メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2007年10月21日~10月28日
| 鏡の中の日本と中国―中国学とコ・ビヘイビオリズムの視座 | |
![]() | 加々美 光行 日本評論社 2007-08 売り上げランキング : 1812 おすすめ平均 ![]() 思想としての中国学Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「自負心のナショナリズム」を憂える
13億人の人口を抱えつつ爆発的な高度成長を続ける中国に、世界の耳目が集まっている。先週には5年に1回の党大会が閉幕し、新しい指導部が選出されて中国関連情報がメディアにあふれた。しかし、実際のところ私たちは中国の実情についてどれほど知っているだろう。日本の現代中国研究は、どのような課題を抱えているのだろうか。
著者は、60年代以来、激動する現代中国に真摯(しんし)に向き合ってきた政治研究者の一人である。アジア経済研究所を経て、愛知大学に設立された現代中国学部の初代学部長を務めた。著者によれば、戦後日本の現代中国研究は多くの成果を生む一方で、中国認識に多くの歪(ゆが)みを伴ってきた。その事情を、著者は江戸期の「日本漢学」や戦前戦中の「支那研究」にまで遡(さかのぼ)って検証する。
著者は、中国研究も社会科学の一分野である以上、いかなる目的で特定の社会を研究対象とするかという目的論から逃れえないという。日本人研究者であれば、大部分の中国研究は日本社会各界の対中認識や対中政策に影響を及ぼすことを目的とする。場合によっては、その研究成果は日中関係に影響を与えるのみならず、中国の対日政策や内政政策にまで影響を及ぼしうる。しかし、そうした研究の目的や責任について中国研究者の大半が無自覚である。ここに大きな方法論的な問題が存すると著者はいう。
つまり、その無自覚の結果、知らずして自分の目的に合った因果分析を進めてしまいがちになる。また、自分を研究対象に対して優越する位置に置くという「オリエンタリズム」的な近代科学の弊害が生じる。本来、研究の錯誤を防ぐため、検証手続きとして情報開示と説明を対話の形で行うことが求められる。だが日本では、研究対象としての中国社会各界との間で検証手続きを進める積極的な姿勢が欠けていると著者は批判する。
確かに研究目的の自覚は重要だ。何のために外国研究をするのだろう? 評者は日本の町内会に相当する中国の都市コミュニティーを研究対象の一つとしてきた。そのことを若い中国の日本研究者に告げたとき、「その研究は日本にとって何の役に立つのですか」と天真爛漫(らんまん)に尋ねられて絶句したことがある。
著者は「欧米近代」の拡張への抵抗とは無縁な「自負心のナショナリズム」の台頭を憂えている。外国研究が国家主義を超越できるか必ずしも楽観していないようだ。しかしグローバル化の効果には疎外と連帯の両面があろう。日本の中国研究について言えば、確かに海外の研究者との対話は足らない。しかし特に若い研究者の間では、中国に留学し中国人研究者と交流する者が増えている。より大きな問題は、英語で論文を書き、会議報告できる人が少ないことではないか。
広く、多様で、変化の速い現代中国にどのように迫ればいいのか、中国研究者は常に悩んでいる。しかし本書は、そのような自覚された問題意識より更に深いレベルの方法論的根本問題に目を開かせてくれる。「加々美の中の日本と中国」、名にし負う力作である。【評 高原明生(東京大学教授・東アジア政治)】
| タイガーフォース | |
![]() | マイケル・サラ/ミッチ・ウェイス 伊藤延司 WAVE出版 2007-09-21 売り上げランキング : 23057 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ベトナム戦争時の米軍空挺(くうてい)部隊に所属し、これまで表に出ることのなかった幻の小隊・タイガーフォースの残虐行為を暴き出した。住民を無差別に銃撃し、地下壕(ごう)に手投げ弾を投げ込み、数百の住民を虐殺した。今も過去にもがき苦しむ元兵士たち。だが、陸軍は自らの責任を認めていない。米軍犯罪捜査司令部の元幹部の手元に保管されていた30年余り前の捜査資料をもとに、取材を積み上げた力作。元になった米紙の連載は04年度ピュリツァー賞を受けた。
| 酒止めようかどの本能と遊ぼうか―俳童の自画像 | |
![]() | 金子 兜太 中経出版 2007-09 売り上げランキング : 6723 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
