メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2008年4月13日~4月20日
| 幸運な宇宙 | |
![]() | ポール・デイヴィス 吉田 三知世 日経BP社 2008-02-21 売り上げランキング : 120 おすすめ平均 ![]() すっきりとまったりと二つの面から宇宙を解説Amazonで詳しく見る by G-Tools |
おばあさんは2人。ひいおばあさんは4人。「ひい」が九つ並ぶおばあさんなら千人を超す。そのなかの1人が、ちょっとだけ面食いで「ひい」が九つ並ぶおじいさんを拒んでいたら、今のこのワタクシはいなかった。
考えてみれば、ワタクシって危うい。
その危うさは宇宙だっておんなじ。この本は、そこのところを突いてくる。
一例を挙げよう。星々の核反応の様子が少しでも違っていたら、宇宙のなかに炭素はこんなにできず、地球上の生き物も人もワタクシも生まれなかっただろう。原子核で働く力のさじ加減は絶妙なのだ。
なんで、こんなに私たちは幸運なのか。物理学者であり、物理読み物の書き手でもある著者は、その問いに真正面から向き合う。
一つの糸口は、多宇宙論だ。
宇宙は、この宇宙だけではない。数え切れないほどの銀河があるように、その入れものの宇宙もいっぱいある、という説である。
これを応援するのがインフレーション理論だ。経済の話ではない。宇宙の始まりに急膨張があったという学説をいう。その理論をさらに進めると、新しい宇宙が次から次に生まれ続けるという世界像も描きだされる。
もしそうなら、生き物に都合のよい宇宙もよくない宇宙もあるだろう。「自分たちが生物に適した宇宙に暮らしていることに気づいたとしても何の不思議もない。なぜなら、わたしたちのような観測者は、生物を生まぬ不毛な宇宙には出現しえないのだから」
人間原理と呼ばれる考え方だ。
無数の宇宙の一つに人がいてもいい。私たちは、偶然がもたらす「巨大な宇宙福引の当選者」だ――この「多宇宙論プラス人間原理」が幸運の謎解きの一つの答案である。
この本は、ほかの立場もずらりと並べる。
どんなさじ加減であれ、それをきちんと説明づける理論が見つかるはずだという「万物理論」派、だれかがこの宇宙を設計したのだとする「インテリジェント・デザイン(ID)」派。そもそもこの宇宙は仮想現実だとする「シミュレーション仮説」派……。
では、著者自身の考えはどうか。種明かしはやめにしよう。ミステリーのように読み進む楽しみがある本だからだ。
宇宙といえばスペースシャトルが思い浮かぶが、それはほんの庭先の話に過ぎない。
宇宙は、「ワタクシとは何か」という問いと直結する思索の舞台なのである。
その思索は、頭の柔軟体操にもなる。
たとえば著者は、学生時代にボールの飛距離計算をしていたとき、好きな女の子から言われた一言にこだわる。「どうして紙にいろいろ書いて、ボールがどんなふうに飛ぶかがわかるのよ?」。たしかに、宇宙の万物が数学の言うなりというのも不思議ではある。
ほかにも、物理の法則はひょっとしたら宇宙の一領域だけに通用する「条例」かもしれない、という見方などが紹介されている。
私たちは、凝り固まった近代科学観に縛られてはいないか。科学のことをもっと自由に考えてもいい。そう励まされる本だ。
| エクストラテリトリアル――移動文学論2 (移動文学論 2) | |
![]() | 西成彦 作品社 2008-02-21 売り上げランキング : 13526 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
政治的弾圧と逆境の中で人々が芸術を創造しうるとすれば、それは、おのおのの言語と文化を用いて、自分たちなりの自由を行使しえた時だ。これを、本書は文学における治外法権=エクストラテリトリアルな力と呼ぶ。
ここに挙げられたエクストラテリトリアルな作家の多くは、自虐的なユーモアやセルフパロディーをしたたかに発揮する。たとえば、ポーランドからアルゼンチンに亡命した作家ゴンブローヴィッチは、支配層が拵(こしら)えたマイノリティーのステレオタイプ像に対し、「擬装的な服従の姿勢をとって」逆に紋切り型を暴きだす手法をとる。
