メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年2月4日~2月11日
| 下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち | |
![]() | 内田 樹 講談社 2007-01-31 売り上げランキング : 17 おすすめ平均 ![]() 文体には酔うけれども・・・ ヴェーザー川を渡れ 団塊イデオロギーAmazonで詳しく見る by G-Tools |
消費社会にしがみつき、未来から逃走
副題が示す方向へと日本は変わっている。著者は、その変質の理由を、経済原理による社会の均質化だという。日本の将来を絶望させるに足る、恐ろしいほど根源的な洞察だ。
昔の子供は家事を手伝うことで、働く者として家族から認められた。今、日本の子供たちは家事を手伝う必要がない。そのかわり、消費者として自分を確立する。超少子化でこづかいは潤沢なので、幼いころから金を持って買い物をする。4歳の幼児でもコンビニで金と好きな商品を交換できる。金は持つ人の身分を問わない。これが金のフェアさだ。
今の子供はしばしば「これを勉強すると何の役に立つんですか」と聞く。消費者として自分を確立した子供には当然の問いである。消費者にとって、自分がその有用性を理解できない商品は意味をもたないからだ。
だが、「何の役に立つか」と問う人間は、ことの有用無用について自分の価値観が正しいと思っている。勉強によって自分の価値観そのものがゆらぐことを知らない。幼くして全能の消費者となった立場から、今の自分の役に立たないものを退ける。
この態度を、今はやりの自己決定論、自己責任論が後押しする。勉強しなくても、自分で決めてそのリスクの責任を負えばよい。未来の自分に目をつぶり、今の自分の無知にしがみつく。役に立たない勉強をやらなくて何が悪い。こうして学習からの逃走が始まる。
労働からの逃走(ニート)も、日本という異常に均質化された高度消費社会の必然である。ヨーロッパのニートは階層社会で社会的上昇の機会が奪われている。日本のニートはその機会があたえられても、放棄するのだ。
消費社会の原理は等価交換である。労働に見あうと自分が判断する利益が得られれば働く。逆に、安い給料のために働く不快より、親の愚痴に耐えたり、近所の目を気にしたりする程度の不快のほうが軽いと判断すれば働かないのだ。ホリエモンがニート層の支持を集めたのは、最小の労働で最大の利益を得たからだ。AV女優がいくらでも出てくるのは、彼女たちがみだらだとか金に困っているとかいうわけではない。彼女たちには、その仕事はレートの良い交換に見えるのだ。
金による交換は、平等で、透明だ。そこに魅力がある。だが、その交換がスムーズに行われるためには、交換の場を下支えする社会的制度や人間的資質を開発する必要がある。この人間的資質は、教育以前には「何の役に立つか」分からないものだ。教育の場で「何の役に立つか」と問う消費者マインドが、学習からの逃避、労働からの逃避を原理的に支えている。教育者と子供たちが「何の役に立つか」と問いつづけるかぎり、潜在的な人間的資質は開発されず、消費者でしかない子供(将来の大人)が再生産されるばかりだ。
そんな絶望的に見える日本の未来のなかで、著者は余生は大学教師をやめて、武道の道場で地域の子供たちを教えてすごそうと考えている。瞬間的な等価交換ではありえない、悠久たる時間のなかでの変化を感じとる力の回復が、日本の子供再生の鍵になるだろう。【評 中条省平(学習院大学教授・フランス文学)】
| 舟と港のある風景―日本の漁村・あるくみるきく | |
![]() | 森本 孝 農山漁村文化協会 2006-12 売り上げランキング : 2217 おすすめ平均 ![]() 世界の旅もそれはそれAmazonで詳しく見る by G-Tools |
戦前、日本の委任統治領だったサイパン島について取材していたとき、当時の南洋群島の漁業を担っていたのは沖縄の糸満出身者にほかならなかったと知り、驚嘆の溜(た)め息をついたことがある。
糸満漁民は、本書によると、はるかシンガポールやインドネシアにまで赴き、かの地では一年のうち十一カ月を海の上で送っていた。
「潜って耳をたてて魚の泳ぐ音を聞いただけで、だいたい何千斤の魚がいるかわかったものです」
唖然(あぜん)とさせられる証言も、本書には出てくる。これに限らず、魚群を追って移動してきた漁民たちが開いた村は、全国に多いという。漁民とは、つまり狩猟民なのだと、私は改めて思い知らされた。
著者は、近年再評価の著しい民俗学者・宮本常一の直弟子である。宮本の勧めで、一九七〇年代前半から各地の沿岸漁村を巡り始め、八〇年代後半まで詳細な調査を続けた。そこから選び抜かれた記録をまとめた本書は、宮本の名著『忘れられた日本人』の漁民版にたとえられるかもしれない。
一例をあげると、東北・下北半島の漁村の神社で、権現さまの能舞いがある。だが、権現さまは熊野、つまり紀州の神様だ。紀州は古来有数の漁業地。とすると、下北半島は漁民を通じて、遠く紀州とつながりがあったのではないか。こんなふうに小さな糸口から、著者は推理の羽を広げてゆく。著者と共に、こうした発見を重ねる喜びが、随所にある。
しかし、人々が風土に寄り添いながら、暮らしの知恵をつむいできた木目細やかな日常は、高度成長下の「便利さ」という巨大な潮流に押し流されてしまった。その寸前の日々を、タイムリミットぎりぎりのところで、著者は哀惜をこめて記録したのである。
