メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年6月11日~6月18日

黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて
田草川 弘 (著)

定説を覆す資料を発見したとき、書き手が当事者を傷つけることなく客観的かつ公平に事実を記述するのはむずかしいことだ。黒澤明という映画監督の、ともすれば名誉を損ないかねない資料を手にした著者は、まずそのことを一番悩んだのではないか。あとがきで明かされるが、最後まで自分の正体を伏せたのも、自らを律する箍(たが)を必要としたからかもしれない。そして、その試みは成功した。

本書は、昭和40年の『赤ひげ』から45年の『どですかでん』まで、黒澤の「失われた5年間」と呼ばれる季節をジャーナリストが検証したノンフィクションである。この間に二つの企画が立ち上がり、頓挫した。ハリウッドで製作が予定された『暴走機関車』と『トラ・トラ・トラ!』である。とくに、20世紀フォックスと提携して日米双方の視点から真珠湾攻撃を描く『トラ・トラ・トラ!』は、黒澤が「この映画を見たら(真珠湾攻撃を)騙(だま)し討ちだ、なんてもう誰にも言わせない」と語ったように、歴史的に意義深い作品となる可能性があり世間の関心も高かった。だが、完成した映画に黒澤の名前はない。なぜか。

健康上の理由で辞任、いや解任だ、などと情報が錯綜(さくそう)する中、黒澤は自分は病気ではない、フォックスに抹殺されたと主張。米国との交渉にあたった黒澤プロの当時32歳のプロデューサーが責任を問われ、生涯にわたり黒澤と絶縁することとなった。以後、事情を知る者は口を閉ざし、謎だけが残された。「失われた」のではなく、隠蔽(いんぺい)されたのだ。

国内取材の限界を感じた著者は米国で黒澤オリジナルの「準備稿」を発見。フォックスのプロデューサー、エルモ・ウィリアムズに会い、製作日報や契約書の入手に成功した。

27回に及ぶ改稿の過程で黒澤がこだわり続けたものが明らかになる。黒澤は、意に反して開戦の突破口を開く山本五十六の苦悩こそ最大の悲劇とし、これを『平家物語』やギリシャ悲劇を意識しつつ描きたい。米国側は『史上最大の作戦』のようなスペクタクルにしたい。度重なる応酬で黒澤は疲弊。撮影開始後は素人役者を起用した誤算に苛(いら)立ち、スタッフと衝突。酒におぼれ、奇行に走った。

後半、契約書や医師の診断書をもとに数々の事件や誤解が検証されるが、本書が映画界の醜聞の真相解明に留(とど)まらず、芸術とは、文化とは、コミュニケーションとは、といった普遍的な問いを提起しえたのは、こうした冷静な科学的手法がとられたためだろう。

読後の余韻は重い。誰も信用できない黒澤という王の孤独と狂気、そして黒澤の天才に敬意を表しつつ決断を下すエルモの寛容と冷徹さの背後に、文化摩擦という言葉ではとらえ切れない人の心の深い淵(ふち)を見た気がした。

復帰第一作『どですかでん』には、頭師佳孝演ずる知的障害者の六ちゃんが「どですかでん、どですかでん」と電車の口真似(まね)をしながら走る姿が登場する。黒澤が『暴走機関車』に乗り気だったのも機関車が大好きだったからだという。……そうか、六ちゃんのあの姿は、失意の黒澤が再び歩き出そうとするしるしだったのか。なんだか、泣けてきた。

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

夜の公園
夜の公園川上 弘美

中央公論新社 2006-04-22
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ようやく踏み込んだなと思った。『センセイの鞄(かばん)』で知られる、ほんわかとした恋愛小説を書いていた作者が、初めてどろどろとした夫婦関係と不倫を描いたからである。

もちろんどろどろといっても、川上弘美のことだから、罵倒(ばとう)や暴力が介在するようなものではなく、あくまでもやわらかくふんわりとした感触である。しかし淵(ふち)までいかずにその先を暗示する、または淵までいってもそれを考えずに、ある種象徴的なイメージで感得させていたのに(それはそれで見事だったが)、本書では淵の先に踏み込み、人生に確かな点を打っている。

専業主婦のリリは、夜の公園で出会った青年の暁と関係をもち、やめられなくなる。かといって夫の幸夫と別れる気持ちはない。そんなリリにやがて転機が訪れる。高校時代の友だちの春名が介入してきて、幸夫の隠された生活があらわになるからである。

小説ではリリ、幸夫、春名、暁と順番に視点が移り、それぞれの肖像を鮮やかに切り返していく。最終章では小まめに視点が切り替わり、緩やかなリズムを刻みつつ、新たな生活が輪唱されていく。

本書が新鮮なのは、男と女の愛と欲望が自由であることだろう。文学は往々にして、男女がどこかに隷属することの安らかさと危うさ、または隷属しない上での既成の価値観への抵抗がはかられることが多いけれど、川上弘美は人々を縛る外部の規制から自由になろうとする。かくあらねばならない基準はないが、逆にかくありたいという強い欲望も生まれない。そのために男も女もよるべない営みを続けていくしかない。どこにでも進みうるのに何故(なぜ)か軌道の中でもがいたり、もがきながらゆっくりと軌道を外れていき、茫漠(ぼうばく)とした仮初めの安定をえたりする。でもそれは、自ら望んだことなのか?

