メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年12月2日~12月9日

望みは何と訊かれたら
望みは何と訊かれたら小池 真理子

新潮社 2007-10
売り上げランキング : 407

おすすめ平均 star
star湘南ダディは読みました。
starあの時代は終わってなかった…彼女の中では。
starやっときたか!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

作家にとっての原点の重みと、それに挑みつづけ、達成を更新しつづける志の熱量に、つくづく圧倒された。

主人公・沙織の長い回想の形で紡がれる物語の主要な舞台は、彼女が学生運動にかかわっていた1970年代前半――作家自らの青春時代とも重なるその時代を、小池真理子さんは、直木賞受賞作『恋』をはじめとする諸作で、「あの時代とはなんだったのか」のアプローチをさまざまに変え、深めていきつつ、繰り返し描いてきた。

その系譜に連なる本作で、小池さんは濃密な磁力を持つ三つのアジトを用意した。

一つめは、文字通りのアジト――沙織が入っていたセクトが山中に設けた拠点である。セクトのリーダー・大場修造に惹(ひ)かれる沙織は、〈大場に自分の中にある理知と勇気をほめられ、そのうえで女として注目され、愛されていたかった〉。だが、やがてアジトでは粛清が始まり、沙織は脱走する。そこまでの経緯は、現実の事件や固有名詞を織り交ぜながら、「あのときああしていれば(いなければ)、こうなっていなかった」という反実仮想をベースにした緻密(ちみつ)な悲劇の様式で、あくまでも〈理知〉的に回想される。

ところが、舞台が第二のアジトに移ると、物語は大きく転調する。逃亡中の沙織は、他人との交わりに背を向ける秋津吾郎に匿(かくま)われ、〈動物の巣穴のような小さな家〉で一歩も外に出ることなく半年間を過ごした。〈理知〉や〈勇気〉を捨て、〈吾郎の赤ん坊、吾郎に繋(つな)がれた奴隷〉として生きた淫靡(いんび)で背徳的な日々は、〈人生の最も秘密めいた、甘美な記憶として、わたしの中に密(ひそ)かにとどまり、消えることなく今に至っている〉のだ。

大場の思想や観念に惹かれていた沙織は、秋津によって〈人間性の本質〉を剥(む)き出しにされる。それは小池さんの拓(ひら)いた文学的な地平であると同時に、1歳年上の沙織に託した、1970年代という時代に対する小池さん自身の新たな回答だろう。

ただし、二つのアジトの物語は空間的にも心理的にも閉ざされている。そのうえ1970年代を「あの頃」として封印してしまうと、物語は、作中に印象的に出てくる蝶(ちょう)の標本さながら、美しくはあっても2007年の「いま」を揺さぶることはなく、ただ静かに身を横たえるだけになりかねない。

しかし、小池さんは第三のアジトを「いま」の沙織に与えた。物語は回想で閉じられてはいない。生きている。うごめいている。「あの頃」は決して「いま」と断絶しているわけではない。そのアジトでの出来事を明かすのはさすがにヤボだが、一つだけ――50代半ばになった沙織の妖艶(ようえん)な美しさに背筋がぞくっとしたことは告白しておきたい。

〈人々は、本当のところ、何を考え、何を想(おも)い、何を欲しがり、何にこだわりながら生きているのだろう〉――その問いかけを「いま」の沙織に語らせたところに、小池さんの「あの頃」への思いの深さがにじむ。だからこそ逆に、沙織の自問は世代や時代を超え、「いま」を生きる読者の胸を打つのである。【評 重松清(作家)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

韓国サーカスの生活誌―移動の人類学への招待
韓国サーカスの生活誌―移動の人類学への招待林 史樹

風響社 2007-10
売り上げランキング :


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

移動集団と寄り添い、「所有」を考える

韓国社会がサーカスに対して抱くイメージは「哀愁」だという。韓国サーカスの全盛時は、1955年から65年ごろ。100人から200人を擁する団体が11もあった。しかし経済成長を果たし、テレビなど娯楽が多様化するなかで人気は下降した。90年代、各地を巡業する韓国サーカスは20人から30人ほどで構成される4団体にすぎない。

著者は1994年の秋から10カ月にわたって、韓国のサーカス団に入り各地での興行に参加した。その間、サーカス団内外の人間関係、公演の実際、入団と退団といった団員の流動性など、さまざまな聞き取りを重ねた。その生活誌を元に、文化人類学的な考察を加えたのが本書である。

共同生活を行う韓国サーカスの構成員にとって移動する芸能集団そのものが「居場所」であり、また擬制の「家族」である。儒教を重んじ、人の内面が大切と考える韓国社会では、日本よりも物を「所有」することへの執着心が薄く、「場所」への想(おも)いも乏しい。だからこそ韓国の人はしばしば移り住み、職場も移るのだと、著者はみる。

芸能の伝播(でんぱ)についても、おおいに考えさせられた。私たちにとってサーカスとは西洋から受け入れた曲芸という印象だ。しかし韓国サーカスの生い立ちは、日本の半島統治の経緯と重なりあう。20世紀前半、矢野サーカスなどが大陸に渡って興行を行った。その影響のもと、韓国にもサーカスと称する移動芸能集団が誕生した。一方で男寺党など伝統的な芸能集団は解散を余儀なくされていく。

