メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年5月27日~6月3日

貧しさ
貧しさマルティン・ハイデガー フィリップ・ラクー・ラバルト 西山 達也

藤原書店 2007-04
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西欧思想の生々しい切り口示す

この一冊を読んで、東大安田講堂の決戦の日、一学生が壁にヘルダーリンの「あたかも祭の朝に」という詩の冒頭をドイツ語で書き残したエピソードが心に浮かんできた。

歴史には時たま、限りなく見晴らしのよくなる稀有(けう)な時空点が訪れる。

一九四五年六月二十七日、フランス占領軍の「非ナチ化」政策で教職権を停止される直前、ハイデガーが記念碑的な講演を行った。題目は「貧しさ」。全篇(ぜんぺん)これヘルダーリンの箴言(しんげん)の注釈である。冒頭で引用されたのは、「我々においては、すべてが精神的なものに集中する。我々は豊かにならんがために貧しくなった」という予言的な語句だった。

ドイツは降伏し、ソ連軍はエルベ川東岸に駐屯していた。ハイデガーは微妙な位置にあった。世界史的な危機が一民族の危難、さらには個人的な危急と落ち重なるこの瞬間をいかに切り抜けるか。遠大な《存在》の時間と卑俗な歴史的日付の時間とをどう折り合わせるか。乾坤一擲(けんこんいってき)のきわどい勝負であった。次の言葉などは少なからず読者を驚かすに違いない。「粗雑な仕方で政治的に理解し、ロシア・コミュニズムと名づけているものは、ある精神的な世界に由来する」と。

本書は、(1)ハイデガー「貧しさ」(2)ヘルダーリンの詩的断章「精神たちのコミュニズム」(3)ラクー=ラバルト「『貧しさ』を読む」(4)日本人学者によるラクー=ラバルトへのインタビュー「ドイツ精神史におけるマルクス」の四部で構成されている。(4)が非常にわかりやすい。西欧思想史で生産的に受け継がれる注釈学の系譜が呑(の)み込める。

ハイデガーの講演はヘルダーリンの注釈である。ラクー=ラバルトの解読では、同講演はヘルダーリンから前記の「たった一行の文章」だけを引用した「貧しさという主題についての、一九四五年という時点における変奏」と見なされる。ハイデガーは一九三四年に突然フライブルク大学総長職を辞任した。「ナチの踏み外しというのはニーチェ主義に責任がある」と気付いたからであり、以後、ヘルダーリンの註解(ちゅうかい)に《真の政治》の活路を求めたと喝破しているのは示唆的だ。

ハイデガーの変奏は、ヘルダーリンの箴言を「貧しさは、西洋の諸民族とその命運のいまだ隠されている本質の基底調音である」と読み替える。「貧しさ」とは、宗教的な清貧か、それとも敗戦国ドイツを見舞う飢餓と貧困か。この言葉も脱歴史性と時局性を一語に重層させる多義性を孕(はら)んでいる。

たとえば「祭の朝」が村の休日にも学生反乱にもひとしくハレの光を注ぐように、注釈とは、多義性の迷路に分け入って叡知(えいち)の光に達する作業なのではなかろうか。

最近物故したラクー=ラバルトは「いつもヘルダーリンを利用しようとする」ハイデガーと対決してきた哲学者だった。貧を富に転ずるヘルダーリンの構想を歴史から切り離さず、革命的ルター主義の文脈につなぎ、マルクス思想の神学的起源にさかのぼる。書評子のような門外漢でも、西欧思想の生々しい切り口に興味をそそられる書物である。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか
小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか内山 融

中央公論新社 2007-04
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おすすめ平均 star
star小泉政権とは何だったのか
star政治「学」的小泉ドキュメント

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戦後歴代3位の長期政権となった小泉政権が終了して8カ月。冷静な評価を下す時期が来たと思っていたら、「小泉政権は何を変えたのか?」や「なぜ、小泉に改革ができたのか?」をコンパクトにまとめた本書が刊行された。

小泉前首相は、無党派層を中心とする国民に直接訴える「ポピュリスト的手法」を駆使し、道路公団や郵政の民営化、不良債権処理、医療制度改革、三位一体改革など内政改革を進めた。著者は、既存の族議員+官僚+利益集団による「鉄のトライアングル」を乗り越えた政策決定をしたことに一定の評価を与える。

「なぜ、以前にできなかった改革が可能になったのか?」との問いに対しては、小泉首相が、政策形成の議論の中心を(以前より設置されてはいた)経済財政諮問会議に移動する「場の変更」を行ったことを指摘する。従来は内閣と自民党で並行して政策形成が進められていたために、族議員の影響力が担保されていたが、その道をふさいだこと。さらに、新自由主義経済の立場で諮問会議運営の戦略を練り、仕切った竹中経財相という「人」を得たことも改革を成功させた鍵とする。

その一方で、改革に対する小泉首相のコミットに濃淡があったことが、内政改革の成功の度合いを決める要因にもなっているという。例えば、郵政民営化は成功したが、道路公団民営化では政治的妥協をせざるをえなかった。

こうした内政に対し、外交に関する著者の評価は厳しい。まず9・11以降のテロ特措法からイラク特措法、自衛隊のイラク派遣に至る対米追従外交について、取りうる選択肢は限られていたが、それでもその中で日本の国益にとって相応(ふさわ)しい外交方針を熟慮したのかどうか、さらに東アジア外交や自由貿易協定(FTA)についてもどこまで戦略性があったのか不明であったとする。結局、内政改革のような「場」と「人」を得ることができなかったことが一因として浮かび上がってくる。

改革が果たして日本に根付くのか、一過性で終わるのかは、現政権がどれだけ改革を引き継ぐかにかかっている。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

ラジオな日々
ラジオな日々藤井 青銅

小学館 2007-04-11
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おすすめ平均 star
starラジオの裏側って・・・面白い!

