メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年7月23日~7月30日
| 君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか―哲学的懐疑論の意義 | |
![]() | バリー・ストラウド Barry Stroud 永井 均 春秋社 2006-06 売り上げランキング : 10172 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
哲学的懐疑論の主張を検討する
私はいま、夢を見ていないとどうして言えるのか。私はビーカーの培養液に浮かぶ脳で、現実だと思っていることはすべて脳内のイメージなのではないか。あるいは、私は自分だけがそうと知らないまま長大な演劇の中に放り込まれており、私の家族も友人も演技をしているだけなのではないか……。
こんな考えにふととりつかれて夜も眠れなくなる、という経験をしたことがある人は、決して少なくないはずだ。そのきっかけは、人それぞれ。マンガ、映画、文学に思想、中には何のきっかけもないのに突然、「これって現実? 夢?」と疑い出したという人もいるだろう。ちなみに私の場合は、10歳のときに手塚治虫の『赤の他人』というマンガを読んだのが、目の前の現実や世界の自明性を疑い出す始まりとなった。
哲学者の中にも、この問いにとりつかれた人たちがいる。デカルトは、「自分が世界について知っていると思うことを、私たちは本当に知っているのだろうか?」と、「知識」についての疑問を投げかけた。そしてデカルトは、「何かについて知っている」というのは自分が世界について得た感覚なのだと主張する人に対しては、そもそもその世界が現実なのか夢なのかをどうやって区別するのか、とさらに問いかける。これが、哲学的懐疑論と呼ばれる系譜の始まりだ。
しかし、「世界は夢かもしれない、だから何かを知ることなんてできないんだ」と言ってしまうと、恋愛も仕事も、生きていることさえ無意味ということにもなりかねない。だから哲学者たちは、この懐疑論を打ち消すための理論を必死に打ち立てようとしてきた。
本書では、デカルトの懐疑論の紹介の後に、哲学の反懐疑論(哲学的知識理論とも言われる)が丁寧に紹介される。登場する哲学者は、オースティン、ムーア、カント、カルナップ、クワインなど。そのあたりの哲学的議論は、著者独特のややまわりくどい論法のためもあり、簡単には読み進められない。しかも、著者自身も最後まで、自分は懐疑論寄りなのか、それとも懐疑論に“とどめ”を刺すために本書を書いたのか、ついに立場をはっきりさせないのでもどかしい。ただ、哲学の領域では、今やこの懐疑論は「負け」ということで決着がついているらしい、ということはわかる。
しかし、哲学以外の世界ではどうだろう。たとえば精神医療の現場では、「自分のまわりが現実だという実感がない」と訴える離人症の患者が増加する一方だ。膨張し続ける仮想現実空間は、私たちの現実感覚を知らないうちに揺るがせる。
SF映画『マトリックス』の中で、モーフィアスは主人公ネオに言う。「ネオ、君はどうやって夢の世界と現実世界とを識別するんだね?」。実は私たちはその問いに、いまだに答えられずにいるのではないだろうか。懐疑論にまだ決着はついていない。まずは、哲学の世界での議論に耳を傾け、それから自分で考えてみよう。【評 香山リカ(精神科医・帝塚山学院大学教授)】
| 入門・アーカイブズの世界―記憶と記録を未来に 翻訳論文集 | |
![]() | 記録管理学会 日本アーカイブズ学会 日外アソシエーツ 2006-06 売り上げランキング : 58878 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アーカイブズとは、貴重史料や記録保管システムのこと。日本ではまだ、なじみの薄い世界だ。同書は、記録管理学会と日本アーカイブズ学会の機関誌などに載った欧米の理論家・実践者6人による7本の翻訳論文集。理論から米国国立公文書館・記録管理局の戦略報告などまで取り上げている。アーカイブズの充実は、暗部を含めた歴史を忘れずに見つめることにつながるのではないか。専門性の高い書だが、我々が結果として、ないがしろにしがちな理念を学べる。
| 同じうたをうたい続けて | |
![]() | 神沢 利子 晶文社 2006-06 売り上げランキング : 13085 おすすめ平均 ![]() 美しい老年,美しい文章Amazonで詳しく見る by G-Tools |
食べることへのこだわりに、いのちそのものへのこだわり。幼い頃から、川の流れのようにわたしは同じうたをうたい続けてきた――。『くまの子ウーフ』などで知られる、24年生まれの童話作家のエッセー集だ。川や星や月の思い出、草や虫とのつきあい、家族とのかかわりが淡々とつづられる。母の一周忌に遺句集を編むことになり、「ひとに負けぬ秀句を作ろうとして、力んだ句に違いない」と思って読み始めたら、みな素直で平明な句だった、と自ら悔いる場面が印象に残る。
| 反ファシズムの危機―現代イタリアの修正主義 | |
![]() | セルジョ ルッツァット Sergio Luzzatto 堤 康徳 岩波書店 2006-05 売り上げランキング : 15935 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
伊でも強まる歴史修正主義を批判
第二次大戦は、日独伊三国同盟(一九四〇年九月締結)と米英ソなどの連合軍の間の戦争であった。ゆえに、日独伊の三国が戦争期のみならず、敗戦後の状況においても類似することは、誰にでも想像がつく。実際、戦後日本のことを考える際、ドイツの事例がいつも参照されてきた。歴史の見直し(歴史修正主義)という問題に関しても同じである。ところが、イタリアに関しては、日本ではほとんど知られていない。
一つには、敗戦後の状況に決定的な違いがあるからだ。日本やドイツで、政治的な指導者がその戦争責任を「連合軍」によって問われたのに対して、イタリアではそうならなかった。ファシズム体制を倒しムッソリーニを処刑したのは、共産党を中心とするレジスタンス運動であった。そのため、日本では、イタリアといえば、グラムシ主義に代表される左翼運動の国として見られてきた。しかし、ソ連邦が崩壊した一九九一年以来、事態が変わってきている。ファシズムの脅威を軽く見て、反ファシズムの意義を無化してしまう歴史修正主義が強くなったのである。ベルルスコーニ政権の出現がそれを典型的に示している。
