メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2008年2月17日~2月24日

大量虐殺の社会史―戦慄の20世紀 (MINERVA西洋史ライブラリー 76)
大量虐殺の社会史―戦慄の20世紀 (MINERVA西洋史ライブラリー 76)松村 高夫 矢野 久

ミネルヴァ書房 2007-12
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虐殺の隠蔽や相対化に対抗するには

世界のあちこちで、虐殺や大量殺戮(さつりく)が起こっている。その国の政府の弾圧だったり、戦争によったり。圧倒的な国家の犯罪を前に、看過してはいけない、事実を暴かなければならない、と考える。それは切実な思いだ。

歴史家が虐殺の事実を明らかにしようとするとき、二つの障害がある。加害者の国家による史実の隠蔽(いんぺい)と、記憶を重視し実証に懐疑的な歴史学による虐殺の相対化である――。

こう主張する『大量虐殺の社会史』が編まれた動機は、明確だ。近年のポストモダン的歴史学は、歴史的事実を究明不可能とする不可知論に陥ってしまい、国家による虐殺という史実を隠蔽するのに加担しているのではないか。改めて史実の実証分析に力点を戻し、記憶ではなく記録に基づいて虐殺を分析し、比較研究の俎上(そじょう)に載せ、生命の尊厳を守ることに寄与したい。こうした歴史家としての編者の意気込みが伝わってくる編著である。

そこでは、ユダヤ人へのホロコーストやポル・ポトの殺戮、ルワンダ内戦などがあげられているが、朝鮮戦争直後の米軍による韓国避難民攻撃や、クロアチアの対セルビア人虐殺など、知られざる事件にも光を当てる。

しかし、ここで拭(ぬぐ)えない疑問が起きる。誰がそれを虐殺と名づけるのか。誰がどの虐殺を暴き、どの虐殺を無視するのか。本書の目次を見ても、1982年のイスラエル軍によるサブラ・シャティーラの虐殺が入っていないとか、イスラエルの占領地パレスチナ人の扱いをどうするのだとか、英植民地下のインドに対するイギリスのさまざまな殺戮はと、記述されなかった虐殺に、むしろ目がいく。誰がどう記録するかという視点抜きに、史実だけを取り上げるのは難しい。

ある人々の死が不当なものだったという認識が、史実や歴史家や国家によって取り上げることすらしてもらえなかった場合に、ときとしてそれは私的報復を生む。報復する主体が貧しく、組織的バックアップがないほど、「貧者の空軍」、自動車爆弾が活躍する。

『自動車爆弾の歴史』は、自爆テロと一くくりにされやすい爆破事件の起源と背景を追っていく。米国のアナーキストが、映画「死刑台のメロディ」で知られたサッコとヴァンゼッティの冤罪に怒り、荷馬車に爆発物を積んで群衆に突っ込んだのが、自動車爆弾の走りだそうだ。イスラーム主義者の十八番のように言われる自動車爆弾が、実はイスラエルや米国の諜報(ちょうほう)機関が広めたものであること、爆弾の効果を確実にするために自爆というやり方を最大限活用したのは、スリランカの「タミールの虎」だったことなど、持たざる人々の反駁(はんばく)の手段としての乗り物爆弾が、グローバル化する過程を描く。

虐殺を止めるために、動かぬ証拠を確保する。史実をつきつけて加害者を罰しなければ、と思う半面、わかったところからのみ罰していけば、グローバルに隠蔽能力と価値体系を独占するものたちの犯罪は、最後まで暴かれない。虐殺認定を含む国際社会の認識の偏りが正されなければ、非国家主体による報復への流れは止まらない。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B) (集英社新書 426B)
新・都市論TOKYO (集英社新書 426B) (集英社新書 426B)隈 研吾 清野 由美

集英社 2008-01-17
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おすすめ平均 star
star都市開発の謎と課題に迫る一冊
star東京の現在、未来を語る興味深い本
star東京の大規模再開発の分かりやすい解説書

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隈研吾は自身の作風を「負ける建築」と呼ぶ。敷地や環境などの条件に抗(あらが)わず、諸般の制約をあえて逆手にとることで、独創的な造形をものにしてきた。

本書では建築家は、汐留・丸の内・六本木の超高層ビル群、さらには代官山・町田をジャーナリストと巡り、都市開発について対話を重ねる。彼らがそこに見いだした最大の制約は、グローバル化することで肥大化した金融資本のもと、投資家や事業者のリスク管理を最優先せざるを得ないという点だ。結果として、とても洗練され、居心地がよく安全だが、「で、それがどうしたの?」と思うような街区が出現した。

たとえば汐留については、「いわば、壮大なお勉強の場」であったと厳しい。広大な土地を分割、「羊羹(ようかん)」のような超高層ビルがならんだ。「ブランド建築家」が手掛けた個々のビルはいかに優れていても、全体の統一感はない。

対して、ひときわ太いオフィス棟を中心に、商業施設やホテル、放送局や住宅を円環構造にまとめた六本木ヒルズを「金融資本と人間の実態をつなぐ試み」と高く評価する。また低層の店舗と住宅の複合ビルを中心にコミュニティーが育まれ、大都会にありながら「村」のような様相を示す代官山にも好意的だ。