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喧噪(けんそう)で始まり、手書きの原稿で終わる青春記である。

時代は1970年代終わりから1980年代前半にかけて。主人公の「ぼく」はラジオを主戦場とする駆け出しの放送作家――著者の藤井青銅さん自身である。〈小説的な脚色はあるけれど、事実関係は変えていない〉本書には、まず二つの味わい方があるだろう。

一つは、80年代前半のラジオの舞台裏を描いた業界グラフィティとして。もう一つは、〈海のものとも山のものともわからない初心者〉だった「ぼく」が、迷いながら、戸惑いながら、そして周囲のオトナたちに鍛えられながら生きていく青春小説――ただし恋愛抜きの、硬派な「仕事小説」として。

さらに加えて、本書にはもう一つの魅力もある。

藤井さんは、当時のラジオ業界に満ちていた熱気を、こまやかに、敬愛と、ある種の哀惜を込めて描きだしているのだ。〈あの良く言えば活気がある、悪く言えばうわついた雰囲気はなんだったのだろう?〉〈戦場のようであり、お祭りのようでもあった〉〈蛍光灯で煌々(こうこう)と照らされた制作フロア全体に、すべての音がうわ~んと響いていた。ぼくは、沸き立つような熱気を感じた〉……。

もちろん、その喧噪は必ずしも仕事に直結しているわけではない。作中に〈情報機器の進化で、すべてのオフィスは静かになった〉とあるように、喧噪はやがて効率化のもとに「むだなもの」として淘汰(とうた)されてしまうだろう。手書きの原稿だって同じだ。しかし、はたしてそれらはほんとうに「むだなもの」だったのか、と藤井さんは問いかけるのだ。

物語は、初めてラジオ局を訪れた「ぼく」がフロアの喧噪に気おされる場面から始まり、手書きの原稿がとても重要な小道具、いやむしろ「ヒロイン」のような役割を負って登場する場面で締めくくられる。ラジオが〈今よりももっと人間臭く、効率の悪い産業だった〉時代の話が2007年のいま刊行されることの意味と意義は、そこにこそひそんでいそうな気がする。【評 重松清(作家)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

臍の緒は妙薬
臍の緒は妙薬河野 多惠子

新潮社 2007-04
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本書の四つの短編が描くのは、なにか密(ひそ)やかな係(かか)わりである。生者と亡者の、あるいは過ぎた日との秘めやかな交感。そこには、「遺(のこ)された者」という河野氏のライトモチーフの一つが感じられた。

例えば「星辰」は、夫が故人であるのを伏せ、彼の人生を星占い師に占ってもらう妻の話だ。開業医の夫との生活が静かに回想されるが、彼女の温かな追慕には、妻の冷たい骸(むくろ)と交わる男を描いた前作『半所有者』にも通ずる亡者との交渉があるのではないか。人は自らの死の内面を知りえない。死は遺された者のものなのだ、ということを改めて思う。本編は最後の最後で、両者の通い路がくっきりと浮かびあがるが、表題作では、黄泉(よみ)の気配はもう少し明らかかもしれない。

臍(へそ)の緒(お)が大病の妙薬になるという小説を読んだ時から、主人公の女性の心には奇妙な「推理」がひっそり萌(きざ)している。臍の緒へのオブセッションを蔓(つる)のように手繰っていくと、そこには、お腹(なか)にいた子や肉親らの生と死が幾多も糾(あざな)われており、しまいにある記憶に行きつく。ただし実際の叙述はこんなふうに直線的には進まず、起点かと思うとすでに途上であり、終点かと思うとまだ先がある。主人公の明朗な声に、自ら見届けえぬ彼岸への焦がれを感じ、私は胸がしきりと騒いだ。

入り組んだ表題作と好対照なのは、尋常小学校の日々を回顧する「月光の曲」だ。誰が誰になにゆえ語っているのか、といったナラトロジーの約束事はあっけなく消え、声だけが残る。いや、文調の変化につれ声の主すら消失するような印象を受けた。この語りのシンプルさはほとんど衝撃的であり、戦争前夜の空気を肌で感じる思いがする。

うっすらとユーモラスにして不穏――それは本書の全体に通じることだ。「魔」に描かれる子のない夫婦の和やかな生活にも、一跨(また)ぎで作者の『幼児狩り』に繋(つな)がりそうな魔が潜んでいる。そう、どの編も静穏に包まれながら、日常からついと踏みだしてしまいそうな風のそよぎ、つまりは河野多恵子の世界が凝縮されているのである。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