では、同じポーランド出身のコンラッドが創作に英語を選択したのはなぜか。『闇の奥』でも、ボルネオのオランダ人が無国籍化していく過程を描く『オルメイヤーの狂気』でも、グローバル化したはずの英語は、現地語を前に「局地的な死」に瀕(ひん)する。なるほど、こうして英語を優位に置くかに見えて、コンラッドは支配言語の世界での位置を測っているのだ。西氏の読みはいつもながら鮮烈だ。
イツホク・バシェヴィス(アイザック・シンガー)のようにイディッシュ語での創作を貫く作家もいれば、『ソフィーの選択』のスタイロンのように、英語では書きえないホロコーストの記憶をあえて英語で書く(その「書けなさ」を深く表現する)作家もいる。これらは、ドイツ人が英語を話す映画「シンドラーのリスト」の安直さの対極にあると、著者は指摘する。その一方、アルジェリアが舞台なのにアラビア語が一切出てこない『異邦人』の頑(かたく)なな単一言語使用には、確固たる意図を読むのだ。
著者はさらに、カフカの『変身』で虫の内面を語る語り手にも、「弱者を自己流に解釈するマジョリティ」の目線を感じる。この卓抜な解説にふれたとき、『変身』は孤独な生き物の声を再現する小説から、多数者の「早とちり」を暴く皮肉な滑稽(こっけい)劇へと引っくり返るだろう。その見えざる転覆を見てとるには、読者側にも治外法権的眼力が必要である。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】
| 叱り叱られ | |
![]() | 山口隆(サンボマスター) 幻冬舎 2008-02-07 売り上げランキング : 940 おすすめ平均 ![]() メインはゲストか山口か? すごいですよ。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
書店ではおそらく「音楽」「サブカル」の棚に並んでいるだろう。ロックバンド・サンボマスターの山口隆が敬愛する先輩たちを迎えた対談集である。ゲストは山下達郎、大瀧詠一、岡林信康、ムッシュかまやつ、佐野元春、奥田民生という錚々(そうそう)たる6人。しかも皆、1976年生まれの山口隆よりずっと年上――最年少の奥田民生でさえ1965年生まれ、最年長のムッシュかまやつに至っては1939年生まれなのである。
そんな偉大なる先達を相手に、山口隆はとにかく生意気である。笑い交じりとはいえ「岡林信康がそんなことでどうするんですか!」とハッパをかけ、大瀧詠一に「なんだよそれ」とツッコミを入れ、「ライターに責められてるみたい」と山下達郎を苦笑させて……。
ところが、その生意気さが逆に、取材慣れしているはずの大御所たちの心を開く。「君を見てたら、つい心を許しちゃってね」と大瀧詠一が言い、奥田民生が「ほんとにうっとうしいよ」と笑うのは、山口隆の生意気さがゲストに対する「好き!」で貫かれているからだ。山下達郎への「僕は好きだから言っちゃうんですよ」の言葉に嘘(うそ)はないし、それは他のゲストにもあてはまる。トリビュートだのリスペクトだのといった近ごろ流行(はや)りの横文字からはあふれ出てしまう、過剰なまでの「好き!」があるからこそ、山口隆の言葉は無礼ではあっても非礼には響かない。問いかける内容も、ゲストをたじろがせるほどの接近戦となる。そして、大御所たちもその思いに応えて、時にはおとなげなくムキになってまで、心情を吐露するのだ。
〈とにかく断絶をなくしたいんだ〉と山口隆は言う。〈その素敵(すてき)な行為の一つとして、この本を出すことにしました〉と、いきなり丁寧な口調になって言う。そうか。世代や文化の断絶を打ち破るのは、暑苦しいまでにまっすぐな――サンボマスターの曲のように一途な思いなのかもしれない。書店に「コミュニケーション」の棚があるなら、ぜひ、そのど真ん中にうっとうしく並べていただきたい。【評 重松清(作家)】
| 母に歌う子守唄 その後 わたしの介護日誌 | |
![]() | 落合 恵子 朝日新聞社 2008-02-07 売り上げランキング : 2162 おすすめ平均 ![]() 7年間の愛情こもった介護記録は、多くの教訓と示唆を含んでいる。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
母への愛に満ちた献身と奮闘の記録
介護の渦中にあった頃は、介護体験の本を読むのはつらかった。自分の中がもういっぱい、いっぱいで、入る余地はありません、という感じ。
でも、長い介護の日々に終止符が打たれてしまったら、どっかがぽっかり空白状態で、さびしくてたまらない。
