メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年4月1日~4月8日

生きさせろ! 難民化する若者たち
生きさせろ! 難民化する若者たち雨宮 処凛

太田出版 2007-03
売り上げランキング : 1088

おすすめ平均 star
star経験者だからこそ、納得できなかったところも・・・。

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4月になったとたん、テレビから「今日、全国の企業などで入社式が行われ、好景気の影響で新入社員はどこも大幅増です」といった威勢のよい声が聞こえてきた。大学生の就職活動を伝えるリポーターたちも、「今や就職戦線は完全に買い手市場です!」と声のトーンが高い。

でもそんなのはごく一部の世界のできごとだ、ということを実は多くの人が知っている。フリーターやニートの若者が社会問題となってから、もう長い時間がすぎた。

とはいえ、そのフリーターやニートの実態を知っている人はそう多くない。いまだに「定職に就かないのは怠けたいからだ」などと思っている人もいる。かく言う私自身も、社会に出ることに対して若者が感じている不安が、彼らを仕事から遠ざける最大要因ではないか、などと考えていた。

しかし、仕事に就けないことを若者の自己責任だと決めつけないでほしい、と著者は訴える。彼らの多くは、働きたいのに正社員として雇ってもらえない、あるいは精一杯(せいいっぱい)、働いているのにあまりの条件の悪さに生活していけないのである。運良く正社員になると、今度は過労死ギリギリの過酷な労働条件が待っている。人は、社会や企業の側の問題に、あまりに鈍感であった。

著者が浮き彫りにする若者の実態は、凄(すさ)まじい。前日に指示が来て1日だけの派遣、という単純な仕事を繰り返す。家賃が払えずサラ金に手を出したり、漫画喫茶を転々としたりする。正社員になっても早朝から深夜までの長時間労働で、時給に換算すると700円。心身を壊して生活保護を受給すれば、医療券が制限されて病院にもかかれない……。

まさに“使い捨て”の犠牲者になっている彼らだが、これまでは声を上げることをしなかった、と著者は言う。「なんかおかしいな」「でも自分のせいかな」と思っているだけの若者たちには「言語化できない苛立(いらだ)ちだけ」が募り、それが、リストカット、時には犯罪にまで暴発している、という。

しかし、一部の若者たちは自分たちを取り巻く社会のおかしさに気づき、フリーター労組などを作って行動に出始めている。『「ニート」って言うな!』など自己責任論を問い直す本の出版も続いている。著者はその動きを全面的に評価して言う。「私たちは怒っていいのだ。怒って、キレて、言葉にしていけばいい」。一方で、社会を疑うどころか、社会との接続感を求めて「国」という共同体とつながろうと愛国者になって中国を攻撃するフリーターも多いことを指摘し、「弱者がより弱者を憎んでも誰も救われない」と危惧(きぐ)する。

著者自身、かつては「生きづらい」と自分や周囲に不信を抱き、自殺未遂を繰り返す少女だった。だが、今や若者の内面に寄り添って理解する力と、彼らの視線を内から社会へと向かわせる力をあわせ持つこの世代の“希望の星”へと再生した。自分に希望を仮託するだけではなく、声を上げ、運動を起こす若者が続くことを、著者自身も何より望んでいる。【評 香山リカ(精神科医・帝塚山学院大学教授)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

歴史の教師植村清二
歴史の教師植村清二植村 鞆音

中央公論新社 2007-02
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『万里の長城』(中公文庫)など数々の歴史啓蒙(けいもう)書を残した東洋史学者、植村清二の生涯を長男鞆音(ともね)氏(元テレビ東京常務)が描く。旧制新潟高校教授時代の面影は教え子で作家の丸谷才一がかねて伝えるが、早くに母を亡くした著者らにも最高の父だったようだ。戦前は国家主義的教育に抵抗し、戦後は“反動爺(ジジイ)”視されながら、無頓着なのが面白い。自著あとがきで不勉強をわびながら、家族には最高の本だと誇ってもいた。未来の妻に巻紙で寄せた手紙にあふれる喜びが新鮮だ。

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ポップ・カルチャー年鑑 2007 (2007)
ポップ・カルチャー年鑑 2007 (2007)文化デリック