沖縄・石垣島の海辺で、鮮やかな落陽に染め抜かれつつ、漁から無事に帰ってきた男たちを出迎える女たちの姿が「忘れられない」と著者は書く。その筆致からは、画家ミレーの「晩鐘」を前にしたときのような、静かな祈りの、声なき声が聞こえてくる。【評 野村進(ジャーナリスト)】
| 喪男の哲学史 | |
![]() | 本田 透 講談社 2006-12-20 売り上げランキング : 364 おすすめ平均 ![]() よくできた本です 恐るべし、本田透! 未だ哲学の圏域に留まるのが玉に瑕だが… 第一章だけで元が取れるAmazonで詳しく見る by G-Tools |
喪男(モダン)の哲学史
なんなんだ、この本。真剣なのか冗談なのか、ちゃんとした哲学入門書なのか、近代の恋愛至上主義を憎悪する著者の妄想なのか、さっぱりわからない。だいたい「モテないオタク男」を「喪男(モダン)」と呼べと言われ、「喪男が人生や現実を考える、それが哲学なのだ」と言われても、「はい、そうですか」というわけにはいかない。しかも、その思い込みひとつですべての哲学の歴史を語り尽くそうというのだから、空恐ろしい。「マルクスの哲学もまた、喪男のルサンチマンから生まれています。ですから多くの喪男に支持されたのです」などと言われたら、革命家はみんな泣いちゃうんじゃないか。
でも、この著者の暴走は一度、始まったら止まらない。おかまいなしにゲームやアニメなどの固有名詞を乱発しながら、ブッダにキリスト、ギリシア哲学からドイツ思想、精神分析にポストモダンまでが一気に語られる。「ユダヤ教の神が『巨人の星』の星一徹なら、イエスの神はKeyのPCゲーム『Kanon』の月宮あゆぐらい違います」といったオタク用語乱発の解説に辟易(へきえき)しながらもついページをめくり続けるうちに、「西洋哲学史とは三次元(現実)対二次元(精神)の対立の歴史」という著者の主張がなんだか説得力あるものに見えてくるから不思議だ。「ルサンチマンには善の心(萌(も)え)と悪の心(鬼畜)の両面があるので、我々はその善の心だけを三次元に適用し、悪の心は二次元に留めておかなければならない」といった主張にも、ついうなずいてしまったり。
それにしても、ニーチェにもガンダムにも等しく興味があり、本書の議論について行ける“喪男な読者”が、日本全国でいったい何人くらいいるのだろう。著者も今の日本は「悪夢のような恋愛資本主義社会」になっている、と言っているくらいだから、真の喪男は数百人なのでは。でも、本書で哲学や思想の世界への目が開かれる若い読者は、確実にいそう。ベストセラー『ソフィーの世界』と表裏一体をなすような本だ。どちらが表かは、あえて言わないけれど。【評 香山リカ(精神科医)】
ダナエ
藤原 伊織 (著)
語りは落ち着いているものの、いきなり冒頭からショッキングな事件が語られる。
銀座の個展に出品された肖像画がナイフで傷つけられ、硫酸をかけられたのだ。しかし画家の宇佐美は人事(ひとごと)のような感じを受け、さらに事件を愉(たの)しんでいる自分に気付く。財界の大物である義父を描いた絵は、世界的な評価をうけている宇佐美の唯一の肖像画として珍重されていたが、怒りは湧(わ)いてこなかった。だが、犯人から電話があり、さらなる攻撃を予告されて、事件の背景を探りはじめる……。
『テロリストのパラソル』『ひまわりの祝祭』の藤原伊織のヒーローだから冷静である。斜に構えて、自分の置かれた状況を皮肉に眺めている。しかも“わが思惟するものは何ぞや/すでに人生の虚妄に疲れて/今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。/我れは何物をも喪失せず/また一切を失ひ尽せり。”という萩原朔太郎の詩を愛誦(あいしょう)しているから、ますます韜晦(とうかい)じみて屈折した肖像を見せる。
だが、近年の『てのひらの闇』『シリウスの道』といった藤原の傑作がそうであるように、ここでもヒーローの過去の因縁がゆくりなくあらわれ、宇佐美と義父の秘められた思いが前景へと迫(せ)り出してきて、読者の心を激しく揺さぶることになる。熱きドラマが展開するのだ。
藤原作品はとかくプロットが後半で停滞し、説明に汲々(きゅうきゅう)とすることが多いが、「ダナエ」にはそれがない。実になめらかに一気に物語が運ばれていく。静かな語りからやがてエモーショナルな語りへ、乾いて醒(さ)めた世界から艶(つや)やかで熱い情念の世界へと劇的に移行していくのだ。その終盤で熱を帯びる抒情(じょじょう)の何という豊かさ! 朔太郎が別れた妻の言葉を思い出すたびに“切々たる哀傷”と“人生孤独の無情感”を覚えたというが、ここにもそれらが強く掬(すく)いあげられている。藤原文学を代表する傑作中篇(ちゅうへん)だろう。
本書にはほかに、作者が長年携わった広告業界が舞台の「まぼろしの虹」「水母」の二篇が収録されている。いずれも人生の悲哀と憂愁を、苦いユーモアにくるんだ佳作だ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 環境の歴史―ヨーロッパ、原初から現代まで | |
![]() | ロベール・ドロール フランソワ・ワルテール みすず書房 2007-01 売り上げランキング : 3666 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書の書名はとても象徴的である。なぜなら人類史や自然史はあっても、環境史など、本来ならばありえない概念のはずだからである。しかし人類は、自然の社会的用途を定義する形で「環境」を発見し認識してきた。したがって「環境の歴史」を語ることは自然と人間社会との絶えざる相互作用の歴史を語ることにほかならない(ただし本書で語られるのは主に「ヨーロッパの環境史」ではある)。
