メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年6月24日~7月1日
| 未完のレーニン 〈力〉の思想を読む | |
![]() | 白井 聡 講談社 2007-05-11 売り上げランキング : 447 おすすめ平均 ![]() 素晴らしいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「純粋資本主義」の時代に存在問い直す
今日、レーニンの名前は、ソ連崩壊に伴って引き倒された偶像としてか、偶像破壊の喜びの種子としてしか人々に知られていない。その情況で「レーニンとは誰か」を考えるのは反時代的だろうか。
そう若々しく問いかけるのが、この意欲的な一冊の出発点である。解読されるテキストは、『何をなすべきか?』(一九〇二)と『国家と革命』(一九一八)。通説では、前者は職業革命家によって構成される前衛党の樹立を「傲慢(ごうまん)に」主張した論文であり、後者は、プロレタリアート独裁とそれに続く国家の死滅を展望した「理想主義的な」著作。一見相反するかのようなレーニンの思考様式を「革命の現実性」という《力》の躍動として一元的に読解する視角が貫かれている。
書評子のような旧世代がまず感歎(かんたん)するのは、見事なまでのシガラミのなさである。本書で探求されるテーマは、かつて左翼派学習会の聖典とされたレーニンの権威とも、酷薄な権力主義の化身と非難されたレーニン像とも完全に切れた、まっさらな革命思想家の復顔術といえようか。
旧世代には「眼(め)からウロコ」というより「眼が点」の思いがなくもないが、レーニンを理解するためにフロイトを招喚する方法が大胆な構図を取って差し出される。等しく「抑圧されたもの」の対象化として、レーニンにおける「プロレタリアート」は、フロイトにおける「無意識」に対応する。たとえば、レーニンがロシア近代知識人を民衆崇拝のトーテミズムから切り離して実現したのは「マルクス主義の一神教化」だったという具合である。
レーニンのロシア革命は、一九九一年のソ連崩壊で劇的に終焉(しゅうえん)した。世界資本主義は対抗原理を消失させた結果、日本の総中流社会壊滅が示すごとく、「純粋資本主義を世界中で全面的に導入する」事態を迎えている。レーニンは逆説的に「アクチュアルな存在」になったと見るのが著者の執筆モチーフだ。
振り出しに戻ってレーニンを読む時代が訪れたらしい。新世代の開花度を占う標準木の感がある初仕事だ。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 〈病〉のスペクタクル―生権力の政治学 | |
![]() | 美馬 達哉 人文書院 2007-05 売り上げランキング : 303 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
健康ブームにわく社会に“挑戦状”
先ごろ発表された07年版「障害者白書」によると、精神障害を持つ人の数ははじめて300万人を超えたそうである。とくに、いわゆる躁鬱(そううつ)病などの「気分障害」の増加が目立っている。こういった報道を目にすると、私たちはすぐに「現代はストレス社会だ」「政府は真剣に心の健康問題に取り組め」などと口にする。そして、評者のような精神科医は、この種の恐ろしい病を治療できる「心の専門家」などと呼ばれる。
しかし、本書を読むと、こういった言説の背景には実にさまざまな意図や決めつけがうごめいていることがよくわかる。それは、健康はなくてはならないもので、少しでも健康でない状態は病気という悪であり、そしてその病気は医療の進歩や社会の努力で完全に治療や予防ができるはずだ、といった一連の発想だ。また、健康を個人の正しい選択の結果と考える人たちは、「心の病は、ストレス解消の義務を怠った者の自己責任」だと主張するかもしれない。
医学を学び、現在は現場からは少し離れたところにいる著者は、新型肺炎SARS、鳥インフルエンザ、エイズ、がん、ストレスなどの現代人にとっての最大の恐怖をひとつひとつ取り上げながら、その背後に働く政治的な力を丹念にあぶり出していく。たとえば「ストレス」をめぐっては、現代の「勝ち組」に典型的な前向きで合理的な考え方の持ち主が「ストレスに強い人」とされる評価尺度がある一方で、そういう人は「タイプA性格」なのでストレスが多い、とする説もある。この背景にあるのは、「人はストレスから身を守るために勝ち組を目指すべきだが、それが実現した暁には医療的ストレスケアをどうぞ」という複雑な政治学なのだ。