成熟期にある日本の都市では、ひとりひとりが「現実」に向き合うことが重要だと著者は考える。私たちは規制型の都市デザインを欧州から学んだが、誰もが抜け道を探すばかりで前向きな都市像を描けてはいない。米国に由来するテーマパーク型の街は、結局は虚構だ。官が誘導する上からの都市計画ではなく、誰もがみずからの生活をデザイン、その集積が都市の姿となる「逆向きの都市計画」に可能性をみる。

かつて大衆は「都市に行けば幸せになれる」という夢を摩天楼に託した。しかし今を生きる私たちは、超高層ビル街に「幸せ」を感じることができているのか。一読後、今後、日本人が創(つく)る都市の理想とはいかなる絵姿なのか、自らに問いかけた。

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」戸井 十月

小学館 2007-12
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昭和を元気づけたスーダラ男に学ぶ

……困った本を読んでしまった。つまらないのではない。きわめて面白い本なのだが、副作用がある。この本で語られている昭和という時代の魅力の反動で、自分がいま生きている現代が、何となく索漠として見えてくるのだ。

お前はノスタルジー系の本ばかり読んでいるからそうなのだ、と言われるかもしれない。しかし、読んでいて、たとえばこういう一節に出会うと、その通り!

と、膝(ひざ)を打たざるを得ないではないか。「昔の話を年寄りから聞く時、いつも思ってしまう。どうして、登場人物の殆(ほとん)どが綺羅星(きらぼし)の如(ごと)く個性豊かなのだろうかと。奇人変人がぞろぞろ出てきて、一人一人パワフルに輝いている」

2007年に亡くなった植木等の聞き書きからなる本書には、まさに、輝くばかりの才能と個性にあふれた当時の奇人たちのエピソードが目白押しだ。バンドマスターなのに、ある日突然メンバーに、“辞めさせていただきます”と言っていなくなってしまった萩原哲晶(はぎわらひろあき)、所属タレントの給料を払うためポーカーをやって稼いでいた渡邊晋(わたなべしん)、飼っているオオコウモリの小便する姿を見せるためだけに仲間を家に呼んだ谷啓……。

そういう奇人たちの中心で最も大きく輝いていたスターである植木本人は、酒も飲めず、大ヒットした「スーダラ節」を、“こんな歌がヒットするようじゃ日本はおしまいだ”と本気で思っていたというまじめ人間であることがまたおかしい。もちろん、舞台の本番中に3階席の観客と会話してしまって演出の菊田一夫を激怒させるC調さも十分持ち合わせているのだが。

ヒット曲「だまって俺(おれ)について来い」の“そのうちなんとかなるだろう”という無責任な歌詞は植木があの底抜けの陽気さで歌ったとき、昭和の日本人を大きく元気づける文句となった。平成にも無責任な言は多いが、どこかスケールが小さく姑息(こそく)である。その差は何なのか。過去を語った本を読む意義は、“いま”をもう一度考えなおすその手がかりを、過去から得るところにある。素直な気持ちで植木等に学んでみたい。【評・唐沢俊一(作家)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

サムライの書斎―江戸武家文人列伝
サムライの書斎―江戸武家文人列伝井上 泰至

ぺりかん社 2007-12
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太平の世に「サムライ達の物語群」

江戸文学は町人文学だという通念が固定してから長い歳月が経(た)っている。古典文学全集でも文学史でも、わざわざ設けた別枠で客分として扱われる状態が続いていた。

しかし、この時代に支配層の地位を占めていた武士に見るべき文業がなかったということはあり得ない。存在しないのではなく、見落としていたのではないか。本書は、江戸文学研究の《空白域》に進んで鍬(くわ)を入れた意欲的な評伝八篇(へん)の集成である。

主たる対象に選ばれるのは「戦前の有朋堂文庫には入っても、戦後の岩波古典文学大系には入らなかった」近世の軍記や武将評判などの著述である。たとえば軍学者植木悦(えつ)の『慶長軍記』、旗本小林正甫(まさとし)の『織田軍記』、福岡藩士宮川忍斎の『一谷報讐記(いちがやほうしゅうき)』、幕末志士岡谷繁実(おかのやしげざね)の『名将言行録』等々の作品。

著者は、江戸時代に大量に生産された軍記・武将伝の類(たぐい)を一括して「サムライ達(たち)の物語群」と呼んでいる。太平の時代に官僚化した武士も、いざという場合に出処進退を潔くすべしという理念から逃れられない。数々の武家説話は、そうした当為規範と自己規定の根元を絶えずリニューアルする精神的な需要に応じる作品と捉(とら)えられる。

ただし、それら戦場の「物語」は、更新する側の時点と立場によって個別に修正・増補・歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)・秘匿といった編集が加わるのは避けられない。関ケ原合戦や赤穂事件のような微妙な話題には適宜オブラートをかぶせたり、創作した先祖の武勲をこっそり忍び込ませたりして、自己の「物語」を重層させる。

そのダイナミックな過程をたどる方法は手堅いし、またその一方で、ストーリーテリングに教訓や政治論が混入する雑種性が現代における司馬遼太郎文学の系譜に通じていると見通す構図は斬新だ。

主人公たちの多くは、太平無事の世に軍事を語る武士だった。その生き方自体のアイロニーがもっと持ち味に出せたらと思う。『折たく柴の記』で語られる新井白石の「下半身」は、折り目正しい裃(かみしも)を脱がせきれず、まだ上半身だという気がしなくもない。【評・野口武彦(文芸評論家)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

阪急電車
阪急電車有川 浩

幻冬舎 2008-01
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おすすめ平均 star
star有川さんの最高傑作、出ました!
star書きたいものを書く潔さ
star電車女?

