メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年2月18日~2月25日

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか
金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのかハンス アビング 山本和弘

grambooks 2007-01-01
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国家と資本が価値の「神話化」に寄与

芸術への崇拝は、十九世紀西洋で、ブルジョア的な金権と経済合理性に対するロマン主義的反撥(はんぱつ)として生じた。芸術家は金のために仕事をするのではない、美的価値は市場価値とは異なるというような考えが、この時期に生まれたのである。しかし、「芸術の神話」が真に確立したのは、芸術家らが反抗しようとした、当のブルジョア自身が、そのような芸術を崇拝し、そのために奉仕することを高尚なことだと考えるようになったときである。

さらに、国家も芸術を支援することで威信を示そうとするようになった。芸術を理解する文化的国家と見られたいのである。その結果、芸術は市場によってよりも、政府や企業・ブルジョアからの贈与によって成り立っている。それだけではない。贈与が、市場価値とは異なる美的価値を保証する仕組みになっている。たとえば、市場で売れなくても、公的な助成金を得たり、美術館によって買い上げられることが、かえって作品の美的価値、さらには市場価値をも高めるからである。

以来、芸術は、それ自身ビジネスでありながら、同時にビジネス性を否定する、あいまいなものとして存在してきた。芸術の世界には、自由な競争が存在するかのように見えるが、けっしてそうではない。芸術における「贈与の経済」には、文化官僚や企業と結託した専門家集団の独占がつきまとう。芸術のためではなく、彼ら自身が存続するためにこそ、芸術への援助がなされるのである。経済学者であるとともにアーティストである著者は、本書で、そこに存する自己欺瞞(ぎまん)的な仕掛けを明快にあばきだした。

二十世紀前半に、前衛芸術は「芸術の神話」を破壊しようとした。たとえば、「泉」と題して便器を出展したデュシャン。それは、いかなるものも芸術でありうるという主張である。しかし、ブルジョアは、そのような前衛芸術を高尚な芸術として仰ぐことによって、その破壊性を消してしまった。近年では、ポストモダンな芸術家は、商業的であることを肯定し、芸術の価値を市場価値と同じものと見なしている。だが、これも「芸術の神話」を壊すことにはならないだろう。芸術を神聖化するように働くシステムが存在するからである。

その中でも最も大きいのは、政府による贈与である。オランダ人の著者は、オランダ政府が現代アートを強力に支援し、それによって美術界を変えてしまったことを指摘している。こうした援助には、貧しい芸術家を助けるなど、さまざまな理由づけがなされるが、著者によれば、明白なウソである。芸術家は概して貧しい。それは第一に、芸術家が必要以上の金を求めていないからであり、第二に、その志望者が多すぎるからだ。芸術家への助成を増やすと、もっと志望者が増えるだけである。では、なぜ芸術に贈与したがるのか。わが国は、わが社は、芸術に理解がある、というポーズを示したいからだ。芸術を神聖化するシステムは、国家と資本を神聖化するシステムにほかならないのである。【評 柄谷行人(評論家)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

夢を与える
夢を与える綿矢 りさ

河出書房新社 2007-02-08
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おすすめ平均 star
star久しぶりに読んで
starごぼう抜き
star救いが無い…かな?

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主人公の阿部夕子は、小学校にあがるとチーズ会社のCMキャラクターとして「半永久」の契約を結び、以後、商品とともに十二年間も成長を続けてきた国民的美少女。とある事件がきっかけで大ブレークした彼女だが、やがてダンサー田村正晃との恋愛と裏切りに苦しみ、十八歳にして、人生の栄光と転落すべてを経験してしまう……。

こう要約すると『ガラスの仮面』などに代表される一群の少女マンガを連想するかもしれない。だがヒロインはやがて、「夢を与える」のを仕事にする芸能人は「他人の夢であり続け」なければならないから、自らは「夢を見てはいけない」という掟(おきて)を知る。掟を破り恋愛沙汰(ざた)がスキャンダルになったからには長年培った信頼を失うのだ、という痛みも思い知る。その背後には、男と女の恋愛以上に、母と娘の確執が隠されていた。

そもそも母の幹子は押しかけ結婚の果てに夕子をもうけたのだが、にもかかわらずいつになっても夫である冬馬の心だけは、つかまえることができない。かくして母はステージママ業に専念することで心の欠落を補おうとするが、事情を知り抜く娘は、自らの芸能人生命が危機に瀕(ひん)した瞬間、母にこう言い放つ-「無理やり手に入れたものは、いつか離れていく」。

たとえ結婚しても世の中には所有できないものがあることを、整然と諭す娘。それだけに夕子は自分自身が「早く老けるだろう」と悟っており、それはいささかショッキングな結末を招く。

