メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年9月23日~9月30日

人類の足跡10万年全史
人類の足跡10万年全史スティーヴン オッペンハイマー 仲村 明子

草思社 2007-08-31
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おすすめ平均 star
star人類のはじめとか、、、

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「出アフリカ」たどり、画期的洞察

現生人類の起源に関して、従来二つの説があった。一つは、多地域進化説である。これは世界中の「人種」は、現生人類の祖先であるジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人などからそれぞれ進化し、以後それらが混合しあったというものだ。それに対して、現生人類の起源は単一であるという説があったが、いずれも決め手を欠いていた。ところが、近年の遺伝子学の発展は、長年の論争をまたたくまに終わらせてしまった。すなわち、現生人類の祖先は、アフリカ東部から紅海を越え、南アラビアを経てインドに向かった、数少ない人々であった、という考えがほぼ勝利したのである。

そのカギはつぎの点にあった。ミトコンドリアDNAは母から子に、ほとんど変異することなく伝えられる。さらに、Y染色体も父から男子に、ほとんど変異することなしに伝えられる。現在の各地の人間および古代の人骨から採取したDNA情報を、この二つの視点からしぼりこむと、人類史の系統樹を作製することができる。むろん、それだけでは、現生人類がいつどのように出てきたか、さらに、どのように地球上にひろがったかを理解することはできない。気候変動や火山の噴火などに関する研究、考古学、人類学、言語系統学などが必要だ。とはいえ、遺伝子情報が決め手となったことは疑いない。

学問の歴史において、これほど短期間に長年の論点が解決されてしまうケースはめったにないだろう。にもかかわらず、遺伝子情報が旧来の見方を根本的にくつがえしたとはいえない。本書の著者、オッペンハイマーは、現生人類の「出アフリカ」が、南ルートをとり、且(か)つ一回限りであったということを主張した科学者であるが、それによって、彼は、多地域進化説の根底にあるヨーロッパ中心主義(ヨーロッパ人はクロマニヨン人の子孫であるというような)や人種差別主義が無根拠であることを証明した。また、彼は、現生人類がそれ以前のネアンデルタール人や類人猿などの文化に多くを負うことを示し、人間の飛躍的な卓越性という観念を否定した。だが、このような画期的洞察は、必ずしも遺伝子情報のみによるのではない。むしろ、現代社会に生きて考えてきた経験によるものだ。

そのことは、科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドの『5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった』(イースト・プレス)という類書を見るとき、明らかとなる。ほぼ同じデータにもとづいたこの本には、オッペンハイマーとは根本的に異なる態度がある。たとえば、アフリカを出た現生人類の祖先が150人ほどだったという説から、ウェイドは、以後、「進化」によって、各「人種」がいかに知的・肉体的に違ってきたかを見ようとする。また、ヨーロッパ系ユダヤ人(アシュケナジ)の知能が高いことを、遺伝子情報から説明する。同じデータと方法からこれほどに違った認識が生じるのを見るかぎり、遺伝子学の発展が人間の思考に「進化」をもたらすとはかぎらない、ということを肝に銘じておく必要がある。【評 柄谷行人(評論家)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

リビアの小さな赤い実
リビアの小さな赤い実ヒシャーム・マタール 金原 瑞人 野沢 佳織

ポプラ社 2007-08
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恐怖政治の中、夫と子を守った若き母

本書評を執筆中に、本紙に「リビア『普通の国』遠く」という記事が載った(15日付)。リビアという国には、普通でない、反米の奇矯な独裁者の国、というイメージがつきまとう。その中心に君臨するカダフィ大佐は、人民主義ナショナリズムを掲げ、69年軍事クーデターで政権についた。

この話は、その10年後から始まる。父親を政府に不当逮捕され、エジプトに逃げざるをえなかったリビア人たる作者の、自伝ともいえるこの小説には、作者の幼少時の心象風景が折り重なる。

少年の家族を追い詰める出来事は、南欧の景色を髣髴(ほうふつ)とさせるような、美しい映像のなかで語られる。抜けるような空と海の青と、太陽の黄、建物と砂漠の白にクワの実の鮮やかな赤。取り戻せないからこそ、記憶は美しい。

独裁で思い浮かべられがちな、物理的暴力の残酷さを描く個所もあるが、それよりもいつ姿を現すかわからない、監視の目への恐怖、息苦しさが、ひりひりと痛いほどに伝わる。父の友人の逮捕、父の行方不明。無邪気になのか不安感の裏返しからなのか、反逆者の息子とみなされた友人をいじめ、父の秘密を監視者に暴露してしまう少年。

中東だけではない、すべての独裁国家で暮らす緊張感を、子供の日常生活のなかに描いた点で、主人公はこの少年だろう。だが話の核になるのは、母親のほうだ。民主化など政治活動に夫が関(かか)わることの危うさにいらだち、「薬」に逃避する弱い女性と、表面的には描かれているように見える。意に沿わない結婚を強いられた、封建的家族関係の犠牲者とも位置付けられる。

