メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年8月6日~8月20日
| バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代 | |
![]() | 原 宏之 慶應義塾大学出版会 2006-05 売り上げランキング : 4928 おすすめ平均 ![]() この切なさは何なのか ブランド信仰の変遷・・・。 提起されてる論点には共鳴できるがあまりに総花的Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 東京大学「80年代地下文化論」講義 | |
![]() | 宮沢 章夫 白夜書房 2006-07-18 売り上げランキング : 1976 おすすめ平均 ![]() 輪廻転生Amazonで詳しく見る by G-Tools |
消費」幻想VS.「かっこいい」ピテカン
1988年、日本全体の地価の総計は1164兆円で、この金を出せば、日本の25倍の広さをもつアメリカを二つ買えた。今となっては誰もが笑い話としか思えないこの虚構を信じえた時代が、日本の80年代である。
原宏之の『バブル文化論』によれば、80年代とは、こうした金銭的飽和状態を背景に、消費と所有によって他人とは異なる自己実現ができると信じた共同幻想の時代だった。簡単にいえば、ブランド(しるし)をつけ替えるだけで、新しい自分を創造できると思いこんでいたのだ。
その幻想を支えたのは、ブランドを中心に消費情報を主導した雑誌・テレビなどのメディアだった。西武百貨店がヒットさせた「おいしい生活。」というコピーは、まさにこのうつろな消費スタイルを代弁するものであり、このときからデパートはモノではなく、消費のための情報を売る場所になった(安ければ安いほどいい実用品専門の百円ショップ、すなわち90年代型消費の正反対だ)。
だが、この「夢のような消費世界が決して幸福には直接結びつかな」かったというのが、『バブル文化論』の、ある意味では分かりきった、身も蓋(ふた)もない結論である。
というわけで、「80年代はスカ(はずれ、空っぽ)だった」と「別冊宝島」が特集を組んだほどに、80年代文化=バブルという通説は一般化しているが、宮沢章夫が東大で行った『「80年代地下文化論」講義』は、その通説に収まらない視角を浮かびあがらせる。
題材は、82年に東京・原宿にできた日本初のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」(通称ピテカン)で、ここに集った音楽や美術やファッションや舞台関係の人々の営為を、宮沢は「かっこいい」のひと言で定義する。「バブル」と「おたく」と「スカ」の80年代に対するアンチテーゼである。
「かっこいい」とは個人的な趣味の問題である。それが時代に共有されれば一般的(ポピュラー)なものになる。だが、個人性と一般性をともに超えて普遍性を求めるとき、趣味は真の文化へと昇華される。そうした普遍性の探求を宮沢は「かっこいい」と形容し、一時期の「ピテカン」にそれがあったと主張する。西武百貨店=セゾン系の文化の先で、現状に満足しない批評性を研ぎ澄ませば、ピテカン的なかっこよさに通じるだろう。
ピテカン的なかっこよさの対極には、おたく的な「内閉する連帯」があった。根暗なおたくはかっこいいピテカンに反感をもっていたが、同時に、おたくは「九〇年代的なインターネット的なコミュニケーション形式」(原宏之)の感覚的先駆者でもあった。
それゆえ、六本木のWAVEに象徴される西武セゾン系の流通業文化がつぶれたのち、おたく文化は森ビル系の不動産戦略と手を結び、同じ場所に六本木ヒルズを打ちたてる。おたく的インターネットの「内閉する連帯」が「かっこいい」文化を追い払った構図に見える、と宮沢章夫はつぶやく。だが、いままたヒルズ族にはバッシングの逆風が吹いている。この戦いの行方はどうなるのだろうか?【評 中条省平 学習院大学教授】
| 森のはずれで | |
![]() | 小野 正嗣 文藝春秋 2006-06 売り上げランキング : 42184 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「目」でなく、「耳」で読む小説である。読んでいると目が退化して、耳が異様に敏感になってくる。言葉のなかから、音が聞こえる。その音が立ち上げていく情景は、普段、わたしたちが見ているような、ピントのあった日常と少し違う。見えている表層の後ろ側に、何枚もの記憶の層が重なっていて、全体が、ぶれて震えているのである。
それは特定の個人の記憶というよりも、不特定な記憶の集合体という感触をもっている。胎児というものは羊水に揺られながら、こんな風景を夢見ているのかもしれない。
異国の小さな森のはずれに、「僕」と息子が暮らしている。息子はまだ小さい。妻は二人目を妊娠中で、出産のために実家に帰っている。二人の生活は、それ自体が、胎内的な空間である。森から聞こえる奇妙な音、奇妙な人々が、境界を安々と通過して、家の内へと侵入してくる。
四編の連作で構成されているが、なかでも、「古い皮の袋」が一番怖い。メンドリに喰(く)らいついた小犬・アブリルを処罰するため、古い皮の袋に、両者を入れて棒で叩(たた)きのめす農夫。かつて見たというその記憶を、息子は父にありありと語る。彼はそれをどうやら胎内で見ていたらしい。