ロイヤル商事 2007-02
売り上げランキング : 16758


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映像、出版、音楽の各分野で2006年は何が面白かったか。エディター兼ライターの編著者2人が、目利きの特別選考委員3人とわいわい論議し、ベスト1を決定していく。このほか、「闘うライター」豊崎由美さんを迎えての「芥川賞・直木賞を斬(き)る!」など、ゲストを交えた鼎談(ていだん)もあって読みごたえ十分。マーケティング優先でつくられて人気を得た作品だけがカルチャーではない。新しいカルチャーシーンを切り開く刺激的な作品を正当に評価しようという気概にあふれた1冊だ。

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

「少女」の社会史
「少女」の社会史今田 絵里香

勁草書房 2007-02-17
売り上げランキング : 2205

おすすめ平均 star
starかわる「少女」の語りかた

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竹久夢二の叙情的な挿絵を収めた少女雑誌、吉屋信子の少女小説を耽読(たんどく)し、宝塚少女歌劇団のスターたちに胸ときめかせ、友人や上級生との妖(あや)しくも美しい親密な関係性を生きた「少女」たち。本書は、近代日本の都市新中間層の興隆とともに誕生した「少女」という存在のリアリティーを、社会的・歴史的・政治的な背景に照準しつつ分析した書である。

1章では、少女というカテゴリーが、「少年」から分岐し、「女子に学歴獲得を志向させつつ、なおかつ夫を支え男児を産み育てる女子向けのコースに進ませるための巧妙な仕掛け」となっていった、そのアイデンティティーの成り立ちを、続いて2章で、『少女の友』などの雑誌分析を通して、職業的成功を期待されるわけでもなく、それでいて妻・母になるということにも直接結びついていないというあやふやな少女イメージが生み出される経緯を分析する。

3章では、少女が親への孝の実践者より、親から情愛を注がれる「子ども」へと転態していく過程を、少女雑誌に掲載された小説の分析によって示す。4章では、学歴獲得を期待されながらも男子とは異なる意味を与えられた少女たちにとっての「成功」の微妙さを描き出し、5章、6章では、そうした微妙な位置に置かれた少女たちの関係の築き方が、雑誌投稿、エスと呼ばれる少女どうしの親密な関係にそくして論じられている。丁寧な史料渉猟と周到な論理構成に支えられた本書の記述は大きな説得力を持つ。本田和子や川村邦光らによる少女研究、乙女研究の系譜に連なる歴史社会学の労作といえよう。

著者は「『少女』という表象が戦後どのように変遷していくのかを今後の課題として取り組んでいきたい」という。たしかに、例えば60年代以降の表象空間において重要な役割を果たした少女漫画における少女と本書で扱われた少女とのあいだに、どのような連続と断絶があるかといった論点は、きわめて興味深い。著者の今後の仕事に注目していきたい。【評 北田暁大(東京大学准教授)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝
自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝レスリー・デンディ メル・ボーリング 梶山 あゆみ

紀伊國屋書店 2007-02
売り上げランキング : 490

おすすめ平均 star
star実験自体はトンデモないかもしれないが、トンデモ本ではありません。
star知りたい高度な知識欲

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「命がけの科学」の報告 冷静な検証も

これはコロンブスの卵的な本である。最初に企画した人が偉い。誰にでも書けそうで、そう簡単には思いつけない。おみごとである。

本書の売りは、人間は何度の気温まで耐えられるか、食べ物はどうやって吸収されるのか、恐ろしい伝染病の原因は何かなど、命の危険も顧みず自ら実験台になった18世紀から現代に至るまでの科学者・技術者を紹介している点である。原題はまさに「モルモット科学者」。

だがそれだけで終わっているとしたら、いうなればプロジェクトX「命がけ編」でしかない。本書で評価できるのは、現在の視点からすればばかげていること、危険すぎることを、当時の時代背景、科学技術の水準の中でしっかりと位置づけ紹介した上で、その後の発見、現時点における知見を、傍注や文末注によってきちんと補足している点である。しかもその補足のしかたが粋で、過不足のないちょうどよいさじ加減になっている。そうした工夫により、本書は単なる偉人伝としては終わらず、科学リテラシーを養う良書となりえている。