とはいえ少々奇妙なのは、この物語が、両親の恋愛から数えて四半世紀ほどの長い歳月を扱っているわりに、流れている時間がたえず「現在」であり、いっさいの「歴史」がうかがわれないことだろう。それは、第十章で「テレビの眼(め)」を擬人化するかのような思索が見られることと関連するかもしれない。真の主人公はテレビ自身であり、それが一切の歴史を剥奪(はくだつ)してしまう元凶かもしれない。この構図が二十一世紀初頭の日常とまったく無縁とも思われないところに、本書の不気味なリアリティがひそんでいる。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

日本帝国陸軍と精神障害兵士
日本帝国陸軍と精神障害兵士清水 寛

不二出版 2006-12
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亡父の手帳を繰っていたら、一枚のスケッチが見つかった。正座した男の胸の辺りにまで水が押し寄せている。弱々しい筆跡で「助けてください」の文字。ロシア語通訳だった父は、四年半のシベリア抑留中に受けた“水拷問”の記憶を、死の床で蘇(よみがえ)らせていたのだと、そのとき知った。

アジア太平洋戦争は、心を病んだ兵士をも多数生み出した。帰国後も、敵の喚声や銃声の幻聴に悩まされたり、中国で殺害した住民の顔が悪夢に現れ、「特ニ幼児ヲモ一緒ニ殺セシコトハ自分ニモ同ジ様ナ子供ガアッタノデ」苦しみ不眠に陥ったりする兵士が続出した。こうした全陸軍の精神障害兵士の診療と研究を行う「特殊病院」だった千葉・国府台(こうのだい)陸軍病院には、総計一万人を超える精神障害患者が収容されていた。

戦争末期には、知的障害者も根こそぎ徴兵された。「精神年齢九歳程度」の人々が、「オ母サンノ所ニ帰ツテ焼芋ガ喰(く)イタイ」などと呟(つぶや)きながら、戦地に駆り出されたのである。なかには、逃亡や窃盗といった軍令・軍律違反を犯し、「陸軍懲治(ちょうじ)隊」と呼ばれる部隊で「懲治」の対象にされた兵士もいた。このような知的障害者も、戦地で精神疾患を発病すると、国府台陸軍病院に送られていた。そこで記録された膨大な「病床日誌」の分析が、本書の中核をなす。

専門書ゆえ、調査方法やデータの解読にかなりの紙幅が割かれている。読みやすいノンフィクション作品とは異なるが、事務的に記された日誌の中で患者が発する「(上官による殴打は)震ヘルホドニイヤナノデス」や「早ク自分ヲ殺シテクレ」といった言葉に目を留めると、背後に広がる阿鼻叫喚(あびきょうかん)の光景が一挙に眼前に引きずり出されるようだ。

二〇〇五年三月の時点で、なおも入院中の元・精神障害兵士は八十四人を数える。平均年齢は八十代半ば、まさに亡父と同じ世代である。

アメリカの医学専門誌によれば、イラクからの帰還兵の二割近くが心にPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの障害を抱えており、日本でも陸上自衛隊員三人が帰国後、自殺を遂げている。【評 野村進(ジャーナリスト)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

ダイナスティ 企業の繁栄と衰亡の命運を分けるものとは
ダイナスティ 企業の繁栄と衰亡の命運を分けるものとはデビッド・S・ランデス 中谷 和男

PHP研究所 2006-12-21
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おすすめ平均 star
star経営の落とし穴を指摘
starファミリー企業の繁栄と衰退がよくわかる一冊
star「ダイナスティとは、革新である」 (面白く読めます)

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ダイナスティ 企業の繁栄と衰亡の命運を分けるものとは

たとえば、大家族から核家族へとか、傭兵(ようへい)から常備軍へとかいった変化は、歴史のなかで新しく現れた組織形態への不可逆的な変化であるかのように考えられがちである。いわゆる近代化論の発想であるが、実際は、そういった風に考えるのはほとんど誤謬(ごびゅう)に近い。産業化以前の社会にも核家族の分布は数多く確認されているし、先般のイラク戦争では民間の軍事サービス会社の存在がクローズアップされた。

企業もまたしかり。家族が所有し、経営する企業は、所有と経営の分離を経て、株主民主主義に開かれた企業へと、不可逆的・必然的に脱皮するという単純な図式は、歴史のリアリティーに反している。これが本書の理論的立場だ。

富に至る道と富を失う道の微妙な分岐を画するものはなにかというテーマを貫いてきた練達の経済史家である著者は、ストーリーテリングの名手としても知られる。同族企業の盛衰に取材した本書は、各章ごとにロスチャイルド家やロックフェラー家、そして豊田一族など日本の読者にもおなじみの名前が並び、テンポよく進む筆致に引き込まれて全11章を通読すると、なんだか年末の大河ドラマの総集編を立て続けに見たような気分になる。