古い皮の袋のまっくらな内部――わたしもかつて、そこにいた。まだそのなかに、いるような気もする。
物語が進行していくに従って、妻の胎内でむくむくと育っていく、生命の存在が感じられるが、一方でそれが外界へ出てこられないよう、押し込めておこうとする無言の敵意や悪意も漂う。
確かに、小説では最後まで妻が戻らず、当然、赤ん坊も生まれた気配はない。妊娠は永遠に続くのである。胎児は、ずっと胎児のまま、胎内でじわじわと老人になり朽ちていくのか。この世に現れ出なかったその「胎児」こそが、この物語の真の統率者であったような気がする。
大人が堪えて生きている哀(かな)しみが、透明なものとしてここに結晶している。
赤ん坊のように大声をあげて泣きたくなった。怖くて懐かしい「胎内小説」だ。【評 小池昌代(詩人)】
| 大地の咆哮 元上海総領事が見た中国 | |
![]() | 杉本 信行 PHP研究所 2006-06-22 売り上げランキング : 6 おすすめ平均 ![]() 同じ時期に出た二冊 上級職の外交官がこれでは・・・ 同じ外交官なのにAmazonで詳しく見る by G-Tools |
外交の現場から見すえた巨大な隣国
著者は中国語の語学研修を受けた、いわゆる外務省チャイナスクールの一員であり、縊死(いし)した館員を抱き下ろしたと伝えられる前上海総領事。さる八月三日、肺がんにて死去した。痛みや薬の副作用と闘いながら、対中外交の実践を振り返り、渾身(こんしん)の力をふり絞って書いた現代中国論が本書である。
長いキャリアの間に目撃し体験したエピソードは豊富で資料的価値も高い。厳格な監視社会の中に暮らした、文化大革命期の北京や瀋陽での語学研修。その後の日中平和友好条約交渉の際、尖閣諸島に現れた二百隻の中国漁船には大陸の軍港から指示が出されていたという。さらに、世話係を務めたトウ小平の訪日や、交流協会台北事務所勤務での李登輝総統との交渉秘話など、興味は尽きない。
その後、経済担当公使として北京に勤務した経験をもとに、著者は一千万円程度の小プロジェクトを支援する草の根無償資金協力の拡大を主張する。基礎教育や公害など中国が抱える深刻な問題を隣国として看過せず、援助により問題提起して中国政府の予算配分の変化を導くという考えは傾聴に値する。また、上海総領事時代も含め、様々な問題に行き当たった日系企業を力強く、時に激しい姿勢で支援した様子は印象深い。
日中間には諸々(もろもろ)の問題が横たわる。著者によれば喧嘩(けんか)するのは簡単だが、相手にとって説得力のない理論を持ち出しても徒労に終わる。大事なのは農民の苦境や汚職腐敗の蔓延(まんえん)といった中国の内なる脅威を理解し、協力を通して相互尊重の関係を維持することだという。「そうしないと危なっかしくて仕方がない」。ここに日本の安全保障政策の基本があるという指摘は正鵠(せいこく)を射る。また、中国とバチカンが国交を樹立すれば、カトリックのミッショナリーが実状報告することで汚職腐敗を叩(たた)けるという着想には驚かされた。
全編を通して伝わってくるのは巨大な隣国との外交に体当たりで取り組んだ著者の熱情であり、経験に基づく知恵だ。チャイナスクールが対中外交を誤らせたという謬(びゅう)論は、本書によって粉砕された。【評 高原明生(東京大学教授)】
| コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て | |
![]() | コルナイ ヤーノシュ Kornai J´anos 盛田 常夫 日本評論社 2006-06 売り上げランキング : 22295 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「現実にこだわる」理論経済学を貫く
本書の著者コルナイ・ヤーノシュはハンガリー生まれのユダヤ人であり、社会主義経済の批判的研究で高い評価を受けた経済学者である。著者の家族はナチ支配による迫害を受け、父はアウシュビッツに送り込まれ、兄は労働キャンプに「狩り出され」て他界した。辛うじて生き延びた著者は、ソ連軍がドイツ軍とハンガリーの矢十字(ファシスト)党を粉砕した時には心の底から解放感を覚えたと言う。
戦後は共産主義者として党の機関紙でペンをふるう。しかし、取材を通して計画経済に内在する問題(不足の恒常化)に目覚め、研究者に転じて、なぜ社会主義経済の理論通りに計画や管理が機能しないかをテーマに学位論文を書いた。その直後にハンガリー動乱が起き、ソ連軍は今度は戦車で民衆を鎮圧し、ソ連の傀儡(かいらい)と化した党・政府は容赦ない粛清を続けた。
マルクス主義に批判的だった著者も執拗(しつよう)な尋問を受けたが、ハンガリー経済の「現実」に依拠した研究を続けるために「国を離れなかった」。
理論経済学者の著者が「現実」にこだわったのは、本質的な点で現実と理論が乖離(かいり)している場合、修正されるべきは「理論」だという信念があったからだ。それが一般均衡論の非現実性を批判した『反均衡の経済学』、および計画経済の問題を「吸引(供給不足)」や「ソフトな予算制約」で分析した『不足の経済学』(未邦訳)などの主著に結晶している。
