メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年5月13日~5月20日

ひとりぼっちのジョージ―最後のガラパゴスゾウガメからの伝言
ひとりぼっちのジョージ―最後のガラパゴスゾウガメからの伝言ヘンリー・ニコルズ 佐藤 桂

早川書房 2007-04
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ガラパゴスゾウガメと人間の交流史

この世でたった1人の生き残りだとしたら、どんな気持ちだろう。世界の終末もののSFではありそうな設定だが、現実にその境遇にある生きものがいる。人呼んで「ロンサム・ジョージ」。絶海の孤島でただ1頭だけ生き残ったガラパゴスゾウガメの雄である。

ジョージは、進化論の聖地ガラパゴス諸島中のピンタ島だけにすむゾウガメである。ガラパゴス諸島は南米エクアドルから西に1千キロの洋上にある火山群島。この距離は、ちょうど小笠原諸島と本州との距離に相当する。

古来、ガラパゴスゾウガメは洋上を行く船の保存食料として重用され、乱獲の末にその数が激減した。ビーグル号による世界周航の途上で立ち寄ったダーウィンも、その肉に舌鼓を打った一人だった。大小十数個の島からなるガラパゴス諸島にすむゾウガメは、島ごとにそれぞれの環境に適応し、甲羅などの形態が少しずつ異なる14のタイプに分けられる。当初ダーウィンはそのことに気づかなかったのだが、ガラパゴスゾウガメの多様性は、適応の妙として、現代の進化の教科書では必ず触れられている。

一般にこのタイプの違いは、種の一つ下の分類単位である亜種のレベルの違いとされている。ただし、三つのタイプは絶滅したため、現存するタイプは11である。そういうわけで、世界一孤独な生きものと呼ばれているジョージだが、世界唯一のガラパゴスゾウガメというわけではない。ゾウガメが絶滅したと信じられていたピンタ島で、1971年に発見された、その島唯一の生き残りなのだ。

ジョージは、72年にダーウィン研究所に保護され、今もそこで暮らしている。他のタイプのゾウガメの雌もたくさんいるのだから、それほど孤独でもなさそうなものだ。ところがジョージは、ひとり暮らしが長かったせいか、他のカメにとんと関心を示さない。ただ、関心を示したとしても、簡単に子どもを生ませるわけにもいかない。個々のタイプの遺伝的多様性を保持するために、混血は、できれば避けたいからだ。なにしろ今やジョージは、ガラパゴスという貴重な自然を守るためのシンボルに祭り上げられているのだ。

本書は、孤独で禁欲的なジョージをめぐる悲喜こもごものドラマを要領よくまとめたリポートである。たった1頭のカメの話で1冊の本が書けることでも、ジョージが置かれている特殊な立場がわかるというものだ。ロンサム・ジョージという名前が、アメリカのコメディアンにちなんでいるとは、寡聞にして知らなかった。

折も折、ジョージの仲間が見つかったというニュースが世界を駆け抜けた。ピンタ島に近いイサベラ島のゾウガメのDNAを調べたところ、ピンタ島タイプの血が半分混ざったゾウガメが見つかったというのだ。それは、かつて船乗りたちが島から島にゾウガメを移動させた名残とも考えられる。もっとよく探せば、100%ピンタ島タイプのカメがほかの島で見つからないとも限らない。推定年齢80歳ともいわれるジョージよ、首を長くしてその日を待て。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

メタボラ
メタボラ桐野 夏生

朝日新聞社 2007-05
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おすすめ平均 star
star『魂萌え』でおばさんを描き、この本では若者を描いた?
star何が書きたかったのか?

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桐野夏生は書評者泣かせの作家である。なにしろ出る作品すべて文句なしにおもしろいのだから、どれかひとつを選ぶことなどできはしない。

だが今回、禁を冒しても『メタボラ』を取り上げるのは、これこそ21世紀日本を――ネオリベラリズムのもと格差社会の矛盾、家族崩壊の悲劇が噴出するこの国の現実を――あまりにも鮮烈に、これでもかこれでもかというほど凄絶(せいぜつ)に切り取ってみせた第一級の現在文学だからである。

本書は、沖縄本島とおぼしき密林で、本州出身らしき20代の記憶喪失青年が、宮古島出身の10代後半の嘘(うそ)つき少年・伊良部昭光(アキンツ)と、偶然の出会いをとげるところから始まる。前者は便宜上、アキンツおよび、のちにふたりして家に転がり込むことになるコンビニ勤めの娘ミカの提案で「磯村ギンジ」の名前を与えられる。出会ってすぐ無二の親友と確信し合ったふたりの若者は、ひょんなことから別々の仕事に就くも、ともに挫折して転職。やがてギンジは勤務先のシェア住居「安楽ハウス」のオーナー・釜田に実力を認められ、彼の選挙出馬の手伝いをするようになるいっぽう、アキンツは勤務先のホストクラブ「ばびろん」でもトラブルを起こし、果てはヤクザにからまれ、瀕死(ひんし)の重傷を負う。