実際、韓国サーカスで上演される演目の大半は日本から入ったものだ。著者が調べた日本語に由来する符丁は120語を超える。今日でも日本語に基づく専門用語の習得が、団員としてのアイデンティティーを自覚することと密接な関係があるという。

近年、各界において海外で目覚ましい活躍をする韓国人が多いことを思い出した。移動芸能集団を限定的に題材としつつ、「移動」さらには「所有」に関する日韓の本質的な差異をみいだす著者の視点は、なかなかに興味深い。【評 橋爪紳也(建築史家)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ケインズとシュンペーター―現代経済学への遺産
根井 雅弘 (著)

天才的学者の思想の「総合」に挑戦

1883年。マルクスが没し、20世紀を代表する2人の経済学者ケインズとシュンペーターが誕生した。理論よりも政策を重視するケインズは、大不況に苦しむ大量の失業者を救済するために、50歳を過ぎてから主著『一般理論』を著しケンブリッジの伝統的な経済思想に反旗を翻した。これに対し、理論と政策を峻別(しゅんべつ)し「『理論』が『政策』に利用される危険性を熟知していた」シュンペーターは、大不況といえども「不況はイノベーションが創(つく)り出した新事態に対する経済システムの『適応過程』と」静観を続け、30歳前に完成していた『経済発展の理論』の思想を堅持したのである。

目前の難題を解決するためには自分を育ててくれた思想を捨てることも厭(いと)わないケインズと、目前の現象に惑わされることなく「一世紀といえども『短期』である」と言って、資本主義の歴史と本質を見抜こうとしたシュンペーターとでは、「そもそも『経済学』という学問をどのように捉(とら)えるかという肝心の点について」見方が違っていたと、現代経済思想史を専門とする著者はいう。

ただ、大学院時代に「そろそろわれわれも紋切り型のケインズ対シュムペーターという問題の立て方から脱すべき時期にきているのではなかろうか」(『ケインズから現代へ』日本評論社)と問題提起をしていた著者は、それから20年近くを経た本書で、吉川洋氏(『構造改革と日本経済』岩波書店)が唱えるケインズの有効需要とシュンペーターのイノベーションの「好循環」に2人の学説の「総合」を求める。

「一世紀に一人か二人しか出ないほどの天才的経済学者の『思想』は、そうたやすく死ぬものではない」と思いを語る著者が、2人の思想を「総合」しようとする試みは評価できる。しかし、両雄は並び立たないことも忘れてはならない。著者も景気が後退に向かう局面では、2人の理解が「全く異なる」と指摘している。啓蒙(けいもう)書で「総合」に挑戦するのは2人の思想を知り尽くした著者にとっても、容易ではないように思われる。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

さよなら僕の夏
さよなら僕の夏レイ・ブラッドベリ 北山 克彦

晶文社 2007-10
売り上げランキング : 434

おすすめ平均 star
star成長すること、人生を感じること
starたんぽぽのお酒とは別の作品
starまさかのダグラス少年の続編

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

作者87歳、少年に「不屈の意志」を語る

本書は「事件」である。

87歳のレイ・ブラッドベリの新刊で、50年の時を経て書かれたあの『たんぽぽのお酒』の続編だなんて。

36年も前に読んだ瑞々(みずみず)しい世界。12歳の少年ダグラスのひと夏を描いた『たんぽぽのお酒』は、永久不滅の名作として完結している。少なくとも私には。がっかりしたくない。読むべきか、読まざるべきか。おそるおそるページを繰った。

洪水のような言葉、言葉、言葉。言葉の生命力が横溢(おういつ)していたあのブラッドベリの世界は、さび色の秋の気配のように落ち着きをみせ、物語の主人公、少年ダグラスは14歳になろうとしていた。

そして、この無垢(むく)で万能感の中にあった少年には、凡庸さが忍び寄っている。敵対するもう一人の主人公、クォーターメイン老は頑迷さという鎧(よろい)を着て怒りの中にある。

そう、物語はこの少年と老人の「戦争」ごっこ。そうか。両者共、時間を止めようとする存在なのか。その構図がせつない。少し後悔。読まなければよかったか……。

が、87歳のブラッドベリはひるまない。少年と老人が、お互いの中に自分のまなざしを見るその一瞬を描き切る。

そして、それぞれがとどめることのできない人生の時間を静かに受け入れる経緯が語られる。

老人は聞くのである。「人生について全部知りたいのかね?」。少年はうなずき、老人は言う。「不屈の意志を持つことだ」

著者には、前作で言い残したことがあったのだ。人生の輝きは、一瞬、一瞬過ぎ去り、いろんなものを喪失していくけれど、恐れることはない、新たなものを発見していく喜びは奪い去られることはないのだよ、と少年ダグラスに伝えたかったのだな、と。