小説のなかでリリが“どうしてわたし、今ここにいるんだろう”と考える場面があるが、それは他の人物たちも同じ。ここでは、さまよいながら抱くことになる静かな悔悟と確かな覚悟が描かれていく。生と性の「現実」をリリカルに捉(とら)えた秀作だろう。【評 池上冬樹(文芸評論家)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

開かれた歴史学―ブローデルを読む
開かれた歴史学―ブローデルを読むイマニュエル ウォーラーステイン Immanuel Wallerstein 浜田 道夫

藤原書店 2006-04
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「もしノーベル歴史学賞が存在していたら、受賞していただろうと思う20世紀の歴史家は?」とアンケートをとったら、フェルナン・ブローデルの名が上位に入ることはまちがいないだろう。本書の原題は、直訳すると「ブローデルを読む」。ブローデルの没後、いわばその知的遺産の目録を作成すべく編まれたブローデル論の競演である。寄稿者には、歴史学のみならず、経済学、社会学、地理学といった隣接の各分野のフランスにおける大家7人(くわえてブローデルの所説から離陸して「世界システム分析」を提唱し、彼の遺産相続人のなかで最も「国際的」に有名となったアメリカの歴史社会学者ウォーラーステイン)が名を連ねている。

本書の各論者がくりかえし強調しているように、ブローデルの最大の遺産は、歴史学に、隣接の諸学問の知見を接続する大きな枠組みを敷き、ヒトとモノ、歴史と歴史以前、近代と前近代、国家と市場と社会といった区別立てで知を切り刻む作法に、あらゆるレベルで抗議する態度を歴史学にもたらしたことである。

もちろん今日、学際性の必要は(歴史学に限らず)すでに当たり前に言われている。しかしむしろ当たり前すぎて、なぜそうするのかという問題意識が希薄になってしまった。結果として、一方ではブローデルという虎の威をかりて、歴史を思想表現の道具のようにもてあそぶ似非(えせ)学際的な歴史談義が跋扈(ばっこ)し、他方で、既存の専門研究と専門研究の合間のますます狭いニッチの発見を学際性と取り違えるような「専門化の弊害」を指摘する声は絶えることがない。

いまブローデルを読むときに必要なのは、単に没理念的な専門分化を批判するだけではなく、知的なスーパーマンへの幻想を捨てることでもある。言い換えれば、求められているのは適切な知的分業とその指針にほかならない。本書は、そのためのきっかけとして読まれるならば、ブローデルが遺(のこ)した歴史学の学際的エートスを確認するうえでやはり有意義な総括を提供していると言えよう。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

昭和三方人生
昭和三方人生広野 八郎

弦書房 2006-05
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欠陥だらけの本である。寄せ集めの文章、人名や用語の説明不足、時代の空白部分の多さ。何よりも、こうしたまとまりのなさを補う、総覧的な解説がない。にもかかわらず、捨てがたい魅力がある。

かつて「馬方」「船方」「土方」を「三方」と呼び、「人間の屑(くず)」とみなされていた、と著者は記す。三つの職種を彼は渡り歩き、なかでも「土方が地下にもぐった」炭坑夫を二十六年間も務めた。かたわら、プロレタリア作家・葉山嘉樹(よしき)の知遇を得て作家を志し、肉体労働の最底辺から掴(つか)みとった真実を作品化せんと執念を燃やしつづけた。その日々を綴(つづ)った日記が、本書の中核をなしている。

「馬方」の章では、人馬一体の、貧しくも温(ぬく)い時代が牧歌的に描かれる。「船方」、つまり著者の場合、日本・アジア・ヨーロッパ航路の缶(かま)炊きになってからは、炎熱地獄の束(つか)の間、港々で出会う“からゆき”たちに、著者は屈託のないほがらかさを感じている。炭坑夫の時代は、さらに凄(すさ)まじい。落盤事故で同僚たちが次々と死んでゆき、著者も生き埋めになるが、かろうじて救出されるのだ。

昭和期の回顧録ではなく、おのれの体ひとつを頼りに地の底を這(は)いずり回りながら、日本と世界の激動を冷静に見つめつづけた同時進行の日記は稀有(けう)なものだ。著者が書き残さなければ、歴史の闇に消えていったアウトローたちの姿も、一人一人陰影が濃い。

そして、背景にあるのは、つねにアジア――。「上海の為市(ためいち)」(実弟)や「戦地の熊さん」「台湾の敏江さん」らが登場し、著者も戦後、大阪で「朝鮮飯場」に入った際、若い朝鮮人同士の殺し合いをすんでのところで制止している。当時五十代だった著者は、二十代のころ朝鮮人の親方と「朝鮮流の兄弟分のちぎり」を交わしたとき掌(てのひら)に入れた刺青を示して、いきり立つ二人をなだめるのである。まるで小柄な高倉健のように。

その作家への夢は、ついにかなわなかった。だが、九十近くまで生きた著者の記録からは、いわば“大庶民”が肉体からひねり出した哲学が伝わってくる。【評 野村進(ジャーナリスト)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