戦後俳壇の牽引(けんいん)者で一茶・山頭火の研究でも知られる筆者は今年米寿を迎えた。書名は長生きに焦点を定めた60代の頃の一句。「荒凡夫(あらぼんぷ)」(一茶の言葉で自由な凡人の意)のごとく生きたいという。本書は、折々に語りつづった講演・寄稿集。戦争体験、自らを育んだ風土、師や盟友たちのことなど、時々の生の姿・感覚が伝わってきて興味深い。「俳人『九条の会』」での講演「私の戦争体験と俳句」ではトラック島抑留時代をふまえ、反戦=蹴戦(しゅうせん)で結ぶ。
| エレクトリックな科学革命―いかにして電気が見出され、現代を拓いたか | |
![]() | デイヴィッド・ボダニス 吉田 三知世 早川書房 2007-08-24 売り上げランキング : 347 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
発明・発見の裏にはこんなドラマが
科学と技術はちがうという意見は根強くある。だいいち、科学(この場合は特に基礎科学)は必ずしも実用を目指さないが、技術は役に立ってなんぼの世界じゃないかというのだ。しかし、それ以上の大きなちがいは、技術は理屈や原理がわからなくても役立つことなのではないか。それに対して科学の目的は、あくまでも原理の解明である。本書を読んでそう思った。
たとえば、アメリカのジョセフ・ヘンリーは、電気を流したり切ったりすることで、電線の先につながれた電磁石をカチカチさせて信号を送る電信技術を世界で初めて発明した。
モールス信号のモールスは知っているけど、ヘンリーなんて知らないなどと言うなかれ。ヘンリーは独学で研究を続け、プリンストン大学教授になったアメリカの偉人なのだ。モールスは、ヘンリーの発明を横取りしたにすぎない。そのヘンリーだが、電気はどうやって電線を伝わるのかという電信の原理は解明できなかった。それでも画期的な技術を開発できたのだ。
ろう学校の教師だったベルが電話を発明できたのは、聴覚障害者だった恋人への一途な愛のおかげだった。そしてこの場合も、電信の原理が不明なことは、二人の愛の障害にも、発明の障害にもならなかった。
それとは逆に、原理はわかっているのに、必要な技術がなかったせいで実現できなかった技術もある。たとえば、悲運の天才数学者チューリングが考えたコンピューターの原理がそうだ。アメリカで開発中だったトランジスタの存在を知っていれば、あるいは保守的なイギリスではなくアメリカに居場所を見つけていれば、チューリングが毒リンゴをかじることもなく、コンピューターの開発は早まっていたかもしれない。彼は、同性愛の罪で逮捕され、ホルモン治療を強いられたことを苦にして自殺してしまった。
そのほか本書ではレーダー開発秘話や人の気分まで左右する神経伝達物質発見物語など、電気をめぐる科学技術者の悲喜こもごものドラマが練達の筆致で紹介されている。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書哲学塾) | |
![]() | 土屋 賢二 岩波書店 2007-09 売り上げランキング : 902 おすすめ平均 ![]() 哲学は悔しいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「僕は君の顔も性格も好きじゃないけど、君自身を愛してる」というのは、はたして口説き文句になるだろうか。顔や学歴じゃないとはよく言うが、性格までもどうでもいいというのは珍しい。本書は、この奇妙な文句で表されるソクラテスの口説きに照準しつつ、心身問題や人格の同一性などの哲学的主題を掘り下げている。
著者によるとソクラテスの口説き術は次のようなものだ。「人間(使うもの)と道具(使われるもの)は別のものである」「人間は身体を使うから人間と身体は別ものである」「身体を使うのは魂でもある」「人間も魂も身体を使うものだから、両者は同じものである」「ゆえに人を本当に愛する人は身体ではなく魂を愛するはずだ」「ところで他の人は君の身体を愛しているが、私だけが君の魂を愛している」「だから君自身を愛しているのは私だけだ」。何だかだまされた感じがするが、いざ反論しようとするとなかなか難しい。
この論証をめぐり、土屋先生とゼミ生たちが徹底的に議論を交わす。専門知識は必要ない。読者は著者のユーモアを交えた言葉に導かれ、おのずと刺激あふれる哲学の迷宮へと足を踏み入れることになるだろう。【評 北田暁大(東京大准教授)】
| 古本蘊蓄 | |
![]() | 八木 福次郎 平凡社 2007-10 売り上げランキング : 4481 おすすめ平均 ![]() 薀蓄の厚みと深み 古本蒐集界の重鎮によるエッセイ集Amazonで詳しく見る by G-Tools |
