メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年5月14日~5月21日

この数学書がおもしろい
この数学書がおもしろい数学書房編集部

数学書房 2006-03
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数学者を中心に、物理学者、工学者、経済学者、翻訳家ら各界の41人が、おすすめの数学書を紹介する。『博士の愛した数式』をはじめ、一般向けのおもしろく読める本から、ボルヘス『バベルの図書館』といった異色作、そして専門家相手の歯応えのある本まで、カバー範囲は幅広い。筆者の中には、数学者でもある秋葉忠利・広島市長も。どの人がどんな本をどんな風に薦めているか(架空の本も登場する)を眺めるだけでも興味をそそられる。

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

六十歳から百名山
六十歳から百名山米倉 久邦

新潮社 2006-04-22
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深田久弥の『日本百名山』は、いまや中高年のバイブルの一つだ。定年後に踏破する例に事欠かない。著者は、そこに二つの原則を決めた。(1)2年以内に踏破(2)ガイドブックに頼らず、手作り――。冬山も辞さず、平均して毎週1座の計算。本書は、定年直後の元旦の富士山から翌年の12月、屋久島・宮之浦岳まで100登山の記録だ。

若いころ山に親しんでいたといい、槍ケ岳に北鎌尾根から挑戦するなど、相当な自信もうかがえる。参考にしても、張り合ってはいけない。

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ
泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ瀬川 晶司

講談社 2006-04-21
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将棋という日本で特異に発達したゲームは、稀(まれ)に“劇的人間”と呼ぶしかない人物を生み出す。本書の著者など、さしずめその最新のスターと言えよう。

半年ほど前、三十五歳のサラリーマンが、プロ棋士相手の六番勝負で三勝し、晴れてプロとなった。奨励会(正式には「新進棋士奨励会」)を通過しないプロの誕生は実に六十余年ぶりで、「閉鎖的な将棋界に風穴を開けた」とマスコミでも騒がれたから、「ああ、あの人か」と思い出される読者も多かろう。本書は、彼の半生記である。

登場人物たちの輪郭が、いずれもくっきりしている。文字通りの弱肉強食の世界ゆえか、細部と大局とをかわるがわる見ることに長(た)けた著者ならではの観察眼ゆえか。おそらくその双方であろう。

「いるかいないのかわからない」小学生だった著者をほめまくって才能を引き出した担任の先生、真向かいの家に住む、友達にも敵にも早変わりする宿命のライバル、二人にプロ棋士への夢を託す、内に喪失感を抱えた将棋道場のあるじ……。みな控えめだが、一途に何かを願うような生き方をしている。

奨励会には二十六歳までしか在籍が許されない鉄の掟(おきて)がある。それまでに四段にならなければ、将棋だけに「命を削って」きた努力は水泡に帰す。それは「挫折」などという生易しいものではなく、著者も将棋を憎悪し、車道に飛び出して死のうとさえする。そこから立ち直り、将棋本来の楽しさを再発見して、不可能とされたプロへの関門にもう一度挑む姿もよいのだが、本書の最大の魅力は、敗れゆく者たちの心の揺れが、きめ細やかに、しかも悲愴(ひそう)感に酔うことなく真正面から見つめられているところだ。

青春小説のようにも、現代版『アマデウス』のようにも、人情噺(ばなし)のようにも読める。“いい人”ばかり出てくるのに物足りなさを感じないわけでもないが、「好きな道を進むのは大変だったよ。でも、がんばってみて本当によかった」と最後に真情を吐露する著者の肩をぽんと叩(たた)きたくなった。【評 野村進(ジャーナリスト)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

こんなに楽しい!妖怪の町
こんなに楽しい!妖怪の町五十嵐 桂子

実業之日本社 2006-04
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『ゲゲゲの鬼太郎』ファンには先刻ご承知のとおり、鳥取県境港市は「妖怪の町」である。そもそもは同市が鬼太郎の生みの親・水木しげる氏の故郷であるという縁から一九九〇年に始まった「妖怪の町」づくり、百体を超える妖怪のブロンズ像が並ぶ『水木しげるロード』を訪れる観光客は、年間八十五万人超(二〇〇五年度)――人口約三万八千人の境港市は、いまや堂々たる観光都市なのである。