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先月、集中講義で関西出張し、毎日のように、梅田から阪急電車を利用した。その車中、何の気なしに本書をめくったところたちまち引き込まれ、淡路駅で京都本線から千里線へ乗り換えるのを忘れてしまった。

本書が扱うのは阪急今津線の宝塚駅から西宮北口駅までのたった八つの駅、片道ほんの15分の道程にすぎない。だが、その往復から16の部分的に絡み合うエピソードを紡ぎ出し、さいごにはほのぼのと心温まる印象をもたらすのだから、何という手練(てだ)れだろう。

とくに強烈なのは「宝塚南口駅」で乗る、婚約者を同僚に奪われながらも彼らの結婚式に新婦以上に派手な純白ドレスで乗り込み「討ち入り」を遂げる女や、「逆瀬川駅」で彼女に助言する老婦人、はたまた折り返し地点の「西宮北口」でブランドバッグを放り投げ席取りする中年女性たちの物語だろうか。しかしそれら全体をくるむかたちで、中央図書館で顔見知りだった若いふたりが、車中ふとしたことで会話を交わし愛を育てていく物語が入るのは、まさに『図書館戦争』シリーズ著者の面目躍如。「人数分の物語」を乗せて走る路線自体が「人」「生」の二文字を含むことに気づかせる仕掛けにも、舌を巻く。【評・巽孝之(慶応大教授)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

歴史を記録する
歴史を記録する吉村 昭

河出書房新社 2007-12
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おすすめ平均 star
star歴史への多面的切り込み

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歴史を研究する者として私が常に心がけているのは、厳密に史実を確定することだ。史料を丹念に発掘、分析し、従来知られてこなかった、または既に忘れ去られた事実を復元する。新しい史実を見いだした時、しばしば切に思う。「事実は小説より奇なり」と。

しかしこの言葉は、吉村昭の小説には当てはまらない。吉村文学は、史実の確定に徹底的にこだわり、虚構を排したところに成立しているからである。吉村の生前の対談を編んだこの本を読むと、彼が並の研究者など寄せつけないほど、史実の探求に大きな精力を注いでいたことが分かる。

例えば吉村は、『桜田門外ノ変』の執筆にあたり、恐るべき執念で、当日の雪が何時にやんだのかを探り当てている。対談者の一人・永原慶二は、こういった成果を「歴史家の仕事」と絶賛している。

城山三郎との対談も興味深い。同年生まれで末期戦中派に属する二人は、終戦前後の価値観の激変を冷静に受け止め、客観的な視点から、戦前の政治や社会を小説として描いた。対談から、二人の歴史に対する真摯(しんし)な姿勢が浮かび上がる。

吉村文学ファンのみならず、広く歴史に関心を持つ読者にお薦めしたい一書である。【評・奈良岡聰智(京都大学准教授)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

心眼で射止めた金メダル―小林深雪と日立システムスキー部の挑戦
心眼で射止めた金メダル―小林深雪と日立システムスキー部の挑戦宮崎 恵理

新潮社 2007-12
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06年3月に開かれた第9回冬季パラリンピック・トリノ大会には、39の国と地域、474人が参加。本書の主人公・小林深雪(みゆき)(現在は井口姓・34)も、参加者の一人だった。

98年長野大会での「金」メダル獲得によって彼女は、続く02年ソルトレーク大会でもメダルを期待される。だが結果は6位。周囲の必死さとは裏腹に、日本代表としての態度は“天然”。中途半端とも言われた。

脱皮のきっかけは、日立システムアンドサービスによる先駆的なスポーツ支援による。先天性の視覚障害者である深雪選手にバイアスロン競技でのメダルを狙う環境が一気に整っていく。合併に伴う2部上場という好機を逃さなかった監督の荒井秀樹(53)ら中高年世代の行動力もこの本で活写されるもう一つの魅力だ。障害者スポーツを個人負担で取材し続ける著者の宮崎に対しても雑誌「ターザン」が連載というかたちで応えた。

そして迎えるトリノでの大団円――。主人公の競技への専心と選手の前を走るガイドに代表される支援の輪がついに実を結び、何度も心が洗われた。「晴眼」「健常」とは実は名ばかり。ものを見る眼(め)が魂にあることを私たちはこの労作で強く知らされることになる。【評・佐山一郎(作家)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

狼たちの月
狼たちの月フリオ・リャマサーレス 木村 榮一

ヴィレッジブックス 2007-12
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おすすめ平均 star
star死を相手に長い戦いを続けている今では、静寂こそがぼくの最良の盟友なのだ

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物語は、フランコが軍事蜂起してスペイン内戦が始まった年の翌年、1937年に始まる。時代背景についての前書きで、主人公たちが敗走する人民戦線派の闘士であることが分かる。