ところが終盤、それまで離ればなれで好対照の人生を歩んできたふたりは、思わぬかたちで再会を遂げ、ともに驚くべき決断を下す……。

何の変哲もないスタンド・バイ・ミーふう青春小説のように響くだろうか。しかし物語を支えているのは、アキンツがかつて最大の天敵に奪われた最愛の女を取り戻し、ギンジが記憶喪失のきっかけを悟るとともに失った自分自身を取り戻すという、「過去の回復」のモチーフである。

だが、それが必ず幸福を導くという保証はあるのか? むしろ絶望のどん底を突き抜けることで未来を拓(ひら)き、まったく別の自分を再構築することは不可能なのか? これらの問いかけとともに、謎めいたタイトル「メタボラ」がその意味を開示するクライマックスは、まさに圧巻だ。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

日本政治思想
日本政治思想米原 謙

ミネルヴァ書房 2007-04
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おすすめ平均 star
star心の充実感を与えてくれた本
starもう一度読み返したい本です

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政治思想が文化意識や社会思想と違うのは、それが政治的選択や政治戦略と深く結びついている点であろう。政治思想は、一方で政治的な理想や原理を示すものであるとともに、目の前の困難な現実を変えようとする魂胆や策略と一体のものなのである。

本書は幕末から1980年代までの約150年間にわたる、近代日本政治思想史の教科書である。著者は、中江兆民などの研究で知られる切れ味鋭い学者だが、本書はこの間学界で蓄積されてきた石橋湛山などの思想家研究の成果の上に立って、一貫した通史を提示したものだ。ここでは近代日本の政治思想のありようが、その政治的理想の持つ意味と、その理想とはかけ離れた現実への有効性という双方の視点から、解き明かされようとしている。

本書によれば福沢諭吉の脱亜論も、日本の国際的地位の上昇のために中国との差異を強調し、西欧からの差別的まなざしを避けようとした「戦略的発言」であった。しかし日本がその道を突き進んで日露戦争に勝利した結果は、福沢を継承した徳富蘇峰によれば、アジアからも西欧からも孤立した境涯に日本が陥ることを意味したのである。この「戦略」の行き詰まりが、非合理なナショナリズムの膨張を生み出すのだった。

本書のもう一つの特徴は、日本の国家主義や帝国主義を批判する左翼やリベラルの思想の流れを、系統的に追いかけている点である。その点で著者は、理想主義的な姿勢のために途中で大きく立場を転換していく大山郁夫より、原理を突き詰めずプラグマティックに対応することで、逆に状況の変化に左右されにくかった吉野作造の方を、評価しているように見える。

憲法改正問題に代表されるように、かなり大きな政治的決断に今の私たちは直面している。しかしその議論は、十分尽くされているとはいえない。理想と現実の落差を踏まえながら、なお理想を手放さない議論のためには、無意識のうちに私たちを縛っている日本の政治思想の伝統を振り返る必要があることを、気付かせる書物といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

都市の住まいの二都物語
都市の住まいの二都物語小沢 明

王国社 2007-04
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建築家である著者は「都市に住む」ことにこだわり続けてきた。その思索のあとを、都市・住まい・風景をキーワードとする各論から読み取ることができる。表題になっている小論も例外ではない。ロンドンとパリの「二都」で典型的な都市住宅を事例に、「都市に住まう」とは「街区に住む」ことではないかと、都市居住の本質を問いただす。

ロンドンのテラスハウスは、住人が管理する庭園――スクエアを3~4階建ての住棟群が囲む。日本の長屋のように、横に並ぶ各住戸が街路に面して出入り口を持ち、庭園と住戸群が一体となって街区をかたちづくっている。

対照的にパリのメゾン・ア・ロワイエは各フロアを一戸が占め、上方に積み重なる「成層住宅」である。各住戸は、階段室を媒介として街路と直接繋(つな)がっている。

これらの中層住宅は、住居が集まって街区を構成する「住居集合」である。対して日本の団地やマンションなどの「集合住居」は、大きな建物を区分しただけの「限りないパビリオンの集合」でしかない。「住居集合」は都市をつくり得るが、「集合住居」をいくら集めても都市になるはずもないと著者は断じる。

なるほどと思う。町家の例を出すまでもない。わが国の都市でも、京都や城下町に由来する歴史都市などでは、個々の住居が街路と密接な関係を持って集積することで街区を単位とする「町内」のコミュニティーが維持されていた。しかし今日の集合住宅は、ただ単に積み重なっているだけだ。これでは住民が街への帰属意識や公共性への配慮を抱きにくいのも当然だ。住まいという器のあり方から、都市居住の本質的な課題が浮かびあがる。

いっぽう著者は東北芸術工科大学で教壇に立ち、学長も務めた。本書に収載する式辞や講演録では、クリエーターとして世に生きる姿勢を語る。「えにし 私と建築と大学」と題する最終講義でも、出会いの大切さを学生に問いかけた。「建築教育」ではなく、人を育てる「建築家教育」に携わってきたという自負の記録である。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

「戦後革新勢力」の源流―占領前期政治・社会運動史論1945-1948
「戦後革新勢力」の源流―占領前期政治・社会運動史論1945-1948五十嵐 仁

大月書店 2007-03
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良くも悪くも「戦前」に通底

今、第2次世界大戦後の連合国軍による占領期が注目されている。

この時代を大正デモクラシーなどの流れをくんだ民衆運動の復活期ととらえるのか、それとも戦前とは断絶された連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策を押しつけられた時期と見るのかで、戦後60年に対する評価が異なってくる。