だが政治に首を突っ込んでボロボロになった夫を支え、子供を国から逃がす算段をしたのは、母だ。家族の命を救うためには、夫が裏切り者と思われることも辞さない。

原題は、「男たちの国で」。殺される運命にあって、物語だけで生き延びることに成功した『千夜一夜物語』のシェヘラザードが、しばしば引用される。男たちの世界に振り回されつつも家族を守り続けた、若き母の芯の強さへの、息子からの賛歌でもある。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

都道府県改革論―政府規模の実証研究
都道府県改革論―政府規模の実証研究野田 遊

晃洋書房 2007-07
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道州制導入の論議を実証的に分析

福田新内閣で道州制導入に積極的な増田総務相が再任されたことで、道州制導入に向けての議論が今後も継続していくのではないかと思われる。

この道州制については、「規模の経済性」による行政コスト削減や分権化を期待する賛成論と、行政と住民の距離が開いてしまうことや道州内の地域格差が生じることを案じる反対論が対立している。本書は、都道府県を単位とするデータ分析により、そうした論争に客観的な知見を与えようとするものである。

まず、著者は県内市町村数が多いほど市町村間の水平的連携がなされるようになり、人口1人あたりの府県の歳出が少なくなる、という驚くべき事実を明らかにする。また、市町村合併によっては府県の歳出が抑制されないことを提示する。こうしたことから、都道府県の自主的な合併を前提とする道州制では、非効率的財政が温存される可能性があると警鐘を鳴らす。

さらに、県内市町村の歳出に比べて上位政府である県の歳出が大きいほど非効率な財政歳出が行われるという分析結果を明らかにする。そして、各市町村間の財政格差は小さい方が効率的であることも示す。換言すれば、道州制を導入する際には、道州政府の歳出を抑制する一方で、道州内市町村の格差是正を誘導する施策が望ましいことになる。

そして、都道府県から道州へ規模が拡大しても、市町村では対応できない行政に限って道州政府が担い、住民の期待に応えられる対応能力を示せば住民の参加意識(投票率など)は低下しないことを分析結果から示唆する。

さらに、雇用や定住など人口にかかわる施策は道州単位で統合的に行い、社会資本整備は道州内で中心となる府県に行うことが効果的であることを実証している。

こうした著者の分析に対しては、都道府県単位の分析から道州など広域行政の効果を類推することはできないのではないかとの意見もあるが、今後の道州制論議に向けて多くの示唆に富む知見を提供するものと評価したい。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

日本の古典芸能―名人に聞く究極の芸
日本の古典芸能―名人に聞く究極の芸河竹 登志夫

かまくら春秋社 2007-09
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一世一代の芸の秘密、含蓄たっぷりと

古典芸能の世界で「名人」と呼ばれる十人をゲストに招いた対談集である。

その道で奥義をきわめた人物は必ずしも話し上手とは限らず、そう易々(やすやす)と話が引き出せるものではない。ホスト役の河竹登志夫は、人徳もあろうが対話術の妙を尽くして、めいめいの《芸》の秘密を肉声で語らせるのに成功した。

対話相手を楽器にたとえれば、ツボを押さえていちばんいい音を鳴らしている。

各分野に熱心なファン(したがって読者)がいることだから、洩(も)れなく紹介しておくのが公平だろう。狂言の野村万作、能楽の観世栄夫(かんぜひでお)、文楽人形遣いの吉田文雀(ぶんじゃく)、歌舞伎の片岡仁左衛門(にざえもん)・中村芝翫(しかん)、日本舞踊の花柳寿南海(はなやなぎとしなみ)、雅楽の東儀俊美(とうぎとしはる)、長唄三味線の杵屋巳太郎(きねやみたろう)、胡弓(こきゅう)の川瀬白秋(はくしゅう)、文楽太夫の竹本住大夫(すみたゆう)という顔触れである。

どんなにジャンルが多様であり、芸の《畑》が違っていても、日本の古典芸能には「自らの肉体によって創(つく)り出し、身体から身体へと伝えられていく」という普遍的な特質がある。芸とは、演者の肉体と共に消えてゆく一世一代的な技能なのである。伝承されない限りやがて滅びる。

身体で覚えた芸を言葉で言い表してもらうのは至難の業であるが、この聞き手は相手にたんなる芸談ではなく「率直な心の内」や「ハッとする言葉」や「屈託のない打ち明け話」などを喋(しゃべ)らせるのがうまい。何気(なにげ)ない一言が思いがけぬ閃(ひらめ)きを発するのだ。

たとえば、観世栄夫「若い役者たちがすぐに表情をし過ぎるんだなぁ」、仁左衛門「七五調ってのは怖いんですよ。つい、うたっちゃうんでね」、芝翫「ボンボーンって突然上がるんですよ。それで上がりそこなった人は、皆駄目ですよ。二度と上がれない」、住大夫「褒めたりべんちゃらを言うてくれはるのはお客さんのほうで、内輪から褒めたらいけまへん」。

すべて豊かな芸歴・舞台歴をふまえた発言だからたっぷり含蓄がある。文芸もまた《芸》の内であるからには、名人たちが惜しみなく自己を語る言葉から《盗む》べき秘伝がたくさんあるはずだ。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