闘士とはいえ、もとはごく普通の労働者たちである。彼らは狼(おおかみ)のように狩られ、信頼できるごくわずかな人々に支えられ、闇に潜み、「死者たちの太陽」と呼ばれる月を仰いで逃亡生活を続ける。39年、フランコ軍がマドリードを占領し内戦の終結を宣言したが、主人公たちは、相変わらず潜伏を続けなければならない。捕らえられれば、拷問の果てに殺されて道端に捨てられるしかないからだ。生き延びるために犯罪にも手を染め、可能な時には報復さえする。そして仲間が1人また1人と死んでいく。

作者は55年生まれというから、フランコが死んだ年に成人したことになる。内戦時代を生き抜いたわけではないが、それだけに、内戦時代の記憶を風化させたくないという思いが、この作品を書かせたのだろう。今も山の中に永遠に眠っている人々がいると著者は書いている。凍(い)てつき澄み切った空気のような文章が、極限状況で必死に生き延びようとする人間の命を鮮やかに浮かび上がらせる。【評・常田景子(翻訳家)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

クレーメル青春譜
クレーメル青春譜ギドン クレーメル

アルファベータ 2008-01-15
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おすすめ平均 star
star2つの発見
star一人のヴァイオリニストが見た冷戦の一断面

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旧ソ連と闘い続けた音楽家の苦悩

クラシックを少しでも聴く人なら、バイオリンの巨匠クレーメルの名前は知っているはずだ。しかし、ラトビア出身でモスクワで教育を受けたクレーメルが、旧ソ連の体制と闘い続け、亡命ではなくて「ソ連人のまま自由に出入国する権利」を勝ち取って西側に移ったことを知る人は、少ないだろう。

本書はクレーメルの若き日をつづった自伝なのだが、音楽の話以上にソ連社会の徹底的な管理主義と腐敗について多くが割かれている。海外のコンクールや演奏会に出演するときも、当局から送られた通訳が「影」のようにつきまとい、西側の人たちの接触を阻止しようとする。優秀な芸術家は、国威を誇り外貨を獲得するための「死せる魂」でしかなく、報酬もスケジュールもすべて当局が決定した。こういった状況を「不条理」「弾圧」と感じていたクレーメルの言動を党の中央委員会は極秘裏に調べ上げ、忠告する。「注意なさい! 自分ですべてを台無しにしないように」

スパイ小説さながらの攻防、かけ引きを経て、結果的にクレーメルは自由を手に入れて名声を不動のものにする。しかしその後、彼は、ソ連に残って当局から弾圧され続けているシュニトケら新しい作曲家たちの作品を西側に紹介する、という役割も果たした。その上、恋愛にもかなり積極的。芸術的でかつ政治的、そして抑圧されている他者のための努力も惜しまない。クレーメルの精神の自由さやエネルギーには驚かされるばかりだ。

クレーメルは、長い弾圧や抑圧の下、旧ソ連国民には反抗と追従が混じった独特の内的な空虚さが植えつけられている、と感じる。とくに音楽家たちは、それにエリート意識が混じった「ムジクス・ソヴィエティクス」なる“珍しい種族”と皮肉交じりに言うクレーメルだが、本人も「自分はこのイメージをすっかり克服できたのか」と強迫的に自問し続けている。彼ですらまだその悪夢から抜け出せていないソ連とは、いったい何だったのか。改めて考えさせられる。【評・香山リカ(精神科医)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想
フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想マリー・ドュリュ・ベラ 林 昌宏

明石書店 2008-01
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教育の長期化でも残る不平等に警鐘

わが国は、親の階層とは無関係に子供が頑張れば弁護士にも医者にもなれるという意味では平等な社会である。しかし、かつては都立日比谷高校などの公立高校が東大合格者の多くを占めていたが、今は中高一貫教育の私立が上位に並び、東大生の親の年収が全国平均を大きく上回っているという。

欧州でも英国では、私立のパブリックスクールに行くか公立に行くかで将来の進路は大きく分かれる。公立からオックスフォードやケンブリッジへ進学するのは至難の業であり、親の階層が子供の進路に大きく影響している。

これに対して、フランスでは、親の社会階層にかかわらず、子供の教育機会を増やすことで社会的流動性が高まり、平等な社会が実現するという平等化政策が採られてきた。しかし、本書は様々なデータを基に「教育の長期化」が実は不平等をもたらすと警鐘を鳴らす。例えば、1950年に5%であったバカロレア(大学入学資格)保有率が95年には66%に達したが、管理職の父親をもつ男子の53%が管理職に就いたのに対して労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。

その原因として、著者は形式的には平等な教育の機会が与えられていても、実際には親の階層によって子供が受ける教育の程度が異なることを指摘する。例えば、教職や自由業の親をもつ生徒の21%がエリート校であるグランドゼコールに入学したのに対し、単純労働者の親をもつ生徒では1%未満に過ぎない。

また、教育の長期化により多くの高学歴者が生まれたが、それに見合う雇用が創出されず、学歴インフレが起きている。このため、親世代より高学歴な子世代が親世代と同等の社会的地位を獲得できないことになる。