原書は、米国の科学教育者団体から高い評価を受けた小学校高学年以上向けの科学書なのだが、大人が読んでもおもしろい。それもそのはず、本書の着想を得てから出版まで、構想と取材に十数年をかけているという。その間に集めた長いリストの中から精選された10話がコンパクトにまとめられているのだ。

惜しむらくは、エーテルによる全身麻酔を初めて実施した米国医師の話で、日本の華岡青洲の偉業が補足されていない点だろう。青洲が薬草を独自に調合した全身麻酔薬を用いて、女性患者の乳がん摘出手術に世界で初めて成功したのは1804年であり、本書で紹介されている米国の事例に先立つこと40年あまり前のことなのだ。

だがそれはやはり、日本人によってこそ書かれるべき物語なのかもしれない。ただし、本書をまねて安易に二匹目のドジョウを狙うのはいただけない。目指すべきは独自の切り口、本書を超えた企画であるべきだろう。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

中原中也帝都慕情
中原中也帝都慕情福島 泰樹

日本放送出版協会 2007-02
売り上げランキング : 1330


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中原中也の詩が発する響きは「誰でも創(つく)れる音の美しさではない」と著者は語る。情感ゆたかな韻律と階調を繰り返し朗読し、唇で覚えた歌人ならではの言葉である。

中也詩の出発点は短歌であった。その感受性がダダとの邂逅(かいこう)で覚醒(かくせい)し、詩人になろうと上京してきた十七歳の春からこの評伝が始まる。

著者はさきに中也詩を定型短歌に変奏した歌集『中也断唱』を世に問うた。「悲しみは雲の色しておりたると語らん寒き三月も暮れ」。その後長くステージ活動で中也詩を「絶叫」し続けた。

本書では「歩くことによってしか出会えないもの」を求め、戸塚・中野・高井戸・市谷谷町と、中也が十二年半にわたって帝都東京に刻んだ生の条痕をたどって回る。

この紀行は地表の遺跡探しではなく、時間の縦深への下降である。行く先々に中原の残像と重層した著者自身の魂の発見がある。戦争・復興・再開発ですっかり外見を変えた東京から、生前の詩人が眺めた風景がよみがえる。「中原の時代と私の幼年がクロスする」と述懐されるように、歴史背景というよりは、詩によってしか捕捉できない時代の不可視の内景だ。

たとえば、「トタンがセンベイ食べて/春の日の夕暮は穏かです」という有名な詩句が生まれたのは戸塚ではないかという直観。「雪が降るとこのわたくしには、人生が、/かなしくもうつくしいものに――/憂愁にみちたものに、思へるのであつた。」と歌われた雪景色に、二・二六事件の朝の首相官邸を幻視してしまう過剰なまでの想像力。

もちろん中也の彷徨(ほうこう)には、小林秀雄と一人の女性を奪い合った世紀の大失恋が底流している。失恋の傷手(いたで)が抒情(じょじょう)の定型を引き寄せ、「ダダの鎧(よろい)は剥(は)ぎ取られ、赤裸の心が喪(うしな)ったもののあまやかな吐息を欣求(ごんぐ)」したところに、「ほんにわかれたあのをんな、/いまごろどうしてゐるのやら。」と歌う悔恨の絶唱が生まれる。

今も人々の心の底の《汚れつちまつた悲しみ》を揺さぶる中也の肉声を聞こう。この五体投地的な評伝は読む者を深い感動に引き込む。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

日本語は天才である
日本語は天才である柳瀬 尚紀

新潮社 2007-02-24
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おすすめ平均 star
starこの人なかなか根室の曲者です

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J・ジョイスや、R・ダールの文章と格闘した名訳で知られる英文学者の柳瀬さんが、日本語の懐の深さを縦横に語っている。考えてみれば、雑種混成の日本文化だから、その歴史は、翻訳に次ぐ翻訳だった。一読、今も翻訳の知恵を絞ることが、「日本語さん」の実力を知るに格好の場だと腑(ふ)に落ちる。

漢字や、そこから派生したひらがな、カタカナ、また、方言、ルビや回文、いろは歌……。実践と豊富な歴史的知識から繰り出される「日本語さん、えらい」の例には、「へー」の連続となる。西欧の感嘆符や疑問符だって、楽々、我がモノにします。「占めたぞ! 占めたぞ!! 難有(ありがた)い!!!」なんて、紅葉の「金色夜叉」に出てくるんだって!