江戸庶民の楽しみ
江戸庶民の楽しみ青木 宏一郎

中央公論新社 2006-05
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遊びは日常生活からの解放である。江戸町人の歴史はほとんどそのまま遊びの歴史と重なり合う。本書は十七世紀から十九世紀までをそれぞれ前半後半に分け、遊び場が発生し、発達し、花開き、大衆化するプロセスを太い線で語る。

話が生き生きしてくるのは十九世紀、文化・文政から天保を経て幕末にいたる大衆文化の時代だ。主役になるのは、遊郭で豪遊するのがステータス・シンボルだった富豪ではなく、宵越しのゼニを持たない下層社会の民衆である。花見・寺社の開帳・富くじ・見世物(みせもの)・行楽……客が集まれば儲(もう)けのタネがある。早くもレジャー産業の原形が生まれているのが面白い。

本書で特に役立つのは、関ケ原の戦の慶長五年(一六〇〇)から徳川幕府滅亡の慶応四年(一八六八)までの網羅的な「江戸レジャー年表」である。娯楽・行楽関係の主要事象をメインにして、政治的事件を参考欄に掲げる。普通の歴史年表をひっくり返した構図からは、娯楽が近景で政治が遠景という独得(どくとく)の遠近感が浮かび上がる。ペリー来航の年には、蒸気船の見世物に人気が集中、幕府最後の日々も、人々は見世物・女歌舞伎・曲馬に群がった。民衆のレジャー欲求は衰えを知らない。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

愛犬王 平岩米吉伝
愛犬王 平岩米吉伝片野 ゆか

小学館 2006-04-01
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平岩米吉ほどの愛犬家はちょっと例がないだろう。寝食をともにするだけでなく、専門医に用具一式を運ばせて、自宅で犬の手術をさせるほど、人犬一体の暮らしをしていた。

東京・自由が丘の千坪あまりの庭に金網でケージをつくり、シェパードや純日本犬のほか、狼(おおかみ)を飼育した。そればかりか「動物屋敷」と恐れられるほど、狐(きつね)や狸(たぬき)、山猫やジャッカル、ハイエナまで飼っていたから、昭和九年当時の畑ばかりの環境でも、隣家はたえず転居するし、米吉も奇人として白眼視される。

かれはどんな組織にも属さぬ、在野の動物学者なのだ。「動物文学」を創刊して、シートンの『動物記』を発掘したり、詩人のまど・みちおを世に出したり、フィラリア撲滅に私費を投じたりする。

孤独な幼年時代、かれは乳母が読んでくれる馬琴の『椿説弓張月』の、源為朝に忠誠をつくす狼の話を、せがんでは繰りかえし聞いた。あれが自分の原点で、一生、好きな研究ができて幸運だったと、八十八歳の病床で愛娘(まなむすめ)に述懐する。笑う犬をはじめ、多彩で個性的な犬たちの挿話とともに、世俗の栄達とは無縁だったかれの浄福の生涯を、この伝記は、あたたかく包みこむように描いている。【評 杉山正樹(文芸評論家)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

犬のしっぽを撫でながら
犬のしっぽを撫でながら小川 洋子

集英社 2006-04
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この本の著者・小川洋子は、「小さなことですぐに落ち込む」という。そういうときどうするか。彼女は「罵(ののし)られ箱」の蓋(ふた)をそっと開ける。「かつて自分に浴びせられた数々の罵りの言葉をしまってある箱」。そこから一つ一つを取り出して心静かに対面し、また箱に戻す。そうしているうちには「落ち込んでいた気持が不思議と安らかになってくる」と。

数、犬、野球、アンネ・フランクなど、愛読者にはおなじみのテーマが出てくる。小説と重ねて読む楽しみがあるだろう。著者の小説を知らない人には、この作家がどのように現実を眺め、そこからどのように物語を紡ぎ出すのかが、とてもクリアに見えてくるはずだ。そしてこの本の真の魅力は、むしろ後者の方に傾く。

「罵られ箱」のような見えない箱をこの世に在らしめる「物語の力」によって、作家は世界を魅力的に組み替えるが、それは現実を捻(ね)じ曲げることでない。そうすることが、より柔らかに強く生きるための方法なのだ。物語が物語として形を成す手前の、「芽生え」みたいなものが詰まっている。一人で読むのはもったいない、でも一人だけでそっと読みたい。これはそんな、エッセイ集である。【評 小池昌代(詩人)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

陸軍墓地がかたる日本の戦争
陸軍墓地がかたる日本の戦争小田 康徳 堀田 暁生 横山 篤夫

ミネルヴァ書房 2006-05
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大阪城の東南にある旧真田山陸軍墓地を訪れた人は、一目でその異様な光景に驚かされる。門を入ってまず目に入るのは、「馬丁」「鍛冶(かじ)工」など日清戦争の軍役夫の、同じ大きさの墓碑が整然と並んだ姿である。広さ4500坪の墓地には、5千基以上の墓碑が林立しており、墓は兵卒、下士官など生前の階級別に区分されて立っている。

旧真田山陸軍墓地は、1871(明治4)年に創建され、今日でも戦前の面影を最も多く残している最大の旧陸軍墓地である。ここに埋葬された者は、戦死者だけではない。軍隊内の病死、事故死、自殺者があり、清国兵、ロシア兵などの捕虜もあった。