本書は、そんな境港市のガイドブックであると同時に、「妖怪の町」の歩みをたどったノンフィクション。妖怪のブロンズ像がカラー写真で紹介され、御大・水木しげる氏のロングインタビューも収録されているという盛りだくさんの一冊で、地元住民の反対や漁業不況の逆風の中、紆余曲折(うよきょくせつ)をへて「妖怪の町」が形作られていくドラマは、時代遅れでつまらない比喩(ひゆ)だと承知で言えば、活字版『プロジェクトX』の趣もある。

しかし、本書の面白さは、成功の物語のみにあるわけではない。〈町の人々の日常に、妖怪のエッセンスが無理なく自然に溶け込んでいる〉境港の町そのもの――観光都市ではなく、〈日常〉の生活の場としての町の姿が、じつに魅力的なのだ。水木氏が語る少年時代の境港の姿は、ノスタルジーに満ちていながらも、決していまの境港と断ち切られてはいない。『水木しげるロード』や『水木しげる記念館』をつくり、守り、愛する町の人々もまた、水木氏と同じものを我が町・我がふるさとに見ているのだから。

自らを「水木サン」と呼ぶ水木氏は、言う。〈場所には感情があると水木サンは思っています〉

本書は、「町おこし」の指南書としても広く読まれるだろう。だが、「理」(=利)が先に立ってしまうと……「境港には妖怪というキラー・コンテンツがあるから」の一言で終わる。違うのだ。ふるさとの地霊とも呼ぶべき町の〈感情〉や、そこでの暮らしが育んだ人々の〈感情〉をいかに尊び、慈しんで、誇りとするか。本書が教えてくれる最大のものは、ふるさとの愛し方なのだ。【評 重松清(作家)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

ハンター&ハンティッド―人はなぜ肉食獣を恐れ、また愛するのか
ハンター&ハンティッド―人はなぜ肉食獣を恐れ、また愛するのかハンス クルーク Hans Kruuk 垂水 雄二

どうぶつ社 2006-04
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野生動物が躍動する映像は、見る人を魅了してやまない。なかでもいちばんハラハラドキドキさせられるのが、肉食獣が狩りをして草食獣を倒すシーンだろう。われわれは、肉食獣のむだのない動きを美しく思うと同時に、襲われて食べられる側にも、ついつい感情移入してしまう。

本書の著者クルークによれば、人類は進化の過程で、獲物を狩る側であると同時に狩られる側でもあった。そのせいで、肉食獣に対して微妙な感情を抱いてしまうのだという。

大型哺乳(ほにゅう)類、それも特に肉食獣をめぐる研究では、一九七〇年代に画期的な進展があった。きちんと個体識別をした上での長期観察に基づく研究が、次々と発表されはじめたのだ。

その先陣を切ったのが、誰あろうクルークだった。彼の研究により、ハイエナは従来考えられていたような死肉漁(あさ)りではなく、むしろライオンの方が、ハイエナが倒した獲物を横取りしている事実が判明した。

本書は、コンパクトながら、肉食獣研究の長老が著した肉食獣大全である。考えてみれば、犬や猫も肉食獣である。少なくとも、わんこ、にゃんこファンは必読だろう。【評者 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

日本語と中国語
日本語と中国語劉 徳有

講談社 2006-04-13
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著者は、要人の通訳や新華社特派員を長く務めた、中国政府文化部元副部長にして日本語の達人。言葉が違えば文化は違う。日本語と中国語を比べることから二つの文化の違いを考え、相手を理解する難しさとともにその楽しさを巧みな語り口で教えてくれる。

日本の「腐っても鯛(たい)」にあたるのは、中国では「痩死的駱駝比馬大(どんな痩〈や〉せたラクダも馬より図体〈ずうたい〉がでかい)」。なるほど、いかにも日中の風土の違いが感じられるではないか。