本書は決して同族経営を礼賛する本ではない。実際、経営の意欲と能力をともに十分そなえた人材を一族の中に安定して見いだすことの困難や一族内の人間関係の軋轢(あつれき)、くわえて一族と一族外のメンバーとの緊張が事業を破滅させる危険が、繰り返し指摘されている。

だが、それにもかかわらず、とりわけなにか新しい事業を起こそうというときに、血縁に由来する信用が回避させてくれるリスクの大きさは、いつの時代もかわらず重要なのである。だから本書が示唆しているのは、(なにか新しい時代へむけた)将来への指針というより、およそ組織的な経済活動をする動物としての人間にとっての一般的な条件のようなものだ。本書の読後感が、ビジネス書というより、むしろ人間ドラマに近い所以(ゆえん)であろう。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

私の夫はマサイ戦士
私の夫はマサイ戦士永松 真紀

新潮社 2006-12
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おすすめ平均 star
star圧巻!あっぱれ!
star素敵なダンナさまですね
starいいもの読ませていただきました

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恐れを知らない日本女性だもの、世界中のどこの誰と結婚しても驚きはしない。しかし、マサイ族と結ばれたと知って、さすがに度肝を抜かれた。しかも第二夫人で、第一夫人にはすでに子どもが3人いる。結納金は牛4頭、嫁入り道具はひょうたん四つだ。

著者は、多くのリピーターを抱える人気添乗員。ケニア共和国の首都ナイロビから離れた小さな村に住むジャクソンさんにほれ込み、プロポーズを受けて2005年に挙式した。夫は推定30歳。7頭のライオンと象を仕留めた本物のマサイ戦士だ。

抱腹絶倒なのは夫とのセックスライフ。マサイの習慣なのか、夫は愛情表現が淡泊で、キスをすることもない。著者はスキンシップを訴えたり、日本のアダルトビデオを見せたりと試行錯誤を繰り返す。やがて彼は、家の中でなら抱擁しても大丈夫になるまで“進歩”したそうだ。

純粋で思いやりにあふれた夫の言動、「一緒に夫を助けよう」と喜ぶ第一夫人、「家族一丸となって生きるのは幸せ」と話す村の長老。過去の恋愛に傷ついた著者だけでなく、読者をも温める。日本女性はサバンナの恋に癒やされる時代が到来したようだ。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム
戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム西村 明

有志舎 2006-12
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おすすめ平均 star
star戦争死者慰霊のダイナミズム

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靖国神社問題とは何だろうと考えるとき、まず直面して呆然(ぼうぜん)とするのは、戦後日本人の戦没者「慰霊」追悼のあり方が、とても多様だということだ。戦没者の「慰霊」は、靖国神社だけにけっして集約されないのだ。それは宗教的な形を取るとも限らない。空襲や戦場の体験記は、しばしば空(むな)しく死んだ家族や戦友の供養として書かれるのである。

そんな中で、靖国神社の占める位置を確定するためには、日本人による戦没者の「慰霊」のパターン全体の、見取り図のようなものが必要になる。本書の意義は宗教学の立場から、「慰霊」のあり方の歴史的な見取り図を提示したことにある。本書では中世からの系譜をたどり、近代に優勢となった国家的慰霊システムと、前近代以来の民衆的な無縁死没者供養の二つの対抗的なパターンで、日本人の戦没者「慰霊」を説明する仮説を立てている。

本書で扱った長崎の原爆死没者「慰霊」のケース分析では、官が主催する祈念式典と民間の慰霊祭の二つは、昔からの対抗的な「慰霊」のパターンを継承したものだということが、丁寧に論証されている。靖国問題を考える上で、新生面を開く書物といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

何が社会的に構成されるのか
何が社会的に構成されるのかイアン・ハッキング

岩波書店 2006-12
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おすすめ平均 star
starいいんじゃない?!
star通過地点の再確認

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社会構成(構築)主義とは、私たちが「自然」で疑いえないと思っているような事柄が、歴史的・社会的なプロセスのなかで構成された、とする思考法のこと。ここ十数年ほど、日本の人文社会科学においても大きな影響力を持つようになった考え方だ。

この構成主義、明らかな文化的構成物に留(とど)まらず、「生物学的性差」や「クオーク」のような自然科学的な対象をも分析の対象としたため、多くの論争を引き起こした。構成主義は、新しい知見をもたらす画期的な理論なのか、それとも科学的知見を否定する非合理主義なのか。本書は、こうした明確であるがゆえに、微細な差異を見えにくくする対立構図を、構成主義のタイプをその対象や目的に即して丁寧に類別化することにより、問い直そうとしている。

