メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年5月28日~6月4日
| 犯罪被害者の声が聞こえますか | |
![]() | 東 大作 講談社 2006-04-21 売り上げランキング : 265 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
読み進めながら、何度となく胸がふさがれた。理不尽な犯罪によって家族を奪われ、あるいは自らが傷つけられた被害者が、なぜこんなにも、二重三重に苦しまなければならないのか……。二〇〇〇年の全国犯罪被害者の会結成から二〇〇四年の犯罪被害者等基本法成立までを描いた本書は、まずなにより、悲しみと怒りに満ちたノンフィクションとして読まれるべきだろう。
一面識もない男にガソリンを浴びせられて火をつけられ、全身に火傷(やけど)を負った女性に、病院は治療費を執拗(しつよう)に請求する。加害者に支払い能力がないのなら被害者が自ら治療費を負担すべきだ、というのが病院側の論理だ。宅配便の配達を装った男に妻を殺害された夫は、加害者やマスコミには開示される捜査記録や公判記録を被害者はいっさい見ることができないという司法の現実に愕然(がくぜん)とする。本書は、そんな被害者二人――岡本真寿美さんと岡村勲さんの〈誰からの支援も得られず、制度の不条理の中で、耐え続けてきた〉姿を軸に書き進められる。いわば「個」の戦い(いや、「孤立無援」の「孤」のほうがふさわしいだろうか)が、苦しみを共有するひとたちとの横のつながりを得て、国を動かしていくまでのドラマなのだ。
だが、本書は決して被害者の感情のみを押し出したノンフィクションではない。書き手は、犯罪被害者をめぐるドキュメンタリー番組を何本も手がけてきたNHKの元ディレクター。〈当時も今も、私は犯罪被害者の方々に「お気持ち分かります」と述べたことはありません。それは、あまりに不遜(ふそん)に思えるからです〉と書く著者は、被害者の苦しみに安易にべったりと寄り添うのではなく、理解と情熱ある取材者としての距離を保ったうえで、加害者や国への単純な憤りの先にある、一回り大きな問題を読者に提起する。
〈常に「国家」対「被告人」という図式で、刑事司法を考えていた〉ために〈その裏側で、被害者が置き去りにされている〉司法制度に対する疑義――特に終盤、「基本法」制定前に「権利」と「支援」の文言をめぐって「被害者の会」が関係省庁と対峙(たいじ)するくだりは、〈事件の当事者、つまり「尊厳を持った主体」〉である被害者の矜持(きょうじ)を熱く示して、「被害者=かわいそう」という安直かつ無礼な図式に貶(おとし)められることを毅然(きぜん)として拒む。その結果、「基本法」は〈被害者が尊厳を持って生きていくことが、「権利」として、日本ではじめて認められた〉画期的な法律となったのだ。
もちろん、現在形で読者に問う書名が象徴するとおり、〈この制度に魂を入れる作業は、これから〉である。だからこそ、本書は「被害者の会」「基本法」に限定された物語ではないのだ、とあえて言っておく。〈尊厳を持った主体〉の誇りをかけた闘いの記録は、読者自身が確かな尊厳を持って生きていくことへの問いかけでもあるはずだ。自他の尊厳をともに認めてこそ、僕たちのまなざしは、対岸の火事としての「かわいそう」の図式を超えられるのだろう。【評 重松清(作家)】
| 昭和のまぼろし―本音を申せば | |
![]() | 小林 信彦 文藝春秋 2006-04 売り上げランキング : 659 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昨二〇〇五年は、「戦後六十年」の大きな節目にあたっていた。「昭和」はすっかり遠くなった。本書のタイトルにもそんな隔世の感がよく出ている。『週刊文春』に連載され、愛読者も多い「クロニクル・エッセイ」を一年ごとにまとめるシリーズの八冊目にあたる。
やたらに天災の多い年だった。各地で地震が相次ぎ、超大型台風が荒れ狂って爪痕(つめあと)を残した。天災と人災は連動するのだろうか。「9・11総選挙」は小泉首相の地すべり的勝利に終わった。
