メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年6月10日~6月17日
| アイドルにっぽん | |
![]() | 中森 明夫 新潮社 2007-04 売り上げランキング : 2142 おすすめ平均 ![]() その「アイドル」の時代に自分がどうだったかを思い至らせる。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書に収められたすべての文章には、初出掲載の日付と媒体名が記されている。それは書誌的な配慮を超えて、本書の性格を、そしてアイドルという存在そのものを、なによりも明確に示しているのではないか。
本書は南沙織や山口百恵らがいた1970年代を視野に収めつつ、80年代以降現在に至るまでのアイドル史をたどることでそれぞれの時代の諸相と〈日本人の無意識〉を分析していくアイドル論集である。
しかし、中森明夫さんは所収の文章の中で最も新しい(2007年3月執筆)書き下ろしの「アイドル女優の可能性」の中で、こう書いている。〈アイドル論は超えられなければならない〉――それまでのアイドルやアイドル論をいっぺんに古びさせてしまう、まったく新しいアイドルの登場によって。あるいはまったく新しいアイドル論によって。
だとすれば、80年代半ばから書き継がれてきた中森アイドル論の数々もまた、おのずと「超えられてしまう」宿命を持っていることになるだろう。
もしもそれを逃れようと――せめて延命しようとするなら、2007年の時点から振り返った80年代や90年代のアイドル論を書けばいい。データベース的にアイドルをとらえ直してみるわけだ。だが、中森さんはあえて本書を初出のまま〈論旨は変えていない〉状態で構成した。結果、後出しジャンケンめいた目で読むと、微妙なズレや違和感を覚える箇所(かしょ)もないわけではない。
だが、そこにこそ「時代のあだ花」「使い捨て」と揶揄(やゆ)されるアイドルの真骨頂がありはしないか? 〈常に依頼主の求める原稿ばかり書いてきた。目の前の現在を捉(とら)えることに忙しく、時代と併走するライブ感こそが何よりのよりどころだった〉と記す雑誌ライター・中森明夫の自恃(じじ)は、日本国憲法を挑発的に読み替えた(それは読んでのおたのしみ)本書にならって「依頼主」を「ファン」や「仕掛け人」に置き換え、語句の微修正をほどこせば、そっくりそのままアイドルの姿にも重なるのだから。
論じる側と論じられる側ともに〈時代と併走するライブ感〉を残したまま編まれたアイドル論集は、だから、絶えざる上書き更新の記録でもある。ピンク・レディーから小泉今日子へ、松本伊代から本田美奈子へ、栗尾美恵子から吉川ひなのへ……。さらにまた、上書き更新はアイドル個人の中でも果たされる。後藤久美子から後藤久美子へ、宮沢りえから宮沢りえへ……。
受け渡されるたびに前の走者を超えていくバトンの軌跡を中森さんは見つめてきた。それは、アイドルの人気を支える〈日本人の無意識〉の軌跡でもあるはずなのだ。
いつか――いまは未知のアイドルが、本書を丸ごと超えてしまうときが来るだろう。新たな〈日本人の無意識〉が、新たなアイドルを生み出し、新たなアイドルが新たなアイドル論を生む。その瞬間を誰よりも心待ちにしているのは、超えられるための一冊を上梓(じょうし)した中森さん自身かもしれない。【評 重松清(作家)】
| 国連の政治力学―日本はどこにいるのか | |
![]() | 北岡 伸一 中央公論新社 2007-05 売り上げランキング : 17799 おすすめ平均 ![]() 国連に於ける日本の仕事と評価を知る 国連で意外に健闘した日本Amazonで詳しく見る by G-Tools |
国連に対しては、「世界平和を願う人たちの集まり」という普遍的理想主義と「無力で役に立たない」というシニシズムの両方の見方がある。しかし、東京大教授から転出して国連代表部次席大使を務めた著者は、国連の現実と日本の国益を見据えて、そのどちらの議論も排すことになる。
まず国連は天使の集まりではなく、国連そのものが加盟国の意向によって動かされる国際政治の場となっていることを指摘する。何故(なぜ)なら、国連の最大の目的が「世界の平和と安全の維持」であるのにもかかわらず、国連自身は独自の軍隊を持っていない。このため、加盟国の軍隊に頼らざるを得ない上に、資金についても加盟国の分担金に頼らざるを得ないからである。
そして、国連によるPKO(平和維持活動)派遣を決定するのが安全保障理事会であり、そこで大きな決定権を持っているのが五つの常任理事国である。しかし、日本は米国に次ぐ2番目の分担金を拠出しているのにもかかわらず、安全保障理事会の常任理事国でないために、なかなか重要な決定に対して影響力を行使することが難しい。