著者の分析は生産性の面で資本主義が社会主義を陵駕(りょうが)した背景にも及ぶ。不足とは正反対の過剰(モノ余り)が、生き残りを賭けた企業による、新技術や新製品の開発を促進したと指摘するのだ。
しかし、冷戦の終焉(しゅうえん)に伴う体制転換でハンガリーにも誕生した資本主義は、かつて人々が期待した社会主義と同様にユートピアではない。ハーバード大に招聘(しょうへい)されたときも一年の半分はブダペストに戻り、無給で研究することを条件にした著者は、権力の恐怖や富の誘惑に抗し、「思索する力を得て」、78歳の今も自らの眼(め)で見た現実を基に新たな課題に取り組んでいる。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| ヒトの変異―人体の遺伝的多様性について | |
![]() | アルマン・マリー ルロワ Armand Marie Leroi 築地 誠子 みすず書房 2006-06 売り上げランキング : 1195 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
子が親に似るのは遺伝である。もっとも、母親と父親の遺伝的な性質が混ざり合うにあたって、その調合は偶然に左右されるため、一卵性双生児を別にすれば、瓜(うり)二つの兄弟、姉妹は存在しない。これが遺伝の妙であり、そのおかげでこの世は多様性に満ちている。
遺伝学は、突発的に生じる変わり種、言うなれば「異常」な変異に注目してきた。この突然変異(ミュータント)の研究により、さまざまな遺伝の仕組みが見つかってきたのだ。
その結果わかってきたことは、正常と異常は紙一重だということだった。いやそれどころか、生死にかかわる変異を別にすれば、正常と異常を分けることさえ難しい。
本書は、気鋭の進化発生生物学者が語る、ヒトの突然変異探求の歴史と最新研究の成果に関する読み応えのある科学書である。かなりショッキングな事例も紹介されているが、逆にそうした事実は、発生すなわち受精から誕生までの過程の精妙さ、すばらしさを教えてくれる。
程度こそ違うが「私たちはみなミュータントなのだ」という著者の言葉は、そうした最新の知見に支えられてこそ発することのできる、重みのあるメッセージである。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| サバイバル登山家 | |
![]() | 服部 文祥 みすず書房 2006-06 売り上げランキング : 2312 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
みんながみんなネットでつながり、どこまでが自分の頭で考えたことなのか、自分の力で作ったものなのか、境目がわかりにくくなっている。そんな時代に、自分ひとりで何ができるかを考えぬき、実行する36歳の登山家の手記だ。
濃ゆい人。うっとうしいぐらい存在感がある。なのに彼は欲する。「生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界に存在していることを感じたい」
うわっ、もう十分存在してるよと思うのだが、他人がいうのでは駄目らしい。自分自身が実感せねば。
彼は山に登る。知床、日高、アルプスへ。装備を持たないサバイバル登山だ。乾燥米を盗んだキタキツネを今度会ったら食ってやると憎み、「岩魚(いわな)の口に引っかかっているのは僕の意志だ」といってかぶりつく。自分のしていることは遊びかと問う冷静さもある。この冷熱の往復運動が、本書を読みごたえのある挑戦的な文明論に仕上げている。
重装備でK2登頂を成し遂げた反動とか、平和な時代の自分探しとか、いろいろ人はいうだろう。私はただこんなやつがいるというだけで愉快だし、嫉妬(しっと)するほど文章がうまいから、彼の本は次も要チェックと思った次第。【評・最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 歴史に気候を読む | |
![]() | 吉野 正敏 学生社 2006-06 売り上げランキング : 3202 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
歴史の一場面を書くときには、できるだけ気候を調べる。ある大事件当日、天気はどうだったか。その限りでは、気候は歴史の単なる背景だ。
しかし本書を読むと、その関係が逆転する。気候が歴史を動かすのである。少なくとも、歴史の舵(かじ)取りに決定的な影響を与えてきたことがわかる。
取り上げられる話題は、孫子の兵法、アンコールワット遺跡、ヴァイキングの活躍、川中島の合戦などと一見いかにも飛び飛びであるが、よく読むと巨視的な構図の向(むこ)う側に一つのテーマが見え隠れしている。もしかしたら本書の《影のテーマ》は、地球温暖化の問題なのではなかろうか。
世界の気候は九~十一世紀が温暖のピークだったそうだ。著者によれば、東アジアで唐が栄え、日本で平城・平安両王朝が確立し、東南アジアにアンコール文明が花咲き、北西ヨーロッパでヴァイキングの活動範囲が広がったのはその条件と無関係ではない。それ以後、一七〇〇年を低極とする低温の時代を迎えたとされるのである。「一九八〇年代以降のいわゆる地球温暖化については、ここではふれない」とあるのが何だか不気味だ。人類に最初の経験ではないが、文明は無事では済まないと歴史が語っている。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| インドネシア イスラームの覚醒 | |