本書は、「病とは、自然科学的事実ではなく、特定の社会的文脈のもとで構築されたスペクタクルだ」とまで言い切る著者が、健康ブームにわく社会に突きつけてきた“挑戦状”だ。現代を生きる私たちには、「健康の増進に努める義務」と同時にこの著者の問いかけに答える義務もあるのではないだろうか。【評 香山リカ(精神科医)】
| フロイトの弟子と旅する長椅子 | |
![]() | ダイ シージエ 新島 進 早川書房 2007-05 売り上げランキング : 1166 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中国で姫救出へ、中年童貞爆笑道中記
中国系フランス語作家・映画監督シージエの第一長編『バルザックと小さな中国のお針子』(2000年)は、中国共産党のプロレタリア大革命がピークを迎えた1971年、ブルジョア的価値観の象徴たるヨーロッパ文学への検閲の眼(め)を盗むように、バルザックやスタンダール、フロベールなど禁断の書物を秘(ひそ)かに愛読し続ける若者たちの友情と恋愛を生き生きと描き出した傑作だった。映画版では、彼らの故郷の村が水没していくスペクタクルが感動的だった。
この第二長編も2003年に刊行されるや好評を博し、フランスを代表する文学賞フェミナ賞を受賞。舞台は現代、こんどは精神分析学者ジークムント・フロイトの本が禁断の書物扱いされている。
主人公の中年男・莫(モー)は、フランスでフロイト理論を学び中国に帰国した童貞で丸メガネの精神分析医。彼は大学時代からの想(おも)い姫・胡サン(フーツアン)が収監されているのを救うという、ドン・キホーテの夢想めいた野望を遂げるため、名馬ならぬ自転車をこぎ、凄腕(すごうで)の判事・狄建国(ディーヂェンゴ)との取引を試みる。
想い姫は中国警察の拷問の場面を隠し撮りしてヨーロッパのプレスに売りさばいた疑いで、四川省成都の女子刑務所で判決を待つ身。莫はそんな彼女を釈放するために、判事に一万ドルの賄賂(わいろ)を差し出す。ところが判事がそれとひきかえに要求したのはカネではなく、まだ赤いメロンを割っていない娘、すなわち処女だった……。
かくして莫の長い旅が始まるのだが、道中、逃走中の精神病患者と取り違えられたり、三日三晩麻雀(マージャン)をやりまくったあげくいったん死亡した狄判事が蘇生する現場に立ち会ったり、老観測人にフロイトさえ驚くようなパンダの性科学を教わったりと、奇想天外な局面をくぐりぬけていく。管理社会を出し抜こうと必死になればなるほど、彼の歩みは爆笑を誘う。
デビュー作のセンチメンタル・ロマンスとは打って変わって、ここに見事なスラップスティック・コメディを書き上げた作者の技量と可能性は、すでに尋常ではない。【評 巽孝之(慶応大教授)】
| 花降り | |
![]() | 道浦 母都子 講談社 2007-05-19 売り上げランキング : 2103 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
女性詩人だけではなく、女性の歌人も小説を書く。これは道浦母都子(もとこ)がはじめて描いた長編小説である。
二十三編の短章の冒頭に一首ずつ歌が引用され、物語と微妙に照応する仕組みも効果をあげている。
四十代の初めに夫を亡くし独身となった佐紀は、中学校の同窓会で再会した邦彦と、年賀状を介して約束し、年に一度、桜の名所を訪れている。かれは単身赴任で奈良の社宅に住み、佐紀は毎朝、マンションから生駒山(いこまやま)を眺めては、その日の吉兆を占う。中学二年で同級生だった邦彦こそ初恋びとで今も好きなのに、桜狩りの時だけが純粋な愛の時間だと佐紀はおもいこもうとしている――。
この設定からもわかるように、これは今どきの「泣ける」甘口小説とはちがうのだ。大人の女性が読むのにふさわしい恋愛小説ともいえようか。
甘口どころか大甘だ、と肉体派の訳知りはいうだろう。たしかに邦彦へ語りかける形式が、抒情(じょじょう)をやや過剰にしているし、佐紀の夢の描写にも問題がある。しかし、この作品は桜の美を中心に据えた、愛の歌物語なのだ。著者自身の巻末の一首「ただ一度この世を生きて自らのいのちと思う一人に会いぬ」という秀歌に昇華されてゆくまでの。【評 杉山正樹(文芸評論家)】
| 木暮実千代―知られざるその素顔 | |
![]() | 黒川 鍾信 日本放送出版協会 2007-05 売り上げランキング : 2638 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
木暮実千代。田中絹代や高峰三枝子らとともに日本映画のオールドファンには懐かしい美人女優の一人であるに違いない。