信長は本当に天才だったのか
信長は本当に天才だったのか工藤 健策

草思社 2007-08-24
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おすすめ平均 star
starあまりにうがちすぎでは

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信長の天才性は、桶狭間の戦いでの不利を覆した勝利を始め、経済の時代を見越した楽市・楽座の開設、南蛮人の渡来によって大航海時代に入ったという先進世界の潮流を直感的に見抜いたことなど信長ファンならずとも知っている。これら諸説の幾つかに対し、桶狭間から本能寺の変に至る信長の行動を綿密な資料渉猟によって辿(たど)り、反駁(はんばく)を加えたのが本書である。

わずか二千人の信長軍が奇襲して大軍の今川義元を破った桶狭間の戦い。「軍略の天才」と言われたこの戦も拙劣なもので、たまたまの豪雨に助けられただけにすぎないという。また戦術家として信長の名を高めた長篠の戦いでも、三千丁の鉄砲を用意して武田騎馬軍団を破り、「戦術革命」だとする説に対し、武田軍の内情が原因だと反論。

また一向一揆戦などでの皆殺しの無慈悲な手法が「天才」にふさわしいかと疑問を投げかける。

天才とは、いつも孤独でだれにも理解しがたいことを行う。これに敢(あ)えて反証を試みたところに意義がある。ただ、天才とは何かという概念や定義を明確にするとともに、あの時代の世界に対する信長という人物の眼差(まなざ)しにも触れてほしかった。【評 前川佐重郎(歌人)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

楽園 上 (1)
楽園 上 (1)宮部 みゆき

文藝春秋 2007-08
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おすすめ平均 star
star9年後の前畑滋子
star模倣犯から9年後の世界
starまだ上巻しか読んでません。

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楽園 下
楽園 下宮部 みゆき

文藝春秋 2007-08
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おすすめ平均 star
starろくでなし
star模倣犯を読んでから!
star唯一の不満

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ベストセラーとなった著者の代表作の一つ『模倣犯』で大活躍した女性フリーライター、前畑滋子が主人公をつとめる。前作の影が全編に落ちてはいるが、全く独立した作品として、その世界に入っていける。

「死んだ我が子が、不思議な絵を残している」と前畑を訪ねてきた母がいる。まったく見知らぬ夫婦が、娘を殺し、長く自宅床下に埋めていた事件があった。事件発覚が、息子の死のずっと後なのに、絵の中にその遺体の状況が描かれていたという。「息子は超能力者だったのか知りたい」。そんな母の依頼を受けた前畑の調査の中から、様々な重苦しい人生や、さらなる事件があぶり出される。

それにしても、描かれる人生のなんと辛(つら)いことか。著者は、「楽園」とは「幸せ」のことだという。人々は幸せを求め、必ず、ほんのひとときであれ、己の楽園を見いだす。他から見て、それがいかに奇妙で、危うく、また血にまみれてさえいても。そして、そこに支払った代償が、楽園を過酷な地上にひきずり戻すのだ、と。

確かに、今の時代、幸せとは、何と難しいことか。読後の余韻は重いが、その中に柔らかい風も吹く。決してニヒリズムには落ちない、著者の人間観故に。【評 四ノ原恒憲(編集委員)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

ザ・ニューリッチ―アメリカ新富裕層の知られざる実態
ザ・ニューリッチ―アメリカ新富裕層の知られざる実態ロバート・フランク 飯岡 美紀

ダイヤモンド社 2007-09-14
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アメリカの資産100万ドル以上の世帯は、95年から03年までで倍増し、800万世帯を突破した。ただ金持ちなだけでなく、独自の価値観に従って生きる若き億万長者を、著者は金持ち国に住む「リッチスタン人」と呼ぶ。

家庭で采配を振るうプロの「執事」を雇い、最高級ホテルも見劣りする邸宅に住む彼らの生活は庶民感覚とはかけ離れており、正直言ってどうでもいい。

興味深いのは、彼らの政治的スタンスだ。資産1千万ドルまでのロウアー・リッチスタン人の多くは「自分たちの経済状態を良くしてくれそう」という理由で保守的だが、それ以上のクラスになると、もはや自分の財産を守る必要もないため環境、医療、教育など社会問題に関心が向き、リベラル派が増えるのだという。守銭奴であり続けるよりはマシだが、自分が十分にリッチにならないと弱い人たちに目が向かない、というのはなんとも皮肉な話。

また、あまりの格差の広がりに、アメリカ国民全体の幸福感は低下しているという説もある。著者は彼らが「自分たちのお金は授かり物ではなく責任だと気づくはず」と言うが、日本のリッチスタン人たちを見ていても残念ながらとてもそうは思えない。【評 香山リカ(精神科医)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

「雲」の楽しみ方
「雲」の楽しみ方ギャヴィン・プレイター=ピニー

河出書房新社 2007-07-18
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おすすめ平均 star
star本当に楽しめるようになる!
star雲はどう変化するのか

