メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年3月18日~3月25日
| 新たな疫病「医療過誤」 | |
![]() | ロバート M.ワクター ケイヴェ G.ショジャニア 原田 裕子 朝日新聞社出版局 2007-03 売り上げランキング : 105 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「システム思考」でミスの克服めざす
子宮と腸を間違えて手術、鼻から18年前のガーゼ発見、異なる血液型を輸血……最近、国内で報道された医療過誤の一部だ。これらは表沙汰(おもてざた)となった事例で、氷山の一角だろう。私の家族も、誤診によって病状が悪化した苦い経験をもつ。医療過誤は日本人の死因トップ10に入るという報告もあり、もはや100%安全な医療などありえない。
本書は、年間9万8千人が医療過誤で死亡し、訴訟が頻発する米国を舞台に、医療の安全を研究する二人の医師がこれに真正面から取り組んだノンフィクションだ。投薬ミスや集中治療室へ搬送中のエレベーター事故、患者取り違えなどの事例を挙げ、医師や看護師が何を考え、どう行動し、なぜ事故が起きたかを検証する。個々の事故を横糸でつなぎ、米国第5位の死因を占める医療過誤の本質を見極めようとする。大冊だが臨場感あふれる筆致に導かれ、読み始めたら止まらない。
いったいどんな悪質な医師がいるのかと思いきや、ほとんどがそうではないのだ。事故は実に人間的な理由によって起こる。いや、人間ゆえに「うっかり」誤るといおうか。
たとえば、小児心臓移植の権威といわれた医師が血液型照合ミスで幼い少女を死亡させた事例がある。ドナーが見つかったことを医師に連絡した臓器バンクも、仲介役のNPOも、臓器を摘出した別の医師も、誰も血液型を確認しなかった。当の医師はやっと少女が救えると興奮していた。血液型を確かめるチャンスは何度もあったのに、そんなことは誰かがとっくに調べているはずという思いこみが全員にあった。複数の小さなミスの連鎖がシステム全体を貫通する大きな穴を開ける。感染症のように知らぬうちに甚大な被害が広がる。「疫病」と位置付けた所以(ゆえん)だろう。
近年は医療が高度化・専門化し、チームワークが必要となった。医師がいかに優秀でも申し送りでへまをすれば事故は起こる。ならば、人間は誤りを犯すものだという前提に立ち、組織の安全体制を構築せよ。それが本書が提起する「システム思考」である。具体的には、実用に耐える規則や確認表、研修の整備であり、チームが自由に意見交換できる環境づくりだ。これまでそんなこともできなかったのかと驚くが、多忙を理由に規則破りは日常化し、目上の医師に目下の者が意見をいえないのは日米共通の問題らしい。ぞっとする話だが、申し送りの際に必要な情報を伝えるのを怠った経験の有無を専門家300人に尋ねたところ、全員が、有と答えたという。
加えて、著者が提案するのは、医療従事者と患者を敵対させない「無過失システム」だ。賠償と原因究明を切り離し、患者を早期に救済した上で医療従事者には過誤の報告を徹底させる。導入には慎重を要するが、訴訟で誰かの責任を追及してもシステムの改善につながらなかったという反省が背景にある。
「医療事故を理解するとは、究極的には人間の本性を理解すること」。自らの経験を含め、現場の失態を赤裸に描くには勇気を要したろう。だからこそ説得力をもつ。医療の安全を願う人すべてに読んでほしい力作だ。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 蹴る群れ | |
![]() | 木村 元彦 講談社 2007-02-16 売り上げランキング : 1705 おすすめ平均 ![]() 旧ユーゴ問題を追い続ける「町のニイちゃん」世界に目を向ける。著者は日本が誇るルポライターだ。 「悪者見参」に並ぶ素晴らしい1冊 フットボール大好き!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
戦火の中で懸命にボールを追うイラクやレバノンの選手や監督、かつて社会的差別を受けながらも日本国内で圧倒的な強さをみせた在日朝鮮蹴球(しゅうきゅう)団……。サッカーは時に悪政や宗教、民族間の対立に翻弄(ほんろう)されるが、一方で人々に希望を与える。そんなサッカーの魅力とさまざまなエピソードを、世界各地を歩いて取材したルポルタージュだ。Jリーグファンにもおなじみのイルハンやハシェック、アルディレスらも登場。こんな運命や人生を背負っていたのかと、あらためて驚かされる。
| マイウエイ 認知症と明るく生きる「私の方法」 | |
![]() | 太田 正博 太田さんサポーターズ 小学館 2007-03-16 売り上げランキング : 67692 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は、02年に52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された。記憶力や空間認識能力の劣化は進み、05年春には仕事も辞め、今では漢字も書けなくなった。しかし「読めるし、そして私はなんと言っても話すことができる」と、主治医と作業療法士とのトリオで講演活動をしている。本書はその内容を、妻や元上司の証言なども交えてまとめた。せかさず、サポートは少しにして、生きがいまで取り上げないでと、患者との正しい付き合い方を、明るく、懸命に語りかけている。
テンペスト
エメ・セゼール (著), 本橋 哲也 (翻訳), 砂野 幸稔 (翻訳)
300年の時を隔てて読み替え、批評
「わたくしは暴君に支配されております。そいつは魔術師で、魔法でわたくしから島を奪い取ったのです。(中略)でもいちばん考えておかなきゃならんのは、あいつの娘、こいつはチョー美人のスケです」