そんなこともあって、引き寄せられるように手にとって読んだのが本書である。
著者の既刊本、『母に歌う子守唄(うた)』の続編で、在宅で母を看取(みと)ることとなった3年余りの介護の日々が綴(つづ)られている。
母の眠る部屋の室温や湿度に目配りをし、体温の上下に一喜一憂し、スプーン1杯の美味(おい)しいもののために奮戦する。配慮のない医者の言葉に憤慨し、花が咲いたと言っては寿(ことほ)ぎ、今日のお天気が素敵(すてき)だから、と言っては元気を取り戻す……。
著者の母への愛に満ちた献身の介護記録である。
仕事と介護を両立させるべく奮闘する著者の日常のひとコマ、ひとコマが、丁寧に選ばれたあたたかな言葉で描かれている。読んでいると、読み手の私の介護の日々もまたいきいきと蘇(よみがえ)っていく。母の口元から不意にこぼれ出た言葉とか、笑わせようとわざと道化て見せるたびに父の見せた微笑など。
そう、振り返れば、著者の語るようにそれは濃密な日々だった。
介護をしながら、実は母や父に支えられていた。共にいることで愛をもらい続けていた。つらさも悲しみもひっくるめて、生きることの意味も、老いることの意味も教えられた……。そんな思いがふつふつと湧(わ)いてきて、思わず涙がこぼれてしまうのだ。
私は著者のように在宅での介護をやり通せなかった。ちょっとの努力だったのに、ああもしなかった、こうもできなかったと悔恨は尽きない。けれど、本書によって、親の最後の人生に寄り添えた時間が、どれほど自分にとってかけがえのないものであったかを思い出させられた。
この本なら大丈夫。介護中の疲れた人を励ましてくれる。介護後遺症に陥った人をきっと癒(いや)してくれるだろう。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】
| ジャズの巨人たち | |
![]() | スタッズ・ターケル 諸岡 敏行 青土社 2008-02 売り上げランキング : 2863 おすすめ平均 ![]() これぞ「ジャズ」の巨人たち!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
数々のノンフィクションで知られ、『よい戦争』でピュリツァー賞を受賞したジャーナリスト、スタッズ・ターケルによるジャズミュージシャンの評伝である。本書は1975年に出た改訂増補版の復刊を翻訳したものなので、古いといえば古いが、逆に、75年時点での情報が新鮮なまま残っているとも言える。
デューク・エリントン、ジョン・コルトレーンなど誰もが知る巨匠から、ビックス・バイダーベックなど、さほど知られていないかもしれないミュージシャンまで13人を取り上げているが、かかわりのあったミュージシャンやプロデューサー、評論家なども多数登場して、ジャズ界の相関図を垣間見ることができる。また、ジョー・オリヴァーがルイ・アームストロングを実の息子のように支援したとか、ビリー・ホリデイがベッシー・スミスに強くあこがれていたことなどを強調し、ジャズの大きな流れを描いている。
訳者あとがきによると、事実関係に関しては多少おおらかなところもあるようだが、ターケルの筆致そのものにジャズ演奏のような趣があり、語り口の妙味を楽しめる。音楽にのめりこみ、音楽に生きた人々の人生は、時に悲劇的だが、その肖像に心洗われる思いがする。こんな本が一家に一冊あってもいいと思う。【評 常田景子(翻訳家)】
| ロハスビジネス (朝日新書 97) (朝日新書 97) | |
![]() | 大和田 順子 水津 陽子 朝日新聞社 2008-02-13 売り上げランキング : 1350 おすすめ平均 ![]() ロハスビジネス、気づきの書 前著お持ちの方は買う必要はないです 直感に導かれAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「ロハス」については全く対照的な二つの見方があるだろう。一つはそれを「健康と環境、東洋医学等をつなぐ新しいライフスタイル」として肯定的にとらえるもの。もう一つは「アメリカ出自の、マクドナルドを片手にサプリメントをとるような、人為的で階層化された消費の一形態」として疑問符をつけるもの。私は基本的に後者に近いが、しかし本書はそうしたものを超えたロハスの可能性を示唆する内容となっている。