おなじみの筆力については今さら論評するまでもないが、終始くつろいだ筆致が、読者に信頼しても大丈夫という安心感を与える。何よりも、トピックが豊富だ。映画・芸能から日常生活にわたる四方山話(よもやまばなし)が、ごく自然に世相批判につながるところが妙味である。
何ごとにも一家言あるがくどくどいわず、ガンコではないが筋は通す。毒舌をふるわず、遠慮がちながらしっかり直言する。たとえば、「小泉首相は六十を過ぎて、幼児性を保っているレアケース」であり、「首相の幼児性が彼ら(選挙民)の幼児性を魅了した」と。ふつう江戸っ子系統の東京人は、肩肘(ひじ)怒らして政治談義をしないものだ。日頃ダンディな著者が、心ならずも政談に引き込まれるのはよっぽどのことである。
後世からふりかえって「あれがターニングポイントだったのか」とわかる決定的な年がある。著者が回想するのは少年期の昭和十五年(一九四〇)だ。紀元二千六百年の祝典があって、日本中が旗行列に浮かれて騒いでいた。日本の大衆は「時として権力が命じる前に、先走りして迎合する」のである。果たして昔の光景だけで終わるだろうか。
現代東京の高層建築群は、関東大震災と米軍大空襲の廃墟(はいきょ)の上に聳(そび)えている。昭和の老人はそれを知っている年齢だから、本気になって今の世をあやぶむ。あれこれの身辺雑事を語っているうちに、昨今はいやでも天下国家が視野に入り込んでくる。くつろいだ中にも硬派の気概を見せる文章術が楽しい。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| ヘルメットをかぶった君に会いたい | |
![]() | 鴻上 尚史 集英社 2006-05 売り上げランキング : 516 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
読みながら、幾度も本の表紙に巻かれた帯を確認した。これは小説だ、と帯にはある。
昔の曲を集めたCD集のCMで、作者は学生運動が盛んだった時代の映像を見る。ヘルメットをかぶって微笑(ほほえ)む女性に惹(ひ)かれ、彼女をさがしはじめる。匿名の脅しを受けながらも、つてをたどって彼女を追っていくうち、現在の彼女の消息がじょじょに明らかになっていく。その筋立てとは別に、学生運動が終わったあとに大学生になった作者の、高校時代、大学時代の回想がある。学校全体を覆っていた無気力と管理を、そして自分が間に合うことなく終焉(しゅうえん)を迎えた学生運動というものを、作者は正面から凝視するように書いていく。
六〇年代から七〇年代にかけて起きた学生運動、その正体がなんであったのか、理屈でも理論でもなく私もまた知らない。しかしその時代、国家が、政治が、世界が、ある学生たちにとっては「触れることのできる」何かだったのではないかと考える。現在の日本の若者の、国や政治や世界情勢に対する無関心は世界的に見てもめずらしい。この無関心は、それらが決して「触れられない」ものだという諦観(ていかん)からはじまっているように思えてならない。たとえ錯覚だとしてもそれらに触れることができると信じられた時代を、知りたいと切望したことが私もある。余分な情報はいらない、いちばん純粋な部分を知りたいと。本書の作者とまったく同じように。
作者が追い求めているのは、次第に、ヘルメットの彼女ではなく、今の時代に自分がいるということの、体感としてのリアルさであるように思えてくる。読み進むうちこれがフィクションでもそうでなくてもどうでもよくなってくる。重要なのはそんなことではないと気づかされるのである。作者は彼女から視線を外し、違う方法で時代に触れようとする。それはリアルへの渇望である。時代との接点への、強烈な希求である。それほどまでに、今の時代は私たちから遠い。本当に触れることはできないのか、世界と無縁でいるしかないのか。この小説はそう叫んでいる。【評 角田光代(作家)】
| K2 非情の頂―5人の女性サミッターの生と死 | |
![]() | ジェニファー ジョーダン Jennifer Jordan 海津 正彦 山と溪谷社 2006-03 売り上げランキング : 497 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
心に残る山岳ノンフィクション、佐瀬稔の『長谷川恒男虚空の登攀(とうはん)者』にこんな一節があった。K2は人生の分岐点になる山。K2を登っていたら人生が変わっていたはずの登山家は何人もいる――と。日本人として初めてK2に登頂した日本山岳協会隊のひとり、広島三朗の言葉だ。
