メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年4月15日~4月22日

覚悟の人―小栗上野介忠順伝
覚悟の人―小栗上野介忠順伝佐藤 雅美

岩波書店 2007-03
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王政復古クーデターで京都を追われた徳川慶喜が老中に反撃を進言された時、味方に西郷隆盛や大久保利通に匹敵する人物がいるかと尋ねたという有名なエピソードがある。老中はおりませんと答えて引き下がった。そんなことはない。小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)がいたではないか。本書のテーマはこの一語に尽きる。

小栗は悲運の幕臣であった。末期徳川政権の屋台骨を支えた能吏だったので憎まれ、明治時代には「国賊」呼ばわりされた。そのため世の小栗ファンには名誉回復のため我を忘れて応援するところがあり、何冊も書かれた小栗伝には冷静さを欠いた面が避けられなかった。かねて歴史経済小説ジャンルの第一人者と声価の高い著者は、ぴかぴかの英雄視もせず、声高な擁護論も叫ばず、終始静かな説得力をもって小栗の人間像に迫ってゆく。

幕末に「小栗様御役替え七十回」という言葉が流行(はや)ったそうだ。外国奉行、町奉行、歩兵奉行、勘定奉行、陸軍奉行並(なみ)と主要ポストを歴任。良い仕事をするのだが、直言癖があるからすぐに免職される。着実な業績を残しては閑職に飛ばされ、必要になるとまた拾い上げられる。そんな浮沈を繰り返した経歴から、従来の小栗伝には、ともすれば一幕物のつなぎ合わせという印象が強かったが、本書は主人公の生涯に明確な一貫性を与え、初めて通し狂言として描き切ったと評せる。

優秀な経済官僚の条件は、何よりも財源調達能力である。開国以来の内憂外患で巨額の支出に悩まされた幕府は、将軍の上京・賠償金・征長戦費とピンチになる度に、日頃は煙たがっている小栗を頼りにした。

万延元年(一八六〇)の遣米使節団に加わった小栗は、現地で日米通貨摩擦の第一線で相手側と渡り合う。評者の知る限り、その交渉内容に踏み込んで描いたのは本書が最初である。関税で手に入ったドル銀貨を鋳造原資として金貨に化けさせ、幕府に莫大(ばくだい)な改鋳益金を生み出した万延二分(にぶ)判が「小栗の二分」と呼ばれたカラクリも明らかにされる。

いちばんの山場は、長州戦争に敗れた幕府の命運を賭けた六百万ドルのフランス借款である。イギリスと結んだ薩摩に対抗し、幕仏同盟に日本の活路を見出(みいだ)した小栗は、その実現に渾身(こんしん)の努力を傾ける。しかし先方の国情が変わって中止。この話題はどんな小栗伝でも扱うが、著者の創見は、小栗がその失敗の代案財源として旗本の禄高(ろくだか)半減を実施したと一つながりでとらえる点にある。なるほどそうだったのか。結果的にはこれが怨嗟(えんさ)の的になって幕運はさらに傾くのだが……。

全体が史料をよく読み込んだ客観的かつ冷静な筆致だから、時々ちらりと加える致命的な人物評との落差が楽しい。慶喜は「唾棄(だき)すべき卑劣漢」「政治オンチ」、松平春嶽は「政治好きの父ちゃん小僧」、勝海舟は「心がいびつ」とくるから嬉(うれ)しいではないか。

海舟に足を掬(すく)われ、主戦論を唱えて慶喜から「御直(おんじき)の罷免」を申し渡された小栗は、江戸を去って知行地に土着するが、官軍の手で処刑される。斬首の場面を出さず、感情を抑制したフェイドアウトが心に残る。【評 野口武彦(文芸評論家)

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

北朝鮮・中国はどれだけ恐いか
北朝鮮・中国はどれだけ恐いか田岡 俊次

朝日新聞社出版局 2007-03
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おすすめ平均 star
star「元帥殿」自慢話多くないですか
star視野が広くなった気がした

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日本は恐(こわ)い、軍国主義が復活する、あるいはもう復活しているというイメージが中国や韓国の一部には存在する。だが、軍国主義化するとはどういうことなのか。例えば軍人の政治的な発言力の大小や国民経済に占める国防産業の割合、軍事関連書籍の出版部数など社会の様々な領域に占める軍事の比重でみれば、日本の軍事化の度合いは他国と比べてかなり低いと言えるだろう(中国社会の方がずっと軍事化しているというと多くの中国人はびっくりする)。