さらに、高い社会的地位に就くために高学歴を求める学校の手段化が進行し、生徒が成績や進学、学位といった功利性以外の動機では勉強しなくなったと著者は嘆く。

教育バウチャー制など教育分野への市場原理導入を検討するわが国にとって、本書の主張に傾聴すべき点は多い。【評・小林良彰(慶応大学教授)】

■2008/02/24, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

民主化の韓国政治―朴正煕と野党政治家たち1961~1979
民主化の韓国政治―朴正煕と野党政治家たち1961~1979木村 幹

名古屋大学出版会 2008-01
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おすすめ平均 star
star独裁が続いた韓国政治の裏面を鋭く抉る
star「大統領直接選挙制」実現=民主化、という言説の形成過程

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なぜ独裁が続き民主化が遅れたのか

どうすれば、民主主義が根付くのか? この問いに答えるために、民主化安定の要件を探ることが戦後の政治学の課題であり、当初は、経済的豊かさが民主主義を保証するとして、1人あたりGDPを上げれば良いとする議論が多かった。しかし、その例外となったのが、朴正熙(パクチョンヒ)政権下で経済成長を果たした後も軍事独裁が継続していた韓国である。

本書は、朴正熙による1961年の軍事クーデターから87年の盧泰愚(ノテウ)による民主化宣言までの「民主化安定の典型的な失敗事例」となった四半世紀が、なぜ生じたのかを描く。

まず古い政治家たちによる社会的腐敗を一掃し、その後は民政に移管する、というレトリックで行われた朴正熙による軍事クーデターに、当時の韓国知識人が少なからず協力し、主要大学の教授たちも政府要職で重用されて体制側に与(くみ)していったことを指摘する。

その後、朴正熙は、日韓国交正常化により韓国ナショナリズムを敵に回し、3選禁止を謳(うた)った憲法を改正してまで長期政権を目指そうとして、市民の批判を浴びる。つまり、野党にとって政権交代の好機が幾度も来るが、その都度、個人的対立による分裂を繰り返したり、与党政府に絡め取られて、一体となって与党に抵抗するに至らない。

著者は、その原因を探るために、当時の野党指導者3人の生い立ちや言動を、1次史料を駆使して詳細に分析し、自らの地位や面子(メンツ)に固執するという彼らに共通した限界を指摘する。また、不満足ながらも一応「民政」の体を成している政府を批判し過ぎると、政府与党による「軍政」復帰が現実の脅威となっていたことも、与党との妥協を認める理由であったことを明らかにする。

そして、こうした旧世代に飽き足らない金泳三(キムヨンサム)や金大中(キムデジュン)ら40代の政治家が、40代旗手論として野党内での世代交代を進め、当時の人口の8割が40歳以下という韓国の特徴により世論の支持を得て、71年大統領選挙では金大中が予想外の善戦をした。そして、金泳三や金大中らは当初の穏健派から次第に強硬派に移行することになる。

これに対し、朴正熙は維新クーデターを起こし、国会や内閣の力を削(そ)いで大統領にさらに絶大な権限を付与し、大統領緊急措置令の発令によって民政移管を前提としない軍事独裁政権を樹立した。著者によれば、哲学のない朴正熙は言葉を持たず、「繰り返し剥(む)き出しの暴力に訴え」、79年の暗殺によって終止符を打つまで18年半、政権を維持した。その後を継いだ全斗煥(ジョンドゥファン)政権も同様の独裁を行い、87年の民主化宣言まで韓国の民主主義は長い冬の時代を迎えることになる。

知識人や野党政治家といえども、権力や利益供与には弱く、しかもお互いの競争心のためにまとまりにくいことが、民主化の安定を遅らせたとする。また、彼らや朴正熙らが日本統治期の影響を受け、朴政権時代に日本統治期との連続性があることを鋭く指摘する。

「民主化の安定」という比較政治の視点を通して、韓国政治の実像を見事に描き出した著者の卓越した力量に敬意を表したい。【評 小林良彰(慶応大学教授・政治学)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

Y氏の終わり (Hayakawa Novels)
Y氏の終わり (Hayakawa Novels)スカーレット・トマス 牧野千穂 田中一江

早川書房 2007-12-14
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star「このズタズタの人生つなぎあわせても、ろくなものになるとは思えない」 そうかなあ
starこういうタイプの小説はいままで読んだことがなかった。

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謎の禁断の書が登場したり、一冊の書物が人の生殺与奪に与(あずか)るといった“ミステリー”には、ひねりのある名作が多い。エーコの『薔薇(ばら)の名前』、フィシュテルの『私家版』、ダニングの「古書店探偵」シリーズ、サフォンの『風の影』……。物語の合間に書きこまれる本や文学に関するうんちくもお愉(たの)しみのうちである。

『Y氏の終わり』は、魔書をめぐる不思議な小説だ。ヒロインのアリエルはもともとデリダを専攻していたという哲学好きの雑誌記者。取材の一環として、サミュエル・バトラー、ダーウィン、シュレーディンガー、アインシュタインなどの仕事に接するうちに「思考実験」に惹(ひ)かれ、いまはそれをテーマに博士論文を書こうとしている。研究対象に選んだ19世紀の作家トマス・E・ルーマスの「Y氏の終わり」なる小説は、作者本人はもとより、本の関係者が悉(ことごと)く死んでしまったという呪われた書だった。あまつさえ彼女の担当教授までが失踪(しっそう)。アリエルはある薬によって、他人の心に入りこめるようになるが、この本を狙う男たちに追われることに……。