アルプス三大北壁冬期単独登攀を成し遂げた長谷川はじめ、孤高の登山家たちの人生を変えたかもしれない山がなぜ世界第二峰のK2なのか。
その理由は本書を読み進めて少し想像できた。のどかな田園地帯から登るエベレストと違い、パキスタンと中国の国境にあるK2へは灼熱(しゃくねつ)の砂漠を小型四輪駆動車で走り、氷河を踏み越え1週間、さらに45~65度の急傾斜を登らねばならない。犠牲者の割合はエベレストの3倍となれば死の淵(ふち)に近づくことと同義。独立不羈(ふき)の登山家なら挑まずにおれない目標だろう。
「非情の山」の称号までもつK2を語るのに、本書は実に魅力的な主人公を得た。1986年に女性初登頂を遂げたポーランドのワンダ・ルトキェヴィッチら5人の女性登頂者である。5人全員が下山中のK2か、他の8000メートル峰で遭難死したという不思議な因縁を知った著者は、女たちの家族や友人を訪ね、自らもK2に2度挑み、生々しい体験を5人の心情に重ねた。
父親を殺されるという悲しみを背負った者、男を翻弄(ほんろう)しながら登山を楽しむ者、子連れ登山を批判された者もいる。女性のK2登頂者という以外に共通点はない五つの生が緩やかにつながりつつ、登頂の喜びから死に向けて急降下する。女が山に登ることの困難を抱えながら、あえて息苦しいほど過酷な道を選びとった5人の凜々(りり)しい横顔が最後にくっきり浮かび上がる。
ただ私がもっとも心動かされたのは、国民的英雄となったワンダが、晩年、8000メートル峰14座全山登頂の記録を焦るあまり、カンチェンジュンガの雪穴で引き返せなくなる場面だ。「下りろ」といえなかった若きパートナーの慟哭(どうこく)が胸にささる。残された者の心に開いた穴は深く、どこまでも底が見えない。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 書物の運命 | |
![]() | 池内 恵 文藝春秋 2006-04 売り上げランキング : 1410 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、いまや専門のイスラム政治思想史や中東国際政治に収まりきらぬほどの活躍で、読書界の寵児(ちょうじ)といった観さえある著者の書評集である。あわせて、著者のいわば私的読書論や地域研究者としての独白にことよせたアラブ文化論なども収められている。イデオロギーを徹底的に排する歯切れのよい議論と、気(き)っ風(ぷ)のいい啖呵(たんか)のようにリズミカルな文体の心地良さは、この著者の大きな魅力である。本書に収められた一本一本の文章に、その魅力はあふれている。
一冊にまとめられたそれらの文章を通して読んで、あらためて感じたのは、本というメディアが織り成す空間と現実とのあいだの距離感をつかむ著者の感覚の鋭さと確かさである。前者への耽溺(たんでき)は、書評芸として消費の対象となれば良いところで、悪くすれば、すぐに現実から遊離した自己確認に堕する。他方、現場の実感に立て籠(こ)もりつづけることもまた、別種の幻想への逃避でしかない。この点、著者は少壮ながらタフなバランス感覚を持った読書人である。
それにしても上手(うま)い。評者は本書一読の後、つい乗せられて、著者が評した本を買いあさりすぎた。読者諸賢にもご用心アレ。【評 山下範久(北海道大学助教授)】
| あるエリート官僚の昭和秘史―『武部六蔵日記』を読む | |
![]() | 古川 隆久 芙蓉書房出版 2006-03 売り上げランキング : 466 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
満洲。「王道楽土」「五族協和」が謳(うた)われ、当時の日本人の夢と理想でもあった。しかし、内実は関東軍の傀儡(かいらい)国家、しかもアヘン密売など、「偽満洲国」と中国から指弾されるのも無理からぬ実態があった。
エリート官僚とは、矢内原忠雄、芥川龍之介、菊池寛などと一高で同期、法学部進学後、恩賜の銀時計組で内務省に入省した武部六蔵のことである。一九三五年、求められ、大陸に渡り、関東局という植民地統治の行政機関に赴任し、最後は国務院総務長官までつとめた。本書は、その克明な日記を摘記し、満洲国のなまなましい内側を紹介する。