映画はテレビの登場によって昭和33年をピークに斜陽化するが、いまDVDなどの発達でかつての日本映画も茶の間で盛んに見られているという。200本を超える作品に出演した木暮実千代の映画もそうらしい。
本書は木暮実千代の甥(おい)である著者が、愛情を傾けつつも、戦前・戦中・戦後の叔母の女優人生を親族との葛藤(かっとう)もまじえつつズバズバと活写してゆく。
昭和25年、監督・溝口健二の「雪夫人絵図」が封切られた。ところが当時は淫(みだ)らな作品としてすこぶる評判が悪かった。しかし主演の木暮は「きれいだった」と褒められて上機嫌だったという。
また、どの映画に出演するかなど、見えざるところで火花を散らした最大のライバル、高峰三枝子と、いつの間にか心が通い合うようになったりもする。
木暮は平成2年に死ぬが、今年、「文芸春秋」企画の「昭和の美女ベスト50」には名前がなかった。著者は「完全に“老兵”になって消えてしまった」と、現実を淡々と書く。木暮実千代が親しみをもって近づいてくる一冊である。【評 前川佐重郎(歌人)】
| 父のトランク―ノーベル文学賞受賞講演 | |
![]() | オルハン・パムク 和久井 路子 藤原書店 2007-05-15 売り上げランキング : 2127 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年トルコ人として初めてノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの、受賞講演を含む講演、対談録。
受賞数カ月前に邦訳が出版された代表作『雪』が、イスラーム主義の台頭やトルコ建国以来の欧化主義など、現代トルコの政治問題を扱ったものだったので、パムクには政治小説家のイメージがあるかもしれない。だが彼の魅力は、その文章の静謐(せいひつ)感、人と人との緊張感を淡々と描く語り口にあることが、本作で改めてわかる。訳も美しい。
表題ともなった受賞講演は、タイトルの印象からか、向田邦子が『父の詫(わ)び状』で描いた家族の風景が思い浮かぶ。作家として成功した息子に、自分の書いたものを詰めたトランクを控えめに差し出す父と、その中身を見ることを恐れる息子。
彼が恐れるのは、そのなかから父でない別の存在が現れてくるのではないか、と思うからだ。作家になったパムクは、ものを書くとき、いかに日常生活や社交や温かい家族の団欒(だんらん)から切り離されるかを知っている。だが息子としての彼は、父が孤独を感じていたと思いたくない、家庭人としての父でいて欲しい、との気持ちが交錯する。濃密ではないが、家族、故郷イスタンブール、トルコの社会と伝統への愛が、文章の端々にひっそり現れていて、胸を打つ。
『雪』が描いた政治の世界が、彼の作品のなかでは例外的だとはいえ、本作でも西欧との関係への問題意識は、鋭く指摘される。パムクの作品のなかにしばしば浮かびあがる、自分のいる世界が「中心ではない」という感覚は、西欧にとって最も近い「他者」であるトルコ出身ならではの感覚だろう。「西」と「東」の問題は、「貧しい東の国々が、西欧やアメリカが言ったこと全(すべ)てに頭を下げるという意味になる」という指摘は、『雪』のなかでも登場人物の一人に語らせていることだ。
「西」と「東」の文明のどちらがいいかではなく、新しいものを受容したときに「元の自分の何かを失う」、それを心の痛むこととして描き続けているのが、パムクの変わらぬ魅力だろう。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】
| ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ | |
![]() | ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ 井口 耕二 日経BP社 2007-06-07 売り上げランキング : 11 おすすめ平均 ![]() 新たなパラダイムシフト-その時個人はAmazonで詳しく見る by G-Tools |
資本の競争が情報の開放を加速する
「ウィキノミクス」とは著者の造語で、不特定の人たちが水平的なネットワークを通してコラボレート(協働)するような生産形態あるいはその原理を名づけたものである。この名が、ウィキペディアというオンライン百科事典と関連することはいうまでもない。これはジミー・ウェールズが2001年、ウィキ(ハワイ語で速いという意味)というソフトを用いて創始したもので、誰でも自発的に参加して共同で編集できるため、またたくまに世界中に拡大し、日々、多数の言語で制作されている。制作されている、というより、生成している、といったほうがいいかもしれない。これらを全体的に管理する責任者がいないからだ。ゆえに欠陥が少なくないということは否めない。とはいえ、すぐに修正・加筆されるので、今後ますます充実するだろうことは疑いない。インターネットは、このようなマス・コラボレーションあるいは「群衆の知恵」を可能にしたのである。
