メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年10月7日~10月14日

失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへ
失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへシーダ・スコッチポル 河田 潤一

慶應義塾大学出版会 2007-09
売り上げランキング : 127


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

エリートに管理される社会を問う

米国では、来年秋の大統領選の候補者選びが進み、日本のニュースにもしばしば登場する。しかし、そこで目に付くのは巨大化した政党や利益集団、そして民間からの献金を集めて特定の候補者支援のために支出する政治活動委員会(PAC)である。地元における一人ひとりの市民の自発的政治参加を積み上げることで自分たちのリーダーを選出できた「古き良き時代」ではなくなり、組織的に巨額な選挙資金を集めて、候補者のテレビCMを流すことが大統領への道になっている。

その原因として、フランスの思想家トクヴィルが述べたように、「一般に平等が進むと各市民が個人的に弱くなり、相互の糸が失われて皆が孤立する」ため、大きな資金を背景にした全国規模の組織が必要になったことが考えられる。特に、60年代の市民運動以降、市民組織が専門化したために高学歴の専門家が組織の運営に携わるようになり、市民によるメンバーシップ組織が専門家によるマネージメント組織に変貌(へんぼう)し、市民が専門家から管理されることになったと、米国政治学会会長を務めた本書の著者スコッチポルは嘆く。そして、専門家が市民を大量動員することに積極的ではなくなり、90年代以降、民主主義が「失われた」状態に入ることになる。

こうした変貌に対して、「社会における人間関係の豊かさ」を示す概念である社会関係資本(ソーシャルキャピタル)に注目して一世を風靡(ふうび)した『孤独なボウリング』の著者パットナムは、組織が中央化されることで地元運動と連携しなくなっている現状を悲観し、地域的な人間交流を重視することが必要と強調する。これに対して、リベラル派は、組織が地域のしがらみから解放されて全国化されたことを楽観的にとらえて賞賛(しょうさん)する。

これらの議論に対して、スコッチポルは、まずパットナムらの議論を「皆でボウリングをしても政治参加にはならない」として政治的運動と非政治的運動を混同することを批判する。また、60年代から90年代の間に起きた市民組織の急激な変貌の原因を、時間をかけて徐々に進行する世代交代に求めることには無理があると手厳しい。

その一方で、リベラル派による楽観論に対しても「集団の対象が全有権者でも運営は上流階層」が行っていることを指摘して、専門家による上意下達的運営やエリートによる脱物質主義的価値観が非エリートの物質的利害要求を排除していると批判する。

両端の議論に対するこれらの批判を通して、スコッチポルは「過去の我が市民社会の最良の部分を再創造する方法を探すことはできるし、またそうすべきである」とし、現代社会に即した市民による自発的結合を取り戻すことが重要であると主張する。

米国の現状を「失われた民主主義」と捉(とら)え、その原因を数十年間にわたる米国の利益集団の分析を通して明らかにした名著である。「スナップ写真」のような個々の選挙における世論調査データの分析に頼りがちな日本の研究者にも得るものが多い。翻訳もこなれていて読みやすく、一読を勧めたい。【評 小林良彰(慶応大学教授・政治学)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

文字の都市―世界の文学・文化の現在10講
文字の都市―世界の文学・文化の現在10講柴田 元幸

東京大学出版会 2007-08
売り上げランキング : 339


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

浮かび上がる「文化の交差点」の風景

「あの高いのは都庁と違います~?」「ぅぉおうぅ、そうやろか!」。新宿で観光客が指していたのは、某高級ホテル。プリンストン大学のエメリック氏は、このコミカルな取り違えから「首都(キャピタル)/都市(メトロポリス)」文学論を展開する。森鴎外、田山花袋、大岡昇平のような、首都・東京の存在感が濃厚だった日本文学から「場所感」が薄れだしたのは、村上春樹あたりからだろうか、と。

トポスとしての東京に始まる思索が、しかし真のスリルをおびるのは、その視点が都市論的な「場」を離れ、小説の文体そのものに向かっていく時である。実際の首都に背を向けた文学はいま、標準語という文字の「首都」をも見捨てようとしている、というのだ。求心的なキャピタル文体から「ミックスアップした」メトロポリス文体へ。日本文学はどう変わっていくのだろう。

この刺激的な論考をふくむ本書は、東大大学院教授の柴田元幸氏が他校から講師を招いて主宰した「多分野交流演習」をまとめたものだ。紙幅によりすべて書けないのが無念だが、ロシアのポピュラー音楽史(久野康彦)といった知られざる分野を紹介し、ダンテ、ホメロスを「ローカライズ・流用」の観点から読み直し(栩木(とちぎ)伸明)、愚痴のメカニズムでチェーホフ、ドストエフスキーを読み解き(野中進)……もう、大学講義にあるまじき(いや、あるべき)面白さである。

「『魅せられる』ことからはじまる」と帯コピーにあるが、それを最も鮮明に感じさせるのは小沼純一氏の講義だ。コリン・マクフィーなるカナダ人音楽家が、バリ島のガムランに惹(ひ)かれた経緯とその生涯をたどる。その中でマクフィーを起点に、アルトー、ストコフスキー、阿部知二、カナダの作家アトウッドらの“足跡”が交わり、歴史的な文化の交差点の風景が描きだされていくさまは、まさに壮観。何かに魅せられた芸術家には、研究者には、それぞれ何ができるのか?