本書において、著者はそのような傾向を批判し、「反ファシズム」の意義をあらためて確認しようとしている。細かな歴史的文脈を別にすれば、本書が示す事柄は、日本人にとって非常に参考になる。というのも、ある意味で、戦後日本のケースは、ドイツよりもイタリアに似ているからである。
たとえば、二〇〇三年イラク戦争の時点で並んだ、ドイツの首相シュレーダーと、小泉首相やベルルスコーニ首相を比べてみればよい。前者がドイツの過去を認め且(か)つアメリカのイラク戦争に反対したのに対して、後者二人は過去を否認し、イラク戦争にすすんで参加することを表明した。前者が沈鬱(ちんうつ)な表情をしているのに、後者はやたらに上機嫌ではしゃぎまわる。いうまでもなく、彼らの差異や類似は、個性の問題ではない。それぞれの国民の問題である。【評 柄谷行人(評論家)】
| きみがくれたぼくの星空 | |
![]() | ロレンツォ・リカルツィ 泉 典子 河出書房新社 2006-06-08 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
鋭く深く描く80歳の恋と「恋以上」
帯にはラブストーリーとある。しかしこれをラブストーリーとくくってしまっていいのだろうか? 読みながら私は幾度もそんな疑問を抱いた。読み進むにつれ、恋愛というものをはるかに超えた小説に思えてくるのだった。
妻を失い、脳血栓を患い、老人ホームに入った八十歳の物理学者トンマーゾは、そこでおこなわれるいっさいに我慢がならず、悪態ばかりついて「ミスタークソッタレ」の異名をとる。ホームで暮らして四年目、彼は奇跡を体験する。同じくホームにきた七十代の女性エレナとの出会いである。北風と太陽の物語のように、エレナはその愛で、トンマーゾのまとった重たいコートを脱がせる。諦観(ていかん)、絶望、嫌悪、恐怖――負の感情の詰まったコートを。
かつて老人ホームを運営した体験を持つ著者は、老い、というものの正体を、ユーモアとアイロニーを交えて、鋭く描き出す。思考ははっきりしているのに体が思うように動かない苦悩、見知らぬ若者に子ども扱いされる屈辱、そして大切な記憶がどんどん遠ざかっていく恐怖。
トンマーゾはかつて名の知られた物理学者だった。世紀の発見に年月を費やし、あと一歩というところで自らの研究に大きな欠陥を見つけ、天文学者へと路線変更する。銀河の運動について研究を重ねていた彼が、ある日、病に敗れる。おむつをし、食べ物をこぼす自分を強く嫌悪し、彼は自殺まで試みる。
語り口は軽やかだが、思わず私は、生きていくこととはなんであるのかと考えた。死ではなく、生の意味を。それがなんなのかわからなくなりかけたとき、トンマーゾと同様、読み手である私もエレナに出会うのだ。人生そのものを、自分と同様他人をもまるごと受け入れている、聡明な女性に。
この二人のあいだに交わされたものが、恋愛だと私にはどうしても思えない。老いてしか手に入れられないものをたしかにトンマーゾは得る。ここに描かれているのは、恋愛でもなく死でもない、人がその生を生ききることだと、私には思えて仕方がない。【評 角田光代(作家)】
| 脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本 | |
![]() | 安達 誠司 藤原書店 2006-05 売り上げランキング : 25991 おすすめ平均 ![]() 歴史分析の意義 「通貨」で負けた日本、そして歴史は繰り返すのか? 現状分析の為にどうぞAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「松方財政」に遡る現代への警告
7月14日、日銀は5年4カ月ぶりにゼロ金利政策を解除した。デフレ(一般物価の継続的下落)が終焉(しゅうえん)し、この先も景気の拡大が続くと判断したからだ。これに対し、著者は、3月9日の量的緩和に続く一連のリフレ(緩やかなインフレ)政策からの転換は時期尚早だと警告する。根拠は、最新の計量経済学を駆使した実証分析ではなく、過去の政策分析から引き出した歴史の教訓にある。
すでに昭和恐慌の研究で実績がある著者は、歴史を明治14年の政変で大蔵卿となった松方正義の経済政策、いわゆる「松方財政」まで遡(さかのぼ)る。「松方財政に対する誤った評価」がバブル崩壊後の平成大停滞の源流、と考えるからだ。
松方財政は、一般には激しいデフレ政策(紙幣整理)で貿易赤字(正貨流出)を縮小し、不況によって“捻出(ねんしゅつ)”した農村の余剰労働力を都市の新興産業に誘導する構造改革によって「欧米先進国並みの経済成長を実現させた」と評価されている。
しかし、著者によれば、松方財政の成功要因は、デフレ政策の後に銀本位制を採用した点に見いだせるという。過大評価は禁物であり、今日においても緩やかなインフレの持続を指向する通貨システムを選択するほうが正しい政策だと主張するのだ。
本書の分析は経済政策に止(とど)まらず、時々の外交政策や政権闘争および政策決定者の生い立ちや思想にまで及んでいる。例えば、松方の前任の大隈重信が構想した外債発行による紙幣整理は、岩倉具視らに「売国行為」とみなされ、それが大隈の失脚に影響したと著者は指摘する。
こうした論の広さに、本書の元になった論文が第1回「河上肇賞」を受賞した所以(ゆえん)もある。労農派の経済学者大内兵衛の『河上肇』(筑摩書房)によれば、河上の代表著作『貧乏物語』は「日本にとっては、『歴史の経済的説明』のはじまりであった」。河上と著者の間には、歴史の中に今日的な問題点を見抜く鋭さでも共通点があるようだ。
ゼロ金利政策が解除された今こそ、その顛末(てんまつ)に関心がある人に薦めたい一冊である。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| 貝と羊の中国人 | |
![]() | 加藤 徹 新潮社 2006-06-16 売り上げランキング : 355 おすすめ平均 ![]() 中国理解に不可欠の書 中国理解の最適の1冊 表層的ではない中立的な中国論Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中国って何だろう。経済交流が広がって中国と直接かかわる日本人も増え、ニュースやドキュメンタリーでも中国はよく出てくる。だが知れば知るほどわからない、古くて新しく、多様で多層かつ巨大な社会!