戦争体験者が少なくなった今日、地域の戦争を語る資料である戦争遺跡の保存運動が盛んになっている。旧真田山陸軍墓地でもその保存と研究を目的とした団体が、01年に地元市民や研究者などによって設立された。本書はこの団体が、墓碑や仮忠霊堂の調査の先行研究を踏まえ、十分な記録のない軍隊の死者たちについて、その死の原因や彼らの運命を発掘した論集である。軍事動員される民衆のありさまを捉(とら)える中で、近代日本の戦争の姿を考えようとした本であるといえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

悪魔と博覧会
悪魔と博覧会エリック ラーソン Erik Larson 野中 邦子

文藝春秋 2006-04
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THE DEVIL IN THE WHITE CITY

遊園地には見世物(みせもの)小屋と大観覧車がつきものだ。とはいえ、そんな常識が初めて成立したのは、一八九三年にコロンブスの新大陸到達四百周年を記念して開かれたシカゴ博覧会、通称ホワイトシティ以降のことであり、かのオズの魔法の国やディズニーランドすら、その影響下にあった。独立革命や南北戦争につづく画期的な事件、それがシカゴ博覧会である。天才発明家エジソンの手になる映画の原型キネトスコープも、ここでお披露目されている。

二〇〇三年に発表されベストセラーとなった本書は、シカゴ博覧会の景観設計から現場監督まですべてを統率した高層建築の先駆者ダニエル・ハドソン・バーナムの人生と、博覧会場最寄りのワールズフェア・ホテルを経営しつつ容赦なく多くの人々の生命を奪った医師にして連続殺人鬼マジェット、転じてはヘンリー・ハワード・ホームズの人生とを巧妙に縒(よ)り合わせ、底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェルである。

バーナムとホームズは直接出会ってはいないものの、シカゴ博覧会を舞台に、片や光り輝くホワイトシティを、片や暗く怪しいブラックシティを代表する男たちが、期せずしてひとつの時代を構築してしまったのは運命の皮肉だろう。コナン・ドイルの名探偵ホームズが誕生した一八八六年にマジェットがホームズなる偽名を選んだのも奇遇だが、本書後半、重婚と詐欺と虐殺をくりかえす殺人鬼ホームズをじわじわと締め上げていくベテラン刑事フランク・ガイアの手腕は、それこそ名探偵ホームズに勝るとも劣らぬ迫力だ。

そして最大のクライマックスは閉幕式直前、アイルランド系移民のパトリック・プレンダーガストによるハリソン市長暗殺の瞬間に訪れる。さらに本書は、バーナムとその盟友ミレーとが、それぞれ豪華客船オリンピア号とタイタニック号に乗り込んでいた、というもうひとつの奇遇で枠組まれ、世紀末シカゴのみならず二〇世紀アメリカ全体の光と影を予告するのだから、何とも心憎いではないか。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

野中邦子訳、文芸春秋・3100円/Erik Larson 米国作家。邦訳に『1900年のハリケーン』など。

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

王になろうとした男
王になろうとした男ジョン ヒューストン John Huston 宮本 高晴

清流出版 2006-04
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An open book John Huston
映画より面白い! 波瀾万丈の自伝

途方もない自伝である。これがすべて事実なら、ヒューストンの一生は彼の映画より面白いといって過言ではない。話芸の冴(さ)えも類書に例を見ないほどの巧みさだ。

最初の職業はボクサー。25戦23勝。その後、新聞記者を経て映画監督になる。だが、昔取った杵柄(きねづか)で乱暴者の俳優エロール・フリンと1時間近く殴りあい、鼻をつぶされながら、フリンの肋骨(ろっこつ)を2本折ったというからすさまじい。

イタリアで戦争の記録映画を撮り、あまりの残酷さにこの作品は上映禁止になりかかる。こんな風に、映画人として文字どおり戦争を生きぬいた人物はまずいないだろう。

愛人は数知れず、結婚は5回。3度目の時は、「おたがいをよく知るには絶好の方法よ」という相手の言葉に応じて結婚し、最後は妻よりチンパンジーとの暮らしを選んだともいえる変人である。

35歳の監督デビュー作『マルタの鷹(たか)』は史上最初のフィルム・ノワールとして映画史を飾る。その後の映画作りの波瀾(はらん)万丈の挿話は、『黒船』の日本ロケで住民が暴動を起こした話など本書にてんこ盛りだが、『アフリカの女王』のウガンダ・ロケはその頂点をなすものだ。イーストウッドはこの時のヒューストンをモデルに映画を作ったが、事実は映画を完全に凌駕(りょうが)している。ヒューストンは人肉まで食ったようだ。その顛末(てんまつ)はぜひ本書でお楽しみ頂きたい。

また、34章など、わずか7ページに自分の映画作りの要諦(ようてい)をまとめ、世界最小にして最高の映画実践論としている。映画ファン必読の名文だ。

ヒューストンの自伝がこれほど感動的なのは、「フィルムメイカーの人生は数多くの小人生から成り立っている」ことを片時も忘れないからだ。親友ハンフリー・ボガートの最期をみとり、マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作となる『荒馬と女』を撮りあげ、『フロイド』ではアルコール依存と白内障と精神の危機で滅びていくモンゴメリー・クリフトの姿を凝視する。そこには単なるスキャンダル趣味とは全く無縁の、あらゆる運命への厳しくも寛大なまなざしがある。【評 中条省平(学習院大学教授)】