「七」は、古来、多くの場合、「シチ」と読むのが正しいそうだが、今はやたらに「ナナ」と読む。将棋好きの柳瀬さんは、棋士の羽生さんが七冠達成の際、世間が「ナナカン」と読むのがとても気になった。思いめぐらすに、70年安保をテレビが「ナナジュウネン」とくり返し叫んだのが、「シチ」派の息の根を止めたのでは、と!?

文章は平易、かつユーモラス。七面倒で、七転八倒というご心配は無用です。【四ノ原恒憲(編集委員)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

カブールの燕たち
カブールの燕たちヤスミナ・カドラ 香川 由利子

早川書房 2007-02
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暴力と恐怖政治が支配する社会の残酷さを描いた小説には、たぶん三つの種類がある。「未開の地」の、非文明的で野蛮な社会に恐怖するもの。オーウェルやソルジェニーツィンが描く、独裁政治の息苦しさ。そしてカミュの「ペスト」に表れるような、圧倒的で不条理な暴力と死。

タリバン支配下のアフガニスタンが、いかに人権抑圧的で残虐かを描いた書物は、「対テロ戦争」以降あまたあるが、その多くは最初のカテゴリ(非近代的なイスラーム狂信!)として描かれるか、せいぜい二番目の、イスラーム主義者の独裁として語られる。

だがこの小説から浮かび上がるのは、静かに壊れていく市民の姿だ。鬱屈(うっくつ)した生活に希望を持てない小役人たち、体制の提供する暴力に興奮し快楽を見いだしてしまう大衆、そして狂気の淵(ふち)に追いつめられる知識人エリート夫婦。

アルジェリア出身の著者は、アフガニスタンを描きながら、同様にイスラーム過激主義に翻弄(ほんろう)されて内戦に陥った母国の姿を投影する。かつて近代世俗主義を謳歌(おうか)した社会の行き着く果てに出現した暴力の極限状況として、イスラーム世界の西と東が重なる。【酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか
人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか水野 和夫

日本経済新聞出版社 2007-03
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おすすめ平均 star
star資産運用を行っている人に必読の書

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常識覆す世界システム変化

年間8000億ドルもの貿易赤字を出しながら危機に陥らない米ドル、1バレル70ドルを超えても世界インフレや不況とは無縁の原油価格、戦後最長の景気回復を更新しながら低迷を続ける日本の労働分配率など、これらはけっして「予想外の」できごとではない。原因は、経済活動にまで干渉する新たな「帝国」の登場と、国民国家の支配を超えて利潤を追求する「資本」の発展にあると著者はいう。

確かに、米国が「帝国」の力で貿易黒字国に資金の還流(ドル投資)を求め、それを国際金融市場で巧みに運用して利益を上げれば、フローの赤字ほど対外債務は増加せず通貨危機も先送りできる。また、消費意欲の旺盛な米国向けに中国の「資本」が設備を拡大し、規模の経済を梃子(てこ)にして生産性の上昇に成功すれば、資源インフレを克服しながら世界経済の成長も持続できる。さらに、利益の還元を求める国際的な株主が増えれば、好況でも企業は賃金を削減し配当に回さざるを得ない。

歴史学的な視点からグローバル化の本質を解明する本書の議論は説得的だ。しかし、「世界システム」の変化で新たに発生した不安への対応は残された課題である。その意味で本書は、なお未完成と言える。【高橋伸彰(立命館大教授)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

みんなの「生きる」をデザインしよう
みんなの「生きる」をデザインしよう菊地 信義

白水社 2007-02
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おすすめ平均 star
star「生きる」を描く最高のレッスン