著者は、もう一つの例として、1991年にフィンランドの若いプログラマー、リーナス・トーバルズが創始した、リナックスという名のオペレーティング・システムをあげている。彼はこのプログラムを、それを改変する者が他の人にも利用できるように開放しなければならないという条件をつけて、無償で開放した。「オープンソース」と呼ばれるこの原則は、明らかに私有財産制度への挑戦であったから、新しいアナキズムあるいは共産主義として攻撃された。しかし、IBMがこれを受け入れたのち、事態は一変した。情報の開放がかえって企業に利潤をもたらすということが判明したからである。こうして、コモンズ(共有財)は自由競争を妨げるものではないし、それがなければ私企業も成立しない、という考えが浸透しはじめた。
だが、IBMがオープンソースの原則を受け入れたのは、別に立派な動機からではない。そのままでは、マイクロソフトに勝てる見込みがないと考えたからだ。同じような動機から、ヒトゲノムの情報が公開された。すなわち、企業は、競合する他社による独占を妨害するために、知的財産を公開するのである。グローバルな資本の競争が、そのような動きをいよいよ加速する。著作権管理などによって、これを阻止することはできない。
したがって、著者は、現在の企業は「ウィキノミクス」の原理を採用すべきであり、また今すぐ行動を起こさなければ、負け組になるほかない、と警告する。しかし、たえまない競争がある以上、たとえ勝ち組になっても、それが長続きすることはない。ただ、それによって経済の総体が崩壊することもない。「巨大な力を手にした市民の時代がやって来る」だけである。
著者は、「ウィキノミクス」は資本主義において活用される原理であって、社会主義ではないということを幾度も強調する。しかし、われわれはここに、資本主義的発展がそれ自体を否定するものを不可避的に生み出す、という「弁証法」の例を見いだすことができる。【評 柄谷行人(評論家)】
| 北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる | |
![]() | テッサ・モーリス・スズキ 田代 泰子 朝日新聞社出版局 2007-05 売り上げランキング : 1489 おすすめ平均 ![]() 新味はあるんですがAmazonで詳しく見る by G-Tools |
政治に汚された「帰国事業」を再検討
国際社会では、時に人道の名において政治がおこなわれることがある。日本と国交のない北朝鮮への在日朝鮮人の「帰国事業」は、人道的な措置として1959年から実施された。しかし延べ9万3千人以上に及んだ帰国者の多くは、韓国の南の地域の出身者であり、後に北朝鮮で迫害されたりすることになる。
著者は、新たにジュネーブの赤十字国際委員会(ICRC)の数千ページに及「帰国事業」の資料を発掘し、その政治的側面を明らかにしている。資料からすると、「帰国事業」に井上益太郎を先頭とした日本赤十字社が積極的だったのは、生活保護世帯や左翼が多かった在日朝鮮人を、ていよく厄介払いする意図があった。
でももし、北朝鮮政府が在日朝鮮人の大量の受け入れを認め、ICRCが支援するということがなければ、大がかりな帰国は実現しなかっただろう。ICRCの援助は、韓国の強硬な反対をかわしアメリカの承認を取り付けるためには不可欠だった。
本書によれば、北朝鮮政府には、国内経済建設のための人員不足の状況を打開し、「帰国事業」への韓国の反対を打ち破って、国際政治上での北朝鮮の優位を実現する意図があった。そしてICRCは、日本側の意図を疑いつつも、在日朝鮮人が日本国内で差別されている状況に対して無知であった。ICRCによる帰国する人々の帰国意思の最終確認も、日本と北朝鮮の双方によって形骸(けいがい)化された。
本書には、ある種の暴露ものの面があるが、暴露ものにありがちな一面的な叙述が見られない。著者によれば北朝鮮への帰国者は、日本で疎外され国外に逃れようとした難民の一種であった。彼らが難民として脱出するには、一人一人で異なる動機があった。