著者の真摯(しんし)な問いかけには、分野を超えて創造の根幹に迫る声が響く。感動した。【評 鴻巣友季子(翻訳家)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命
私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命シリン エバディ 竹林卓

ランダムハウス講談社 2007-09-13
売り上げランキング : 1203

おすすめ平均 star
starイランで女に生まれると
star簡単な言葉ではない「私は逃げない」

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

イランで目覚めた女性たちを後押し

2003年、イラン人女性弁護士のシリン・エバディがノーベル平和賞を受賞したとき、多くの日本人は、それって誰だ? と思ったろう。

一方で、彼女がイラン・イスラーム体制に対して民主化、女性の権利擁護を要求してきた、ということを知る人のなかには、欧米のイラン批判を後押しする受賞では、と斜に構える者もいた。折しも米英がイラク政権を武力で転覆し、楽天的に中東の民主化を謳(うた)っていた時期だ。当時のハータミー・イラン大統領の改革路線が、壁にぶつかっていた時期でもある。

しかし本書を読むと、そんな生易しいものではないことが、わかる。国外に亡命し、安全な高みから民主化を叫ぶ亡命知識人は、多い。だが彼女は一貫して、海外に逃げないことにこだわる。

情報機関の暗殺リストに載っても、知識人を狙う連続殺人事件に巻き込まれても、刑務所送りになっても、逃げない。どれも、踵(きびす)を返したくなるようなことばかりだというのに。

そのこだわりは、「私がイランで果たす役割」は、「海の向こうの大陸から……こなせる」ものではない、と筆者が確信しているからだ。ノーベル賞決定後、帰国して最も著者の胸を打ったのは「イラン万歳」という手書きのポスターだった。それが、著者の祖国への愛を示している。

また、欧米の短絡的なイスラーム観にも批判的だ。イランの女性は、イスラームのせいで束縛されているのではない。自由や民主主義はイスラームと矛盾しない――。一貫して著者はそう主張する。

イラン革命によって、実は女性の教育水準は格段に上昇した。これまで伝統的家庭のなかに閉じ込められていたような若い女性が、イラン革命によって政治に覚醒(かくせい)し、革命の「指導者」役になる。彼女たちは、自分にも重要性がある、社会で役割を果たしうる、と気づいたのだ。

革命で女性裁判官という職を奪われた著者が、革命によって目覚めた若い女性たちの社会進出を、後押しする。祖国の現実から逃げない著者の生き様が、力強い。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

拡大するイスラーム金融
拡大するイスラーム金融糠谷 英輝

蒼天社出版 2007-09-15
売り上げランキング : 1827


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

多元的な市場のひとつとして成長

最近、経済紙やビジネス誌にイスラーム金融を扱う記事が目につくようになった。原油価格の高騰を背景に、オイルマネーの運用需要が高まっていること。70年代以降つづく趨勢(すうせい)として(そして9・11以降さらに)、ムスリムのイスラーム回帰志向が高まっていること。そしてイスラームが、その教義において利子を禁じていること。こういったことを断片的に聞きかじってはいたものの、率直に言ってイスラーム金融が、実際にどういったものなのかについて評者は無知であったところ、一般向けの概説書が相次いで刊行された。

利子を禁ずるといっても、事業への投資からの収益や実物の売買から生ずる利ざや、リース料や手数料は問題ない。イスラーム金融の技術的本質は、シャリーア(イスラーム法)上で適格とされた取引を組み合わせることで、利子を回避した金融商品を開発・運用することである。いまやヘッジファンドまである(シャリーア解釈の厳格な国では認められていないが)イスラーム金融商品の多様さには驚かされる。ムスリムにとって宗教的に満足なだけでなく、場合によっては一般金融よりも有利な商品が生まれることもあるのだ。

これまで経済の観点からのイスラームへの関心といえば、オイルマネーを当て込んだ「バスに乗り遅れるな」式のビジネスチャンスの喧伝(けんでん)か、イスラームに資本主義のオルタナティヴを勝手に投影した左翼オリエンタリズムのいずれかでしかなかったように思われる。

しかし今日成長しつつあるイスラーム金融は、たとえば同じ市場社会でも日本とアメリカとスウェーデンとがそれぞれ異なる文化や制度に支えられているように、多元的な市場社会のひとつのヴァリエーションと捉(とら)えるべきものだろう。法制度の整備など、乗り越えていくべき課題は多いが、つまるところ、それがグローバル化である。

とっつきやすさでは『入門』が半歩勝るが、解説の網羅性では『拡大』に軍配。できれば両書の併読をお勧めしたい。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義
パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義中島 岳志