とくに面白いのは、ダイナミックな社会の変貌(へんぼう)を反映した中国の新語事情だ。「電脳」は日本語化しているが、「袋鼠族」を知っている人は相当の中国通。「袋鼠」すなわちカンガルーのごとく、両親の庇護(ひご)の下から離れない若者のことだという。

「~族」という言い方は、「人気」などの言葉と同じく、最近日本から伝わった。

文化交流に着目すると、世界でも特殊な、日中間の微妙なつながりとへだたりが見えてくる。

そのほかにも、あいまいな日本語表現の中国語への訳し方や、中国で使われる和製漢語の驚くべき多さなど中国語を使う人に役立つ情報を満載。次の版からはぜひ索引をつけてほしい。【評者 高原明生(東京大教授)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

妖怪文化入門
妖怪文化入門小松 和彦

せりか書房 2006-03
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『ハリー・ポッター』以後のファンタジー・ブームと『陰陽師』などの妖怪ブームが連動し、水木しげるの再評価や京極夏彦の映画化が相次ぐ昨今、最近では直木賞作家・朱川湊人や芥川賞作家・絲山秋子の作品など主流文学のうちにも、幽霊人情噺(ばなし)がごく自然に溶け込んでいる。折も折、妖怪と幽霊の区別からしっかり説き起こし最新の知見まで盛り込んだ本書が出た。

まず第一部では著者の専攻する文化人類学や民俗学からする定義体系が吟味され、第二部では宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」なども分析して広がりを示し、第三部では憑(つ)きものや鬼、異人といったキー・コンセプトが再検証される。

とくに刺激的だったのは、この分野の元祖・井上円了の『妖怪学講義』(一八九六年)が、人々が不思議と思う現象を妖怪と見なし、明治の文明開化とともに、いずれは科学的・合理的に説明できるものと信じたこと、つまりは今日ならばゴースト・バスターズと呼ばれるだろう妖怪撲滅者としての体系を構築していたことだ。井上への批判から風俗史の江馬務や民俗学の開祖・柳田国男の理論が展開された経緯は、ポストモダン以降の知的風土をも導く一本の線として、実に興味深い。【評者 巽孝之(慶応大教授)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

MOMOSE ― 不良のカリスマ・百瀬博教
MOMOSE ― 不良のカリスマ・百瀬博教塩澤 幸登

河出書房新社 2006-03-18
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刃物の上を裸足で渡ろうとして時としてけがもする、そんな人生。しかし、その人物が裡(うち)に秘めた人間の魅力ともいうべき生の姿が幾人もの著名人の心を捉(とら)え、その邂逅(かいこう)によって今は作家・詩人・格闘技のプロデューサーなどとしても活躍する。そんな男性の型破りな半生を、編集者時代に出会った著者が、航跡を辿(たど)るように描く。

MOMOSEとは百瀬博教のことである。彼は柳橋のいわば“筋目(すじめ)”の侠客(きょうかく)の子として生まれ、その巨躯(きょく)を見込まれて大学の相撲部に入り、やがて赤坂のナイトクラブの用心棒になる。

ここで売り出し中の石原裕次郎に出会い、意気投合する。それは二人の環境こそ異なるものの無頼の人間同士の共感といってもいいかもしれない。そして、兄の石原慎太郎とも心を通わせ文学の妙味をしる。

しかし、拳銃不法所持の罪で下獄、この服役の期間さまざまな書を読みあさったという。本人の語る「自己改造」の期間。森鴎外、谷崎潤一郎、三島由紀夫を読み、人間の地金に磨きをかける。またある時「広辞苑」を丸覚えしようと思ったりもする。規格を超えている。ともかく、戦後日本に登場した異色の風貌(ふうぼう)のひとつが活写されている。【評者 前川佐重郎(歌人)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