国際政治において、人道なんて空虚なタテマエに過ぎないという見方もあるだろう。しかし著者は政治に汚された「帰国事業」を、難民を支援する人道の立場に立って再検討し、その責任を問おうとするのである。著者の感性が光るドキュメンタリーであるといえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】
| 文化と国防―戦後日本の警察と軍隊 | |
![]() | Peter J.カッツェンスタイン 有賀 誠 日本経済評論社 2007-05 売り上げランキング : 9364 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「非暴力的」な文化が生んだ安全保障
本書が示す統計によれば、アメリカの警察は職務遂行に際し88年から92年の間に毎年平均「375人の重罪犯を殺している」。これに対し日本の警察が85年から94年の間に「殺したのは、全部で6人――1年に1人にもならない」。
もちろん、日本の警察も戦前は、多くの左翼活動家を「投獄し、拷問し」た。しかし、敗戦後は「どのような代償を払ってでも暴力を避け」、市民に「親しみやすいイメージを慎重に育て」てきた。その結果、定期的な家庭訪問で警察官が「緊急連絡先や電話番号だけでなく、家族の名前や本籍地、生年月日、職業」を聞いても、回答を拒否する人はほとんどいないはずだ。また、犯罪予防のためなら捜査令状がなくても、多くの人は住宅への立ち入り調査に協力するという。
一方、日本の軍隊は、戦後、自衛隊に変わっても反軍事的な世論によって活動を厳しく制限されている。「危機のときですら、自衛隊は、日本で自由に行動するための法的根拠を持っていない」。社会に溶け込んでいる警察と比較すれば、自衛隊は「大衆から著しく隔離されている」と言える。この一見すると異なる二つの現実の背景には、戦後の政治的闘争を経て日本の人々が共有するに至った「非暴力的」な文化という共通の要因があると、社会に与える文化の影響を重視する「社会構成主義」の研究で有名な著者は指摘する。
綿密な調査を積み重ね、安全保障を題材に日本論を論じた本書の原著が出版されたのは96年である。人間の心が移ろいやすいように日本の文化も不変ではない。凶悪な犯罪が頻発するようになり、暴力を避ける警察では安全を確保できないと人々が思い始めれば、非暴力的な警察への信頼は低下する恐れがある。また、外敵から日本を守るためには軍事力の強化が必要だという世論が高まれば、改憲によって自衛隊が正式な軍隊に生まれ変わる可能性もある。
そう考えると、小泉政権以降の日本社会に見られる右旋回を主導しているのは、政治家ではなく、むしろ国民なのかもしれない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| 江戸の温泉学 | |
![]() | 松田 忠徳 新潮社 2007-05 売り上げランキング : 35102 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
温泉ブームの中、タイトルにひかれ、手軽なガイド的効能を求めて、この本を手に取ってはいけない。温泉が一挙に大衆化した江戸時代の状況を丁寧に追っている。でも、読むほどに、頭脳に、じわっと効いてくる。主な含有成分は、メディア論と、医学史だ。
温泉が人々の注目を集め始めたきっかけは、家康をはじめ、将軍家やそれにならった大名の熱海行きだった。熱海の湯を江戸に運ばせもした。その派手なパフォーマンスが、人々の注目を集め、熱海や箱根が大温泉地になってゆく。
来年のサミット会場に決まった北海道のホテルが、その報道で、予約で埋まったことを思い起こす。
また、当時、従来の東洋医学に批判的な医者たちが、新たな治療理論に取り組み、新しい西洋医学への道に結びついていく。その中心に温泉治療の研究があり、ついには成分分析にまでたどりついていた。彼らの発言や文書が広まり、名湯、有馬や城崎の人気が浮沈を繰り返す。初めに書いた2成分の融合が当時の温泉の意味を、浮上させる仕掛けだ。
当時、3週間が温泉治療の基本単位とされた。今の医学でも妥当性をもつという。手軽さが、すべてではない。本も温泉も。【評 四ノ原恒憲(編集委員)】
| イビチャ・オシムのサッカー世界を読み解く | |
![]() | 西部 謙司 双葉社 2007-04 売り上げランキング : 696 おすすめ平均 ![]() ジェフサポ以外は、素直に楽しめないかもしれない。 犬の生活Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は、オシム日本代表監督(66)が3年半指揮したジェフユナイテッド時代に立ち戻り、ケーススタディとしての21試合をピックアップ。持ち前の分析力で全員攻撃全員守備によるオシム流「トータルフットボール」の詳細を解き明かしていく。現状、本書がAFCアジアカップ(7月7日~)観戦のための最良の参考書と言っても良いだろう。