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蘊蓄も満載で、楽しい雲鑑賞

暑かった夏もようやく終わり、空を見上げると、さすがに秋めいた雲が浮かんでいる。そういえば最近、呑気(のんき)に雲を眺めるなどという機会をとんともたなかったことに思いいたる。

そんなストレスたっぷりの人生に一息入れたい人にお薦めなのがこの本。著者は、雲鑑賞好きが高じ、なんと「雲を愛(め)でる会」を結成してホームページまで立ち上げてしまったイギリス人。バードウオッチャーならぬ雲ウオッチャーにも市民権を、というわけだ。

ただし本書は単なる雲賛歌ではない。雲の分類を紹介すると同時に、古今東西の神話や伝承からハリウッド映画「未知との遭遇」における雲の特殊撮影に至るまで、眼(め)から鱗(うろこ)の蘊蓄(うんちく)がこれでもかとばかりに満載されている。さらに話題は、雲をめぐる科学的な説明から地球温暖化にまで及ぶ。しかも、例の出し方や比喩(ひゆ)の用い方のあんばいが絶妙。

誰にも、雲にまつわる思い出が一つくらいはある。遭遇した気象現象を勝手にロマンチックに解釈するのもいいが、科学的な説明を知るのも悪くない。それで思い出がもっと輝くかもしれないではないか。科学知識があれば人生はさらに楽しい。そんなことを実感させてくれる本だ。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

喪失とノスタルジア - 近代日本の余白へ
喪失とノスタルジア - 近代日本の余白へ磯前 順一

みすず書房 2007-08-18
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深い孤独と他者を求める憧れの間で

本書は、近代日本の知識人の精神史を新たに語り直そうとした思想論集である。著者は宗教学者で歴史家だが、既存の学問の枠には収まりきらない活躍をする人である。本書ではその著者にふさわしく、宗教・歴史・文学などの領域の違いが軽々と乗り越えられているのが特徴だ。

たとえば本書で描かれている主題の一つは、近代日本の知識人の抱いた深い孤独にある。その一例は、親しいものがその死によって隔てられる経験だ。しかしその孤独と同時に、他人とお互いに素直に理解しあいたいという強い憧(あこが)れも主題とされている。つまり一方での隔絶感と、他方での他者との共同性を求めてやまない態度、この二つのあり方が、ここでは繰り返し異なる問題を通して追求されているのである。それは戦争末期に戦死する青年たちを前にして、その救済を求める柳田国男の祖霊信仰論として取り上げられたり、現代の男女の交渉を描いた村上春樹の文学として扱われたりする。

また本書で一貫して重視している主題には、知識人の言語や論理によっては統制しにくい内面や感情の問題がある。それは宗教の生まれる根源でもある。著者によれば戦前のマルクス主義的な知識人は、かつてその論理によって無視し抑圧していた内面的なものや感情を言語化する中で、足をすくわれ転向を余儀なくされたのだという。

そしてこれと逆に、戦時下で抵抗し続けたマルクス主義史家の石母田正には、マルクス主義とは異質な宗教的なものを課題として追求する志向があった。それは彼の大衆からの孤立感やその罪の意識の中に見られるという。このように分野を越えて知識人に共通の課題を見ていこうとする著者の斬(き)り口は、なかなか鮮やかといってよい。ただしその説明が、やや舌足らずの時もあるようだ。

とはいえ本書は宗教史や史学史を扱いながら、現代の孤独な私たちが他人に伝わる言葉を見いだそうとする時の、痛切な言葉に溢(あふ)れている。その切実さが、学問の語り直しを促す著者の迫力を生んでいる理由と思えた。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

共和主義ルネサンス―現代西欧思想の変貌
共和主義ルネサンス―現代西欧思想の変貌佐伯 啓思 松原 隆一郎

NTT出版 2007-07
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帝国に抗う思想の普遍化を多角的に

共和主義は、日本の政治風土に根を下ろした言葉とは言い難い。共和主義を掲げる日本の政治家など私は知らないし、特定の党派を共和主義的だと論評する記事にもお目にかからない。多少ワケ知りな筋にとっても、この言葉はエリート主義の上品な言い換えのようなものでしかない。

共和主義は、ギリシャ・ローマの古典的世界に淵源(えんげん)を持つ。それは共和国のあり方を説く思想である。共和国は帝国と対峙(たいじ)して意味を持つ。もっと正確に言えば、帝国へと変じていく芽を内部に抱えながら、その傾向に抗(あらが)う思想が共和主義なのである。したがって、日本における共和主義の不在は、帝国に抗うということが何を意味するのかが真剣に考えられていないということの表れでもある。

とはいえ、この言葉を明快に定義するのは難しい。公徳心、愛国心、「法」による支配、反集権主義、反金銭主義など、いろいろ挙げられるが、どれを本質的と見るかで共和主義像はかなり異なる。

そのように必ずしも整合的でない多様な要素が、共和主義というひとつの表題の下に書き込まれる原因は、西欧が近代へと多段階的に脱皮していく際に、そのつど自己の起源としての古典的世界への解釈が重ね書きされてきたからだ。しかし、最終的に近代というロケットが西欧から普遍へと打ち上げられたとき、共和主義という名の打ち上げ台は忘却されてしまった。