プラド美術館 名画に隠れた謎を解く!
プラド美術館 名画に隠れた謎を解く!薮野 健

中央公論新社 2006-03
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上野の杜(もり)で開催中の「プラド美術館展」が人気を集めている。ベラスケス、ティツィアーノ、ゴヤ等の作品をはじめ、膨大な絵画コレクションで知られる世界でも屈指の美術館だ。これだけの名画を集めたスペイン王室の凄(すご)さ、この国の底力に驚かされる。

この展覧会に呼応して洒落(しゃれ)た本が出た。著者は、若き日に、画家である父親に連れられこの美術館を訪ね、スペインに惚(ほ)れて留学した画家、藪野健。マドリードの美術学校に入っても、プラドに毎日通い模写に没頭したという。

本書は美術書として実に大胆かつユニーク。本物の絵と並んで、著者が描き起こした模写の絵が脇に置かれ、読者はその絵解きを通じて、過去の名画の本質に迫れるのだ。忠実な模写ではなく、省略と解釈を交え、その特徴を丁寧に描くものだが、見比べて、本物の作品以上に味のあるものさえある。著者=画家の技が光る本だ。

著者は昨秋、プラド美術館を再訪し、新たに模写に取り組んだ。その筆致をたどると画家の呼吸、筆運びの勢いが伝わり、作者の意図も見えてくるという。美術史家とは違い、手を動かしながら制作の秘密を探って、名画に隠れた謎を解いたのだ。

登場する作品はどれも、著者お気に入りのもの。宮廷内の登場人物を巧みに配し、視線の計算、光と影の絶妙な構成で目を奪うベラスケスの「宮廷の侍女たち」。多数の人物と動植物が展開する奇々怪々で幻想的なボッシュの「快楽の園」。巨匠らに加え、ボデゴンという静物画を見事に描いた画家達(たち)の紹介も興味深いが、本書を貫くのはやはりゴヤへの特別な思い。王室の肖像画家として成功しながら、戦争で荒廃した惨憺(さんたん)たる姿の祖国への絶望と恐怖を描いたゴヤの「黒い絵」の重い情念の世界を、著者はたくさんの模写で表現する。まさにスペインの心、ここにあり、だ。

最後は、瞳の中に希望の星の輝きを描いたエル・グレコの「十字架を抱くキリスト」。この絵を見て、読者も明るい気持ちで本書を読み終えられる。名画をこれほど身近に感じさせてくれる本は稀(まれ)だ。【評 陣内秀信(法政大学教授)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

砂漠の女王―イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯
砂漠の女王―イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯ジャネット ウォラック Janet Wallach 内田 優香

ソニーマガジンズ 2006-03
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その昔、ロマンと異国情緒を求めて中東の砂漠を訪れた英国の冒険家は数知れないが、なぜか女性が多いことに驚く。19世紀後半には詩人バイロンの孫娘アン・ブラントが、20世紀前半には旅行家フレヤ・スタークが、中央アラビアからメソポタミアを旅して、数々の中東紀行を残した。

特に本書の主人公ガートルード・ベルの存在は際立つ。当時の女性として珍しいオックスフォード大卒の彼女は「ひとかどの人間」を夢見、ペルシャ駐在の伯父を訪れたのを機に、中東での冒険旅行にハマっていく。勇猛な山岳部族のドルーズを電撃訪問し、砂漠の遊牧部族と渡り合う。部族間抗争激しいアラビア半島に飛び込んでは、拉致監禁される。世界帝国として君臨する大英帝国出身ならではの奔放さ、行動半径の広さだ。

ペルシャを「天国」と呼び、砂漠に心躍らせる彼女だが、第1次大戦の開始によってその運命は大きく変わる。中東での土地勘、語学力を買われて、英軍諜報(ちょうほう)部に登用された。それまで好奇心で集めた知識と人脈が、オスマン帝国を解体して英仏で分割するという、当時の対中東支配戦略に使われるようになるのだ。

その結果、ベルはイラク建国を策定する東方書記官としてバグダッドに職を得、政策決定に絶大な影響力を得た。中東分割の国境線を引き、「アラブ人のための国づくり」に酔い、人事をほしいままにし、高みから神の視点で人を動かすことに快感を覚える。