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ことばをイメージに、装幀家の教え

装幀(そうてい)の第一人者が、母校の小学校で6年生を相手に2日間の授業をおこなった。本書はその記録である。

授業のテーマはデザイン。菊地信義さんご自身の言葉を借りれば、〈イメージをことばにする。そのことばをイメージに戻す〉こと。具体的には、谷川俊太郎さんの『生きる』という詩を一冊の本にするなら、どんな表紙をつけるか――。

まずは『生きる』を引用させていただこう。

〈生きているということ/いま生きているということ/それはのどがかわくということ/木もれ陽(び)がまぶしいということ/ふっと或(あ)るメロディを思い出すということ/くしゃみをすること/あなたと手をつなぐこと〉

あなたならどんな表紙にするだろう。木もれ陽や握手を描く? 残念ながら、詩の一節をそのまま使ったのでは菊地センセイの花丸はもらえない。〈自分自身の『生きる』の一行を見つけてください〉とセンセイは言う。谷川さんの詩のこの7行に、いわば自分だけの8行目を付けるわけだ。〈自分の一行ができたら、その一行を人に伝えるにはどんな文字の形や色がいいのか、絵がいらないのか〉を考えなければならない。子どもたちは戸惑い、迷いながらも、自分自身の「生きる」を探していく。そして、それを表紙のデザインを通じてなんとかみんなに伝えようと、文字に工夫をこらし、絵を描いて……。

なんと魅力的な授業なのだろう。しかも、本書の中に子どもたちの作品はゼロ――表紙そのものはいっさい紹介されていないのに、いきいきとした文章で再構成された授業の様子は、言葉だけで、子どもたちの困惑や手応えを、一人ひとりが感じ取った「生きる」ことのイメージを、鮮やかに見せてくれる。

さらには、還暦を過ぎて初めて教壇に立った菊地センセイと、27人の子どもたちの温かなやり取りは……そこにもまた『生きる』の新たな一行がひそんでいるように思えてならないのだ。子どもよりもむしろ、おとなにとって、とても大切な一行が。【評 重松清(作家)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

美術のアイデンティティー―誰のために、何のために
美術のアイデンティティー―誰のために、何のために佐藤 道信

吉川弘文館 2007-02
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日本人の自意識はどんな仕組みか

美術に深い関心を抱いているわけではないのに、読んで頭がクラクラするような印象を与えられる美術史の本なんて、そうざらにあるものではない。ところがこの本は、まさにそういう本なのだ。

頭がクラクラするのは、本書が日本美術史の見方を通して、日本人の自意識がどんな仕組みで成り立っているのかについて、くりかえし問いかけているからである。私たちの自意識は他者との遠近感に基づいているが、その遠近感が著者の問いかけによってフラつくのである。

例えば東京国立博物館の常設展は、日本の美術史の展示が中心である。でも、これは当たり前のことではないのだ。欧米の大きな美術館は、みな一国史的な展示でなく、ギリシャに発してヨーロッパ地域全体の広域美術史の展示をしているからである。ではなぜ欧米では広域美術史で、日本など東アジアでは一国史的な展示なのだろうか。

東アジアの諸国は国家主義に立脚していたためだというのが、近年の美術史の回答だった。しかし著者はさらに、西欧の広域美術史を背後で支えたのは、国を超えるキリスト教の共同体の意識であったとし、宗教によって美術がどんなに規定されていったかを探ろうとするのである。西欧の広域美術史が、自らの源流からギリシャ美術と共通性の大きいエジプト美術を排除しているのも、キリスト教の宗教観に囚(とら)われていたためではないか。また前近代の東アジアにも広域の文化交流はあった。しかし日本の先進文化輸入のパターンは、人間の行き来が少ないモノの交易中心のそれで、地域の共通の意識を育みにくい形だったのではないか――。著者は、西欧と日本の美術史の双方を相対化する視点を、八方に広げていこうとしている。

ここには十分に熟してはいないが、新しい着想と問いかけがある。それは、日本と海外の美術の展示や実物に接した時のギャップや違和感に発している。本書が読みやすいのは、それが日常の感覚と地続きの地点で私たちの美術観を問い直した、その模索的な試みのためだといえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/04/08, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