白水社 2007-07
売り上げランキング : 351

おすすめ平均 star
star明快に誤解を正す力作
starパール判事が今尚「新鮮」であることの問題点
star右翼に騙された

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

東京裁判で被告人無罪を主張したインド人判事として、近年パール判事の名は日本のナショナリスト言説の中で頻繁に言及されるようになってきた。けれどもこうした言説のすべてが、いわゆるパール判決書の誤読や付会を免れているとは言えない。その意味でパール判決書をそれ自身の文脈から読み直す研究書が書かれるべき時期が来ていたし、それが現代インドのナショナリズム研究を専門とする著者の手で著された意義は大きい。

本書の目的は厳密なテキスト分析を通じてパールの主張を明確化することで、上述のような解釈上の誤りを批判するところにあると見られるが、著者が判決書の由来をパール自身の中に培われたガンディー主義的思想にまで掘り下げて規定しようとしていることはとりわけ注目に値する。パールは晩年、日本再軍備に対する警鐘を鳴らして止(や)まなかった。その真意は、このガンディー主義的文明解釈を理解することなしには、かれの東京裁判批判と同一次元にとらえることができないからだ。

ガンディーの選択した非暴力不服従が今も有効な方法論であるのか、その再評価を促すという意味では、本書はむしろ護憲派にとっての必読書かもしれない。【評 赤井敏夫(神戸学院大教授)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)
「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)亀山 郁夫

光文社 2007-09
売り上げランキング : 245

おすすめ平均 star
star新書というよりは専門書
star新規性ゼロの作品
starあの大著を読破した人への「ご褒美」かも

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

少年たちの13年後を詳細に

3人兄弟とその父親の葛藤(かっとう)を描いた『カラマーゾフの兄弟』は、自由かパンか、個人か全体か、あるいは父殺しといった、現代にまで続く命題をいくつもかかえる大長編小説だ。ドストエフスキーは13年後を設定した第2の小説を予告していたが、死によって未完に終わった。三男アリョーシャが、もっと大きな父殺し、皇帝暗殺の考えにとりつかれるはずだと当時からうわさされたという。

評判の新訳で、ドストエフスキーは読みやすいというイメージさえ作りつつあるロシア文学者が、その続編を空想する。読みこむうちに伏線がわかってきて、アリョーシャの影響を受けた少年たちが活躍する輪郭が浮かんできたという。

『カラマーゾフの子どもたち』とタイトルをつけ、少年たちのリーダーであるコーリャが、キリスト教的な社会主義者となって皇帝暗殺を計画する。主な登場人物のその後までていねいに付け、秘密警察の監視を前提とした上で、詳細なプロットを練り上げる。そのままミステリーの謎解きのようだ。じっくり味わうには新訳第5巻の解題は必読である。

それにしても、現代のロシアを考えると、続編の射程も21世紀にまで十分に届きそうだ。【評 由里幸子(前編集委員)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

女子プロ野球青春譜1950 ~戦後を駆け抜けた乙女たち~
女子プロ野球青春譜1950 ~戦後を駆け抜けた乙女たち~谷岡 雅樹

講談社 2007-09-28
売り上げランキング : 3281


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ブルーバード、パールス、レッドソックス、ホーマーからなる在京プロ4球団で日本女子野球連盟が結成されたのは1950年3月のこと。準硬球(トップボール)を使ってたたかわれ、ブームのピークだった50年8月には16チームが全国に存在したという。

ところがその経営基盤はひどく脆弱(ぜいじゃく)で、50年終了時に「連盟」に残ったのはわずかに5チーム。52年からはノンプロに移行し、71年には、あえなく自然消滅してしまう。この間の知られざる経緯に着目し、執筆されたのが本書である。

男性観客が9割というマッチョな空気に晒(さら)されながらも、人気、実力兼備のプロ選手がいたことにまず驚かされる。10日連投の「鉄腕麗人(大島雅子)」と「長嶋茂雄と村山実を合わせたスーパープレーヤー(近藤信子)」がその双璧(そうへき)だろう。

62年生まれの著者が、丹念に拾う元女子プロ選手たちの肉声の数々。彼女たちの多くが、50年当時、10代後半から20代前半で、生年で言えば、昭和ヒト桁(けた)世代ということになる。

美化も誇張もないノンフィクションの秀作だが、女子野球を支えた男たちの多くを情けない人物として描いたところに、この本ならではの妙味がある。【評 佐山一郎(作家)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

暴走老人!
暴走老人!藤原 智美

文藝春秋 2007-08
売り上げランキング : 91

おすすめ平均 star
star老人がキレル訳と今の社会
star新老人予備軍の思い込み
star藤原さんは時にこんなのも書くのか、、、

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

巷(ちまた)ですでに話題沸騰寸前の本である。『暴走老人!』。作家の藤原智美さんによる、「新タイプの老人」考だ。

人は歳(とし)とともに成熟し、分別を身につけて丸くなる――そんな常識に反し、どうも最近、不可解な行動で摩擦を起こしたり、暴力的な行動に走る老人が目立つ気がするぞ。そう考えた藤原さんが彼らに与えた呼称が「新老人」。

若者の暴走をしたり顔で分析した本は多いけど(で、その多くは単なる若者嫌いの暴論だったりするのだが)、若者の凶悪犯罪は統計的にはむしろ減っているのである。ところが、65歳以上の犯罪はこの15年強でじつに5倍!