![]() | 倉沢 愛子 洋泉社 2006-06-01 売り上げランキング : 6344 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「ローニン(浪人)」と「ジバク(自爆)」――。インドネシア語化されたふたつの日本語が、読後、忘れがたい印象を残す。
「ローニン」が学ぶのは日本の代々木ゼミナールを模した学校(四十五校もある!)だが、単なる予備校ではなく、イスラムの宣教を基礎に置く。一方の「ジバク」は戦争を知る世代に馴染(なじ)み深い単語で、しかし、こちらはバリでの爆弾テロで蘇(よみがえ)った。新旧日本語に通底するのは、イスラムである。
従来の近代化論では、経済発展が進むと、信仰への関心は薄れるはずであった。ところが、インドネシアでは一九九〇年代以降、日常生活でのイスラム化が色濃くなり、特に都市部の高学歴者のあいだで目立つ。この世界最多のイスラム人口を抱える国で何が進行中なのか。
ジャカルタに長年在住し、インドネシア研究では定評のある著者の報告は、事件や現象を追うことに汲々(きゅうきゅう)とするマスコミ報道とは異なり、たしかに変わりつつある時代の潮流をミクロとマクロの視点から冷静に伝えている。
著者は、インドネシアのイスラム国家化はまずないと言うが、近年のキリスト教徒への迫害を見ると、急進化への危惧が私には拭(ぬぐ)いきれない。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】
| 大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち | |
![]() | 楠 精一郎 朝日新聞社 2006-07 売り上げランキング : 1111 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「議会政治を守れ」と気骨の政治家
90年代の政治改革で「政党本位の政治」が主張され、昨年の衆院選でも明らかなように、党本部の方針に従わない議員は党を追われて対立候補を立てられ、厳しい道を歩むことになった。
しかし、戦時下でこれとは比較にならないほど苦難の道を歩んだ政治家たちがいた。彼らは軍部に追随する大政翼賛会の予算削減を主張して同交会を結成し、議会政治を死守しようとした。
同交会は当時の台頭する軍国主義(革新派)に対して「明治憲法で定められた立憲政治の大道」に則した政治を求めた現状維持派であったともいえる。政友会少数派から純無所属、社会党系、院外団といった「一種の混合団体」で組織されていた。
軍事費の増大を批判して不敬罪に問われた尾崎行雄、治安維持法制定への反対演説を行った星島二郎、徹底した主権在民を唱えた植原悦二郎、翼賛会は憲法違反であると論じた大石倫治など37人が所属し、さらに彼らに近い3人を加えた政治家の生き方が、本書では綴(つづ)られている。大野伴睦や三木武吉など多彩な顔ぶれが揃(そろ)っていた。
もちろん彼らに対する弾圧がいかにすさまじかったかは想像に難くない。東条英機内閣は、政府が実質的に選んだ議員定数いっぱいの推薦候補を擁立して「翼賛選挙」を断行した。これに対し、同交会から29人が非推薦で出馬し、尾崎行雄が選挙中に拘置所に留置されるなどの警察の選挙干渉を受けながら選挙を戦い、かろうじて何人かが当選した。
37人の元同交会政治家で戦後まで生き残った8割が国政に復帰し、首相3人と衆院議長3人を輩出した。軍部が台頭する中で議会政治と民主主義を死守した彼らに対する歴史の評価であった。
現代の政治家には周囲を見渡して多数につき、保身をはかる者が少なくない。戦前に、生命を賭けて自分の意志を貫いた気骨ある政治家がいたことを心に留めたい。本書は、こうした当時の政治の姿と政治家の息づかいを洒脱(しゃだつ)な文章で伝える興味深い読み物にもなっている。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| 平和は「退屈」ですか―元ひめゆり学徒と若者たちの500日 | |
![]() | 下嶋 哲朗 岩波書店 2006-06 売り上げランキング : 1376 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
元ひめゆり学徒隊員の講演を聞いて「言葉がこころに届かない!」とある女子高生は言った。別の男子高生は言った。「戦争? したっていいじゃん」。彼はわざと挑発的な言い方をしたのである。「戦争はいけない、平和は大切だ。こんなこと誰だってわかってる。わかりきったことを言い合って、わかりきった結論に達する。これってWHY? を許さない学校の平和学習と同じじゃん」。俺(おれ)はその先へ進みたいんだ、と。
そうだよね。高校生じゃなくたって、私でもそう思う。
しかし、挑発された語り手たちの衝撃と失望は大きかった。若い人のこころに言葉が届かない。どうして?