「過去の克服」と愛国心-歴史と向き合う (2)
「過去の克服」と愛国心-歴史と向き合う (2)朝日新聞取材班

朝日新聞社出版局 2007-04
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おすすめ平均 star
star日本人が知らねばならない慰安婦問題
star本当に「歴史と向き合う」べきは朝日新聞
star悪質な多事争論

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今日本のみならず世界中で多くの国々が、「過去の克服」問題に苦しんでいる。解決できずにいる亡霊のような「過去」とは、戦中戦後のドイツとポーランドの間の相克やフランスの元アフリカ植民地人兵士の補償、南アフリカのアパルトヘイトやチリの政治弾圧の被害などさまざまだ。

本書は台湾や朝鮮、インドネシアなど日本の過去の支配の傷跡から出発する。その上で今日の世界の「過去」問題をコンパクトに紹介し、海外での被害者・加害者の和解の試みを取りあげて、日本での解決の道を探ろうとするのである。

「過去」が今になって問題化したのは、世界的に民主化が進展して人権侵害が許されなくなったためであろう。民主化は負債を伴うのであって、民主化しただけで「過去」の一切をチャラにすることはできないのだ。その「過去」の記憶は放っておけば、新たな怨恨(えんこん)や紛争の火種となる危険な記憶でもある。

他方で「過去」は、現在の政治対立によって浮上する問題である。しかしそのことは逆に、現在の政治的努力によって解決可能な問題であることも示している。なお本書では、日本の戦争の新発見写真も紹介していて、興味深い。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

英語を禁止せよ―知られざる戦時下の日本とアメリカ
英語を禁止せよ―知られざる戦時下の日本とアメリカ大石 五雄

ごま書房 2007-04
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英語を禁止せよ 知られざる戦時下の日本とアメリカ

戦時中、セーフ、ファウルといった野球用語が「よし」とか「だめ」といった日本語に置き換えられたことはよく知られるが、スタルヒン投手が須田博と「改名」していたということまで知る人は多くはないだろう。ディック・ミネは三根耕一に、フェリス女学院は横浜山手女学院に、雑誌キングは富士に、鉛筆のHBは中庸にそれぞれ変えられている。

本書はこうした英語禁止の風潮が、言論界、政府、民間企業、教育といった様々な領域に広がっていく様子を具体的に記述したうえで、日系2世の若者を登用しつつ日本(語)研究に力を注ぎ、巧みな情報戦を展開していたアメリカの姿勢と比較している。日常生活、教育から敵性語を排除しようと試みた(そして情報教育を軽視していた)日本と、敵であるからこそ、日本(語)の理解を目指したアメリカ。このコントラストの持つ意味は決して小さいものではない。

もちろん、本書では日系人強制収容所のことも触れられており、アメリカの「日本理解」を手放しで肯定するものではない。「敵でありつつも/だからこそ理解する」という姿勢の持つアクチュアルな意義を、具体的な事例のなかから浮かび上がらせてくれる。【評 北田暁大(東京大准教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

クルマが語る人間模様―二十世紀アメリカ古典小説再訪
クルマが語る人間模様―二十世紀アメリカ古典小説再訪丹羽 隆昭

開文社出版 2007-04
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クルマが語る人間模様――二十世紀アメリカ古典小説再訪

文学とテクノロジーは関(かか)わりが深い。しかしクルマと文学の連動については、ほとんど探究されてこなかった。そこへ自他ともに認めるクルマ好きの著者がアメリカ文学史をスリリングに読み替えた本書が登場、長年の渇が癒やされた。

まず第1章は、クルマの歴史を18世紀フランスから説き起こし、それが蒸気自動車から電気自動車、そして今日のガソリン車からハイブリッドカーへと改良されていった歴史が、しっかりと再確認される。

そして第2章から第8章まで、著者はドライサーの『アメリカの悲劇』やフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』、ヘミングウェイの『日はまた昇る』、ウォレンの『すべて王の臣』、サリンジャーの『笑い男』といった名作群を取り上げながら、登場人物とクルマの取り合わせのみならず、作家たち個々が抱いていたクルマ観を容赦なく解明する。とりわけ、フォークナーの『自動車泥棒』が、蒸気自動車への退行的歴史観を示しつつ、馬をモデルにいかに架空のクルマを創案するに至ったかを手堅く推論していく手つきには、舌を巻くしかない。

ハンドルを握るすべてのかたにお薦めしたい、スピード感あふれる一冊だ。【評 巽孝之(慶応大教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

60億を投資できるMLBのからくり
60億を投資できるMLBのからくりアンドリュー・ジンバリスト 鈴木 友也

ベースボール・マガジン社 2007-03
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star内容自体は良い、だがタイトルと中身が全く全く合っていない

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米国野球のビジネス的背景

著者紹介には「北米のプロスポーツリーグ、選手会、オーナー、都市などのコンサルタント」「全米屈指のスポーツエコノミスト」とある。

日本デビューは、93年に翻訳出版された『球界裏・二死満塁』(同文書院インターナショナル)。オーナーたちとコミッショナーの“共同謀議”やテレビ視聴の不公平を招く「反トラスト法除外措置」の問題点を公聴会で証言した人物という前宣伝だった。メジャーリーグが今も享受し続ける特殊な法的位置は、日本での「独占禁止法」除外特権にあたる。出版のタイミングは日本球界がJリーグ熱に危機感を抱いた頃で、01年11月の2球団削減案に端を発した米球界の管理・運営の奇天烈(きてれつ)さを是正しようとする本書はその続編。