古本蘊蓄(うんちく)
著者は東京・神田神保町の古書店街の主である。七十余年この街の変遷を見守り続け、九十歳を超えた今も古書情報を発信し続けている。
情報化が急速に進み、とりわけインターネット取引の活発化によって古書店街そのものが激動の時代を迎えている。そうした時代の中で稀本(きほん)・珍本・高価本などさまざまな書物への人の好みや価格の推移などをエッセーとしてまとめたのが本書である。
芭蕉の自筆本『奥の細道』が発見された時のこと、新聞社や週刊誌から、価格をつけるとしたらいくらぐらいか、といった問い合わせがあった。その時著者は「値段のつけようがない。第一現物を見ていないし、見たとしても恐らく値付けなど簡単にできないだろう」としか答えようがなかったという。
また、執念をもっていれば大抵の本はかならず見つかると、我慢強く古書即売展に通い続ける古書マニアの情熱の話など興味深い話題がふんだんに出てくる。読んでいるうちに古書の世界に引き込まれ、その広さと深さがわかってくる。エッセーの末尾に執筆当時の古書の価格が記されているのも、価格の推移を知る手がかりとなる。論評を避け、情報に徹している点でも貴重な一冊である。【評 前川佐重郎(歌人)】
| 野の鳥は野に―評伝・中西悟堂 (新潮選書) | |
![]() | 小林 照幸 新潮社 2007-08 売り上げランキング : 31781 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
人に歴史、いや言葉にも歴史あり。「野鳥」という言葉が、この国に広まり、定着してほんの70年余りだというのには、少し虚をつかれた。鳥を入り口に、今でいうエコロジストとなった中西(1895~1984)。彼がその「言葉」に込めた思いが胸に響くのは今こそ、という気もする。
仏教や東洋思想を学んだ中西は、自然と一体化する修行の中で、強く鳥に惹(ひ)かれた。野の鳥を守ることは、自然の山河を守り、ひいては人間と文明を守る。そう考え、34年、「日本野鳥の会」を創立、会誌「野鳥」を発刊した。愛鳥とは籠(かご)で飼い、愛(め)でること。そんな時代の常識の逆転が、「野鳥」の原点だった。
生涯かけて育てた「日本野鳥の会」は、一時揶揄(やゆ)されたように「紅白歌合戦」の得点集計係ではない。早くから野鳥と自然環境の保護運動の先頭に立ち、各地で保護を実現する。その活動の根が、中西の東洋的な思想にあったことは、改めて考える価値がある。
中西の提唱の一つに都心のビル屋上に鳥が訪れる樹林を設けるというものがあり、成功例もリポートされている。今、都心に林立する超高層ビルの屋上に樹林を育てたら、果たして野鳥は、来るだろうか。【評 四ノ原恒憲(編集委員)】
| 談志絶倒 昭和落語家伝 | |
![]() | 立川談志 大和書房 2007-09-19 売り上げランキング : 291 おすすめ平均 ![]() はなしかのつらがまえ その時に居たかったAmazonで詳しく見る by G-Tools |
良き昔を伝えた落語黄金時代の顔
戦後の落語黄金時代は昭和26年に始まる。この年に、ラジオに初めて民放(東京ではラジオ東京・後のTBS)が誕生し、番組の目玉として落語の放送を始めた。これにより落語家たちの収入は格段に上向き、それまで貧乏を看板にしていた古今亭志ん生など各局で専属契約をめぐっての引き抜き合戦が行われるほどの売れっ子になった。また、昭和28年には初のホール落語「三越落語会」が発足、寄席ではなかなか出来ない人情ばなしなどをじっくり聞かせることが可能になり、そういうネタを得意とする三遊亭円生の評価が一躍高まった。
の写真集には昭和29年から30年にかけて、つまり黄金時代初期に人気を博した落語家たちの高座姿が収められている。それらの写真にコメントをつけるのは当時前座として彼らに接し、また袖でその芸を聞いていた立川談志。
戦後文化史を語る貴重な資料、というだけの本ではない。テレビ時代にわれわれが見慣れた顔よりも少しだけ若い(先代正蔵の精悍〈せいかん〉なこと、先代小さんの元気一杯なこと!)その顔には強烈なノスタルジーの香りがあり、彼らを語る談志も、その香りに準拠することを躊躇(ちゅうちょ)していない。自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわかるものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて書いたものはノスタルジーの域を逸脱するというのだろう。