このため、2年前には日本の常任理事国入りを含む安保理改革G4共同提案を提出し、著者を含む日本の国連代表部が既得権を手放したくない常任理事国に対して立ち向かって行った。
いっぽう、「常任理事国入りして何になるのか?」と醒(さ)めた見方もある。確かに日本は極めて重要な事柄で米国と違う選択肢を選ぶことは難しい。だが、そもそも、常任理事国入りを主張すること自体が米国を含む既存の常任理事国への挑戦であり、選択肢は所与のものではなく、常任理事国として自ら選択肢の作成に参加できる意味は大きいことも指摘している。
一流の学者にして一流の外交官でもある著者だからこそ書ける冷静に現実をみるリアリストの視点と、冷戦後の世界秩序の維持について大きな義務と権利を日本が持ち、その鍵が冷戦後の世界で急速に役割を増大させている国連であるという熱い思いが、行間から溢(あふ)れ出てくる。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| きみのためのバラ | |
![]() | 池澤 夏樹 新潮社 2007-04 売り上げランキング : 1369 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
誰もいない森で倒れる木は音をたてない、というあの哲学命題を思いだしたのは、本書の「ヘルシンキ」という編を読んでいる時だ。人との言葉の齟齬(そご)に疲れた男が、北欧の森で孤独な木になる自分を夢想する。しかし人である以上、言語は放棄できない。齟齬を避けるというのは、無人の森の木になることなのか。
本書は、エピファニック(天啓のよう)な「邂逅(かいこう)」のひとときを鮮烈に切りとった短編集だ。パリの路地で、アマゾナスの奥地で、人々はめぐり逢(あ)い、別れていく。かかわりが短かったぶん別れは決定的な、痛切なものになる。
本書の背後に、2001年9月の惨事以来変わってしまった世界があることに、触れないわけにはいかないだろう。こうした人災の場に真っ先に駆けつけて書くのは報道記者、小説家は最後であるべきだ――あの年の秋、池澤氏と英国作家カズオ・イシグロ氏の公開対談に、そんなやりとりがあった。6年後に出た本書には、「最後に来るべき小説家」の応答という側面もあるかもしれない。
とはいえ、「平和を訴える文学」とは対極にある。声高な言葉は何一つなく、どの編もまなざしが語る。事件以前に書かれた作品も、本書に交じることで新たなまなざしを呼び入れる。ある編には、急に厳しくなった空港の保安チェックに戸惑う男がいる。だが次に置かれた2000年発表の「レギャンの花嫁」には、笑い声の響くおおらかなバリの税関の様子が描かれ、それをガラス越しに見つめる登場人物の視線に、現在の作者の、ひいては読む者の視線が自然と重なるだろう。
表題作の湛(たた)える哀惜は喩(たと)えようもない。メキシコの列車で男と少女が再会し別れる。こんな小さな物語までが、「その後」の世界からは奪われているのに気づく。この美しい少女を失ったのは彼だけではない。 母国語を失う少年や、諸言語を超えた祈り。ここには言葉にならないものばかりが書かれている。無人の森の囁(ささや)きをも人に聴かせる力が小説にはあることを、改めて、深く、実感した。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】
| 黄金と生命 時間と練金の人類史 | |
![]() | 鶴岡 真弓 講談社 2007-04-25 売り上げランキング : 906 おすすめ平均 ![]() 人間の生命の「時間を錬金する」知と技に大感動!! かつてない「黄金と生命」の深い関係史と思想の書!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「万物の王」探求、一気にたどる知的腕力
人は「黄金」を求めて移動する。1849年には、北米の東海岸から西海岸の黄金郷へと人々が殺到してゴールドラッシュが発生するが、20世紀に入ると、ハリウッドの映画産業やシリコンバレーのハイテク産業に人材が集中するのも、同じ「ゴールドラッシュ」の名で呼ばれるようになり、「黄金」は実体ならぬ象徴と化した。
本書がユニークなのは、黄金をひとまず、成長を続ける「万物の王」と位置づけ、その象徴を探求し続けた人類3万5千年の心性史を、恐るべき知的腕力で一気に語り倒したところである。
全体は三部構成。
第一部「黄金の夜――金属篇(へん)」は、ケルト文化に造詣(ぞうけい)の深い著者らしく、まずはアーサー王伝説内部に「産婆術としての冶金(やきん)術」を見いだす。しかし、やがて射程は、インド=ヨーロッパ語族の文化へと拡大し、紀元前4500年前からくりかえされたこの語族の西への大移動が、ほかならぬ「万物の王」の探求に起因していたのではないかという仮説が示される。
それでは、人はなぜ「黄金」を求めるのか?