一読して、まさかイギリスの文豪シェイクスピアが新世界アメリカを意識した傑作喜劇『テンペスト』(一六一一年ごろ執筆)の一節、それも島の原住民たる怪物キャリバンの言葉だとは、思いもつくまい。だがこれはまぎれもなく、編訳者がこの古典を巧みな二十一世紀日本語で甦(よみがえ)らせた成果なのである。
いっぽう、現代に甦ったキャリバンはこう語る。
「俺(おれ)をXと呼んでくれ。そのほうがいい。いわば名前のない人間だ」
これは、二十世紀カリブ海はマルティニク島出身の作家エメ・セゼールの手になる改作『もうひとつのテンペスト』(一九六九年)において、怪物ならぬアフリカ系黒人奴隷として再登場し、スワヒリ語の「ウフル(自由)!」を連発するキャリバンの言葉。そのモデルが一九六〇年代の黒人公民権運動家マルコムXであるのは、あまりにも明らかだろう。
三百年もの時の隔たりにもかかわらず、ふたつの『テンペスト』を並列させ、ポストコロニアル批評家ニクソンやルーンバらによる卓抜な論考をも収録した本書は、日本独自の編集になる卓抜なアンソロジーだ。時代や国家が変わっても読み替えられ書き直されるだけの余地を含んだ作品こそが古典の名に値することを、本書はひとまず実感させる。さらに、植民地主義が終わっても、その「終わり」自体を忘却して何度となく甦ってくるのが「帝国」の宿命であることも、復習できる。
たしかに元ミラノ公であった「征服者」たる魔術師プロスペローと「歴史のエージェント」たる奴隷キャリバンの対立は、作品の中核を成す。しかし同時に、プロスペローの弟アントーニアが兄からまんまと王位を簒奪(さんだつ)し、自らのウソを信じ込んでいったように、いまも「帝国」は密(ひそ)かに次の一手を狙っている。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 | |
![]() | 鈴木 俊幸 平凡社 2007-02 売り上げランキング : 4286 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
向学心支えた無名のベストセラー
正直に告白すると、評者は本書で大きく取り上げられている江戸時代の漢学独習書『経典余師(けいてんよし)』については何の知識もなかった。
著者は、文学史辞典にも載らず、注目する研究者もほとんどなく、「学芸史・思想史といった学問の視界には入って来なかった」この無名の書物を長い忘却の中から掬(すく)い上げ、あわせて十九世紀日本における「知の底上げ」という興味深い事象を掘り下げてゆく。「普通のことは論じにくく、歴史から普通のことが漏れてしまっている」という着眼が非凡である。
『経典余師』は鳥取藩の儒者だった渓(たに)百年の著作。これまでの教授法から大胆に踏み出して、儒学古典を「平ガナニてざつと解く」入門書を刊行した。何よりも「師要(い)らず」(先生不用)というのがセールスポイントである。
天明六年(一七八六)の初版このかた何度も版を重ね、偽版も売り出され、続版が明治初年にまで及ぶ隠れたベストセラーである。「尋常ならざる量の発行部数」があったと推定されている。
具体的な数字は不明であるが、続刊や再版といった版種の数、板木の疲れや摩耗状態から増刷の度合いがわかるそうだ。諸版本を網羅して実証してゆくプロセスは一般読者にはちょっと退屈だが、著者はさすが心得たもので「書誌についての繁雑な考証、また史料の引用を端折(はしょ)って」読んでもよろしいといっている。
見えてくるのは、近世後期に日本の津々浦々で民衆レベルの《向学心》が萌(も)え出た景況である。読書算盤(そろばん)を習う寺子屋でも素読を教える時代が到来していた。師匠も不足気味だったろう。経書の本文に「平仮名混じりで注釈と書き下し文」を付け、いわば《現代語訳》した『経典余師』の需要が増大した理由もうなずける。出版は営利事業だ。これを商機として販売網が着実に全国に広がったのである。
著者はその学問熱を「自学自習」の一語に要約する。江戸時代が近代日本に贈った遺産の一つは、民衆の高い識字率であった。学ぶことが「普通」だった社会を復原(ふくげん)した読み応えのある一冊だ。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 周恩来秘録 上 | |
![]() | 高文 謙 上村 幸治 文藝春秋 2007-02-27 売り上げランキング : 441 おすすめ平均 ![]() 全く知らなかった数々の事実 歴史を知らずして、今を生きることは出来ない 人間・周恩来Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 周恩来秘録 下 | |
![]() | 高文 謙 上村 幸治 文藝春秋 2007-02-27 売り上げランキング : 512 おすすめ平均 ![]() 毛・周と舞台回しの役者達。本書は現代版「三国志」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ここ十年ほどの間に刊行された『毛沢東の私生活』や『マオ――誰も知らなかった毛沢東』などにより、中国建国の雄たる毛沢東像は地に堕(お)ちた感がある。代わって定着したのが、猜疑心(さいぎしん)の虜(とりこ)となった“現代の始皇帝”というイメージで、本書もそれを補強こそすれ、訂正を迫るものではない。本書で大きく塗り替えられているのは、ナンバーツーだった周恩来像の方である。
周が死んだとき、八十を超えた毛が爆竹を盛大に鳴らして喜んだという暗いエピソードから本書は始まる。毛の異常な猜疑心は、打倒した劉少奇や林彪だけでなく周にも向けられ、歴史的な米中国交回復で見せた周の鮮やかな手際までが、毛の猜疑を掻(か)き立てたというのだから、驚くほかはない。つねに周はひたすら平身低頭して生き延びるのだが、自己保身のため文化大革命時にはかつての同志たちを見捨てる決定を何度も下した。革命前には、転向した幹部の一家全員を処刑させる冷酷さも、彼にはあった。