両者の間の溝は深い。はっきりいって私は半ば投げていました。昨年、私立高校の英語の入試に、元ひめゆり学徒の証言を聞いた生徒が「退屈だった」と感じたという趣旨の問題が出て騒然となったけれども、「ありがたいお話を心して聞け」みたいなそういう態度が平和教育を失敗させたんじゃないの? と。
でも、投げなかった人たちがいた! 『平和は「退屈」ですか』は投げなかった人たちによる対話と試行錯誤の記録である。「虹の会」と命名されたプロジェクトに参加したのは沖縄の高校1年生から大学4年生まで17名。そして元ひめゆり学徒の人々。2004年夏から翌年の夏まで1年以上にわたる活動が若者たちをどう成長させ、ひめゆりの人々をどう変えたか。
学徒動員は強制だったというけれど、疎開という方法で拒否した生徒もいた。皇民化教育のおかげで動員されたと聞いていたのに、自発的に従軍したと主張する人もいる。対話の中で浮かび上がる数々の意外な事実。そのたびに若者たちは戸惑い考える。ひめゆりの人々の間にも緊張が走る。その過程は「戦争体験を語り継ぐ」という使い古された方法を再生させる、大きな可能性を示している。
靖国問題でゆれる夏。戦争体験者に残された時間は少ない。だが「体験」は語る人と継ぐ人の共同作業で鍛えられる。溌剌(はつらつ)とした若者たちが印象的。希望はあると思った。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
| ビッグバン宇宙論 (上) | |
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| ビッグバン宇宙論 (下) | |
![]() | サイモン・シン 青木 薫 新潮社 2006-06-22 売り上げランキング : 231 おすすめ平均 ![]() インド人にビックリ! "Science is a self-correcting process"(Carl Sagan)の意味が良く分かる!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
誰もがその重要さを知りながら、意外に軽視されがちなのが、冒頭の書き出しである。大上段に構えるべきか、さりげないエピソードから始めるべきか、大作であればあるほど、その選択は難しい。
数学もののノンフィクション2作を物しただけですでに大家の呼び声高いインド系英国人サイエンスライターの著者は、読者の自尊心をくすぐる書き方を選んだ。
広大な宇宙の片隅でその起源について考えをめぐらす知恵と剛胆(ごうたん)さを備えた生物種の一員にして、しかも天地創造の秘密を解き明かしたエレガントな理論がほぼ出そろった特別な世代に属するあなたは幸運だというのだ。
「さらにすばらしいことに、ビッグバン・モデルは誰にでも理解できる」との挑戦状を突きつけられたなら、これはもう、先を読み進むしかないだろう。
ただし本書は、宇宙創成を説明するビッグバン理論の解説書ではない。むろん、通読すればビッグバン理論の全容に触れることにはなる。しかし、そのような、いわゆる解説書はすでにあまた存在する。サイモン・シンが本書で描きたかったのは、突飛(とっぴ)ではあるが壮大な科学理論が想起され、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て通説として定着してゆく過程、すなわち科学革命の一例としてのビッグバン理論だった。
革命的な科学理論がたどる運命は、最初は「ばかばかしい理論」としてスタートし、「もしかしたら正しいかもしれない」と受け入れられ始め、最後は「あたりまえの考え方」として定着するというものだ。
天文学における最大の科学革命は、地動説の受容だった。コペルニクスの地動説は、当初は無視された。無名のコペルニクスの説は常識に反しており、しかも当時主流の天動説に比べると、天体の動きを予測する精度が低かったからである。その当時にあっては、天動説のほうが合理的な考え方だったのだ。
地動説は最終的に勝利を収めたわけだが、ビッグバン理論も似たような道をたどった。そもそもこの理論は、アインシュタインの一般相対性理論をさらに一般化する過程で提案された。ただし提案者はアインシュタインではない。それどころか、永遠に存在してきた静的な宇宙という「常識」に縛られていたかの大天才は、後にビッグバン理論と呼ばれることになった「膨張する宇宙論」に、当初は異を唱えていた。
結局のところ、いかに革命的な理論でも、データによって実証されないことには定説として受け入れられはしない。それが実証されるには、観測技術の進歩を待たねばならない。データによって裏づけられても、難癖を付け、受け入れを頑(かたく)なに拒む科学者は常に存在する。最終的には、守旧派世代の退席を待つしかないのだ。
ビッグバン理論で宇宙の謎のすべてが解けたわけではない。しかし、ビッグバン宇宙論は、人間の知性が達成しえた輝かしい知的到達点の一つである。したがって、その知的葛藤(かっとう)の歴史は大いに知る価値がある。だからこそ本書は書かれるべくして書かれた。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| ひとがた流し | |
![]() | 北村 薫 朝日新聞社 2006-07 売り上げランキング : 699 おすすめ平均 ![]() 大切な人はいますか? まったり時間が流れていくAmazonで詳しく見る by G-Tools |
四十路の女性たちの物語である。〈自分が四十越えるなんて、百万年も先のことだと思ってた〉という学生生活をともに送った三人――アナウンサーの千波、バツイチ作家の牧子、そしてカメラマンの妻の美々が織りなす友情の物語でもある。