本書の著者は、日本に初めてロハスを紹介したことで知られるマーケティングの専門家と地域再生コンサルタント。ロハスビジネスを(1)経営戦略型、(2)ミッション型、(3)フロンティア型、(4)独立起業型に分類しつつ今後の展望が論じられる。扱う領域は多様で、有機農産物の宅配に関する「大地を守る会」など社会起業家的な試みも幅広く紹介されている。特にロハスを地域活性化やコミュニティー再生と結びつけて論じているのがユニークで印象的だ。
ロハスに可能性があるとすれば、健康や自己実現といった「個」のレベルに完結して考えられがちな課題を、コミュニティーや自然といったより大きな文脈につないでいくことにこそあるだろう。そしてそれを「ロハス」と呼ぶかどうかは、各人の好みの問題であるように思われる。【評 広井良典(千葉大教授)】
| 刈りたての干草の香り (論創海外ミステリ 74) | |
![]() | ジョン・ブラックバーン 霜島 義明 論創社 2008-02 売り上げランキング : 5020 おすすめ平均 ![]() そこはかとなくマタンゴな香り 著者の再評価を熱望させる高い完成度の傑作モンスター・パニック小説。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
B級だけど傑作、50年経て新鮮
「早過ぎた才能」という言葉がある。もっとも実際には“今読むには遅過ぎた”才能でしかないものが大半だが。
しかし、世の中には本当にその登場が早過ぎて、この現代まで真の評価を待っていた作家というのがいる。デビュー作である本書が刊行50年目にして翻訳されるジョン・ブラックバーンは、まさにそんな人物だ。旧ソ連との冷戦状況やナチの亡命者などが登場する設定はさすがに古びているが、メーンとなるアイデアは、まるで昨今のホラー映画やゲームの原作と言われても通るほど斬新である。逆に言えばブラックバーンの作品が受け入れられるには、サブカルチャー文化が浸透し、B級ホラーや怪奇ファンタジーにわれわれがなじむまでの土壌整備期間が必要だったのだ。
そして、そんなB級的設定を、確かな構成力と抑制された描写力が支えている。たとえばクライマックスで描かれる“恐怖”の存在の描写を、スティーブン・キングやD・R・クーンツの饒舌(じょうぜつ)と比べてみるといい。これは怪談ばなしの本場である英国の、“本当に怖いところは読者の想像にまかせる”という伝統に裏打ちされた高度なテクニックなのだ。かつて創元推理文庫で彼の本を追いかけていたオールドファンには感涙、若い読者には新鮮な驚きを与えるであろう傑作ホラーである。【評 唐沢俊一(作家)】
| 葬儀の植民地社会史―帝国日本と台湾の〈近代〉 | |
![]() | 胎中 千鶴 風響社 2008-03 売り上げランキング : 19726 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日常の悲しみにも「日本式」を強制
親しい身内の葬儀に外部からあれこれ介入されるのは、愉快なことではない。死者をどのように弔うかについては、遺族に独自の価値判断があるからだ。しかし植民地統治下の台湾では、日本の官憲によって葬儀の「風俗改善」が奨励され強制された。本書はそれが現地で、どんな軋轢(あつれき)を引き起こしていったのかを明らかにしたものである。
著者によれば伝統的な台湾の葬儀は、次第に腐敗し異臭を放つ死体の穢(けが)れへの対抗手段という観点を重視したものであったという。つまり葬儀とは、遺体を重厚な棺に納め、女たちが号泣し、棺を自宅や寺廟(じびょう)にとどめて時間をかけて良い埋葬地を選ぶという、「正しい」葬り方をするもので、それによって遺族や共同体が災いを免れ、幸福を招くものと考えられていた。
しかしそれは植民地当局から見れば、非衛生で無知な改善すべき「陋習(ろうしゅう)」であった。死体は衛生上の観点から火葬にし、遺骨を当局が公認の墓地に速やかに埋葬すべきものであり、号泣を含むにぎやかな葬列などは虚栄心に満ちた非文明の象徴だった。葬儀を「日本式」にすることは、葬儀を近代化することと同じとされたのである。
こうした葬儀の「風俗改善」を進んで実行しようとしたのは、地域の支配者層であった。さらに第1次世界大戦後の民族運動家も、新式の葬儀を考案し実行した。しかしその試みは広まらなかったという。こうした中で1936年から始まる台湾の皇民化運動は、伝統的な葬儀を排斥し、「日本式」の葬儀を強制していくのだった。