西洋においては、人間は自然を支配すべく創造されたとするキリスト教思想の影響が強い。古代社会では自然に服従するしかなかったが、近代社会はそのため、自然を手なずけ改変する方向で動いてきた。
しかし、東洋思想の基本はあくまでも自然順応型であるなどという安易なナショナリズムや昔はよかった式のノスタルジーに陥るべきではない。なぜならわれわれは今、地球規模の温暖化の危機に見舞われているからだ。
主要な環境問題と社会との相互作用、自然現象に対する認識の歴史的変遷、その時々の科学的解釈などを展望した本書は、歴史的知識を武器に今こそ政治的行動を起こすべきだというメッセージを含んだ刺激的な歴史書である。【渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 東京初台演劇夜話 | |
![]() | 大笹 吉雄 新水社 2006-12 売り上げランキング : 35207 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
東京の初台に新国立劇場ができて十年、その公演パンフレットに連載した「レパートリーを読む」を一冊にまとめたもの。
柿(こけら)落としの井上ひさし「紙屋町さくらホテル」では、登場人物の丸山定夫にちなんで築地小劇場の創立を、「リア王」ではシェイクスピアの四大悲劇の初演を、宮本研の「美しきものの伝説」では大正時代の民衆芸術を、森本薫の「怒濤(どとう)」では評伝劇の系譜をたどる。
また、秋元松代ほかの女性劇作家や、渡辺浩子ほかの女性演出家、地域語による戯曲など、上演作がいかに他者と深くかかわっているか、『日本現代演劇史』を書き継ぐ著者ならではの緻密(ちみつ)な考証が展開する。
野田秀樹の夢の遊眠社と市川猿之助の早替わり歌舞伎との共通性は、一九八〇年代のアイデンティティーの空虚化だという鋭い指摘や、終生のライバル村山知義と久保栄が旧制一高のクラスメイトだったという挿話もある。
チェーホフ没後百年で騒ぐ一方、新劇の本質を論じた岸田国士は没後五十年なのに追悼されない。六〇年代以降の小劇場運動が新劇を革新したという俗説を一蹴(いっしゅう)し、新劇とは新と劇との関係を探りながら進む演劇なのだと説く著者の情熱が紙背から伝わる好著。【杉山正樹(文芸評論家)】
| アメリカの眩暈―フランス人哲学者が歩いた合衆国の光と陰 | |
![]() | ベルナール=アンリ レヴィ Barnard‐Henri L´evy 宇京 頼三 早川書房 2006-12 売り上げランキング : 4192 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アメリカの眩暈(めまい)
著者は、新哲学派の旗手として名を馳(は)せたフランス思想界の寵児(ちょうじ)である。毀誉褒貶(きよほうへん)は激しいが、反マルクス主義的自由主義者として、その言行にスジはある。
本書はその著者が、さる雑誌の企画で、一年間アメリカを旅して書いた哲学紀行エッセーである。全編さながらアメリカ社会を映す知的万華鏡といった趣で、シャロン・ストーンのブッシュ批判を聞き、フランシス・フクヤマと議論を交わし、バラク・オバマの強い印象を書き記す。他方で、「ピューリタンな」売春宿、「オープンな」米国海軍潜水艦ツアー、「世俗的な」メガ・チャーチと、ヨーロッパ人の紋切り型的なアメリカ像を絶妙にずらしながら、アメリカ社会の深部に知のメスを入れる。そのメスが最も深く入るのは、グアンタナモを含むいくつもの監獄の観察である。
圧巻はエピローグ。著者は「アメリカとは……巨大なアメリカ人生産機械」でしかないと喝破しつつ、「帝国」としてアメリカを批判することの不毛を説く。そのようなかたちでアメリカを単純に批判できると考えることのほうにこそ、彼が批判してやまない全体主義の腐臭がするからである。【山下範久(北海道大学助教授)】
| 働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち | |
![]() | トム ルッツ Tom Lutz 小澤 英実 青土社 2006-12 売り上げランキング : 5879 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
罪悪感と喜びの複雑な捻れ
怠け者とは何もしない人ではない。自分の好きなことは喜んでする。著者の息子が朝から晩までカウチ(寝いす)で寝ころんでいたのも、けっして怠けていたわけではない。したいことを、していただけだ。
しかし、その行為は「資本主義の精神」の象徴であるベンジャミン・フランクリンが唱えた「時は金なり」の働く倫理に反していた。だから著者も最初は息子に怒りを覚えたはずだ。これに対し「怠惰の唱道者」サミュエル・ジョンソンは、「すべての人間は、怠け者だ」と言って、働かない倫理を支持した。
著者によればこの相反する倫理は対立せずに「複雑に捻(ねじ)れた認識」として共存している。実際、「自分が怠けているとき」は罪悪感と同時に喜びを覚える一方で、「他人が怠けているとき」には、嫉妬(しっと)とともに「怒りの感情が引き起こされる」からだ。つまり人間は働き者と怠け者に分類されるのではなく、両方の要素を備えているのだ。冒頭の息子も、著者が本書を脱稿する頃には「一日十四時間も働く」ようになっていたという。