著者自身は「構成主義風の語り」に批判的な見解を示しているが、その位置どりは、訳者がいうように「中立を装った隠れ構成主義シンパ」といったところだろうか。「構成主義か否か」ではなく、「どのような構成主義か」という問いに拘(こだわ)りつつ、構成主義を鍛え上げていくこと。それが著者の真の目的であるように思える。【評 北田暁大(東京大学助教授)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

乾杯!ごきげん映画人生
乾杯!ごきげん映画人生瀬川 昌治

清流出版 2007-01
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今年82歳になるベテラン映画監督・瀬川昌治が縦横に語った回想録である。

渥美清主演の「列車」シリーズ、フランキー堺主演の「旅行」シリーズでヒットを連発し、大映テレビ製作の「スチュワーデス物語」で話題をさらった名監督だが、自分がいかに演出に工夫をこらしたかといった手柄話はほとんどなく、新東宝の助監督時代から接してきた多くの大監督や名優奇優珍優とのユーモラスな挿話が大半を占める。お人柄の良さであろう。日本映画がまだ若かった頃の楽しさと熱気が生き生きと伝わってくる。

学習院高等科で同じ映画狂の三島由紀夫先輩と親しく交わり(本書に描かれる三島の素顔はとても印象的だ)、東大英文科に進んで六大学野球で三割バッターになるという映画以前の経歴も興味深いが、撮影所一態度のデカい新人・丹波哲郎とか、台詞(せりふ)を憶(おぼ)えずセットにカンニングペーパーを貼(は)る三木のり平とか、平気で信じがたい嘘(うそ)をつく三國連太郎とか、登場人物の面白さは瀬川映画を超えるものさえある。

だが、そうしたアナーキーな現場の緊張した人間関係こそが映画を支える力なのだという確信が全編を貫いて、この本の類(たぐい)まれな躍動感を生みだしている。【評 中条省平(学習院大教授)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

スキャンダリズムの明治
スキャンダリズムの明治朝倉 喬司

洋泉社 2007-01
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star庶民パワー、ここにあり!

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スキャンダルは、民衆の変わらぬ嗜好(しこう)品である。

明治二十年代の日本では『万朝報(よろずちょうほう)』と『二六新報』という二つの小新聞が新しい読者層を開拓し、発行部数を飛躍的に伸ばした。その呼び水は、政治家・財閥・著名人の大々的な醜聞暴露だった。明治のスキャンダルは従来もっぱら明治社会史の材料として扱われてきたが、本書ではスキャンダルを書く側に力点を置くところが一味違う。週刊誌記者だった筆者はこの手の記事を書くコツを知っている。古新聞を丹念に読み直して、「歴史とやらに整序される以前の」ナマの事物を扱う執筆現場の活気を追体験してゆくのである。

日本最初の国政選挙、相馬事件、名士の蓄妾大公開、廃娼(はいしょう)運動、自然主義と五つのトピックが取り揃(そろ)えられる。

相馬事件とは、志賀直哉の祖父も連座した旧大名家のお家騒動であり、毒殺を疑われた旧主の死体を掘り出して鑑定するといった猟奇性も手伝って、当時「ワイドショー的に」騒がれた出来事である。その過熱気味の報道が、近代日本に生まれてきた「持たざる者」の「持てる者」への鬱屈(うっくつ)した気分の中で、「層をなした不満」のカタルシスだったと感じとる嗅覚(きゅうかく)は鋭い。

汚職、犯罪、不倫。スキャンダル報道は、社会に突き出された民衆の関心の凸レンズだ。ふだんは狭い視野で暮らしている人々を、突然よくも悪(あ)しくも「公民」として目覚めさせる。B級新聞のジャーナリストは身体(からだ)を張った。この時代、まだ言論の《自主規制》などはなかった。

当初デバガメの同義語だった自然主義文学の勃興(ぼっこう)は、それ自体がスキャンダルであった。その視点からの島崎藤村論がユニークだ。自分の姪(めい)との「過ち」を素材にして大作『新生』を書いた藤村の文体は、自分のスキャンダルを老獪(ろうかい)に回避する装置だったというのである。

持って回った意味ありげな言い抜けでスキャンダリズムの牙を抜く。現代の新聞・雑誌からテレビまでジャンル横断的にはびこっているのは、「藤村的文体」だとする指摘はいかにもその通りだ。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/02/25, 朝日新聞 朝刊, 15ページ

5
5佐藤 正午

角川書店 2007-01
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おすすめ平均 star
star男の人には楽しいかも。
starすごい作品