都市化の進行によって、台湾の葬儀の伝統は変化を余儀なくされる面があった。しかし異民族の風習が植民地下で強要されることは、台湾人の心に深い葛藤(かっとう)や亀裂を生み出すものだった。葬儀のあり方には、その社会の価値観が集積されており、そこには遺族の悲しみも込められているからである。日本の植民地当局の進める近代化とは台湾人にとっては何だったかを、葬儀という日常の生活意識を通して解明しようとした、これまでにない力作である。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】
| 恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた | |
![]() | ピーター D.ウォード 垂水 雄二 文藝春秋 2008-02 売り上げランキング : 242 おすすめ平均 ![]() 呼吸が動物の進化を規定したのだ!? 仮定、仮定、仮定~裏付けデータは何処に ? 酸素! 酸素! 酸素! 酸素古生物学Amazonで詳しく見る by G-Tools |
薄い酸素濃度の中、生き延びようと
近年、生命進化や私たちの健康に関して、酸素の果たす役割が熱い注目を集めつつある。酸素は近くの物質とたちまち反応して錆(さ)びつかせる性質があり、もともと生物にとっては危険きわまりない猛毒であった。しかしその反応性の高さゆえに大きなエネルギーを生み出せる。その酸素を取り込むエネルギープラントとなったのが、私たちの体内でも活躍しているミトコンドリアだ。私たちの祖先はミトコンドリアと共生することで好気性生物への道を進み、酸素と闘いながら多くのエネルギーを得て動き、考え、やがて海から陸へと上がっていった。しかしいまだ酸素は危険な物質であり、体内で活性酸素となって私たちの病気や老化を引き起こす。
本書は恐竜が鳥に進化した理由だけを書いた本ではない。地質学や古生物学などさまざまな成果から地球の歴史を振り返り、海中や大気中の酸素濃度がこれまで劇的な変化を続けてきたことを示し、そのような環境が生物の体の設計図(ボディー・プラン)に多大な影響を与えてきたことを述べているのだ。鳥類は人間よりはるかにエネルギー変換効率のよいミトコンドリアを持つ。だが古生物学者である著者は鳥の効率のよい気嚢(きのう)のかたちに着目し、当時の大気酸素濃度が薄かったため、その過酷な環境で生き延びようとした鳥類の姿を見る。
ミトコンドリアと酸素の視点から生命進化について詳細な考察を試みた本にニック・レーン『ミトコンドリアが進化を決めた』があるが、本書『恐竜は…』がおもしろいのは細胞レベルよりも生物のボディー・プランを重視して、酸素を吸って吐く器官の構造に焦点を当てていることだ。エラや軟体動物の殻の形状がどのようにしてできたのか。イカ、二枚貝、ホヤ、昆虫などの呼吸システムが当時の環境に応じてどのようにつくり上げられたのか。どうして温血動物が生まれたのか。著者は地球史に沿って検討を重ねてゆく。邦訳版に付された図表も理解を助ける。
レーンの本との併読がお勧め。生命進化の驚異の歴史をより立体的に楽しめる。【評 瀬名秀明(作家)】
| 漫画ノート | |
![]() | いしかわじゅん バジリコ 2008-01-25 売り上げランキング : 1302 おすすめ平均 ![]() 12年分の「漫画ノート」 感動です!! 12年分の厚みAmazonで詳しく見る by G-Tools |
いしかわじゅんは、線にこだわる。この本の表紙と各章の扉も、自身の手になる、ほのぼのとしていながら、輪郭をはっきりと表した線描画で飾られている。
少年漫画から劇画やレディースコミックに至るまで、たくさんの漫画を論じた、著者としては12年ぶりの評論集である。分析の切り口は、物語や人物設定から、出版の業界事情にも及び、実に数多い。
巷(ちまた)にあふれる漫画評論に比べて独特なのは、実作者としての長い経験が、語りのそこかしこに反映していることである。辛辣(しんらつ)な批評については、同業者から非難も受けたという。
だが、そういう声を招きよせるのも、いしかわが、作品にまっすぐにむきあいながら、自分だったらこう描く、とか、ああすればいいのに、と、作者になったつもりで評価を下しているせいだろう。その言葉に、よけいな遠慮や、尊大な説教はない。