しかし私たちは軍事についてあまりにも無知であるために、北朝鮮のミサイルが頭上を飛び越えたり中国が衛星破壊実験をしたりすると、過剰反応しがちだ。そこで、信頼できる専門家による明快な解説がどうしても必要になる。

著者はベテランの軍事ジャーナリストであり、事実に即した客観的な分析には定評がある。本書では、北朝鮮の核ミサイル開発と中国の軍事力拡充に焦点を置き、防衛省で「バカ派」と揶揄(やゆ)された非合理なほどの「タカ派」的言説を弄(もてあそ)ぶ昨今の風潮を批判する。しかし著者は北朝鮮の核には警戒的だ。効果に限界はあるが、シェルターの設置と避難訓練、ミサイル防衛、そして米国の核の傘は「ないよりまし」だという。

もちろん、いずれの問題を考える上でも米国の動向は重要だ。著者によれば米国は昨秋、北朝鮮への対応の誤りに対する非難や日本の核武装などを恐れて核実験失敗説を流し、冷戦終結後には米軍人の一部がソ連に代わる脅威を初めは日本、今は中国に見出(みいだ)そうとしている。

しかし、他方で米国は中国と確固たる経済関係を築き、台湾独立を支持しないと繰り返し明言するほか、対中軍事交流を再開させて海軍の共同訓練まで行っているのだ。

著者の言うとおり、わざわざ中国を敵に仕立てることは愚の骨頂だ。非合理的な「バカ派」がはびこらないよう、日本人も軍事を忌避せずその常識を身につけることが望ましい。それと同時に、「日本はどれだけ恐い」のか、隣国の日本脅威論に丁寧に反論していくことも必要だろう。【評 高原明生(東京大学教授)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

「最後の社会主義国」日本の苦闘
「最後の社会主義国」日本の苦闘レナード・ショッパ 野中 邦子

毎日新聞社 2007-03
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「国の犠牲」いや、企業と女性が退出

バブル経済崩壊以降、日本の経済成長は頭打ちであるとともに、所得格差も開いている。本書は、その原因が本来政府が行うべき社会保障まで企業と女性の犠牲に委ねてきたことにあると論じる。つまり、政府が関税などで国内産業を保護する代わりに、政府の担うべき高齢者福祉を厚生年金や退職金などの形で企業に負担させてきたと言う。

しかし、保護政策が海外からの批判などで維持できなくなり、企業も国際競争にさらされると、財界は労働コストの削減を求めて年金改革や雇用市場の柔軟化を「主張」(voice)し始めた。

また、自分らの主張が通りにくいような場合、企業は生産拠点を海外に移転する「退出」(exit)行動を起こしもした。その背景には、外国に比べて割高な産業用電力や国内空輸、長距離通信、工場用地などの問題がある。こうして日本の製造業の海外設備投資は上昇し、産業の空洞化をもたらし、経済成長の足を引っ張っている。

一方で著者は、夫婦がともに担うべき家事と育児、親の面倒を女性に押しつけるという男女間の固定的な「役割意識」が日本にあると言う。このため、ここ20年間で女性の大学進学率が2・5倍に急増して女性の専門職への就職が増えているにもかかわらず、子どもを持つ女性に対する育児支援が十分ではない、と批判する。

日本の企業には、育児休業取得資格があっても、解雇や経験がない職場への配置替えの不安から利用しにくい実態がある。女性は「育児と仕事の両立」に大きな自己犠牲を要求され、現実には専門職を維持することや子どもを持つことから「退出」する女性が増えることになる。その結果が、先進国の中でも顕著な少子化現象である。かくして生産と消費の両面で財政危機が深刻化すると言う。

社会主義的でさえあった日本の絶望的状況に対し、有権者が「退出」でなく「声」をあげることを著者は勧め、そのための政策を提示する政治的起業家の登場を期待する。

公共選択論の視点から日本社会を解剖した好著である。

【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

植物が地球をかえた!
植物が地球をかえた!葛西 奈津子

化学同人 2007-03
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季節がめぐる中で、花が咲き、種子が実り、葉は落ちる。美しい花や新緑を見ると、なんとはなしに心が癒やされる。考えてみれば不思議なことばかりだ。