ああ、やっぱりな。うちのオトーサンもキレやすいもんなぞと思った読者も多いのではないか。それが売れている理由だと思うのだが、「盛大にやっつけてくれ」と願うおおかたの期待(?)に反し、この本自体は暴走しない。

税務署で病院で高速道路の料金所で著者が実際に目にした例。あるいは新聞で報じられた高齢者が主役の事件。そんなものを手がかりに、著者の目は「何が彼や彼女をそうさせたか」という背景の分析へと向かうのである。

ケータイやインターネットの普及は時間の感覚を変容させた。高齢化が進む郊外に象徴されるように、外界と隔てられた住環境は独居老人を精神的にも孤立させる。人と人との関係も、コンビニやファミレスのようにマニュアル化され、透明なルールがそこいらじゅうに張り巡らされている。高齢者を疎外する要素には事欠かないのである。

若者叩(たた)きには嬉々(きき)として興じても、老人批判がしにくいのは「未来の自分」がそこに重なるからだろう。〈社会の情報化へスムーズに適応できないこと〉が彼らを暴走させるという著者の分析は、情報弱者としての老人を浮き彫りにして説得力に富む。

だが、この本に登場する新老人の暴走なんかまだカワイイもの、ともいえるのだ。ご近所トラブルより始末が悪いのは「権力を持った旧老人」の暴走である。そちらへの言及がないのはやや不満。迷惑の度合いを考えれば、ね。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代 (越境する近代 (4))
紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代 (越境する近代 (4))姜 竣

青弓社 2007-08
売り上げランキング : 36387


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

不条理を覗かせてくれた不思議世界

私が育ったのは、北海道の鉄の街の社宅街。そこにも紙芝居屋はやってきた。

時は、昭和20年代末。本書によれば、戦後の街頭紙芝居の絶頂期だったらしい。

外で遊び呆(ほう)けていると、誰かの「紙芝居がきた!」の声がして、一斉に子どもが走る。不衛生でお腹(なか)をこわすから、と飴(あめ)代をもらえなかった私も、兄にすがりつきながら必死でタダ見をした。

そして、まわりから邪険にされつつ見るのは、赤マントの骸骨(がいこつ)や河童(かっぱ)やら、継母に苛(いじ)め抜かれる哀れな子どもの不幸な話。絵もおどろおどろしく、不気味だった。

本書は紙芝居とメディア史と日本民俗学をテーマとするユニークな研究書だが、関係の解明を試みた部分は、難解すぎて歯が立たない。私のような一般読者は、もっぱら、著者がフィールドワークとして、10年も調査研究に打ち込んだという街頭紙芝居の現場の話に魅了される。

とりわけ、子どもに根強い人気を呼んだ「墓場奇太郎」の怪奇譚(たん)が怖い。これは、胎児を孕(はら)んだまま死んだ妊婦の墓の中から子どもが生まれるという昔話が源流で、著者の熱のこもった解説からは〈不気味な生臭さが、ムンムンとたち上がって〉くる。

そもそも、日本の紙芝居は見世物小屋の立絵芝居から発して、大流行したのは昭和初期の大不況の頃と、テレビが登場するまでの戦後の一時期。一貫して失業者や復員兵という都市下層の人々の生活史と深くかかわってきた。

内容も、猟奇的で不気味なものが多く、警察やGHQに検閲されるなどしながら、生き残ってきたとのこと。

本書によって、忘却の彼方(かなた)だった子ども時代の暮らしの断片が蘇(よみがえ)り、思えば、当時の子どもにとって紙芝居屋とは、夕暮れの原っぱにやってきて、この世の闇と混沌(こんとん)と不条理を覗(のぞ)かせてくれる不思議な存在だったなあ、との思いに至る。

紙芝居が媒介していたあの世とこの世をつなぐ〈不気味なもの〉の世界を喪失することで、今の子どもたちが失ってしまったものとはなんだろう、と思わずにいられない。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/10/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

生のあやうさ―哀悼と暴力の政治学
生のあやうさ―哀悼と暴力の政治学ジュディス・バトラー 本橋 哲也

以文社 2007-08
売り上げランキング : 1596


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「9・11以後」の国家の暴力を問う

「9・11以後」はいまや世界を、政治を語るときの欠かせないキー概念になってしまった感がある。現代思想も例外ではなく、というか思想界にこそ、それは衝撃を与えたのかもしれない。日本語に訳された比較的ポピュラーな著作で、エドワード・サイード、ノーム・チョムスキー、スーザン・ソンタグらに触発された読者も少なくないだろう。

ジュディス・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』もまた「9・11以後」モノの一角につらなる一冊である。

〈二〇〇一年秋に私が感じたこと、それは〉と彼女は書く。〈アメリカ合州国が自らをグローバルな共同体の一員として定義する機会を失いつつあること、その代わりにアメリカではナショナリズム言説が力を得て、監視メカニズムが強化され、憲法で保障された権利が停止状態になり、あからさまなものであれ暗黙のものであれ、検閲が蔓延(まんえん)することになってしまったということだった〉