組織の中で働くオトナとして、年頃の娘を持つ母として、あるいは前夫の裏切りに傷つけられた妻として、三人は〈三原色のように違った生活〉を送りながらも、いまもお互いの家を行き来する付き合いをつづけている。物語の前半は、そんな三人の過去といまが、翳(かげ)りや謎をのぞかせつつ語られていく。
願い事を書いた「ひとがた」を川に流すという千波の故郷の風習から採られた題名にならえば、読者はまず、物語に流れる水そのものの清冽(せいれつ)さを味わうことになるだろう。男社会の中で生きていくこと、子どもの成長と巣立ち、学生生活の思い出の数々……北村薫さんの語り口はあくまで優しく、透明感にあふれた描写とともに、豊かなディテールを積み上げる。
三人の人生という「ひとがた」は、それぞれの軌跡を川面に描きながら、物語の中を流れていく。川の流れはときに渦を巻き、淀(よど)みもする。だが、「ひとがた」は決して川をさかのぼることはできない。ひとは誰も人生をやり直すことはできないのだ。
物語の後半、「ひとがた」の一つは仲間たちと別れ、ひとり海へと運ばれていく。川の流れをたどるなら、それは悲しみに満ちた物語になる。なのに読後には、とびきりの美しさに触れたよろこびが残る。登場人物の誰もが誰かを心配して、誰もが誰かのためになにかをしたいと願っているから――北村薫さん自身が見つめて、信じ、祈ってもいる「生きることの意味」が、きっと、そこにあるからだ。
千波は、美々の娘・玲に〈人が生きていく時、力になるのは何か〉と問いかけ、自ら答えを口にする。読書の時間を短い旅にたとえるなら、川べりの道を歩いてきた僕の旅は、その一言に出会うためのものだった。おそらく、それは、あなたにとっても――。【評 重松清(作家)】
| 昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア | |
![]() | ドナルド キーン Donald Keene 松宮 史朗 中央公論新社 2006-07 売り上げランキング : 1095 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
今も変わらない?「日本人の無自覚」
日本語を話せるアメリカ人なんて、第2次世界大戦直後の時期には、とても珍しい存在だった。本書の著者であるドナルド・キーンをはじめとする9名の米軍日本語将校は、そうした特別の人たちだった。彼らは、その頃本国ではほとんど関心を持たれていなかった日本やアジア各地から復員する日本軍の実像を、同時代のアメリカ人に知らせるために、意識的に手紙を書き残したのである。本書は、その当時の彼らの、40通の手紙の全訳である。
ここで描かれているのは、歴史の転換点に立って右往左往する日本人の姿である。著者たちは、アメリカ軍人や外国人の日本人に対する無理解に接すると、日本人のことを弁護したくなる人たちだった。しかし、自分たちに戦争責任があると感じていない日本人の姿勢や、教養ある日本人の間でも強い女性差別の態度に接すると、それに反発を覚えてもいた。ここには日本人への共感と反発との間を揺れ動く、彼らの心情も点描されている。
今の時点から見ると、彼らに接触を求める日本人には、地位ある人たちや知識人が圧倒的に多かったようにみえる。それは、彼らが占領軍の一員という特権的な存在だったことに関係するのだろう。たとえそれが日本語の話せる米軍将校であっても、彼らは日本の庶民にとっては、話すのに怖(お)じ気づくような存在であった。とはいえ彼らは、日本人に対する占領者の立場の特権性を自覚していて、自己批判的な視点が強くあることには驚かされる。
同時代のリポートを意図して編集された本書は、今では歴史の転換期の観測記録となった。本書で印象に残ったことの一つは、この当時の多くの日本人が、この戦争の結果として、日本が侵略した国民からのどんな反発と敵意にさらされることになったのかを、ほとんど自覚していなかったという点である。そしてこの点は、今も変わらないのかもしれない。その意味で本書は、戦後日本人がどんなに変わったのか、逆に変わらなかったかを示す鏡にもなっているのである。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】
| 神風連とその時代 | |
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この一冊は一九七七年に福岡の葦(あし)書房から刊行されたきり、長らく絶版になっていた幻の名著の復刊である。思想史的に孤立し、敬遠されてきた神風連が、初めて理解可能になった思いがする。
神風連の乱は、明治九年十月二十四日の夜、神官太田黒伴雄(ともお)に率いられた熊本敬神党の同志百七十余人が決起し、「攘夷(じょうい)」と「神政」を呼号して熊本鎮台を襲撃した武装反乱である。
一党は西洋文明の象徴である銃砲を使用せず、刀剣と焼玉だけで襲撃を実行した。司令長官種田政明・熊本県令安岡良亮を殺し、鎮台兵約三百名を殺傷したが、すぐに鎮圧され、戦死二十八人・自刃八十七人・斬罪三人を出して、《組織的な自爆》といえるような悲壮な結末を迎える。
神風連の乱には、この時期に相前後して起きた佐賀の乱・秋月の乱・萩の乱と同様の士族反乱としては片づけきれぬ特異な要素がある。深い宗教性である。明治の徳富蘇峰さえこの党派を「保守的清教徒」「神秘的秘密結社」と評している。もともと「神風連」という呼び名も、世間がカミカゼだといって嘲笑(ちょうしょう)した戯称だったそうだ。