してみれば、日本のような非西欧の近代社会においてこの語がいかにも疎遠なのは当然でもあるが、逆に言えば、自由や民主主義といった西欧起源の普遍主義的価値は、実はその遺伝子構成のなかに、共和主義的要素を伏在させているということでもある。

本書の各章は、このように西欧思想――特に通常共和主義と対置されることの多いリベラリズムの諸思潮――のすみずみに入り込んでいる隠れた共和主義的主題を緻密(ちみつ)に論ずるものである。それは共和主義思想の良質な現代的入門であるだけではなく、グローバル化の時代にあって、普遍主義的主張に向き合う姿勢の鍛錬の場でもある。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/09/30, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

嬉しうて、そして…
嬉しうて、そして…城山 三郎

文藝春秋 2007-08
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おすすめ平均 star
star深重さの中の温かさ

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理不尽な組織の「大義」に抗し続けて

作家・城山三郎は、この3月22日に茅ケ崎の病院にて亡くなった。享年79。遺稿集『嬉(うれ)しうて、そして…』のあとがきで、最後の2カ月を一緒に過ごした娘の井上紀子さんは「一番心配していた長患いをすることもなく……さらりと逝ってしまった」と書いている。紀子さんによれば、城山は経済小説家として有名だが「原点は戦争でした」(『城山三郎が娘に語った戦争』)という。

17歳の城山が徴兵猶予を返上し「一身を国に捧(ささ)げ」る覚悟で、海軍特別幹部練習生として志願入隊したのは敗戦の3カ月前である。そこで城山が体験したのは「ただ狂ったように、部下を撲(なぐ)りつけるだけ」の非人間的な帝国海軍と、「玉砕と呼ばれる事態を繰り返す他なかった戦争末期」の狂乱だった。戦争とは国民という個人に対する国家という組織の「裏切り」である。言論の自由がなければ個人は組織の理不尽な「大義」に抵抗できない。晩年の城山がテレビに出演したりデモに参加したりして、個人情報保護法に激しく反対したのも同法が「運用次第では言論統制法につなが」る危惧(きぐ)を覚えたからだ。

城山の小説には、組織の「大義」や時代の流れに抗して生きた男たちが多く登場する。その男たちが『官僚たちの夏』や『乗取り』のようなフィクションから、次第に『雄気堂々』の渋沢栄一のようなノンフィクションへと変わった背景について、城山は佐高信氏との対談(『城山三郎の遺志』〈岩波書店〉所収)で「存在そのものが美学であるというような人……を知って、書いてみようという気持ちがだんだん強くなってき」たと述べている。旧平価で金輸出の解禁を断行した浜口雄幸と井上準之助を『男子の本懐』で取り上げたのも、膨張する軍の予算を抑えるためには国民にデフレの痛みを強いても「それしかない」と、命を賭して決断した2人の「覚悟」を書きたかったからである。

00年にかけがえのない容子夫人を亡くしてから、城山の視点は「大切な人を失って、なお生き続けなければならない者」へ移ったと紀子さんは回顧する。そのとき、城山は改めて戦争の理不尽さを実感したのかもしれない。夫人の死後に書き上げた『指揮官たちの特攻』には、共に23歳で世を去った最初と最後の特攻隊員の「花びらのようにはかなかった」幸せな新婚生活の後で、残された家族が敗戦後に送らざるを得なかった長く、切ない余生が綴(つづ)られている。

指導者としての浜口と井上の「覚悟」をテーマにした講演で、城山はイギリスの経済学者J・S・ミルの言葉“My work is done(我が仕事は為〈な〉せり)”を引用し「この一言を残して世を去りたい」と願いを述べた。それが叶(かな)ったことは、紀子さんの「とてもやすらかに、ほっとしたような顔で亡くなりました」という言葉に表れている。城山は逝ったが、城山の作品は生きている。自らの筆によるエッセーと紀子さんに語った積年の思いを通して人間・城山の日常と心の奥を知ることは、作家・城山の作品に対する読者の理解をいっそう深めるに違いない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授・日本経済論)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

タタド
タタド小池 昌代

新潮社 2007-07
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なにかにふっと持っていかれそうになる感覚の狂おしさが、この短編集をうっすらとおおっている。引き潮、引力、堰(せき)を切って溢(あふ)れるもの……。川端康成文学賞作の「タタド」を含む3編には、50代の男女が多く登場する。離婚あり、失業あり、挫折あり、そうして彼らはいま人生の半ばを過ぎようとしている。いつか訪れるものの影が、木の間にちらちらと躍り始める頃だ。

「タタド」は、妙なものが出たり入ったりするお話である。夫婦のいる海辺の別荘へ、友人たちが遊びにくる。テレビ局員の夫の客は脇役女優、妻スズコの客は元同僚の男性。男はかつて自分の口を出入りしたスズコの舌を思いだし、女優の顔をちらちら見ているうちに、自分がその顔のなかを「出たり入ったりする虫」に思えてくる。食卓を囲む4人の口の穴には、海藻が「するすると、ずるずると」吸いこまれる、そんな風の強い夕べ。関係の「決壊」はそこまで迫っている。