著者は「中国とは何か」という大テーマを平易な語り口で論じてみせる。本質に迫るためのアプローチは漢字や演劇などの文化が中心で、そこに人口や国土といった地理が加わる。これが実に楽しく、面白い。
表題にもなっている貝の文化とは、有形の物財を重んじ貨幣として子安貝を用いた殷(いん)の文化。羊の文化とは、無形の善行を好む「天」を信じた遊牧民族的な周の文化。確かに財や貨には貝の字が、善や義には羊の字が含まれる。ホンネとしての貝の文化と、タテマエとしての羊の文化を共に受け継いでいるところに中国人の強みがあるという。
相手の考え方を知らなければ日中関係も進まない。「なぜこちらを理解できないのかわからない」と言い合うことの不毛さ。著者によれば、外国人が中国の機微を理解するには「冷たい目」と「暖かい心」が必要だ。相手を尊重し、謙虚にみる姿勢の大切さ。日中双方で、そんな中国論や日本論がもっと増えてほしい。【評 高原明生(東京大教授)】
| 秋の四重奏 | |
![]() | バーバラ ピム Barbara Pym 小野寺 健 みすず書房 2006-05 売り上げランキング : 4520 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
七〇年代のイギリス、ロンドン。とある部署に、定年を控えた四人の男女がいる。みな一人暮らし。四人はいわゆる「同僚」である。ランチタイムはばらばらにすごし、諍(いさか)いこそしないが、内心では互いを、辛辣(しんらつ)な目で見ている。
そんな彼らも、誰かが人生の重大な局面に対すれば、何をおいても(あるいはやれやれという風情で)、結集する。
気難しいマーシャが退職したあと、心身を狂わせ、やがて死に至ったときも、葬儀に集ったのはその同僚。肉親でも親友でもない。元々そんなものは彼女にはいないのだが、いたとしたってあてにならない。いないと考えたほうがいいものなのだ。
死ぬときは一人。だからこそ、人と人は繋(つな)がるのだが、繋がることをマーシャのように拒否した場合ですら、人はその人のところへいく。それが生きる者の総意であるというように。
ここには老いつつある極めて孤独な人間たちが、それぞれの領域を決して冒すことなく、許されるぎりぎりまで近寄って、共に生きようとする姿がある。
再評価で蘇(よみがえ)った作家だという。燠火(おきび)のような余韻が長く残る。こんな小説を待っていた。【評 小池昌代(詩人)】
| 昭和史論争を問う―歴史を叙述することの可能性 | |
![]() | 大門 正克 日本経済評論社 2006-06-01 売り上げランキング : 24639 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、戦後歴史学の中にあった可能性を、若い研究者が再検討しようとした試みである。岩波新書『昭和史』(遠山茂樹、今井清一、藤原彰著)は、昭和の戦争の時代を、戦後歴史学の立場から一般向きに描いて、55年に出版されベストセラーとなる。その『昭和史』には、亀井勝一郎ら文学者や評論家など多くの人からの批判が寄せられ、大論争に発展する。この論争から、今日の歴史学につながる新しい発想や視点が生じたのである。
本書の著者たちは編者を除いて、論争から20年近くを経た73年から78年の生まれである。『昭和史』が書かれた時代には、国民的歴史学運動、生活記録を書く地域のサークル運動、小中学校教員の歴史教育運動など、体験をもとにした社会運動が展開していた。著者たちは、これまで意識されてこなかった運動と結びつけて、論争を読み解こうとしている。
批判を受けて『昭和史』は59年に新版に書き直された。主張の明確な旧版と淡々と多様な事実を描いた新版とを比較した論考は、本書の最も鮮やかな部分である。十分受け止められなかった「国民」の戦争責任問題を含め、「未完の論争」としての問題提起の意味を再考した本といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石 | |
![]() | 河原 温 中央公論新社 2006-05 売り上げランキング : 2572 おすすめ平均 ![]() ブリュージューフランドルの輝ける宝石Amazonで詳しく見る by G-Tools |
水の街は美しい。「北方のヴェネツィア」と呼ばれるブリュージュもその一つ。各地との交易で中世から繁栄し、高い文化を誇ったフランドルの水都の歴史と魅力を本書は見事に描く。都市史を専門とする歴史家の面目躍如たる本だ。都市の形態や構造まで深く立ち入り、文献史料のみか実際の運河、広場・街路、建築を通して水都の歴史を語る。16世紀の詳細な鳥瞰図(ちょうかんず)は街歩きを倍楽しくさせる。
外国商人が大勢集った中世ブリュージュの国際性と求心性は凄(すご)い。現在、EUの中心がベルギーにあるのも頷(うなず)けよう。特に同時代のイタリア都市との深い交流、社会の類似性の洞察は、著者の得意とするところ。街に残るジェノヴァ人やヴェネツィア人の足跡には目を奪われる。
宗教色が強い中世でも、この先進都市では、世俗公共建築が沢山(たくさん)つくられたし、宗教画の背後には、都市の景観や人々の生活の日常性が豊かに描かれたのだ。
著者は支配者から貧民まで、都市社会の特質を示す諸断面に歴史家の鋭いまなざしを向ける。君主の栄光を賛(たた)える華麗な祝祭や宮廷文化を担う画家の活躍を描く一方、貧窮者の救済のための施療院、公営質屋の制度を論ずる。都市史研究の面白さが味わえる好著だ。【評 陣内秀信(法政大教授)】