第二部「黄金の夜明け」では、キリスト教聖書の創世記におけるアダムが石器時代のヒトであったことが再確認され、楽園追放とは、経済的に豊かだった石器社会から、限りなく人口を増大させる新しい農耕社会への転換を意味したことが説明される。やがて、定住民を中心とする農耕社会に、非定住民たる「金属民」が一種の文化英雄として立ち現れ、彼らの磨き上げた冶金術が、人工的に時間を加速させるのに一役買う。
そして第三部「黄金の真昼――貨幣篇」では、近代国家における科学者ニュートンや、『ファウスト』を書いたゲーテらの活躍を例に、いかにして古来の魔術や錬金術が近代経済の空間へ流れ込んできたかが、雄弁に解き明かされ、生命時間を克服する経済人のすがたが描写される。「時は金なり」――この誰もが知る格言の背後を解き明かす斬新な心性史の「語り」に、わたしは文字どおり、時の経(た)つのを忘れてしまった。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 陸羯南 | |
![]() | 有山 輝雄 吉川弘文館 2007-04 売り上げランキング : 14586 おすすめ平均 ![]() 一切の迎合を許さない厳格なジャーナリストAmazonで詳しく見る by G-Tools |
陸羯南は、明治中期の日本新聞社の社長兼主筆であり、気骨のあるリベラルなジャーナリストとして知られている。陸羯南については彼の思想が、その時代状況といかに切り結んでいたのかを中心に描かれることが多かった。これに対し本書は、陸が政局から独立した政論を書く主筆であったことと、一つの新聞の経営者であったことが、どんな風にその内側で結びついていたのかを追究している点でユニークなのである。
陸の新聞経営の背後には、谷干城、近衛篤麿などの同志的なパトロンがいただけでなく、時には藩閥政治家の品川弥二郎の資金援助もあったという。このパトロンの保護は、一方でさまざまな政治勢力から距離を持つ批判を可能にするとともに、パトロンとの政治判断の相違から難しい立場を生み出すことになる。
そんな彼には、海千山千の「策士」としての面があったと、ライバルの徳富蘇峰は指摘していた。しかしその陸も、新聞大衆化の時代の波には、うまく対処できなかったようである。権力からも大衆からも一定の自立性を持ったジャーナリズムを目指した陸羯南の理想は、今日でも未解決の課題として残っているといえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| フランス父親事情 | |
![]() | 浅野 素女 築地書館 2007-03 売り上げランキング : 2876 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
パリで20年以上暮らす著者は、フランスの父親たちへの取材を重ねて、父性の再評価に向かう最新トレンドを追った。
フランスでは、70年代からのフェミニズム思想、女性の社会進出、避妊手段の発達などで、男女関係に劇的な変化が生じた。父親は輪郭のあいまいな影法師に成り果てたのだ。80年代に入ると、母親同様に育児にいそしむ「めんどりパパ」と呼ばれる父親が登場。90年代には父親の重要性が認知され、親権の法整備など父親の権利回復作業が進められた。
21世紀に入ると、父親をしっかり視野に入れた家庭づくりを目指して、「父親手帳」の交付、父親の出産休暇の延長などが決定された。出生率はいつか上がって、06年には2・0に達している。
こうした過程を踏んで現在のフランス社会が目ざすのは、「父性の権威」を復活させることではないか、と著者は捉(とら)える。むろん時代錯誤的な父権ではなく、子どもの成長に必要な、社会の一員として守るべき一線を示すものだ。
母親の愛情が開花するためにも、バランスを取る父親の存在は不可欠。紆余(うよ)曲折を経て到達した結論は、恋愛大国の成熟を痛感させる。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】
| はじまりの物語―デザインの視線 | |
![]() | 松田 行正 紀伊國屋書店 2007-04 売り上げランキング : 3792 おすすめ平均 ![]() この本の「仕掛け」を君は見たかAmazonで詳しく見る by G-Tools |
カバーが目をひく。表に黄、裏に鮮やかな赤。白地の中央に不定形の色面が配置されている。不思議なかたちは、古代エジプトのヒエログリフを解読する手がかりとなったロゼッタ・ストーンをトレースしたものだ。脇に「who designed first?」という短い英文が添えられている。
この表現に本書の意図が集約されている。グラフィックデザイナーである著書が、私たちが何気(なにげ)なく使っている概念・かたち・方法などの「はじまり」をひもときつつ、みずからの発想の源を紹介していく。
一つひとつの挿話が示す事実は、専門家や研究者の文献に典拠し、目新しいとは思えない。ただ転調に転調を重ね、飛躍をものともせず縦横無尽に展開する語りと発想法がじつに面白い。それを美術、建築、言語、歴史、文字、ロック、漫画、SF映画など、雑多なジャンルから抜き取られた図版群が補完する。
造本にも細工がある。小口の部分に男性・女性の図像がそれぞれ一人ずつ印刷されているのだ。頁(ページ)を開こうとするたびに、いずれかの人物と目をあわせ、一瞬、どきっとする。デザイナーの万華鏡のような脳内をのぞきこんだ気分にも似た読後感だ。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授)】