それでも、毛には及ぶべくもない。毛は、周の膀胱(ぼうこう)がんを医師団から知らされていながら、周に伝えず、検査も手術も認めず、その死期を早める一方で、周に対する執拗(しつよう)な追い落とし工作を仕掛けつづけた。毛の仕打ちを著者は「冷酷で陰惨な殺人」と断じるが、ここまでされても周の屈従は変わらず、臨終の間際にも毛を讃(たた)える歌を口ずさんで微笑(ほほえ)むのである。
毛と周の関係は、暴君と忠臣、主人と奴隷、SとM、いずれにも似ているが、その徹底ぶりは常軌を逸している。フィクションなら、グロテスクな悲喜劇と笑い飛ばしたくなるところも多々ある。だが、これは中国共産党の中央文献研究室で機密文書を閲読できる立場にあり、一九八九年の天安門事件後アメリカに亡命した著者が、膨大な資料とインタビューによって構成したドキュメンタリーなのだ。
著者の言うように、中国の「皇帝型権力専制主義」の本質がいまも不変とするなら、かの地の人々はこれからも権力にいつ翻弄(ほんろう)されるかもしれぬ人生を送らねばならない。読後、重い徒労感が残った。【評 野村進(ジャーナリスト)】
| 岩波日本古典文学辞典 | |
![]() | 久保田 淳 岩波書店 2007-02 売り上げランキング : 10813 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
岩波から横組みで日本古典の辞典
久保田淳編『岩波 日本古典文学辞典』(岩波書店・3360円)が刊行された。日本の古典を扱いながら横組みを採用している。さらに取り上げた物語などではあらすじを、歌人、俳人については代表作を紹介。参考文献も一般向けの手軽なものも紹介するなど、きめ細かい。
「まずは日本文学専攻の学生らに買って欲しいが、ふつうの家庭に置くにも手頃なサイズ」と担当者。日本古典の研究が、今後「継続・発展してゆくかいなか、多分に危ぶまれるのである」(同書「はじめに」から)という危機感が、とっつきやすさに配慮した本作りの背景にある。
| 弄ばれるナショナリズム―日中が見ている幻影 | |
![]() | 田島 英一 朝日新聞社出版局 2007-01 売り上げランキング : 28536 おすすめ平均 ![]() あまりに素朴な「日中友好論」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
弄(もてあそ)ばれるナショナリズム
昨年十月の安倍訪中は、日中が戦略的な共通利益の存在を認め合った点で画期的だった。しかし、洋々たる発展の可能性を持つ日中関係にたれこめる暗雲は、双方のナショナリズムだ。
本書の特徴は、この分野で古典的なゲルナーのナショナリズム論を中国に応用し、「国民」創成の二つの立場を示したところにある。一つは孔子の教えを核に均質的な国民文化の形成普及を追求した「文明中国」派で、文官である「士」を担い手とし、清朝末期の康有為に代表される。もう一つは「漢人」という「民」の血縁幻想を核にする「血統中国」派で、代表は孫文だという。
毛沢東の「階級中国」でも出身階級による差別が横行し、「民」の血縁幻想から自由ではなかった。そして改革開放後には「文明中国」的愛国主義教育が行われるが、今や所得格差の拡大に押されて「血統中国」的大衆ナショナリズムがインターネットに噴出している。
日中のナショナリズムの不毛な争いからどうすれば脱(ぬ)け出せるのか。著者は少数民族問題をも視野に入れ、国民国家の論理を相対化しようとする人々の民際交流を説く。紹介される事例やアネクドートも豊富で、一般読者にも楽しめる力作だ。【評 高原明生(東京大教授)】
| 我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る―防衛省元幹部3人の志 | |
![]() | 小池 清彦 かもがわ出版 2007-02 売り上げランキング : 739 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
血を流す立場からの選択は
護憲派の中には自衛隊の存在そのものを認めない人も多い。しかし、憲法9条の改定で直接的な影響を被るのは自衛隊。現実的に血を流すのも自衛隊員だ。内部の人たちは9条をどう見ているのだろうか。
本書の著者は3人の元防衛庁幹部である。湾岸戦争の際、平和憲法が国を守ると実感したという元教育訓練局長の小池清彦氏。冷戦終結後の脅威とは中ロ韓朝のいずれかが日本本土に上陸侵攻するときしかないが、そんな有事は虚構であると断言する元官房長の竹岡勝美氏。両氏の意見は一致する。この改憲は自衛隊を認めるためではなく、米国に追従した海外派兵が目的であること。国際貢献の名の下に海外派兵をしなければ非難されるなど嘘(うそ)で、日本は平和国家として世界の尊敬を得ているし、自衛隊員も専守防衛を誇りに思っていること。国防と名誉の観点からこそ改憲は阻止すべきだと彼らは主張するのである。
もうひとりは、衆議院議員を8期務めた元防衛政務次官の故・箕輪登氏。氏が起こした「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」の裁判記録が三つめの目玉である。
9条は非現実的な理想主義だとだれかにいわれて信じているあなたにこそ読んでほしい緊急提言の書だ。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
| 読み違え源氏物語 | |
![]() | 清水 義範 文藝春秋 2007-02 売り上げランキング : 2839 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本を読んで、誰よりも驚くのは紫式部だろう。
はかなく身まかった夕顔が、じつは生きていたり、末摘花に似たアメリカ娘が、純愛小説のヒロインになったりするのだから。