なんてよくわかる序文だろう! バトラーが「わかる」なんて奇跡に近い。

バトラーは、アクロバティックとさえいえるこみいった文体と難解な思想で、世界中の読者をほとほと困らせてきた著者である。彼女の名前を一躍知らしめた『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳・青土社)は、セックス(生物学的な性)とジェンダー(社会的な性)という、第二波フェミニズムが一貫して用いてきた二分法に疑義をはさみ、「いーえ、セックスやセクシュアリティも社会的に構築されたものなのです」とやって、「そんなの現実と乖離(かいり)した机上の空論じゃん」という一部の反発を招きながらも、それまでのフェミニズムやジェンダー論をぬりかえるほどの衝撃を巻きおこしたのだった。

ジェンダー論と直接的には関係のない本書でも、所与のものとされてきた二項対立の図式を徹底的に疑う姿勢は貫かれている。

収録された論考は全部で5本。

「タリバンやアル・カイーダの構成員」を収容すると称して、「囚人」に非人間的な拘束を強いるグアンタナモ・ベイ捕虜収容所の政治的な意味(「無期限の勾留〈こうりゅう〉」)。ユダヤ人の立場でイスラエルを批判する人々に向けられる脅しの言説(「反セム主義という嫌疑」)。あとの三つは、自由な言論が封殺された中で「暴力」や「哀悼」をどう捉(とら)えるかにかかわる。

理論家で知られるバトラーだが、この本の価値は「左翼的知識人」を自任する著者が見えない圧に抗してリアルタイムで発言する、その行為自体にあるように思われる。

〈「テロリズム」という語の使用はこうして国家に基盤をおかない政治団体が行使する暴力行為を非合法化する機能を果たしており、それはまた同時に既存の国家による暴力的な対応にお墨付きを与えているのだ〉

2001~2003年に書かれた言葉が、いまなお有効性を失っていないのは、いわずもがな。「対テロ戦争」という語を金科玉条とした法案が国会で審議されようとしている日本でも事情はまったく同じである。「9・11」はいまも現在進行形なのだ。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

惑星の思考―〈9・11〉以後を生きる
惑星の思考―〈9・11〉以後を生きる宮内 勝典

岩波書店 2007-09
売り上げランキング : 41369


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

言葉の力を取り戻す精神の遍歴

宮内勝典が2005年に刊行した『焼身』(集英社)は、9・11同時多発テロをきっかけに書かれた最も切実な長編小説である。1960年代、ヴェトナム戦争に抗議するヴェトナム人僧侶が街路で焼身自殺した事件を探求する語り手が、やがて非暴力が暴力に転じていく「魔」を再確認する物語は、深く重い。

さて本書は、9・11に引き続く2001年12月から2006年9月までのきっかり5年間、著者が非戦活動のかたわらいかに言葉の力を取り戻すべきかと試行錯誤し、いかに『焼身』を執筆し脱稿したか、その過程でいかに文学を復興させるべきかを思索した、精神的遍歴のルポルタージュである。自己のホームページの「海亀日記」をもとに加筆改稿したこれら断章群において、著者独自のリアルタイムにおける即興的な思考とノンフィクション・ノヴェル風ともいえる物語学とが、スリリングに絡み合う。

著者の関心は、たとえばアフガンで投降したタリバン兵士のうちにひとりだけ交じっていた白人アメリカ青年の人生の転機がブラック・ムスリムの雄による『マルコムX自伝』だったことや、ニューヨークへ移民したパレスチナ人青年が『コーラン』を捨てヘミングウェイを読みふけるようになったこと、かのフセインが逃走中にドストエフスキーの『罪と罰』を熟読し、自身も湾岸戦争後に『悪魔のダンス』なる小説を刊行していたことへと赴く。文学が国境を超えて読者をつかんだ歴史は、回心・転向すらもたらす言葉の力とともに、軍事・経済力では決して譲り渡せない民族的ソフトパワーのありかを意識させる。

そんな時代に、全地球的水準の多文化的文学はいかに成立するか? これが、著者の本質的な問いかけである。それはくしくもポストコロニアリズムの批評家ガヤトリ・スピヴァクやワイ・チー・ディモクらが編み出した超時空的「惑星思考」の比較文学方法論とも共振する。ローマ法皇と『焼身』の仏僧を重ね、文明の衝突ならぬ「文明の共生」を探る大胆な思考は、その最大の結実といえよう。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

分裂にっぽん 中流層はどこへ
分裂にっぽん 中流層はどこへ朝日新聞「分裂にっぽん」取材班

朝日新聞社 2007-09-07
売り上げランキング : 571

おすすめ平均 star
starこまっている人を寄せ集めただけ

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

中流層の崩壊現場を歩き、真偽を検証

06年2月、「分裂にっぽん」の連載が朝日新聞で始まった。格差はどこにでもあり悪いことではない、と小泉元首相が国会で発言した直後である。政権誕生から5年近くを経ても、なお人気が高かった小泉改革の影を抉(えぐ)り出す企画には、社内でも異論が多かったという。そうした逆風に抗して、本書の取材班が真っ先に足を運んだのは戦後日本経済の奇跡を生み、社会の安定を支えてきた中流層の崩壊現場だった。まかり通る格差肯定論の真偽を検証し、日本の分裂と二極化し始めた階層の固定化に歯止めをかけることこそ、「新聞記者の本分」と直感したからである。