落語を語る場合、その姿勢は正しい。近代の落語の型を作ったのは明治の三遊亭円朝だが、その創作の基礎には失われた江戸の情景への郷愁があった。近代落語は、その成立のファクターに、すでにノスタルジーが含まれているのである。この本に載っている九代目文治(翁家さん馬)や七代目円蔵は、私も寄席でよく聞いた人たちだが“昔はよかった”という話ばかりしていたものだ。
今の落語家たちは、語ろうにも、語る“良き昔”を知らない。落語の歴史の中で初めて“現代”を語るしかない今の落語家の写真集が作られたなら、そこに載る顔にはどんな香りがあるのだろうか。【評 唐沢俊一(作家)】
| プラスチック・ワード―歴史を喪失したことばの蔓延 | |
![]() | ウヴェ・ペルクゼン 糟谷 啓介 藤原書店 2007-09 売り上げランキング : 669 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
プラスチック・ワード 歴史を喪失したことばの蔓延(まんえん)
交換可能な抽象語の不気味な蔓延
小泉内閣が表看板に掲げた「構造改革」は、もともと左翼用語だった。かつてイタリア共産党が唱えた革新的社会政策の理論だったのである。それが百八十度ひっくり返って自民党政権の標語に採り入れられたわけだ。学生運動経験者の官僚が思い付いたアイデアだったかもしれない。
現代社会を支配しているのは、このように左右いずれの政治勢力でも便利に使いこなせるマスターキーのような言葉である。著者はこれを「プラスチック・ワード」と名づけ、「システム」「トレンド」「プロジェクト」などたかだか三、四十語ぐらいの単語が言語ピラミッドの頂点に立ち、現今の世界を動かしていると警告を発する。「構造」もその一つである。
それはたんなる決まり文句ではなく、スローガンでもなく、特定の意図のもとに「たがいに交換可能な規格部品」として使用される用語キットである。著者はこれを言語の「モジュール的用法」と命名すべき「新しいタイプの語」と規定して分析を加える。遠からぬ将来、歴史から切り離された抽象語で作られる文の組み合わせが人間を操作するようになるのではないか。
プラスチック・ワードを並べさえすれば、《Aは特別な開発課題を持つ場所としてBのさらなる造成地に指定されている。住民の新たなニーズに応じてCのコンセプトを作るプロセスが急がれる》といった具合に万能の企画書ができる。Aに地域名、Bに用途目的、Cに誘導目標を代入すればいっちょ上がり。どこへ持って行っても通用する。
ドイツ人の著者は右のプロセスを英語のグローバル支配と結び付け、ドイツ語の危機としても警鐘を鳴らす。日本に押し寄せる《国際化》の意味も考えさせられる。
欧米語の「発展」が自動詞化したという話が参考になった。「出来事が自然現象であるかのように」意識された結果、旧植民地が「発展途上国」と改称されたそうだ。日本語でも「地域の発展」と謳(うた)うと土地が勝手に伸び広がるみたいな印象になる。なぜだか開発業者は、デベロッパーと片仮名で呼ばれる。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 知られざる宇宙―海の中のタイムトラベル | |
![]() | フランク・シェッツィング 鹿沼 博史 大月書店 2007-08 売り上げランキング : 250 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
主役は海、軽妙洒脱に科学を語る
一般読者向けの翻訳科学書には著しい偏りがある。翻訳されている原著の大半は英語で書かれたものという偏りである。紹介されずに埋もれている英語圏以外のおもしろい科学書もあるはず、もっと読みたい。そんな期待に、本書はみごとに応えてくれた。
著者であるシェッツィングはドイツの小説家。2004年に出版した海洋もののSF大作『シュヴァルム(群れ)』(未訳)が大ヒットし、ハリウッドでの映画化も予定されているという。その内容は、深海で誕生した単細胞の知的生命体の群れがさまざまな異常現象を引き起こし、人類が危機に陥るというスリリングな超大作らしい。
本書は、周到な予備調査を踏まえて書き上げたそのSF大作の余勢を駆って執筆に着手された。ところが、当初は150ページ程度の軽いノンフィクションを書くはずだったのに、補足調査を進めるうちに構想が拡大し、結局は海の誕生から生命の進化、果ては海洋開発の将来にまで筆が進み、邦訳書にして600ページを超える大冊となった。