『源氏物語』から八人の女性を選んだ短編集だが、どれも原作の意図を生かしながら、まったく別の小説に転化している。しかも、一編ごとにスタイルをかえる凝りようで、「夕顔殺人事件」の対話体から、葵の上の日記、六条御息所のような女優の報復劇、色好みな老女の述懐と、それぞれに趣向が利いている。
あれほど光源氏の生涯のトラウマとなった藤壺(ふじつぼ)との「実事」も、当の藤壺にとってはまったく異なっていたと寓話(ぐうわ)風に語られる「最も愚かで幸せな后(きさき)の話」や、山荘の管理人が愛情を注いで育てた野草が、ふと気をそらした隙(すき)に枯れる「ムラサキ」は、とりわけ風刺が鋭い。
ただ、昔からの愛読者には、作者独特の笑いと毒が少し薄れてきたようで心配だ。たしかに今回は相手が悪かった。古来『源氏物語』ほど引用・変奏された名作はなく、さすがの手練(てだ)れもややためらいがあったのだろうか。文体模写(パスティッシュ)とパロディーの達人だけに、現代の新しい笑いの文芸を、と切望してやまないのだが。【評 杉山正樹(文芸評論家)】
| マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1 | |
![]() | ノーム・チョムスキー エドワード・S・ハーマン 中野 真紀子 トランスビュー 2007-02-02 売り上げランキング : 5451 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 2 | |
![]() | ノーム・チョムスキー エドワード・S・ハーマン 中野 真紀子 トランスビュー 2007-02-02 売り上げランキング : 8900 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「米国の世論」のつくられ方
A5判の上下合わせて約七〇〇ページの大著。副題に「マスメディアの政治経済学」とあるように、寡占化の進んだアメリカの新聞・テレビがいかに「世論」という製品を製造し、流通させてきたのか。ケーススタディーを通し検証する。
ヴェトナムやラオス、カンボディアなどのインドシナ、エルサルバドル、グアテマラ、ニカラグアなどのカリブ世界、さらに東欧や南欧でのアメリカの行動、それに対するメディア報道が徹底的に調べられる。すると、法則に近いパターンが浮かび上がるという。
親米政権が登場すると、事態は改善しつつあると報道し、政権崩壊後は過去に遡(さかのぼ)って、実は悪辣(あくらつ)だったという風に書き改められる。端的な例がヴェトナムだ。
反ゲリラ戦争、国際テロ組織といった新しい概念と宣伝。それを追随・拡大報道するメディア。9・11以降のブッシュ政権の歩みも、メディア報道もほとんど同じパターンだ。敵が共産主義からイスラム原理主義の国際テロネットワークに代わっただけだ。
読み終わって、暗澹(あんたん)たる気分になった。まさか日本はここまでいっていないだろうが、マスメディア関係者にぜひ感想を聞いてみたい。【評 小高賢(歌人)】
| 立法の制度と過程 | |
![]() | 福元 健太郎 木鐸社 2007-03 売り上げランキング : 50953 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「参議院は衆議院のカーボンコピー」とか「同じことを2度も議論するのは時間の無駄」といった参議院不要論が消えては浮かんでくる。本書の著者も、二院制擁護論が根拠とする前提は現実にそぐわない、と批判する。
著者は、戦後、貴族院を参議院に衣替えする制度設計の際に、「シニアな人物(学識経験のある練達で厳正公平な人)」によって参議院を構成することで衆議院とは異なる視点に立とうとしたことに注目する。そして、歴代の衆参両院議員3250人の属性や審議ぶりを比較することで、設計通りに制度が動いているかどうかを検証している。
本書によれば、「良識の府」「理性の府」とされた参議院議員のほうが、(1)年齢はシニアだが、(2)両院の党派別構成などの違いを考慮してもなお学歴は低く、(3)知的専門性も医師や大学教授出身は衆議院より多いが、法曹界出身は少なく、学識経験者が衆議院に比べて多いとは必ずしも言えない。また、同一法案の審査回数や修正などの審議においても衆参両院に大きな違いは見られず、現状では、衆議院とは異なる立場と視点が十分に示されているとは言えない、と結論づけている。
今後の国会改革論議で参考となる豊富なデータを提供する労作であり、そのデータを基に実証的に分析して得た結論自体に異議は唱えないが、その解釈についてはいささか異論がある。
例えば、著者は「二院制擁護論は、制度としての二院制が議員構成や法案審議の点で異なる政治過程をもたらすことを議論の前提にしている」とするが、果たしてそうか。議院内閣制では、立法府の多数派が行政府を構成し、一院制にすると権力が暴走する恐れがある。むしろ二院制は、権力の暴走防止を議論の出発点としているのではないか。
衆参両院の間に、期待したような相違が見られないのであれば、両院議員の構成が異なるように、両院が現在採用している類似の選挙制度を改めるとか、衆議院と参議院で異なる審議方法を採用するといった国会改革こそ提唱すべきではないだろうか。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| 観光 | |
![]() | ラッタウット・ラープチャルーンサップ 古屋 美登里 早川書房 2007-02 売り上げランキング : 894 おすすめ平均 ![]() アジア的感情を巧く描いている。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
タイ舞台に色鮮やかな生の裸形