| 銀色の翼 | |
![]() | 佐川 光晴 文藝春秋 2006-06 売り上げランキング : 4112 おすすめ平均 ![]() 痛みAmazonで詳しく見る by G-Tools |
夫婦の日々が静かに語られた中編二編を収める作品集である。「日々」に亀裂の「ヒビ」を重ねたほうが、より正確に作品の輪郭を伝えられるだろうか。
表題作は、脳腫瘍(しゅよう)に起因する慢性的な頭痛にさいなまれる夫と、片頭痛を持つ年上の妻の物語。日本慢性頭痛友の会という会合で知り合った二人は、いわば「痛み」によってつながった夫婦である。
だが、そもそも「痛み」とは――身体的なものでも精神的なものでも、「個」の中にある。相手の「痛み」を想像し、思いやることはできても、同じ「痛み」を感じることはかなわない。誰よりもそばにいる夫婦でさえも、決してお互いの「痛み」を分かち合うことはできないのだ。
結婚生活はしだいに軋(きし)みはじめる。かたくなに過去を隠した妻は、精神を病んでしまった。ただ一心に〈これ以上彼女を苦しませたくない〉と願う夫は、一つの決意を胸に秘めて、家出した妻を迎えに京都へ向かう。
だが、絶望への道行きしかありえないような物語は、最後の最後で、確かな光を読者に示す。夫婦は、一人と一人――二つの「痛み」は、ともに相手が踏み込めない聖域のようなものだ。ならば、それを残したまま包み込めばいい。「一つになる」のではなく「離れない」という愛し方を、夫は物語の最後につかみとったのだ。
それは本作だけの話ではない。佐川光晴さんは、デビューから一貫して夫婦や家族のあり方を問いかけてきた作家である。安易な「一つになる」に敢然と背を向けて、決して一つにはなれない夫婦や家族が、それでも結びつづける絆(きずな)の正体を、佐川さんは丁寧に、誠実に探ってきた。炭焼きを営む男が不倫の顛末(てんまつ)を語る併録作「青いけむり」もまた同様である。
ケレンとは無縁の作品世界は、もしかしたら地味すぎるという印象を与えてしまうかもしれない。しかし、二編に描き出される夫婦のヒビの、広がりよりもむしろ深さに気づいたとき――本書は、僕たちにとても大切なことを教えてくれるはずだ。【評 重松清(作家)】
| 日本沈没 第二部 | |
![]() | 小松 左京 谷 甲州 小学館 2006-07-07 売り上げランキング : 168 おすすめ平均 ![]() 日本人の未来 ちょっと中途半端かな このテーマでこのボリュームは…Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一九七三年、石油ショックの年に、小松左京の長篇(ちょうへん)小説『日本沈没』は、四百万部を超える大ベストセラーとなった。一九七X年、太平洋プレート下のマントル対流相に異変が生じ、日本列島全体が海中へのみ込まれ地上から消滅するというパニックと、その影響を多角的に描き出した同書は、米ソ冷戦下における高度成長期日本の危機意識と国際化指向の証言として、多くの共感を呼ぶ。
それから三十三年を経た今年、樋口真嗣監督による映画リメイク版『日本沈没』と河崎実監督による筒井康隆のパロディ短篇「日本以外全部沈没」(七三年)の映画版に加え、長年構想されていた待望の第二部がついに完成した。
舞台は「異変」の二十五年後、日本民族が世界中へ大量離散し、中国が旧日本海の利権を握るべく画策している時代。とはいえ、かつてのユダヤ民族とは異なり、国家を失っても日本政府は健在。時の首相には何と、前作にて日本沈没を説明する理論的骨子「ナカタ過程」を発案した情報科学者・中田一成がおさまっている。しかも前作において日本国家全体の黒幕を演じていた渡老人の子孫としてモーシェ・雅俊・ワタリ准尉と渡桜の兄妹が活躍、かつて老人の命じたとおり、彼らの母である花枝が、相手の国籍も人種も問わずに子どもを生んでは増やしてきたいきさつが語られるのだから、心憎い。もちろん、前作では潜水艦操縦士として大活躍した小野寺俊夫も記憶喪失の難民リーダーとして再登場し、かつての恋人・阿部玲子とのドラマティックな再会を果たす。
この時代、日本人が存続しうる条件は何か。それは洋上に構築される人工空間メガフロートと、地球環境の長期的変動を予測する地球シミュレータの技術である。地球寒冷化に備え、それらの技術は国際社会に貢献するとともに、結果的に日本再建を導くものと期待された。はたして国際社会とのスリリングな駆け引きを経て、驚くべき未来の日本像が活写される。
改めて第一部から一気に通読すれば、二倍楽しめること請け合いだ。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| バイオポリティクス―人体を管理するとはどういうことか | |
![]() | 米本 昌平 中央公論新社 2006-06 売り上げランキング : 333 おすすめ平均 ![]() 人体管理の現実的な政策を求めてAmazonで詳しく見る by G-Tools |
生命倫理で、せめぎあう「個」と「公」
著者が昔、チベットの寒村に出かけたときの話を旧作『知政学のすすめ』で読んだことがある。鳥葬の風習をもつその村で、老人が臨終の床にあった。ところが同僚の医師が診察したところ、一瞬の治療で延命する。著者は晴れがましく思ったが、すぐに考え直す。