生意気にも、老人の性の喪失と、少年のその兆しを描いた最終章はいらない、と今の私は思ったけれど、さらに20年生き延びたら、きっと別の思いを得るのだろう。

老いとは未知への冒険である。不屈の意志を持って作家としての人生を生き切ろうとするブラッドベリは凄(すご)い。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ギリシアの神々とコピーライト―「作者」の変遷、プラトンからIT革命まで
ソーントン 不破直子 (著)

歴史の中でたどる「作者とは」

19世紀後半、ニーチェは「神の死」を提唱し、20世紀後半、フーコーは「人間の死」を、バルトは「作者の死」を宣告した。彼らの批判的思考の道筋は、西欧文明がいかに長いこと、「神」の権威をモデルに「人間」の権利や「作者」の著作権を保証してきたかを認識させてやまない。

本書がユニークなのは、あらためて「作者という神話」を批判せずとも、古くはギリシャ古典や旧約・新約聖書の時代より、作家とはあくまで神の代理にすぎず、作家が「霊感」を受けたと主張すればするほど、それは個人の独創性ならぬ詩神の権威のほうを裏書きしたのだ、という前提から始めていることである。ルネサンスの人間主義や近代以降のロマン主義を経てようやく、作家の作品を人間の側の私有財産、作家を神に成り代わるべき存在と見直す視点が生まれたのだという。

だが20世紀のモダニズム以後、そのように強大化した作者を警戒する意識が生まれ、21世紀の今日ではデジタル共産主義の台頭により、著作権は再びゆらいでいる。かつての霊媒は、いまや亡霊と化した。2500年にわたる文学史の根幹を問い直す本書は、現代批評理論の入門書としても、広くお薦めできる。【巽孝之(慶応大教授)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か
若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か赤木 智弘

双風舎 2007-10-25
売り上げランキング : 192

おすすめ平均 star
starそれを換金しちゃ、終わりだろ
star「希望は戦争」の真意
starエッセイ的でもあり、情念が感じられる評論

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

現代をいさめる捨て身の戦略

「論座」一月号で衝撃的な戦争待望論を掲げて登場した著者の単行本第一作。デビュー論への左翼各界からの論難に対する反論も収録しており、弱者救済を唱えるリベラルに著者が激しい非難を浴びせた理由がよく分かる。

弱者保護にまつわる利権の保持に汲々(きゅうきゅう)とする左翼リベラルは、不況下で多数の若者が就業機会を喪失したがゆえに団塊世代の安定的雇用が維持されるという差別構造の存続に与(くみ)し、世代間格差が固定化するのを黙止してきた。救済の途を閉ざされた非正規雇用の若者は、もはや戦争が引き起こす混乱でこの差別構造が崩壊するのに希望を託すしかないというのが著者の主張の骨子だ。

この論旨の妥当性についてはいずれ多方面から批判検討の対象になるだろう。むしろ注目したいのは、おのれの私生活を剥(む)き出しにするという捨て身の戦略が、ある意味で私小説的な手法にもとづく表現形態であることだ。強者への道徳の強制という極端な主張は、自らにひそむ業のありように自覚的であるからこそなされたものと見るべきだ。著者が今後とも現代社会に警鐘を鳴らしえるか、それは偏(ひとえ)にこの文体(スタイル)を維持・洗練できるかにかかっているに違いない。【赤井敏夫(神戸学院大教授)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

演出家の仕事 (岩波新書 新赤版 1105)
演出家の仕事 (岩波新書 新赤版 1105)栗山 民也

岩波書店 2007-11
売り上げランキング : 981


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「開かれた劇場」をめざして、新国立劇場の芸術監督を7年つとめた著者が、明晰(めいせき)な話し言葉で、演劇の現在について語りかける。

出発点は、まず聞くこと。「物言う術」より聞く耳をもつこと。相手の言葉を聞き、感情を読みとって対話が始まる。そして、異質の声がぶつかり合う不調和の調和こそ、演劇の真のアンサンブルだ。

では、戯曲はどう読めばよいのか。稽古場(けいこば)で俳優はいかに想像力を働かせればよいか。その具体例を事実に即して述べたあと、世界の演劇人との出会いとすぐれた舞台の実例をあげ、演劇とは何かを問いかける。

その裏づけとして、演出家になるまでの自分史が語られる。金春(こんぱる)流の人間国宝櫻間(さくらま)道雄の能「伯母捨(おばすて)」を観(み)たのが舞台芸術に入るきっかけで、世阿弥の美学に傾倒したという。きわめて尖鋭(せんえい)で、かつ正統的な著者の演出の根底にふれる挿話だ。また、戦争の犠牲者だった父親と、アウシュヴィッツ強制収容所が念頭にあって、いまも沖縄でのワークショップをつづけているともいう。

井上ひさしの近作「ロマンス」の演出日記まで添えた演劇人必見の書で、演劇を志す若者たちばかりでなく、現代劇に関心のある多くの読者に奨(すす)めたい好著。【杉山正樹(文芸評論家)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)
アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)C・N・アディーチェ くぼた のぞみ