影はどこからでも這(は)い入ってくる。浅瀬でゆれるウミウチワは、「笑いさざめく死者の顔」になり、想像のなかで轢(ひ)いた猫は葬れずにいつまでも現れる。その感じは、「波を待って」という編で、どんなに防ごうとも侵食してくる海辺の風、砂、水、光にも似ているだろう。主人公の夫は五十半ばでサーフィンの虜(とりこ)になり、波に「イカレテ」しまった。子供とともに浜で待つ妻は、夫の身を強く案ずる一方、彼がここで消えたとてそれは潮の満ち引きのような現象にすぎない、とも思うのだ。止めようのない力……。次の「45文字」では、元同級生の女に再会した男が、引力にひかれるようにどこかへはみだしていく。

タナトスとエロスは融(と)けあいひとつになる。男と女がふわふわと出たり入ったりするのは、夢とうつつ、眠りと覚醒(かくせい)の境目、つまりは生と死の境をなす穴なのだ。抗(あらが)いえぬ力に攫(さら)われる時を予感しつつ、人々はいまひととき波間にゆれる。そのいまにもほどけそうなあやうさ。気がつけば、わたしは思わず叫びだしそうになっていた。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

靖国戦後秘史―A級戦犯を合祀した男
靖国戦後秘史―A級戦犯を合祀した男毎日新聞「靖国」取材班

毎日新聞社 2007-08
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おすすめ平均 star
star「連載企画の毎日」の面目
star松平宮司の個性
star日本国においてA級戦犯は存在しません

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合祀の裏に「戦後体制への強い反発」が

現在の靖国神社は、A級戦犯被告の合祀(ごうし)を正当化する立場に立ち、神社本庁も同様の地点に立っている。しかし本書はこれとは逆に、戦後の靖国神社や神社界では、A級戦犯の合祀に慎重な意見も大きな流れであったことを説明しようとするものだ。

靖国神社で長い間「保留」扱いされていたA級戦犯の合祀は、78年10月に、その3カ月前に就任したばかりの松平永芳宮司の決断によっておこなわれたものであった。松平宮司は、「皇国史観」で知られる平泉澄を師と仰いでおり、戦前は海軍軍人、戦後は陸上自衛官として過ごし、BC級戦犯として刑死した義父の「無念」を晴らそうと考える人物だった。本書は、軍人としては不遇な経歴だった彼が、戦後体制に反発する強烈な信念の人だったことを明らかにしている。その信念は、宮内庁とも「公式参拝」をした中曽根首相とも、摩擦を引き起こすものだった。

しかし、戦後30年以上宮司の職にあった前任の筑波藤麿は、もともと軍人嫌いの独特の平和論者であり、A級戦犯の合祀について慎重な立場をとり続けていた。また戦後の神社界きっての理論家であった葦津珍彦(あしづうずひこ)は、79年にA級戦犯の合祀への批判論を公にしたのである。ただし靖国神社のあり方をめぐって、神社界の中にある松平宮司とは対立する考え方には、諸種の異なる立場があった。本書の問題点は、それらの議論を一つに結びつけようとしている点にあり、そこにやや無理があると思う。

本書は、東京市ケ谷の防衛省の敷地内にあるメモリアルゾーンの叙述で終わっている。03年9月に整備されたそれは、戦後の殉職自衛官1700人以上の名前が刻まれた銘板を収めた追悼施設で、ここへの外国の要人の訪問も始まっているという。自衛隊の海外派遣が増加する中で、21世紀の日本の「戦死者」の追悼施設とされるものは、すでに靖国神社から離れつつあるというのが本書の見方だ。今やA級戦犯を合祀した事実が、靖国神社に重くのしかかっていることを示唆する指摘ともいえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

イエズス会宣教師が見た日本の神々
イエズス会宣教師が見た日本の神々ゲオルク・シュールハンマー 安田 一郎

青土社 2007-07
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一神教の目で見た八百万の神の国

真言宗の信者はデウスを大日(だいにち)といい、禅宗では方便といい、浄土宗は阿弥陀といい、法華宗は「妙」という――イエズス会の宣教師が日本人の宗教的な寛容さから受けた印象を語って、これほど簡潔な表現はあるまい。

本書はザビエル研究家のシュールハンマー神父が一九二三年に著した『神道。日本における神々の道』の全訳である。リスボンの古文書を発掘し、日本で布教した同会宣教師の報告書から「見たまま、感じたままの日本の神々の話」を抜粋した労作である。

宣教師が活躍した十六世紀後半から十七世紀初めの百年間、日本の宗教は両部神道に体系化された神仏混淆(こんこう)であった。だが布教の第一線で直面するのは、教義ではなく、寿命・健康・財産・子孫繁栄などさまざまな現世利益を願って一心不乱に祈る民衆の旺盛な信仰心なのである。

広島を旅したジラムの書信には、参拝者で賑(にぎ)わう「美しい島」すなわち厳島神社の壮麗さに驚いた神父がこんな「偶像の建物」を崇拝する人々の「盲目」に驚きを禁じ得なかったと記されている。