皇帝溥儀や皇后の荒れた生活、現地官僚たちとの交流、関東軍の専横ぶり、現地民が手入れした農地を強制的に安く買い上げていった移住計画などへの記述には、実務家らしい冷静な目も存在する。
次第に、軍への不信感が募り始め、満鉄の監督権、さらには満洲国の人事や組織への介入など、関東軍の独裁に頭を悩ませる。満洲研究はさかんだが、全体像が解明されたとはいいがたい。東条英機、石原莞爾、板垣征四郎、松岡洋右、鮎川義介などの人物評も含め、『武部六蔵日記』は一級品の資料にちがいない。【評 小高賢(歌人)】
| <妻>の歴史 | |
![]() | マリリン ヤーロム Marilyn Yalom 林 ゆう子 慶應義塾大学出版会 2006-03 売り上げランキング : 3350 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
現在、アメリカでは第1子の約4割は婚外子で、結婚の48%は離婚に終わる。伝統的結婚制度の形骸(けいがい)化が進み、〈妻〉は絶滅の危機に瀕(ひん)した種とさえ言われる。著者は、スタンフォード大学の女性・ジェンダー研究所上級研究員。そうした状況だからこそ、歴史のこの時点で遺産を総ざらいすることは有意義と考えた。
政治、経済、文学、風刺画、広告、さらに市井の女性が残した手紙・日記など膨大な資料を駆使して、古代ギリシャでの「結婚」制度の誕生、キリスト教世界における結婚と生殖の義務化、中世ヨーロッパにおけるロマンチシズムの付与、戦時下の妻の役割、現代アメリカ社会における個人主義の進行など、壮大なスケールで〈妻〉の劇的な変容ぶりを浮き彫りにした。
「規範も禁制もほとんどないこんにちにおいて妻になるということは、実にクリエイティブな努力を要する」と著者は認め、「結婚における平等という理想に向かって屈せずに前進する勇気を持って」と呼びかける。46年間の結婚生活で、「妻」という小さな言葉の中に隠された有り余るほどの意味を知るに至ったとする、著者ならではの励ましなのかもしれない。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】
| 99999(ナインズ) | |
![]() | デイヴィッド ベニオフ David Benioff 田口 俊樹 新潮社 2006-04 売り上げランキング : 1929 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
青年が刑務所に収監されるまでの二十四時間を描いた『25時』で鮮烈なデビューを果たしたベニオフの短編集である。『25時』同様、清新で鋭い感覚で切り取られた作品が揃(そろ)っている。
チェチェンでの内戦を舞台にした戦争小説「悪魔がオレホヴォにやってくる」、少年時代に出会った少女のその後の人生を耳にする「幸せの裸足の少女」、女性との苦い恋の顛末(てんまつ)「ネヴァーシンク貯水池」なども佳作だが、収穫は、女性歌手を見いだす辣腕(らつわん)ディレクターの哀歓を描く表題作「ナインズ」と、飛行機のなかであえて排泄(はいせつ)物まみれになるエイズ患者の抗議「幸運の排泄物」だろう。
この二つには(いやベニオフの全作に通底するといっていいが)、静かに育まれる諦観(ていかん)と絶望がある。しかしそれが決してペシミズムにならず、むしろもういちど人生へと踏み出さざるをえない、悲哀としての知恵になる。温かくも苦く、ときに悔悟をうながすような発見がある。
味わいは純文学に近い。あからさまに泣かせも笑わせもしないし、驚くような展開もない。しかしベニオフは作品の節々で、錯綜(さくそう)した人生の諸相を垣間見せて、読む者に深いため息をつかせる。読み応えのある、いい作品集だ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 宮田登日本を語る (5) | |
![]() | 宮田 登 吉川弘文館 2006-06-01 売り上げランキング : 92952 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本人の心情表す民間信仰を鋭く考察