本書は、占領期をGHQが方針転換をするまでの前半期(具体的には1945年~48年)に注目し、革新政党や労働運動、農民運動、女性運動、学生運動などの政治・社会運動がどのようにして成立し、展開していったのかを明らかにしたものである。

特色は、当時の労働運動や農民運動などの盛り上がりがGHQ抜きには考えられない一方で、「マッカーサーとその配下が創造したものでもなかった」ことを指摘している点であろう。

敗戦後は刑務所からの出獄組や地方から中央に戻ってきた活動家や思想家が多く、政治・社会運動における戦前的体質が良くも悪くも(例えば、元の組織を引きずるなど)見られたことも明らかにしている。

戦後政治とは何かを、改めて考える際、間違いなく一つの手がかりになる書物と言えよう。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

ボクシングはなぜ合法化されたのか―英国スポーツの近代史
ボクシングはなぜ合法化されたのか―英国スポーツの近代史松井 良明

平凡社 2007-04
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「乱暴」よりも「正当性」優先

プロレス好きの評者は、会場に同伴した知人に、「暴力だ! 警察に通報しよう!」と言われ、面喰(めんく)らったことがある。しかし、格闘技に限ってなぜ、相手の身体(からだ)に直接、攻撃を与えてよいのだろう。とくにボクシングでは、まれに死亡する選手もいるが、もちろんそれが罪に問われることはない。

本書は、「リングであればなぜ殴り合いが許されるのか」という興味深いテーマを、イギリスにおけるスポーツの近代化という観点から論じた本だ。メーンはボクシングだが、そこに至るまでの弓術や闘鶏などのアニマルスポーツの歴史、さらには「スポーツと賭け」の問題が、その時々の刑法との関連で語られる。

理性の国・イギリスらしく、常にこだわるのはそのスポーツが正当であるか否か、という点。それさえ保たれていれば、あとはいくら乱暴に見えるスポーツも「自由の諸権利の行使」と見なされ、許容される方向に向かった。では、「正当」とは何なのか。それは「身体の激しいぶつかり合いを見たい」という人間の本質的な欲望とも関係しており、法律だけで完全に説明するのはむずかしい。「見たいから」のその一歩、先まで考察しようとした意欲作。【評 香山リカ(精神科医)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

ハンニバル・ライジング 上巻
ハンニバル・ライジング 上巻トマス・ハリス 高見 浩

新潮社 2007-03
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おすすめ平均 star
star前2作には及ばず
star小説になっていない。
starちとキツイ

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ハンニバル・ライジング 下巻
ハンニバル・ライジング 下巻トマス・ハリス 高見 浩

新潮社 2007-03
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おすすめ平均 star
star十分に楽しめる本
star十分面白いですよ?
star“人喰う私”のアタマのなかの宮殿。

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「悪の怪物」の生成史たどる

巨大な悪の怪物を生みだすものが、さらに巨大な悪だとすれば、それはやはり戦争ということなのか。

医学博士にして、底知れぬ教養を持つが、連続殺人鬼で、しかも文字通り「人を食う」。世界的ベストセラーで、映画も大ヒットした『羊たちの沈黙』(新潮文庫)、『ハンニバル』(同)などの連作で著者が育ててきたアンチヒーロー、ハンニバル・レクターが、いかに生成されたかの謎を明かす。

バルト3国の一つ、リトアニアの名家で何不足なく育つ聡明(そうめい)な少年、ハンニバルが、第2次大戦の末期、戦火の混乱の中で、最愛の妹までも悲惨な状況で殺され、孤児になる。その後、フランスに住む叔父に引き取られ医学生となった彼の、妹の死にまつわる壮絶な復讐(ふくしゅう)劇が物語の骨子。ナチズムともからみ、まずは納得させる。

興味深いのは、叔父の妻が紫という名の日本人で、彼は紫から日本の美学や武士道を学び、深く傾倒することだろう。その設定は一考に値する。ともあれ、公開中の同名の映画に比べ、活字の方がはるかに膨らみは大きい。特に映像では、洗練された日本の美学で統一されたはずの紫夫人の趣味が中国風にしか見えないのは、常ながら悲しい。【評 四ノ原恒憲(編集委員)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

落花流水―谷崎潤一郎と祖父関雪の思い出
落花流水―谷崎潤一郎と祖父関雪の思い出渡辺 千萬子

岩波書店 2007-04
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おすすめ平均 star
star谷崎晩年の女神・千萬子の回想記

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晩年の文豪と家族を率直に

著者の祖父は関西画壇の重鎮・橋本関雪であり、義父は谷崎潤一郎。戦後、京都下鴨の潺湲(せんかん)亭で4年間、ともに暮らしたのは『細雪』のモデルとなった女性たちである。それから40年後、はじめて、晩年の文豪とその家族のありのままの素顔が、凜(りん)とした率直な話し言葉で描き出された。

著者自身も『瘋癲(ふうてん)老人日記』のヒロイン颯子のモデルだと見なされていた。

たしかに谷崎は「トレアドルパンツの似合ふ渡辺の千萬子(ちまこ)の繊き手にあるダリア」と詠み、「あれのインスピレーションで小説を書きます」ともいった。だが『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(中公文庫)を検証すれば、いかにかれが千萬子を虚構化してゆくかがわかる。この本に収録された谷崎宛(あ)ての未発表書簡・21通で、ようやくその全貌(ぜんぼう)があきらかになった。