訳者は自由で公正な競争の行われる巨大プロスポーツビジネスへと向かう米球界の以後10年の軌跡と比べ、日本球界の脱皮が遅いと解説する。それが原題『最高のチームが勝ちますように』とは大幅に異なる刺激的タイトルに結びついたのだろう。著者の処方箋(しょほうせん)の出し方は本書でもロジカルで小気味よい。刊行から既に4年。訳者の情熱で漸(ようや)く日の目を見たが、たしかにこのグローバルな論客の名はもっと広く知られるべきだ。【評 佐山一郎(作家)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

帝国の条件 自由を育む秩序の原理
帝国の条件 自由を育む秩序の原理橋本 努

弘文堂 2007-04-05
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star帝国は自生的自由を育むか?
star「帝国論」を単なるブームに終わらせない著作
starネオコンを理解するために

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帝国の条件 自由を育む秩序の原理

グローバリゼーションは世界を帝国化する。本書は、この大胆なテーゼを基点として、そこから最大限に公正なグローバル社会を構想しようとする試みである。その眼目は、著者独自の思想としての「自生化主義」の開陳にある。

著者のいう「自生化」は自由主義の徹底である。自由を徹底することが、多様な個性を持つ諸個人の潜在能力を最大限に引き出す。それが個人と社会の両方に最も望ましい秩序をもたらす(逆に自由という価値は、そのような多様な諸個人の能力を引き出す方向で追求されなければならない)。つまり著者の言う「帝国」とは、自由主義が他の普遍主義的価値主張(たとえば平等)との均衡から解放された、一種のリバタリアン社会主義の世界である。

思想史的に言えば、本書は、ハイエク的な自生的秩序論とスピノザ的な内在性の哲学との交配でもある。単一の理性による設計によってではなく、多元的な能力の開花のなかから秩序は進化し、そのような能力の多元性は、主体に内面化された既成の(「正常」と「異常」の間の線引きを行う)権威を解除することによってはじめて開花する。

だから著者は、金融商品の開発であれ社会運動の実践であれ、情報技術の商品化であれ市場を迂回(うかい)した創作活動であれ、ひとびとの創発性の増大として評価できるものはすべて肯定する。そこでは資本や権力に対する表面的な政治的態度は問われない。むしろ資本や権力の立場とそれに抗する立場とが拮抗(きっこう)することで、たがいに創発性を高めあうことが期待されている。自由の普遍性自体を争いえない世界は、ある意味で息苦しいが、帝国そのものは善でも悪でもない。ただ、できるだけ善(よ)い帝国を目指すならば、ひとびとの創発性が活性化される度合いが本源的な尺度となるというわけである。

本書は一種のユートピア構想への呼びかけである。それは「自生化主義に応える主体として生きよ」という命法にも響く。その背後に激越な啓蒙(けいもう)家の相貌(そうぼう)を見るのは評者のみであろうか。恐るべき問題作の登場である。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

コーヒーの真実―世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在
コーヒーの真実―世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在アントニー・ワイルド 三角 和代

白揚社 2007-04
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star323ページの珈琲の世界

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コーヒーの真実 世界中を虜(とりこ)にした嗜好(しこう)品の歴史と現在

そのうち血液がコーヒーになってしまうのではないか、と思うほどのコーヒー好きにとって、のっけから、1日60杯コーヒーを飲んでいたというバルザックが「明らかに危険」な状態で、1日25杯飲めば精神的にも物理的にも障害が出る、と書かれると、思わず、次はハーブティーにしようか、と思ってしまう。

しかも、カフェインを摂取したクモは、マリフアナやスピードをやったクモより、巣作りが下手になるらしい。

健康志向に走らなくとも、コーヒー会社がいかに生産農家を搾取してきたかという件(くだり)を読めば、大手チェーンのコーヒーをやめてフェアトレード(途上国との公平な貿易)で輸入されたコーヒーに切り替えるかとも思う。だがそれも、無実潔白ではないらしい。優雅な香りにつつまれるコーヒーが、どれだけ奴隷や植民地支配、強制労働など過酷な生産現場を背景にしてきたか、コーヒー買い付けに長年携わってきた著者の力作だ。

これまでもコーヒーを狂言回しにして、西欧における市民社会の成立から植民地主義へ、という近代史を描いた本は、臼井隆一郎氏の名作「コーヒーが廻(めぐ)り世界史が廻る」(中公新書)を嚆矢(こうし)として多々あるが、本書は現代アメリカのコーヒー業界の暗部にまで筆を伸ばす。世界で5億の人々がコーヒー産業に携わっているのに、生産農家は貧困にあえぐ一方だ。中南米やベトナムのコーヒー産業が、いかに米国の利益に振り回されてきたか。コーヒーのために圧政が黙認される一方で、米国の薬剤散布、枯れ葉剤がコーヒーを危険に晒(さら)す。

