メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2008年1月20日~1月27日

エピデミック
エピデミック川端 裕人

角川書店 2007-12
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おすすめ平均 star
star希望。
starエンターテイメントな作品までは達していない
star科学者=探偵

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疫学のスリリングな歴史とドラマ

寒い季節になると必ずインフルエンザの流行が話題になる。それに加えて最近は、鳥インフルエンザなど新しいタイプの感染症に対する不安も語られるようになってきた。

疫病でも、人類との付き合いが長い病原体は、人類とある種の共存を図っている。感染した相手(ホスト)をじわじわと弱らせ、他のホスト候補との接触の機会を増やせる病原体でなければ存続できないからだ。

しかし鳥インフルエンザやエボラ出血熱など新興感染症のウイルスは、本来、人類を標的としたものではなく、人類との付き合いも短いため、恐るべき毒性を発揮する。そのような感染症が発生したなら、感染ルートを特定して感染源を絶つと同時に、病原体の正体捜しを早急に進める必要がある。そこで活躍するのが疫学である。

ただ、疫学は相関関係、因果性、確率など、不確実性をはらんだ問題がからんでくるせいで、必ずしも単純明快な答えは出ない。たとえば、1996年に社会的大問題となった病原性大腸菌O(オー)157の感染源も、結局は突き止められずに終わった。だが、原因が突き止められないまま終息した感染症の流行よりも、関係者の努力によって手際よく終息させられたり、水際で食い止められたりした感染症の方がはるかに多いはずである。そしてそこには、語られるべきドラマがある。

『エピデミック』は、小説という形で疫学のドラマを語った一級の読み物である。東京近郊の海岸部でインフルエンザに似た謎の致死的感染症が勃発(ぼっぱつ)する。そこに疫学隊員が乗り込み、感染症の原因を突き止める物語なのだ。かつてベストセラーになった海外小説『ホット・ゾーン』に負けない小説が日本人によって書かれたことを喜びたい。しかも、ニセ科学やインチキ商法なども盛り込んだ、空想科学ではない、科学的な小説である。

この小説の中でも触れられているが、疫学の誕生は、19世紀半ばにロンドンで発生したコレラの大流行時とされている。疫学の歴史を語る場合には、コレラの感染源が共用井戸であることを、足を使った丹念な実地調査で明らかにしたエピソードが、必ず紹介されることになっているのだ。

しかし、その詳細について語られることはあまりなかった。『感染地図』は、医師ジョン・スノーが、当時はまだ汚染された空気が原因とされていたコレラ患者の発生場所を地図に落とすことで、問題の井戸とコレラの流行との相関を突き止め、両者の因果関係を追い詰めていったスリリングなノンフィクションである。

おまけに本書は、最初は学者仲間から相手にされなかった革新的な学説が、やがていつの間にか受け入れられ、最後は当たり前の事実になっていく科学革命の過程を語った書としてもおもしろい。それにしても、19世紀ロンドンの公衆衛生のひどさはすさまじい。

ともかく折もよし、疫学を題材にした好著2冊を読んで、病原体に打ち勝とうではないか。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

綺想迷画大全
綺想迷画大全中野 美代子

飛鳥新社 2007-11
売り上げランキング : 9384

おすすめ平均 star
starその道の大家

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恥を忍んで告白するが、印象派の絵画というのがよくわからない。ルノワールもセザンヌも、いい絵だとは思うのだが、別に面白みが感じられず、展覧会などに行っても、ひとわたり見た後で、ベンチに座って同行者が見終わるのを退屈しながら待っているのが常である。だが、これがダリのような超現実派や、また聖画、歴史画などの展覧会なら、何時間見ていても飽きないのだから、その絵の嗜好(しこう)の偏りには我ながら呆(あき)れる。

……こういう人は実は多いのではないか。と言うより、本書の著者である中野美代子氏はまさにそういう方だとお見受けしたが、どうだろう。つまり、絵画であれ音楽であれ、芸術を感性でなく、“知性”で鑑賞するタイプだ。芸術に意味を求める一派と言ってもいいかもしれない。前口上にある、「勝手に自分の論理を展開することの快楽を得られる絵画」こそが自分にとっての名画なのだ、という言い切りにそれは表れている。

芸術作品をこういう目で見ることにはとかくの批判もある。しかし、感性主義の人たちが言う感性というのは、多くは西欧的なそれであり、これまで触れたことがないアジアやアフリカなどの文化圏の芸術に対してはお手上げの場合が多い。感性の土台となる文化常識がそもそも違うのだ。

本書は中国文学研究の大家である著者が、主にアジア諸国のものを中心に、明治以降われわれが親しんできた西欧絵画とは全く異なった視点・文化的約束事で描かれた、つまりこちらの目から見れば、“綺想(きそう)”としか言いようのない絵画群に解説を加えつつ、知の世界を漫歩する、刺激的な読み物である。豊富な図版を眺めるだけでも楽しい。しかし通読するうちに、絵画というものが、文字記号の発明と普及以前には、情報や知識の伝達と保存を担っていた存在だったことも、改めて明白になってくる。