久々に海外文学の叢書(そうしょ)「ブック・プラネット」が生まれた。本書はその第一弾でタイ系アメリカ人のデビュー作。英米の有力紙が絶賛し、全米図書協会から「注目すべき若手作家」に選出され、すでに十三カ国で刊行された。確かに喚起力豊かな文章は素晴らしく、収録された七篇(へん)すべてタイが舞台なのに異国情緒はなく、むしろ普遍的な生を追求していて実に鋭い。
たとえば表題作の「観光」。海辺のリゾートへと旅立つ失明間近の母親と息子の交流を描いた作品で、普通なら陰々滅々な話になりそうなのに、中盤からは明るく愉(たの)しく、それでいて一抹の悲しみを滲(にじ)ませて、生命の光を限りなく優しい筆致で捉(とら)えて、きわめて美しい仕上がりである。
または「カフェ・ラブリーで」。十一歳の少年が、兄に連れられてあやしげな酒場で大人の世界をかいま見る話で、具体的にはシンナーとセックスとオートバイが出てくる。この三つはありふれているものの、作者は少年の内面に入りこみ、緊張と不安と喜びを丁寧に掬(すく)いあげて読む者の心まで震わせる。
さらには中篇「闘鶏師」。闘鶏で破滅していく父親を見つめる娘の苦悩を描いた作品で、町を牛耳るボスの息子との対決、友情、克己心などテーマも多彩で、なおかつそれらが物語の基点になり新たな展開を辿(たど)る。最もドラマティックな秀作で読み応え充分。
そのほかでは息子の住むタイにやってきた老アメリカ人の頑固一徹を溌剌(はつらつ)とした(でもいささか苦い)ユーモアでくるむ「こんなところで死にたくない」、カンボジア難民の少女と心を通わせる「プリシラ」なども忘れがたい。
「闘鶏師」に“善悪、左右、上下、内外、そういった言葉はここの人たちには意味がない”という言葉があり、それがタイの現状なのかもしれない。しかしだからこそ、混沌(こんとん)とした情況で生きる縁や人の絆(きずな)といったものが逆に輝きだす。もちろんそこには燃えたぎる怒りが、熱をもつ癒えない傷が、あるいは理解されない悲しみもある。原初的ともいうべき色鮮やかな生の裸形がここにある。注目!【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 醜の美学 | |
![]() | カール・ローゼンクランツ 鈴木 芳子 未知谷 2007-02 売り上げランキング : 1368 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昔、三島由紀夫が「ドイツ語の抽象的表現能力」は日本文学にいちばん欠けている要素だと書いていたのを思い出す。何よりも「わざとゆるいテンポで物事の真相に迫ってゆく方法」が独特なのだそうである。
今回、本邦初訳されたこの一冊は、一八五三年に刊行され、ヨーロッパでも久しく稀覯本(きこうぼん)になっていた古典的大著である。美学の領域に「醜」という対象を取り込み、醜とは「美という正の概念によって負に設定された省察概念」であるとする抽象的な規定から出発して、死・腐敗・排泄(はいせつ)・嘔吐(おうと)といった生々しく有機的な事象を呑(の)み込み、端から咀嚼(そしゃく)してゆくのである。
著者のローゼンクランツには『ヘーゲル伝』の著述もあり、右でも左でもないので「ヘーゲル中央派」と評された由。だが少なくとも美学の分野では師を乗り越えて進んだといえる。ヘーゲル美学は醜を論ずるに値しないとして排除していた。しかし、この弟子はあえて「醜のパンドラの箱」を開き、眼(め)の前に飛び散った見るも忌まわしい対象群を美学の領域に取り込んで、壮大な体系に組織してゆく。醜は美から投光されなければ存立しえず、「美から醜、醜から滑稽(こっけい)へという晴れやかな循環」の中で定位置を与えられるという予定調和的な構図である。
万象をすべて整然と概念構築しなければやまないドイツ観念論の特色は、この美学書にも遺憾なく発揮される。醜の属性とされる無定形・不正確・歪曲(わいきょく)などの諸要件を緻密(ちみつ)に分析し、ビザール(奇矯)・バロック・グロテスク・バーレスク・悪趣味等々の微妙な差異を一つのスペクトルの上に連続的に並べ、かつ個々の特性を明確に定義する概念操作はちょっとした読みどころである。
芸術は醜を浄化して滑稽に転生させ、美の普遍的法則に服従させる。醜は喜劇として市民権を取得する。著者はこのテーゼを広い読者層に理解させるには実例が必要だとして多数の文学・美術作品を博引旁証(はくいんぼうしょう)する。《もう一つの美》とぎりぎりに肌を接するリスクを犯しつつ、豊富で刺激的な《醜の博物館》を展覧するのである。たとえば血みどろなイエス磔刑(たっけい)像を示して醜はキリスト教と共に芸術界に導入されたとする主張などは、後にマゾヒズムと呼ばれる感覚の周辺に微妙な一線をたどる。この回廊には今日でも身近に鑑賞できる名作が陳列され、読者も自分の審美眼で判定に加われるから面白く読めるだろう。
翻訳は、ドイツ語は堅苦しいという思い込みがなくなるほど流麗である。巻末には親切な解説が付され、本書が生まれた歴史背景の案内図になっている。とりわけ一八四八年革命前後のヨーロッパ市民社会に、直視を避けられないまでに汚物と猥褻(わいせつ)と犯罪が出現した状況の説明が丁寧だ。ボードレールの『悪の華』は醜それ自体を発光させたのである。
この《醜の福音書》は、百五十年の歳月を距(へだ)てて今なおみずみずしい。日々新種のウィルスのように醜が増殖する現代世界にあってこそ、美の恩寵(おんちょう)をもって醜を救済する希望はひとしお魅力的に輝く。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| イノベーションの作法―リーダーに学ぶ革新の人間学 | |
![]() | 野中 郁次郎 勝見 明 日本経済新聞出版社 2007-01 売り上げランキング : 22 おすすめ平均 ![]() 日本企業の強さを学ぶAmazonで詳しく見る by G-Tools |