| 黙示の海 | |
![]() | ティム・ボウラー 金原 瑞人 相山 夏奏 東京創元社 2007-04 売り上げランキング : 21607 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「ハリー・ポッター」を抑えてカーネギー賞(英国の児童文学での最高権威)に輝いたという経歴をもつからにはですよ、著者は、PTAや図書館の司書の皆さんからも“お墨付き”。ダークファンタジーっぽい作風ながら、絶望の果てで希望を与えてくれるところが、支持される理由かな。
とくに本書は、「ホラーサスペンス+海洋冒険」といった感じで、おそろしく苛酷(かこく)な状況をつぶさに描きあげたサバイバル小説。
冒頭から、主人公である15歳の少年は、「悪夢」にうなされっぱなしだ。父親の破産ゆえ競売にかけられる運命の自家用船に乗り、家族旅行を楽しんでたら、海の魔物に誘われるかのようにして、難破。しかも、漂着した先の島の住民からは、邪悪なる「異教徒」として排斥される。両親とは生き別れた。つかまれば、命はない。不気味な「声」が、しきりと何か語りかけてくる――。
拷問シーンには胸つぶれるばかりだが、主人公を助ける少女の凜(りん)とした態度には読者もまた救われよう。
「世界の終わり」に立ち向かうにはこういう方法もあることを、自己愛の強い“セカイ系”の若い世代にも読んで知ってもらいたい。「愛は地球を救う」というフレーズをかみしめつつ。【評 望月旬(文芸評論家)】
| 私たちは本当に自然が好きか | |
![]() | 塚本 正司 鹿島出版会 2007-05 売り上げランキング : 761 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「自然好き」を自任する人は多いと思うけれども、はたして私たち日本人が真に「自然好き」かとなると、じつは甚だあやしいのである。
証拠はいくらだってある。思い出してみてほしい。あなたの住まいの近隣で、近年どれほどの樹木が消えたかを。
マンション建設のために伐採された屋敷林。駐車場などに転用されて消えた社寺林。落ち葉や日影を理由に強制的に剪定(せんてい)されて、見るも無惨(むざん)な姿にされた街路樹。
ことは景観の変化にとどまらない。たまの休日に日帰り旅行に出かけ、「やっぱり自然はいいね。リフレッシュするね」などと伸びをしたところで、その実態は〈車で出かけ峠で山を眺めて新鮮な空気を吸い、渓流の釣堀で養殖魚を釣ってアウトドア派と自称〉する程度の私たち。
だからこそ、本書の著者は問うのである。『私たちは本当に自然が好きか』と。
本書のキーワードは「みどり」である。原生自然(人の手の及ばない原始の自然)ではなく、ある程度人の手が加わり、人とのかかわりをもった環境自然(身近な樹木、森林、庭、公園、山など)がここでいう「みどり」。経済発展や生活向上のためには「みどり」を排除するのが当然であるかのような都市開発への疑問が論の基調をなす。
けれども、いやー、びっくり、入り口こそ都市の「みどり」だが、古今東西にわたる自然科学と人文科学の知見をこれでもか! と詰め込んだ本書はさながら「みどり」の百科全書だ。「みどり」を切り口にすると、景観はもちろん歴史や文化や芸術を見る目も変わり、「花咲かじいさん」は自然の摂理に基づくお話、「ヘンゼルとグレーテル」は森の体験を教える童話、というように物語の読み方にさえ新しい発見が加わる。
植物の生育条件に恵まれ、国土の66%を森林が占める日本では、「みどり」に対する渇望感が逆に薄かったのかもしれない。その価値観を変えるには、環境問題のみならず歴史や文化の面から見た「みどり」の価値に気づくのが先決。その要求に120パーセント応えてくれる本である。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
| 寺山修司と生きて | |
![]() | 田中 未知 新書館 2007-05-09 売り上げランキング : 224 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本文の前に、こう記されている。
「未知、きみは個有名詞じゃない。ぼくとの共通名詞である。一緒につくった一つの存在です。――寺山修司」
詩人で劇作家の寺山修司は、すでにこの世を去っている。24年前、47歳で。その彼からこのような言葉を贈られた女性とは誰なのか? 著者、田中未知は、60年代に大ヒットした寺山修司作詞の「時には母のない子のように」の作曲者である、と言えば、思い出す人は多いかもしれない。
さらに、詳しく記せば、寺山が結成した演劇実験室「天井桟敷」の制作、照明を担当。その傍ら、個人秘書として、16年、彼を公私に亘(わた)って支え、死を看取(みと)ることとなった女性である。
そして寺山を喪(うしな)った3年後。彼女は、周囲にあて先も告げずに日本を脱出。オランダの田舎で、畑を耕して暮らし、夏にはテントを携え、ヨーロッパの山々を旅して回る日々を送っていたという。
本書は、そんな著者の24年間の沈黙を破る「寺山修司と自分」を語る本である。
寺山修司が、何をしようとし、なにを成しとげ、(他者から)なにをされたのか。寺山作品批判への反論、伝記作品の誤りの指摘、寺山の母の横暴への怒り、彼を救わなかった医者の告発など。衝(つ)かれたように書き綴(つづ)ってある。