自分たちは今、彼らの死にゆくプロセスの文脈を壊したのではないか。科学技術の浸透は止められないが、素朴な善意から無意識に彼らを助けることと、科学技術の浸透を彼らが歴史的文脈の中で咀嚼(そしゃく)する大切さを意識していることの間には天地の開きがある、と。
以来、生命倫理の諸問題を政治課題として扱うことの重要性を説いてきた著者の言動には、常にこの問題意識が流れているように思う。本書でも変わりない。ただあえて「バイオポリティクス」という言葉を提示したことに、最も大きな意味があるのではないか。
そもそもバイオポリティクスとは、フランスの哲学者M・フーコーの言葉で、国家権力が公衆衛生や健康水準、出生率などを調整的に管理する政治を意味する。著者はフーコーの言葉をふまえつつ、その先を見据える。
背景には、ヒトゲノム研究や発生工学の急展開で、科学研究の主軸が物理科学が射程とする「外なる自然」から身体という「内なる自然」へ移行したこと。さらに、身体が分解・解体され、素材として編集される対象となったことがある。このため医師と患者の関係を規定する「インフォームド・コンセント」(説明と同意)や「自己決定」(自分がよければいい)といった米国発の生命倫理学(バイオエシックス)の考え方では対処できない事態が顕在化した。人体の商品化は商業主義が「自己決定」を巧みに利用した結果であり、臓器移植ツアーや韓国の論文捏造(ねつぞう)事件で発覚した卵子の大量採取などは、経済格差に起因する南北問題だ。
本書は、身体の処分権をプライバシーの範疇(はんちゅう)とみなす米国型自由主義を反面教師に、「連帯」という新たな価値を見いだした欧州の動向をたどりつつ、日本が取り組むべき政策を示す。生命倫理的課題には、個人の自由より上位に「公序」が位置する場合があることを確認し国内法を整備したフランスの議論が、人間の尊厳を規定する「EU憲法」案の生命倫理原則に結実する経緯は示唆に富む。
ただ、ナチス優生学を知る私たちは、国家が人体を管理することをどう正当化できるかという問いに直面するだろう。市民の監視下に置くとしても具体策はない。「人類全体が準備不足」という著者は、まず社会の側が独立した複数のシンクタンクをもつことを提案する。アジア諸国との比較研究も喫緊の課題だ。在野で30年、科学政策の比較分析に徹した著者の実体験から確信した方法論だろう。
それにしても、日本でなぜこの手の議論が高まらないかを問う必要はある。男女産み分けにしても代理出産にしても「自己決定」が肥大した「個」のままで止まっている。科学技術の浸透をただ眺めるだけならチベットの教訓は生かされない。「公」の心を取り戻す力となるのもまた「個」だという著者に挑発された、新しい「個」の誕生を期待する。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男 | |
![]() | 大野 芳 講談社 2006-05-19 売り上げランキング : 4408 おすすめ平均 ![]() 近衛秀麿評価の第一歩を記す記念碑的一冊Amazonで詳しく見る by G-Tools |
世界に羽ばたく日本人指揮者の先駆け、かの近衛文麿首相の実弟ながら案外知られぬ一代記。音楽界で「お館様」転じて「親方」と呼ばれ、フルトベングラーばりの指揮に「振ると面食らう」とも。本書は音楽家の真実に迫るというより、戦前なればこそ許容された破格の生涯を追う。未公開ドイツ語書簡の紹介は収穫だが、裏付け資料を示さぬ断定や直接話法の多用など小説風の展開には疑問が残る。その秀麿像は現実からどこか遊離し、周囲を混乱させるのは兄文麿の姿と重なる。
| 一応の推定 | |
![]() | 広川 純 文藝春秋 2006-06 売り上げランキング : 37142 おすすめ平均 ![]() 確かな筆力が作り出す世界 次回作にも期待大! これまで描かれなかった世界Amazonで詳しく見る by G-Tools |
12月24日午後、琵琶湖沿いの東海道線を走っていた新快速電車が、途中の膳所駅で線路に落ちた男をはねた。死亡したのは原田勇治、60歳。難病で入院中の孫娘を見舞い、クリスマスプレゼントを贈った帰りだった。原田が3千万円の傷害保険に入っていたことが判明する。遺族はその金を孫の治療に充てたいというが、自殺なら保険会社は払わなくていい。退職まであと10日ほどという調査員、村越努が、原田の死因の調査に当たることになる――。第13回松本清張賞受賞作。
| 絵はがきの時代 | |
![]() | 細馬 宏通 青土社 2006-05 売り上げランキング : 3414 おすすめ平均 ![]() 絵はがきの中へ旅する本Amazonで詳しく見る by G-Tools |
旅先で、何の気なしに絵はがきを買い求める。風光明媚(ふうこうめいび)な観光名所なら、なおのこと。しかし、その裏側にこれほど複合的な歴史がひそんでいたとは――。
そもそもわたしたちは、古き良き紙メディアがやがては新しい電子メディアに取って代わられるかのように思いこみがちだが、こと絵はがきに関するかぎり、それは錯覚にすぎない。著者はまず、近代郵便制度の幕開けである一八四〇年とともに世界初の郵便切手が発行されたことを確認するが、このときの郵便物はまだ封書のみ。そして、ほんの数年後の四四年には、郵便以上に簡便なモールスによる電信機が実用化されている。
ところが、まさにこの電報こそが、封書よりも気軽な形式としての郵便はがきの必要性を痛感させ、ついに一八六九年のウィーンで、世界最初の郵便はがきに関する規則が制定され、イギリスでは七〇年、アメリカおよび日本では七三年に、規則の制定とともに、はがきの使用が始まるのだ。そして二〇世紀初頭より、絵はがきの消費量は一気に増大する。