民俗学を通して日本の社会や文化の深層を描き続けた宮田登が亡くなってはや6年。その研究成果を編んだ『宮田登 日本を語る』(全16巻)の刊行が始まり、4巻まで来た。本書はその3巻目。単行本未収録の論文、エッセー等でかくも膨大な企画が実現した。
著者は常に知の狩人だった。日本民俗学といえば、柳田国男。その枠を広げ超えるべく、民俗学の可能性を求め斬新なテーマに挑戦し続けた。民間信仰、都市民俗から女性、子供、老人、さらには妖怪にまで及ぶ多面的で広い視野に立つ研究は驚くばかりだ。
その学風も、歴史学、宗教学、人類学、社会学等との交流から生まれた宮田独自のもの。現地調査の聞き取り、観察に基づく通常の民俗研究の方法に、文字資料を導入。歴史民俗学を発展させたのだ。しかもその資料は近世の随筆等、多岐にわたる。俗なもの、現代の社会文化現象に強い関心を向ける著者は、新聞や週刊誌などの雑誌も丹念に読んでいた。
本書は宮田民俗学の大きな柱、民間信仰をテーマとする。まずは、山に霊や神聖さを感ずる日本人の山岳信仰が成立したメカニズムを解く。出羽三山の羽黒山での死と再生の儀礼等、どれも興味深い。
そして、本書の中心テーマ、民間信仰とはやり神の話が続く。日本は一神教の世界とまるで違う。様々な神々が群生し、現世利益を求めるのがこの国の宗教観だ。既成宗教教団の枠外にあり、従来評価の低かった民間信仰こそ、日本人の心情、生活習慣を表すと著者は考える。熱狂的に祀(まつ)り上げ、そして祀り棄(す)てられる流行神にその本質を見る。
江戸の都市を活性化したのが寺の開帳。その頻度から、民衆の持つ微妙な生活感情の変化がわかるという分析は卓抜だ。江戸庶民に広がった富士講信仰への考察も鋭い。流行病を治す秘術に人々が頼り、稲荷信仰とも繋(つな)がっていた。富士山頂は極楽を意味し、江戸市民は現世に極楽を実現すべく、身近に富士塚をつくったという。富士講の世界は男女平等を旨としたという指摘も新鮮。不安を抱える現代人の心に響く内容揃(ぞろ)いの本だ。【評 陣内秀信(法政大学教授)】
| わたしを離さないで | |
![]() | カズオ イシグロ 早川書房 2006-04-22 売り上げランキング : 159 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
英国にある、施設・ヘールシャム。幼少時から共に育ってきた生徒たちが、数人の教師と暮らしている。全寮制の学校かと思いきや、描かれる空気には微妙な違和感がある。
まず彼らには家族が見あたらない。孤児かというと、そういうわけでもなく、その「存在」の感触に、言葉では、説明しにくい不可解さが漂う。望めばいつの日か、好きな人と暮らす程度の可能性はありそうだが、どうやら子供は産めないらしい。そんなことってあるだろうか? わたしたちが普通に使うような意味での、「将来」とか「未来」あるいは「可能性」などという言葉が、彼らにはどうも、うまくフィットしないのだ。
若者たちは施設にいるあいだ、仲間たちと密接な関係を育み、詩をつくり絵を描く、一見幸福そうな日々を送る。だが施設を出たあとは、「介護人」あるいは「提供者」となって、孤独な生活を強いられるようになる。誰を介護するのか、何を提供するのか。すべては明確に説明されぬまま、作品は注意深くミステリアスに進む……。
著者、カズオ・イシグロは日本人として生を受け、幼い頃に英国に渡った。厳密な意味で母語でない英語で書く作家である。不条理な世界に取り残されたような人間(それは私たちのことに他ならないと思うが)が、多くの作品に登場し、彼らの魅惑的な語りを通して、いくつもの豊穣(ほうじょう)な物語を生み出してきた。
本書では、穏やかな知性と豊かな感受性を持つキャシーという女性が語り手である。彼女もまた、あの施設で育ち、今は「介護人」として働いている。彼女の繊細で音楽的な語りは、読み進めるにしたがって、ああこの人は信じられるという不思議な友情を読者に感じさせる。ヘールシャムでの膨大な過去をゆさぶりながら、人が確かに生きたという証を丁寧に紡ぎだしていくその手つきは、母のように懐かしく慈悲があり、証人のようにおごそかだ。
その語りによって真実は、薄皮をはがすようにあきらかになっていくが、それでも最後まで、あれはいったい、どういうことだったのだろうと、謎のままに残される細部もある。しかしその謎は解明されずに残されるからこそ、まぎれもない生の温(ぬく)もりを持って記憶の底でいつまでもうごめく。