河出書房新社 2007-09
売り上げランキング : 1432

おすすめ平均 star
starナイジェリアからアメリカへ~心震わせる珠玉の作品集。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ナイジェリア出身の作家といえば、「アフリカ文学の父」とされるアチェベやノーベル文学賞を受賞したショインカが有名だが、その次代をになう代名詞的な存在として、今後ますますの健筆ぶりが期待できる、チママンダ(=「私の神は倒れない」)というファーストネームを持つ彼女。

1977年生まれの著者は、19歳のときに奨学金を得て渡米し、現在イエール大学に籍をおく才媛(さいえん)だが、あくまでもビアフラ戦争に負けたイボ人の末裔(まつえい)としての目から“現代”を描く。

切実な思いが結晶した、これぞ珠玉の短編集だ。

表題作をはじめ全10編はみな、深い悲しみを湛(たた)えている。異文化にとまどい、心ない人々の言動に傷つく主人公たち。その〈静かに泣いている〉姿が、じつに、胸を打つ。なぜなら、少数者の矜持(きょうじ)というか、差別と闘う決意をした者の、凜(りん)とした心意気が感じられるから。

スタバやゲームボーイ、コーチのハンドバッグに、プジョーの車……資本主義社会の「商標」が作品中にさらりと登場したり、大学の教授と女生徒の同性愛が示唆されたりもする作品の同時代性に驚くなかれ! 過去と未来を行き来する、肌理(きめ)こまやかで伸びやかな語り口にこそ瞠目(どうもく)すべし。【望月旬(文芸評論家)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

インドの衝撃
インドの衝撃NHKスペシャル取材班

文藝春秋 2007-10
売り上げランキング : 260


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

台頭する国の実像に迫る壮大な報告

今、インドが注目されている。毎年8%の経済成長を続け、2032年までに日本を超える経済大国になるとの予測もある。本書は、台頭するインドの実像をつかむために、経済や政治の鍵を握るエリートからスラムの庶民に至る幅広い人々に対して、インタビューを行った壮大な「インド・レポート」である。

本書によれば、インドの成長を支えているのがIT産業であり、10億を超える巨大な人口を背景にした質の高い人材供給がある。特に、全国に七つのキャンパスを有するインド工科大学(IIT)では60倍の競争率の中から選ばれた優秀な若者が、「頭脳立国」を支えるために、全寮制で勉強に専念している。

しかも、かつては海外に渡った卒業生の多くがインドに留(とど)まり、母国のIT産業を担っている。その根底には、長い植民地支配の歴史を背景にした強い愛国心がある。

さらに、インドの経済成長をもたらすもう一つの鍵が、旺盛な購買意欲をもつ富裕なミドルクラスによる消費である。しかも、マンモハン・シン現首相が、貿易障壁を削減したことから、国際的な有名ブランドがインドに進出し、現在、世界8位の規模であるインドの小売市場が今後5年間は、毎年7%ずつ伸びると見込まれている。

インドは政治面でも存在感を発揮しつつある。1998年のインドの核実験強行で、米印関係は一時最悪の事態に陥ったが、中国の台頭を懸念する米国の思惑もあり、2006年3月には協力関係構築への歴史的転換点となる米印核協力の合意を果たす。そこで注目すべきことは、インドは軍事用核施設について国際原子力機関(IAEA)の査察を受けずに米国から核技術や核燃料の提供を受けるという内容であり、米国が大幅に譲歩した格好である。

米国との長期にわたる交渉担当者を定めて米国側担当者との個人的信頼関係を築き、時には在米インド経済界のロビイストを使って米国の強硬派政治家から譲歩を引き出す姿は見事である。今後、何かと注目されるインドを知る上での必須の本といえよう。【評 小林良彰(慶応大学教授)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

数が世界をつくった―数と統計の楽しい教室
数が世界をつくった―数と統計の楽しい教室I.バーナード・コーエン

青土社 2007-09
売り上げランキング : 270


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

数量化の技術で社会を変えた人々

本書の原題は「数の勝利」。「いかにして数えることが、近代生活をかたちづくったか」と副題が添えられている。けだし数量化、すなわち世界や社会を数値で把握することが知識の正しさや確かさを保証すると考える態度の発達は、近代の本質の一部だ。自然を支配する主人としてふるまう近代人は、あらゆるものについて数を数え、量をはかる人間である。

しかし、この数量化の道のりは決して単線的なものではなく、またその道のりが今日、すでに終えられた旅路であるというわけでもない。数量化による知が木石から人間自身へと及ぶにつれ、ある緊張が高まるからだ。人体も物体であり、人間も動物である分だけ、数量化は人間を理解するのにも効果を発揮する。翻って言えば、数量化の技術が上がるほど、人体は物体に近づき、人間は動物に近づくということだ。その先にほの見えるのは、いわば人間が自己家畜化する社会である。

数量化がもたらすこの緊張は、いまにはじまったものではない。数量化へ向けた技術革新は、つねにある種の暴力・冒涜(ぼうとく)として抵抗を受けてきた。だが、天文学や物理学から始まった数量化が、医学や社会学、そして政策科学へと拡大していくさまを描く著者の筆致は、数量化を推進した者と抵抗した者とを対置するよりもむしろ、推進する立場のなかでの複雑さを提示している。数量化は、必ずしも一元的で一貫した科学的態度ではないのだ。