本書はいわゆる「怠け者」の歴史ではない。時々の働く倫理に「必死」で抵抗したが故に、怠け者と呼ばれた人たちの歴史である。【高橋伸彰(立命館大教授)】
| 白い黒人 | |
![]() | ネラ ラーセン Nella Larsen 植野 達郎 春風社 2006-12 売り上げランキング : 6885 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「白い黒人」と聞けば、アメリカ文学の愛読者なら、かつて一九五七年にノーマン・メイラーが、かのビート世代の作家(ヒップスター)たちに対し、「ホワイト・ニグロ」なる呼称を献(ささ)げていたことを、たちまち思い出すだろう。それは、ジャズやブルースを貫く黒人の魂に啓発され、中産階級と決別しようとする白人系前衛芸術家の一団を指した。あるいは、十八世紀以来、白人がメークして黒人の役柄を演じた「ブラック・フェイス」を連想する向きもあるだろうか。
だが黒人女性作家ラーセンの本書が発表されたのは一九二九年、ハーレム・ルネサンスの渦中であり、原題も「パッシング」(Passing)だ。そこでは、混血の果てに肌の色が薄くなり、「白人としてまかりとおる」(passing for white)ようになった黒人女性たちそれぞれの運命が物語られている。
舞台は一九二七年。ニューヨークで幸福な家庭生活を送るアイリーン・レッドフィールドが、実家のあるシカゴに帰郷し、ドレイトン・ホテルのラウンジで、幼なじみの旧友クレア・ケンドリと劇的な再会を遂げるところから、すべては始まる。
両者はともに、白人とみまごう肌の色の持ち主だが、アイリーンが黒人としての民族的出自をたえず意識するいっぽう、クレアはといえばあっさり民族を捨て自己中心的な利益を優先させ、夫のジョン・ベルーにすら自分に黒人の血が入っていることは告げていない。だからクレアの家のパーティーに招かれたアイリーンは、黒人嫌いのジョンの言動に、はらわたが煮えくりかえる思いをする。
以後、彼女はクレアとの同性愛的ロマンスを発展させていくが、やがて、自分の夫ブライアンがクレアとのあいだに不義を結んでいることに気づいてからというもの、物語は思わぬ悲劇をもたらす。
問題は人種や性差ばかりではない。黒人女性が何よりも社会階級をいかに手に入れ、いかに失うものか――この皮肉な構図をめぐるラーセンの思索は、今日、ますますその意義を増している。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 世界屠畜紀行 | |
![]() | 内沢 旬子 解放出版社 2007-01 売り上げランキング : 60 おすすめ平均 ![]() 良い本です。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
イラストルポライター、内澤旬子の単著第二作は世界の屠畜場(とちくじょう)めぐりである。まず企画主旨(しゅし)に意表を突かれた。日本で屠畜を語ると、仏教の殺生戒や穢(けが)れの感覚にいきあたる。だが都会に生まれ育った著者は何も知らなかった。ならば当事者のような顔をして被差別の歴史を語るよりは、屠畜がどんなに興味深い仕事かを視覚的にも知ってもらいたい。撮影禁止の場所も多い中、イラストルポという手法が断然強みとなった。家畜の絶命方法から解体の手順までを、端正な線画とにおいが漂ってきそうなほど活(い)き活(い)きとした文章で伝えている。
本書が成功した理由はさらに三つある。一つは、屠畜を特定の人々に押しつけ屠畜場に閉じこめてきた国と、生きるための自然の営みと考えてきた国の双方を紹介して、意識の相違を対比させたこと。インドでは今も差別発言が聞こえるが、モンゴルでは屠畜できる人が敬われ、エジプトのように「神様がくれた仕事」と屠畜を誇りにする国もある。文化背景を知らずに動物がかわいそうと批判する動物愛護団体の主張が、いかに的はずれかが浮きぼりになる。
二つ目は、芝浦屠場から墨田区の革鞣(なめ)しまで、身近な肉の一生を五章も費やして詳述したこと。職人技の数々も、女性や若者の声もどれも興味深く、BSE検査や肉の履歴を知るトレーサビリティがどれほど煩雑な手順で行われるかも明解だ。家畜を殺すのは最初の一瞬にすぎず、その後の作業のほうがずっと複雑で高度。屠畜への忌避感は宗教的な理由より、都市化によって生産の現場が外から見えなくなったことが原因ではないか、という仏教学者・金岡秀郎氏の言葉は説得力をもつ。
本書をおもしろくした三つ目の理由はなんといっても、猛禽(もうきん)飛び交うゴミ山に踏み入ることも厭(いと)わぬ著者の行動力だ。エジプトの大家族の女性が羊の解体を見守りながら語った言葉は、著者の思いと重なり合う。
「そう、この場面を子どもたちに見せるのは大事なことなの。私たちは動物を犠牲にして生きているということを忘れがちだから」【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 男性史〈1〉男たちの近代 | |
![]() | 阿部 恒久 天野 正子 大日方 純夫 日本経済評論社 2006-12 売り上げランキング : 5007 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 男性史〈2〉モダニズムから総力戦へ | |