いかにも実在しそうなマイナー作家ルーマスの怪しさが抜群にいい。ヒロインの恋模様をはさみこむサービスもたっぷりだ。宇宙物理学、量子力学、進化生物学、神学、哲学――ビッグバン理論、シュレーディンガーの猫と多世界解釈、LUCA(全生物共通祖先)、デリダの差延の概念――さまざまな学(サイエンス)と理論が賑(にぎ)やかに引用されるが、それらに閃(ひらめ)きを得て、アリエルたちが解き明かそうとするのは、いまここに自分たちが存在することの謎だ。当然ながら、本当のミステリーはこの部分にある。

科学・哲学理論の数々をストーリー展開と絡めていく力業はまさにみごと。作者の用意してくれた鮮やかなラインを追っていくだけでも楽しいが、ここに、読者自身にも思考実験を課すような、人を食ったところがもっとあれば、さらに刺激的だったと思う。よくある「自分探しの物語」とはひと味もふた味も違う労作だ。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

書肆アクセスという本屋があった―神保町すずらん通り1976-2007
書肆アクセスという本屋があった―神保町すずらん通り1976-2007岡崎 武志

「書肆アクセスの本」をつくる会 2007-12
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star好きな本屋ならば

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ふらりと立ち寄る本屋さんのように

書肆(しょし)アクセスとは、編者の一人・岡崎武志さんの言葉を借りれば〈大手の新刊書店ではなかなか目に触れない、地方や小出版社の本、そして多くのミニコミを扱ってきた〉書店である。出版の東京一極集中が進むなか〈地方からの微力な電波を受け止め、発信する役目〉を負い、〈十坪という狭い空間に約六千七百点もの本や雑誌たちの主張や心意気が充満していた〉。

そんな書肆アクセスが、昨年11月に閉店した。本書はそれを惜しむひとたちが、本を出す側として、あるいは読者や同業の書店員として、それぞれの立場から思い出を振り返り、惜別の辞をつづった寄稿集――いわば、身内の〈心意気〉に満ちた一冊である(本書の制作にあたっては、カンパによる基金もつくられたという)。

この種の本はアットホームな温(ぬく)もりがある一方で、往々にして部外者には立ち入りづらさも感じさせてしまうものなのだが、本書は違う。ふらりと立ち寄ることのできる町の本屋さんさながら、いちげんさんにも開かれている。じつを言うと書肆アクセスには数えるほどしか入ったことのない僕が、センエツを承知でこの一文を書いている所以(ゆえん)も、そこだ。

本書の中に、こんな一節がある。〈書肆アクセスという小さな場所の大きさと頼もしさ〉――神保町や書肆アクセスという固有名詞をはずし、書店というくくりをもあえてはずして振り返ってみると、居酒屋でもレコード店でも文房具店でもいい、「私たちの町」にもそういうお店はあるはずで、あったはずなのだ。

本書につどう書き手の〈心意気〉は、一軒の小さな書店を語りながら、「地方」や「個」が切り捨てられる時代に対する寂しさとやりきれなさ、そして静かな怒りにも、確かにつながっている。それは「書肆アクセスという本屋があったことも知らない」世代が増えるにつれて、いっそう重く響いてくるだろう。

その意味でも、本書は決して内輪話や古き良き時代への郷愁で閉ざされてはいない。地方在住の若い世代にこそ読んでもらいたい、と思う。【評 重松清(作家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

秋瑾火焔の女
秋瑾火焔の女山崎 厚子

河出書房新社 2007-12
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懐に短剣、背にモーゼル銃、鹿毛の馬に跨(またが)って駆ける男装の麗人。秋瑾(しゅうきん)は、今もって、中国女性の胸に燦然(さんぜん)と輝く革命家であるという。

誕生は、アヘン戦争後の清朝末期。没したのは1907(明治40)年。清朝打倒の武装蜂起を主導したかどで、33歳で斬首刑。

本書はその炎のごとき女性の評伝である。

まず、表紙の彼女の写真に惹(ひ)きつけられる。和服姿で抜き身の短刀を手に強い眼差(まなざ)しで彼方(かなた)を凝視している。

美貌(びぼう)の女性である。

この写真は、日本留学時代のもので、彼女は下田歌子の創設した実践女学校で、女子教育を学んでいた。

29歳で、官吏の夫と子どもを故国に残して留学。中国では、女性の纏足(てんそく)や妾(めかけ)の売買という性差別の象徴というべき旧習が根強く残っていた時代である。

そして、当時の日本は、清国からの官費留学生を中心とした革命派の拠点だった。彼らとの交流で、彼女は過激な道へと駆り立てられていく。が、常にその心の底に燃え立っていたのは「中国2億の女性同胞の解放」だった。

留学生たちの前で、「祖国が西欧諸国や日本に後れをとっているのは、男尊女卑の思想がはびこり、女子は学なきをもって徳となす、といった孔子思想を容認しているからだ」と弁じて喝采を浴びたという。が、ただ一人、彼女に反論し、集会の公衆の面前で罵倒(ばとう)された男がいた。後に、秋瑾はその男に陥れられ、悲劇的な最期を遂げる。

