨年、がんの免疫療法を施行したが死去された亀井善之元農相の場合、最後までご家族は病名を伏せられました。こういう時の主治医はつらい。インフォームドコンセントが世の中の進歩のようにいわれます。告知したほうが医者は楽ですが、患者さんが冷静に治療法を選択するゆとりがあるか?首をかしげたくなります。

──ストレス対策を含め首相の健康管理への注文は?

■健康にビクビクしていては政治力も発揮できないから、すべて任せられる主治医と親密にし、万全な体調維持に努めていただきたい。どんな激務でも心のゆとりを失ってはいけません。総理になる政治家は背伸びすることなく、ひざを少し曲げ、腰をかがめて余力を持ったような人がいいですね。

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

社会的責任のマーケティング―「事業の成功」と「CSR」を両立する
社会的責任のマーケティング―「事業の成功」と「CSR」を両立するフィリップ・コトラー ナンシー・リー 早稲田大学大学院恩藏研究室

東洋経済新報社 2007-08
売り上げランキング : 9638

おすすめ平均 star
star分類のネーミングに難

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

社会的責任(CSR)経営と事業の成功を両立させるには、何が大切なのか。現代マーケティング論の第一人者として知られるコトラーが、CSRを実践するための戦略的アプローチを、豊富な事例とともに解説する。IBM、GE、マクドナルドなど数多くの企業実務家からのヒアリングをベースに、マーケティング視点からCSRの“実践論”を多角的に掘り下げている。

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

偽装雇用―立ち上がるガテン系連帯 (シリーズ労働破壊 1)
偽装雇用―立ち上がるガテン系連帯 (シリーズ労働破壊 1)大谷 拓朗 斎藤 貴男

旬報社 2007-08
売り上げランキング : 46094

おすすめ平均 star
star新時代の労働運動
starぜひぜひお勧めします

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

日研総業ユニオン、フルキャストセントラルユニオン、日立製作所マイクロデバイス事業部、日産自動車派遣ユニオンと、現場の生々しい「派遣」の実態がこれでもか、と出てくる。日本の経済成長の舞台裏が裸にされる。それにしても労働者派遣法の原則自由化というのは、こういうことだったのか、と驚く。タコ部屋、集団就職の時代とどこが違うのか、と。ぜひ一読を。

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

お節介なアメリカ (ちくま新書 676)
お節介なアメリカ (ちくま新書 676)ノーム・チョムスキー 大塚 まい

筑摩書房 2007-09
売り上げランキング : 3373

おすすめ平均 star
starアメリカ社会の病巣の深さ
star包丁を持つ「手」

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

現代言語学の最高峰、チョムスキーがニューヨーク・タイムズ通信社を通じて世界に配信した評論集。米主要メディアは一切掲載しなかった。イラク戦争は石油支配を狙った米政権の陰謀で、ブッシュ政権は核戦争への道を突き進んでいる、という内容が全米の有権者には刺激が強すぎるからという理由らしい。「これが日本のボスだ!」という帯の文句が生々しい。

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)
八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)逵 日出典

講談社 2007-08-17
売り上げランキング : 13668


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

元寇などの国家危機に大きな役割を果たした八幡神は大分県・宇佐に祀られた新羅の神がもと。僧、法蓮が山岳宗教として体系化し、源氏の鎌倉政権の守り神となり、武家社会に急速に広がった。石清水八幡宮、鶴岡八幡宮、宇佐八幡宮の威力は全国を覆う。日本文化の源流の謎に迫った力作。本地垂迹説、反本地垂迹説を分析、国家神道を考えるヒントも満載だ。

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

ユーロへの挑戦
ユーロへの挑戦ハンス・ティートマイヤー 国際通貨研究所 村瀬 哲司

京都大学学術出版会 2007-09
売り上げランキング : 190114


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

立役者が語るユーロ誕生の舞台裏

ハンス・ティートマイヤーは国際金融の世界で伝説の人になりつつある。欧州のテクノクラートの特徴でもあるが、その活躍の期間は極めて長かった。1962年にドイツ連邦経済省に入省しているが、82年には大蔵省次官に転じ、7年間次官を務めたあと、93年にドイツ連邦銀行総裁に就任している。80年代、90年代は欧州統合の財政・金融部門の立役者として活躍し、G5・G7でも中心的役割を演じている。

『ユーロへの挑戦』(京都大学学術出版会、2940円)はそんな彼の著作の最新翻訳書。端書きで行天豊雄元財務官がG5の仲間だったと述べているが、実は、評者が財務官だった時もG7の長老的存在であった。