宮本高晴訳、清流出版・3360円/John Huston 06~87年。映画監督。「黄金」でアカデミー監督賞受賞。

■2006/06/18, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

命の番人―難病の弟を救うため最先端医療に挑んだ男
命の番人―難病の弟を救うため最先端医療に挑んだ男ジョナサン ワイナー Jonathan Weiner 垂水 雄二

早川書房 2006-04
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医療技術の進歩はさまざまな難病を克服したものの、未(いま)だ有効な治療法の見つかっていない病気は多い。最愛の人が不治の病を宣告されたとしたらどうするか。本書は、原因も治療法もわかっていない難病を発症した弟のために行動を起こした兄の物語である。

難病の名前は筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症、別名ALS。神経が徐々に麻痺(まひ)してゆく病気で、手足や口に始まり、最終的には全身の運動機能が失われて自力呼吸もできなくなる。多くの患者は、診断から数年で呼吸機能が麻痺してしまうようだ。そしてその時点で、人工呼吸器を装着するか否かの選択が迫られる。

この病気で特に残酷なのは、知能や意識は最後まで正常に保たれているのに運動機能のすべてが奪われてしまう点である。米国では、この病気にかかった大リーガーの名前をとって、ルー・ゲーリッグ病とも呼ばれている。また、天才物理学者の誉れ高いホーキング博士も患者の一人である。

ヘイウッド家の次男で大工のスティーヴンは、古民家を改築中に体の異変を感じた。身長一九〇センチの美丈夫(表紙の写真を見ると映画俳優顔負け)は、名門大学を卒業してエンジニアになっていた兄ジェイミーとの腕相撲で、初めて負けたのだ。

スティーヴンがALSと診断されたとき、兄ジェイミーは、さる神経科学研究所の技術移転部長に転身していた。それはあくまでも偶然の転身だったが、因縁めいてもいる。弟が難病に侵されたと知ったジェイミーは、研究所のデータベースと同僚研究者の知恵袋を最大限に活用し、ALS治療の可能性を探るプロジェクトを開始した。そして、ALSの原因は、神経細胞におけるある種の遺伝子変異であるとの仮説に行き着く。そうだとしたら、正常な遺伝子を送り込めれば、治療の可能性が出てくる。ジェイミーは、研究所の職を辞め、その可能性に賭けることにした。

兄ジェイミーが希望を託した方法は遺伝子治療と呼ばれる。いかなる病気にしろ、遺伝子治療が治癒効果をもたらした例は一つもなかった。しかし彼は、その技術と意欲を持つ医師を駆り立て、遺伝子治療の実施を目指す財団を設立する。ジェイミーのバイタリティと統率力は、驚異的なスピードで事態を展開させてゆく。

ワイナーは、米国を代表するサイエンスライターであり、その取材力と文学の素養あふれる筆力には定評がある。当初、客観的な取材者としてジェイミーに接触したワイナーは、自身の母親も別の神経難病と診断されたことで心が揺れる。遺伝子を改変してもよいのか、生命の尊厳とは何かなど、最先端医療技術が提起する生命倫理の問題に対して、傍観者たりえなくなってしまったからだ。

その間も病状が着実に進行する中で、患者本人であるスティーヴンの、周囲への気配りと凜(りん)とした態度は変わらない。一方、著者のワイナーは、日々変貌(へんぼう)してゆく母親を正視できない。誰にとっても決して他人事ではない様々な問題提起をはらんだ読み応えのあるノンフィクションである。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

漱石という生き方
漱石という生き方秋山 豊

トランスビュー 2006-05-02
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近年私は文芸評論を読む気がしない。それらは新しく見せようと奇をてらい、新知識を動員しているが、どれもこれも陳腐である。そもそも書いている人が何のために文学をやっているのかさえわからない。とくに漱石論などはおびただしく出版されているが、手に取るのもうんざりだ。ところが、この漱石論は読みはじめると、やめられなくなった。非常に新鮮なのである。

本書の特徴はまず、批評家や学者からの引用がほとんどないという点にある。といっても、それは主観的に感想を述べたものではない。その反対に、本書は、漱石の創作・評論・談話・書簡にいたるまで、すべてを自筆原稿から検討し周到に読み込んだのちに、書かれているのである。どうしてこういうことがありうるのか。タネを明かせば、著者はかつて『漱石全集』を編集した編集者であり、引退した後にこれを書いたのである。

たとえば、漱石の『心』という作品は、『こゝろ』または『こころ』と表記するのが正しいと考えられてきた。が、自筆原稿にあたって調べると、『心』が正しい。国語の教科書にも載っている有名な作品に関して、このような誤解がまかりとおってきたのは、むしろ驚くべきことだ。この一例からでも、同様の誤解が、作品の読みに関しても数多く存在するだろうということが予想できるはずである。実際、自筆原稿をふくむテクストの丹念な検証にもとづく本書は、かつてない深い読みをもたらしている。