主食である米や麦はもちろん家畜の飼料まで、われわれは植物に依存している。海の魚だって、植物プランクトンを食べている。

そうした植物の活動を支えているのが光合成。誰もが学校の理科で習っていると思うが、緑の葉が日の光を受け、二酸化炭素をでんぷんなどの有機物に変換する仕組みだ。

最終的にわれわれの食料が生産されるこの過程で、大気中の二酸化炭素も減らされる。つまり、地球温暖化の軽減にも貢献しているわけで、植物は二重の意味で恩恵をもたらしている。

だが、話はそれほど単純ではない。植物も呼吸をしており、酸素を吸収して二酸化炭素を出している。それ以外にも、植物体が死んで分解されれば、二酸化炭素が出る。藻類の働きも無視できない。

本書は、植物をめぐるそうしたダイナミックな知見をまとめて紹介しようという「植物まるかじり叢書(そうしょ)」の第1弾。今回のキーワードは光合成。植物学のホットな話題を紹介する好企画である。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

きだみのる―自由になるためのメソッド
きだみのる―自由になるためのメソッド太田越 知明

未知谷 2007-02
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おすすめ平均 star
starメディアに携わる人なら見逃せない稀覯本
star思わず引き込まれる、きだの精神史
star記録、分析、評論としても出色のでき

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底辺に拘った自由人の生涯

今日から見ると差別的と受け取られる題名だが、村の実態を軽妙洒脱(しゃだつ)に描いた『気違い部落周游紀行』などのシリーズや、『ファーブル昆虫記』の翻訳など、きだみのるは戦後文化人のスターであった。

晩年は、放浪、奇行、借金を重ね、嫌われ者として亡くなった。

奄美に生まれ、各地を転転、三十九歳の時、フランス政府奨学生として渡仏。パリ大学でマルセル・モースに師事、社会学・民族学を学ぶ。戦争末期から、八王子奥の廃寺に住みつき、村での生活を始める。

洗練されたフランス文化を身につけた俊秀が、あえて日本の底辺に入り、なぜそこに拘(こだわ)り、その地点から発想しようとしたのか。

戦争中に刊行した『モロッコ紀行』という幻の書がある。卓抜なルポルタージュという意見がある一方、植民地統治政策や時局便乗的記述もみられるきわどい一冊だが、著者はそこに分け入り、国家から日本人へ、さらに村へと、視角を変えざるをえなかったきだの必然性を見いだす。

村落論だけでなく、小説やルポ、翻訳などの多くの著書を丁寧に読み直しながら、文学史や思想史におさまりきらない自由人の生涯と、思想の深層にまで迫った力作。【評小高賢(歌人)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

売れるマンガ、記憶に残るマンガ
売れるマンガ、記憶に残るマンガ米沢 嘉博

メディアファクトリー 2007-02-16
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本書は、三十年以上の歴史をもつ世界最大規模の同人誌即売会コミケ(コミックマーケット)で長年準備会代表を務め、マンガ評論の第一人者として健筆をふるいながらも、昨年十月に惜しくも急逝した著者の遺著である。その内容は、一九九九年より『コミックフラッパー』に連載したマンガ時評が中心だから、まずは気軽に読めるコラム集という印象を与えるだろう。

だが、ひとたび通読してみると、軽妙なスタイルから浮かびあがってくるのは、ひとつのサブカルチャーを死守し成長させてきた男が、ネット社会の進展に伴う著作権問題からマンガの国際市場進出、およびコミケ自体を芸術と見る国際建築展ベネチア・ビエンナーレへの出展まで、最も現在的にしてグローバルな問題とも取り組みつつも、愛してやまぬマンガというジャンルへの「このままでいいのか」という批判精神を決して失わなかった人生そのものだ。

自分の愛する文化が隆盛を極めれば手放しで喜んでしまうような油断は、彼には微塵(みじん)もない。マンガのみならずSFにもロックにも造詣(ぞうけい)が深く、サブカルチャー一般が原初的に備えていたパワーを決して忘れなかった米沢嘉博の、これは擬装された自伝なのである。【評 巽孝之(慶応大教授)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

戦争の記憶を歩く東南アジアのいま
戦争の記憶を歩く東南アジアのいま早瀬 晋三

岩波書店 2007-03
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「国民」限定でない歴史認識求めて

日本が用意した大東亜共栄圏という「戦争空間」での経験を、東南アジアの国々で暮らす人々が、いかに「記憶」しているのか。各所に建立されている記念碑や博物館の展示を訪ねて、碑文や説明を読み解き、国ごとに培われてきた対日戦争と日本の占領に対する歴史認識を解説する。