谷崎との「松子神話」を守るため、松子夫人は著者を一切記述せず、『細雪』のヒロイン雪子を演じつづけた妹の重子は、アルコール依存症で亡くなる。

生前、鹿ケ谷の法然院に墓をたて、寺の前に家を新築するよう勧めて「死後もそばにゐられます」と谷崎は書き送った。渡辺千萬子は長くかれの坊守をつとめ、その言葉に応えた。【評 杉山正樹(文芸評論家)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

美術館の政治学
美術館の政治学暮沢 剛巳

青弓社 2007-04
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たまたま入った美術館で現代アートの企画展などに遭遇し、ふと感じる「しまった」という気分。著者いわく。

〈確かに「現代美術」の多くは一般的なポピュラリティに乏しく、また作品鑑賞にあたっては特有のリテラシーを求められる場合もあるため、ほとんどの場合観客動員数という面であまり期待を寄せられないことは否めない〉

おお、「現代文学」をめぐる状況とおんなじだっ!

とはいえ当節は美術館の建設ラッシュである。国立新美術館、ミッドタウン内のサントリー美術館と、東京では新美術館のオープンが続いているし、地方都市も同様だ。箱モノ行政のツケに苦しむ自治体も少なくないのに、美術館に未来はあるの?

『美術館の政治学』は美術館のそんな最新事情と近代の美術館史をからめつつ、日本のミュージアムの現状と課題をさぐったミュゼオロジーの本、である。美術雑誌の連載が下敷きであるため、やや総花式の感はあり、タイトルに反して政治向きの生臭い話題は抑えられているものの、まさに美術館の回廊式に、興味深いトピックが次々に登場する。ミュージアムの原点ともいえる万博、柳宗悦と日本民芸館の思想、一時代の文化を築いたセゾン美術館……。

特におもしろかったのは、上野の東京国立博物館の成り立ちと、靖国神社の遊就館を中心とした戦史博物館の考察である。幕末の上野戦争の舞台で「敗者」の記憶を残す上野の山に東博が建てられたのと、九段下に内戦の「勝者」たる官軍を顕彰する遊就館がつくられたのは、ほぼ同じ時期。それから百数十年後のいま、上野は巨大なミュージアムパークに発展し、遊就館は敗戦国の戦史博物館としての矛盾と欺瞞(ぎまん)をかかえる。

日本のミュージアムは歴史が浅い。コレクションの厚みは何百年の伝統を誇るヨーロッパとは比較にならず、大英博物館やルーヴル美術館のように観光客の大半が訪れるミュージアムもない。それでも日本は日本なりのプロセスを歩んできた。美術館はメディアである。あの美術館にも、よし、足を運んでみよう。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2東 浩紀

講談社 2007-03-16
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おすすめ平均 star
star新しい文化論
star忘却される、そのまんま東浩紀
starリアルについて

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東浩紀氏も学者として老練になったものだ、というのが本書前半の印象だ。

本書は01年に講談社現代新書から上梓(じょうし)された『動物化するポストモダン』の、5年半ぶりに出た続編という位置づけになっている。内容は前作に引き続き、オタクと呼ばれる人々によるポストモダン的物語受容の変容(いわゆる動物化)を解き明かす体裁になっているものの、その手法はだいぶ変化している。

はっきり言えば前作におけるその問題提起は、論理の飛躍と取り扱う対象(アニメ等オタク的作品群)に対する知識の欠如があり、その分野に詳しい読者は、

「それはないだろう」

というツッコミを入れながら読み進めざるを得なかったはずだ。ところが、そうやって内容の不備を自分で補完しつつ読むという行為により、読了時点で読者個々の頭の中にオリジナルな動物化理論が完成するという仕組みで、これはまさにポストモダン時代の、新しい思想の呈示(ていじ)の形なのではないか、と思わせるユニークさがあった。

それに比べると、今回の続編は、用心深く、大塚英志氏らの先行のメタフィクション論の検討という形式をとって論を進めている。そこに大きな破綻(はたん)はないものの、前作にあったパフォーマティブな面白さには欠けるのでは、と心配になるのも事実である。

しかし、後半で、著者がオタク的物語消費の典型例としてのライトノベルを具体的に評論し始めるあたりになってくると、従来の東氏らしさが顔を出す。ライトノベルに比較された時の自然主義文学への勉強不足(本書での認識はクラシックに過ぎるだろう)を気にもとめずどんどん話を断定的に進めていくあたりの痛快さは、喩(たと)えが変かもしれないが、剣豪小説のような、スカッとした読後感を残す。こういう現代思想書もあまりない。代わりのいない個性を持つ学者なのだ。まだまだ老成せずに、若々しい問題提起を続けて欲しいものだ。

そういう意味で、一応独立した書籍にはなっているものの、前作からの通読をお奨(すす)めしたい。【評 唐沢俊一(作家)】

■2007/05/20, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

兵士になった女性たち―近世ヨーロッパにおける異性装の伝統
兵士になった女性たち―近世ヨーロッパにおける異性装の伝統ルドルフ M.デッカー ロッテ C.ファン・ドゥ・ポル 大木 昌