しかし、本書を新鮮にしているのは、作品の新しい読解というよりも、むしろ作品に対する姿勢である。それは今や希有(けう)なものだ。「私の希望は、漱石に寄り添って、よく彼の言葉を聞き取りたいということに尽きる」と著者はいう。これは謙遜(けんそん)ではないし、レトリックでもない。本書は、研究者や批評家のような野心をもたず、漱石に寄り添いつつ生きてきた人のみが書けるような本である。おそらく「漱石という生き方」という題は、そのことを最も的確に表しているといえるだろう。【評 柄谷行人(評論家)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

東京バンドワゴン
東京バンドワゴン小路 幸也

集英社 2006-04
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最後の謝辞(“あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ”)にあるように、往年のホームドラマに捧(ささ)げられた小説である。ここには“たくさん”はないものの、気持ちのいい涙と愉(たの)しい笑いがある。

小説の舞台は、築七十年にもなる日本家屋の古本屋「東京バンドワゴン」。明治から続く古本屋で、現在の店主は三代目の堀田勘一、七十九歳だが、いまだに現役である。

堀田家は大家族で、長男我南人(がなと)(六十歳。伝説のロッカー)、我南人の長女藍子(あいこ)(三十五歳。未婚の母)と娘の花陽(かよ)(十二歳)、長男紺(三十四歳。ライター)と妻の亜美(三十四歳。元スチュワーデス)と息子の研人(けんと)(十歳)、そして我南人の愛人の子である青の八人。勘一と我南人の妻は病死しているが、物語の語り手は二年前に亡くなった勘一の妻サチで、空の上から家族が直面する事件の行く末を見守るという形である。

事件といっても、百科事典が現れては消えたり、老人ホームからおばあちゃんが失踪(しっそう)したりと大騒ぎする内容ではない。しかしホームドラマは、大騒ぎすることのない事件に過剰に反応し、ありえない設定からありえない展開になるのが常道。本書も、作りすぎじゃないかと思いつつも目が離せず、節々で笑い、温かな人情にほろりとする。ホームドラマがもつ憎らしいまでの手練手管を、作者はもっているのである。

もちろんその“作りすぎ”はご都合主義と、“憎らしさ”はあざとさと紙一重。でもそう見えないのは、物語の根底に我南人がいう“LOVE”があるからだろう。久世光彦演出のホームドラマなら家族が激しく喧嘩(けんか)することで確認した絆(きずな)だが、小説では心理を台詞(せりふ)で説明する必要はない。すでに訳ありの四世代家族が同じ屋根の下で暮らす以上、心の内を秘めていることが多く、それらが事件によって静かに語られ、微笑(ほほえ)みつつ了解していくのである。

ともかく最高の家族小説である。作者が謝辞を表すドラマが連続ホームドラマだったように、ぜひシリーズ化されんことを切に望みたい。【評 池上冬樹(文芸評論家)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

貧困の終焉―2025年までに世界を変える
貧困の終焉―2025年までに世界を変えるジェフリー サックス Jeffrey D. Sachs 鈴木 主税

早川書房 2006-04
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著者のジェフリー・サックスは、国際金融およびマクロ経済政策の分野で業績を挙げ、84年に29歳の若さでハーバード大学の教授に就任した。その優れた才能の一端は、邦訳もされているマッキビンとの共著『グローバル・リンケージ』(服部彰ほか訳、学文社)からも窺(うかが)われる。

先進国における経済政策の相互依存について理論的・計量的に分析した同書は数式も多く難解だが、本書にはそうした数式は登場しない。代わりに著者自身が足を運び、自らの目で確認した「貧困」の実態を表す写真や地図および図表が多数掲載されている。というのも、現在の著者は理論と統計を駆使する経済学者ではなく、貧困という病に立ち向かう「臨床」医だからだ。

研究室から現場への転機は、元教え子の縁で経済の高熱(ハイパー・インフレーション)に苦しむ南米のボリビアを訪問したときだった。そこで著者は「患者」を直接診断し、国家予算の基盤である石油価格の一時的な急騰で高熱を抑える処方を提案した。一見不合理な処方の実践によって、高熱は収まり「ボリビアは片足を開発の梯子(はしご)に」かけられるまでに回復した。この成功が評価され、著者は様々な国から経済顧問として招かれるようになったという。

著者は、途上国に対して金融引き締め、財政赤字削減といった教条主義的な改革を迫るIMF(国際通貨基金)よりも、極度な貧困の救済に消極的な先進国のODA(政府の途上国援助)を強く批判する。実際、DAC(開発援助委員会)加盟の22カ国がGNP(国民総生産)の0・7%をODAに回せば、「全世界11億人にのぼる極貧層を」救済できると著者は主張する。その財源は、アメリカの場合20万ドル(約2200万円)を超える所得に5%の追加税を課せば賄える。同じことは日本においても言えるはずだ。

「これは私たちの危機なのだ」と、本書の序文でボノ(ロックスター)が語るとき、危機とはまさに命の危機である。その救済のために、富裕層にそれなりの負担を求めるのは是か非か。答えは本書を読んでから出してほしい。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