シンガポールでは日本による民族分断政策によって、国家としてのまとまりを欠いたことへの反省が今日に生きている。いっぽう戦時中に日本と結んだ同盟は無効であったと、戦後、国際社会に認めさせたタイでは、歴史的な位置づけを曖昧(あいまい)にしたままに戦争の痕跡が観光資源となっている側面が強調される。

どの国にも、それぞれの国でしか通用しないナショナル・ヒストリーがある。戦争の「語られ方」も例外ではない。他国からみると「おかしい」と思える記述も含まれる。「終戦の日」も国によってまちまちだ。東南アジアへの中国の影響力や、国の枠を超えた個人同士の連帯の広がりなどもあり、いま「二国間関係」だけを議論しても歴史認識の問題は解決しない。

著者は、「国民」という限られた読者を想定した歴史認識を超えて思考する責任が、「ポスト戦後」世代の知識人に課せられているとみる。東南アジアの「ポスト戦後」世代は、学校教育や博物館などでの社会教育、記念式典などを通じて日本占領期について学んでいる。そのため彼らが国防や国民形成を考える際には、日本占領期を時に教訓としてみなすことがあるのだ。対して同世代の日本の若者はどうだろう。交流を重ねてゆくためには、対日戦争の「記憶」が各国でいかに伝えられているのかに目を向けるべきだ、という主張に納得する。

本書は若い世代に「過去認識への確かな手がかりを提供」する教材の作成が目標にあったようだ。そのため大阪市立大学と東京外国語大学の学生が提出したリポート課題の答案を読むなかで構想をまとめたのだという。東南アジアに関心も知識もない者も含めて、多くの大学生との共同作業というわけだ。各国語版の出版を実現して欲しい。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

わたしたちに許された特別な時間の終わり
わたしたちに許された特別な時間の終わり岡田 利規

新潮社 2007-02-24
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おすすめ平均 star
star「小説」ではない小説
star「独り言」ですか?

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ラブホ4連泊の「青春」とイラク戦争

若手の演劇人が虎視眈々(こしたんたん)といい小説を書いてるんだよねという印象を私は最近もっている。宮沢章夫や松尾スズキがそうであったように、前田司郎も本谷有希子も、戯曲と小説、両方の賞に名前があがる。彼らの特徴は「彼はそのとき思った」式の、これが小説でござい、な書き方とは少しズレていることかな。

岡田利規の初の小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』もそう。2編の短編が収められていて、うち1編「三月の5日間」は2005年に岸田戯曲賞を受賞した同名の戯曲の小説版だ。

舞台は渋谷。筋と呼ぶほどのものはない。「彼」と「彼女」はその夜、六本木のライブハウスで知り合い、初対面のまま渋谷のラブホテルに流れ、そこに4泊して、1度だけ外に出てインドカレーを食べた以外は、ひたすらセックスをしまくり、5日目に渋谷の駅で別れるのである。

それは夢のような奇蹟(きせき)のような時間であり、「ザッツ青春」といえなくもない。だが、その5日間が2003年3月であるとなれば、話は少し変わってくるだろう。

〈ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が刻一刻と近づいてくるのを、待ち構えるよりほかなく待っている最中〉だったあの3月。渋谷ではデモがあり、2人が出会ったライブハウスで開かれていたのも、やがてはじまる戦争を前提にした通訳つきの英語のパフォーマンスだった。ホテルに入った2人はしかし、テレビをつけず、携帯電話の電源も切り、時計を見ることさえ拒否する。

日常に戻った後のことを彼らはベッドの上で想像する。

〈久々にテレビ付けるじゃない。ネット見たりね。それで、あ、なんだよ、もう終わってるじゃん戦争、みたいなね。そういうオチのシナリオは結構いいんじゃないかって、今思い描いてるんだよね〉

それはベトナム戦争時のラブ&ピースのような、能動的な反戦行為とはいえないだろう。でも彼らも世界と無縁ではいられないのだ。見慣れた渋谷の景色を「彼女」が外国の街のように眺めるラストシーンがすごくいい。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2007/04/22, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

抵抗の場へ―あらゆる境界を越えるためにマサオ・ミヨシ自らを語る
抵抗の場へ―あらゆる境界を越えるためにマサオ・ミヨシ自らを語るマサオ・ミヨシ 吉本 光宏

洛北出版 2007-04
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「移動」し続ける稀有な人物の軌跡