線の引きかたへの注目も、そうした姿勢の一環である。作者は、どんな手つきで、どんな道具を使って、この線を引いているのか。紙にインクを刻みつける動作を想像するところから始まって、作者の人間性にまで洞察が及んでゆく。
辛口批評なるものをもてはやす風潮が、いま世間にはある。漫画家の作画方法をきびしく論じる、この本についても、そう呼びたがる人が出てくるかもしれない。
しかし、そうした浅薄な技術批評に陥っていないのは、作品が人間をどう描いているか、そして作者の人間性がどう表れているかについて、著者が生き生きとした関心を持ち続けているせいだろう。とりわけ、挫折したり、描けなくなったりした作家に注ぐ視線は、冷静でありつつ、とことんやさしい。
藤子・F・不二雄の逝去にさいして書いた一編の末尾にはこうある。「彼の生み出したものは、この先も生き続けるだろう。/それは、彼が漫画と漫画の力を信じていたからだ」。この言葉にはげまされて、読者もまた、おもしろい作品を探しに本屋へむかうのである。【評 苅部直(東京大学教授)】
| イヴァン・ツァンカル作品選 | |
![]() | イヴァン・ツァンカル イヴァン・ゴドレール 佐々木 とも子 成文社 2008-03 売り上げランキング : 3364 おすすめ平均 ![]() 炎の人 私は「正義」の味方Amazonで詳しく見る by G-Tools |
強靱な意志力で求め続けた「正義」
イヴァン・ツァンカルは19世紀末から20世紀初頭に生きた、中欧の国スロヴェニアの作家である。本書には掌編と長編が一つずつ収録されたが、長編「使用人イェルネイと彼の正義」は日本語では初めての翻訳出版であり、ツァンカルという作家が日本で本格的に紹介される最初の機会ではないかと思われる。
本書の一番の特色は画家を起用しての本作りだろう。170ページ余の本には20枚を超える数の挿絵が載せられている。一般に挿絵は読者のイメージを限定する危険があり、嫌われることが多い。けれども本書の作り手たちは、あえて訳文と挿絵の協働でもって作品世界を再現―再創造し、読者の想像力に働きかけようと企(たくら)んだ。その狙いは平明な訳文が醸し出す童話的な雰囲気のおかげもあって、成功している。
もっとも物語の中身は、童話がときに残酷な内容を含むのだとしても、童話的というのにはほど遠い。長年主人の下で働いたイェルネイは若主人から追放される。畑も家も自分が働いて作ったものなのに、なぜ追い出されねばならぬのか。イェルネイは正義を求めて放浪する。村長に会い、町の裁判所を訪れ、最後にはウィーンの都に出て皇帝に問おうとする。だが、行く先々でイェルネイは嘲弄(ちょうろう)され、年寄りは主人に慈悲を請うて家に置いてもらうべきだと諭(さと)される。正義とは、所有する人間、支配する人間にとってのみ正義にすぎないのだと、リアルな認識を語る者にも会う。
だが、イェルネイは納得しない。真の正義を求め、ついには神に向かって正義はどこにあるのかと問う。このあたり、旧約聖書「ヨブ記」の反響が聴き取れるだろう。しかし「ヨブ記」とは違い、和解は与えられることなく、イェルネイは村に火を放ち、劫火(ごうか)のなかで虐殺される。
陰惨な話ではあるが、読後感は必ずしも暗くはなく、むしろ正義を求めてやまぬ主人公の強靱(きょうじん)な意志力が印象に残る。なにより、一編を通じて、「正義」という日本語が、より広い場所へと解き放たれた感覚が得られるのは、翻訳というものの一番の功徳だろう。【評 奥泉光(作家)】
| 温泉主義 | |
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温泉は苦手と自認する画家が、月に1度、夫婦で全国をめぐり、名湯を画題とする絵を描くことになった。本書は、その道中を語る画文集である。
一連の作品には、湯のまち独特の情緒、歴史や文芸、キッチュな博物館や名所風景、ご当地ゆかりの著名人の肖像など、思い浮かんだイメージが描きこまれていく。「なんだか子供の発想に近づいている」と自己分析するほど、古希を迎えてその表現はいっそう奔放だ。
画家は温泉地への旅を、能の舞台と重ねあわす。見知らぬ人物や亡霊と遭遇する状況が似ているというのだ。実際、異界にも足を踏みこむこともあったようだ。秋保温泉では騎乗した伊達政宗が川面を疾走する霊夢に驚き、石和温泉では食べ物のアレルギーで病院に担ぎこまれる。その経験が画題となる点が面白い。鎧兜(よろいかぶと)の武者の姿や自身が乗った救急車までもが絵画に登場するのだ。