学問の力 NTT出版ライブラリーレゾナント023
学問の力  NTT出版ライブラリーレゾナント023佐伯 啓思

NTT出版 2006-04-13
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本書は「語りおろし」を活字にした本だそうである。と聞けば、昨今、書き手のネームバリューに便乗して、安直に採算をとろうとした本の多さに閉口の向きもあろう。しかし本書については、その懸念は無用だ。なぜなら、本書における著者第一の主張は、いわば語りおろしのできないような知識の不毛さを批判するところにあるからである。

われわれはみな、歴史、文化、社会、家族といった文脈に埋め込まれて生きている。「ものを考える」ということは、本来、そうやって生きていることとは切り離せない。著者は、そのように日々現に生きることと等価であるような次元で世界と向き合い、そうして受肉化された知識を「故郷のある」思索と呼ぶ。著者は、70年代の後半以降、世界からこの意味での「故郷」が失われてきていることに危機意識を表している。

コンパクトで平明ながら、著者の保守主義思想(その立場からする構造改革批判は傾聴に値する)の軌跡が、驚くべき率直さで、まさに語りおろされており、著者の作品に親しんできた読者はもとより、著者をまったく知らぬ読者にも、強く訴えかける魅力を持っている。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

プラハ 都市の肖像
プラハ 都市の肖像ジョン バンヴィル John Banville 高橋 和久

DHC 2006-04
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この5月の連休に観光ツアーでプラハに出かけたのだが、世界中が連休なのかと思うほど“カフカの街”は多くの旅行者でごった返していた。帰国後アイルランドの作家バンヴィルの独創的なプラハ紀行を読む。著者はこの魔都に恋をして、言論統制や密告が日常化していた東西冷戦時代から何度も訪れているらしい。

石畳に響く足音、ヴルタヴァ川に面した暗いカフェ、目の下に深い影がさす美女との会話……。そう、ここには誰もがイメージする「半ば光で半ば影であるようなあの独特の覆われた輝き」を湛(たた)える街の姿が描かれている。著者は冷戦終結後、資本主義の波に呑(の)み込まれてからのプラハも知っているようだが、あえてその話はしない。

では、本書に描かれているのは、あくまで過去のプラハの姿なのだろうか? いや、東欧時代のプラハにだって、「陰鬱(いんうつ)な威容」だの「悲劇的な美」だのがはたして実際にあったのかどうか。これはあくまでバンヴィルの記憶の中にあるプラハなのであり、同時に身勝手な旅行者の期待を満足させてくれるプラハの姿なのだ。地図にはあるのに、地上のどこにもない魔都。ああ、もう一回だけ行ってみたくなってきた。【評 香山リカ(精神科医)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

モダニズム建築―その多様な冒険と創造
モダニズム建築―その多様な冒険と創造ピーター ブランデル‐ジョーンズ Peter Blundell Jones 中村 敏男

建築思潮研究所 2006-04
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ミースやコルビュジエら巨匠の名と共に輝いたモダニズム建築、それを批判して登場したポストモダンの潮流。それさえも忘れられがちな今、近代を冷静に振り返り、モダニズム建築史を書き換えることが必要だ。

それに挑む著者は言う。影響力の強い近代建築史の名著は全(すべ)てモダニズム革命の強調のため、扱う対象を絞り単純化してイズム(主義)を打ち立てた。巨匠のみが神話化され、多くの有力な建築家が埋もれた、と。

本書はそんな偏った解釈を脱し、多様な形で創造性を発揮した建築家、メンデルゾーン、タウト、シャローン等の仕事を掘り起こす。手法はナラティブ(物語的)なもの。作品を敷地、風土と周辺の歴史的文脈、場所性等の視点から丹念に読み解く語りは豊かだ。

モダニズム建築の醍醐(だいご)味は、「形態は機能に従う」等の単純理論では分からないこと。モダニスト誰もが伝統教育を経験し、作品の様々な次元にそれが現れていることが示される。普遍性を追求し抽象空間を目指したミース、グロピウスと、特殊な解を求め場所と対話する空間を目指したシャローンらの対比を論ずる著者の筆は冴(さ)えている。問題を投げ掛ける刺激的な書だ。【評 陣内秀信(法政大教授)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

わが名はヴィドック―犯罪者、警察密偵にして世界初の私立探偵の生涯とフランス革命時代
ジェイムズ モートン (著)

ヴィドック、世界初の探偵事務所を開いた男である。一八二八年に出した『回想録』が大評判を呼ぶが、これは探偵になる直前までの自伝であり、代作者がいて虚実とりまぜ誇張が多い。本書は、この神話的な人物の生涯を、各種の資料に基づき、客観的に再現した波瀾(はらん)万丈の伝記である。

本人は犯罪に一度手を貸しただけだと主張するが、二十代のヴィドックの生活は、投獄と逃亡と再投獄の繰り返し。その間の犯罪者との交流を宝に、警察にリクルートされて、監獄でのスパイから警視庁特捜班の創立者へと出世する。