かくして本書は、ひとまず透かし絵はがきや立体写真絵はがき、ジャポニズム絵はがき、災害速報絵はがきなどの形態と意味を緻密(ちみつ)に追う精確きわまる文化史として読むことができるが、まったく同時に、ルソーから漱石までを読みなおす新たな文学史の可能性も孕(はら)む。
だが、わたしがいちばん感銘を受けたのは、本書がバルトやデリダ以後の理論を承(う)けて、絵はがきとはまさに送り先である相手がその観光名所に不在であり、「あなたにここにいてほしい」という情緒に支えられているからこそ書き紡がれる、という洞察だ。
さらに著者は、明治から大正のころとおぼしき一枚の美人絵はがきに画鋲(がびょう)の跡があることに着目。写真の中で髪を直す婦人の視線と所有者の視線とを調べていくと、絵はがき自体がもうひとつの鏡を演じているのがわかるという、フーコーばりの哲学史的な思索を展開しており、そのあざやかな推論には深く感嘆せざるをえなかった。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 風に舞いあがるビニールシート | |
![]() | 森 絵都 文藝春秋 2006-05 売り上げランキング : 196 おすすめ平均 ![]() きっと人生ってこんなものだろう。 心に痛い短編集 粒よりの短編集Amazonで詳しく見る by G-Tools |
直木賞は往々にして、その作家の代表作よりも、どちらかというと小粒な佳作に授与されがちである。第百三十五回の直木賞を受賞した三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』も、それから本書もその例にもれない。
ここには短篇(たんぺん)が六作収められている。表題作は、国連難民高等弁務官事務所に入った女性の愛と理想を、元夫の事故死をからめて描いている。国連の難民救済という難しいテーマに挑戦したことと高い社会性が受賞の決め手になったようだが、不安と絶望を象徴する“風に舞いあがるビニールシート”は鮮烈に焼きつくものの、肝心の元夫婦の葛藤(かっとう)とそれぞれの肖像が弱い。残酷な戦場と対照になるはずの二人の生の燃焼、たとえば性描写が生彩を欠いていることも原因のひとつだろう。
社会的なテーマを正面から見すえたものよりも、むしろサイド・ストーリーにした「犬の散歩」のほうが起伏にとんでいて面白い。表題作のような肩肘(かたひじ)張ったところはなく、犬たちの餌代のために夜はスナックで働く主婦の生活を生き生きと捉(とら)えつつ、「ボランティア」の意味を優しく問いかけていく。終盤の義母との会話がやや臭いけれど、ちょっと泣かせる短篇だ。
一番の力作は、仏像の修復師たちの生き方を描く「鐘の音」だろう。仏像の官能的な美しさ(それは作中には出てこないが土門拳の写真を見れば一目瞭然<りょうぜん>)に魅せられ、人生を狂わせた男の話である。仏像修復の過程で知る信仰の基盤を揺るがす重大な事実を、師匠との確執を交えてスリリングに物語っている。
その他では女性社長に振りまわされる女性秘書の意地をしたたかに示す「器を探して」、男たちの絆(きずな)を軽妙に描く「ジェネレーションX」も佳篇といえるだろう。
シリアスなものからコメディタッチの作品まで、題材も幅広く、作風は実に手堅い。個人的には、児童文学から出発した作家にありがちな常套句(じょうとうく)の無造作な使用、視点の揺れ、唐突な情報提示が気になるが、それは今後の課題だろう。受賞を機にさらなる飛躍を期待したいものだ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 霊魂だけが知っている | |
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科学の目で楽しく眺める“あの世”
「心霊」や「死後の世界」が大流行(はや)りだ。もちろん昔から、幽霊話や肝だめしが好きな人はたくさんいるが、昨今のスピリチュアルブームはもっとマジでホット。私のような一般精神科医のところにまで、「前世や守護霊を知りたい」という人がやって来る。「精神医学は一応、科学なんで」と言うと、「科学で証明されていないことはウソ、って言いたいんですか」と反論される。今や科学は心貧しき近代合理主義の象徴であり、「目に見えない豊かな世界」に比べてずっと分が悪いのだ。
本書の著者であるジャーナリストのメアリー・ローチは、頭の固い科学万能主義者ではないが、できればスピリチュアルな現象も科学で解明してもらってから信じたい、と思っている。そして行動力あふれる彼女は、輪廻(りんね)転生や臨死体験を研究する学者のもとを訪れたり霊媒学校に体験入学したりしてみる。十九世紀半ばに公開交霊術で荒稼ぎしていた三姉妹がいた、などスピリチュアリズムの歴史や基本的知識も満載だ。
そうやってアメリカからインドへ、イギリスへと出かけているうちに、著者は気づく。研究者といっても、その多くは中立的というよりかなり心霊現象に入れ込んでいる。自らを「疑い深い性格」と言う著者は、彼らの熱意に敬意を表しながらも「これだけのめり込んでいれば、たとえ否定材料が出てきても見えないのでは」と思ってしまう。そう、信じている人は科学的証明を待つまでもなく最初から信じているし、「インチキじゃないの」と思っている人は近づきもしない、というところに心霊研究や超心理学の不毛さの原因がある。