なるほど、最新の情報は加味されているものの、地球における海の誕生、そこでの生命の起源、三十数億年に及ぶ生物の進化など、紹介されている歴史の筋書きは取り立てて目新しいものではない。しかし、ドイツのマイクル・クライトンとでも言うべき著者の本領は、集めた素材をさばく語り口の巧みさ新鮮さにある。したがって本の厚さなど、さほど気にならない。一口で言えば軽妙洒脱(しゃだつ)、そしていい意味での居直りに徹している点がすばらしい。それでこそ、科学者ではない書き手が科学を語る意味がある。
たとえば著者は次のように言い切る。「この本は教科書ではない。……これはスリラー小説だ。地球の歴史というのは、筋書きが何度も急展開し予期しない出来事でいっぱいの、ハラハラドキドキさせる物語にほかならない」。たしかに、面白い話を無味乾燥な語り口で語るのは、むしろ罪作りなだけだ。
それと、「あなたがこの本で絶対的な真理を見つけることはないだろう。そこで見つけるのは、おそらくこうではないかという物語」だという著者の宣言も、きわめてまっとうである。なぜなら、科学は絶対ではない。たとえば生物が進化した経路にしても、これまでに見つかっている化石や、DNAから得られるデータなどを継ぎ合わせることで、とりあえずの筋書きが作られている。これは正しい科学の方法だ。しかし、明日にでも予想を覆すような化石が見つかれば、それまでの筋書きががらりと変更される余地は大いにある。科学とは、そのように客観的な証拠を基に絶えず理論を修正していく作業なのだ。
本書の主役は海である。最大で深さが1万メートルを超える深海の大半は未知の世界だ。人類は月面に到達したが、日本が世界に誇る有人潜水調査船「しんかい6500」をもってしても、6500メートルの深さまでしか潜れない。そこには著者が言うように、伝説の巨大ウミヘビが潜んでいるかもしれない。科学者だけでなく小説家の探求心を駆り立てるわけだ。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| みんなCM音楽を歌っていた―大森昭男ともうひとつのJ-POP | |
![]() | 田家 秀樹 スタジオジブリ 2007-08 売り上げランキング : 741 おすすめ平均 ![]() おすすめです 目のつけどころに脱帽Amazonで詳しく見る by G-Tools |
優れた青春小説のホロ苦さにも似て
副題に名前の出てくる大森昭男氏は、1970年代からCM音楽を手がけてきた音楽プロデューサー。矢沢永吉の「時間よ止まれ」や堀内孝雄の「君のひとみは10000ボルト」などCM発の数々のヒット曲を送り出してきた。本書はその大森氏の足跡を軸に、1970年代から80年代前半にかけて――本書に登場する人物の言葉を借りれば〈コマーシャルソングがあんな風に音楽の流行に強い影響力を持つことはもうないのではないだろうか〉という時代のCM音楽の舞台裏をたどるノンフィクションである。
著名なアーティストのエピソードが次々に出てくる。CMと音楽、それぞれのつくり手の方法論の個性も楽しめるし、業界の内幕も覗(のぞ)き見できる。なにより、映画「アメリカン・グラフィティ」よろしくおなじみの(そして懐かしの)ヒット曲が次から次へと登場するのがうれしい。当時を知る読者は、きっとページを繰りながら何曲も口ずさんでしまうだろう。
だが、本書はただ年譜的に事実を追っただけの一冊ではないし、懐古趣味のみに終わるものでもない。
ラジオからテレビへと主戦場を移した広告の世界も、ロックやフォークが市民権を得はじめた音楽の世界も、「新しさ」を求め、また求められていた。あの頃のCM音楽とは、二つのジャンルの「新しさ」が組み合わさった異種交配だった、と大森昭男氏は言う。その言葉に応えて、著者の田家秀樹さんもCM音楽が目指した「新しさ」を丁寧に探っていく。
アーティスト、プロデューサー、アレンジャー、エンジニア、コピーライター、写真家、ディレクター……「新しさ」の旗に集ったクリエイターたちの群像は、どこまでもみずみずしい。
そんな本書を、僕は青春小説のように読んだ。CM音楽にも青春があった。そして時代は変わり、青春は終わる。本書の表題は過去形で記された。それを優れた青春小説のホロ苦さに重ね合わせるのは、労作のノンフィクションに対して決して非礼な読み方ではないはずだ。【評 重松清(作家)】
| 巨大建築という欲望―権力者と建築家の20世紀 | |
![]() | ディヤン・スジック 東郷 えりか 紀伊國屋書店 2007-09 売り上げランキング : 5136 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
なぜ権力は巨大建築を求めるのか