ここに学ぶべき教訓は、多い。傲慢(ごうまん)な上司に自らの情報が却下されること、現地に同情的過ぎるとして疎まれることへの苛立(いらだ)ちは、現代の諜報員たちにも共有される。ベルもまた、自国からは現地化したと非難され、現地住民からは外国の手先と見なされる。

ベルは英軍のメソポタミア侵攻前夜、イラクの有力部族の長に「何のために来たのか」と問われ、「好奇心を満足させるため」であって「英国は砂漠から利益を得ていない」と答えて、相手の不信を解いた。だが、結果的に彼女はその言葉を裏切ったのだ。

彼女は、中東に関(かか)わる者にとって常に反省の鏡である。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2006/05/21, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

人類が知っていることすべての短い歴史
人類が知っていることすべての短い歴史ビル ブライソン Bill Bryson 楡井 浩一

日本放送出版協会 2006-03
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われわれは何者で、どうしてここにいるのか。この問いかけに答えるには、少なくとも、歴史と哲学と科学という三つのアプローチがある。この三つすべてを学ぶに越したことはないが、どれか一つと言われれば、何を知りたいかによるだろう。

人間が歩んできた歴史を文字でたどれるのはたかだか数千年。それを知りたいのか、それともそれ以前までさかのぼりたいのか。それ以前となると科学の領域だ。

存在とは何か、自分とは何かを知りたければ哲学だが、生命論、宇宙論にまで思考が及べば、その先は科学と融合する。そういえばカントも、宇宙は星雲として起源したという説を提唱している。万学の祖アリストテレスは、今流に言えば科学者でもあった。

では科学は、どんな答を用意してくれるのか。たしかに科学は、人類の存在、宇宙の存在などをめぐるさまざまな謎解きに挑戦してきた。その結果何がわかり、何がわかっていないのだろう。これは、意外と難しい問題である。今どき、科学全般に通じている人などめったにいないし、お手軽な本も見あたらないからだ。とにかく、教科書の類(たぐい)はちっともおもしろくない。

本書の著者も、教科書のつまらなさに科学への関心から遠ざかった、いわゆる「文系」の人だった。それがふと、「自分の生涯唯一のすみかである惑星について何も知らないことに気づき、切迫した不快感を覚えた」という。そこそこの知識を「理解し、かつ堪能し、大いなる感動を、そしてできれば快楽」を味わえる科学書を書こうと思い立ち、三年を費やして書き上げたのが本書だという。

その意図は大いに成功している。宇宙の成り立ちから人類の現状まで、科学の成果をざっくりと抽出して一級のエンターテインメントに仕上げた手並みは、さすがに手だれのライターである。楽しみながら、科学リテラシー(教養)を身につけられる。

冒頭で歴史や哲学に答を求めると科学に行き着くと書いたが、その逆もまたある。科学の知見を語ると、必然、科学の歴史、科学者のエピソード集になるからだ。そしてそのことで、冷徹なイメージのある科学が血の通った営みに思えてくる。しかも、過去の科学者には、奇人変人が目白押しときている。

著者は、現代の科学の現場にも出かけ、さまざまな科学者への取材もしている。現代の科学者に奇人変人が少ないのは、逆に科学が普通の営みになりつつあるからだろうか。それはそれでよいことなのだろう。

本書を読んで改めて思うのは、科学が解明していないことはまだまだ多いということである。そして、科学は語り口ひとつで、苦にも楽にもなるということだろう。

本書を読んで初めて知ったのは、ニュートンの科学書『プリンキピア』出版と、孤島にいた飛べない鳥ドードーが人間のせいで絶滅したのが、ほぼ同時期の出来事だったという事実である。科学には未来を予測することはできない。われわれにできるのは、科学の知識を未来に役立てることだけである。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