たとえばM・フーコーやI・ハッキングのような、比較的哲学的な著者の作品に親しんでおられる読者なら、本書が渉猟しているエピソードが、それぞれ科学史・思想史上の重要テーマに触れていることに気がつかれるであろう。だが本書の稀有(けう)なところは、そういうややこしい話抜きに、例えばナイチンゲールが先駆的な統計学の実践家であった逸話(彼女は自らデータをグラフに加工し、病院衛生の改善を訴えた)など、個々のストーリー自体に読み物としての面白さがあることである。本書がこの大家の遺稿となったことが惜しまれる。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/12/09, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1ジョン・J・ミアシャイマー スティーヴン・M・ウォルト 副島 隆彦

講談社 2007-09-05
売り上げランキング : 95

おすすめ平均 star
star現実主義と丁寧な論証に考えさせられる
starダメだ、こりゃ。。。
star知識人必読の書です

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 2
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 2J.J. ミアシャイマー S. ウォルト 副島 隆彦

講談社 2007-10-17
売り上げランキング : 96

おすすめ平均 star
starイスラエルの戦史と米国のイスラエルロビーの実態が分かります

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

米国の国益に反した偏重外交を喝破

衝撃作である。しかも、超ド級の。

何が衝撃か。米国の外交政策はイスラエル・ロビーに振り回されていて、それは米国の国益にならない、イスラエルを特別扱いするな――。そう言い切ったのも衝撃だし、言い切った本がイスラエル・ロビーの圧力にも負けず世界中で出版できたことも、驚きだ。出版後、米国内で一大論議を呼んでいる。

内容は、これまで中東研究者なら誰しも主張してきたことだ。米国がイスラエルを過度に支援することで、中東で外交的に有効な主導権を取れないでいること。アラブ・イスラーム社会で反米意識が高まっていることや、テロ志願者が増えるのは、その米国のイスラエル偏重政策のせいだということ。イラクやシリア、イランは、米国とうまくやれない関係ではないはずなのに、イスラエルの危機意識が、米政権をこれらの国々との衝突、戦争に駆り立てていること。

しかし中東研究者が言ったところで、中東オタクのたわごととしか聞いてもらえないのに(やれやれ、評者もどれだけそういう目にあったか)、本書の衝撃は、筆者がばりばりの米国保守本流の大物政治学者、しかもリアリストと呼ばれる学派に位置づけられることだ。主張する外交路線は、ブッシュ父政権期のベーカー国務長官らの考えに、近い。

筆者が特に標的とするのはブッシュ現政権の核にいたネオコンで、彼らとイスラエル・ロビーが正当化するイラク戦争や対パレスチナ政策のロジックを、ことごとく見事に論理的に反駁(はんばく)していく。その切れ味のよさといったら! 読んでいて爽快(そうかい)感すら覚える。

本書1ではまず、米国の対イスラエル支援がいかに特別で突出したものかを統計的に示し、その上で、米国にとってイスラエルは戦略的に重要なものではない、むしろ「お荷物」だと指摘する。中東産油国から石油を安定的に確保するほうが、よっぽど国益にかなっているはずだ、というのが、いかにもリアリストの発想だ。さらに、占領地政策など、道義的にもイスラエルを支援しがたい理由を挙げ、イスラエルに対して、「イスラエルは、パレスチナ人の権利を侵害した上で建国されたことを認める」べきだ、と求めている(2巻終章)。すごい。

圧巻は2巻の、イラク戦争からイラン、シリアとの関係まで、いかにブッシュ政権が間違ってきたかを述べた個所だ。筆者はイラク戦争の開戦理由を、「イスラエルをより安全にするため」と看破する。そして近年高まる米国の対イラン攻撃ムードも、イスラエルのためであって米国のためではない、と断言。米国は中東から軍を引いて、域外から外交によって米国の権益擁護を図るべきだと、結論づける。そして、イスラエルの占領をやめさせることが、最優先課題なのだと。

要するに、米国がイスラエル・ロビーにそそのかされて戦争したり、中東のその他の国々の憎しみの対象になったりするのはまっぴらごめんだ、ということが、とても理路整然と書いてある本。米国の中東政策を理解するうえで、最適の教科書だ。必読。【評 酒井啓子 東京外国語大学教授・中東現代政治】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

子どもが忌避される時代―なぜ子どもは生まれにくくなったのか
子どもが忌避される時代―なぜ子どもは生まれにくくなったのか本田 和子

新曜社 2007-10-25
売り上げランキング : 606


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「次世代を作る」を公的な営みと主張

私事になり恐縮だが、私には子どもがいない。決意や選択の結果というより、何も選択せずにいたら自然にこうなった、とこれまで思っていた。

著者は、少子化の根っこにあるのは「子ども忌避」の心性だとする。だとすると私も、自分でも気づかぬうちに「次世代の人間を作り出すという営み」を積極的に忌避していたのだろうか。これはただごとではない。