軽妙洒脱(しゃだつ)な文体で押しながらも、「日本と韓国のサッカーは似ている」「オシムのスタイルは日本以上に韓国に合っているかもしれない」と記し、意表を突く。
相手に走り勝ち、球際で勝ち、執念で勝ち、試合にも勝つ、主張のある世界的にも異質なサッカー――がオシムのめざす「日本サッカーの日本化」と理解出来たが、まさにそれは温故知新。殊更目新しくもない戦術の再現ほど難しい。
本書で著者は昨年行われた日本代表の7試合(ホーム3勝1敗/アウェー2勝1敗)で生じた問題として「相手のカウンター」を挙げ、「まだそこまで手が回っていない」と対応力不足を指摘している。
会見でのオシム発言は知的な分だけ回りくどい。含意の読みとりという点で、オシムは著者の玄人仕事に感謝すべきなのかもしれない。【評 佐山一郎(作家)】
| フランスから見る日本ジェンダー史―権力と女性表象の日仏比較 | |
![]() | フランソワーズ・コラン 棚沢 直子 中嶋 公子 新曜社 2007-05 売り上げランキング : 4746 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
曖昧な共犯関係を相対化
学問や思想っていうものは、だいたい西欧の理論の上に成り立っている場合が多い。ジェンダー論もご多分にもれずである。しかし歴史や文化が異なれば、男女や家族の関係にズレがあるのは当然だろう。
1999年に東京で、2000年にはパリで開かれた日仏女性研究シンポジウムをもとに、十数本の論考で構成された本書には、進んだ西欧/遅れた日本という枠をはみ出す多彩な史的事例が登場する。女神とされるが性別不明確なアマテラス、平安~江戸の家の中での妻や母の座、近代天皇制と皇后、女性教祖出口なお、戦争のチアリーダーとしての銃後の女、そして現代の高学歴専業主婦。
私たちにはおなじみの話も多いけれども、フランスから見れば「ありえなーい」であるところに、日本を相対化する視点が生まれる。
古代から男女を明確に区分したフランスに対し、日本では単純な二項対立ではない曖昧(あいまい)な共犯関係が男女の間に成立していた。
専門的な話が多く、読むのにちょいと難儀はするものの、ボーヴォワールの国に日本の女たちが乗り込んで、日本のジェンダー史の講演をする。当日のようすを伝える臨場感にあふれた巻末の報告がおもしろい。【斎藤美奈子(文芸評論家)】
| ブレークスルーの科学 ノーベル賞学者・白川英樹博士の場合 | |
![]() | 五島 綾子 日経BP社 2007-04-19 売り上げランキング : 801 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
かつての科学者イメージは、好きな研究をコツコツやる浮世離れした人というものだったかもしれない。
だが、そんなイメージはもう古い。流行に左右されない地味な研究では研究費が取れず、好きなことなどできはしない。流行の研究を追うとなると激しい競争の世界に投げ込まれる。
科学の世界では、原則として2番目の発見に意味はない。1番にならなければすべてがパーになる。だから、データ捏造(ねつぞう)などという問題も出てくる。アメリカ流の成果主義や競争的研究資金配分制度をわが国も奨励したことで、そうした風潮が加速されてきた。
本書は、現代科学の厳しい現状を概観すると同時に、白川英樹博士がノーベル賞に輝いた背景を探った好著である。
白川博士の研究は、大型研究費に頼らない研究の積み重ねと、異分野との思わぬ融合によって結実した。しかもその相手は成果主義の本尊アメリカの研究者。かの国には、苛烈(かれつ)な研究費獲得合戦の戦場であると同時に、異分野との手を携えた研究をも可能とする余裕と奥の深さがあるのだ。形式だけでなく、そうした科学の伝統も定着させられるかどうかに、今後の日本の発展はかかっている。【渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 永田町vs.霞が関 最高権力を奪取する者は誰か | |
![]() | 舛添 要一 講談社 2007-05-08 売り上げランキング : 678 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中枢から描き出す生の政治の舞台裏
政治の世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、誰がどこで、どのようにして政策を決めているのかが不透明である。