![]() | 阿部 恒久 天野 正子 大日方 純夫 日本経済評論社 2006-12 売り上げランキング : 10503 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 男性史〈3〉「男らしさ」の現代史 | |
![]() | 阿部 恒久 天野 正子 大日方 純夫 日本経済評論社 2006-12 売り上げランキング : 14118 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
近現代日本の「男」たちを問い返す
「男性史」とは、それ自体が刺激的なタイトルだ。でも本書は、男性とは社会的に作られたものだという視点に立って、男性であることを近現代日本史の中で問い返そうという、きわめて真面目(まじめ)な本なのである。ただ「男性史」には、問題意識先行の印象もあり、「男らしさ」の歴史を除けば、実際にどこまで展開できるのかは未知数であった。そんな中で15人の歴史家と6人の社会学者が、日本近現代の「男性史」の通史を初めて書いたのである。
日本の戦前期に、「男らしさ」のステレオタイプを形成しその大きな発信源となったのは、男性だけからなる戦闘集団である日本の軍隊であった。本書では過半数の論文が軍隊や兵士を取り上げているが、それもうなずけることだ。戦後の時代でも、「今は徴兵制がなくなったので、若い男がシャキッとしない」というのが、しばしば理髪店などで聞かれるオジさんたちの「世論」であった。そして比喩(ひゆ)的に「企業戦士」という言葉が使われたように、戦前の軍隊秩序はその後も男性社会の秩序のモデルとされたのである。
ただし著者たちによれば、近現代日本の男性像のモデルは、かなり多様なものであった。「軍人」に代表される「強い」男性像が影響力を持ったのは確かだが、メディアの上では「軟弱」なモダン・ボーイや小市民が取り上げられることも例外ではなかった。その状況は、戦後にはさらに拡大したと思える。
著者たちは、「男性であること」のモデルがいかに形成され、人々を縛ったかを描いただけではない。さまざまな男性の生活史を、発掘しているのが特徴である。このことは本書を幅広いものにした。しかし実態に力点を置くことで、「男性論」として迫ってくる衝撃力は弱くなったようにも見える。
なお本書では、体力、学歴、資産などの基準によって、男性たちがどのように選別されて生きることになったのかが、丁寧に追跡されている。そして選別の結果、男性たちの間にも男性であることの負担を強く感ぜざるをえない層が生まれることになる。その葛藤(かっとう)も「男性史」の一つのテーマであった。
また本書では半数に近い論文が、男女関係を取り扱っている。そこでは買春を含めて女性差別を批判した男性たちの動きが、明治初年から系統的に取り上げられている。そして明治末の知識人からは、権威主義的ではない家庭を作ろうとする試みも生じてくる。しかしそんな家庭も性別役割分業の上に立つ限り、家庭の中に男性の影は薄くなる。夫婦間で生活上の共感が持ちにくく、絶えずスレ違いが起きる構造が生まれるのである。でもその種の家庭からの脱却は、今日でも困難なのである。
そして最後には、現代日本は男性優位社会であっても、男性に一家を支える経済力ばかりが期待されており、そこでは本当に「男らしさ」が求められているのかという、疑問さえ出されている。近現代日本で男性として生きることはどんなことだったのかを考えさせる、問題提起の書といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)】
| 唐十郎の劇世界 | |
![]() | 扇田 昭彦 右文書院 2007-01 売り上げランキング : 12171 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「状況劇場」「唐組」を率いて現代演劇を大きく変えた作家・演出家、唐十郎の歩みを一望する本。著者は唐と同年の演劇評論家で、唐の新進のころから三十数年にわたる交流がある。この間、雑誌や新聞に掲載してきた評文などを、編年式を基本にまとめた。特に演劇の革新が時代の変動と強く呼応していた60年代末~70年代に関する記述は、伝説的な新宿でのゲリラ興行の実施など、興奮を内包し、精彩に富む。ちなみに劇団名の「状況」はサルトルへの傾倒からだったそうだ。
| 社会科学原論講義 | |
![]() | 田村 正勝 早稲田大学出版部 2007-01 売り上げランキング : 6994 おすすめ平均 ![]() 社会科学とは何かがわかるAmazonで詳しく見る by G-Tools |
政治学、経済学、法学など社会科学の諸分野を総合的に理論化し、社会科学を現実に有用な学問に導こうとする大胆な試み。著者は、国家主義的経済学者・難波田春夫の弟子筋にあたる。講義には手ぶらで現れ、メモを全く見ずに、諸理論をわかりやすく説く姿が印象的。古代=政治、中世=宗教、近代=経済という具合に、各時代の主要素を掲げ、諸学を大ぐくりに概説する。哲学、神学も考察。スミスやマルクスの理論も、簡潔な説明で頭に入りやすい。
| 現代ベトナムの政治と外交―国際社会参入への道 | |
![]() | 中野 亜里 暁印書館 2006-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
党大会を今秋に控えた中国で、ベトナムの政治改革が話題になっている。党のトップである書記長まで、複数候補が争う選挙で選ぶことなどが称賛されているのだ。日本では投資先として注目されているが、さあ、ベトナム戦争後のベトナムについて私たちは何を知っているだろう?