経営学者とジャーナリストによる、マツダのロードスター、サントリー伊右衛門など13の成功事業例の紹介・分析。「方法論」ではなく「作法」とうたったのは「自らの生き方を確立した人間こそがイノベーションを起こしうる」という思いを込めたという。市場分析ではなく心意気、暗黙知の活用を評価し、理想主義的プラグマティズムを掲げる。ものづくりに人臭い物語を読み込むのはヒット番組「プロジェクトX」の趣もあるが、戦略論的な教訓も引き出している。
| 脳は意外とおバカである | |
![]() | コーデリア ファイン 渡会 圭子 草思社 2007-01-31 売り上げランキング : 3362 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私たちの脳は、働き者だ。考えたり感じたり、精神の活動を一手に担う。でも、そんな脳には、ちょっと「クセ」もある。現実をそのまま認識するのではなくて、都合のいいように解釈したり、思いこみにとらわれてしまったり。例えば男の脳は、エロチックな情報で妙な判断へと突っ走るらしい。まさに「おバカ」。本書はそんな脳の特性のあれこれを、社会心理学の実験成果などをもとに紹介。エッセー風の筆致で楽しく読めて、ニヤリとしたりドキリとしたり。
| 藝文往来 | |
![]() | 長谷川 郁夫 平凡社 2007-02 売り上げランキング : 4396 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
原稿のやりとりのさなか、じつに不誠実な対応をされ、相手を怒ろうと思ったものの、怒れなかったという経験が私にはある。なぜ怒れなかったか。メールのやりとりしかしておらず、相手の顔を知らなかったのである。顔も声も知らない相手を、本気で怒ることは難しい。
本書を読んでいると、ああ、時代は変わってしまったのだなと深く思う。時代ばかりではない、書物の持つ熱というものも、否応(いやおう)なく変化したのではないか。
小沢書店という出版社の社主であった著者が、交際のあった作家や編集者、彼らの著作物と関(かか)わった記憶が、本書には贅沢(ぜいたく)なほどあふれている。言葉通りの交遊もあれば、書物を通しての交遊もある。作者とまみれるようにして本を作った歴々の編集者たちにも触れている。再現の叶(かな)わない美しい時間が、この本には流れている。
「愉(たの)しそうにしかし真剣に遊んだ」、小沼丹。「そうはイカのキンタマ!」と花札遊びに興じる中野孝次。家出先まで著者を迎えにこさせ、大船駅で黙してワンカップを開け続ける田村隆一。編集者の父の死を悼み、走り書きの長い手紙をファクスで送った水上勉。毎週ビアホールにあらわれ、編集者たちに料理と酒をおごった吉田健一。行間から体温が、熱がわき上がってくる。本に対する熱であり、本を媒介に関わり合う人々の熱である。
とはいえ、単なる交遊の記録ではない。本書にある言葉通り、著者にとって「文は人なり」であり「本もまた人」、作家、編集者、造本に関わるすべての人々が分かち難く結ばれている。
作家と編集者のつながりが変わったのだから、小説自体が変わるのは当たり前だと気づかされる。どちらがいい、悪いと私は思いたくない。けれどどちらが幸福かとは問うまでもない。
書物を消費物に成り下げることなかれと、今の時代に向けて、静かに、しかし誇らかに言い放つような一冊である。箱入りの凝った造本にも、著者の本への思いがあふれている。【評 角田光代(作家)】
| 大国政治の悲劇―米中は必ず衝突する! | |
![]() | ジョン J.ミアシャイマー 奥山 真司 五月書房 2007-01 売り上げランキング : 33915 おすすめ平均 ![]() リアリズムに学ぶAmazonで詳しく見る by G-Tools |
列強は必ず地域覇権を目指すのか
冷戦が終わったのは一九八九年。いつのまにか「冷戦を知らない子供たち」が大学生になるだけの時が経(た)ったものの、安定した国際秩序が出現する気配はいまだにない。
現在の日本を取り巻く国際情勢は複雑だ。北朝鮮の核問題をめぐる米朝の交渉は始まったが、拉致問題解決の見通しは立たない。日中間では共通の戦略的利益に基づく互恵関係の構築が合意されたものの、中国の軍拡への懸念は払拭(ふっしょく)されておらず、東アジア共同体の実現に向けた足並みは揃(そろ)わない。相棒である米国は、イラク、アフガン情勢の泥沼化に足を取られる一方、より大きな軍事的な役割を果たすよう日本を促している。
複雑な状況を把握し、日本が創造的な外交安保政策を展開する上で、国際関係の理論はどれほど役に立つだろう。
本書の著者は空軍勤務の経験を有する、「攻撃的現実主義」と呼ばれる学派の雄だ。著者によれば、世界政府が存在せず、大国が攻撃的な軍事力を有し、相手の国の考えを完全には理解できない状況の下、大国は生存のために合理的に行動し、必ず覇権を求めようとする。本書ではこの理論を丁寧に説明し、歴史的な事例に照らして検証した上で、二十一世紀初頭の大国間の角逐を予測している。
国際政治理論をめぐる論争は激しい。経済的な相互依存や民主主義政治体制、あるいは国際制度の確立が戦争を防止すると考えるリベラリズムなど、他の学派からの批判は当然ある。また、歴史事例検証に見られる我田引水のほか、冷戦後の在日米軍の駐留を日本が中国との争いを起こすのを防ぐためとするなど、現状認識や今後の予測についても疑問点が少なくない。
しかし、大国の権力争いこそ国際政治だとみなし、軍事力の有効性を強調する現実主義者が世界に多数存在するのは事実だ。中東を見れば軍事力の限界は明らかだが、好き嫌いを超え、現実主義について理解を深めることは日本人にとって重要である。
訳文は達意。ただ副題に「米中は必ず衝突する!」とあるが、著者は本書でそうは書いていないので、念のため。【評 高原明生(東京大学教授)】
| リヴァイアサン号殺人事件 | |