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小説を読みながら何度もため息をついた。ゆったりとした語りなのに、文章は張りつめていて、軽い昂奮(こうふん)を覚えてしまうからだ。佐藤正午が抜群の語り部であり、賞には恵まれないものの文壇で五指に入る「小説巧者」であると僕は断定するけれど、それでもあらためて新作に出会うと、五指ではなくベスト3、いやそれ以上ではないかと思ったりする。

物語は、印刷会社に勤務する中志郎が妻とバリ島に行く話からはじまる。そこで中志郎は不思議な体験をするのだ。故障したエレベーターの暗闇の中で、ある女性とふれあい、妻に対する愛情が甦(よみがえ)るのである。結婚して八年、倦怠期(けんたいき)にあり、ベッドをともにすることも厭(いと)わしかったのに、急に積極的になる。

そんな夫婦の話をきかされたのが、小説家の津田伸一である。津田はその事態に影響をうけ、やがて作家として窮地にたたされる。

物語の運び方からして、さりげなく巧妙である。三人称一視点で始まりながら、やがて小説家の「僕」が出てきて(この登場が絶妙だ)、複雑な人間関係の一端を示し、さらに自由に人物を出し入れして、なんでもない挿話を積み上げていき、それぞれの危うい人生の基盤を見せていく。危うさとは、佐藤作品の人物たちが抱く、ありうる(ありえた)かもしれない別の人生への思いである。

たとえば、過去の人生の分岐点にたって別の人生を歩む『Y』、失踪(しっそう)した恋人の行方を捜しながら自分の人生の選択肢を考える『ジャンプ』を読めばわかるだろう。偶然がおりなす人生でありながら、人はいくつもある選択肢のなかからひとつを選び取り、「未来」を決めていく。だが、その選択は正しいのか、過去において選びとった「未来」=「現在」に満足しているのか? と考えるのである。

こうして人物たちは迷いだす。それは読者にとっては物語の森の中に迷いこんだような感触である。だがこれがいい。物語の森の愉悦をたっぷりと味わわせてくれるからだ。物語の森といってもロバート・ゴダード(『千尋の闇』)に代表される物語の万華鏡ではなく、道がいくつもあり、自分がどこに連れられていくのかわからない昂揚と期待である。

今回は「僕」にしろ、中志郎にしろ、読者が共感をよせる人物像ではない。「僕」は出会い系にはまり、恋人がいるにもかかわらず、次々に新しい女性と関係を結ぶし(だがこの辺の、多彩でどこか歪(ゆが)んだ女性たちとの挿話が実に読ませる)、中志郎はもうひとつ何を考えているかわからないところがある。

それでも物語に惹(ひ)きつけられるのは、錯綜(さくそう)した人間関係が動き、不都合な方向へと細部が組織化されていき、ある女性がもつ特殊な能力で眠っていた記憶が覚醒(かくせい)し、いちだんと人生の可能性が拡大されるからである。

物語の核心にふれるので曖昧(あいまい)に書くが、これはある種の苦い恋愛小説である。永遠の愛を謳(うた)うものではなく、世界のひとつの真理として、むしろ愛は醒(さ)めるものであることをアイロニカルに描いている。病気と涙と感動のない所で愛を語る、反『世界の中心で、愛をさけぶ』ともいうべき洗練の極致の秀作だ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!馬場 康夫 ホイチョイ・プロダクションズ

講談社 2007-01-20
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おすすめ平均 star
starすばらしい名著
star映画の宣伝なんてとんでもない、歴史本として秀逸

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大衆の心とらえた夢の実現者たち

表題の「エンタメ」とは、エンターテインメントの略である。もてなし、娯楽、余興、宴会……英和辞典には、さまざまな訳語が出ている。しかし、ここでは作品中に幾度も繰り返される言葉こそを第一の訳語としたい。「エンタメ」とはすなわち、「心を掴(つか)む」ことなのだ――と。

この国の「エンタメ」状況を一変させた東京ディズニーランド(一九八三年開業)は、いかにして日本にやってきたのか。本書はそのドラマを軸に、時代をいったん大きくさかのぼる。一九五一年の民放ラジオ放送開始、一九五三年のテレビ本放送開始、一九七〇年の大阪万博と「エンタメ」史のメルクマールをたどりながら、それぞれの「夜明け」にかかわったひとびとの姿を描き出していくのだ。

だが、著者は決してビジネスの成功譚(たん)を描いたのではない。眼目はむしろ、彼らがどんな夢を持ち、その夢を実現させるために、どのようにして目の前の交渉相手の(そして目に見えない大衆/消費者の)心を掴んできたか――いわば「エンタメ」力にある。