奈良の春日大社を訪れたアルメイダは、鬱蒼(うっそう)と繁(しげ)った森と美しい杉並木に「私は生涯でこんなに美しく、こんなに高く、太い木々を見たことがありません」と感嘆する。だが同じ場所がヴィレラには「バアル(フェニキアの異神)の神官とその神殿」と映じて非難の眼差(まなざ)しを向けられる。

フロイスが京都の祇園祭から得た感想は「悪魔はその行列ではキリスト聖体節のまねをしている」というものだ。時に思い浮かべるのは、「日本の国家的聖地、伊勢の日の女神の社を十字架が征服する希望」であった。

神仏を端から悪魔にしてしまう排他性には、初めに記した多神教的な寛容さに比べると、一神教特有の押しつけがましさが否定できない。

キリシタン信徒になった人々の信仰心は疑えないが、イエズス会の活動は貿易実利や医療と無関係ではなかった。天主教の神は日本の弾力的な宗教風土の中に、八百万(やおよろず)の神々の有力な一柱として受容されたと見るのは僻目(ひがめ)か。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦
「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦椎名 篤子

大和書房 2007-07
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おすすめ平均 star
star虐待からの回復を目指して

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児童虐待防止活動に取り組む著者が、傷ついた子どもをケアする現場を追った。

取材先は、虐待を受けた乳幼児を育て直す「ペンギンハウス」、児童精神科の入院病棟を持つ「あすなろ学園」などだ。

6歳で“発見”された舞ちゃんはそれまで一歩も外に出されず、一日の食事は夕食だけだった。その後遺症には、戦慄(せんりつ)を覚える。

たとえば自分の頭を拳で殴る。子どもにふさわしくない「ですます言葉」で話す。大人に従順すぎるほどの従順さを見せる。自分の心を変形させ理不尽な環境に適応、そのねじれが深い傷を作っていた。

多くの専門家が献身的に回復を支援する。絵カードとひらがな五十音表との照らし合わせを続けた結果、舞ちゃんが文字と音を一致させた瞬間は感動を呼ぶ。ただ虐待した母親も彼女自身の家族に翻弄(ほんろう)された被害者とあり、問題の根深さを痛感する。

全国の児童相談所の虐待対応件数は、06年度は約3万7千件。10年前の9倍と急増した。大人になった被虐待児は「自分を好きになれない」と生きにくさを表現するという。著者の主張する自立援助ホームの全国的設置が必要と痛感した。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

メディアのなかのマンガ―新聞一コママンガの世界 (ビジュアル文化シリーズ)
メディアのなかのマンガ―新聞一コママンガの世界 (ビジュアル文化シリーズ)茨木 正治

臨川書店 2007-08
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一コマで訴えてくる影響力

新聞が政治や世相を批判する際に、長い文章を連ねるより一コマの諷刺(ふうし)画を掲載する方が読者に訴えることがある。本書は、そうした政治漫画や、世相諷刺画(カートゥーン)の歴史や読者に与える影響を分析し、解説したものである。

そもそもカートゥーンは、中世末期の宗教改革で、教皇の悪事をパンフレットに描いて暴露することから始まったという。その後、新聞の普及に伴い読者層が一般庶民に広がるにつれて、難解な文章よりもわかりやすい諷刺画がもてはやされるようになった。

しかし、次第に漫画家の囲い込みなどで紙面がマンネリ化したり、世の中の出来事が複雑化するにつれて一コマ漫画では描ききれなくなったりし、勢いを失った。

わが国でも、明治以降、諷刺画などが新聞に多く掲載され、特に大正期には、当時の政治家たちを痛烈に皮肉ったが、二・二六事件以降は翼賛漫画に移行した。

こうしたカートゥーンは、読者に何が重要な争点であるのかを印象づけ、時には読者の政治的態度を変容させる効果をもつ。古今東西のカートゥーンを通してメディアと読者の関係を解明しようとする異色の意欲作である。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー (角川選書 413)
エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー (角川選書 413)前田 絢子

角川学芸出版 2007-08
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おすすめ平均 star
star人間性に魅了されます
starこれはアメリカ合衆国の歴史の教科書です
starエルヴィスは何を遺したのか

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米国の夢と悪夢を巧妙に

ロックの帝王エルヴィス・プレスリーが42歳で世を去ってから、今年の8月で30年。ゆかりの地・テネシー州メンフィスでは追悼企画が行われ、いまもアメリカ合衆国にはエルヴィス生存説を信じる向きがあるという。空前絶後のポップスター神話は、どのように構築されたのか? エルヴィス研究の第一人者が送る最新刊は、彼の背後より、現代アメリカの夢と悪夢を巧妙にあぶりだす。

もちろん1954年、黒人音楽を崇拝してやまない10代のエルヴィスが試行錯誤の末にロックを産み落としてしまう場面は、何度読み返してもドラマティックだ。しかしそれ以上に、1960年代、エルヴィスの音楽がいかに人種問題を反映し、いかに音楽によって黒人牧師マーティン・ルーサー・キングと応答したか、彼のコンサートがいかにゴスペルの宗教的儀式を彷彿(ほうふつ)とさせるものであったかを分析する筆致が迫力十分。