しかし著者は、この「子ども忌避」は現代女性の意識の変化のみによって起きたものではない、とする。それは、社会の近代化に伴ういくつかの変化の総体なのだ。そして、親子関係、生活空間、都市空間、情報ツールやメディア、犯罪など、それぞれの要素ごとに「子ども感」の変化の歴史を丹念にたどっていく。

たとえば、親子関係に関する章には、西欧文明の輸入である「ホーム主義」と前近代社会の「イエ」概念が結びついた結果としての「緊密な母子関係」がどういうプロセスで変遷していったかが描かれる。家電製品やインスタント食品、塾の普及などの結果、母親は子どもにとって「なくてはならない者」ではなくなっていき、親子は互いに必然性の乏しい存在となってしまった。そしてもちろん、この親子関係の希薄化は、「子どもの忌避」の要因のひとつにしかすぎない。

なるほど。“なんとなく子どもがいない私”も、明治以降の複合的な社会変動のひとつの結果だったということか。「産まない女はワガママ」と責められるよりは「近代化の必然」と言ってもらったほうが気がラクだが、それで問題が解決したわけではない。著者は、「人」という種を絶滅から守るための生殖行為を、単なる私的行為を超えた「大いなる目的に奉仕する『公的』な営み」に位置づけよと主張する。「その責務を果たしていない私っていったい……」とまたまた「私」に拘泥してしまうのが、そもそも近代の病理なのだろう。近代的自我と「子ども」は両立するのか否か。あまりにもむずかしい問題だ。【評 香山リカ(精神科医)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

コロニアリズムの超克―韓国近代文化における脱植民地化への道程
コロニアリズムの超克―韓国近代文化における脱植民地化への道程鄭 百秀

草風館 2007-10
売り上げランキング : 21712


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

植民地化が強いた言語経験の普遍化

近代日本の小説は、近代西洋の小説を翻訳することを通して形成された。だから、その意味内容がいかに日本的であろうと反近代的であろうと、すでに近代・西洋の影響下にある。この事実を別に恥じる必要はない。恥ずかしいのは、そのことを知らずに、「日本独自の文化」などといってまわることだ。これは日本に限られた経験ではない。そもそも、西洋で最初の近代小説を書いたとされるダンテも、先(ま)ずラテン語で書いて、それをイタリアの一地域の言葉に翻訳したのであり、その結果として、近代イタリア語(国語)が生まれたのだ。

韓国の近代小説についても同様のことがいえる。ただ、問題を複雑にしているのは、それが、日本に植民地化されたなかで、日本の近代小説を翻訳するということを通して形成されたことである。それは、植民地化された文化状況を克服し、韓国文化の自律的な伝統を実現することを主張する人たちにとって、認めたくない事実である。しかし、著者の考えでは、植民地時代のそのような経験を否認することそのものが、コロニアリズムの遺産にほかならない。「コロニアリズムの超克」は、先ず、この事実を認めるところからしか始まらない。

さらに、著者は、日本語で書いて芥川賞の候補となり、戦後は北朝鮮で活動した小説家、金史良の作品を詳細に分析しつつ、植民地化が強いた言語横断的な経験を、たんに否定的に見るのではなく、また、韓国に特殊なものとして見るのでもなく、むしろ、人間にとって普遍的な事態として見ようとする。純粋でオリジナルな言語や文化など存在しないのだ。こうして、著者は、韓国文化のオリジナリティーと特異性を唱える、さまざまなナショナリストの言説を痛烈に批判する。

しかし、著者が特に言及しないにもかかわらず、読者は、ここで韓国について指摘されていることが、ほとんどそのまま日本についてあてはまることに気づかされるだろう。その意味で、本書は、韓国人の特殊な経験を普遍化するという課題を、見事に果たしたといえる。【評 柄谷行人(評論家)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

シャンパン 泡の科学
シャンパン 泡の科学ジェラール・リジェ・ベレール 立花 峰夫

白水社 2007-09-19
売り上げランキング : 1985


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

美しい泡に魅せられ、謎を追う

よく冷やしたシャンパンの栓をゆっくりと抜き、背の高いフルートグラスに静かに注ぐ。グラスの底からは細かい泡が立ち昇る。グラスを持ち上げ、口元に近づけてみよう。細かな泡が弾(はじ)け、芳香が鼻を刺激する。グラスを傾けると口の中でも泡が弾ける。スパークリングワインならではの贅沢(ぜいたく)だ。

糖がアルコール発酵すると二酸化炭素(炭酸ガス)が出る。これはどんな醸造でも同じ。シャンパンは、ビンの中でさらに2度目の発酵をさせることで炭酸ガスを封じ込める。その結果、コルク栓を開ける前のビンの中はおよそ6気圧に加圧されており、液中にも1リットル当たり12グラムほどの割合で炭酸ガスが溶けている。

シャンパンの泡は、液中に溶けていた炭酸ガスの放出である。放置しておくと、フルートグラスからはおよそ200万個の泡が立ち昇る。

よく見ると、泡はグラスの内面で形成され、上に向かってまっすぐに上昇している。しかも、少しずつ成長し、スピードを増しながら。考えてみれば不思議な現象だ。シャンパンはなぜ、美しく泡立つのか。本書は、この謎に魅せられたフランス人物理学者のシャンパン賛歌である。