わたしたちは、何かの目的のために生まれるわけではない。生まれるために生まれ、生きるために生きる。なぜ、生きていくのか、わからないままに、先の見えない暗闇を進んでいく。ある目的のもとに生を受け、役割をはたして死ぬ彼らは、その点で私たちとまったく異なってみえる。だが、どんな圧力が彼らの生を限定し未来を縛ろうとも、命それ自体は、目的など無効にして、ただ生きようとするのだ。生きるために。その矛盾と拮抗(きっこう)がこの小説に、深く大きな悲哀をもたらしている。
「複製」の概念が「命」の本質を押しつぶそうとする戦慄(せんりつ)の小説である。まだ誰もこのことを経験したことがない。でも知っていたという既視感がある。そこが真に恐ろしい。【評 小池昌代(詩人)】
| 釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に | |
![]() | 本田 哲郎 岩波書店 2006-03 売り上げランキング : 117 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
世間は『ダ・ヴィンチ・コード』の話題でもちきりだけれども、イエスとマグダラのマリアが結婚して一児をもうけた、くらいで騒ぐんじゃなーい。派手さでは及ばぬものの、この本が主張するイエス像も従来のイメージを覆すという点では相当なもの。
高い人格と学識を持ちながら、貧しい人たちとともに歩んだ高貴な人物、なんてとんでもない。彼はとことん貧しく、へりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、「誕生から死まで、底辺の底辺をはいずりまわるようにして生きた」。「食い意地の張った酒飲み」で、ヘブライ語も読めない無学の徒で、「大工」と訳されている職業の実態は石の塊をブロックに切り分けていく「石切」で、それは当時の最底辺の仕事だった。
イエスだけではない。マリアは律法に背いて父親のわからぬ子を身ごもった罪深い女だから出産の場さえ与えられなかったのだし、そこに駆けつけた「東方の三博士」が怪しい異教徒の占師なら、羊飼いも卑しい職業。12人の弟子だって大半は漁師、あとは徴税人マタイ、極右の過激派くずれというべき熱心党のシモン。いずれも当時のユダヤ社会では「罪人」とされる賎業(せんぎょう)で、つまりイエスは社会から排斥、差別される貧困層に属していたのだっ!
ギリシャ語の原典にはそう書かれている。大方の聖書は誤訳しているし、教会の教えにも弊害が多い。と主張する著者は、93年から釜ケ崎の労働者と連帯して闘っているフランシスコ会の神父さん。本書には「こういう人たちにこそ布教しなくちゃ」と思っていた彼が「洗礼は受けない方がいいんじゃない」と職務にあるまじき考えを持つに至った過程も綴(つづ)られている。
私は以前、本田訳の新約聖書『小さくされた人々のための福音』に本当に驚き、敬服したことがある。聖書の物語に多少の造詣(ぞうけい)がある人はテキストの解読に興奮するだろうし、そうでなくても貧困や差別を考える上で多く示唆に富む。「弱者への支援」に潜む差別性を鋭く突きながらも口調はユーモラス。現場感覚にあふれた実践の書だ。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
| キャメロットの鷹―アーサー王宮廷物語〈1〉 | |
![]() | ひかわ 玲子 筑摩書房 2006-02 売り上げランキング : 8760 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 聖杯の王―アーサー王宮廷物語〈2〉 | |
![]() | ひかわ 玲子 筑摩書房 2006-03 売り上げランキング : 14115 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 最後の戦い―アーサー王宮廷物語〈3〉 | |
![]() | ひかわ 玲子 筑摩書房 2006-04 売り上げランキング : 13667 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