資本主義の歴史を紐解(ひもと)けば明らかなように、政府が公的な保障や規制を講じて高齢者や障害者などの弱者、および労働者の権利確保に努めてきたのは、際限なく利潤を求める資本の論理から人々の生活を守るためであり、企業の競争力を削(そ)ぐためではなかった。その成果として誕生した「分厚い中流層」が、戦後日本においても「情緒豊かで平和な社会」を支えてきたのではないだろうか。

ケインズ研究で有名な経済学者の伊東光晴氏によれば、政策評価で重要なことは「観念よりも事実である」。その言葉通り、取材班は日本だけではなく世界中で進行している「分裂」の現場に直接出向き、取材を重ね、多くの事実を発掘することによって、強者の富はいずれ貧しい弱者に滴り落ちるという観念的なトリクルダウン説への反証を試みたのである。

連載時の編集局長だった外岡秀俊氏が本書のはじめで指摘するように、「この本に、『格差』拡大への最終処方箋(せん)が書かれているわけではない」。しかし、「まず現場に向かえ」というジャーナリストの「鉄則」に徹した取材の結晶が、日本社会の実態を知る「最新の診断書」であることは間違いない。小泉政権時代には想像できなかった格差問題への関心の高まりを見ていると、当時の連載を興奮しながら読んでいた評者より、読み過ごした読者のほうがずっと現実感をもって本書を読めるかもしれない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

テオもうひとりのゴッホ
テオもうひとりのゴッホマリー・アンジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード 伊勢 英子

平凡社 2007-08
売り上げランキング : 4063


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

熱情の兄を支えた「善き人」の生涯

星や月の光が空いっぱいに渦巻く「星月夜」とか、花が炎のように身をよじらせている「ひまわり」とか。

ゴッホの絵を見ると、37歳で精神を錯乱させて自ら命を絶った天才画家が、今も、表現の前線でやむことのない戦いに挑んでいるように見える。「ぼくは、この仕事に命をかけている!」と。

このゴッホの唯一の理解者で、生涯無名だった兄を支え続けたのが弟のテオ。彼らの愛の物語は名高い。

ゴッホは、自分の作品を「ぼくらの絵」と呼び、すべての所有権を弟に与え、代わりに経済的な援助を求め続けた。画商として成功したテオは、兄に惜しみない援助を与えたと言われている。

が、真実はどうだったのだろう。テオが支え続けたのは、過剰な熱情に突き動かされ、人生を混乱させてばかりの兄だ。テオ自身の夢や希望は、この兄を支えることでかなえられたのだろうか。

本書は、天才の陰に生きた弟テオの生涯に光を当てた初の伝記である。テオが家族とやりとりした98通の未公開書簡が資料になっている。

テオは、ゴッホとは4歳違い。誰からも愛されるいい子だったらしい。

が、家族の経済の逼迫(ひっぱく)で、15歳で画廊に就職。早い自立を強いられたばかりか、長男のゴッホに失望した両親の期待のすべてが彼に向けられた。父は牧師。両親から愛と自己犠牲を刷り込まれ、「善き人」であり続けることから生涯逃れられなかった。

本書によれば、テオは、家族や兄への仕送りのために安給料に耐え、画商としての独立の夢も断念。繊細で、優しすぎて、複雑で、いつも虚(むな)しかった。しかも、結婚で「平凡な幸福」が手に入ったのも束(つか)の間、病魔に襲われ33歳でこの世を去った。

本を閉じて思わずため息が出る。思わずうなだれてしまう。芸術に殉じることと他者の幸福に殉じること。どちらが美しいのか、そんな問いが浮かぶ。

100年以上も前の異国に生きた人とは思えない哀切さを、テオの人生に誰もが感じてしまうだろう。【評 久田恵(ノンフィクション作家)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

セカイと私とロリータファッション
セカイと私とロリータファッション松浦 桃

青弓社 2007-08
売り上げランキング : 11020


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「どこからきて、どこへ」を探る

数年前から、「中世ヨーロッパ風の」といえばそういえなくもない豪奢(ごうしゃ)な「ドレス」をまとった女の子たちを街でよくみかけるようになった。ロリータファッションである。映画『下妻物語』で深田恭子が着ていたあれだ。ちょっとおどろおどろしい黒ずくめのファッションはゴシックロリータ(ゴスロリ)。本書は、自身ロリータファッション愛好者である著者によって書かれたロリータファッション/ゴスロリ論である。

著者自身がいうように、本書はロリータファッション、ゴスロリが、「どんなもので」「どこからきて」「どこへいこうとしているのか」について論じている。当事者ならではの繊細さをもってロリータファッションの源流を探し求めていく作業はスリリングだし、嶽本野ばらなどの作品を手がかりに、ロリータファッションという「思想」の核心へと迫っていくくだりも興味深い。