『闘牛』をはじめ井上靖の小説に再三モデルとして登場する小谷正一、その小谷の薫陶を受けてディズニーランドを日本に誘致した堀貞一郎、用地取得交渉やディズニーとの交渉をやりとげた高橋政知、そして、そんな彼らの夢の頂点、まさしく虹の彼方(かなた)で悠然と微笑(ほほえ)むウォルト・ディズニー…… 彼らの残したエピソードの数々は、いくつもの心憎い一言や運命の導きの妙味を織り交ぜながら、ひとの心を掴むとはどういうことかを教えてくれる。

ノンフィクションを「事実の報告」と狭義に解釈するなら、「現実はもっとどろどろしていたのではないか」という批判はありうるだろう。しかし、著者はおそらくそういった面はあえて捨象して、本書の物語そのものを上質な「エンタメ」として仕上げた。それは、ホイチョイ・プロダクションズ代表として一九八〇年代から数々の「エンタメ」をつくりあげてきた著者が偉大なる先達に宛(あ)てた、敬愛を込めた長い礼状にもなっているのである。【評 重松清(作家)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

中世日本の予言書―〈未来記〉を読む
中世日本の予言書―〈未来記〉を読む小峯 和明

岩波書店 2007-01
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おすすめ平均 star
star世の中を憂いて逃亡する神様など
star未来の話しです。そう言って今を自在に語った人々

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社会不安の核心に触れる未来記研究

世の中が乱れると怪しげな予言が飛び交う。ひところ話題になったノストラダムスの予言書のたぐいは、古くから日本にもあった。未来記である。とりわけ影響力を持ったのは『野馬台詩(やまたいし)』と『聖徳太子未来記』だという。

どちらも明らかに偽書である。前者は五言二十四句の漢詩の形式であり暗号めいた比喩(ひゆ)のうちに日本の滅亡を予告する。後者は伝本がいろいろあるが、すべて作者を聖徳太子に仮託した捏造(ねつぞう)である。うまいタイミングで掘り出される。いちばん有名なのは楠木正成が四天王寺で見て将来を知ったとされる秘密文書だ。

博学の著者は中世日本の数多くの実例を調査し、「事後にこそ予言は作られる」と断言する。未来記は、異なる時制による歴史の総括であり、旧記に偽装した現状批判に外ならない。篤実な研究が現代にも通じる社会不安の核心に迫ってゆくのだから、学問の世界はやっぱり奥深い。

予言発生の背景には、「天下の政不法」という時代認識が横たわっている。支配層の腐敗があんまりひどいので、神仏が愛想を尽かしてぞろぞろ日本を出て行ってしまう幻想が人々の心を占めるのである。神仏の鎮座という予定調和が根本から揺らぎ始める。神仏の談合もやたらに開かれるのが特徴だ。従来の安定支配が崩れて収拾が付かなくなっているのである。

右の二つの未来記は、源平合戦・南北朝の乱・応仁の乱といった社会混乱の度ごとに読み替えられ、新しいヴァージョンが作られている。時代が下るにつれて、冥々(めいめい)の背後から歴史を操る力には神仏ばかりでなく、不遇のうちに死んだ人物の怨霊(おんりょう)も加わり、権力に報復するシナリオになってくるのが怖(おそ)ろしい。

くだんの『野馬台詩』には「百王の流れ畢(ことごと)く竭(つ)き、猿と犬英雄を称す」という謎のような語句がある。皇室は衰微し、姦雄(かんゆう)が割拠して政権を争う時代が訪れる。かつてなされた解釈では、猿と犬は源頼朝と平清盛、山名宗全と細川勝元などに見立てられていた。さて現代日本の混迷政局のもとで、それに該当するのは誰と誰であろうか。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

貧困の光景
貧困の光景曽野 綾子

新潮社 2007-01-17
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おすすめ平均 star
star途上国の貧困に比べれば…

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テレビ画面に痩(や)せこけた異国の子どもが映る。たった百円で何人の子どもの命が助かるとアナウンスが流れる。募金先が提示される。心を動かされれば、人は幾ばくかの寄付をする。これはまぎれもなく善意だ。しかしその先を、私たちは考えない。ある金額を寄付した段階で、私たちは何人の子どもの命を救ったと思いこむ。善意は善意のままだれかに届くと、まっさらな善意で錯覚する。

本書は、善意で止まってしまう私たちの想像力の、その先を書いている。

キリスト教徒として生きる著者が、貧困にあえぐ地域を実際に訪ね、底なし沼のような果てのない風景を描き出す。同情やきれいごとをさっぱりと拒絶し、貧困というものの正体を見極めていく。同時に、年収の差異で格差を語る豊かな私たちの、想像力の麻痺(まひ)をも静かに指摘する。貧困の風景とは、まさに何かに鈍磨した日本の風景でもあるように、私には思えた。

「ならば、どうすればいい」という解答は、ここにはない。著者の味わう絶望を、読み手も味わうことになる。しかし、絶望からはじめなければならないこともある。少なくとも、著者がその手で得た希望は、そこから生じている。【評 角田光代(作家)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

大学病院革命
大学病院革命黒川 清

日経BP社 2007-01-25
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star今こそ改革の時だ!!
star地獄への道は善意で語られる
star大学病院に外来はいらない?