本書は、一次資料の丁寧な読み込みに基づき、抗米戦争勝利後のベトナム外交の展開を詳細に分析した労作だ。その一つの焦点は、カンボジア進攻により国際的孤立に陥ったベトナムが、八〇年代半ばにドイモイ(刷新)へ路線転換して全方位外交を展開する経緯に置かれている。
一九七八年、東南アジアの革命の旗手を自任するベトナムはポル・ポト政権のカンボジアに進攻した。他方、南部の強制的社会主義化は数十万人にも上るボートピープルを生んだ。ベトナムは、西側や中国のみならず東南アジア諸国の強い反発を受けたのだが、著者によればこれは抗米戦争期の世界の人民の支持を過信し、国際社会での自分の位置を見誤った結果であった。
国際的孤立と国民経済の破綻(はたん)を受け、八〇年代にベトナム指導部はドイモイ路線へ転換して市場経済化を進めた。それに続き、相互依存の時代には政治体制を超えたグローバルな利益が存在するとの新たな認識の下、米中を含め「すべての国と友人になる」新思考外交に乗り出した。そして冷戦後は、地域の一員たるアイデンティティを強めた。
こうした著者の結論には説得力がある。ただ、著者が禁欲的に主として公開資料に依拠した結果、改革開放とドイモイの関連など、ベトナムの政策決定における中国の影響がやや過小評価された印象もある。
いずれにせよ、リージョナルな共通利益が拡大し、東アジア共同体が構想される現在では、東北アジアと東南アジアを総合的に捉(とら)える努力が必要だろう。その上で鍵となる中国と、東南アジアとを結ぶ要に位置するのがベトナムだ。社会主義の行方、そして地域秩序の発展の方向性を見通す上でも、ベトナムと越中関係の動向に要注目である。【評 高原明生(東京大学教授)】
| 植物診断室 | |
![]() | 星野 智幸 文藝春秋 2007-01 売り上げランキング : 376 おすすめ平均 ![]() 星野作品の中ではレベルは高くないAmazonで詳しく見る by G-Tools |
主人公は「結婚できない男」(覚えていますか昨年のテレビドラマ)みたいな独身貴族の40男だ。中堅の商事会社に勤め、横浜のタワーマンションの21階に住み、趣味はベランダ園芸の上を行くジャングリング(茂るに任せたジャングル状態の緑)と、散歩の上を行く徘徊(はいかい)。人づきあいは苦手というより拒絶するタイプだが、しかし、そんな水鳥寛樹は、なぜか子どもにだけはモテるのだ。3歳の姪(めい)っ子は会えば彼にまとわりついて離れず、母には「あんたも子どもには好かれるのにねえ」と嫌味(いやみ)をいわれ……。
さて、ある日のこと、彼は妹夫妻に頼まれて、とある女性との間で変わった契約を結ぶ。夫の暴力が原因で離婚した彼女・山葉幹子は中学校の教師だが、別れたとはいえ月に一度は会う元夫の影響が幼い息子に及ぶのをおそれ、「まったく違うタイプの男性と触れさせたい」と考えて、その相手に水鳥を選んだのである。そしてはじまる、独身男と、5歳の兄と0歳の妹のいる母子家庭の交流。
凡百の小説だと、ここで独身の彼と子持ちの彼女の間に恋愛感情が芽生え……という陳腐な展開になるのだが、フッフッフ、玄人受けする作品を10年近く書いてきた星野智幸がそんな安易な方向に流れると思います?
『植物診断室』という表題は主人公が通う催眠療法のようなセラピーを指す。「地上に上がったあなたは、地下で根茎を伸ばしていきます」なぞと診断師が囁(ささや)く、怪しげな診断室ではあるのだが、スギナやススキから童謡の「お山の杉の子」まで、小説には植物のイメージがあふれる。
父性ないしは男性性の解体というテーマがここには含まれていると見るべきだろう。この父性は国家レベルの父性も含む。動物的で攻撃的な旧来の男性像に対し、父でも夫でもない男性像を模索する水鳥くん。「こういう人ってステキかも!」と感じる女性は意外に多いと思うなあー。
ところで、この小説は今期芥川賞落選作なのだった。これに賞を出さなかった文学業界にも、植物診断室でのセラピーが必要かもしれない。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
| 成長信仰の桎梏 消費重視のマクロ経済学 | |
![]() | 斎藤 誠 勁草書房 2006-12-08 売り上げランキング : 1243 おすすめ平均 ![]() 真っ当なマクロ経済学のエッセイAmazonで詳しく見る by G-Tools |
市場主義から説いた小泉改革の罠
「改革なくして成長なし」。5年半に及んだ小泉政権の宣伝文句である。確かに、成長率の推移をみれば01年度のマイナス0・8%を底にして、03年度以降は2・1%、2・0%、2・4%と回復している。しかし、成長のためにGDP(国内総生産)を拡大しても、それによって経済厚生(経済的な尺度で測られる国民の幸福度)が高まる保証はないと著者はいう。「経済厚生の究極的な源泉」が「消費行為から得られる幸せの度合い」にあるなら、いかにGDPを増やすかよりも、いかに「高水準で安定した消費を享受」できるかのほうが政策目標としては重要だからだ。
実際、消費は増えなくても、金利を下げて設備投資を刺激し、円安誘導で輸出を促進すればGDPは拡大する。しかし、投資の収益率が低く、さらなる円安で輸入価格が上昇すれば、将来の消費機会が縮小するだけではなく、国民の生涯にわたる消費支出は収入を下回り、その差額は財政赤字の穴埋めとして政府に没収される恐れがある。
この恐れは杞憂(きゆう)でなく着実に進行しているというのが、「マクロ経済学のロジックを一つずつ積み重ね」て得られた本書の診断である。診断の論拠は政府の根強い「成長信仰」と、それを政策面で支える日銀の異常な金融緩和だ。失われた10年の主因を設備投資の生産性低下に求める著者は、過剰な資本が整理され投資の生産性が回復するまでの間は、貯蓄を控えて消費を楽しむほうが国民の経済厚生は高まるという。