ただ、図版に、文章で謎解きをしている肝心の部分が、本の綴(と)じに重なってしまって見づらい個所がいくつかあった。綴じの隙間(すきま)に隠れるような細部こそが重要な本なだけに残念なことである。【評 唐沢俊一(作家)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

大日本帝国のクレオール―植民地期台湾の日本語文学
大日本帝国のクレオール―植民地期台湾の日本語文学フェイ 阮 クリーマン 林 ゆう子

慶應義塾大学出版会 2007-11-01
売り上げランキング : 7141

おすすめ平均 star
star忘れられた〈日本語文学〉

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同化されえない主体性を浮き彫りに

日本語はおおむね日本国内でしか通用しないが、台湾ではきれいな日本語を話す老人に出会うことがある。そのことは時に勘違いを生み出すものだ。日本語を話す台湾人は「親日」的に違いないと。

台湾は小さな島だが、その言語状況は単純ではない。たとえば日常に話す台湾語は大陸の中国語とは大きく違っていて、口語の台湾語を表す文字はないという。日本語は植民地期の同化政策によって導入されたが、この状況下では台湾人が文章語に日本語を選んだからといって直ちに「親日」であるとは限らない。

本書は台湾が植民地だった時代の、台湾に関し日本語で書かれた文学を通して、日本の文化的支配の内実を問うたものである。ここで取り上げられた、台湾人によって日本語で書かれた戦時下の作品は、厳しい検閲を意識して書き手の内心の立場を隠すような、陰影に富んだものだった。著者は、表面的には国策協力のテーマで書かれたそれらの文学が、台湾人の生活をリアルに描こうとする郷土文学派の呂赫若(りょかくじゃく)はもとより、日本への同化を主題とする皇民文学派の周金波の作品までもが、意外にも簡単に同化されえない、台湾人の立場やその文化的な根をあぶり出していることを明らかにしている。

またここでは、佐藤春夫や台湾在住の西川満のような日本人作家の作品も取り上げている。しかしそれらは、日本の統治の仕方への批判意識をにじませている場合もあったが、主に台湾の古い伝統や先住民たちに着目した、異境へのロマンティックな関心に基づいた作品であった。

国語教育を中心とした日本の同化政策は独善的なもので、帝国の支配は多言語の状況を生み出した。しかし本書は台湾人が同化政策に対応しながら、同化とは異なる独自の主体性を育んできたことを明らかにしている。台湾出身で日本に留学しアメリカの大学で教鞭(きょうべん)を執る著者は、自ら多言語を生きる人として本書を書いたものだと思う。著者の中には多層的な視点があるが、屈折に満ちたテキストを読み解く著者の巧みさに、感心させられる力作であった。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

最後の大奥天璋院篤姫と和宮 (幻冬舎新書 す 2-1)
最後の大奥天璋院篤姫と和宮 (幻冬舎新書 す 2-1)鈴木 由紀子

幻冬舎 2007-11
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よく歴史は女で作られるといわれるが、実際にどんな過程をたどるのかは必ずしも明らかではなかった。

本書は、幕末政局で女の力強さを発揮した天璋院(てんしょういん)こと薩摩藩島津家の篤姫(あつひめ)をヒロインにして語る「女縁から見た徳川の裏面史」である。

江戸城大奥は、テレビドラマで見るような愛欲と嫉妬(しっと)だけが渦巻く世界だったのではない。この禁域は、将軍家の血統の培養所だったのみならず、妻妾(さいしょう)や奥女中を介して外部から最高権力者の意向に影響を与え得る通廊としても使われたから、絶えず政治の力学が作用する《場》であったと理解しておくべきだ。

将軍家と縁組をした大名は外様(とざま)でも「松平」と称するのを許される。中でも西南雄藩の島津家は、(1)五代将軍綱吉の養女竹姫が五代継豊(つぐとよ)へ、(2)一橋家の保姫(やすひめ)が八代藩主重豪(しげひで)へ、(3)重豪の息女茂姫が十一代将軍家斉(いえなり)へ、(4)一橋家の英姫(ふさひめ)が十一代藩主斉彬(なりあきら)へと、前後四度にわたって徳川家といわば《相互乗り入れ》し、強固な徳川=島津姻戚(いんせき)同盟を作り上げている。これらの婚姻を通じて、両家の間には長い間、幕末期に発生した敵対からは想像できない良好な関係が続いていたのである。

著者は用意周到だ。本書のメインプロットに入る前にたっぷり助走距離を取り、《前史》をしっかり書き込んでいるので、篤姫の物語はたんなる幕末ロマンに止(とど)まらぬ政治史の輪郭を整える。

篤姫は島津斉彬の養女である。その上に近衛忠熙(ただひろ)の養女という箔(はく)を付けて十三代将軍家定に輿入(こしい)れしたが、家定は間もなく世を去ったので剃髪(ていはつ)して天璋院と称した。斉彬から政治的使命を託されていたが、その斉彬も死去。十四代家茂(いえもち)に降嫁してきた孝明天皇の皇妹和宮との確執も読みどころの一つだろう。

だが最大の山場は、その天璋院がやはり未亡人となった和宮(静寛院)と手をたずさえ、鳥羽伏見の一戦で薩摩軍に敗れた最後の将軍慶喜(よしのぶ)の助命嘆願に立ち上がる場面だ。