本書はユーロ創設の中心的役割を果たした人の、いわば究極のインサイダーのメモワールだが、政治家のそれとは違い、極めて淡々とした書きぶりである。しかし、70年のヴェルナー報告、89年のドロール報告、そして92年のマーストリヒト条約という、いくつかの大きな節目を経てユーロが創設され、欧州中央銀行が組織されていくプロセスが生き生きと述べられている。

通貨統合と欧州中央銀行の創設については、当初から懐疑論が強く、90年代に入っても多くのエコノミストたち、特にアメリカの専門家は「絵に描いた餅」だと考えている人たちが多かった。

また、本書でも度々述べられているように、特にドイツでは欧州の最強通貨であるマルクを放棄し、それを支えてきたドイツ連邦銀行を事実上なくしてしまうことへの抵抗が強かった。にもかかわらず、ユーロは力強い歩みを始め、欧州中央銀行も期待された役割を十分果たしつつある。

この壮大で困難な実験を成功させたのは、政治家とテクノクラートの粘り強いリーダーシップだった。節目節目でのシュミット、ジスカール・デスタン、あるいは、コール、ミッテランなどの政治家たちの決断とリーダーシップ、そして強い信頼を受けて彼らを支えたテクノクラートたちとの連携プレーは誠に見事である。日本の政治家たちも、ただ役人を非難するだけではなく、将来を見据えて、テクノクラートをうまく使ってほしいものである。【榊原英資 早稲田大学教授】

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

信長は本当に天才だったのか
信長は本当に天才だったのか工藤 健策

草思社 2007-08-24
売り上げランキング : 10305

おすすめ平均 star
starどうも評価が極端過ぎる面もあるのでは
star世の信長イメージに対案を提供
starあまりにうがちすぎでは

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

信長天才説に冷や水を浴びせる

本能寺で非業の死を遂げた信長の、最期の状況を裏付ける発掘が、つい最近京都で行われた。現在の本能寺は秀吉による都市改造の結果、寺町通姉小路に位置するが、いわゆる本能寺の変の時の同寺は、はるか西南方の西洞院蛸薬師(京都市中京区元本能寺町)にあった。マンションの建設工事のため、旧同寺境内の東北隅を発掘したところ、L字型の幅6メートルの堀と高さ1メートルの石垣が現れ、堀のなかから「能」の字を刻した大量の焼け瓦が出土した(『京都新聞』8月7日付朝刊)。

信長は境内の東北寄りの一角を自分の在京時の“御殿”として接収し、屋敷を営んでいたことが明らかとなった。天正8(1580)年に信長が村井貞勝に命じて本能寺の普請を行ったことは『兼見卿記』や『信長公記』に記されていたが、今回その遺構が出土し、実地に裏付けられたわけである。

信長は全く無防備であったわけではなく、それなりの備えはしていたのだが、親衛軍(馬廻り)二千を御殿周囲に配置する用意はなく、遠く離れた妙覚寺近辺に嫡子信忠の備えとして居らしめており、肝心の信長の防御にはまるで役立たずであった。このように信長の軍事指揮ぶりは最後まで間の抜けたチグハグさが目立つ。

工藤健策著『信長は本当に天才だったのか』(草思社、1680円)は、軍事指揮者としての信長を桶狭間から説き起こし、美濃攻略戦、上洛戦、金ヶ崎・姉川の戦い、三方ヶ原、浅井・朝倉攻め、長篠、一向一揆殲滅戦、武田征討、本能寺と、各戦争にわたって通観、分析し、信長用兵の月旦を試みている。その結果、信長は決して大天才などではなく、挫折と試行錯誤を繰り返してきた男であると結論する。

著者は専門の研究者ではないが、その行論には首肯すべき点が少なくない。大体、近年の信長論は信長を天才扱いし、持ち上げ過ぎが多すぎるように思われる。ひいきの引き倒しというやつである。本書は世上の信長天才説に冷や水を浴びせる意図があり、俗悪な信長論への解毒剤の効用は認めてよかろう。ただ、桶狭間だけでなく、姉川、三方ヶ原以下の戦役にも、両軍の配置行動を示す地図が欲しい。【今谷 明 国際日本文化研究センター教授】

■2007/10/16, 毎日エコノミスト

Edit

 
Copyright (C) 2004-2006 Ambitious Kanda, All Rights Reserved.