最終章で提示される「私たちは、日常生活を支配するさまざまな政治力から自由になりたくて、ロリータという祝祭を求めている」という一見抽象的に見える分析も、具体的な記述の積み重ねによって説得力を与えられている。アツい「入門書」だ。【評 北田暁大(東京大学准教授)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

チョコレートの真実
チョコレートの真実キャロル・オフ 北村陽子

英治出版 2007-08-27
売り上げランキング : 446

おすすめ平均 star
star目からうろこです。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本書の原題は『苦い(ビター)チョコレート』。チョコレート産業の背後で今日なおなくなっていない強制労働が、本書を貫くテーマである。

オルメカ文明の昔から説き起こし、カカオに映し出された植民地主義の歴史を概観して、強制労働によって供給される安価なカカオに依存しつつ、その事実を粉飾し続ける欧米の巨大食品企業の偽善へと話は進む。ハーシー社や〈M&M〉のマーズ社など、おなじみのブランドの起源にも触れられていて、問題の身近さに気づかされる。

圧巻は、コートジボワールを中心とした著者のルポ。同国ではカカオ農園向け労働力として児童の人身売買が横行しているという。巨大企業の搾取と腐敗した政府、問題の構図は古典的だが、暗殺の危険も大げさではないなか、テレビジャーナリストの著者が文字通り命がけで敢行した取材は、映画のような緊迫感で読む者に迫る。カカオ利権が、国家の破綻(はたん)を背景に、内戦や集団虐殺といった陰惨な暴力の連鎖と絡み合っていく一方で、最終章に語られるフェアトレードのような取り組みが(問題を抱えつつも)広がりつつあるところに、この古典的テーマの現代的状況があると言えよう。【評 山下範久(立命館大学准教授)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

露探―日露戦争期のメディアと国民意識
露探―日露戦争期のメディアと国民意識奥 武則

中央公論新社 2007-08
売り上げランキング : 18860


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「ロシアのスパイ」の実像とは

「露探(ろたん)」とは日露戦争の時代に、敵国ロシアのスパイとみなされた人のことである。本書によれば、この当時「露探」として告発され排撃された人は、全国で相当な数に上るようだ。ただし実際に軍機保護法違反で捕まり有罪となった例は、少数だったという。

「露探」の中で最も有名なのが、秋山定輔の事件である。「露探」の嫌疑をかけられたことで、秋山は衆議院議員の辞職を余儀なくされ、彼が社長であった『二六新報(にろくしんぽう)』紙は発行禁止となった。この事件の背後には秋山と桂内閣との対立や、秋山の「露探」疑惑を書き立てた『万朝報(よろずちょうほう)』紙との競争があったという。そしてこの事例を含め「露探」事件には、権力やジャーナリズムが率先して作り出したケースがあった。

また「露探」の発生には、隣人の中から「露探」を摘発しようとする国民の存在も無視できない。著者は国民の意識の底に、大国ロシアへの根深い恐怖心が潜んでいたと見ている。

「露探」の多くは事実無根だったとはいえ、本書はそれを一括して幻想とは断定していない。それは冷静な事実究明こそ非合理なナショナリズムの跳梁(ちょうりょう)に対処する道だとする、著者の立場を示すものといえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

果ての花火―銀座開化おもかげ草紙
果ての花火―銀座開化おもかげ草紙松井 今朝子

新潮社 2007-08
売り上げランキング : 1828

おすすめ平均 star
starやっぱり今朝子さんがすき!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

激動の明治初期、描く事件帖

『吉原手引草』で直木賞を受賞した著者の、『銀座開化事件帖(ちょう)』につづく第2集。一話完結の形式だからこれだけで充分楽しめる。

明治8年、銀座の煉瓦(れんが)街に住む久保田宗八郎は、もと旗本で宿敵(かたき)をもつ身だが、家主で旧大垣藩主の子・戸田三郎四郎(のち欽堂〈きんどう〉と号して本邦初の政治小説を戯作〈げさく〉調で書く)や、原胤昭(たねあき)(もと八丁堀の与力で受刑者の更生に尽力する)、おなじ店子(たなこ)で薩摩出身の市来(いちき)巡査とともに六つの事件を解決する。

どれもみな、徴兵制や言論弾圧、株式会社や神風連(じんぷうれん)の乱など、明治初めの激動期を反映する。といえば何やらこちたき大小説めくがとんでもない。練達の作者は、宗八郎の愛人の比呂や御典医の娘の綾(あや)を配し、人情劇も悲劇も風刺劇もあって、それぞれの趣向がおもしろい。

岡本綺堂の『半七捕物帳』は江戸を懐古して風情があったが、こちらは元祖と異なり、旧旗本を主人公にしながら、過去を想(おも)って感傷的にならず、文明開化した日本の裏面を描く。

基督(キリスト)教に帰依した戸田や原や綾と違って、太政官(だじょうかん)政府の大物になった宿敵を討つため、日々をそれこそ実存的に生きる宗八郎の、西南の役の後を知りたく、続編が待たれてならない。【評 杉山正樹(文芸評論家)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