修道女に化けて脱獄したという得意技を活(い)かし、変装して暗黒街に潜入し、多くの犯罪者を逮捕した。

街娼(がいしょう)から公妃まで女性関係が派手で、敵も多く、警視庁を辞職した後は、犯罪の知識と経験を基に探偵として活躍したが、主な業務は借金の取り立てだった。

ヴィドックの名声は文学者によるところが大きい。バルザックの描く悪魔的な英雄ヴォートランはヴィドックがモデルだし、知人のユゴーは彼の経験談から、脱獄囚ジャン・ヴァルジャンと鬼刑事ジャヴェールのイメージをともに作りあげた。そのヴィドックの実像を知るのに格好の書物だ。【評 中条省平(学習院大教授)】

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

楽園への疾走
楽園への疾走J・G・バラード 増田 まもる

東京創元社 2006-04-22
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これは危険な本だ。のっけから主人公のエコ・フェミニズム系医師バーバラ・ラファティが「アホウドリを救え」「いますぐ核実験をやめろ」と叫ぶので、本書をてっきり、純然たる自然保護運動小説の類型かと錯覚する読者もいるだろう。かつて六〇年代に徹底した世界終末風景を幻視したバラードがとんでもない思想的転向でも図ったのかと、いぶかしむ向きすらあろう。けれど心配はご無用、バラードならではの恐ろしくも美しい知的暴力は健在だ。

舞台はタヒチ島の南東六百マイルに浮かぶサン・エスプリ島。ここは七〇年代に核実験場の候補に挙げられるも、その後、実験場はガンビア諸島のムルロア環礁に移され、二百人ほどの原住民もすでにウィンドワード諸島に移住済み。ところがフランス系の原子力科学者がこの島に戻りつつある、しかも滑走路拡張の都合上、ワタリアホウドリの重要な営巣地を破壊しつつあると聞きつけたバーバラは、それをまんまと抗議運動に利用してしまう。

イギリス時代の彼女には、かつて安楽死を促進して殺人罪に問われ医師免許を剥奪(はくだつ)された過去があり、いまの自然保護運動への加担は、自らの過去への罪ほろぼしにも見えるのだが、ことはそう単純ではない。バラードはこれまで女嫌いの男を書かせたら天下一品だったが、この異端のエコ・フェミニストは男嫌いがエスカレートして「男であることはもっとも大きな遺伝的欠陥」と見てやまぬ科学者なのだから。そして彼女は、この島をアホウドリどころか「女たちの絶滅に瀕(ひん)した強さ、熱情と激情と残酷さの自然保護区にしたい」と真剣にもくろむ革命家なのである。

そのヴィジョンがいかに衝撃的に達成されるかは、本書の視点人物である少年ニールの運命をじっくり見守っていただこう。その結果織り紡がれるのは、まぎれもなく九〇年代以降のバラードが最も深く鋭い思索を展開した最高傑作である。本書に匹敵する現在日本側の知的冒険としては、笙野頼子の長編小説『水晶内制度』(二〇〇三年)くらいしか思いつかない。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

増田まもる訳、東京創元社・2415円/J.G.Ballard 30年中国・上海生まれ。作家。46年英国移住。

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

サッカーが世界を解明する
サッカーが世界を解明するフランクリン フォア Franklin Foer 伊達 淳

白水社 2006-05
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またワールドカップがやってきた。世界中が注目する、地球上で最大級の人類の祭典。サッカーは世界の共通語だ。サッカーがうまければ、誰だって、どの社会でもスターになれること間違いなし!

いまやプレーヤーの労働市場は国際化し、フーリガンのファッションさえ国境を越えて広まった。しかし、サッカーという言語で綴(つづ)られる物語は国によってかなり異なる。華麗な個人技のブラジル、組織とスピードの日本といったプレースタイルだけの話ではない。サポーターのあり方、そして政治や経済との関(かか)わり方には、地域の固有性が色濃く反映されている。

ワシントンで政治記者をしている著者は、仕事を八カ月休み、サッカーのグローバル化を取材する旅に出た。その体験に基づき書かれた本書は、日本のファンにとっても衝撃的な内容に満ちている。

鈴木隆行選手が所属するレッドスター・ベオグラードのサポーター集団は、民族浄化の突撃部隊だったことがある。そして中村俊輔選手が活躍するセルティックは、宗教上の偏見が残るクラブ所在地のグラスゴーのみならず、アイルランドのカトリック系住民の期待をも背負って戦う。著者の観察によれば、サッカーは「伝統の受け皿」として、民族のアイデンティティに活気を与えているのだ。

それに加え、イタリア・サッカーの不正疑惑は最近になって事件化したが、ペレも含めブラジルの腐敗もはなはだしいという。そうしたサッカービジネスに伴う負の側面があるのは事実だ。その一方で、女性をサッカーから締め出していたホメイニ革命後のイランでも、西欧に対する独自性を価値としてきた米国でも、サッカーという普遍言語が社会に浸透しつつある。

サッカーファンとしてはこの本を読みたくなかったと思うほど厳しい現実もある。だが「グローバル化」対「地域の固有性」という大問題を、サッカーという切り口で論じた著者の手法は見事に成功したといえよう。

さあ、誰か本書のアジア版を書いてはくれまいか。出たら必ず読むことを誓うから!【評 高原明生(東京大学教授)】

伊達淳訳、白水社・2415円/Franklin Foer アメリカの政治記者。「ニュー・リパブリック」誌編集主任。

■2006/06/11, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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