法政大学出版局 2007-04
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知的サバイバルとしての女の男装

1980年代半ばにアメリカ東海岸の大学院で学んでいたとき、同級生にテキサス生まれの陽気で聡明(そうめい)な娘がいた。いつもカウボーイならぬカウガールふうのいでたちで、真っ赤なオンボロ車を駆っていた。それが卒業後15年ほど経(た)った今世紀初頭、当時の仲間から、彼女がいまでは西海岸に移り、男性の弁護士として大活躍していることを聞き、いささか驚いたものである。

というのも、わたし自身がここ10年ほどのあいだ、植民地時代におけるアメリカ文学を研究しているうちに、本書でも取り上げられている男装のイギリス系女性兵士ハンナ・スネルの逸話に行き当たっていたからだ。18世紀半ば、夫に裏切られ子供にも死なれたハンナが、すべてに絶望したあげく武器を取りジャンヌ・ダルクをも彷彿(ほうふつ)とさせる兵士と化し、結果的にアメリカ独立革命の機運を煽(あお)ったことは、宗主国と植民地のあいだの主従関係をゆるがすに至った史実のひとつである。

女が男装する行為は、たんなるコスプレ的趣味嗜好(しこう)にとどまらず、個人どころか国家全体の運命を左右することすらあった。まさにこの点に焦点を当てた本書は、異性装の背後にいかに複雑な要因がからみあっていたか、そしてそれが文学作品に反映された場合、小説読者のほとんどが女性であったという条件も手伝って、いかに絶大な人気を博したかといういきさつを、徹底検証してみせる。

この共同研究は、オランダ語版原形が1981年、その大幅な増補改訂版が1989年に刊行されており、邦訳は後者の英訳版にもとづく。さて肝心なのは、81年版が「むかし陽気な娘がいた」というタイトルで、それが17世紀以来のオランダで子供を中心に親しまれてきた歌から採られている事実だろう。しかも、その歌詞をよくよく追ってみれば、航海に出たいと渇望した「陽気な娘」が7年間も軍に所属し、ミスを犯したさいに罰を逃れようと自分の性別を白状、しかも船長の愛人になることすら申し出るという、十分すぎるほどに大人の歌なのだ。ほんとうはこわいオランダ童謡、といったところか。

著者たちは異性装の背後に三つの動機を見る。まずは家族や恋人に起因するロマンティックな動機、祖国を守りたいという愛国的動機、そして貧しいがゆえに男性の職業を奪い取るしかなかったという経済的動機。そこから出発する分析で興味深いのは、たとえば、同じ貧しさゆえの転身であっても、売春婦に身を落とすことだけは断じて避け、あくまで「女性の尊厳を維持する道」として選ばれたのが男装だったという調査結果である。さらに、娼婦(しょうふ)が妊娠してしまい、社会的体裁から夫を必要としていたので男装者を利用し結婚したという、驚くべき記録も見つかっている。男装して兵役の契約金をかすめとった女性詐欺師の実例も、枚挙にいとまがない。

異性装の文化史は、必ずしも性的変態の歴史ではなく、セクシュアリティの常識を利用しながらもその裏をかくことで成り立つ、高度に知的なサバイバルの歴史であることを、本書は深く納得させてくれる。【評 巽孝之(慶応大学教授・アメリカ文学)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

悪人
悪人吉田 修一

朝日新聞社出版局 2007-04
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おすすめ平均 star
star長さを感じなかった
star誰が悪人なのか
star悪人は本当に悪人だろうか

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物語の最終盤で、若い登場人物が言う。〈俺(おれ)、それまでは部屋にこもって映画ばっかり見とったけん(略)人の気持ちに匂(にお)いがしたのは、あのときが初めてでした〉

生身の人間だからこそ持つ、気持ちの匂い――吉田修一さんは、それを、幾重にもかさねて立ちのぼらせる。一つの殺人事件を軸に、加害者、被害者、そして双方の家族や周囲のひとびとの屈託した思いやまっすぐな感情を、視点を移しながら描いていく。

といっても、吉田さんは決して神の視点に立っているわけではない。引用部分でも明らかなとおり、事件の舞台でもある九州北部の方言をむきだしにした登場人物の語りをそのまま、ごろん、と投げ出す。三人称の場面でも物語の運び手に徹して、作者自身の気持ちの匂いがいたずらに漂わないよう、細心の注意が払われている。

おそらく吉田さんは知っているのだ。加害者本人や家族の視点を物語に組み込むと、おのずと「同情」めいたものが読み手の胸に生まれてしまうことを。そこから「罪を犯した者にも孤独や悲しみがあったのだ」という方向に読者を導くのはたやすい。逆に被害者サイドの物語からでも「同情」を醸し出すことは容易だろう。

だからこそ、吉田さんは自らの声を消し、匂いを消したのではないか。ともすれば安易な「同情」のセンチメンタリズムに陥りかねない結構を持つ物語に、吉田さんは甘えを許さない一線を引いた。作者自身ですら踏み込めない結界をつくった。それが登場人物の一人語りではないのか?