ロマンを掻(か)き立てられる逸話も満載だ。イスラム神秘主義教団の学生たちが最初にコーヒーにはまった、という有名なエピソードから、オスマン帝国との確執とコーヒーの西欧への流入、ナポレオン流刑地であるセントヘレナでのコーヒー栽培。炭化したコーヒー豆2粒のペルシャ湾岸での発見も、太古の昔へと空想を広げてくれる。

人間の歴史のなかで、コーヒーは、毒と魅力に溢(あふ)れた永遠の魔性の女(ファムファタール)である。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2007/06/03, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

パニック都市―メトロポリティクスとテロリズム
パニック都市―メトロポリティクスとテロリズムポール・ヴィリリオ 竹内 孝宏

平凡社 2007-04
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ポール・ヴィリリオは、日本では本来の専門である建築家や都市計画家ではなく、ドロモロジーすなわち「速度」の視点から人類文明に警鐘を発する情報論者として知られているのではないか。

ヴィリリオは、02年から翌年にかけて、パリの美術館で「これから起きるかも知れないこと」と題する展覧会を企画した。その核となる概念が「事故の発明」である。技術が進み、新しい装置が普及すると、従来は想定もされなかった「事故」が生産される。進歩と大惨事とは表裏一体という認識である。

いうなれば、私たちが謳歌(おうか)している文明の臍(へそ)であり、中心である巨大都市は、やがて起きるであろう大惨事を随所に潜ませた「事故の博物館」である。私たちは「20世紀最大のカタストロフ」である都市のただなかで、暮らすことを強いられているというわけだ。

都市をめぐる論考を中心に編まれた本書は展覧会と響きあう論集と考えてよい。

「破滅」を主題にした冒頭の章は、パリとナントという二都市の往還から書き起こされる。ヴィリリオは1930年代のパリで平和な幼少期を過ごし、10歳の時、ドイツ占領下のナントで空爆の恐怖を体験した。

近代以前の大規模な戦闘の多くは「野戦場」という名の場所で展開された。しかし100年前からはあらゆる都市が雷火の標的になった。20世紀とは市民に対する戦闘がテストされた時代である。「事故の博物館」である都市にとって最大の災いは戦争という名の大量殺戮(さつりく)なのだ。そこには、空を占拠する者が都市を制圧することを目撃したナントでのヴィリリオの体験が重なってくる。

いっぽうでグローバリゼーションがもたらす危機についても多彩に論じる。私たちは国家を単位とする「多極的で解放された国際性」から、電脳空間という「ヴァーチャルで単極的な世界」への変化を受容している。「もはや、〈国家〉の境界は都市の内部に移動する」とヴィリリオは述べる。それは領土拡大ではなく、閉域化した世界の内部を植民地化しようという動きである。

世界は果てしなく拡大し境界を失いつつある。かたや、内側では様々な分断が進み、セキュリティーで護(まも)られた北米の高級住宅地のようにみずからを外部と遮断する。拡張と自閉、両極端に向かうように見えて、行きつくところは等しくローカリティの消滅という地平だ。その最終的な状況をヴィリリオは「場所の黄昏(たそがれ)」と呼び、「砂漠」にたとえる。

これまでのヴィリリオの著書と同様に分かりにくく、要約を拒む文体だ。ただ書物全体にちりばめられた記述とイメージから、大惨事を内在しつつ不毛な砂漠へと邁進(まいしん)する都市への問題提起を受け取ることができる。

ヴィリリオは、アメリカの象徴である摩天楼を「垂直方向の袋小路」とし、そのような「ビルディング国家」の政治も同様の状況にあると看破する。彼が少年期に、空を占拠した連合国軍からの攻撃を体験したことは示唆的である。本書は、9・11以降の世界の動向に対する著者なりの警鐘にほかならない。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授・建築史、都市文化論)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

歴史で考える
歴史で考えるキャロル・グラック 梅崎 透

岩波書店 2007-03
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安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を唱えていることからすると、終わりつつあるとはいえ今でも「戦後」は続いているに違いない。しかし本書によれば「戦後」が半世紀以上も長く続く現象は、日本以外では見られないようなのだ。こうした日本人の歴史意識を問いただそうとしているのが、本書である。

1990年代から登場した文化論的な研究は、日本近現代史研究の重要な一角を占めるが、その流れをリードしてきた一人が、ベトナム反戦世代に属するアメリカの日本研究者の著者である。本書は、主に日本の近現代についての歴史の「語り」が、その背後にどのようなイデオロギッシュな価値観や「近代」観、そしてフィクションを含む想念を潜めているかを分析した論文集である。

本書には、自己満足的な歴史の「語り」に対する強い反発の意識が見られる。例えば80年代以来の江戸ブームで描かれた、まるで高度成長後の日本社会のような「ポストモダンな江戸」像は、都合の悪い点を見ない歴史の作りかえであるという。それは今日の「不確かな未来からの逃避所」としての江戸像だというのだ。本書の特徴の一つは皮肉っぽい文体にあるが、それはこうした著者の姿勢に基づいている。

自国民向けのナショナルヒストリーも、自己肯定的な歴史の「語り」の一種である。その点で90年代に「慰安婦」が、アウシュビッツやヒロシマと並んで国境を超えた「トランスナショナルな記憶」に発展していった過程に著者は希望を見出(みいだ)している。