政治の世界には姻戚・閨閥(けいばつ)の隠された半球がある。この一瞬、女の力が歴史の表面に顕然と示されたのである。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

芝居の神様―島田正吾・新国劇一代
芝居の神様―島田正吾・新国劇一代吉川 潮

新潮社 2007-12
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「瞼(まぶた)の母」「一本刀土俵入」「国定忠治」「人生劇場」「王将」……。かつて多くの日本人が大まかであれ、その筋立てを知り、名せりふの一つも口ずさめた芝居だ。そんな共通の“教養”が消えたのはなぜか。人々の好みの変遷もあろうが、それらを当たり狂言とした新国劇の消滅の影響も多々あるような気がする。

坪内逍遥が命名者となり、1917年、沢田正二郎らが結成した新国劇。旧派たる歌舞伎を意識しながら、男っぽい芝居を得意とした。教えを受けた沢正亡き後、辰巳柳太郎とともに、戦前、戦後を通じてその黄金時代を築いた名優、島田正吾の生涯をたどる本書。それは、1987年に経営難から解散した新国劇の興亡史でもある。

「動」の辰巳、「静」の島田。全く対照的な個性にもかかわらず生涯の盟友だった辰巳との友情。脚本を提供した長谷川伸、北条秀司、池波正太郎らとの熱き交流。新国劇が最後に生んだ大スター、緒形拳との師弟愛、96歳まで続けた一人芝居にかける執念……。

なにやらギスギスしたこの時代のせいなのか。人情の機微に満ちた新国劇の脚本そのままのような人生からは、ひたすら懐かしい香りが立ちのぼる。【評 四ノ原恒憲(編集委員)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

ニューメディア「誤算」の構造
ニューメディア「誤算」の構造川本 裕司

リベルタ 2007-11
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1980年代、中央官庁がこぞって発表した地域情報政策は、ニューメディアブームを加速させた。キャプテン、CATV、BS・CS放送、地上デジタル放送、そして、現在、注目の「通信と放送」の融合サービスなど、この20年間に登場した「ニューメディア」は、はたして私たちに何をもたらしたのか。

本書は、この手の本にありがちな、結論先にありきのメディア批判や擁護論ではない。筆者は、新聞記者らしく、政策担当者や技術者など当事者に語らせることで、ニューメディアに込められた夢と眩惑(げんわく)に斬(き)り込んでいく。

そこで提示されるニューメディアの開発・普及に関(かか)わった当事者たちの回顧には、自己弁護も含まれてはいるものの、現場に立ち会った者しか知り得ない苦悩や決断が垣間見え、説得力ある内容だ。それらを紡ぐことで、日本の政策決定のメカニズム、そして、メディア資本の持つ問題性まで見えてくるのが、本書の魅力でもある。

ただし、日本のメディア史を振り返ればわかるように、新規メディアの登場にあたっては、必ず大手新聞資本が関わってきた。この20年、新聞は何をしたのか。この点に踏み込めていなかったのは惜しい。【評 音好宏(上智大学教授)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

月芝居
月芝居北 重人

文芸春秋 2007-12
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昨年『蒼火(あおび)』で大藪春彦賞を受賞した著者の受賞後第一作は、巨大利権に群がり甘い汁を吸う魑魅魍魎(ちみもうりょう)の存在を浮かび上がらせる時代ミステリーである。

天保の改革で江戸屋敷を失った左羽(さばね)家。江戸留守居役の小日向弥十郎は、転居先探しを依頼した尽左衛門から、弟子の鍬蔵(くわぞう)が殺されたことを知らされる。やがて弥十郎は、鍬蔵が水野忠邦や鳥井耀蔵がからむ土地売買の闇を知ったため、消された事実を突き止める。

建築と都市開発が専門の著者らしく、水野忠邦の土地政策という今までにない角度から天保の改革をとらえた点をまず評価したい。

そのため前半は江戸にある武家屋敷の実態、当時の土地取引の方法など膨大な情報が詰め込まれ、消化するのにやや時間がかかるほどである。だが中盤に事件の黒幕が判明してからの展開はスピーディー。探偵役の弥十郎は、忙しい仕事の合間をぬって事件を捜査する等身大の人物なので、宮仕えの悲哀に我が身を重ねる人も多いのではないだろうか。

政策が変更されると庶民の生活は激変するが、業界と結び付いた為政者は損をしない。どこかで見た構図が江戸時代から変わっていないことが分かるので、現代社会の問題点も実感できる。【評 末國善己(文芸評論家)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

平田清明市民社会を生きる―その経験と思想
平田清明市民社会を生きる―その経験と思想平田 清明 平田清明遺稿集編集委員会

晃洋書房 2007-11
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理想の社会を説く「実践の人」

平田清明が逝ったのは95年3月。阪神大震災の惨状を自らの足で確かめ、最後の任地となった鹿児島に帰った直後である。ケネー研究を嚆矢(こうし)として、マルクスの再解釈を試み、晩年はレギュラシオン理論にもアプローチした平田の膨大な仕事を語るのは、弟子の山田鋭夫氏でも「容易ではない」(『資本循環と市民社会――平田清明論序説』鹿児島経大論集)という。