もし戦前・戦中の日本で通常の英語教育を受けた日本人が、戦後まもなくアメリカに渡り、名門大学の英文科教授になったとしよう。それは一事件と呼ぶに値する。大学でも差別が露骨に存在した時代に、非白人であるだけでなく、この前まで敵国であった国からやってきた日本人が、カリフォルニア大学バークレー校で、英文学の正教授となるということは、ありそうもないからだ。ところが、そのような人物がいた。マサオ・ミヨシである。しかし、この「事件」は日本ではほとんど知られなかった。一つには、日本の学者が嫉妬(しっと)したからである。さらには、ミヨシ自身がそのような物語化を拒んできたからである。

こんな離れ業を可能にした武器は、何といっても、数百ページの本をすばやく読んで全文を覚えてしまうような記憶力だろう。まるで大西巨人の小説『神聖喜劇』の主人公のようだ。といっても、本書のなかで、こんなことが語られているわけではない。それなのに、私があえて以上のようなことを述べるのは、先(ま)ず、ミヨシがどれほど桁外(けたはず)れの人物であるかを、読者に知ってもらいたいからだ。通俗的な観点からいっても、これほど面白い波瀾(はらん)万丈の経歴をもった日本人はめったにいない。本書には、少なくとも、その一端が示されている。インタビューという形式であるため、著書には決して書かれないような、さまざまな経験がヴィヴィッドに語られているからだ。

ミヨシは、一九六〇年代後半から、急激に変貌(へんぼう)したアメリカの知的世界の最先端にいた知識人の一人である。彼はチョムスキー、サイード、ジェームソンらと、掛け値なしに、親友であった。だが、彼らの間でミヨシを際立たせる特徴は、絶え間ない「移動」にある。第一に、日本からアメリカへの「移動」がある。さらに、六〇年代の市民権運動の中で、政治的活動にコミットするようになった「移動」がある。しかし、いかにもミヨシらしいのは、むしろ次の点である。

バークレーで知り合ったチョムスキーが、政治活動を広げるかたわら、専門の言語学を継続したのに対して、ミヨシは英文学を放棄してしまう。教師として、二十名以上のヴィクトリア朝文学専攻の教授を産み出しながら、彼自身はそれを放棄して、新たな道に進む。その過程で、彼はアメリカにおける日本学にも介入し、その状況を根本的に変えてしまう。それまでタコツボの中で自足していた日本研究を、強引に外気にさらすことによって。しかも、その結果に満足することはなかった。

彼は資本主義的グローバリゼーションの中で、日本学のみならず、アメリカの「人文学」そのものが終わったことを宣告する。と同時に、それを放棄してしまう。もちろん、隠居ではなく、新たな方向に挑戦するためだ。では、かくも絶え間ない、抵抗と移動のドライブは、どこから来るのか。本書は、それが戦中日本における体験に由来することを示唆している。その意味では、この稀有(けう)な人物を産み出したのは日本である。【評 柄谷行人(評論家)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 9ページ

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学
幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学ダニエル・ギルバート 熊谷 淳子

早川書房 2007-02
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おすすめ平均 star
star我々が未来の幸せを予測するのが下手な理由
star子どもを持つことを、考えさせられた。
starおもしろい。

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私たちは将来を考え、計画を立て、「幸せ」を追い求める。未来を予測する力は、脳の前頭葉の働きのたまものだ。でも、そんな力があっても幸せは思い通りにはやって来ない。理由の一つは、ヒトの予測能力にさまざまな弱点があるから。例えば未来社会の予想がはずれるのは、想像を「今」の姿で穴埋めする癖がヒトにあるためだ。そんな私たちの心のあり方を、米ハーバード大社会心理学部教授の著者が研究成果とジョークを交えて語る。副題「期待と妄想の心理学」。

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

ぼくの複線人生
ぼくの複線人生福原 義春

岩波書店 2007-03
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資生堂名誉会長の筆者が06~07年、新聞に連載した回想記。創業者の孫として生まれ、早くから本、絵画、長唄などに親しんだ。長じてからもラン栽培、写真などプロ顔負けの趣味は増える一方。文化への信念や美を追求する心は徹底しており、「資生堂の歴史においては文化が資本の一つのように機能している」などとする経営哲学も吐露。恵まれた環境を生かす才能と情熱には並々ならぬものがある。書名となった「複線人生」とは「福多き人生」なのだと思わせる。

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

ルイザ―若草物語を生きたひと
ルイザ―若草物語を生きたひとノーマ・ジョンストン 谷口 由美子

東洋書林 2007-03
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私たちはなぜジョーにあこがれたか