さて、さまざまな体験を通して著者は結局、「スピリチュアルの証拠」をつかめたのだろうか。その答えを明かすかわりに、あとがきから一部を紹介しよう。「たぶん、私は死後の生を信じるべきだろう。だって信じたほうが楽しいし、希望が持てるから」。つまり、本書は「楽しいスピリチュアリズムのススメ」なのだ。くれぐれも、「科学は悪だ」「私を救うのは霊魂だけ」とマジになりすぎないように。【評 香山リカ(精神科医)】
| 天皇の軍隊と日中戦争 | |
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本書は、軍事史家として知られた藤原彰の遺稿集である。藤原によれば、日中戦争における日本軍は、頻繁に中国人の家を焼く軍隊であった。家を焼かれた人々は難民化し、焼く行為はしばしば住民殺害を伴った。
戦争中の日本軍の記憶は、依然としてアジアと日本との間に横たわるトゲとして存在している。その日本軍の史料は、敗戦時にまとめて焼却された。そのため日本軍の戦争犯罪の様相は、被害者の証言以外の文書史料が少ない状況にある。しかし藤原は、あくまで日本軍の史料にこだわるのだった。彼は軍の「戦闘詳報」などの史料を用いて、南京事件での虐殺や、抗日ゲリラの根拠地を叩(たた)き住民を殺害した治安粛正作戦の背後に、軍の無責任な決定や命令があったことを追及していく。
その藤原は陸軍士官学校の出身で、若い下級指揮官として中国戦線を転戦し、戦後に大学に入り直して歴史家となった人物であった。本書のテーマも、アジア解放のはずの日本の戦争が、なぜ窮迫した中国人を生み出すのかという、中国戦線の中で芽生えた戦争への疑問から出発していた。彼はその晩年まで、自分の記憶の中にある軍という組織の責任問題と、格闘し続けたのであった。【評・赤澤史朗(立命館大教授)】
フィリピン‐日本国際結婚―移住と多文化共生
佐竹 眞明
当事者の思い、子育ての悩み
学童のいる家の方なら、気づいておられるだろう。フィリピン人を親に持つ子供が身近に増えているという状況に。
ところが、その内実となると、ほとんど知られていない。日比国際結婚の背景から当事者たちの思いや子育ての悩みに至るまで、きちんと調べて報告したのは、本書が初めてではないか。
著者たち自身が、日本人男性とフィリピン人女性の研究者夫婦である。その強みをいかんなく発揮して、日本人側とフィリピン人側の双方から多彩な声とデータを集めることに成功している。それらの共通項をひとつだけあげるとすれば、フィリピン人(大半が女性)に対するステレオタイプのまなざしから脱しようと苦闘してきた点だ。
日本人と結婚して日本に定住したフィリピン人女性は、陽気でしたたかな“ジャパゆき”でも、家を守る従順な“農村花嫁”でもない。私たちと同じく、日本社会で堅実に働き、ささやかな幸せを願う人々なのである。
ただし、家族第一主義は日本人よりはるかに強い。フィリピンの路上に倒れていても、見知らぬ誰かが助けてくれるという本書の記述に、かの国の人々の魅力が端的に表されている。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】
| 草花とよばれた少女 | |
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舞台は第二次世界大戦がはじまる直前のカリフォルニア。主人公の少女スミコは事故で両親を亡くし、弟タクタクと、花農家を営む親戚(しんせき)の家に引き取られている。やがて日本が真珠湾を攻撃し、スミコたち「ニッケイ」は、収容所での生活を強いられる。題材は決して明るくはないのだが、この小説には一貫して、すこんと抜けた青空のようなすがすがしさがある。
アメリカにおける戦時下の日系人が描かれているのも興味深かった。祖国を知らない少女の目を通して、複雑な立場を余儀なくされた日系人たちの姿が見えてくる。彼らは収容所の庭に緑を植え花を咲かせる。スミコはこの場所ではじめて友だちを得る。得たものと失うものをつねに箇条書(かじょうが)きにしながら、まるで蝋燭(ろうそく)の火に手をかざすようにして、スミコは未来という希望を守り続ける。
この著者の前作「きらきら」も、病気や貧困という題材を扱いながら、やはり澄んだ清冽(せいれつ)さがあった。それは、与えられた運命のなかで人がいかに未来を獲得するかを、著者が描こうとしているからだ。どんな状況であっても、人は自分の未来を得ることができる。そうすることで人は、運命の過酷さから解放される。【評 角田光代(作家)】
| 愛情省 | |
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昨年、自宅マンションから飛び降り自殺をとげた見沢知廉の短編集である。
見沢は新右翼としての活動中、仲間とともにスパイを査問して殺してしまうという事件を起こし、12年におよぶ獄中生活を送った。
本書の表題作で遺作となった「愛情省」もまた、この長く苛酷(かこく)な監禁生活をモチーフにしている。主人公の名はウィンストン2世。オーウェルの『1984』で全体主義国家の犠牲となった人物が現代日本に甦(よみがえ)ったという設定なのだろう。