本書に収録された原稿もケネーやマルクス研究の未定稿から、自宅近くで計画された高速道路建設反対の趣意書まで「実に多彩」だ。「その中にあって通底しているものは市民社会論といってよい」と本書を編んだ諸氏は指摘する。それは、国家や資本家の支配から自由を取り戻した個人が協同して形成する社会であり、旧ソ連の国家社会主義とは全く異なるコミュニズムである。

理想の市民社会は未(いま)だ存在しないが、実現に向けて一歩でも近づこうとする日本の市民運動を平田は高く評価した。ここに平田が「理論」だけではなく、大震災の「現場」を歩く「『実践』の人でもあった」と評される所以(ゆえん)がある。編者による解題には物足りなさも感じるが、本書を紐解(ひもと)けば平田の思考が「生々しく伝」わってくる。【評 高橋伸彰(立命館大教授)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代
テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代長谷 正人

青弓社 2007-11-24
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情報を自ら演出して生まれた面白さ

テレビカメラは、出来事を必ずしもそのままに、情報として伝えているのではない。他人事(ひとごと)のように、客観性を装ってはいるが、そこには演出された「現場の雰囲気」が含まれている。だからこそ私たちはテレビ番組を「面白い」と感じるのではないか。

この「情報」と「演出」の間を埋める「テレビ的」とでも呼ぶしかない自立した世界を、著者たちは「自作自演」というキーワードで説明する。70年代、私たちの心中に、その種の放送を受け入れる感性が生まれた。そして80年代以降、意図的に、過剰な「自作自演」の遊戯が画面で展開されることが日常となった。

本書は、70年代の人気番組やCMを取りあげ、分析を加える。たとえば「欽ちゃんのどこまでやるの!」では、ごく普通の茶の間をセットとしてつくり、出演者がテレビドラマのパロディーを見るという設定で番組が進行した。また「夜のヒットスタジオ」では、スタジオの後方で歌手たちが控える様子をわざと放映、彼らの自然な表情が何の作為も演出もなく、ブラウン管に映し出されていた。

それは「情報」でもない。しかし、今日のバラエティー番組ほどに娯楽性豊かな「演出」でもない。まだ無自覚に、また無批判に「自作自演」の世界が展開されていた。それはテレビという媒体が本質として持つ「面白さ」だ。

著者の1人は、「発掘!あるある大事典2」の「データ捏造(ねつぞう)事件」について、取材ビデオの「情報」と、バラエティー番組としての「演出」との間に亀裂があったとみる。食材の効用やダイエットの効果を科学的に実証する映像と、スタジオでタレントたちが展開するトークとが完全に分断され、「自作自演」の妙味が欠落した。視聴率を稼ぐには、巷(ちまた)で話題となるような「情報」を、毎週、探しだして提供できるかどうかにかかってくる。結果、担当者は捏造に走ったのではないか。納得できる分析である。

テレビとはいかなる存在なのか。普遍的なテレビ論を展開するうえで、まず手にするべき論集である。【評 橋爪紳也(建築史家)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

グローバル市民社会論―戦争へのひとつの回答
グローバル市民社会論―戦争へのひとつの回答メアリー・カルドー 山本 武彦

法政大学出版局 2007-11
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おすすめ平均 star
star市民社会論に関する名著

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権利保護のネットワーク構築を提起

グローバリゼーションの流れの中で、市民社会も大きな変容を遂げている。

かつては各々(おのおの)の国民国家の中で自己完結していた市民社会が、国家の枠を超えて相互に連結しつつあるのだ。特に、1980年代から90年代にかけて、ソ連・東欧の共産主義体制に対抗する理念や活動が東欧や中欧で活性化した。西欧の平和運動とも交流をもち、ベルリンの壁崩壊に繋(つな)がった。また、通信や交流の発展は、西洋と非西洋の区分崩壊を進め、ラテンアメリカなどの開発途上国の軍事的権威主義体制に対しても、同様のグローバルなネットワークが形成されていった。

こうした状況に対し、メアリー・カルドーはグローバルな「市民社会」の行為主体に注目する。80年代90年代には専門家を中心とする国際NGOなどによる国家を超えた市民ネットワーク(例えば、環境保護やジェンダーなどに関する国際的なネットワーク)が活発であったが、90年代・2000年代においては労働者や農民、学生を巻き込んだ「新しい」民族主義運動やグローバリゼーションの犠牲者の連帯による反資本主義運動にまで広がりつつあると述べる。

これら一連の市民社会については、従来の「国家VS.国家」という戦争から、国家の枠組みを超えた宗教などを背景とする戦争や、「非国家」によるテロといった新しい形態の戦争をもたらす契機となっている、というネガティブな見方もできる。

しかし、カルドーは、権威主義や軍事主義と闘うためには、権利の保護についてのグローバルなネットワークや制度的保障というインフラを構築することも重要であると訴える。そして、国際人道法の強化や国際法の公平な適用などを通じた安全保障を獲得するために、グローバルな市民社会は必要であると彼女は考える。その背景には、9・11以降の米国の単独主義に対する彼女の批判があることは言うまでもない。

冷戦後も続くグローバルな紛争や軍事的衝突、そして環境や人権などの問題解決を考えるためにも、ぜひとも読んでもらいたい話題作である。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2008/01/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所
アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所渡辺 靖