かつてジョン・F・ケネディ第三十五代アメリカ合衆国大統領は、自らのホワイトハウスを「キャメロット」すなわち辣腕(らつわん)の騎士たちが集うアーサー王宮廷の所在地にたとえたという。
あたかもアーサー王自身のごとく、ケネディ本人も非業の死を遂げ人々の涙を誘ったが、だからこそ逆に、彼が政権を握った一九六〇年代初頭を、アメリカがまだ明るく希望に満ちた汚れを知らぬ時代としてなつかしむ向きが、後を絶たない。
我が国を代表するファンタジー作家ひかわ玲子が十五年の歳月をかけて完成したこのライフワークは、古来語り直されてきたアーサー王ロマンスが、二十一世紀の今日、ますますグローバルな意義を持つことを実感させる傑作だ。
アーサー王伝説を細部まで熟知する著者だけに、新機軸もきちんと用意している。アーサー王に仕える小姓であり鷹(たか)に変身できるフリンと、王妃ギネヴィアの女官として仕え鷦鷯(みそさざい)に変身できるメイウェルという双子の兄妹を登場させ、後者を事実上のヒロインに設定したのである。
第一巻『キャメロットの鷹』では、外界と接触せぬまま予言をつづれ織りにし未来を見通す魔力をもつシャロットの姫君エレインが、アーサー王の暗殺を予示してしまい、王と実の姉である妖精婦人モーゲンとの確執が浮上する。第二巻『聖杯の王』では、当のエレインがアーサー王妃ギネヴィアの愛人である騎士ランスロットとの恋に落ち、純潔のままこの世を去り、亡骸(なきがら)のまま舟で河を下るも、ここで彼女の「夢の子供」として騎士ガラハッドが登場するのは興味深い。さらに第三巻『最後の戦い』ではアーサー王とその実の子モードレットの凄絶(そうぜつ)な対決が演じられるが、大団円では、これまでにないかたちでアーサー王の血統が継がれていく将来が構想され、作者の独創がひときわ冴(さ)え渡る。
魔法の不思議と人生の不条理とを巧みに融合し、アーサー王伝説を最も本質的な日本的感性で甦(よみがえ)らせた本書は、まさにそれ自体が圧倒的なタペストリーを織り成す。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 「正しい戦争」という思想 | |
![]() | 山内 進 勁草書房 2006-04-08 売り上げランキング : 3445 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「正しい戦争」というフレーズだけで、拒絶反応を示される向きもあるかもしれないが、本書は、戦争の正当化や、まして美化を意図した作品ではない。むしろその逆である。
本書を貫くのは、「正しい戦争」がありうる可能性を議論の正面に据えることで、二つの極端な立場を相対化する姿勢である。すなわち、一方の立場はすべての戦争を悪だとする絶対平和主義であり、他方の立場は戦争を利害だけで評価し、倫理的な正しさを問題としない「現実主義」である。なるほど両者はともに、眼前の戦争をめぐってしばしば喧(やかま)しく主張されるが、多くの場合に思考停止に陥りがちである。
それに対して本書は、「正戦」や「聖戦」を称する戦争を前に、それが本当に正しい戦争であるのかと不断に問うための批判的枠組みとして「正しい戦争」を論ずる理論的・歴史的基礎を提供する。その問いかけこそが、普遍的価値や超越的価値に訴える戦争の言説がますます氾濫(はんらん)する今日において、より有効に戦争を抑止することにつながるからだ。
憲法改正や在日米軍再編の論議が進むなか、広く読まれるに値する一書である。【評 山下範久(北海道大助教授)】
| 名画座時代―消えた映画館を探して | |
![]() | 阿奈井 文彦 岩波書店 2006-03 売り上げランキング : 16604 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
東京・池袋の『人世坐(ざ)』を皮切りに、前橋、門司、松山、那覇、北海道、京都……全国各地の名画座を経巡(へめぐ)る旅である。正確には、その大半が閉館しているので、「名画座の記憶」をたどる旅だと紹介したほうがいいだろうか。
著者は、名画座のプログラムやチラシを紹介し、関係者の証言を引き出していく。名画座の本領は、上映作品の〈組合わせの妙味〉と〈映画を愛してるんだな、と観客へも伝わる〉映画館独自のチラシの宣伝文や解説文にあるのだ、と。