著者の立場は神風連と士族反乱との不連続性を強調し、思想的な核心を「信仰としての攘夷」に求めるところにある。「攘夷という政治的要求がじつは神学的原則の系にすぎぬ」とは名言だ。
神風連を動かした信念が国学者林桜園(はやしおうえん)の神学にあるという指摘なら以前からなされていた。著者の独創は「神事は本、人事は末」という教理を本居宣長の国学が産み落とした鬼子ととらえ、徹底した反政治的ラディカリズムを見出した点に発揮される。
桜園直系の太田黒伴雄は決起の可否すら「宇気比(うけひ)」という占いによる神意で定めた。肥後藩士族の軽輩層には時代の不如意が重くのしかかる。きっかけになった廃刀令は、攘夷を捨てた明治政府のもとで生きる実存的な不快感の臨界点だったにすぎない。
初版から三十年。神風連の歴史は、いち早くテロリズムと原理主義の親愛を予示していたかのように読める。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 世界と恋するおしごと―国際協力のトビラ | |
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医師である著者は、アフガニスタンなどで医療援助を続け、NPO法人「宇宙船地球号」を創設、40カ国以上でプロジェクトを実施してきた。その経験を生かして、本著では、シニア海外ボランティア、ユニセフ、NGOなどで、世界の人を助ける活動に就く20代から60代までの日本人男女に、インタビューを行った。
青年海外協力隊でエチオピアに派遣された女性は、現地では日本での常識が通じなくて、一から勉強して覚えていくことを「赤ちゃんになれる魅力」と話す。世界銀行で働いた男性は、多文化社会の中で、議論をし戦略を立てた充実ぶりを「世界中、あんな職場はない」と言い切る。
同時に、「国連機関で仕事を続けていくなら就職活動の繰り返し」「海外で何かしようと思ったら、全部自分でやる覚悟がいる」など、現場を知り抜いた人ならではの貴重なアドバイスも聞ける。
著者の「国際協力とは、世界のために自分の人生を使う生き方」「最初の一歩を始めることが大切。情報を集め、イベントに出かけ、目標となる『人』と出会おう」の声に力がこもる。国際協力など偽善ではないか、と疑う人に勧めたい。【多賀幹子(フリージャーナリスト)】
| アメリカの原理主義 | |
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2年前にブッシュ米大統領が再選された際、地元メディアは道徳的価値(モラル・バリュー)に対する有権者の態度が最大の勝因と報じた。しかし、日本人には、もう一つ釈然としない説明のようにも思えた。
そうした疑問に見事に応えてくれたのが、新聞社のニューヨーク支局長などの経歴をもつ著者による本書である。著者は、「ネオコン」や、いわゆる反進化論訴訟にみられる「原理主義」、人種差別も厭(いと)わない「極右」、福音主義を中心とした「宗教右派」、さらには同性結婚や中絶の賛否両論の関係者に対して膨大なインタビューを行い、それらの考え方が相互にどのように結び付き、どのように変化していったのかを丹念に解きほぐして説明してくれる。
著者によれば、60年代に端を発する行き過ぎたカジュアル・セックスや同性結婚を良しとせず、ヨーロッパの腐敗から離れて純化した国家を作るというかつての建国の精神に立ち返ろうとする者が増えている。そして、東欧諸国を支配下に置いた旧ソ連に対し、フランスや日本を属国にしなかった誇りとも結びつき、国際的枠組みを嫌う米国は一国主義へ走る傾向がみられるという。現代の米国を知る上での必読書である。【評 小林良彰(慶応大教授)】
| 押入れのちよ | |
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村おこしを描くユーモア小説『オロロ畑でつかまえて』(小説すばる新人賞)、若年性アルツハイマーを扱った感動作『明日の記憶』(山本周五郎賞)、ドタバタ調のクライム・コメディ『ママの狙撃銃』でお馴染(なじ)みの荻原浩の初の短篇(たんぺん)集である。何でもこなせる作者だけあってシリアスなサスペンスから馬鹿馬鹿しいホラーまで揃(そろ)っていて、読み応え充分(じゅうぶん)である。
ここには九篇収録されている。少女の視点から戦争のやるせない悲しみをえぐる「お母さまのロシアのスープ」、殺人計画を実行する夫婦の攻防を描く爆笑篇「殺意のレシピ」、十五年前に突然消えてしまった妹の事件の真相を知る「木下闇」もいいが、一番の出来ばえを示すのは「コール」だろう。
これは友人と妻の恋愛を応援せざるをえない“僕”の隠された動機をめぐる話だが、まず何よりも物語がひじょうに注意深く計算されているのがいい。しかも、中盤に大きくネタをわりつつ、なおかつ読者に切ない思いを抱かせて、ラスト一行でほろりとさせるのである。洗練された技巧、ひねりのきいたプロット、確かなテーマ把握、あざやかな着地という、本書におさめられた短篇たちの見本のような傑作だ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| ヴェルレーヌ伝 | |
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ヴェルレーヌといえば、「秋の日のヴィオロンのためいきの」や「巷(ちまた)に雨の降る如く」という名訳が反射的に思いだされるせいで、やるせない感傷にふける旧世代の詩人というイメージがあるが、「なによりも音楽を」と歌った彼の身上は、月並みな感慨を軽やかな詩的メランコリーへと昇華させる音楽的魔術にあった。