大失敗
大失敗スタニスワフ・レム 久山 宏一

国書刊行会 2007-01
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おすすめ平均 star
star読みやすくはないけれど

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私は、SFについても東欧文学についても、熱心な読者ではない。しかしレムは読む。彼の作品がつねに、すぐれたコミュニケーションの文明論だからである。

2度の映画化で有名な『ソラリス』をはじめ、彼の主要な作品の系列は、しばしば「ファースト・コンタクト(最初の遭遇)もの」と呼ばれる。地球文明が異星の知的生命と遭遇・接触する。そのことによってなんらかの相互作用が生ずる(少なくとも地球人側に深刻な物理的・心理的影響が出る)。それにもかかわらず、わたしたちが普通言う意味でのコミュニケーションがまったく成立しない。相手の反応が敵意なのか好意なのか、そもそもそこにコミュニケーションの意思があるのかさえわからない。しかし接触が生み出す磁場に不可逆的に引きずり込まれていく。そのような極限状況が、レムの作品を貫くモチーフである。

本書に先立つ彼の諸作品では、コミュニケーションのさまざまな試みがことごとく不毛に終わる。こちらの発話に対して、応答なのかどうかが決定できないような現象ばかりが執拗(しつよう)に生起する。それが逆に他者の存在を浮かび上がらせるのだ。だが本作の仕掛けは少し違う。すなわち前作までに描かれてきたのと同工の極限状況のなかで、さらにそのような他者の存在を決して認めない論理を突き詰めたときに何が起こるかがこの作品の焦点である。

ページを繰る手がもどかしいほど読ませるラスト100ページの展開は、ほとんど風刺に近い空気を残してあっけない幕切れを迎える。無粋を承知でそこから教訓を引き出すなら、それはコミュニケーションの不可能性を拒絶する理性が、自壊的に暴走することへの戒めである。

レム最後の長編となった本書は、コミュニケーションの可能性をめぐる原理的探求を突き抜けて、まさにこの地球に起こってきた文明間交渉の歴史のリアリティーに近づいている。本書を前に、文明の衝突だの対話だのといった政治的題目は、どうしようもなく空疎に響く。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

ベンヤミンの迷宮都市―都市のモダニティと陶酔経験
ベンヤミンの迷宮都市―都市のモダニティと陶酔経験近森 高明

世界思想社教学社 2007-03
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「怯え」の感覚を尊重して論じる

冷たい霧雨のパリ。サンジョルジュ駅近傍の路地裏にあるプチホテルの一室で一気に読み終えた。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、19世紀のパリに誕生したガラス張りのアーケード街であるパサージュに、都市を無目的に彷徨(ほうこう)する「遊歩者」を見いだした。

これまでの議論では、「遊歩者」とは客観的な「観察者」であると理解するのが一般的だった。しかし著者はベンヤミンのテキストには、何らかの「怯(おび)え」を前提とする「陶酔」とでも呼ぶべき経験も織りこまれていると主張、「遊歩者」は「観察者」であると同時に「陶酔者」であったと新しい論点を用意する。

ベンヤミン自身は、森に迷うように都市に迷った。そのためには修練が必要だとまで考えたようだ。確かに街を文物を予兆や暗号に充(み)ちた場所だと意識し、わざと迷い子のように怯えながら歩くと、都市は従来とは異なる相貌(そうぼう)を浮かびあがらせる。何気(なにげ)ないざわめきも不穏に感じ、普段よく見知っている何の変哲のない街路が、突如、迷宮となって立ち現れる。

そこで体感する「陶酔」とは、どんな経験なのか。本書では、たとえば魅惑的なイメージに惹(ひ)かれて疲れ切るまで彷徨すること、または路上にあってふと過去を想起する感覚などが例示される。具体的には、記憶の痕跡としての街路名、ガス灯の両義的な光が喚起する肯定的なノスタルジー、不吉な死の力を漂わす娼婦(しょうふ)と重なりあう人形などが論じられる。なかでも私は、ガス灯を「過渡期の技術」とみなし、だからこそそこに肯定的な神話性を看取できるとする章を面白く読んだ。