新潮社 2007-11
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永遠に「革命」を続ける社会に肉薄

前著『アフター・アメリカ』で注目を集めた気鋭の文化人類学者によるアメリカ論。いや、アメリカ論というと誤解があるかもしれない。抽象度の高い経済学的・政治学的用語で武装したアメリカ政治論でもないし、もっぱら親米/排米の軸にそって議論をたたかわせているアメリカ国家論でもない。フィールドワークを身上とする文化人類学者が、実際にアメリカの九つの都市を訪れ、様々な社会科学的、文化人類学的データとつき合わせながらアメリカにおけるコミュニティーの多様性、複雑性を描き出した作品である。こう書くと、なにやら堅苦しい本のような印象を持つかもしれないが、著者自身のまなざしを織り込んだ、平易でありながら味わいのある文体は、読む者を確実に引き込むことだろう。

扱われている都市・地域は多岐にわたる。アーミッシュと同じように近代的な文化の特質の多くを拒みながらも、一方で玩具ビジネスによってグローバル経済に対応して生活を営んでいるブルダホフ・コミュニティー。ボストンのバミューダ・トライアングルと呼ばれた過去を持ちながら、コミュニティーによる奇跡的な都市再生を果たしたダドリー・ストリート。過剰なまでのセキュリティー志向ゆえに要塞(ようさい)のような閉じた都市空間を構成するに至ったコト・デ・カザ。かつて「典型的」なアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを体現する街として社会学者によって発見された「類がないほど典型的」な都市マンシー。そして、「草の根宗教右派」の牙城(がじょう)となっているメガチャーチ(巨大教会)のあるサプライズや、大規模農牧業とともに生きる街ビッグ・ティンバー等々……。

これらの都市・地域におけるコミュニティーのあり方が、実際に現地に赴いた著者の体験に折り重ねられつつ、分析されていく。「良い調査には、フィールドに深く入り込むことと、フィールドから距離を置くことの両方が不可欠である」という著者らしい、「現場」と「分析」との緊張感ある往還運動を読み取ることができる。

重要なのは、著者がつねにアメリカに関する主流的なディスコース(言説)に対して距離をとり、紋切り型的なディスコースやイメージと齟齬(そご)をきたす(違和を表明する)カウンター・ディスコース=対抗的言説に繊細なまなざしを向けている、ということだ。様々なコミュニティーを、「アメリカとは……である」という定義に抗(あらが)う一種のカウンター・ディスコースの実践として捉(とら)え返し、アメリカを「安易な烙印(らくいん)や批判を拒むと同時に、自らに足払いをかけながら、永遠に革命を続ける手強(てごわ)い社会」として理解していくこと――それが本書の主眼であるといえる。安易な親米論/排米論、しばしばグローバリゼーションと重ね合わせたアメリカニゼーションへの批判が前提としているアメリカ像では、肯定するにせよ、批判するにせよ、アメリカの実相に迫ることはできない。コミュニティーという局所から「『アメリカ』という永久革命」へと肉薄しようとするスリリングな一著である。【評 北田暁大(東京大学准教授・社会学)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

文化人類学とわたし
文化人類学とわたし川田 順造

青土社 2007-11
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本書は「文化人類学とは何か」を問う本であるが、表題が示すように、それは「わたし」とは何かを問うことと切り離せない。文化人類学は、石田英一郎が、アメリカでクローバーらの総合人類学の考え方に共鳴し、東京大学教養学科に新設したものだ。それ以前は、民族学と呼ばれていた。文化人類学は、「アメリカ直輸入の学問」なのである。著者は新設学科の2年目に入った、「文化人類学の純粋培養」の世代であった。著者はそのことに疑いを抱きつつ、文化人類学者として生きてきた。とはいえ、疑いが否定になったわけではない。著者はそれによって、文化人類学あるいは総合人類学を「わたし」のものとしてきたのである。

文化人類学は確かに「アメリカ直輸入の学問」である。が、実は、それ以前の民族学も西洋直輸入の学問であった。そして、誰よりもそれを摂取しながら斥(しりぞ)け、自前の経験にもとづく学問を志向したのが、柳田国男である。彼はそれを「新国学」と呼んだ。だが、重要なのは、柳田が、民俗学を広義の自然史、あるいは、文字に記録されない歴史の方法と見なしたことである。

この意味で、かつて名著『無文字社会の歴史』(1976年)を刊行した著者に最も近いのは、柳田であろう。だが、同時に、著者は、「柳田民俗学が志向したような探求を、世界大の視野で行ってゆくこと」を提唱している。また、ヒトとその文化を自然史の一過程として見る立場を徹底させて、ヒト中心主義を超えた「種間倫理」を提唱する。

著者にとって、文化人類学はつねに現実の社会と歴史にかかわる行動である。一方で、ダホメ(アフリカ)の世界遺産保護、修復の仕事にたずさわってきた。他方で、毎年8月15日に靖国神社に行き、人々や出来事をしらべることを続けている。また、江戸からの連続性をもつ東京下町の人たちから話を聞くことを続けている。それらは、明治以後の国家的歴史に対して、いわば「無文字社会の歴史」に迫る方法にもとづいて対抗することだといえる。【評 柄谷行人(評論家)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