だが、その清冽(せいれつ)な霊感の噴水は深い泥水の源泉から湧(わ)きだしていた。彼の詩は噴水、生活は泥水だった。癒やしがたい酒乱で、男色女色の両刀を刃こぼれするほど酷使し、ランボーと地獄の夫婦のごとき修羅場を演じ、母と妻の間で引き裂かれ、晩年は二人の娼婦(しょうふ)に引き裂かれた。そうかと思えば、フランス語を英語なまりで発音するという独創的な英語習得法を開発した変な先生でもあった。
ヴェルレーヌ伝には専門の学者の大著もあるが、正確さを追求するあまり無味乾燥な事実の列挙になりがちだ。だが、本書はフランスを代表する伝記作家の手になるものだけに、じつに読みやすく面白い。
これほど愚かな一生を送った男があんなにも繊細で感動的な言葉の旋律をつむぎだす。そこに人間精神の神秘がかいま見える。【評 中条省平(学習院大教授)】
| 子ども兵の戦争 | |
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現代の戦争における民間軍事企業の役割を指摘した話題作、『戦争請負会社』の著者による、最新作。本書では、昨今の戦争での未成年戦闘員の問題を取り上げる。
アジアやアフリカ、中東や中南米で、政府側もゲリラ側も、安価で「使い捨て」できる子どもたちを、拉致したり誘拐したり唆したりして、戦闘を長期化させている、と著者は論ずる。元子ども兵の証言は、どれも暗澹(あんたん)たる気持ちにさせられる内容だ。
著者は、子ども兵増加の理由をこう述べる。子どもにも使える小火器が世界的に普及したこと。冷戦後国内秩序を維持できない破綻(はたん)国家が増え、内戦が蔓延(まんえん)したこと。貧しい子どもたちは特に絶望感が強いこと。友人や家族を殺されたことで、生き残った自分への自責の念と復讐(ふくしゅう)心を強く抱くこと。戦うしか技能を持たない子どもが、戦うことを生業にするしかない環境におかれること。そして、そうした環境にある子どもを利用し戦いの道具にする組織が、至る所に存在するということ。
子ども兵問題の深刻さ、解決必要性が伝わってくるが、しかし、読み進むうちに違和感を覚える。本書の立ち位置が、子ども兵に向き合う外国軍、特に米兵の視点になっているのだ。子ども兵にどう向かい合うかに焦点が当てられ、子ども兵を生む途上国の問題、国際政治の矛盾への追究は途中で消えてしまう。
大人相手なら遠慮なく殺せるのに、殺すことに良心の呵責(かしゃく)を感じる子ども兵といかに戦わないですませるか、という問題であってはならないはずだ。国際社会の暗黙の了解のもとに、ふんだんに武器と大人の兵士を揃(そろ)えた侵略者や独裁者に対して、抑圧される側では子どもすら武器を取らざるを得ないという問題には、解決策は示されない。
子ども兵の訓練過程で、敵の命の安さ、殺すことへの鈍感さが教えられる、と著者は言う。それは実際には、世界に高価な命と安価な命がある、という現実を浮き彫りにしている。子ども兵は、国際社会のなかで一番安く、鈍感に殺されてきた社会層から生まれているのだ。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】
| 人権の政治学 | |
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「タダ」「普遍的善」の思い込みに異議
均質な国民からなる国家という考えが神話であることは、今日では常識に近い。なんらかの意味でのマイノリティーを抱えない国民国家など存在しないからだ。そこから国民国家をさまざまな人権抑圧の源泉として批判する論者は多い。
しかし、人権はタダでは保障されない。その保障には、経済的コスト(金銭的負担)もかかれば、政治的コスト(権力の発動)もかかる。著者が鋭く指摘するのは、この人権保障のコストは、人類にとって無限に支払いうるものではないという現実である。それゆえ、コストを払ってでも強制的に介入すべき人権侵害と、そうではない場合との線引きが問題になるのだ。
この洞察を前提に著者が引き出している主張は、大きく二つ。まず、ある国家がそのシステム自体の作用によって差し迫った重大な人権侵害の危険をひきおこすのでないならば、その国家の安定化は、人権を保障する最大の資源として尊重されるべきだということ。では、その「差し迫った重大な人権侵害の危険」の存否はどう判断されるのか。これに対して著者は、人権は、つねに強制されるべき普遍的善ではなく、それを踏みにじられている当事者に、そこからの救いを求める資格を付与する仕組みとしてのみ理解されるべきだと主張する。
二つの主張をあわせて、著者は自己の立場を「人権のミニマリズム」と称している。人権概念を、より多くのひとびとが合意できる実用的(プラグマティック)な部分に厳しく限定することで、その保障の手続きの公正性と効率性の両立を目指しているというわけである。
「テロとの戦争」に巻き込まれていく世界において、われわれは、人道的介入と内政不干渉とのあいだの理念の調整に苦しんでいる。本書は2000年に行われた講演の記録であるが、著者はその後03年のイラク戦争を積極的に支持する論者のひとりとなった。本書は、その根拠とも読めるし、その逆にも読める。しかし、いずれにせよ、単純な原則への還元を拒んでいるところにこそ、本書の価値は見いだされるべきであろう。【評 山下範久(北海道大学助教授)】


この切なさは何なのか
ブランド信仰の変遷・・・。


上級職の外交官がこれでは・・・







トンデモ本である