「あとがき」に、著者の関心の所在が吐露されている。著者が都市に感じてきた「何か底知れぬもの」に関する議論は、従来の都市論ではなされていない。そのあたりを物足りなく思ってきたという。他の論者が欠如させてきた「畏怖(いふ)」の経験を際立たせようとする背景には、著者独特の都市観があったわけだ。

「怯え」という感覚を尊重して都市を語る、新しい「都市論者」の誕生である。【評 橋爪紳也(大阪市立大学教授)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ
イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ中島 俊郎

NTT出版 2007-02
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「田園好き」の歴史をたどる

10年ほど前にイギリスの郊外に住んでいた際、英国人の友人に誘われ、田園散策に出かけた。

しかし、半日を過ごしたその散策は、米国人のように政治や経済について議論するわけではなく、かといって歩いた距離や速さを競うわけでもなく、ただただ歩き、自然に身を委ね、分かれ道でもお互いが行きたい方へ進むという奇妙なものであった。

今から思えば、それぞれが自然の中で気持ちを静め、黙思し、自分と語り、そして人生を見つめ直す時間を持ったことになる。英国人が好む本来の散策であれば、道をどちらに曲がるか、歩き続けるか止まるかも当人の完全なる自由意思でなければならないから、私の存在はそもそも邪魔であったろうが、散策の素晴らしさを伝えるために誘ったのであろう。

散策の後、心に積もった余分な垢(あか)がそがれて、謙虚な気持ちで粗食を楽しんだことが懐かしい。

イギリスの田園を散策したり旅をすることが、英国の人々、とくに知識階層にとって欠かすことのできないものであることを、英国通の文学者が18世紀にさかのぼって解き明かした好著で、旅行記の数々が精彩豊かに紹介されている。【評 小林良彰(慶応大教授)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

ゆの字ものがたり
ゆの字ものがたり田村 義也

新宿書房 2007-03
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かつて岩波書店の「世界」や「文学」の編集長を務め、4年前に亡くなった一編集者のエッセー集。ところが、それだけではとても著者の仕事の全貌(ぜんぼう)を言い表したことにはならない。装丁者として数々の名著を世に出した人物なのである。

社内装丁者として自社の装丁に携わる傍ら、依頼を受けて社外の装丁も幅広く手がけた。以来、装丁者の名前が記された本が1500点にものぼるという。

食べ物や酒などを語った洒脱(しゃだつ)なエッセーにまじって装丁の話が出てくる。

その中で「本というものの必須条件は、題字と著者名がはっきりしていることであって、その他のことはまあ二の次だ(中略)とくに本の背中は本の『顔』である」と言い切る。

そのため著者は、本の内容や特徴に細心の気を配り、自ら字を造形したりもする。つまり本を編集するということと装丁するという仕事は、べつの作業ではなく不即不離の関係にあるということにほかならない。それは同時に編集者としての信念でもあるにちがいない。

ともすればデザイン過剰となり、本の内容や手触りがなおざりになりがちな昨今、装丁にかけた著者の信念が受け継がれていることも感じさせる一冊である。【評 前川佐重郎(歌人)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

部下を好きになってください
部下を好きになってください内永 ゆか子

勁草書房 2007-01-30
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おすすめ平均 star
star”メンター”達の言葉は、とても参考になります
star男性も読むべき

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失敗、努力、挑戦、自戒の35年

日本IBMの取締役専務執行役員の内永さんと言えば、働く女性のリーダー的存在だ。彼女は企業人としての約35年間を振り返り、若い世代に伝えたいことがあると、いくつものメッセージを織り込んでいる。

当初は、自慢話が並ぶ鼻持ちならない本ではないかと逃げ腰で読み始めたが、駆け出しのころの「青ざめるような失敗と立ち直れない失意の日々」も語る率直さである。離婚と異動が重なり、うつ病状態になったことも隠していない。

むろん、意欲と努力のエピソードには事欠かない。75年当時、女性は規定時間以上は残業できなかった。それで、いったんトイレに隠れて働き続けている。「管理職に昇進させてください」と直訴もした。だからこそ夢をかなえる自己実現の手段として、キャリアアップへの挑戦を女性たちに訴える。働いて生きるには「馬から降りない」覚悟が必要なのだ。