音楽が聞える―詩人たちの楽興のとき
音楽が聞える―詩人たちの楽興のとき高橋 英夫

筑摩書房 2007-11
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詩が生まれ出るとき、詩人はおのずと音楽家になっている。高橋氏のことばを借りれば、「詩は音楽になる以外にどんな通路も持っていない」し、「詩を読むということは(自身が)音楽の状態になるということ」なのだ。詩と音楽は一つと言っていい。

音楽的詩論集である本書は、萩原朔太郎、北原白秋、中原中也ら、音楽を愛し、自ら楽を奏で、詩に音楽を宿らせた10人の詩人をとりあげる。アマチュア音楽家としての側面にも光をあてながら、詩人の楽興から真のポエジーが「沸騰したやかんの湯」のように溢(あふ)れ出す場面の数々を、その場に居合わせるかのように体験させてくれるのだ。体ごと引きこまれる。

例えば、ベートーヴェンの「皇帝」を聴いた宮沢賢治の体からは「霊的な雰囲気」が漂い出し、音楽の中に幻想的な表象を喚(よ)び出しつづける凄(すさ)まじい「音楽的デーモン」と化したという。その心象風景は『春と修羅』に結晶する。あるいは、バッハの協奏曲を聴いたとき、「真向から音楽が世界を鳴りとよも」した高村光太郎の心の動き。この曲を材にした詩「ブランデンブルグ」で紺青の空高く飛翔(ひしょう)した詩人は、智恵子との「言葉なきうた」の境界をついに超え、「元素智恵子」を書くに至った。著者はそう感じる。

光太郎とは百八十度違う光景をバッハに聴きとり、それを詩にした詩人もいる。「バッハの夕空」を書いた尾崎喜八だ。「ドイツ・ロマン派ふう」と著者の評する憂愁のバッハ。むしろ向日性の明るい作風をもつ尾崎の「詩人以前の人間的生地」を高橋氏はそこに読みとる。氏には、彼らの詩だけでなく、その人間性の中にさえ、音楽が聞こえるようだ。こうしたヒューマニスティックな視点が詩論を心地よくふくよかにする。本書にあげられた大詩人たちを大詩人たらしめていたのは、「音楽」への愛だったのだと、読み終えて気づいた。

詩の中の音楽とはなんだろう。著者が探し求めているのは、詩、音楽、絵画、あらゆる芸術に普遍の、人の心をゆさぶる元素のようなものなのではないか。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

誠実という悪徳―E・H・カー1892-1982
誠実という悪徳―E・H・カー1892-1982ジョナサン・ハスラム 角田 史幸

現代思潮新社 2007-11
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おすすめ平均 star
starオリジナルの英語原著へのレヴューのコピーです(2005年4月10日)

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20世紀を生き、書いた歴史家の足跡

本書は、外交官、そして歴史家として20世紀英国史におおきな足跡を残したE・H・カーの評伝である。

おびただしい量のカーの作品のなかで、とりわけよく読まれている作品は二つ。ひとつは『危機の二十年』、いまひとつは『歴史とは何か』だ。前者は国際政治を学ぶ学生にとって、後者は歴史を学ぶ学生にとって、それぞれ今なお必読の古典である。

もっとも古典には、定義上、その位置づけに定説があり、多くの古典読者は、その定説を確認するためだけに古典を読むことになってしまいがちである。『危機の二十年』になら、国際政治におけるリアリズムを、『歴史とは何か』になら、歴史を「過去と現在との対話」とする彼の有名な定義をみつけて安心してしまうのだ。本書第一の効用は、カーのリアリズムを彼の内なるユートピア主義との緊張関係に置きなおし、カーの歴史観の根底にある反相対主義の岩盤を提示することで、紋切り型のカー理解から一歩前に出るきっかけを読者に与えてくれることである。

だが単なる作品解釈ではなく、評伝として書かれた本書の効用はそれだけではない。衰退するヘゲモニー国家の外交官からロシア/ソ連研究の第一人者となった彼の人生は、それ自体が、20世紀史あるいは冷戦史のひとつの意義深いピースである。彼が何を書いたかではなく、どのようにして書いたかを知ることが、とりわけ若い世代の読者にとっては、この時代を理解するうえで必要な歴史的想像力を提供してくれる。

そして本書第三の効用は、カーという人物の脱神話化である。学者としての高い名声と超人的な仕事ぶりとは裏腹に、本書では、彼の社会生活や内面生活は灰色を基調に描かれている。カーの文体を特徴づける、真理を突く乾いた皮肉や辛辣(しんらつ)な批判の舌鋒(ぜっぽう)が、防衛的で孤独なパーソナリティーや他者との共感にとぼしい鈍感さと、ある程度まで表裏を成していることを知らされるとき、知的な誠実さということの意味に、深く思いをいたさざるをえない。けだし絶妙のタイトルである。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

トラや
トラや南木 佳士

文藝春秋 2007-11
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内田百けんの「ノラや」を類推させる題が示すように飼い猫トラを回想した小説である。ここにあるのは猫への愛情だけではない。猫も人間もふくめた、命のはかなさと生の重さである。