作者の案内なしに、読者はさまざまな気持ちの匂いをまっさらなままで嗅(か)ぐことになる。ふだんナビゲーターとして重宝しているワイドショーのコメンテーターも、そこにはいない。被害者、加害者、関係者それぞれの匂いが渾然(こんぜん)一体となった果てに「悪人」の一語が、哀切なクエスチョンマークとともに浮かび上がる。その問いに対する答えは読者一人ひとりに委ねられる。これは、読み手の「私」の気持ちの匂いを問われる物語でもあるのだ。【評 重松清(作家)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ニコライ堂遺聞
ニコライ堂遺聞長縄 光男

成文社 2007-04
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神田駿河台に特徴のあるドーム型屋根が聳(そび)えるニコライ堂(東京復活大聖堂)は、建物としては二代目である。

明治二十四年(一八九一)に建立された最初の聖堂は今のものよりサイズが大きく、地上四十メートル(現三十五メートル)の高さに鐘楼がそそり立ち、低い家並(やなみ)の東京を睥睨(へいげい)して威容を誇る都市のランドマークだった。

地上の景観ばかりでなく、ニコライ堂は明治の思想史地図でもユニークな位置を占めている。本書によれば、明治中頃の全盛期、ハリストス正教会の信徒数は約三万、カトリック六万、プロテスタント四万と伍(ご)して全キリスト教徒約十三万の二十三%に達していたという。意外に比重が高かったのである。

著者は創立者のニコライ、その後を嗣(つ)いだセルギイを始め、日本人信徒の小伝を綴(つづ)って正教会の歴史をたどる。個々のエピソード自体は門外者には多少こまかすぎる点もあるが、時代の大きな波動は、そうした人生小劇場の連なりを介して現象するものだ。

ハリストス正教が根付いたのは幕末に開港された箱館(函館)である。ニコライの布教は、この地で起きた明治政府軍と旧幕府軍との戦闘を信仰と不信心との「霊界戦」に導いた。初期の信徒層が戊辰戦争の敗者たる佐幕諸藩の士族を中心に、東北地方で「燎原(りょうげん)の火」のように広がったのも理由なしとしない。

宣教の線はすぐに東京に伸び、神学校はロシア語学校を兼ねていたので、世俗界へも「ニコライ派」と呼ばれる知識人群が輩出し、陸軍や早稲田大学でロシア語を教えた。

だが間もなく、日露戦争を転機に受難と迫害の季節が始まる。ニコライにロシアのスパイの嫌疑が掛けられ、多くの信徒が離反する。最大の打撃はロシア革命が勃発(ぼっぱつ)して本国からの資金援助が途絶えたことだった。そこへ関東大震災で聖堂は倒潰(とうかい)・焼失。セルギイによる再建。正教会の運命は日本人の対ロシア感情と共に激しく揺れ動く。

印象に残るのは、セルギイが革命後のモスクワと絶縁した日本正教会から追われ、陋屋(ろうおく)で孤独死する姿だ。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ブロンド美女の作り方―空想を実現する最先端テクノロジー
ブロンド美女の作り方―空想を実現する最先端テクノロジースー・ネルソン リチャード・ホリンガム 藤井 留美

バジリコ 2007-03
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笑いを起爆剤に科学をリポート

ちょっと気になる書名である。書名と内容が一致しないというのはよくあることだが、書名(それと装丁)だけにひかれてこの本を買ったとしても、いい意味で損はしない。たとえ「邪念」は満たされないにしても、先端科学のうんちくは楽しく仕入れられるはずだからだ。

著者たちも、この本は「毎日の生活で感じる(中略)八つの願望を題材にして、科学の最先端をわかりやすく、読みやすく解説したベストセラーねらい」で書いたと、正直に告白している。残念ながら『ホーキング、宇宙を語る』並みのベストセラー入りは逃したようだが、ホーキングを「第二章で挫折した人を対象」にしたという目標はみごとにクリアしている。

八つの願望の一つが、完璧(かんぺき)なブロンド美女の「クローン」を作りたいというもの。卑近な「願望」を入り口に、クローンに関する幅広い科学知識から社会的影響まで、SF小説・映画、テレビ番組など、ポップカルチャーネタを巧みに織り込みながら、わかりやすく楽しく語られている。テレポート(転送)装置を論じた章では、光の物理的性質から量子コンピューターまで、タイムマシンの作り方の章では、『不思議の国のアリス』から超ひも理論までといった調子である。

そのほか、家政婦ロボット、ダイエット、ブラックホール、サイボーグ、永遠の命などを切り口に、さまざまな科学分野の知見がてんこ盛りである。脱線気味の話題や補足説明はコラムで扱うという構成も、読みやすくていい。

著者の2人には3年前、原著出版の半年後に、英国エディンバラの科学フェスティバルで会ったことがある。BBCの科学リポーターとしての体験談を聞いたのだが、息の合った軽妙洒脱(しゃだつ)な受け答えが印象的だった。それもそのはず、実生活でもパートナーなのだとか。本書の執筆は、物理学系は奥さん、生物学系はダンナが主に分担したようだが、両者の持ち味がうまく噛(か)み合っていて、まさに絶妙の夫婦漫才のような仕上がりとなっている。お笑い系科学書という新ジャンルかも。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