書名の「部下を好きになってください」とは、部下の発言を受け入れる余裕がなく負けたくないとつっぱっていたとき、ある課長からアドバイスされた言葉。自分への戒めとして、今でも座右の銘にしている。特に、男女新入社員に一読を勧めたい。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

黒人ダービー騎手の栄光 激動の20世紀を生き抜いた伝説の名ジョッキー
黒人ダービー騎手の栄光 激動の20世紀を生き抜いた伝説の名ジョッキージョー・ドレイプ 真野明裕

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世界各地で2千数百勝を挙げた1882(明治15)年生まれの小さな巨人、ジミー・ウィンクフィールドの伝記である。

身長150センチ、47キロのジミーは、少年時代に生まれ故郷のケンタッキー州ブルーグラス地方を去り、1904(明治37)年、21歳の年に、激化する黒人差別を逃れるようにしてアメリカを出国。以後はロシア、ポーランド、オーストリア、フランス各国の馬場で活躍する。

だが欧州はジミーにとっての別天地であるのと同時に、ロシア革命と2度の世界大戦が待ち受ける危険きわまりない場所。とりわけ後半の「馬追い」の章は壮絶な描写の連続で、ロシア革命下、260頭余りの優駿(ゆうしゅん)を連れたオデッサからワルシャワへの逃避行1700キロを描く著者の才筆に驚かされる。

第2次大戦後の困窮を「リトルロケット」という名の老いた去勢馬に救われる、馬からの恩返しにあたる章も用意され、叙事詩的な大労作となっている。

話し言葉の極めて少ない、事実とことん重視の歴史記述でありながらも文学的かつジャーナリスティック。カンザスシティー出身の著者ジョー・ドレイプは『ニューヨーク・タイムズ』の現役記者。競馬関連の著述で知られる。【評 佐山一郎(作家)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異ジョック・ヤング 青木 秀男

洛北出版 2007-03
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相対的貧困や剥奪が「生きる不安」に

英国で文化論的な視点から犯罪学の研究を重ね、本書の出版によって米国に招聘(しょうへい)された著者は、欧米の社会が「幅広い層の人々(下層労働者や女性、若者)を」受け入れて同化を目指す包摂型から、1960年代後半以降は様々な次元で人々を格付けして分断する排除型へ移行したという。その時期は、歴史家のホブズボームが指摘する「世界が方向感覚を失い、不安定と危機にすべりこんでいく歴史」のはじまりとも重なっている。

実際、市場競争が厳しさを増すなかで企業はコスト削減のために、ダウンサイジング(小型化)やアウトソーシング(外部化)を進め、正規雇用を縮小しながらパートや派遣などの非正規雇用を拡大してきた。この結果、「豊かな社会にいるにもかかわらず」相対的な貧困や剥奪(はくだつ)にさらされる人たちが増えている。

経済的にも、また社会的にも排除された人々の心には不満の種が宿り、それが犯罪となって表れる。これに対し警察が監視を強化しても犯罪は減らない。なぜなら犯罪は相対的剥奪の結果であり、その原因である「物質的条件が解決されないかぎり、すぐに再発する」からだ。

だからといって現在の社会を包摂型に戻すこともできない。「私たちの作業は、現在私たちが立っているところからはじめなければならない」。そのために著者が目標として掲げるのは「富の公平な配分と多様性の自由を保証する世界」を築くことだ。「正義の領域」では、性別や学閥および遺産などによるデタラメな配分を廃して能力に応じた報酬を実現し、「共同体の領域」では、文化は本質的に異なるのではなく、変容し融合すると考えて多様性を認め合うことが大切だというのである。

「正義」の基準となる能力をどのように測るかなど具体的な考察面では物足りなさもあるが、消費者の欲望を刺激しながら労働者の報酬を削減する市場原理の浸透が、経済的な不安定に加え、生きていることに対する不安まで惹起(じゃっき)することを8年前に見抜いていた原著の邦訳は、日本の格差や貧困をめぐる論争に新たな波紋を投じるはずだ。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2007/04/01, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

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