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ともすれば「3時間待ちの3分診療」と言われる大学病院。本書は、日本の大学病院が優秀な人材を集めながら、患者を満足させる医療が必ずしも行われていないのはなぜなのかを解き明かし、解決のための処方箋(せん)を示したものである。

著者は、日米双方の大学で医学部教授を務めた経験から、医者の道を選ぶのが日本では大学受験の時であり、早過ぎるという。米国のように学部生時代に自分の興味や基礎知識を育てた後で、医師としての適性を踏まえ、卒業後に(できれば別の大学の)メディカルスクール(医学専門職大学院)に進む方式を導入すべきである、と主張する。

また、医療サービスを提供する大学病院と、研究や教育を行う医学部を明確に分け、大学病院では診察に応じた報酬を得る米方式の検討を促す。

さらに、〈かかりつけのお医者さん〉を全国民が持つことを勧め、そのかかりつけの医師が大学病院の施設を利用して手術を行えるようにするなど、大学病院の一層の開放を訴える。

たこつぼ的な医局の風通しをよくするため、医学部卒業後の2年間、臨床研修医として病院に勤務する制度の導入を実現させた著者だけに、その分析と提案は説得力に富んでいる。【小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

在日朝鮮・韓国人と日本の精神医療
在日朝鮮・韓国人と日本の精神医療黒川 洋治

批評社 2006-12
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きわめて重要なテーマなのに、ほとんど誰も取り上げる専門家がいなかった。現に、この問題について本格的な一冊を著した精神科医は、著者が初めてなのである。

多数の症例のうち一例だけあげると、在日の父と日本人の母との間に生まれた男性のケース。物心ついて父が朝鮮人と知らされ、「他人には絶対口にしない秘密」となる。やがて過剰なほど日本人として振る舞いだし、腕に「日本男児」の刺青(いれずみ)を入れ、職を転々とした末に入院。幻聴と迫害妄想が認められた。

これは決して極端な例ではないと、在日の取材をしてきた私は断言できる。彼に限らず、「朝鮮へ帰れ」といった幻聴や、警察に監視されているという妄想は、在日の日常では幻聴でも妄想でもない現実だからである。

在日の場合、アイデンティティーの葛藤(かっとう)が思春期特有の病理ではなく、初老期でも顕在化しうると著者は書く。その際「ほとばしり出る異常体験」の数々はどれも痛ましいが、本当は在日側の問題ではなく、そこまで追い込んだ日本社会の問題なのだと、誰しもが気づくにちがいない。

末期がんと闘病中の著者によって、タブーの重い扉がようやく開かれた。【野村進(ジャーナリスト)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

四谷シモン前編
四谷シモン前編四谷 シモン

学習研究社 2004-11-16
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四谷シモンを初めて見た舞台は唐十郎の『愛の乞食(こじき)』だった。芳紀26歳の女形シモンのために唐は現行の戯曲にはない冒頭の長ゼリフを書き加え、「蓮(はす)の乱れる不忍池で……」のシモンの名調子に高校生の僕と友人たちは文字通りノックアウトされた。だからシモンがまもなく状況劇場をやめた時、僕らの目の前は真っ暗になった。涙なくしては読めない唐への別れの言葉も本書には収められている。

シモンが状況劇場をやめたのは、人形作りに打ちこむためだった。そのすさまじい情熱がこの本の至るところから妖(あや)しい地熱のように噴きだしてくる。これは人形にとりつかれ、人形に魂を捧(ささ)げた人間の裸の履歴書だ。一見、書かれ方は柔らかい。人形作りのテクニック、唐や澁澤龍彦や土方巽との微笑(ほほえ)ましい交遊録、対談、10ページをこえる長い年表。どこから読んでも楽しい。だが、時々こんな言葉にぶつかって襟を正す。

「人形は魂の容(い)れ物。魂を容れるのはそれを見ている人。そして容れ物はどこまでも精緻(せいち)で美しくあるのが理想だ」

人間のさかしらな知恵や感情をもたない、純粋で空虚な容れ物としての芸術。僕はこの美しい言葉を一生忘れまいと思う。【中条省平(学習院大教授)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