かつてヴィクトル・ユゴーは『ノートル=ダム・ド・パリ』のなかで、15世紀の副司教に「これが、あれを滅ぼすことになるだろう」と語らせた。「あれ」とはノートル=ダム大聖堂、その壮麗な大建造物を「滅ぼす」とされている「これ」とは、当時の最先端技術=活版印刷によって生み出された書物である。
この副司教の予言から数百年たったが、いまだ巨大建築の社会的威信は衰えていない。それどころか、20世紀は権力者と巨大建築とが独特な形で関係を深めた時代であったともいえる。枢軸国/連合国、社会主義陣営/資本主義といった違いにかかわりなく、権力は巨大建築を求め、また建築も権力に寄り添っていった。本書は、ヒトラー、スターリンといった権力者たちと巨大建築、都市建設との密接なかかわりあいを、資金と権力と機会を求める建築家たちの姿に照準を合わせながら描き出したものである。
とはいえ、本書で扱われているのは、分かりやすい形をとった権力、いわゆる独裁者と建築とのかかわりだけではない。大統領たちの名を冠した図書館は権力を称(たた)え、壮大なクリスタル大聖堂は途方もない巨大さによって現代的な「聖」を演出する。考えてみれば、あの世界貿易センタービルも、それがアメリカ的世界観の象徴的メディア――アメリカという権力の示威媒体 ――であったがゆえに標的とされたのではなかったか。
独裁者や資産家たちのどうしようもなく露骨な権力から、「誰の」と属人化することの難しい日常的な社会的権力にいたるまで、さまざまな位相の権力と建築(家)との関係が、抽象的・思想的な注釈に頼ることなく、淡々と具体的に指し示されていく。いい意味でジャーナリスティックな本である。
ネット時代の到来とともに、副司教の予言は、「情報は建築を滅ぼす」という意味でよく引用されるようになっている。しかし、そう言い切ってしまう前に、いまだ巨大建築という欲望に突き動かされている私たちの社会を振り返っておくのも悪くはないだろう。【評 北田暁大(東京大学准教授)】
| 日本の怨霊 | |
![]() | 大森 亮尚 平凡社 2007-09 売り上げランキング : 428 おすすめ平均 ![]() 負の世界から見えてくる日本文化の霊魂Amazonで詳しく見る by G-Tools |
天皇家の歴史を語る書があるのならば、天皇家に祟(たた)る怨霊(おんりょう)の歴史を語る書があっても不思議ではない――と著者は本書執筆の動機を語る。
京都には上下(かみしも)の御霊(ごりょう)神社が鎮座し、「東京に遷都した後の天皇家の負の遺産」を引き継いだかのようにそれぞれ八柱の御霊を祀(まつ)っている。
いちばん有名なのは雷神と化した菅原道真(みちざね)であるが、この一冊で「天皇家に祟る怨霊の中心人物」として主に描かれるのは、井上内親王と早良(さわら)親王という二人の皇族だ。
井上内親王は聖武天皇の皇女で、十一歳から二十年にわたって伊勢神宮の斎王だった聖処女である。退下(たいげ)して白壁(しらかべ)王(後の光仁<こうにん>天皇)と結婚。四十五歳という「神業的出産」で他戸(おさべ)親王を生む。
奈良時代政治史には皇位継承をめぐる暗闘が絶えない。天武天皇の嫡系は競争者を排除しすぎて、称徳女帝の代で途絶え、権力闘争を避けて飲酒に身を晦(くら)ましていた天智天皇系の光仁天皇が六十二歳で即位するに至る。
井上皇后の至福は一年余りしか続かない。宝亀三年(七七二)三月、天皇を呪詛(じゅそ)していたという嫌疑で皇后を廃される。他戸親王も廃太子。母子は同じ日に死ぬ。不審死である。代わりに立太子したのが山部(やまべ)親王(後の桓武天皇)とあればプロットが読めよう。
早良親王は桓武の皇太弟である。こちらは延暦四(七八五)年九月、謀反の容疑で幽閉され、憤激のあまり絶食して死んだと言い伝える。
それから果てしない怨霊の跳梁(ちょうりょう)が始まる。宮中で怪異が続出し、桓武天皇は不安症候や不眠ノイローゼに悩まされる。華やかな平安遷都の裏面には、祟りへの恐怖と不安の影が落ちている。死者の怨念が生者の歴史を動かす。
著者は怨霊の世界を覗(のぞ)くのではなく、魂の重心をあちら側に掛け、歴史の深みに眠る怨霊と交信するが、文体には達観したユーモアがまじり、行きっぱなしにさせず無事にこちら側へ連れ戻す。
日本の「鎮魂の文化」は、怨霊への畏(おそ)れを知り、「勝者が敗者に謝罪し、鎮魂する」希有(けう)な逆転の論理だという指摘が心に訴えかけてくる。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| マンハッタンを歩く | |