まるで、寺山修司の分身のごとく。まるで、寺山修司が、つい昨日まで、すぐ傍らにいたかのように。
沈黙は、「私に静謐(せいひつ)をもたらすことはなかった」と記されているが、彼女にとってこの20年余は、この世界に「寺山修司」が不在であることを納得するために必要な時間だったのだろう。そして、不在の「寺山修司」を探し続けて見つけたのは、「死んだ人は、みんな言葉になる」ということの実感だった。
自分の職業は「寺山修司」であり、人生の大半を自分のことより彼のために使った、と言い切る著者の想(おも)いの強さに打たれざるを得ない。
「田中未知」は、鬼才寺山修司が、彼流のやり方で、この世に残していった作品である、そんな思いがした。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】
| 滝山コミューン一九七四 | |
![]() | 原 武史 講談社 2007-05-19 売り上げランキング : 76 おすすめ平均 ![]() 一人の教員の野心とその犠牲者達の物語 民主主義の実験場としての“学校” 30代40代の人々にAmazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、とても繊細で美しく、そしてまた独特の苦みを持った、郊外空間をめぐるドキュメンタリーである。舞台は、62年生まれの主人公=著者が、69年から75年まで、つまり小学1年から中学1年までの6年ほどを過ごした東京都東久留米市の滝山団地。この団地と、この団地の児童が圧倒的多数を占める市立第七小学校に生起する日常的な出来事群を、小学生の頃の著者の目を通して読者は追体験することとなる。
ただ、ここで書きとめられている出来事は、泥まみれで野山を駆け巡ったり、友人と殴り合いのケンカをしたり、といったいわゆるノスタルジーを喚起させるものではない。7~8人によって構成される班に分かれ、勉強や生活、課外活動などで競い合ったり、委員長、書記などを含む代表児童委員会役員を選挙によって選出したり、学校空間とは異質の論理に貫かれた中学受験の塾に通ったり……といった具合に、本書に描かれている風景はとても「現代的」なものだ。本書は、著者自身が持つ記憶と記録、インタビューなどをもとに、原少年(子ども)の視点を再構成しつつ、その視点と現在の著者の視点とを折り重ねながら、「現代的」風景の複雑さを精細に描写している。
著者が「滝山コミューン」と呼ぶのは、校内暴力やいじめといった問題が現れる直前、「戦後民主教育のオプティミズム」を維持することができた最後の時期に、全生研(全国生活指導研究協議会)が唱える「学級集団づくり」を実践する教員と、「革新的」な団地の住人、その子どもたちによって実現された教育・生活空間である。理想に燃えたこのコミューンのさなかを生きた著者にとって、コミューンの記憶は「暗く苦いものとして」、30年間、心の奥底に沈殿し続けてきたという。
班や委員会を単位とした集団生活、林間学校での合唱と「火の神もいなければ火の子もいない」平等主義的なキャンドルファイア。善意に溢(あふ)れた集団主義的理想は、様々な形で生徒の身体と思考を管理し秩序化していく。権力に抗して「子どもたちのために」なされるという教育が、別様の権威主義を呼び込むという逆説を、原少年は鋭く読み取り、コミューンに対して冷めた視線を投げかける。原少年はやがて私立中学へと進学し、息苦しさすら感じさせるコミューンから離脱することとなる。「革新」的な理想主義の欺瞞(ぎまん)を、少年のまなざしを通して浮き彫りにする、優れた批判書ということができるだろう。
しかし、著者にとってコミューンの記憶は「暗く苦い」ものであると同時に「懐かしさを伴わずにはいられないもの」でもあるという。そのアンビバレンツ(両義性)こそが、「現代的」風景を描写するさいの繊細さと濃度を生み出しているのではなかろうか(もちろん歴史家としての著者の高い手腕によることはいうまでもないが)。70年代・郊外の団地に現れたコミューンの観察を通して「戦後思想史の一断面」を照射する貴重な証言の書である。【評 北田暁大(東京大学准教授・社会学)】
| 解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 | |
![]() | ウェンディ・ムーア 矢野 真千子 河出書房新社 2007-04 売り上げランキング : 132 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
裏社会にも通じた先駆的な科学者
ロンドンの法律事務所が立ち並ぶ街区の一画を占める王立外科医師会には、博物学ファン必見の解剖学博物館がある。本書は、その博物館が擁する膨大なコレクションの礎を築いた18世紀の外科医ジョン・ハンターを巡る興味尽きない物語である。
18世紀の英国には、業種として内科医と外科医がいた。内科医とは上流階級を相手に問診をし、気休めの処方箋(せん)を与える職業。それに対して外科医は、麻酔も消毒という意識もないまま、切った張ったに明け暮れる職業だった。いずれの医師になるにも正規の教育はなく、内科医はひたすら教養を修め、外科医は徒弟的な実地教育を積むのみ。
ただ、私塾のような解剖学校は存在し、人体解剖なども行われていたのだが、献体制度などない時代のこと、遺体の入手先が最大の難問だった。その結果、埋葬されたばかりの遺体を盗掘する商売まで成立していた。