例えば議員立法を通すためには、自民党なら部会から政調会を経て総務会に至る党内手続きと、衆参両院の委員会と本会議を通過させる国会手続きの双方をクリアしなくてはならない。だが、その過程でどのような駆け引きや妥協が生まれているのだろうか。
そうした疑問に政治の中枢にいる著者が答え、実名入りで生の政治の姿を描き出す。著者自身もかかわった放送法の改正では、総務大臣がNHKに対して一定の国際放送を行うことを命ずることができるという放送法の文言をめぐり、これを改正したい片山参議院幹事長とそれに反対する菅総務大臣ら関係者らのやりとり、そして条文の変化していく過程を詳細に伝える。
また、著者の眼(め)は、政治アクターとしての霞が関や永田町、そしてマスメディアに対して厳しく向けられる。
まず霞が関については、所管する省庁が、「五年に満たない財政投融資は国会の議決を経る必要がない」ことを盾に自由に予算を使う野放し状態で、さらに特別会計も各省庁の既得権益の温床になっていることを指摘する。また、霞が関が補助金を地方に配分してハコ物を造り、ノンキャリアの天下りを押しつけてくるという実態も明かす。
永田町に対しては、政策決定の場である党の部会にも出席せず、勉強も怠って何でも霞が関に依存する力量のない政治家がいると嘆く。霞が関は都合の悪いデータは出さない。一方的に利用されないためには、自分独自のネットワークを生かした情報収集と知識が必須であると説く。
また、現在のテレビメディアに対しても、視聴率を追い求めるあまり、悪者を作り上げて叩(たた)き潰(つぶ)すのが常套手段(じょうとうしゅだん)として痛烈に批判する。そして、何が正しいのかを議論する土俵としての活字メディアの復興を期待する。
有権者が見ることのできない舞台裏が明らかになり、現実政治の全体像と問題点が、見えてくる。選挙に行く意義を感じさせる一冊である。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| シュミット・ルネッサンス―カール・シュミットの概念的思考に即して | |
![]() | 古賀 敬太 風行社 2007-05 売り上げランキング : 7617 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
シュミット・ルネッサンス――カール・シュミットの概念的思考に即して
論語郷党篇(へん)に「薬を饋(おく)る」という言葉がある。孔子が人からもらった薬を口に入れなかったという話だ。荻生徂徠の注釈では、古代の薬は毒が強く、眩暈(めまい)がするくらいなのがよく効いた。人に毒を送って死なせることを「饋薬(きやく)」とも称したという。
こんな漢語を思い出したのは、本書の著者がカール・シュミットの《政治的なものの概念》を「カンフル剤」にするならともかく、「劇薬」として服用するのは要注意だと述べているからである。
一九八五年に九十六歳で死んだカール・シュミットの政治理論にはたっぷり毒性があった。その名前が囁(ささや)かれる時にはいつも「悪魔的」「魔性の」「危険な」という決まり文句が付けられた。
死後もなお依然として「ナチに加担したという覆うべくもない事実」に対する敵意は氷解せず、「ナチの桂冠(けいかん)法学者」というレッテルが剥(は)がされることはない。それにも拘(かか)わらず、二十一世紀の世界が迎えた新たな危機に際して、そのシュミットが再び注目を浴びている。それも「右翼ではなく左翼による《シュミット・ルネッサンス》」なのが特色だというのである。
本書は《主権》《憲法制定権力》《独裁》《戦争》などおなじみのシュミット独自の概念を学説整理した研究であるが、それらを現代の地球規模におけるグローバリゼーションの光で照らし返しているところに新味がある。
たとえば、イラクをテロ支援国家と見なして戦争を遂行するアメリカの《正義の戦争》観を批判する根拠に、反アングロサクソン普遍主義に根ざす《正戦論批判》を持ち出して再評価する見方。著者はこれを「過激な道徳的原理主義に対する解毒剤」と形容する。もし望むなら、日本がアメリカの原爆投下や極東裁判に異議を申し立てる論点も見付けられるだろう。
ワイマール憲法に墓穴を用意したシュミット理論の「饋薬」は、薄めたり、中和したり、イイトコドリしたりできるとは思えないが、議会制民主主義が戯画化した現代日本で《シュミット問題》を考える糸口として興味深い。【評 野口武彦(文芸評論家)】














ジェフサポ以外は、素直に楽しめないかもしれない。
犬の生活