本書は、「若草物語」で有名なルイザ・メイ・オルコットの評伝である。読み始めたら、少女時代の記憶が怒濤(どとう)のように蘇(よみがえ)ってきた。

なにしろ、「昔気質の一少女」「花ざかりのローズ」「ライラックの花の下」……、11、12歳から15歳まで、私はずっとオルコット三昧(ざんまい)だった。19世紀のこのアメリカの少女小説を食べ物のようにして育ったのである。

もちろん、「若草物語」も「続若草物語」もお気に入りだった。が、実際のオルコット家をモデルにした母と4人姉妹の物語の中で、「戦場で病気中」の「お父様」だけが私には腑(ふ)に落ちなかった。

本書を読んで謎が解けた。オルコット家は、夢想的な教育者の父が家族を扶養できず、母が現実社会と素手で戦って家族を支えたのだ。

勇敢な母アッバは、聡明(そうめい)な母でもあった。「若草物語」のように「不在の夫」を、娘たちには「立派なお父様」として機能させ、家族をまとめあげる力を持っていた。

この母の後継者が娘のルイザで、家族の経済も親の介護も小説家になった彼女が一身に担った。その人生は自分をモデルとした「若草物語」の次女、ジョー以上の波瀾(はらん)万丈だった。社会的に自立し、家族を支えた55歳のシングル人生であった。

私もたいていの読者同様、4姉妹の中では、ジョーに感情移入し、あこがれた。その彼女が小説を通して少女たちに語り続けたのは、母アッバが人生をかけて娘たちに伝えたことだった。「自分よりも他人を思いやりなさい」「外見より心です」「心の持ち方ひとつで、人はシアワセになれるのです」と。

素直な読者だった私は、ルイザの説く「清く正しい」少女でありたいと常に夢想していたわけで、あの時期を「まっとうな少女」でいられたのは、彼女のおかげだったのだ。人生のあれこれに振り回されてすっかり忘れていた作者への恩義を本書によって、気づかされた思いがした。

ルイザ・メイ・オルコットの少女小説は、生身のわが母よりもずっと教育的だったのである。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

京都夢幻記
京都夢幻記杉本 秀太郎

新潮社 2007-02-22
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人生の時間は過ぎ去らずにゆっくり循環して立ち帰り、樹液のように瑞々(みずみず)しく老境を満たすのだろうか。

この一冊は、稀代(きたい)の散文家の手になる十一篇(ぺん)の楽曲である。水甕(みずがめ)に植えたアヤメの根に端を発して、話題は一見とりとめなく、著者の身辺雑事や回想をたどり進む。

家に伝わる屏風(びょうぶ)、ピアノ音楽、生家の事情、少年時の思慕、庭木、古屋に出没するイタチ、先代が売立(うりた)てで手放した美術品との再会、植物愛、マラルメ詩の新訳、祇園会の山鉾(やまぼこ)のこと。いかにも即興的に綴(つづ)られた各章は、たくみに配列・構成されて連なり、さながら分散和音のように誘(いざな)い合って、徐々に一つの主題楽想を浮上させてくる。

連作の底の暗がりには、濃泥(こひじ)を厚く堆積(たいせき)させた不透明な古沼が広がっている。ふだんは静かだが、ひとたび掻(か)き回せばたちまち濁る。それは濃密な血で結ばれた「親族関係の澱(よど)みに澱んだ沼」の暗喩(あんゆ)であり、遠い昔の「恋路(こいじ)」も埋もれているに違いない。水面下には歴史を秘めた旧家が深く沈み込んでいて、在りし日の気泡を吐き出している。

著者は散文という楽器を心憎いほど自在に弾きこなす。文学と美術と音楽を縦横に論じ、感情の倍音を響かせながら思想を明晰(めいせき)に分節する。眼(め)と耳は下地ができている。話題にする材料が無造作に身近に転がっているのは、京都の町衆が代々蓄えてきた得がたい精神の《富》である。

年齢で何かが解禁され、沼の水位がじわじわと高まる気配を感じる。しかし何たる寡欲さか。ブッデンブローク風の大河小説を垣間見させる質量が断片のまま惜しげもなく放出され、水底に躍る緋鯉(ひごい)の鱗(うろこ)のきらめきのように読者の眼を射てはまた消える。

謡曲の素謡(すうたい)を聞いて育ちながらピアノを「夢の王国」にしてきた著者が、最終章で、山鉾町の住人たる責任感について語り、「私は祭礼を演じる側にある」ときっぱり断言する語気が印象的だ。