炭酸ガスの泡は、グラスに付着した微細な繊維片のエアポケットで形成される。いくら磨き上げても、そうした不純物は付いているものなのだ。ちなみに、実験的にグラスを塵(ちり)一つない状態にすると、泡は生じない。

シャンパンにはビールの3倍量のガスが溶けている分、泡の発生も多い。おまけに、泡を包み込んで固めてしまう界面活性物質の量がビールよりも少ないため、シャンパンの泡は上昇しながら液中のガスを吸い上げて成長し、そのおかげで浮力が増して加速される。

表面に達した泡はそこで瞬間的にパチパチと弾け、内部の気圧を急速に減少させるため、液体が秒速数メートルで数センチの高さにまで噴出する。すべて物理の言葉で説明できるが、だからといって興ざめではない。むしろ逆に芳醇(ほうじゅん)さが増した気になる。天の恵みシャンパンに、さあ、乾杯しよう。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))
ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))川崎 昌平

幻冬舎 2007-09
売り上げランキング : 1663

おすすめ平均 star
starネットカフェ難民に向けてではなく、ネットカフェ難民になろうかとしてる人に向けた本
star切迫感がない
star感想が難しいのであります。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ネットカフェ難民には月最低9万円が必要で、そのうち6万が宿泊代と知って、思わず首を傾(かし)げた。わずか1畳の空間に1泊2千円かける彼らってなに?

お風呂なしで月3万とか4万で6畳の部屋もあるよー、と言いたくなる。

携帯電話を使っての日雇いバイトも実に効率が悪い。あえて継続する仕事に背を向け、まっとうな生活を拒むかのごとき選択だ。

本書は25歳の無気力な若者が、親元を出てネットカフェ難民になった体験記だが、その具体的な日々を知るにつれ、彼らの生活を若年層の「経済格差」の実態と見るだけでは捉(とら)えきれないものを感じる。

ほら、いたでしょう? ヒッピーとか、フーテンとか、いつの時代にも、家を捨て、街を浮遊して生きる若者たちが。ネットカフェ難民の少なからずは、その系譜に属する若者なのかもしれない。

しかも、豊かさの中で育った彼らは、社会の最底辺に身を置くことでしか、リアルな現実を体験するすべがない。無意識のうちに生きる技術を欲し、自立の修行をしているように見える。本書からは、ネットカフェ難民とは? というもうひとつの視点が得られるだろう。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

出版と社会
出版と社会小尾 俊人

幻戯書房 2007-09
売り上げランキング : 5166

おすすめ平均 star
star出版関係者の必読書

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

豊富な文献を通して語る大正の終わりから、戦争直前までの出版興亡史。A5判2段組み、650ページをこえる大著である。

関東大震災後の「キング」(講談社)創刊、それと雁行(がんこう)するように改造社の山本実彦によって創案された円本。昭和の出版界(著者・編集・印刷・製本・流通・読者)はそれにより一変した。

その円本の功罪。子どもをめぐっての興文社対アルス、文学全集をめぐっての春陽堂対改造社など多くの激烈な戦い。新聞を舞台にした凄(すさ)まじい宣伝合戦。いまの出版界を凌(しの)ぐ活気とその過激さに驚かされる。

円本ブーム終焉(しゅうえん)前後の文庫創刊。そこにおける翻訳文化の問題。『資本論』をめぐっての岩波茂雄と河上肇との軋轢(あつれき)。現在も変わらぬが出版は人間臭いことばかりだ。

忘れていけないのは軍による検閲・弾圧の歴史でもあったことだ。不当な事件の内実も、丹念な資料発掘に基づき詳述されている。

平易で、おもしろく、しかも読み応えのある昭和出版史。やや高価格なのが気になるが、一度二度、酒を控えても座右に置いていい一冊ではないか。出版人にかぎらず、新聞・テレビ・広告などマスコミ業界の人たちにはとりわけ読んでもらいたい。【評 小高賢(歌人)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

私の男
私の男桜庭 一樹

文藝春秋 2007-10
売り上げランキング : 122

おすすめ平均 star
star圧倒されて、のめりこませる世界
star凍った景色
star一見限りなく「普通」の作品。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

矢継ぎ早に話題作を世に送り出している桜庭一樹の最新作は、ダークな雰囲気の恋愛ミステリーである。

2008年6月、結婚式を翌日に控えた腐野(くさりの)花は、養父の淳悟(じゅんご)、婚約者の尾崎美郎(よしろう)と会食する。一見すると幸福に思える風景は、花と淳悟が愛するがゆえに肉体関係を持ち、さらに殺人事件にもかかわっていたことが暗示されることで一転。やがて物語は1993年まで時間を遡(さかのぼ)り、語り手を変えながら、二人の謎めいた過去に肉薄していく。

過去へ遡ることで意外な真相を浮かび上がらせる手法は、類似作も多いので決して珍しくはない。

だが花と淳悟の関係にしても、殺人の動機にしても、ほのめかされている事実は読者を欺くための前ふりに過ぎず、常に予想を裏切る意外な結末が用意されているので、謎解きの完成度も高い。