解剖学校を営んでいた兄を頼ってスコットランドからロンドンに出てきたジョン・ハンターが最初に命じられた仕事も、盗掘グループからの遺体買い付けだった。闇社会の人間とも如才なくつき合えたハンターは、学校運営の力となると同時に、解剖と標本作りでも秀でた才能を発揮した。また、外科医としての修行も積んだハンターは、当時は希薄だった科学的な思考と方法を医学に導入し、合理的な治療法を数多く生み出し、「近代外科医学の父」とも称されている。
その一方でハンターは、動物の諸器官の比較研究に情熱を注ぎ、ありふれた動物から珍獣まで手当たりしだいに購入しては飼育し、死体は解剖した上で美しい標本に仕上げた。ミミズの消化器官からヒトの胎児まで、今もハンター博物館に陳列されあやしい輝きを放っている標本群はその遺産なのだ。
比較という研究手法から動物間の類縁を考察したハンターは、ダーウィンに一世代先んじた進化論者でもあった。近代医学創始期の混乱状態と、魅力的な人物を生んだ18世紀ロンドンの喧騒(けんそう)と人間模様を活写した快作である。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 「女性自身」が伝えたアメリカの戦争―ベトナムからイラクまで | |
![]() | 松田 優 寺坂 有美 大正大学出版会 2007-05 売り上げランキング : 9635 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
卒論が本に、斬新な視点で女性誌分析
本書は、女性週刊誌の老舗(しにせ)といえる『女性自身』に掲載された戦争報道ばかりを、144本集めて時系列で並べた資料集である。ここで「戦争」というのは、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争とアメリカが関(かか)わり、日本もその影響を受けた戦争のことである。
え、あの芸能スキャンダルまみれの女性週刊誌に戦争報道が?と思った人は、このメディアに対して誤解していると思う。たしかに表紙はどぎついし、中を開けば芸能、占い、美容の記事が多いが、実は新聞や他の堅い雑誌にはあまりない生活者の視点からの読み物や報道記事も少なくない。また、それらはふだんは活字に触れる機会が少ない人たちにもよく読まれる、という特徴もある。
ベトナム戦争に参加したいと志願する日本の若い男女をルポした「“ベトコン義勇軍”に集まった50人」など、個々の記事にも興味深いものが多いが、全編を通して見て初めてわかることも多い。たとえば現代は視覚優位の時代といわれるが、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の順で写真特集が減って、かわりに解説・問題提起の記事が増えている、というのもそのひとつ。もちろん、戦地での報道規制が厳しくなり写真が撮りづらくなったのもこの変遷の理由なのだろうが、それ以上に中東で何が起きているかをわかりやすく伝えたいという送り手、きちんと知りたいという受け手も増えているのでは、などと想像が膨らむ。
女性週刊誌に対する既成概念にとらわれない編者の視点の新鮮さに驚かされるが、それもそのはず、本書はもともと大学生の卒業研究としてスタートしたものだそう。教員の協力もあったようだが、アイデアと意欲さえあればコネも経験もない学生でもここまでのことができる、というよいお手本だ。
ただ、すべての記事は原稿化されていて写真はカットされているのが、ちょっと残念。著作権の問題などあるのだろうが、女性誌独特のあの扇情的なレイアウトでも見てみたかった。【評 香山リカ(精神科医)】
| ゲットーを捏造する―アメリカにおける都市危機の表象 | |
![]() | ロビン D.G.ケリー 村田 勝幸 阿部 小涼 彩流社 2007-04 売り上げランキング : 7334 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ゲットーを捏造(ねつぞう)する アメリカにおける都市危機の表象
黒人を統治する狡猾な構造を暴く
「分割して統治せよ」とは、古今東西、権力の真理だ。被治者間の連帯の不在は権力の養分となる。だが分断を狙う露骨な政策は逆効果だ。そのあからさまな意図への反対に結集して、むしろ連帯は容易になる。裏を返せば、強固な権力の背後には、(恣意〈しい〉的なものではなく)自然であるかのように演出された分割の存在が強く疑われる。
本書は、アメリカの都市部における黒人の隔離の構造を問う理論的分析である。「怠惰」「凶暴」「無責任」を再生産する「文化」によって定義された「ゲットー」の表象のなかに、いかに黒人たちが囲い込まれているか。そのことによって、彼らが(政府や大企業などの)権力から受ける不当な仕打ちが、いかに「自然」視されているのか。
そこにメディアを通じたイメージの操作や偏見の再強化があるのはもちろんである。しかし著者がそれ以上に強く批判するのは(しばしば善意の)専門家の言説だ。人種主義者ならざる彼らは、「黒人問題」ではなく、「シングルマザー」や「落書き」や「ドラッグ」といった問題を語る。それは表層においては問題を客観的に観察可能な行動の集合として分析するが、深層においては「問題」としての黒人の隠喩(いんゆ)のリストを生成する。つまりそれは人種概念を迂回(うかい)しつつ、人種偏見を固定化するレトリックなのだ。市場的自由主義を背景として、ここに自己責任(自業自得!)の論理が入り込むと、「ゲットー」は普遍主義的な(差別のないはずの)語りのなかで、矛盾なく隔離される。