著者は、日本人の歴史意識を示す膨大なテキストに当たってそれを細心に処理しており、優れた力量の持ち主といえる。ただしその力は、主に歴史の「語り」に関するイデオロギー批判の面に向けられており、その「語り」がどこまで歴史の実態に基礎を持つかについては、あまり立ち入ることはない。とはいえグランドセオリーが失われた今日の段階で、批判的な歴史学がどうしたら作り出せるのか、模索する著者の思いが伝わってくる書物といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

コップとコッペパンとペン
コップとコッペパンとペン福永 信

河出書房新社 2007-04
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福永信を読むとは、稀有(けう)な読書体験をするってことだ。

実際彼は、小説を現代アートの一種と思っている節さえあり、『アクロバット前夜』では横書きに印刷された文章がページをまたいで延々と右に続いていく造本で読者をコケ脅(おど)しすらしたのだった。

その点、本書はふつうの短編集の顔をしているが、なまじふつうに見えるぶん、始末が悪い。なにせ表題作の1行目から意味が不明だ。

〈いい湯だが電線は窓の外に延び、別の家に入り込み、そこにもまた、紙とペンとコップがある。この際どこも同じと言いたい〉

キツネにつままれた気分のまま、そこは見なかったことにして読み進めると、〈図書館で調べものをしていると、ここに座ってもかまわないかな、と聞こえ、早苗の周囲に煙草(たばこ)の匂(にお)いがただよった〉という話になり、予期せぬ男の子の出現で早苗は〈胸が高鳴る〉が、その後の展開はないまま、8行先で2人は〈近所もうらやむほどの仲の夫婦〉となっており、〈腹には子供までいる〉。では夫婦の話なのかと思えば、15行も進むと早苗はもう死んでいて、夫と娘が再婚話をしているが、数行後にはその夫も失踪(しっそう)してしまい、残された娘が祖父の家に引き取られている。娘は父を探しはじめるが、それも途中でうっちゃらかされ……。

なーにコレ。どうなってんの? 読者は目を白黒させずにいられなくなるだろう。

だが! この時間感覚の失調と、1行も油断できない予定調和の攪乱(かくらん)こそが、この小説を読む醍醐味(だいごみ)なのだ。

『コップとコッペパンとペン』という表題も、前の言葉の一部をとって次につなげていくという小説の構造を示しているだけで、それ以上の意味はない(たぶん)。

もつれたり、とぐろを巻いたり、あらぬところに延びるロープや糸や紐(ひも)が作中には幾度となく登場する。縦糸と横糸で整然と織られているのが大方の小説だとしたら、この小説は、そう、アナーキーにもつれた糸。ほぐそうとすればするほど足をとられる。長いものには巻かれよう。イライラが快感に、変わるよ。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

円朝芝居噺 夫婦幽霊
円朝芝居噺 夫婦幽霊辻原 登 菊地 信義

講談社 2007-03-21
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二葉亭四迷訳のツルゲーネフ、森鴎外訳のアンデルセン。外国文学の翻訳を通して日本近代文学の文体は作られてきた。さて、その明治の翻訳に多大な影響を与えた人といえば、三遊亭円朝である。

ところが、円朝落語こそがじつは翻訳物だったという大逆転、「目からウロコ」の切り口で読者をあっと言わせ、虚実交錯する迷宮へと誘いこむのが本書だ。物語論を擁したメタフィクションだが、その面白いこと痛快なこと! 作中に「辻原登」が登場し、自身が十年前に書いた短編の国文学者の死にふたたび直面する。彼の遺品から出てきた明治期の速記原稿は、なんと「夫婦幽霊」と題する円朝の幻の噺(はなし)と判明。古式の速記を解読し、咄家(はなしか)の語り口を甦(よみがえ)らせる過程を、辻原登は「翻訳作業」としてとらえ、作者がみずから創出した人物から翻訳をひきつぐ、という奇天烈(きてれつ)な事態を出来させる。

作中作の「夫婦幽霊」がまた傑作である。御金蔵破りをめぐる三組の夫婦の化かしあいには、円朝自身もご活躍。江戸吉原や深川の鮮やかな情景と、サウンドスケープ。四迷や国木田独歩そっくりの文体が現れる個所など、たまらない。円朝師匠、自分のマネをした作家たちのマネをしているというわけだ。しかし名調子の噺と対照的に、訳者注では翻訳の苦労や疑問が縷々(るる)つづられ、やがて注のほうが本文を侵食していく。これはナボコフの『青白い炎』などで用いられてきた戦略だが、最後には驚天動地の訳者後記へ突入する。そこに芥川が?!