そんな名画座の人々の映画への情熱を味読しながら、読者は、もう一つの物語にも気づくことになるはずだ。彼らは皆、「街」の文化や娯楽を担うプロデューサーでもあったのだ。名画座時代とは、言い換えれば「街」に映画館のあった時代、広島『サロンシネマ』館主の言葉を借りれば〈行きつけの小さな店〉があった時代、さらには「街」の一つひとつに、個性に満ちた愉(たの)しみがあった時代のことではないか。
「消えた映画館を探して」と副題は付いていても、著者は決して映画館だけをたどったわけではない。本書は、名画座があった頃の「街」の面影を探す旅の記録でもあったのだ。【評 重松清(作家)】
| 金馬のいななき―噺家生活六十五年 | |
![]() | 三遊亭 金馬 朝日新聞社 2006-03 売り上げランキング : 1785 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は現役最長の高座歴をもち、今年で喜寿を迎える。四代目・三遊亭金馬を襲名して39年になるが、見るからに艶々(つやつや)と若々しく、昭和30年代の国民的人気テレビ番組「お笑い三人組」を楽しんだ私にとって、いまだに小金馬という名前の方が親しみ深いほどだ。
「お笑い三人組」で著者が演じたのは、50円で腹いっぱいになる食堂「満腹ホール」の主人・竜ちゃんだった。50円という金額に時代を感じるが、本書を読んで、この設定が、戦前に著者の父母が経営していたその名も「五銭満腹ホール」に由来することを知った。本書の冒頭では、戦前の東京・深川一帯の風景が生き生きと描きだされる。時代と風俗の記録としてまことに貴重である。
著者は12歳で三代目・金馬(「居酒屋」の名人だ!)に弟子入りするが、師匠との出会いと交情を描く部分が本書の大きな読みどころ。とくに師匠の逝去を語る四章末尾は涙なしでは読むことができない名場面だ。
長寿であるだけに、世を去る人々との別れの場面が多いことも本書の特色のひとつである。文楽、志ん生、歌笑、三平、そして親友・志ん朝。笑いを稼業とした人々の死には、つねに深い哀感がある。【評 中条省平(学習院大教授)】
| 霊的人間―魂のアルケオロジー | |
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この一冊は、アイルランドの海岸で孔(あな)の開いた石を拾うエピソードから始まる。自然の石笛である。吹いてくれと訴える声が聞こえる。
石笛を吹く。するとその霊妙な音にみちびかれて、読者は時間と空間を越える不思議な旅路へ誘い出される。ヘルマン・ヘッセ、ブレイク、ゲーテ、本居宣長、上田秋成、平田篤胤、稲垣足穂、イエイツ、ラフカディオ・ハーン。決して任意に並べられた人名ではない。一筋の通い路でたがいに結ばれた「霊」の世界の遍歴なのである。
ゲーテと本居宣長は「二卵性双生児」であり、宣長は「日本型ファウスト」だと大胆な断言を下すのも、深い確信から発している。詩を生み出す力は「精霊(ガイスト)」だとするゲーテの直観は、やまとうたを「言霊(ことだま)」の発現ととらえる宣長国学と相呼応している。比較文学風に類似を言い立てるのではない。同一の心性の働きを見て取っている。
本書のキーワードをなす「霊」の字はモノと読む。モノとは何か。日本語で「品物」「悪者」「怨霊(まもの)」といろいろに使い分けられるこの言葉の多義性を、著者は「物質・物体(物)から人格的存在(者)を経て霊性的存在(霊)に及ぶ『モノ』の位相とグラデーションの繊細微妙さ」と表現している。別々の存在なのではない。全部がひとしくモノなのだ。コトが抽象的で無機質なのに対し、モノには、なつかしい独特の触感がある。カミよりも等級が低くて親しみやすい。
宣長の「もののあはれ」にも、上田秋成の「もののけ」にも、モノは遍在する。平田篤胤はそれを学問の対象にしたし、稲垣足穂は近代社会でモノとの交信をこころみた異色の作家だった。『怪談』で有名なハーンには『神国日本』の著がある。空気が澄みきったこの美しい風土では、木にも草にも八百万(やおよろず)のモノが宿っている。
山野に産業廃棄物が溢(あふ)れ、耳は政治的弁舌で塞(ふさ)がれた現代日本にも、まだモノは生き延びているのだろうか。本書は大丈夫と請け合ってくれている。人間がモノへの愛着を忘れずにいる限りは。【評 野口武彦(文芸評論家)】


