長じて後は、即興で漢詩を吟じ、酔えば剣舞を舞う女傑だが、本書で描かれる溌剌(はつらつ)とした無心の少女時代の秋瑾が魅力的である。

一貫して聡明(そうめい)で、凜(りん)とした気品ある女性として彼女を描き切ろうとする著者の思いが伝わってくる一冊だ。

100年前の中国に、これほどの強い「近代的な自我」を持ちえた女性がいたことに驚く。その無防備でまっすぐな心情が、保身の男たちの手で抹殺される結末に思わず憤激。彼女の残した娘は、その後の動乱の中国をどう生き抜いたのかと気に掛かる。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

テレビニュースの世界像―外国関連報道が構築するリアリティ
テレビニュースの世界像―外国関連報道が構築するリアリティ萩原 滋

勁草書房 2007-12-10
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テレビの怖さは、映像と音と文字を駆使して全身に訴えかける点にある。圧倒的すぎて、受信者の方向性を固定し、異なる受容の仕方を認めないのではないか、との危惧(きぐ)を抱く。

本書は、テレビの外国報道のあり方を丹念に分析した好著だ。イラク情勢やテロ、北朝鮮拉致事件など、視聴者はテレビの報じ方によって一体感を持ったり、他人事視したりする。

新聞ではアメリカ関連の報道が多いのに、テレビは日本が関(かか)わったニュースが多い、という指摘は、興味深い。日本人のお茶の間の関心が、日本から外国に広がる、という構造。

だがわかりやすさが必要な分、提示される外国像は、常にステレオタイプ化される。しばしばその国の後進性や貧しさ、凶暴性を強調されて、事件があっても仕方ないと受け止められる。中国製ギョーザや中東の紛争でも、そうした先入観がないだろうか。

テレビを作る側が、外国イメージの固定化に与える影響にさほど自覚的でないことを考えれば、こうした研究はもっと進められるべきだ。ただ、研究自体がテレビの提示する枠組みから完全に自由であることも、至極困難なことなのだが。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代
魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代小沼 純一

青土社 2007-11
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音楽に国境は本当にないのか

ガムラン音楽に魅せられ、1930年代にバリ島に渡ったカナダ出身の音楽家コリン・マクフィーの軌跡を追いつつ、音楽における越境について深く広く考察した書である。

マクフィーが初めてガムランを聴いたのは、音質の良くないレコードだった。それでも「聴けば聴くほどその魅力にとりつかれた」マクフィーはバリにおもむき、人生が大きく変わってしまった。マクフィーはバリに滞在してガムランを研究し、その結実として後に3管編成のオーケストラと2台のピアノのための作品「タブー=タブハン」を作曲したほか、バリ島滞在記『熱帯の旅人』などを残している。

本書は1889年のパリ万国博覧会でジャワのガムランに出合ったドビュッシーや、1931年のパリ植民地博覧会でバリ島の演劇に衝撃を受け、独自の演劇論を展開したアントナン・アルトーをはじめ、異文化に触れることによって変容を遂げたさまざまな芸術家についても追跡している。

音楽というものに本当に国境はないのか? 音楽の越境は、考えられているほど単純なものなのだろうか? 音楽だけでなく、あらゆる分野の国際交流について考えさせられる本である。【評 常田景子(翻訳家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

土曜日 (Shinchosha CREST BOOKS)
土曜日 (Shinchosha CREST BOOKS)イアン・マキューアン 小山 太一

新潮社 2007-12
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主人公ヘンリー・ペロウンは、40代後半の優秀な脳神経外科医。妻は有能な弁護士。娘は最初の詩集の出版を目前にする詩人。息子はミュージシャン。ロンドンの邸宅に住み、何不自由ない幸せな生活を送る。

ある土曜日未明、炎を上げて空港へ向かう飛行機を目撃したペロウンは、たちまちテロ攻撃と結びつける。ニューヨークの「9・11」以降、すべてが「同じ」ではなくなったのだ。

イラク戦争反対のデモのため車を迂回(うかい)させた道路で、いざこざを起こす。娘との戦争を巡る会話は激しい口論に変わってしまう。安らかな日曜日へと続くはずだったのに、不穏な予兆は具体的な恐怖となって一家に襲い掛かる。

認知症を患う母親や若い女性患者との触れ合いにペロウンの深い考察を織りこんでサスペンスタッチで進み、やがて一条の光が差しこむまでを鮮やかに切り取る。主人公の抱える不安感は、現代に生きる私たちと共有されるべきものなのだろう。

著者は、ブッカー賞など数々の賞を受賞。名実ともに現代英文学を代表する作家の一人。脳外科手術をこれほど優美に描写した作品を私は知らない。それだけでも一読の価値がある。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

メフェナーボウンのつどう道
メフェナーボウンのつどう道古処 誠二

文藝春秋 2008-01
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太平洋戦争を題材にしながらも、時代を超えた普遍的なドラマを紡いできた著者が最新作の舞台に選んだのは、大戦末期のビルマ(現ミャンマー)。英印軍の進攻でラングーンの兵站(へいたん)病院からの撤退を命じられた日赤看護婦が、徒歩で約350キロ先のモールメンを目指すことになる。