ビートルズを反米とみなし、麻薬取り締まり強化をニクソン大統領に直訴する愛国者エルヴィス自身が、薬物の過剰摂取に陥っていく晩年は皮肉である。本書はさらにフェミニズム的解釈においても異色の仕掛けを秘めているのだが、それは読んでのお楽しみ。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

映画篇
映画篇金城 一紀

集英社 2007-07
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おすすめ平均 star
star154ページ「保釈金」の説明が事実と異なる!
star心に響く映画篇・・・ぜひ続編を!!
star映画が観たくなる

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五つの小説が収められた短編集を読むことは、すなわち五つのラストシーンに出会うということである。小説をその点のみで語ってしまうことの乱暴さは承知しているが、しかし、本書で描かれた五つのみごとなラストシーンは、おそらく――僕自身がそうだったように、読者の胸にいつまでもとどまりつづけるに違いない。

題名どおり映画をキモにした作品を揃(そろ)えた本書、各編のタイトルも「太陽がいっぱい」「ドラゴン怒りの鉄拳」「恋のためらい/フランキーとジョニー

もしくは トゥルー・ロマンス」「ペイルライダー」「愛の泉」と映画からとられている(そして全編に登場する最もたいせつな映画があるのだが……それをここで明かすようなヤボなことはしないでおこう)。

共通しているのは、それぞれの映画作品へのオマージュと、なにより「映画を観(み)る」という行為への深い愛と信頼だ。暗闇の中に浮かび上がる映画は、不器用な友情で結ばれた少年たちや、夫を自殺で亡くした妻や、おばあちゃんのために映画の上映会を開こうとする少年の心をとらえて放さない。そして、映画が彼らに力を与える。幸せだった記憶をよみがえらせ、あるいは過去の呪縛を断ち切らせて、前へと進ませる。

金城一紀さんはデビュー以来、繰り返し、いや一貫して、意志の力を描いてきた作家だと僕は思っている。本書でもそれは変わらない。五つの物語はラストシーンにたどりついて確かに閉じられる。しかし、そこには「終わり」と同時に「始まり」の力強さも内包されている。ウェルメイドな短編の余韻を超えて、主人公一人ひとりの意志が、きれいに閉じられたはずの物語をさらにもう一歩先へと進めるのだ。もちろん、その「もう一歩先の物語」は言葉では描かれていない。だからこそ、読者は読了したばかりの本書について、同じ立場の読み手と語りたくなるはずだ。話は尽きないだろう―― 〈その日見た映画の感想などを夜が更けるまで語り合った〉「太陽がいっぱい」の二人の少年のように。【評 重松清(作家)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

アリスの服が着たい―ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生
アリスの服が着たい―ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生坂井 妙子

勁草書房 2007-07-27
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おすすめ平均 star
starヴィクトリアンの理解のためにどうぞ♪

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アリスが大好き。むろん、ルイス・キャロル原作の「不思議の国」や「鏡の国」に出てくるあのアリス。

ウエーブのかかった長い髪。小さな襟とちょうちん袖のワンピース。ふんわり広がったスカートは裾(すそ)上げタックが3段。胸当て付きエプロンの生地は、洗濯のきくポプリンかしら。靴は、私も子どもの頃はいていたストラップシューズね。あの靴でウサギを追いかけてどこまでも駆けていく。おお、永遠の少女、アリスよ。

でも、この挿画家テニエルの描くアリスのファッションが、百数十年も前のイギリスの保守的なミドルクラスの少女の服だなんてことまで、考えたことはなかった。

しかもアリスの三角ポケット付きのエプロンや横縞(よこじま)のストッキングが、当時、ロンドンで大流行していたなんて。それやこれやを知ると、いっそう、アリスのイメージがいきいきとしてくる。

本書は、この『不思議の国のアリス』をはじめとする、ヴィクトリア朝後期の児童文学と「子供服」の誕生の関連を論じたもので、読んでいると、えっ、そうなの? という驚きが続出する。

たとえば、この時代の有名な絵本作家、これまた私の大好きなケイト・グリーナウェイが描く少女たちのドレスやモブキャップは、当時から言えば「おばあちゃまの時代のファッション」で、人々の「幼年時代」の郷愁をかきたてて人気を呼んだのだとか。

「マザーグース」に出てくる「ハバードおばさん」ファッションは、子ども仮装舞踏会の定番だったのよ、とか。

この時代、産業革命で急激に社会が変容したイギリスでは、都市部で近代的な消費生活が始まって、子ども中心の核家族が形成されたそうな。

それで「子ども時代特有の文化」が生まれ、「子供服」というファッション領域をついに世界に登場させたらしい。

なるほど、なるほど。

ヴィクトリア朝時代のキャラクター子供服という意表をつく切り口から見える世界は、なかなかにスリリング。イラストもいっぱいで、わが本棚におさめたい一冊だ。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/09/23, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

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