その意味で、行政改革には熱心でも財政赤字の累増を放置し、金融にもルーズだった小泉政権は「成長信仰」の罠(わな)に嵌(はま)っていたと言える。加えて、企業と銀行の既得権益を守りながら、国民の経済厚生を切り捨てた改革は消費者主権の「市場原理」にも反していた。民間にできることは民間にと言いながら、民(たみ)のための改革ではなかったのだ。市場主義の観点から、小泉改革も含め日本の経済政策を一刀両断にした本書は、易しくはないが、読むと楽しいマクロ経済学の啓蒙(けいもう)書である。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| 報道被害 | |
![]() | 梓澤 和幸 岩波書店 2007-01 売り上げランキング : 23320 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
人間として一番辛(つら)いことは、事実ではないことで名誉を損なわれ、それまで築いてきた生活や人間関係を失い、ひいては「自分とは何か」というアイデンティティーさえ揺らぐことだ。マスメディアの誤報は、平穏に暮らしてきた人々を、一瞬にしてそうした境地に陥れる凶器となる。
一方ではまた、被害者や関係者に対する集中豪雨のような取材攻勢によって、そのプライバシーが著しく侵害されることもある。
本書はこうした「報道被害」の事例を紹介しながら、報道被害をもたらす原因と再発防止のための提言を具体的に示している。
まず、報道被害者の精神的、経済的負担を軽減するための救済制度づくりと、それを支える報道評議会の設立。加えて起訴されるまでの事件報道匿名化と警察情報の公開。さらにメディア経営陣や編集幹部のあり方にメスを入れ、メディア内部に人権思想を浸透させることが必要だという。
マスメディアが「第四の権力」と言われて久しい。その権力が市民の権利と自由、そして名誉を順守するために行使されない限り、表現の自由と報道被害の相克は続くであろう。メディア規制が横行しないためにも、関係者に一読を勧めたい。【小林良彰(慶応大教授)】
| 随筆集 夕波帖 | |
![]() | 小川 国夫 幻戯書房 2006-11 売り上げランキング : 1468 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
三十数年前に短篇(たんぺん)集『生のさ中に』『悠蔵が残したこと』に出合って以来、小川国夫を読み返している。言葉はざっくりと切り落とされているのに、世界の表情はつややかで陰影があり、単純化された物語はときに神話的な響きをもつ。いったいどうしたらそのような表現と物語を生み出すことができるのか。それは本書を読めばわかる。
文学への基本姿勢「耳を澄ます」、文章論に大きな影響を受けた「志賀直哉の教え」、芥川龍之介と梶井基次郎の決定的な違い「エトナのエンペドクレス」、梶井の“新しい”魅力にふれる「梶井基次郎再読」、悲劇と喜劇が共存する物語の宝庫=聖書「ヒューマン・バイブル」、自作を解説する「書きたい、見たい、聞きたい」、「川端康成文学賞の選評から」などでさらりと小川文学の核心が述べられているからだ。
そのほかに文人たち(本多秋五、藤枝静男、前登志夫)との交流、身辺雑記、若き日の欧州旅行の回顧が生き生きと時にユーモラスに語られていて愉(たの)しい。
今年八十歳を迎える小川国夫。洒脱(しゃだつ)な語り口のエッセイとはいえ、小川文学の特異さと偉大さにあらためて思い至る好著。また短篇集を読み返さなくては。【池上冬樹(文芸評論家)】
| ディープ・ブルー―虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録 アメリカの児童保護ソーシャルワーク | |
![]() | 粟津 美穂 太郎次郎社エディタス 2006-12 売り上げランキング : 1452 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
児童福祉に関して、米国のシステムは日本よりはるかに進んでいるといわれるが実態はどうか。本書は、虐待を受けた子供たちに向き合ってきたカリフォルニア州在住の日本人ソーシャルワーカーが、実体験をもとに現状と問題点を綴(つづ)った壮絶なリポートである。
著者が勤めるのは、24時間態勢で子供を受け入れるシェルターをもつ施設。麻薬中毒の親に虐待されて発達障害になった少女や性的虐待を受けた双子姉妹らの事例をもとに、セラピストや精神科医、ソーシャルワーカーらがどんな治療計画を立て、司法がどう介在し、実の親の更生がいかに連携されていく(連携されない)かが報告される。
心痛むのは、虐待の記憶が子供のその後の成長に与える影響だ。手を差し伸べた大人をも裏切って家を追い出され、「なんで、あたしのすること、ぜんぶこうなっちゃうの?」と涙する少女に答えられる大人はいない。子供たちの悲鳴は、世界で一番強いはずの国の未来への警鐘でもある。
子供にとって大切なのは「特定の大人との濃密で安定した永続的な関(かか)わり」という。著者はその体現者であり、地域ぐるみのケアシステムは明日にも参考になるだろう。【最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 都市プランナー田村明の闘い―横浜“市民の政府”をめざして | |
![]() | 田村 明 学芸出版社 2006-12 売り上げランキング : 8814 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
自治体の「まちづくり」のチャンピオンと言えば、誰もが横浜を挙げるだろう。
その最大の立役者は、革新市長、飛鳥田一雄の下で大活躍した辣腕(らつわん)の都市プランナー、田村明だった。40年近く前、横浜市に招かれ、まちづくりの現場で闘い続けた軌跡を自ら振り返った本書は、迫力に満ちている。