ウィンストン2世が生きるのは、留置場から拘置所の独居房をへて閉鎖病棟にいたる監禁施設ばかりである。そこは、収容者の他者との接触を禁じ、ベッドに縛りつけ、感覚を遮断し、大量の抗精神病薬を点滴であたえ、排泄(はいせつ)さえも下剤と浣腸(かんちょう)で完全管理する世界なのだ。
だが、この異様な世界の微に入り細をうがった描写を読み進めるうち、これが特殊な世界を描いた特殊な体験談ではなく、現代日本の普遍的な寓話(ぐうわ)にほかならぬことに気づき、愕然(がくぜん)とさせられる。私たちが生きる日本とは、閉鎖病棟であり、果てなき監獄なのかもしれない。見沢が命を賭けて描きだそうとしたのは、そうした日本のダークサイドだった。【評 中条省平(学習院大教授)】
| 京都議定書をめぐる国際交渉―COP3以降の交渉経緯 | |
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国際交渉は、国と国のエゴがぶつかり合う魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界である。米国は自分の主張が通らなければ平然と交渉の席を立ち、中国は大国と途上国の二つの顔を上手に使い分ける。そして、日本は真面目(まじめ)に議論をするが、時には他国のしたたかな交渉術により不利な条件を押しつけられる。
本書によれば、温室効果ガスの排出を抑えるための京都議定書の実施策を巡る国際交渉も、その例に漏れない。
一般には、97年の同議定書合意で地球温暖化対策について、先進諸国の意見が一致したものと思われていた。しかし、現実には、議定書で決まったのは、各国の温室効果ガス削減の数値目標に過ぎなかった。そして、議定書に書かれたメカニズム(京都メカニズム)を実施するための手続きを巡り、毎年開催される「気候変動枠組条約締約国会議(COP)」は言うに及ばず、公式非公式の膨大な会議での困難な交渉事が待ち受けていたわけである。
本書は、京都議定書の翌年に行われたブエノスアイレス会議(COP4)から運用実施について決着した01年のマラケシュ合意に至る3年間の国際交渉に関する詳細な記録を、交渉を担当した著者たちが自らの手で丹念にまとめたものである。
この交渉の過程で明らかになったことは、日本が米国との連携を壊したくないために、かなりの妥協を強いられたことである。しかも米国は、01年の共和党ブッシュ政権誕生により、民主党クリントン政権のゴア副大統領が合意した「ゴアズ・ベイビー」とも言われた京都議定書からさっさと離脱を表明した。結果として、日本は90年比6%削減という未(いま)だに達成の見通しすら立たない高いハードルを課せられたことになる。
その一方で、中国やインドは「途上国」として温室効果ガスを発生させても義務を負うことなく、他の途上国に至っては何らかの義務を負う可能性がある交渉の輪に加わろうとすらしていない。
世界正義よりも自国の利害を死守する「諸外国のアクターたち」による国際交渉の現実の姿を知る一冊である。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| フューチャー・ポジティブ―開発援助の大転換 | |
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他者への施しという優越感を払拭して
かつて学生が言った言葉。「大学は嘘(うそ)つきだ。国際協力がウリの学部なのに、卒業後国際協力の就職先なんかないじゃない」。ある政府機関職員の愚痴。「国際貢献がしたくて就職したのに経理事務ばかりでうんざりだ、といって、若者がすぐ辞めていく」
結局、皆考えるのは、世界のために何かしたいけど私の努力は本当に役立つのだろうか、ということだ。
本書には、あきれ果てるような援助の問題が綴(つづ)られる。国際援助機関が組織の生き残りや予算消化ばかり考えて、現地のニーズを無視していることや、途上国の開発プロジェクトが無責任体制のもとに放置されていること、「1億ドルに満たない救援物資を輸送するのに40億ドルもの費用がつぎこまれる」多国籍軍の「人道援助」などなど。「人助け」の美名のもとに、それがいかに別の目的に利用されたり、不適切な介入や主義主張の強要に繋(つな)がったりすることか。開発援助機関は「家にやってくるだけでも迷惑」なのに「何でも良く知っているから自分に任せろと言い張って、その家の家事をとりあげる」危険を孕(はら)んでいる。
だが、著者が国際援助に否定的なのでは、全くない。四半世紀も開発援助のプロだっただけあって、問題解決への強い意思が溢(あふ)れている。中途半端な支援は事態をさらに悪くするが、だからといって「苦しむ人々を放っておく」のではなく、「もっとよい仕事」を目指すべきなのだ。
そのために、国際機関や各国政府の組織的改革の必要性を説くが、なにより「援助する側がまず自らを変えること」が強調される。「『他者』は私たちの助けを必要とし、依存しているという固定概念」を捨てなければならない。他者への施しという優越感を払拭(ふっしょく)することによって初めて「他者を適切な形で助けることができる」。
必要なのは、個人個人が、自分の立ち位置で何が出来るか考えることだろう。冒頭の学生に会ったら、こう答えたい。「助けを請われる仕事を探すのではなく、今いる場所でどう助けられるかが大事なんだよ」、と。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】















このテーマでこのボリュームは…