佐藤勝銀幕の交響楽
佐藤勝銀幕の交響楽小林 淳

ワイズ出版 2007-04
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この書評欄を担当することになったとき、皮肉屋の友人が私にむかってこう言った。

「新聞の書評ってのはどうしてああ、分厚くて高い本ばかり扱いたがるのかねえ」

それが頭にひっかかって、なかなかそういう本を取り上げかねていたのだが、今回、あえてその禁を破って、この『佐藤勝 銀幕の交響楽』を取り上げたい。確かにこの本は分厚い。ハードカバーで380ページ以上ある。しかも値段が3990円(税込み)と高い。しかし、世の中には、分厚いこと、値段が高いことが嬉(うれ)しい本もある。なにしろ佐藤勝の研究書なのだ。

中学3年のとき、福田純監督の『ゴジラ対メカゴジラ』と、黒澤明監督の『用心棒』を立て続けに観(み)て、それぞれのテーマ曲の、打楽器と金管楽器のからみのダイナミックなカッコよさに共通項を見いだし、この2曲が同じ作曲家の手になるものであることを確認して満足して以来、その作曲家・佐藤勝は私の中で、特別な存在になった。そして「ぴあ」片手に名画座めぐりをしていた大学時代に、その多彩かつ多作な才能に心底、感服した。『暗黒街の対決』のようなギャングものから、今ではスタンダードとなった『若者たち』の主題歌まで、私の青春は、要するに今はなきさまざまな名画座の暗闇の中で、佐藤勝の曲を聴いていた時期、としてくくれるのではないかとさえ思う。

私の世代で同じ体験を持つ人は多いはずだ。いや、本書の著者・小林淳自身が、まさに昭和33年生まれ(私と同い年)である。著者はこれまでにも、伊福部昭の映画音楽についての徹底した分析をまとめた労作を刊行している。自分のたどってきた足跡を、こういう映画や音楽の体験を通してつづろうとするのは、高度経済成長期世代のひとつの特徴かもしれない。それだけに佐藤を少し絶賛しすぎている感はあるが、そこらはご愛嬌(あいきょう)として許されるだろう。

自分の青春を凝縮したような本なら、分厚い方が好ましいのは当然のことだ。そして美しい思い出につけられた値段は、ちょっと高いくらいがちょうどいい。【評 唐沢俊一(作家)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

暮らしのテクノロジー―20世紀ポピュラーサイエンスの神話
暮らしのテクノロジー―20世紀ポピュラーサイエンスの神話原 克

大修館書店 2007-03
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star金儲けの欲望が世界を発展させたということが分かる

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私たちは身のまわりの発明品を通じて先端科学に触れる。かつて駄菓子屋で遊んだ世代は、店に入る時に抱いた期待感を「ガラス戸に伸ばした手」に記憶している。自動扉に親しんで育った今の子供たちは、「マットにそっと載せる足」に想(おも)いが残るのではないか。日常的な発明品が生活の利便性を高めると同時に、私たちの記憶の形質も変化させる、と著者はみる。

「ポピュラーサイエンス」など専門雑誌の記事を素材に、発明品が私たちにもたらす「科学のイメージ」を論じてきた著者の新刊である。本書では、回転寿司(ずし)の機構、リモコン、花粉症グッズ、アルコール検出器、カーナビといった製品を取りあげ、発明までの創意工夫や製品に託された理想、さらには人々への影響を紹介する。

なかでも大量消費社会を演出したショッピングカートが発明される経緯を記した章を面白く読んだ。客は自分の腕力で持てる以上の買い物をしない。どうすれば限界を超えて売り上げを増すことができるのか。自動的に動く商品棚などの失敗作を経て、ショッピングカートがデザインされた。新発明に至る試行錯誤や改善を重ねるなかで「科学のイメージ」がかたちづくられることが分かる。【評 橋爪紳也(大阪市立大教授)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

エレガントな象―続続葭の髄から
エレガントな象―続続葭の髄から阿川 弘之

文藝春秋 2007-04
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おすすめ平均 star
star子から親を見て

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文士という言葉が死語に近くなったと思っていた矢先、自在な表現の中に気骨のある美しい日本語の一冊に出会った。

こんな話が出てくる。横文字ばかりを連ねた意味不明のデパートの宣伝文を目にして勃然(ぼつぜん)と怒りがこみあげてくる。日本語の無視を嘆いているばかりではない。「横文字を並べ立てれば客が釣れると考える心根が卑しい」と憤慨するのである。

また最近、選挙の際に「マニフェスト」という言葉を、政治家はもちろん、マスコミも常識のように用いる。著者はそれに引っかかりを覚える。「新聞が括弧(かっこ)つきで『マニフェスト(政権公約)』、お分りでしょう、と言わんばかりに毎日毎日書くのが気に入らない」と叱(しか)りつける。怒りや小言ばかりではない。思わず相槌(あいづち)を打ちたくなるような文士の気息が伝わる随筆の数々。

日本芸術院の会員に選出された作家の故・阪田寛夫は、会員になったことが心の重荷になって、ついに会員返上の辞任願を出す。責任者は大いにあわてたという。阪田という作家の人柄が滲(にじ)み出るような話が淡々と綴(つづ)られている。文章に温度を感じる。ユーモアやウイットもふんだんにある。日本語もまだまだ捨てたものではない。【評 前川佐重郎(歌人)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

ある島の可能性
ある島の可能性ミシェル・ウエルベック 中村 佳子

角川書店 2007-03
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おすすめ平均 star
starウエルベック最高!