![]() | ボリス・アクーニン 沼野 恭子 岩波書店 2007-03 売り上げランキング : 360 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ファンドーリンの捜査ファイル ホームズ並み推理と、ルパン級活劇と
著者名はいかにもロシア語的に響くが、日本語の「悪人」をもじったもの。というのも、著者はもともと日本文学者で、三島由紀夫をロシアに翻訳紹介した人物なのだ。
その悪戯(いたずら)っ気たっぷりの悪人氏が娯楽小説を書き始め、ロシア一のベストセラー作家となった。彼の最も人気の高い作品が「ファンドーリン物」で、今回訳出されたのは、シリーズの第3、4作。ともに作中で日本人が活躍する。
舞台は帝政ロシア末期。帝政はまもなく革命に打倒されるが、ソ連が崩壊した今、古き良き帝政時代はノスタルジーの対象らしい。本シリーズも、「文学が偉大であり、進歩への確信が限りなく、優雅に趣味よく犯罪が行なわれ解明された一九世紀」に捧(ささ)げられている。つまり、粗野で悪趣味な犯罪しかない現代への繊細な批判精神の表れなのだ。
主人公ファンドーリンは20代の美青年で外交官。まさにホームズやルパンの同時代人であり、ホームズ並みの推理的知性と、ルパン級の冒険精神とを合わせもっている。
おりしも彼は外交官として赴任先の日本をめざし、豪華客船リヴァイアサン号に乗っている。この船には、子供を含めて一度に10人を殺害するという、パリで起こった残虐な事件の下手人が同乗していた。未知の犯人を追ってフランス人の警部も乗りこんでいる。客船は洋上の密室である。果たして、第2、第3の殺人事件が起こり……。
この『リヴァイアサン号殺人事件』がホームズを髣髴(ほうふつ)とさせる本格推理であるなら、続く『アキレス将軍暗殺事件』は最良のルパン物にも匹敵するきわめて見事な冒険活劇に仕上がっている。このスタイルの書き分けに著者の才能の巨大さが感じられる。
また、このシリーズを単なる懐古的なミステリーから隔てているものは、叙述形式への先鋭な意識である。十九世紀的な全知全能の一人称で語るのではなく、語り手はしばしば交替して、世界の見え方をプリズムのように変えてみせる。にもかかわらず、娯楽小説としての完成度はいささかも揺るがない。驚くべき書き手が現れたものだ。【評 中条省平(学習院大学教授)】
| テイラーのコミュニタリアニズム | |
![]() | 中野 剛充 勁草書房 2007-01-18 売り上げランキング : 3244 おすすめ平均 ![]() 出発点としては及第点かもしれないが とても勉強になりました。 コミュニタリアニズム研究の最高峰Amazonで詳しく見る by G-Tools |
共有する善を多元的に追求
グローバル化の進展にともなって、近年、国家と市場のあいだに共同性を再構築する必要を唱える論調が目立つ。そのなかで、主として英米圏でコミュニタリアニズム(共同体主義)と呼ばれる政治思想が、日本の論壇でも注目を集めるようになってきた。
本書は、コミュニタリアニズムの主要な論客のひとりであるカナダの政治哲学者チャールズ・テイラーの思想を包括的に論じた本邦初の作品である。
コミュニタリアンは一般に、個人の権利に対して、コミュニティーが共有する善や価値観を重視する。その上で、著者がテイラーに固有の洞察とするのは、その共通善が単一のものではなく、本質的に多元的なものと捉(とら)えるところである。伝統的にリベラリストは、この諸善の多元性ゆえに、消極的自由(他人に妨げられない自由)の擁護に立てこもってきたが、テイラーは、多元的な諸善間の和解可能性を創造的に追求するところにこそ人間の自由があると主張するのだという。
テイラーは、カナダ・ケベック州の独立問題に関しても「深い多様性」を承認する方向での連邦制維持を主張している。生きた思想の緊張感が伝わる好著である。【評 山下範久(北海道大学助教授)】
| 在日義勇兵帰還せず―朝鮮戦争秘史 | |
![]() | 金 賛汀 岩波書店 2007-01 売り上げランキング : 32307 おすすめ平均 ![]() 在日コリアンの「ブラザーフッド」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は約半世紀前の冷戦下で起きた朝鮮戦争で、南の国連軍・大韓民国側に兵士として志願した在日コリアン青年642名の、不遇で過酷な運命を掘り起こしたものである。なぜわざわざ兵士に志願したのかと、疑問に思うかもしれない。著者はそれを、日本社会で差別されていることからくる、実態を知らぬ「祖国」への「片思い」の愛国心のゆえと説明している。
しかし彼らを軍要員に受け入れた米軍も、彼らを斡旋(あっせん)した韓国政府駐日代表部も無責任であった。志願兵たちは、その任務・待遇・身分についてのハッキリした取り決めがないまま、派兵されたのである。彼らには、正式の米軍軍人の資格が与えられなかった。
その結果、戦死者の遺族へは何の補償もされず、撤退する米軍とともに日本に帰還した者は、米軍からの給与支払いもなしに放り出される。そして韓国の地で除隊命令を受けた約三分の一の志願兵たちは、日本政府がその再入国を認めず、彼らは家族の住む日本へ帰れなくなってしまったのである。彼らの人生は、米韓日三国の思惑によって利用され翻弄(ほんろう)されたのだった。在日コリアンが国家の狭間(はざま)で生きてきたことを、強く訴えかける物語といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| 父マルコーニ | |
![]() | デーニャ・マルコーニ・パレーシェ 御舩 佳子 東京電機大学出版局 2007-01 売り上げランキング : 3047 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
無線通信への情熱、娘が描く
ケータイひとつあれば、地球上どこにいても誰とでも話ができる現代。通信技術は、すでに魔法とすらいえないほど自然である。とはいえ百年前は?