タイトルのメフェナーボウンは仮面のこと。主人公の静子は、ビルマ人看護婦、衛生下士官、負傷兵、慰安婦たちと行動を共にするが、誰もが仮面を被(かぶ)っている。これはタテマエを重んじる日本人の暗喩(あんゆ)なのだが、次第に肝心の仮面は剥(は)がれ本音がのぞいてくる。

死が隣り合わせの極限状況では、看護婦の博愛主義など自己満足に過ぎず、傷病兵を助けることは本人に負い目を感じさせるだけ。日本軍はビルマを英国支配から解放するも独立は認めず、一方で親日だったはずのビルマ人は、敗色が濃くなると日本人に高値で食料を売り、平然とイギリスに内通する。

状況によって善と悪は入れ替わるし、属する組織によって常識も変わる。その中で人間は、客観的な真理を語れるのか? この問題を追及した本書は、歴史認識から国際情勢まで、物事を冷静に判断することの大切さを示しているのである。【評 末國善己(文芸評論家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

希望の政治学―テロルか偽善か (角川叢書 38)
希望の政治学―テロルか偽善か (角川叢書 38)布施 哲

角川学芸出版 2008-01
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9・11以降の世界を生きる私たちは、民主主義とか人権といった言葉に、ある種の欺瞞(ぎまん)を嗅(か)ぎつけることがある。民主主義という錦の御旗の下に戦争が展開され、人権の名の下に文化的差異が看過される……政治的な言葉に対する批判は、思想的立場を違える様々な論者から提示されている。政治の言葉への不信が広まりつつある中、ある人は民主主義などの欺瞞性を暴くことに使命を感じるかもしれないし、またある人は「欺瞞であってもあえてコミットする」という姿勢をみせるかもしれない。あくなき欺瞞の暴露とシニカルなコミットメント。しかし私たちにはその二つの道しか残されていないのだろうか。

本書は、政治的な言葉の「偽善性」を徹底的に探究することによって、安易な暴露主義を回避し、さらにはシニカルでない形で政治的な言葉にアクチュアルな意味と力を見いだそうとする試みである。政治的な言葉が「一定の歴史的・文化的条件や制約のもとにありながら、にもかかわらず、なにゆえ現在にいたってもなお普遍性の表象として機能し得るのか」。

この根底的な問いに答えるべく、民主主義や主権をめぐる古典的な政治理論が検討され、また政治的なるものに固有のあり方を模索すべく、丸山真男、ロールズ、ラクラウ、ジジェクらの議論が俎上(そじょう)にのせられる。政治の言葉は「積極的・具体的な意味内容や指示対象を失ってゆくがゆえに……われわれ人間社会の現実を受け入れるための、いわば政治的枠組み」としての機能をはたす。政治的な言葉の問題性を十分に認識しつつも、シニカルになることなく、政治的なるものの複雑さを踏まえながら、希望への途を正確に見据えていく。序論、第1部で展開されるテロルや敵対性についての考察にも、そうした著者の粘り強い思考が十分に映し出されている。

楽観的でない希望とシニカルでない論(倫)理をいかに追求するか。本書が差し出す問いは、理論的であると同時に、あるいはそうであるがゆえに切実なものといえる。【評 北田暁大(東京大学准教授)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099)
暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099)山極 寿一

日本放送出版協会 2007-12
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相手との共存を模索する類人猿たち

戦争にいたるまでの人間の攻撃性に関しては、コンラート・ローレンツによる有力な説があった。動物の場合、攻撃性とその抑止機構にバランスがとれていたのに、人間の場合、武器の出現のために、それができなくなったというものである。また、この考えは、人間が狩猟生活から武器を発展させ、それが同類への攻撃に及んだという説ともつながっている。

しかし、このような説は、近年の動物行動学や人類学の研究のなかでくつがえされた。たとえば、動物の同種間の殺害が多く報告されているし、狩猟民は一般に争いを避けることが明らかになっている。狩猟と戦争は別だ。戦争は、定住と農耕以後の現象なのである。さらに、最近では、原始人は狩猟者というよりも、逆に捕食される者であり、その体験を通して協働する体制を作るようになったという説もある(ドナ・ハートとロバート・サスマン『ヒトは食べられて進化した』)。

このように攻撃性の問題を根本的に見直す流れの中に、本書もある。著者の基本的な視点は、動物は、たんに機械的に攻撃性を発露させているのではなく、限りある資源(食糧と交尾の相手)をめぐって、いかに相手と共存するかを模索してきている、というものだ。たとえば、近年、ゴリラなど霊長類の間で子殺しが多いということが観察されているが、そこから逆に、著者は、オスによる子殺しを避けようとすることが、霊長類の社会性を作ってきたのではないかと考える。同様に、インセスト(近親姦<かん>)の回避も、性的な競合を緩和するためになされる、とみてもよい。

食と性に関する同種間の葛藤(かっとう)は避けられない。それを機械的に解決するような本能は与えられていない。類人猿たちは状況に応じて、さまざまな社会的な機制を作って対応してきたのである。ゴリラは食べ物を分け合って、一緒に食う。チンパンジーやボノボには互酬交換が見いだされる。また、彼らは争った後に、積極的に仲直りしようとする。そのような類人猿のふるまいをみるとき、われわれは励まされる。【評 柄谷行人(評論家)】

■2008/02/17, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

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