他人の支配を受けず、やりたいことだけに時間を費やす、自分なりの「隠居」を画家は実践している。湯に身を癒やし、自由に絵を描く「温泉主義」の日々などは、その神髄なのだろう。「一日が未完で終わるように、人間の一生にも完成なんてないじゃないですか」という言葉に、その人生観が集約されている。【評 橋爪紳也(建築史家)】
| 言葉を恃む | |
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言葉への信頼感を「恃(たの)む」と、古風にきっぱりと表明したタイトルにひかれた。著者初めての講演録。小説でも評論でも文章では控えめな人が古典詩歌や野上弥生子、川端康成などを軸にしながら、思いを凝縮させて語っている。
冒頭の「私の広島と文学」は故郷での講演。16歳で被爆したあと、内にたまった「何かこなれの悪いもの」が、本居宣長の著述に出会って風穴ができた、とふりかえる。
「書きながら自分を探っていくということは、書きながらこの広い宇宙を探っていくことなんですね。分からないことがいっぱいなんです」
別の講演では、古今集の四季の歌は、自然の運行や宇宙の呼びかけに対し当時の歌人たちが歌で答えたのではないかと、魅力ある考察を語る。また、藤原俊成の亡妻を思う歌と与謝野晶子の鉄幹への挽歌(ばんか)に、「同じ一つの詩の言葉」をみつけ、時を超えた詩の流れを感じた話も興味深い。
書き言葉でも、話し言葉でも「言葉遣いを粗末にするということは、自分の生き方を粗末にすること」という信念が、凜(りん)として貫かれている。
薄っぺらな言葉がはんらんしている現代にあって、広島の焼け跡のなかで「芭蕉の不易流行の説」を卒論にした人の、揺るぎない姿勢が頼もしい。【評 由里幸子(前編集委員)】
| 小松左京自伝―実存を求めて | |
![]() | 小松 左京 日本経済新聞出版社 2008-02 売り上げランキング : 2002 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小松左京の未完の長編『虚無回廊』には「人工知能」ならぬ「人工実存」が登場する。彼らが宇宙へと乗り出し、次々と他の生命体に接触してゆくこの物語こそ、小松の「実存」にかける思いが炸裂(さくれつ)した傑作だ。人とは何者であり、どこへゆくのか。この根源的な問いに向かうため小説のみならず学問領域やメディアの創出にまで縦横にパワーを発揮してきた小松左京は「作家」という概念を広げたのだ。
これまで小松は何冊か自叙伝を著してきたが、本書はその総集編ともいえる内容だ。第1部は新聞に連載された自伝エッセー、そして全体の7割を占める第2部は小松自身が発刊してきた「小松左京マガジン」連載の解題インタビュー記事。その末尾には初めて小松が詳細に語った、大学時代の友人で作家の高橋和巳についての回想もある。
本書は確かに小松が書き、語った自伝なのだが、同時に小松から言葉を引き出し続けた小松左京研究会という“聞き手”たちの総決算でもあると感じられた。そして「最後に考察エッセイをやってみたい、宇宙にとって生命とは何か、知性とは何か。それから文学とは何か」と幾度も語り、生涯の大きな課題に意欲を燃やす小松の言葉が強く印象に残った。これこそ小松左京が発信し続けてきた「希望」だろう。その作品の刊行を心から待ちたい。【評 瀬名秀明(作家)】
| 戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった | |
![]() | イシメール・ベア 忠平美幸 河出書房新社 2008-02-12 売り上げランキング : 715 おすすめ平均 ![]() 戦争はしたくないAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「敵だから殺す」と自分に言いきかせ
ラップ大好きな少年が、音楽大会に出るため町に出かけた。ところが一帯は反政府ゲリラに襲撃される。家に戻ろうとしたが、あたりは死体だらけで家族の生死も分からない。どうすればいいんだろう。少年はあてもなく歩きはじめる。
西アフリカ・シエラレオネで93年、12歳のイシメールに実際に起きた事件である。
食べものを盗み、野宿しながら、やっと政府軍のいる村にたどりつく。しかしそこもゲリラに囲まれた。少年は自動小銃を渡される。お前の家族を殺した連中だ、やつらを皆殺しにしろ!