翻訳と原文の間に「すきま」があることを、辻原登は最大限に利用する。そもそも人が話した言葉、考えた言葉は、そのとおり文字化できるのだろうか。ポーランドの詩人ミウォシュは、「作家とは、見えざる大きな存在の言葉を書きとる筆記者だ」と言っている。では、「夫婦幽霊」の真の作者はいったい誰か? 円朝か、速記者か、翻訳者か、それとも……? 野暮(やぼ)なこと言っちゃあいけませんとばかり、本書は「作者の死」なんて文学の理屈は軽やかに超えて天翔(あまがけ)る。本物の物語(ロマンス)とはこのことだ!【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

人はなぜ花を愛でるのか
人はなぜ花を愛でるのか小川 勝 日高 敏隆 白幡 洋三郎

八坂書房 2007-04
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ネアンデルタール人の人骨化石の周辺土壌から集中的に花粉が発見され、人類はすでに六万年前から死者の埋葬に花を供えていたとする学説が唱えられた由である。

人はなぜ花を愛(め)でるのか。この問いに答えるのはそれほど簡単ではない。花とは花全般を指すのか、それとも個別の花のことか。人々はサクラを愛するようにアカザの花が好きといえるだろうか。

本書は、京都の総合地球環境学研究所に会した学者たちがこの難問をめぐって開いたシンポジウムの産物である。考古学・文化人類学・美術史・遺伝学・衣服史・生態人類学といった多彩な分野からの発言が一つのテーマをめぐって交差するから、花好きなら読んで損はない。

全部で九つの文章が収められているが、総花的に紹介するよりも、書評子が啓発された知見を整理しておく方が有益だろう。文学・美術に謳歌(おうか)される花々を詩的に語る言葉は美しいが、それ以上に、本書でしか読めないのは、花をぶっきらぼうに《科学する》タイプの諸章である。

綺麗(きれい)で愛でたくなるような花が多量に出現したのは、わずか一万年ほど前のことだとする説には眼(め)を開かれた思いがする。原初、地上には森林しかなかった。農業が森の生態系を「攪乱(かくらん)」し、人間の定住が草地を広げる。森の巨樹と違ってライフサイクルの短い植物が多生し、一定時間内にたくさんの種子を作る必要から花が咲き満ちる。環境の「里」化が花を育てた。

もう一つの説は、花と人間との距離で「愛でる」行為を測定する。(1)食花、(2)接触、(3)装飾、そして(4)の段階で初めて花が人間の身体を離れて精神的に楽しむ。その諸段階は連続的で分離できない。

もし不満をいうなら、この陣容にぜひもう一枚、植物愛の発生部位について心理学のカードを加えて欲しかった気がする。花の魅惑は、人間の大脳皮質よりもむしろ間脳にいきなり作用してくる。

人はなぜ花を愛するのか。

花は植物にのみ許される美しい生殖器官であり、抗しがたく悩ましいエロスの開顕だからではなかろうか。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる
コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる水越 伸

岩波書店 2007-03
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これだけ私たちの生活のなかにとけ込んでしまった携帯電話は、その普及の速さと広がりもあって、独特なメディア文化を生みつつあるのは明らかだ。この極めてユニークな「ケータイ」文化の諸相を、しなやかに論じたのが本書である。

特に著者らが注目するのは、その利用者たちがケータイを介することで生まれるバーチャルな共同体(コミュナル)についてである。

ケータイ写真というメディア表現やワンセグ・サービスの開始による同一端末での通信的行為と放送的行為との融合、日用品となった携帯端末を自分好みに装飾することによる「デジタル民芸」運動としてのケータイ文化など、その独自な文化事象にも果敢に斬(き)り込んでいる。

とはいっても本書は、キワモノのポップ・カルチャー評論とは、一線を画すものだ。ケータイ文化が引き起こしつつあるメディアの社会的様態の変化を紡ぎ出し、また、それらの文化表現に研究者たちも批判的実践者として関(かか)わっていく。それらの行為自体が、ケータイ文化とモバイル社会をメディアの学問的研究の延長線上で再定義、理論化しようとする実践的研究の試みなのである。【評 音好宏(上智大学教授)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

湖の南
湖の南富岡 多惠子

新潮社 2007-03
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おすすめ平均 star
star昔、湖の南に男ありき

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来日したロシア皇太子に警護の巡査が斬(き)りつけた1891年の「大津事件」。近年明らかになった書簡や資料に丹念にあたり、犯人津田三蔵の36年の生に迫っている。「生マジメな性格」ゆえに、明治新政府の下積みとして精神も暮らしも追いつめられた姿は、今も日本にありはしないか。

津田は13歳で明治維新、16歳で廃藩置県を体験、17歳からの10年を新政府の兵士として過ごす。除隊できたときには、薄給の巡査の道しかない。負傷して勲七等を受けた西南戦争は、数少ない「イイ事」だった。

その「青春の栄光」をロシア皇太子が軽視したと誤解。「皇太子歓迎の花火の音」で戦場の記憶、死者への感慨がよみがえり「凶行を押し出す震源」にひろがった。「思想的狂人」(司馬遼太郎)といった従来の見方をひっくり返した著者は、津田の「運の悪い巡りあわせ」に同情する。

これまで取り組んだ中勘助や折口信夫らの評伝とは異なり、内面の言語化が苦手な男の「訥弁(とつべん)」の供述から隠れた衝動をかぎあてる洞察は鋭い。

後半、津田を調べる「私」に、知らない男から届く手紙は殺意めいた衝動を語る。現代の凶行の震源を感じさせ、不気味である。【評 由里幸子(前編集委員)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