習俗に倣い、時として土地の精霊にも化身するこの「西洋派」の文業には、古都に流れる別種の時間を湛(たた)えた《近代》が完熟している。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

イラン人は神の国イランをどう考えているか
イラン人は神の国イランをどう考えているかアーザル ナフィーシー アッバス キアロスタミ レイラ アーザム ザンギャネー

草思社 2007-02-22
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政権にうんざり、欧米にもがっかり

世界的ヒットとなった「テヘランでロリータを読む」の著者アーザル・ナフィーシーを始め、文化、芸術界で国際的に活躍するイラン人15人の発言を集めた作品。

「テヘラン……」を読んだ米国の読者の多くは、イラン現体制の抑圧的性格、女性差別がいかに酷(ひど)いかに、強い印象を受けた。

今回取り上げる本書も、その流れにある。欧米在住のイラン人インテリたちが、母国の政権を告発するとともに、いかにイラン的生活、文化を愛し、自由を希求しているかを、熱く語る。心ならずも祖国を離れた知識人の切なさが、浮かび上がる。

本書のメッセージが米国に向けられていることは、明らかだ。現イラン政権を見て、イランにまつわる全(すべ)てを蔑視(べっし)しがちな欧米の読者に、イラン人の欧米に勝るとも劣らぬ高い芸術的、知的資質を賛美する。だがそれは、フセイン政権の圧制を訴えて、米国に武力での祖国解放を求めたイラク亡命知識人の対米ラブコールと、どこか重なる。

イラン在住の映画監督キヤーロスタミーに「なぜイランにとどまるのか、政府からの干渉にうんざりしないか」と質問を投げかけているのも、いかにも米国的発想だ。だが欧米での成功を金科玉条のごとく誇るイラン人ばかりではないことは、キヤーロスタミーが西欧の監督との共作を、「自分の映画ではない」と語っていることからもわかる。

イランに限らず中東では、欧米世界への憧(あこが)れと、欧米が持つ偏見への反発が同時に表出する。「白人」の側に自分を置き、他の中東出身者を見下すという、イラン人の自己認識を自省する(第2章)一方で、ノーベル賞受賞のイラン女性がヴェールをしていないことにしか感心しない米国の、ピント外れなイスラーム観にカリカリする(第3章)。

欧米との距離は、イラン人のアイデンティティーを巡る深刻な問題である。米軍がイランに侵攻したら、ヴェールを被(かぶ)る信仰熱心な女性と、ポルノに溺(おぼ)れる若者と、どちらが真のイラン人だと米軍は思うだろうか、という最終章の問いは、リアルで切実だ。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

郊外の社会学―現代を生きる形
郊外の社会学―現代を生きる形若林 幹夫

筑摩書房 2007-03
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おすすめ平均 star
starせっかくの鋭い観察も

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メディア言論をみていると、郊外はあまり評判はよくない。均質性が子どもたちを窒息させ犯罪を誘発する、量販店が立ち並ぶ光景が歴史的景観を乱す――正直な話、郊外はバッシングにあっているのではないか、とすら思えてくる。

しかし、本当にそうなのだろうか、郊外は郊外として固有のリアリティー・歴史性を生み出してきたのではないか。もしあなたがそのように思い、従来の郊外論に物足りなさ、あるいは苛立(いらだ)ちを感じているとしたら、本書はお薦めである。

東京の最大級の郊外都市・町田に生まれ育ち、かつて筑波学園都市に通勤し、現在も東京東部の郊外都市に住む著者は、ときに私的な都市体験を織り込みつつ、郊外を断罪する立場にも、郊外を無条件に商品として肯定する立場にも与(くみ)することなく、郊外という場の微妙な位置を明らかにしていく。

その筆致は基本的に社会学的な手続きを踏まえたクールなものだが、郊外に対する著者自身の「愛」が所々に滲(にじ)み出ている。その「愛」の複雑さに、郊外を理解する鍵があるように思える。肯定/否定の対立を越えて郊外を理解しなくてはならない、と思わせる一書である。【評 北田暁大(東京大学准教授)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

白系ロシア人と日本文化
沢田 和彦 (著)

今日の世界では、内戦によって大量の難民が生まれている。難民はしばしば、多くのものを奪われた存在だ。故郷、住居、仕事、そして人権の保護も。白系ロシア人とは、1917年のロシア革命後の内戦で旧体制の白衛軍側について、難民となった人たちのことである。日本に在留したのは数千人らしいが、彼らは個人的なコネや才能や力だけを頼りに、生きる道を見出(みいだ)していくのだった。