この狡猾(こうかつ)な分割統治に対して著者は徹底したアイデンティティーの政治を主張する。事態が端的に黒人差別そのものである以上、異議申し立ての根拠は、黒人であることに置くしかないのだ。たとえ個別のアイデンティティー(黒人)を強調することが、表面的には(非黒人との)連帯を阻むかに見えたとしても、普遍主義のレトリックの拒否という一点に結集することで、むしろ真に普遍主義的な、より深い連帯への道が開けるというのが、自ら「ゲットー」出身である著者の信念であろう。【評 山下範久(立命館大学准教授)】
| 父フロイトとその時代 | |
![]() | マルティン・フロイト 藤川 芳朗 白水社 2007-03 売り上げランキング : 36054 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
精神分析の創始者ジークムント・フロイトについての研究・解説・伝記・回想はそれこそ汗牛充棟というほど出版されている。最近、新訳の『フロイト全集』(岩波書店)も出はじめた。
天才と呼ばれる人物を父親に持ってしまった子どもはいったいどんな感じで生きたのだろうか。長男の回想録という本書はそこが魅力のポイントである。
夏になれば、登山、釣り、キノコ狩り、花の収集を子どもとたのしむ。新婚のころの思い出があるので黒バラのような濃い紫の小さい花を好む。
泳ぎは正統的な平泳ぎだという。いかめしい顔のフロイトはどんな表情で水に親しんだのだろう。
ウィーンでは自転車も電話も嫌いで、書斎では一度もタイプライターは使ったことがない。食事時間はきっちり守られている。しかし、鶏肉料理が嫌い。
ユングなどの精神分析関係者の姿は、ほんの少し垣間見られるだけで、むしろフロイト一家の日常生活の細部が、著者自身の自分史と重ねられ、掘り起こされているところがユニークなのである。ときおり点描される反ユダヤの動き。最後の一家のロンドン亡命に至る経過も貴重な証言であろう。【評 小高賢(歌人)】
| 紙芝居は楽しいぞ! | |
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紙芝居は今では幼稚園などで先生が演じるもので、拍子木をたたいて子供たちを呼び集め街角で駄菓子を売りながら演じる、街頭紙芝居を思い浮かべる人は少ないだろう。著者は大阪で、今は数少ない街頭の紙芝居屋として活動し、紙芝居の歴史の研究者でもある人物だ。
街頭紙芝居が全盛期を迎えたのは1950年代半ばであったが、それはTVの普及によって急速に衰退したといわれる。ただ街頭紙芝居が消滅したのは、かつて遊ぶ子供たちの姿であふれかえっていた街角から、子供たちの姿が消え去ってしまったためだろう。
本書の中心は、かつて評判を取った街頭紙芝居のストーリーを紹介し、子供たちと演者との生き生きとした即興のやりとりを再現している点にある。著者の狙いは、街頭紙芝居の復活にあり、それを通してアナーキーな魅力と力を持つ子供たちの集う「街頭」をよみがえらせることにあるようだ。昔と変わらない子供の世界が、今でもあると、現役の紙芝居屋としての体験から、著者は信じている。同じ著者が街頭紙芝居の仕組みや歴史などを解説した『紙芝居がやってきた!』(河出書房新社)を、併せて読むこともお勧めしたい。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| 声と顔の中世史―戦さと訴訟の場景より | |
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歴史の現場は口頭語の世界である。人々が語り、談じ、笑い、泣き叫ぶ局面が歴史を動かしたはずだ。ところが従来の「文献史学は詞(ことば)の生きた場景を知らない」というのが、本書をつらぬく問題意識である。
日本の行政と訴訟は古くから文書主義が制度化されていたが、民衆の大多数に読み書きができるようになったのは比較的後世のことである。そのギャップを補完するために、また非常事態の訴求として、ナマの「声」がいかに活用されてきたか。著者は古記録・公卿(くぎょう)日記・軍記物語などから数々の発話場面を拾い出して検証する。
発話は表情を伴う。「面なくして詞はない」として歴史の諸場面にクローズアップされた「顔」の実例も丹念に掘り起こされる。
歴史は読解対象としての文字史料だけでなく、行間から聴きとるべき音声に満ちている。日本社会に底流している文書と口頭・高声と囁(ささや)き・匿名と顕名・覆面と対面……といった微妙で巧妙な使い分けの《定理》が割り出される。
国会の大臣答弁で原稿読み上げが多いのも、インターネットの匿名の書き込みも、テレビニュースの顔のモザイクも、同じ根に発した文化事象だとわかる。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 人の痛みを感じる国家 | |
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患者と同じ痛みを経験したとき過酷な辛(つら)さを実感として理解できた、自分はこれまで患者の身になって痛みを想像したことはなかった――