リベラルなナショナリズムとは
リベラルなナショナリズムとはヤエル タミール Yael Tamir 押村 高

夏目書房 2006-12
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紋切り型の対立図式を揺さぶる考察

一般にリベラリズムというのは「選択」と「自律」の思想とみなされている。個人がどのような共同体に所属するのか、各人にとっての善とは何か、といった問題について、リベラリズムは一意的な答えを与えることなく、個人の自律的な選択を尊重する。それに対して、ナショナリズムは特定の共同体への所属や忠誠を強調し、「個人主義」の蔓延(まんえん)を警戒する。とすれば、リベラリズムとナショナリズムは「相互に排他的」な思想であって、絶対に折り合いがつかないということになるだろう。

しかしそれは本当か。両者はどこまでも相いれることなく対立し続けるしかないのか――本書はこうした「難問」に正面から切り込み、「リベラルなナショナリズム」という理論的立場を明確に打ち出した政治哲学の書である。

ナショナリズムを非合理なものとして頭から否定するのではなく、その論理を粘り強く抽出し、リベラリズムとの接合可能性を探る。ネーションの自己決定(自決)権、リベラルな理念とナショナルな理念との長きにわたる「同盟関係」など、様々な論点を丁寧にトレースしながら、合理主義(=リベラリズム)VS.非合理主義(=ナショナリズム)という紋切り型的な二項図式に揺さぶりをかけていく。

著者はイスラエルに生まれイギリスで博士号を取得した政治哲学者。テルアビブ大学の教授職にあるが、イスラエル労働党の著名な政治家でもあるという。

著者の経歴からあまり多くのことを忖度(そんたく)するのは避けたいが、著者が採る「リベラルなナショナリズム」という立場は、英米リベラリズムを自家薬籠(やくろう)中のものとしつつも、どこまでもネーションというものに拘(かか)わらざるをえない著者のポジションに由来しているように思える。もちろん全体としてクールな論理に貫かれているのだが、クールな筆致が逆に著者のホットな問題意識を浮かびあがらせているようにもみえる。ホットな愛国(心)論が飛び交う日本でも、いや今の日本でこそ読まれてほしい一冊である。【評 北田暁大(東京大学助教授)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

信頼
信頼アルフォンソ リンギス Alphonso Lingis 岩本 正恵

青土社 2006-12
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ここに収められた二十一の文章は、旅という経験を通して紡がれた瑞々(みずみず)しい思索の跡である。読者は前提も説明もなく、いきなりある土地のある瞬間へと送り込まれる。そこで私たちが受け取るのは、情報や知識でなく、未知なるものに出会ったときの、悦(よろこ)びや怖(おそ)れ、生々しい情動のほとばしりだ。意味の体系に縛られた身体を、緩やかに解くものが文章から湧(わ)き上がる。

取り上げられている場所の多くは、中東、南米、アフリカの都市など、不安な社会体制下にあり、宗教的対立や貧困を抱えた国。野性に満ちた土地の風景から、そこに生きる人間が炙(あぶ)り出されてくる。

ある章では、サハラ砂漠を通ってアラワーヌという聖地へ。案内人の現地人たちは、驚くべき記憶力と注意力で、目印もない砂漠の道なき道をゆき、目的の地まで著者たちを導く。砂に半分埋もれた「バンコ」と呼ばれる土の家、井戸に皮袋を落として水を汲(く)む方法。読者にとって、見知らぬ地名、見知らぬ言葉が、光となって輝き、風として通過する。

独特の腕力を備えた文章に、読者の魂は、机上から遥(はる)か異郷の地へと吹き飛ばされていくが、その遠心力によってもたらされる眩暈(めまい)が、本書を読む大きなよろこびだ。吹き飛ばされてふと我に返り、自分の今とここが、相対化されて見えてくる。その振幅が、実際の旅のなかに、もう一つ別の、精神の旅を生む。

「地球上の最貧十カ国のひとつ」マダガスカル島は、「絶滅の危機に瀕(ひん)する固有種」が多く棲息(せいそく)するアフリカ南東の島。そこで著者は、言葉も通じない現地の若者に、命と財産を託す。見知らぬ人間を信頼するには勇気が必要だ。だが、ひとたび相手を信頼すれば、相手の側にも、信頼されているという自己への信頼を引き起こし、信頼が信頼を増幅させていくのだとリンギスは言う。そして信頼の絆(きずな)は、社会的な衣をはぎとった、リアルな個人、「わたし」の核と核を結ぶと。

身体の細胞が活性化してくる本だ。タイトルの二文字が、読後、清冽(せいれつ)な響きで胸に刻まれる。【評 小池昌代(詩人)】

■2007/02/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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