NEXT 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)
NEXT 上  (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)マイクル・クライトン 酒井 昭伸

早川書房 2007-09-07
売り上げランキング : 302


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

NEXT 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)
NEXT 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ) (ハヤカワ・ノヴェルズ)マイクル・クライトン 酒井 昭伸

早川書房 2007-09-07
売り上げランキング : 321


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

NEXT 遺伝子研究が行きついた悪夢の世界

「どちらにしても、船は出てしまったわ。とうのむかしにね」

登場人物のひとりがつぶやくこの言葉が、遺伝子研究の現在の姿を端的に表している。彼女が話しているのは、「バイオ研究所に自分の卵子を売る少女たち」の是非についてである。

ちなみにこの少女の話はフィクションではなく実話だそうだが、本書には他にも実在の話を加工したエピソードが満載。激烈な遺伝子の特許取得競争、「患者の体の細胞は本人のものか、それとも治療した病院のものか」の裁判、自らの研究をビジネスチャンスに結びつけようと危険を冒す研究者たち。科学の世界でさえ大きな金と野心がうごめくのはいかにもアメリカ的だが、問題はそれらがすべて「生命」と直結した事柄だということだ。

たとえば、実験段階の「成熟遺伝子」を誤って吸引した不肖の兄が更生したのを見た研究所職員は、経営者と結託し倫理も無視してそれを商品化しようとする。しかし、その遺伝子には「老化を速める」という致命的な欠点が……。まさに悪夢のような世界だ。

あとがきで明かされるが、作者の立場は「遺伝子特許には反対、明確なガイドラインも必要、しかし研究は規制するな」。それゆえか、人間の遺伝子を導入され、言葉を話すチンパンジーやオウムに対する作者のまなざしは温かい(これは実話ではなくフィクションとのこと)。「ときどき悲しくなる」などと語る動物を見たら、無条件に抱きしめられるか、それとも「これは倫理に反する」と嫌悪感を抱くか。読者の人間性と倫理観も天秤(てんびん)にかけられる。

「最先端の遺伝子テクノロジー」とはいかにもマイクル・クライトンが目をつけそうなテーマであるが、あれもこれもとエピソードを詰め込みすぎて、物語としてはやや散漫な印象も受ける。おそらくこれは、作者の予想よりも現実の“船”がずっと先に進んでいたためなのだろう。「倫理」の歯止めをかけられるのは、誰なのか。知人の研究者に尋ねたら、「もう遅いよ」とズバリ言われた。【評 香山リカ(精神科医)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

王の記憶―王権と都市
王の記憶―王権と都市五味 文彦

新人物往来社 2007-09
売り上げランキング : 5952


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

一般向けの書物としては、もし初めにもう少しくわしいプロローグが付き、「王権」と「都市」の概念について予備的な輪郭が与えられていたら、本書のキーワードである「記憶」の意味がもっと鮮明になったに違いない。

取り上げられるのは、十二世紀頃からほぼ同時的に発展し始める京都・奈良・博多・鎌倉などの中世都市である。「王権」とは天皇権力に限定されず、鎌倉の頼朝政権にも奥州平泉の藤原政権にも適用される。都市を拠点にして確立される新興政治勢力の原核であると見てよい。

著者のいう「王の記憶」とは、都市の形成に当たって人々の心性に想起され、回帰してくる地霊の伝説のようなものを指すらしい。

中世都市の考古学的発掘は多くの遺跡や遺品を出土させるが、著者がめざすのはそれでは必ずしも見えてこない歴史の内界への潜航である。

原型的に「異文化や文物の交流・交換の場」だった都市では、集まってくるモノの善し悪(あ)しを選べない。物資と疫病はワンセットなのだ。交易の管理と疫神の鎮撫(ちんぶ)とは「王権」の必須条件であり、政治と宗教は一つに撚(よ)り合わされる。地方への権力扶植と神仏混淆(こんこう)や勧請による布教網の拡張は、血管とリンパ管のように相補って組織される。

古くから「大陸の窓口」だった港湾都市博多は、海の記憶に包まれている。航海の安全を守る住吉神社と八幡宮の信仰ラインは、舶来品の交易線と重なって瀬戸内海を横断し、摂津の住吉を経て政治都市京都と結ばれる。

長い間、鴨川の氾濫(はんらん)に苦しめられた京都は、川の記憶に満ちている。賀茂の祭神は王城鎮護の神に転身して古代権力に組み込まれる。

こうして本書は、中世日本に各地で生まれたいくつもの新興市街が、それぞれ独自の「王権」をめざして土地に刻み込まれた古い記憶を励起(れいき)する仕組みを解き明かす。

いちばんダイナミックなのが頼朝の鎌倉だろう。「京の王権」に対抗したこの「東国の王権」の拠点は、頼義・義朝らの祖霊を呼び戻す源氏の故地だったのである。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2007/10/07, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

Edit

 
Copyright (C) 2004-2006 Ambitious Kanda, All Rights Reserved.