信州の病院で内科医をつとめる「私」は作家でもあり、大きな文学賞を受けた翌年、突然うつ病になる。夕日のころになると強くなる死への誘惑。それをまぎらわせてくれたのが、軒下にやってきた子猫たちの姿で、やがて家の中で飼い始める。とりわけ強く死を意識して刃物を探したとき、足元にからみついた小さな生命の存在に救われる。

そんなトラとの時間に、さまざまな死が語られる。死期をさとって飼っていた百羽の小鳥を放した老女。悪性腫瘍(しゅよう)のため42歳で先立った後輩の医師。寝たきりの父を自宅にひきとっての介護は「私」や家族に疲れをもたらした。だが葬儀を契機に心療内科の通院は終わる。「まぎれもなく、この身は父の死を糧に生き延びたのだった」という一行は重い。時によって変容していく人間の、生死の微妙な響きあいが静かな余韻を残す。

小型の本造りは、病んだ人でも手に取りやすい。まるで、あの子猫のように読者のそばにありたい、というかのように。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか
わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか多田 富雄

青土社 2007-11-19
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おすすめ平均 star
starリハビリ診療報酬改定反対運動の免疫学の多田富雄氏による論跡
star世界的免疫学者の生き様に何を見るか?!

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弱者のために振り絞った声

『免疫の意味論』などの著作でも知られる著者が脳梗塞(こうそく)に見舞われ、懸命のリハビリで後遺症と闘う姿は、これまでもしばしば伝えられてきた。ところが厚労省は06年4月、リハビリ医療に上限日数を設定、著者にも打ち切りが通達された。いわゆる小泉改革の一環として医療制度にもメスが入れられ、弱者切り捨てが行われたのだ。

著者はすぐさま朝日新聞の「私の視点」欄に「診療報酬改定 リハビリ中止は死の宣告」を投書し、「一番弱い障害者に『死ね』といわんばかりの制度をつくる国が、どうして『福祉国家』と言えるのであろうか」と強い口調で訴えた。本書は、その投書がきっかけで始まった「リハビリ打ち切り反対闘争」の記録だ。

署名が48万も集まった。厚労省に提出した。しかし梨のつぶてで、医学会も黙認。鶴見和子さんら同志も世を去る。中医協会長が見直しを命じるが、再改定案はとても利用者の期待に沿うものではなかった……。

怒り、希望を抱き、失望して落胆してもまた闘おうとする著者に、「改善の見込みはない」などといったい誰が言えるのだろう。知の世界の巨人である著者が弱者のために振り絞った声に、耳を傾けたい。【香山リカ(精神科医)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦 (中公新書 1927)
西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦 (中公新書 1927)小川原 正道

中央公論新社 2007-12
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おすすめ平均 star
star最新の西南戦争通史
starフィクションでないのに臨場感がある
star明治維新の総決算

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西郷シンボル化の軌跡を追う

近代日本最大、そして日本史上最後の内戦だった西南戦争。本書は、この戦争が「不平士族の反乱」という一言では割り切れない多様な性格を持っていたことに焦点を当てている。

例えば、挙兵の動機は、明治新政府の専制、開化路線に対する反発だったが、その政府批判は、欧米の革命思想から強い影響を受けており、福沢諭吉のように、西郷隆盛の「抵抗の精神」を弁護する啓蒙(けいもう)思想家も存在した。

また、自らの意思で西郷軍、新政府軍に加わった者が全国にいた半面、薩摩にはいずれにも与(くみ)しない旧士族が多数おり、彼らの帰趨(きすう)には旧藩時代からの身分差別も影を落としていた。

多様であるが故に、政府に「尋問」するという矮小(わいしょう)な決起目的しか掲げ得なかった西郷軍。それを辛うじてまとめていたのが西郷という存在そのものであった。著者は、西郷が真情を語ることなく決起のシンボルとなり、やがて神秘化され、様々な夢が仮託されていった軌跡を追う。他方、戦争で示された政府への抵抗のエネルギーは、自由民権運動に転化していったと評価されている。

西南戦争130周年となる年に、その全体像をバランス良く描き出した良き概説書が誕生した。【奈良岡聰智(京都大学准教授)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択
日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択曽我 謙悟 待鳥 聡史

名古屋大学出版会 2007-12
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首長と議会、二つの民意の機能を分析

第1次地方分権や三位一体改革の結果、地方自治体の財政状況に大きな格差が生じるようになり、あらためて知事や地方議会の重要性と責任が問われるようになってきた。かつてのような「誰が知事をやっても同じ」といわれた時代は終焉(しゅうえん)したのである。

こうした地方自治体について、従来は「中央―地方関係」(国と自治体の関係)から分析するか、自治体官僚の行動に注目して分析することが多く、「二元代表制」(住民から選ばれた自治体の首長と議員が住民の民意を各々(おのおの)、代表する仕組み)が機能しているのかどうかという視点から分析することは稀(まれ)であった。

これに対して、本書は、60年代以降を、15年ごとに、(1)革新自治体隆盛期、(2)保守回帰期、(3)無党派知事期の3期に分け、各期ごとに、各都道府県の知事の党派性や地方議会における各党派の議席率が政策選好にどのような影響をもたらしてきたのかを分析したものである。