すべてが初めて尽くしだった。従来の中央官庁の顔色ばかりを窺(うかが)い、全国一律の法律、制度に従うだけの無策の都市行政を見事に反転させたのだ。「市民の政府」をめざす闘いだった。
官製の都市計画ではなく、ソフトも含めた柔軟で市民的なまちづくりの可能性を横浜が示してくれたのだ。横浜らしい戦略プロジェクトを次々に構想した田村は、権威主義の中央官庁や開発利益を求める企業と真っ向から闘い、柔軟な知恵と巧みな技で多くの成果を勝ち得た。抜群の記憶力により実名入りで再現される歴史のドラマの数々は、ノンフィクション作品を読む醍醐味(だいごみ)をも感じさせる。
みなとみらい、元町商店街等、人気の場を実現する一方、横浜市は乱開発から緑を守り、都市農業を創設し、環境保全でも常に先進的だったのがよくわかる。
地方自治とまちづくりを考えるための必読書だ。【陣内秀信(法政大教授)】
| 『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷 | |
![]() | 藤永 茂 三交社 2006-12 売り上げランキング : 244 おすすめ平均 ![]() アマチュアリズムの真価!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
自らの邪悪を他者に投影した西欧人
冒頭からスリリングだ。コッポラの名画「地獄の黙示録」から、ベトナムの密林にカーツ大佐が出現するおどろおどろしさを再現し、その原作のコンラッド『闇の奥』から、主人公が狂気に絡め取られていく姿を引用する。これだけでも読者を捉(とら)えて放さないが、映画の一シーン、「ベトコンが子供たちの腕を切り落とした」との挿話に著者は着目し、『闇の奥』批判と、背景にあるベルギーの対コンゴ植民地政策批判を展開する。その迫力に、読んでいてぐいぐい引き込まれる。
アフリカの大国、コンゴ王国がヨーロッパの小国ベルギーの植民地となったこと、しかもベルギー国王レオポルド二世の私有地だったのはなぜか、の解明から始めて、植民地期西欧の、対アフリカ政策と認識を鋭く批判する。著者は、当時の西欧知識人の「アフリカ大陸にひしめく黒人たちは『人間』ではあるが……断じて自分たちと同類ではない」(ハンナ・アーレント!)という認識を指摘し、コンゴでの黒人に対する白人の残虐行為を糾弾したコンラッドもまた、その偏見を免れるものではない、と論ずる。30歳代半ばで初代首相となったルムンバの、独立演説の清々(すがすが)しさに対して、ベルギー国王の植民地経験への無自覚さが何と対照的なことか。
そこには、キプリングの詩に象徴されるように、「乱れさざめく野蛮な民どもの世話をする」ことを「白人の責務」と捉える、西欧のアジア、アフリカに対する優越意識が底流にある。アフリカを、人間を狂気と地獄に引きずり込む暗黒とみなす西欧の認識は、「原始の邪悪と西欧人の内心の邪悪」、すなわち西欧世界の闇自体を、アフリカに投影して見ることでしかない。サイードの「オリエンタリズム」論に、通底する視点だ。
著者の経歴が、面白い。カナダで教鞭(きょうべん)を執っていた分子物理学の第一人者が、「白人」の非西欧への差別を、西欧文学に追う。『闇の奥』を翻訳したのも著者だ。専門とする研究分野と別に、追わずに居られぬテーマを抱え続ける。知に対する真摯(しんし)な姿勢に、学ぶところは大きい。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】
| 天皇たちの孤独―玉座から見た王朝時代 | |
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新しい視点から見た平安政治史
藤原道長の「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」という歌は有名だ。道長は娘三人を一条・三条・後一条という三代の天皇の正妃に宛(あ)て、「一家三后」と称される権勢の絶頂に立っていた。
お取り巻きの公卿(くぎょう)がみなこの歌に唱和する中で、婉曲(えんきょく)にそれを辞退した反骨の男が藤原実資(さねすけ)である。権力闘争の局外でクールな視線を保った人物だ。九十歳まで長生きして、藤原摂関時代の宮廷生活を丹念に記録した日記『小右記(しょうゆうき)』を書き残している。
本書の狙いは、『小右記』に登場する円融・花山・一条・三条と続く天皇四代の記事を読み起こして、それぞれに個性的な「ぼやきの数々」に耳を傾け、「心の中の真実」を聞き取ることにある。
玉座は孤独な椅子(いす)だった。
瀕死(ひんし)の円融天皇は、誰にも病床を見舞われなかった。花山天皇は奇計にひっかかって出家させられた。一条天皇は正餐(せいさん)で食事の給仕をしてもらえなかった。三条天皇は三十六歳まで天皇になれず、「老(ふる)東宮」と軽んじられた。
摂関政治は、藤原北家の嫡流が娘を入内(じゅだい)させ、天皇の外戚(がいせき)・外祖父として権力を独占し、一族を繁栄させた。公卿たちは天皇よりも兼家や道長への奉仕を優先する。
天皇の即位年齢と在位期間を見れば、《天皇》がいかに政治のカードにされていたかは明白だ。円融は十一~二十六歳、花山は十七~十九歳。道長が後見役だった一条は七歳の幼年で即位し、三十二歳まで在位。例外的に三十六歳で即位した三条も四十一歳で退位。道長の外孫である後一条までのツナギであった。
寿命も短かった。円融三十三歳、花山四十一歳、一条三十二歳、三条四十二歳。「王朝時代、長生きした天皇はいません」と語る著者の眼差(まなざ)しは、摂関政治に翻弄(ほんろう)される天皇の心の襞(ひだ)に入り込む。王朝は「王」朝にあらず。権臣の朝廷に外ならなかった。
天皇たちの孤独にはめいめい独特の色彩と陰影がある。
《血統》と《閨閥(けいばつ)》は、今なお無視できぬ権力者の要件である。角度を変えた平安政治史として味のある一冊だ。【評 野口武彦(文芸評論家)】


ヴェーザー川を渡れ
団塊イデオロギー