花と淳悟は世間の常識からすればおぞましい関係だが、作中では美しくも魅力的に描かれている。二人の退廃的な愛は、バブル崩壊後の不景気、そして拡大する所得格差によって日本人の常識や倫理観が激変した状況ともリンクしている。社会の“闇”が個人の生活に影響を及ぼすという普遍的な構造を明らかにしたところも鮮やかである。【評 末國善己(文芸評論家)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

食通小説の記号学
食通小説の記号学真銅 正宏

双文社出版 2007-11
売り上げランキング : 9156


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

『食通小説の記号学』という何ともソッケない題名には、ある隠し味が潜んでいる。

つまり、“食”の味わいはそれを口にする個々の人間の味蕾(みらい)の鋭敏さだとか、育った文化環境などによって、同じ物を食べてもまったく異なる表現がなされる可能性を有するわけで、要するに味覚は極めて主体的で第三者に伝えにくい知覚と言えるだろう。ところが記号学という学問は、大ざっぱに言えば言語記号化という作業が事物や感情といった観念を、いかに客体化し得るか(つまり他者に提示し得るか)を扱うものだ。一見、水と油に見えて、記号学を応用するのに食の分野は極めて魅力的な対象なのである。双方に興味のある人なら、ニヤリとする題名だろう。

一方で、題名からシニフィエだのパロールだのといった堅苦しい記号学用語が並んでいることを予想して、そんな学術のコトバで食の魅力が語れるものか、と拒否反応を起こす読者もいるに違いない。しかし安心してほしい。著者は(少なくとも本文中には)一切、そういう“頭をよさそうに見せるためだけの”専門用語を使っていない。そこにあるのは、岡本かの子から織田作之助、谷崎潤一郎といった作家たちが、いかに美味の概念を読者に伝えようと苦心して文を練ってきたかという実例であり、その豊富なデータを列記することで、例えば日本人はビールに対し、その魅力は大いに語っても、味を具体的にほとんど表現していない、というような、興味深い事実も見えてくる。

さらに、今流行の料理のレシピ本にしても、それが成立するのは、文字というものに事象を伝えるシステム、「そもそもそれが指すもの、たとえばりんごという言葉がさすものが、大体のところは同質である、という前提」が出来た場合に限られるわけで、“それこそが記号学の基本中の基本なのだ”という指摘にひざを打つ読者も多いと思う。ここまで臭みのない記号学関係書も珍しい。図版も豊富で楽しいし、食文化史本としても面白い。食わず嫌いせず、まずはひと口味わってご覧なさいとお勧めする。【評 唐沢俊一(作家)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて
集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて竹井 隆人

平凡社 2007-10
売り上げランキング : 468

おすすめ平均 star
star日本のコミュニティのあり方を提示する貴重な本

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

他者を意識した緊張感ある共同体を

かなり論争的な本だ。タイトルを見ると、集合住宅におけるコミュニティーや共同的なまちづくりの重要性が、生温かい理想主義的な雰囲気を伴いながら描かれているのではないか、と私たちは考えてしまう。しかしこの本は、私たちが何となく「善(よ)きもの」と前提しているような「コミュニティー」や「まちづくり」のイメージに違和を決然と表明する。

たとえば、住民たちの交流を推進するコミュニティーの構築について。著者はその重要性を一定程度認めつつも、それが多くの場合曖昧(あいまい)な形で語られ「はなはだ情念的で表面的な意味合いでの人間同士のつきあい」として捉(とら)えられているのではないか、と論じる。コミュニティーをめぐる言論空間のなかで、住民の主体的な政治参加の契機が見失われつつあるのではないか、ということだ。では、住民の自主性が前面化しているようにみえる住民運動はどうか。これについても――「すべての」というわけではないだろうが――「住民運動に透けて見えるのは、自分たちの住宅を既得権とし、それ以後に建設される住宅のみに規制をかけるべきだという身勝手さ、あるいは……無責任さであろう」と手厳しい。著者が目指す「新たな共同性」は、表面的な相互交流(コミュニティー)でも他律的なまちづくりでもなく、住民による主体的な政治的共同性の構築=ガバナンスを体現した意味空間において立ち現れてくる。それは内輪的なつながりを超え、他者が自らとは異なった存在であるということを前提とした緊張感溢(あふ)れるものとなるだろう。

しばしば異質な他者との出会いを阻むものとして批判されるゲーテッド・コミュニティー(防犯のため構築された閉鎖空間)についても著者独自の分析が加えられており、監視社会論に対する問題提起として受け止めることもできる。評者は著者の「日本人」をめぐる文化論的考察のすべてに同意するものではないが、都市や住居空間の共同性の持つ複雑性について多くの理論的示唆を受け取った。論争を喚起する刺激的な本であることに間違いはない。【評 北田暁大(東京大学准教授)】

■2007/12/02, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

Edit

 
Copyright (C) 2004-2006 Ambitious Kanda, All Rights Reserved.