骨にまでがんが転移し、残された人生も長くはない50歳前の医師が語った言葉である。「脳天にまで達するような灼熱(しゃくねつ)感のある痛み」でも、他者(ひと)のものなら耐えられる。しかし、自分が襲われた場合には「一分間でも耐え難くなっている」と病床で著者に告白したという。
その言葉が「心にずきんと突き刺さ」った著者は、「筑豊じん肺訴訟」や「水俣病関西訴訟」などの裁判で、被害者の苦しみに心を痛めることなく「行政の正当性を主張」する「官僚とは一体何者なのか」と問う。官僚の体質を変えるには一人ひとりに「意識の転換を求める」だけではなく、行政も組織として国民の立場に立った倫理を確立する必要があると著者は訴える。
人の受ける痛みや苦しみは仕方がないものではなく、相互に顔が見え理解してくれる人がいれば和らぐものである。大切なのは他人の立場で考えることだ。それが本書を貫くメッセージであり、匿名の誹謗(ひぼう)中傷が横行するネット社会を過激なまでに著者が批判する理由もここにある。【評 高橋伸彰(立命館大教授)】
| 危険な幻想 中国が民主化しなかったら世界はどうなる? | |
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米国の対中政策は間違っている。中国での政治弾圧はやまない。中国と付き合いのある政財界指導者や学者たちは、通商を盛んにすれば民主化するという幻想をふりまいてきたのではないか。
このような大胆な問いを突きつけた著者は、米国外交に詳しい中国通のジャーナリスト。かつて、米中関係のダイナミックな展開を実証的に描いた『米中奔流』という名著を著した。
著者によれば、中国が大混乱に陥るという「激動のシナリオ」も正しくないし、経済発展が必ず政治を変えるという「気休めのシナリオ」も間違いだ。中国は、民主化した韓国や台湾と異なり、広く、貧しい内陸部を抱え、米国の圧力にも動かされない。少数派にとどまる中産階級も現状維持を求める結果、30年先においても権威主義体制が続く可能性が高いという。
この「第三のシナリオ」が実現した場合、30年後の国際社会は政治的自由をその規範としているだろうか。実は米国が中国を国際秩序に統合するのではなく、その逆が起きうると著者は警告する。
確かに、中国という巨人の発展にはジレンマがつきまとう。中国は経済発展のために平和な国際環境を必要とする。しかし、経済成長に見合った軍備拡大を国策としていることもあり、実際に発展すれば周囲に脅威感を与える。
だが、中国政治は変わりえないと絶望することもないだろう。利権を抱えこんだ官商癒着構造は堅固だが、所得税をきっちり取るようになれば確実に人々の納税者意識が高まる。農村選挙の導入も、様々な名目で農民から費用徴収する村幹部の説明責任の向上をねらいとした。問題は、「激動」はせずとも、政治改革の「軟着陸」が保証されないことだろう。
著者は対中統合戦略に批判的だが、代替案は提示できていない。日本としては、関与して中国の内発的発展を促す一方、東アジアで協働して民主的な地域レジームの構築に努めるほかはなかろう。
ただ、言うは易(やす)く、行うは難し。中国問題の重みを改めて考えさせられる一冊だ。【評 高原明生(東京大学教授)】
| 伝統建築と日本人の知恵 | |
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京の匠(たくみ)の自分史である。人柄そのままなのだろう、謙虚で穏やかな語り口のなかに、良質の木造建築を支える伝統の技が失われつつある現状への危機感が、強いメッセージとなって織り込まれている。
350年続く京都西の岡組を率いる棟梁(とうりょう)の家に生まれた。立命館大学で建築を学んだのち家業を継ぎ、松花堂昭乗ゆかりの草庵(そうあん)や書院、有楽斎の茶室如庵、桂離宮、利休唯一の遺構である待庵の修理や移築工事にも携わった。日本を代表する数寄屋の名品を見事に修復した腕を買われ、ボストンの子ども博物館への京町家移築やメトロポリタン美術館日本ギャラリーの作事など米国の現場も任される。
棟梁はさまざまな専門家と連携し、自らの職能集団も運営しなければならない。現地の職能集団であるユニオンとの軋轢(あつれき)を乗り越え、「真正な日本の建築」を異国に建立するための努力を積んだ。その足跡も詳細に述べられる。
建築家として世界を目指す若者にぜひ読んで欲しい。伝統建築の素晴らしさを米に伝えた著者の経験から、異郷において自分たちの文化的な背景を正確に説明する困難さと同時に、日本文化の所産を海外でかたちにすることの意義を学ぶことができるからだ。
国境を超えて棟梁として活躍するいっぽう、木造建築の素晴らしさを次代に伝える多彩な実践も重ねてきた。熊本県立球磨工業高校の伝統建築コース創設をはじめ教育現場での協力や、解体された古建築部材の再利用をはかるNPO「古材バンクの会」(06年に「古材文化の会」に改名)の活動などが注目される。大工集団「清塾」の実践も例外ではない。京都に遺(のこ)る町家や書院建築の改修現場に地方の大工を集め、先人の見事な仕事に触れる機会とする試みだ。従来は口伝で外部には極秘であった匠のノウハウも、現場で伝授しているようだ。
職人は単に技術を習得したから職人なのではない。技術の背後にある先人の文化や知恵に学び、次世代に伝える役割をも担う。時代が変わったこと以上に、棟梁を中心とする職人組織の伝統が危機にあるということなのだろう。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授)】




国連で意外に健闘した日本


