![]() | ピート・ハミル 雨沢 泰 集英社 2007-08 売り上げランキング : 131 おすすめ平均 ![]() 真正のニューヨーカーにしか書けない視点 ああニューヨークAmazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は新聞記者や作家として、長くマンハッタンで働き暮らす。「運がよければ、たぶんここで死ぬだろう」と言い切る生粋のニューヨーカー。故郷を舞台にした自伝的エッセーには自然に思いがこもる。
マンハッタンの中でもダウンタウンとよばれる南部を歩いて、ブルックリン橋、バッテリー・パーク、トリニティ教会、タイムズ・スクエアなどの歴史に思いをはせる。人物や建築物などについての無数のエピソードは、控えめながら誇らしげでノスタルジアにあふれている。
この本を書くきっかけは01年9月11日の世界貿易センタービル崩壊だった。その朝、「落下したガラスと鋼鉄の衝撃で音の世界は空っぽになった」というすさまじい経験をする。それまで恋愛小説やミステリーなどを発表したが、“喪失”後はニューヨークそのものをテーマにするようになったという。もう一度、自分の町を見つめ直したいとの衝動に駆りたてられたのだろう。
本著はマンハッタンのガイドブックとしても最適。生き字引の案内で、“通”を自任する人も数々の発見を楽しめ、さらにこの蠱惑(こわく)的な都会に取りこまれること請け合いだ。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】
| 内臓感覚―脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス 1093) | |
![]() | 福土 審 日本放送出版協会 2007-09 売り上げランキング : 204 おすすめ平均 ![]() 脳中心論から、腸―脳の相互連関論へAmazonで詳しく見る by G-Tools |
毎朝、通勤電車に乗ろうとすると、おなかがゴロゴロしてきてトイレに行きたくなる。腹痛、冷や汗、動悸(どうき)が耐えがたく、次第に気持ちも滅入(めい)ってくる。消化器科で検査しても、「異常なし。気のせいですよ」で終わってしまう。
こんな過敏性腸症候群と呼ばれる疾患が増えている。背景にストレスがあることがわかってきているが、なぜここまで強烈な身体症状が出るのか。この疾患の第一人者である著者は、臨床データや実験から「脳と腸のあいだにある密接な交流」を明らかにしていく。医学用語も多いが、説明は分かりやすい。腸は自ら受けた刺激を「内臓感覚」として脳に伝え、脳は自律神経やホルモンを介して腸に影響を与える。私たちが意識していなくとも、このような身体からの情報が脳での情動形成にも深くかかわっている可能性もあるのだ。「たかが腸」などと言うなかれ。
過敏性腸症候群は、内臓と脳や心との関係を教えてくれる重要な疾患であるが、それだけに十分な時間をかけた専門的治療が必要になる。ところが、「時間的余裕も経済的裏づけも急速に悪化」しているいまの医療状況ではそれも困難、とする著者の嘆きにも耳を傾けたい。【評 香山リカ(精神科医)】
| 知られざる魯山人 | |
![]() | 山田 和 文藝春秋 2007-10 売り上げランキング : 2102 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
書、篆刻(てんこく)、陶芸、さらに星岡茶寮を中心に展開された料理など、美の追求者としての魯山人の評価は、ますます高まる一方だ。他方で、身勝手で傲岸不遜(ごうがんふそん)。傍若無人の言動。「唯我毒尊」だったと噂(うわさ)される。こういった二つの顔が、関心を余計集めているのだろう。
父親に親交があったという著者が、膨大な参考文献を徹底的に渉猟、さらに多くの関係者にも取材し、「魯山人とは何か」に迫ったのが本書。おもしろい。
まず、謎めいた「冥(くら)い不分明な出自」。生まれへの絶望的感情が芸術活動の源であったという。奉公先で、のちの竹内栖鳳(せいほう)の行灯(あんどん)看板絵に心動かされ、そこから美への彷徨(ほうこう)が始まる。濡額(ぬれがく)(大板に文字を彫る看板)で名を上げる。各地で見聞を広げ、また多くの数寄者(すきしゃ)、茶人と交流し、次第に創造の世界が広がる。
青山二郎、荒川豊蔵、加藤唐九郎、山口淑子、イサム・ノグチ、小林秀雄、棟方志功、政財界の面々。登場する交友名も豪華だ。果たし合いに近い歯にきぬ着せぬ批評の応酬。
周りにいたものはさぞかし大変だったろうな、と思わせるエネルギーの放出。何かを生み出す人間のもつナマの魅力が十分に伝わってくる。【評 小高賢(歌人)】
| 「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ | |
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小泉元首相が進めた「無駄な歳出の削減」という小さな政府論には落とし穴があった。その穴を埋め財政破綻(はたん)を回避するには早急に増税の必要があると著者は警告する。財政再建の視点から見れば「増税しないで財政危機が解消するほど、日本の財政状況は甘くない」からだ。
しかし国民に新たな負担増を強いても、本書の最終章で著者が提案する政府の最適規模は、北欧諸国のような大きな政府には程遠い「消費税率10%を上限とする相対的に小さな政府」である。そこでは自助努力と自己責任を基本にして生きることが求められる。実際、著者によれば公的年金は「老後の生活に必要な最小限の給付(基礎年金)に限定し」、支給開始も男性75歳、女性80歳と年齢を引き上げ、医療保険も一律に給付するのではなく若いときから健康管理を「きちんと行ってきた人を優遇する仕組み」が望ましいという。
こうした提案の背景には、北欧に比し人口の大きな日本では受益と負担に関する国民の信頼を得るのはむずかしく、その一方で経済の発展にともない「市場メカニズムを活用するメリット」がますます高まっているとの認識がある。確かに、現在でも受益より負担が多いと不満を抱く富裕層や上位の中間層にとっては、政府の規模も役割も小さいほうが良いのかもしれない。しかし、政府が提供する公共サービスに生活の安心と安定を依存せざるを得ない人々には、著者が示す政府は厳しすぎるように思われる。
財政再建のためとはいえ、消費税率10%の負担はけっして軽くない。それでもセーフティーネットが厚くなるなら容認できる面もあるが、現在よりも薄くなるなら何のための負担増かと問いたくなる。小さな政府に固執した小泉元首相の戦略を著者は、「意図的に財政赤字を拡大させ……小泉後の政権ではこれ以上財政赤字を拡大できない」ようにした点で、「したたかな財政運営」だったと評価するが、最終的なツケを回される国民にとってはむしろ「とんでもない財政運営」だったのではないだろうか。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| 「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書 新赤版 1092) | |
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最後の一瞬まで手を尽くしてこそ
昨年春、富山県のある医師が7人の末期患者を「脳死状態」にあると判断し、人工呼吸器を外して死に至らしめる事件が明らかになった。
前年秋から、病院内で調査していた結果を発表したのだ。その後、尊厳死を主張する医師と、脳死状態かどうかを1人だけで判断すべきではない、と自宅待機などを命じた院長との対立に発展する。
さらに、この事件は、メディアなどを通じて尊厳死の是非をめぐる論争に発展し、その結果として尊厳死の法制化が進められて、さきごろ、「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」が公表された。
これに対し、本書の著者は患者の視点に立ち、当該医師や院長、患者の家族など関係者へのインタビューを通じて、事件の徹底した事実確認の作業を進める。
移植臓器の提供者が少ない日本では、臓器移植を促進するための環境整備を急ぐ動きもある。だが、著者の「足によるルポ」を通じて現れてきたのは、医師が可能な限りの手を尽くしてくれたという患者や家族の納得があってこそ、臓器移植も増えるのではないかということである。
それゆえに、医療現場において客観的な基準が必要な脳死判定に対する医師のアバウトな理解と対応は、問題になる。著者は今回の事件でも、呼吸器を外された患者の中には「脳死」に至っていなかった人も含まれていたのではないかとの疑念を抱く。
また、患者が納得するためには、患者や家族に対する医師の独善的なパターナリズム(家父長意識)を排除しなければならないと指摘する。例えば、医師から「回復の見込みがない」と断言されれば、それに反論するだけの知識を持ち合わせない患者の家族にとっては、医師の言葉を受け入れざるを得なくなる。
臓器移植に尽力する人たちの努力を多とするが、こうした医療現場における改善を行った上で最後の一瞬まで尊厳ある生が守られてこそ「尊厳死」が成立する。医師に対する患者の信頼があってはじめて臓器移植への理解者もふえるのではないだろうか。【評 小林良彰(慶応大学教授)】






















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