聖なる妄想の歴史―世界一危険な書物の謎を解く
聖なる妄想の歴史―世界一危険な書物の謎を解くジョナサン・カーシュ 松田 和也

柏書房 2007-04
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レーガン元米大統領の日記の中に、1981年6月にイスラエルがイラクの原子炉を爆撃した時、「ハルマゲドンは近いと本当に思った」という記述があると米誌が報じたのは記憶に新しい。ハルマゲドンとは、善と悪の最終戦争を意味する宗教用語である。日本でもこの言葉を教義に取り入れたカルト宗教団体が無差別殺人事件を起こしたことがあった。

多くの日本人にとっては妄想としか思えない思想だが、レーガン以降の大統領全員(!)が、この教えを真実として信じる傾向の強い教派(再生派)に属すると聞くと、ちょっとぞっとせざるを得ない。信仰は自由とはいえ、アニメやSF映画に描かれるようなことを世界最強の国家の指導者が信じているかもしれないのだ。

本書はそのハルマゲドン思想が記された預言書であるヨハネ黙示録が、どのように世界に広まり、また、人々がいかに現実の状況をその預言にあてはめて理解しようとしたかを、西欧史から説き起こしている。ユニークな文化史として楽しむか、あるいは訳者が奨(すす)めるように、現代世界の抱える問題提起の書として読むか。いずれにせよ、日本人がいかにこの方面において無知かを思い知らされる。【評 唐沢俊一(作家)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

暴力と和解のあいだ 北アイルランド紛争を生きる人びと
暴力と和解のあいだ 北アイルランド紛争を生きる人びと尹 慧瑛

法政大学出版局 2007-04
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北アイルランド紛争の難解さは、プロテスタント対カトリックという単純な宗教対立に還元できないところにある。これを未解決のまま放置された帝国主義支配の残滓(ざんし)と見ることが、現段階では最も妥当な分析方法だろう。

本書はユニオニストと呼ばれるプロテスタント集団に注目し、そのエスニック・アイデンティティの組成にメスを入れることで紛争の本質に迫ろうとしている。大英帝国が解体した後も国王の臣民(ブリティッシュサブジェクト)たることを帰属意識の拠(よ)り所とするかれらにとって、既に本国から棄民されたという現状を認めるのは集団の崩壊に直結しかねない。新たなアイデンティティ形成に向けての模索の過程を詳細に追う本書の分析には啓発される指摘が多い。

本書が対象とするのはプロテスタント、カトリック両派の穏健派政党UUPとSDLPが連合し紛争解決に期待が寄せられていた時代である。両者の合意からわずか9年、連立政権はあえなく倒壊し、武装闘争を繰り広げて反目したDUPとシンフェインの二大強硬派政党が今度は多数を占めながら歩み寄りを図りつつある。うたた隔世の感のある現状である。本書の真価が問われるのはこれからだろう。【評 赤井敏夫(神戸学院大教授)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

北朝鮮「偉大な愛」の幻 上巻
北朝鮮「偉大な愛」の幻 上巻ブラッドレー・マーティン 朝倉 和子

青灯社 2007-04-02
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北朝鮮「偉大な愛」の幻 下巻
北朝鮮「偉大な愛」の幻 下巻ブラッドレー・マーティン 朝倉 和子

青灯社 2007-04-03
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壮大な個人崇拝物語の由来を詳細に

「キムイルソンチャングンはツツジが好き」と、学生の頃、歌ったことがある。そう、かつての左翼学生には「北朝鮮」は、親しみを覚える国だった。それがどうだろう。

今やこの国は「拉致」、「飢餓」、「核開発」……。なぜ、どうして、こういう国になったのか。

人が常軌を逸した行動をとるには必ずわけがあると言われている。ならばこの国には、いったいどんなわけがあったのか。周辺国が対応を誤れば、次のイラク戦争を誘発しかねない今、知らないではすまされない。

本著は、それを知るにふさわしい。上下二巻、読了に気力がいるが、分かりやすく面白い。まず、そこが凄(すご)い。米国ジャーナリストの著者が、1979年、朝鮮戦争以後、初めて「平壌」入りした折の衝撃の体験から始められていて、ページを繰る手が次第に止まらなくなるのだ。

さらに、朝鮮半島が南北に分断された当時のソ連、中国、アメリカ、韓国の思惑などが、前線で戦った軍人証言の裏づけで詳細に記述されている。

現在の「北朝鮮」を生み出した責任が、どの国にどうあるのか。金日成父子が、なぜかくも壮大な個人崇拝物語を作り上げる必要があったのか。「過去の歴史が現在に光を当てる」、そのことを実感させられる。

下巻では、金正日一族や元側近、労働者、犯罪者まで北朝鮮亡命者たちのそれぞれの立場からの数多くの体験が語られ、この国の「内側の姿」が見えてくる。

読了し、この不可解な国を追い詰める危険性を強く思った。今、この国にも確実に及びつつある経済改革が北朝鮮国民の意識を変化させ、国を自壊させていく、その可能性に賭けるべきではないかと。

戦争回避への切実な思いをこめた、著者、13年の労作である。

情報から閉ざされ、自由を奪われ、生存をおびやかされ続けているこの国の人々を思うと、過剰な情報の洪水に溺(おぼ)れ、現実に無関心になっている私たちの怠惰を思わずにいられない。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/05/27, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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