たしかにイタリア系発明家グリエルモ・マルコーニが一八九四年、弱冠二十歳で編み出した無線通信は一九〇一年には大西洋横断に成功し、一九〇七年には一般向けの電報業務が始まっている。しかし、すべての新発明の例に漏れず、当時はこのハイテクノロジーをまだまだ先行きどうなるかわからぬおとぎばなしと見る向きも多く、有線通信の側からは露骨な批判さえあったというから、まさに隔世の感というべきか。
本書は、一九〇九年のノーベル賞受賞者マルコーニの劇的な生涯を、彼の長女が綴(つづ)った感動的な伝記である。彼女は無数の文書や書簡を読破し、関係者への聞き取りを行い、祖父から自身へ至るマルコーニ家三代記を書き上げた。その筆からは、アメリカ建国の父フランクリンに憧(あこが)れ、発明王エジソンに私淑した主人公が、多くの国家元首から称賛を浴びるいっぽう、一九一二年の豪華客船タイタニック号沈没をきっかけに、人類のため無線通信網のさらなる拡充をはかっていく創意と熱意が力強く伝わってくる。【評 巽孝之(慶応大教授)】
| アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路 | |
![]() | スペンサー・ウェルズ 和泉 裕子 バジリコ 2007-01 売り上げランキング : 516 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
遺伝子からみた人類の歴史
生物としての人類の特徴というと、つい、自意識や言語、発明の才など、脳に重きを置きがちである。しかし、そのほかにも大きな特徴がある。地球上の隅々、さまざまな場所に進出していることと、それにもかかわらず、遺伝的にはきわめて一様だという点である。
えっ、人種の多様さは明らかではないかという声が聞こえてきそうだ。たしかに、人類は多様な環境に適応する過程で、さまざまな人種を生み出してきた。だが遺伝的に見ると、人種間の差はないに等しい。
なぜそうなのか。答(こたえ)は、歴史の新しさにある。人類の共通祖先は、20万年ほど前に東アフリカで誕生した。化石の証拠と、母親の卵子だけを通じて伝わるミトコンドリアの遺伝子がそう語る。いわく、われわれは、20万年前に生きていた、ごく少数の「イブ」に端を発している。
だが、男性だけに伝わるY染色体遺伝子のルーツをたどると、その時間はぐっと縮まり、5万年前に出アフリカを果たし世界に散った少数の「アダム」たちに行き着く。この5万年という時間では、遺伝的多様化が起こるには短すぎたのだ。
遺伝学が解き明かす壮大な物語を真摯(しんし)に語った好著である。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| イタリア12小都市物語 | |
![]() | 小川 煕 里文出版 2007-01 売り上げランキング : 98 おすすめ平均 ![]() 観光ガイドにプラスして読んでみたいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
世界でも都市が最も輝くのはイタリアだ。本書はこの国に惚(ほ)れ込んだ美術史家が40年に及ぶ研究の成果をもとに、都市の魅力を通じてイタリアの文化史の神髄を描く。扱われる要素は多彩だ。絵画、彫刻などの美術に加え、建築、都市空間、演劇、音楽へと自在に広がり、イタリアの街の空気や暮らしの表情をも伝える。
定番のローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノというビッグな都市を避けているのがよい。登場するのは、イタリアらしさを濃密に表現する中北部の12の中小都市だ。人口が最多で26万に過ぎないのに役者揃(ぞろ)いで、文化史に燦然(さんぜん)と輝くのだから凄(すご)い。
本書は、これら12の都市を訪ねると、イタリア文化史の全体が頭に入るという巧みな仕掛けをもつ。古代エトルリアが見え隠れするペルージャに始まり、中世ではモザイクの輝きが美しいビザンティン美術のラヴェンナ、フランスに負けないロマネスクの美術・建築を誇るモーデナ等。次にルネサンスの文化メセナを展開したウルビーノ、マントヴァ、フェッラーラを訪ね、最後は近代を準備したパルマ、ベルガモで締めくくる。
とはいえイタリアだけに、どの都市も古代に起源をもち、歴史が何層にも重なる。中世初期の異民族侵入の激動の後、自治都市(コムーネ)として繁栄した点が登場する都市の共通した特徴で、封建的圧政の続いた南イタリアとは一味違う。この複雑で分かりにくい各都市の中世の歴史が丁寧に紐解(ひもと)かれるのも嬉(うれ)しい。教会の宗教美術の見どころが詳細に語られる一方、世俗権力の象徴、市庁舎や市民広場の壮麗さも描かれる。
そして12都市の過半は、中世都市の富の蓄積の上に、優れた君主を得て、ルネサンスの宮廷文化の輝きを獲得した。都市の繁栄は豊かな田園に支えられたというイタリアの特質も著者は見逃さない。
古代エトルリアの城門を最新型の車が通り抜ける感動を語る著者は、過去と現代が見事に同居するイタリアに惚れている。世界遺産の都市も多いが、どれも今の街として格好よい。著者が説くイタリア都市の美学はそこにある。【評 陣内秀信(法政大学教授)】
| パトリオティズムとナショナリズム―自由を守る祖国愛 | |
![]() | マウリツィオ・ヴィローリ 佐藤 瑠威 佐藤 真喜子 日本経済評論社 2007-01 売り上げランキング : 37389 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「普遍的価値」として称揚に疑問も
美しい祖国を愛しなさい、と為政者に言われるとなんだか胡散(うさん)臭く感じてしまうが、しかしそれを否定すると、自分の国を愛していないのか、と言われて、居心地が悪い。お上の言うナショナリズムと自分たちのクニへの愛は違うんだと、知識人が言いたくなるのは、不思議ではない。
今の日本のことではない。原書は、12年前のイタリアで書かれたものである。
排他的で特定の国の文化的特質に限定されたナショナリズムと、市民的自由という最善の公共利益を愛することを前提とするパトリオティズムとは異なるものだ、というのが本書の主張だ。本来共和政によって担われてきた後者の祖国愛が、近代になってナショナリズムへと変質し、その二つが混同されてきたことを、筆者は問題視する。
筆者が強調するのは、君主制や独裁でもいいから国を愛すべし、とするナショナリズムではなく、共和政下で個人の自由を保障するパトリオティズムこそが謳(うた)われるべきだ、という点だ。そしてそれは、「市民」として不正や差別と闘う、一種普遍的な市民的道徳、公共性に繋(つな)がる。
冒頭の「社会主義者の知識人は、ナショナリズムに対抗できる左派的パトリオティズムを構築する努力を……してこなかった」との指摘が、本書執筆の動機をよく示している。左派はナショナリズム批判のため国際主義を謳ってきたが、それが色あせた今、「国内においても国外でも、自由と正義という理想に献身することを意味する」祖国愛こそが、「国境を越える連帯」たりうる、と主張する。
その動機は、よくわかる。だが本書に通底する西洋性、キリスト教的な「愛」認識に首を傾(かし)げたくなるのは、評者だけか。また、本書がポジティブに位置づけるアメリカの共和政パトリオティズムを、執筆12年後の今、筆者はどう分析するだろうか。
「異国の地で他国民のために闘うとしても、我々はパトリオットであり続けなければならない」という言葉が、イラクとアフガニスタンの国民のために闘ったつもりのアメリカに、皮肉に重なる。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】







全く知らなかった数々の事実






