その結果、まず(1)期では、革新系知事が福祉重視を推進しようとしたのに対して、党派を問わず地方議会は開発重視を主張した。そして(2)期では、知事が財政健全化を進めようとしたのに対して、議会は歳出削減に消極的であった。また(3)期では、厳しい財政状況の中で歳出を抑制せざるをえず、党派による政策選好の対立が明確になったことが明らかにされている。

また、地方交付税が常に財政規律を失わせることに直結するわけではないなど、興味深い知見も得られている。

これらの分析を通じて、著者はこれまであまり顧みてこなかった「日本の地方政治」に解明のメスを入れようとしており、その意欲は高く評価したい。また、きちんとした理論的仮説に基づいて客観的なデータ分析を行うことで、既存の学問に対する理論的貢献を行おうとする試みは、他の研究者の範となるものである。自治体財政については地域特性など他の要因も含めて分析する必要があるなどの本書で残された幾つかの課題を含めて、著者や彼らに続く世代が今後、分析を積み重ねていくことを期待したい。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

小堀遠州茶友録 (中公文庫 く 18-1)
小堀遠州茶友録 (中公文庫 く 18-1)熊倉 功夫

中央公論新社 2007-12
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利休のわび茶を「綺麗(きれい)さび」へ引き継ぎ、建築や作庭でも時代の美意識をリードした遠州。その時代には戦国の荒々しさや桃山の華麗の後、王朝文化へのあこがれが復興した。将軍、天皇から町衆や職人まで50人との交遊から生涯をたどる外伝。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

白蛇教異端審問 (文春文庫 き 19-11)
白蛇教異端審問 (文春文庫 き 19-11)桐野 夏生

文藝春秋 2008-01-10
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おすすめ平均 star
star著者初のエッセイ集です。

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ブレークのきっかけとなった「OUT」は、他の作品を捨てた意地から生まれた話。書評や映画評、また表現に命をかける者のための「白蛇教」教祖として自身と自作への侮辱・中傷に闘いの筆を執る表題作など、小説家としての背骨のありどころを感じさせる第1エッセー集。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

親鸞のこころ―永遠の命を生きる (小学館文庫 う 7-6)
親鸞のこころ―永遠の命を生きる (小学館文庫 う 7-6)梅原 猛

小学館 2008-01-07
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浄土真宗の開祖・親鸞の思想や人間性を師の法然と照らしつつ説いた1部と、神仏習合の先駆者といえる泰澄をはじめとした3人の仏教者と世阿弥の能について語った2部からなる。古代から中世に広まった日本仏教の思想を新たな角度からとらえ直す。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2) (集英社文庫 た 28-2)
谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2) (集英社文庫 た 28-2)谷崎 潤一郎

集英社 2007-12-14
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殺人を犯したかもしれないと、弁護士事務所を不意に訪ねてきた青年が不可思議な告白をする「柳湯の事件」を始め、「白昼鬼語」など大正期の東京を舞台にした、まがまがしくも耽美(たんび)的な谷崎流ミステリー4編を収める。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

弾左衛門とその時代 (河出文庫 し 13-1)
弾左衛門とその時代 (河出文庫 し 13-1)塩見 鮮一郎

河出書房新社 2008-01-05
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幕藩体制下で下級官吏としての職能をもち、関八州の被差別民を統括した、人名でも職名でもある「弾左衛門」。最後となった13代目・弾直樹の生涯を中心に、明治維新の「解放令」による廃止で、職能と身分が直結した時代から個と個がむきあう時代へ、差別が成立する場の変容を描く。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

ニッポンの大学 (講談社現代新書 1920)
ニッポンの大学 (講談社現代新書 1920)小林 哲夫

講談社 2007-12-19
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star大学のモノサシは数パターン持つことが必須
starデータがぎっしりしていて読み応えがある

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偏差値による大学ランクが実像を見えにくくしていることに気づかされる。学生の満足度やサークル活動、購読誌、果てはミスコン入賞率まで、多様な切り口での取材データを一覧で提供。大学の姿勢とともに、学生の気質などから「大学文化」に迫る。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

「本能寺の変」はなぜ起こったか―信長暗殺の真実 (角川oneテーマ21 B 103)
「本能寺の変」はなぜ起こったか―信長暗殺の真実 (角川oneテーマ21 B 103)津本 陽

角川書店 2007-12
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star「下天は夢か」の著者が光秀・信長の心理面の考察から迫る本能寺の変の真因

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本能寺の変を、明智光秀による織田信長殺人事件と見れば、ミステリーとしての見方もできる。実行犯の裏に、黒幕はいたのか。いたとすれば誰か。諸説を立てて、最近も多くの小説が書かれている。ベテラン歴史小説家が推理する。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

江戸の教育力 (ちくま新書 692)
江戸の教育力 (ちくま新書 692)高橋 敏

筑摩書房 2007-12
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江戸の庶民教育といえば「寺子屋」が思い浮かぶ。19世紀に広まり、村に複数あった寺子屋では実際、どんな教育が行われていたのか。文字だけでなく「一人前の大人」にするための教育は、公権力によらず民間の力が大きかったという近世の実像の一面。

■2008/01/20, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

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