最初は引き金を引けなかった。しかし、1人を殺すとあとは平気になった。
目の前で人間の頭に穴があき、血が噴き出す。捕まえた敵ののどに銃剣を突き刺し、「鋸(のこぎり)刃を当てて回しながら」かき切る。敵だから殺さなければいけないんだ、と自分にいいきかせつつ。
この数年、子ども兵関連の本が相次いで出版された。しかし子ども兵本人が書いた本はこれが初めてだ。崩壊した国家で子どもたちに何が起きていたのか。その現実が本人の口から生々しく語られる。
私も数年前、シエラレオネで元子ども兵の取材をしたことがある。
ある少女は11歳の朝、登校した校門でゲリラに拉致され、兵士にされた。命令で、捕まった住民3人を目の前で射殺する。そうしなければ自分が殺されていたから。
イシメールに起きたことは、この国の子どもたちにはごくふつうに起きていたことなのである。
その後、イシメールはシエラレオネを脱出し、NGOのつてで米国に渡る。彼らの支援で大学に行き、この本を書いた。
記述は具体的だ。物語の展開にリズム感があり、読者はぐいぐいひきこまれる。大変なストーリーテラーの才能である。
こうした才能のある子どもたちの多くが兵士として殺され、または人を殺した悪夢から立ち直れないでいるのだろう。そんなことを思ってしまう本でもある。【評 松本仁一(ジャーナリスト)】
| 中国危うい超大国 | |
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権力の正統性に不安を抱く指導者
台頭する中国をいかに理解するか、世界にどのようなインパクトを及ぼすかという問題は、ここ十数年来誰もが大きな関心を寄せ続けてきた。著者は1980年代に専門家として頭角を現し、90年代後半にクリントン政権の国務次官補代理として対中政策に直接かかわってきた中国研究の重鎮である。評者も幾度か直接意見交換をしたことがあるが、豊富な情報と明晰(めいせき)な分析力による彼女の指摘には説得力があった。
本書もこうした彼女の本領がいかんなく発揮され、「中国を知る」ための大量の情報がうまく埋め込まれ、同時に「中国を理解する」ための著者の切り込みが新鮮であった。特に興味深かったのは以下の3点である。
(1)中国の「危うさ」である腐敗、格差、環境破壊、大衆騒乱などは今日広く知られ、本書でも具体的に紹介されているが、問題はむしろ指導者たちが自らの権力の正統性、党体制の存続に異常なほどの不安と恐怖を抱いていること、そのために軍依存を強め、また世論による非理性的なナショナリズムを阻止できない点にある。
(2)近年多国間外交、周辺外交、新安全保障観を強調し、「責任ある大国」を大いに意識するようになった。が、特に日中、中台、米中の関係は国民感情が絡み中国外交の最難題となっている。3者と中国の関係は「対米関係は面子(メンツ)と国益の問題、対日関係は愛国心の問題、台湾(独立)は共産党体制にとって死活の問題」と特徴付け、それぞれ1章ずつを設けて深い分析を行っている。最後に(3)民主化を経ないでも難局から脱する方策として、攻撃的なナショナリズムから友好的なそれへの転換、改革の受益者である地方幹部と民間経済人の外交政策決定への参与、軍への文民統制の強化、党のマスコミ統制の緩和などを指摘しており説得力がある。
ただし日中関係は「強い日本と強い中国」のにらみ合った現状からやがて、中国の強大さが明確になれば日中は良好になるとの中国人の言葉を紹介するにとどめている。日中理解の難しさの故か。【評 天児慧(早稲田大学教授)】





すごいですよ。


前著お持ちの方は買う必要はないです