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スネークマンショーとか大人計画の「笑い」みたいに、知的&エログロ趣味なコント作品で、21世紀初頭の欧州を一世風靡(ふうび)したコメディアンが物語の主人公。その男が残した〈人生記〉に、約2千年後の“本人”たち(=クローン)が少しずつ〈注釈〉を加えてゆく! という形式のSF小説だ。

1958年生まれの著者は、フランス文壇の鬼才。出世作の『素粒子』以降、物議をかもしつつも毎度、ベストセラーリスト入り。かなり、読者を選ぶ内容で(R40というか、“不惑”を過ぎた中高年を刺激する情報満載って感じですね)。

フェラチオ&ジャグジーといった「男のロマン」を執拗(しつよう)なまでに謳(うた)う一方で、高度資本主義のシステムを辛らつに観察するのは従来どおりだが、本書は、“子供は持たない”ライフスタイルを指すはずの〈チャイルドフリー〉を拡大解釈するなど、今まで以上に挑発してくるし。

カナリア諸島にある火山島ランサローテで花開いたカルト宗教団体は、人類に不老不死を約束してくれるらしいが……と、愛と性欲の「未来像」を探求する黙示録。

日本の少子高齢化社会を憂うためにも、往年の名曲「子供達を責めないで」をBGMに読んでみるべし。【評 望月旬(文芸評論家)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

日本、ぼくが愛するその理由は
日本、ぼくが愛するその理由はジャン・フランソワ・サブレ 鎌田 愛

七ツ森書館 2007-03
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路地裏で草の根の触れ合い

著者は、46年フランス生まれの社会学者。74年に来日、仏語講師として北海道に赴任後、東京・神楽坂に妻子とともに根を下ろす。「ぼくは日本なしには生きられない」とまで言われると、ついうさん臭さを感じるものだが、著名人との交流をひけらかすより、路地裏生活に自ら浸り、草の根の触れ合いに徹した姿勢には好感が持てる。

神風特攻隊だった居合道の師匠「ヒゲ先生」、東京郊外の被差別部落の出身者など、寄り添った人は多い。圧巻は、永谷のおばあさんとの情感あふれる交流だ。大家である彼女から「養子になりませんか」と持ちかけられる。悩んだ末に断るが、彼女から受けた厚い信頼を忘れず、亡くなった後は花を抱えての墓参を欠かさない。

ヨーロッパの文学や歴史、宗教などを時おり交えながら、日本人と出会う旅路で「違い」を考える。道中で、日本には文化、温和さ、粋、外に開かれた精神、公明さがあると発見した。

フランス国立科学研究庁日本支部を開設、所長などを歴任、「日仏の文化の懸け橋を組み立てたい」と希望する。著者のやさしさが日本のやわらかい部分を照らし出し、心地よく共鳴している。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

現代日本の生活保障システム―座標とゆくえ
現代日本の生活保障システム―座標とゆくえ大沢 真理

岩波書店 2007-03
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男女共に仕事と家庭の「両立支援」を

夫婦と子供2人。戦後の日本における標準世帯だ。標準と言われてきたのは右肩上がりの成長下で、夫は主たる稼ぎ手、妻は家事・育児の担い手という「ジェンダー(社会的文化的に形成された性別)関係」で構成された世帯が、さまざまな政策のモデルとして扱われてきたからだ。男性の正社員と専業主婦を念頭に置いて政府の社会保障、企業福祉、および家族の相互扶助を組み合わせた生活保障システムも例外ではない。

しかし、ポスト工業化や女性の労働参加の拡大に伴い、非正規雇用で社会保険に加入できない夫とか、仕事か育児かの選択を迫られる妻、あるいはいつまでも結婚しない男女の増加などにより、従来のシステムではカバーできない「新しい社会的リスク」が顕在化している。こうしたリスクに対処するためには、現在の生活保障を性別を問わず、多様な個人を包摂できるシステムに再構築することが必要だと著者はいう。そうでなければ逆に機能する、すなわち「生活を保障するはずのシステムが、かえって生活を脅かし人々を排除」してしまう恐れがあるからだ。

著者が勧めるのは「男性稼ぎ主」型から、男女ともに仕事と家庭を両立できる「両立支援」型への転換だ。「社会政策の重心を、所得移転からサービス保障へとシフトさせ」、「生まれ、育ち、学び、働き……そして生をまっとうするうえで」不可欠なサービスを、誰もが利用可能な料金で、あまねく公平に提供すべきだという。

また、その財源も個人に対しては「稼いだら1円の収入からでも」負担する「単純な応能負担の仕組み」にすると同時に、「雇用形態が多様化し、雇用者が……流動化するもとでは」、人件費の総額を基準にした「拠出を事業主に求めることが合理的」だと主張する。そうすれば、国際的にみて自殺率の高い日本の壮年男性を、妻子の扶養などの重圧から解放することもできるというのだ。

本書は、熱狂のうちに幕を閉じた「小泉改革」を、生活者の視点から決算するうえで格好の研究書と言える。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2007/05/13, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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