白系ロシア人には当然ながら元白衛軍の将校もいて、日本で反ソ・反革命運動に従事する団体もあった。しかし日中戦争以降には、逆に日本の警察や憲兵からソ連のスパイの嫌疑をかけられて、監視・投獄される人たちも生じてくる。本書で主に取り上げたのは、困難な中で西欧の芸術やロシア文化を日本に伝えた、白系ロシアの知識人たちの活動である。

本書は、本文の3分の1を書誌が占めており、日本に来た白系ロシア人に関する文献・人物事典の観がある。そこには日本人バレリーナを育てたパヴロバやロシア語雑誌の編集者など、有名無名の白系ロシア人の活躍の跡が、小さなものまで拾われている。来日した白系ロシア人研究の礎石となる書物といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

政治の品位―日本政治の新しい夜明けはいつ来るか
政治の品位―日本政治の新しい夜明けはいつ来るか内田 満

東信堂 2007-03
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現実にも研究にも理想求め

政治学者の間で「内田美学」という言葉があった。それは、早稲田大学で政治学を長年講じた本書の著者が「何のために政治を研究するのか」を口癖のように問い続け、現実政治と研究者自身の双方に品位を求めていたことへの憧憬(しょうけい)から生まれたものであった。

本書は、先頃急逝された著者が新聞や雑誌に発表した時評文や講演をまとめたものだ。三部構成だが、いつの時代にも理想の政治を求める営みがあったことが英米の政治家や政治思想家の名言を通して繰り返し語られている。元米財務長官ウィリアム・サイモンの「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」という言葉など、今日の日本にも通じる警句であろう。

著者はまた、高田早苗、浮田和民、大山郁夫、石橋湛山、緒方竹虎ら早稲田大学で教えた政治学者や卒業した政治家の足跡を紹介、権力や腐敗に抗して理想の政治を目指す人々がかつて日本にいたことを伝える。なかでも第一回衆議院議員総選挙に最年少で当選し、若くして初代の早稲田大学長となった高田の堂々として品格ある文章は驚くばかりである。

日本の政治の現状に対する故人の焦慮と熱き思いが改めて伝わってくる。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

通訳/インタープリター
通訳/インタープリタースキ・キム 國重 純二

集英社 2007-02
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「翻訳者は裏切り者である」というイタリアの警句は、広く知られているだろう。たしかに翻訳には、原文のニュアンスを失ったり著者の意図を汲(く)み損なったりと、むずかしい局面を迎えることが少なくない。だが興味深いことに、多文化時代の昨今では、そうした翻訳のむずかしさそのものが、最も切実な文学的主題に転じている。

かくしてジュンパ・ラヒリの一九九九年度O・ヘンリー賞受賞作「病気の通訳」からソフィア・コッポラの二〇〇三年度アカデミー賞脚本賞受賞作「ロスト・イン・トランスレーション」へと続く系譜に、韓国系女性アメリカ作家キムによる、二〇〇四年度PEN境界文学賞ほかの受賞に輝く本書が加わった。

主人公の在米韓国人女性スージー・パークは法律関係を中心に活躍する通訳。彼女は依頼人の真実を知るとともに、たとえば移民の実情にかんがみ、素知らぬ顔でウソの翻訳をすることで、多くのむずかしい局面を乗り切ってきたベテランである。

前半は、彼女が一九九一年、コロンビア大学学生だったころに、同大学教授ダーミアンと駆け落ちし、そのあとも、妻子ある実業家マイケルと恋愛中というエピソードが続くから、あたかも渡辺淳一ふうのどろどろ不倫小説かと錯覚するかもしれない。

だが、ふたつの恋愛のあいだには、一九九五年、英語をほとんど話さぬままブロンクスで店を経営していた両親が暗殺されるという事件があり、後半は、あたかもハードボイルド小説のように、事件の真相が究明される。そして、目下失踪(しっそう)中の実の姉グレースが、そうした両親に反抗しているようでいながら、いかに彼らの秘密にほかならぬ「通訳」として長く深く関与したかが、劇的に語られる。

作中、シェイクスピアからメルヴィルまで、作者の文学的造詣(ぞうけい)が惜しみなく披露されるうちでも、ロシア系亡命作家ナボコフの反アメリカ小説『ロリータ』が、まさにこうした通訳的視点に立つ「裏切り」理論から読み解かれプロットに組み込まれていくさまは、圧巻というしかない。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2007/04/15, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

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