新古代学の視点―「かたち」から考える日本の「こころ」
新古代学の視点―「かたち」から考える日本の「こころ」辰巳 和弘

小学館 2006-03
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「前方後円墳」と呼称されてきた古墳は「方」とはいうものの正方形には築かれていない。これは「壺(つぼ)形墳」と呼ぶべきで、壺棺を使ってきた古代人にとって自然な形であり、さらに壺の中にユートピアがあるという「壺中の天」の説話ともつながると、考古学者の著者は説く。坂、井戸、天に昇るかのごとき巨大神殿や、古墳絵画、はにわ、勾玉(まがたま)、矢など、遺跡・遺物の持つ意味を問い直し、古代人が「カミの世界」「他界」をいかに創出したかを読み解く刺激的な本だ。

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅
テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅野田 隆

光文社 2006-04-14
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テツと聞いて、ある世代は「じゃりン子チエ」の父親を思い出す。が、このテツは鉄ちゃん、つまり鉄道好きのこと。ならば「阿房列車」の内田百けんが元祖か。何も用がなくても「乗りテツ」、写真の「撮りテツ」に「模型テツ」、切符などの「収集テツ」。鉄道好きは1千万人いるといわれ、連休中も各地に出没した。一般向きの入門書だが、だれにもテツ分(鉄道好きの遺伝子)があると説き、その気にさせられる。鉄道本は探せば数多くあり、「読みテツ」もいるのだろう。

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

ジェーン・フォンダ わが半生〈上〉
ジェーン・フォンダ わが半生〈上〉ジェーン フォンダ Jane Fonda 石川 順子

ソニーマガジンズ 2006-03
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ジェーン・フォンダ わが半生〈下〉
ジェーン・フォンダ わが半生〈下〉ジェーン フォンダ Jane Fonda 石川 順子

ソニーマガジンズ 2006-03
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女優ジェーン・フォンダ、68歳。アカデミー主演女優賞を2回受賞。新しいエクササイズ法「ワークアウト」を開発した事業家でもあり、反戦運動や青少年運動などを行う社会活動家でもある。私生活では、3度の結婚、離婚を繰り返しふたりの子どもの母親。

公式プロフィールだけを見るとまさに「完璧(かんぺき)な女性」だ。その人の自伝と言われれば、私でなくとも「前向き思考と強烈な自己肯定」ということばを連想するのではないか。しかし、ジェーン・フォンダという人はそうではないようだ。

彼女の70年近い人生の半分近くは、繰り返される過食症の恐怖と劣等感で占められる。女優として大成功を収め40歳を迎えても、彼女はまだ周期的に過食し嘔吐(おうと)していた。家族を持ち、映画に出て、社会活動に熱中しながら過食に苦しんでいる自らの状態を著者は、詩人のことばを借りて「第三眼瞼(がんけん)というベールがおりている」と表現しながらこう分析する。「私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に『入れる』ことで自分の中の空虚を埋めようとしていたのだ」

この分析そのものは精神科医顔負けの正確さだが、問題は彼女ほどの成功者がなぜ、自分の中に埋めなければならないほどの空虚を抱えなければならなかったということだ。

もちろん母親の自殺、映画スターである父親の薄情など、空虚の原因と思われるものはいくつもある。しかし、それを補って余りあるほどのものを彼女は自分自身の才能と努力で手に入れているはずなのだ。

何でも持っている。それでもまだ「空虚」が残っている。完璧を目指すことをやめたいが、立ち止まる自分を許すことはできない。ジェーン・フォンダと同じ女性はいま大勢いる。70歳に近づいてもなお、「しっかりと自覚して生きたい」と宣言しようとする彼女のような女性を生み、そして栄光と苦悩を与え続ける社会、それがアメリカということなのだろうか。【評 香山リカ(精神科医)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測
万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測ケン オールダー Ken Alder 吉田 三知世

早川書房 2006-03
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メートルという単位が、フランス革命を契機として、地球の子午線をもとに決められたというのは常識である。本書のもっとも端的な要約は、このメートル法制定の歴史的過程をその技術的前提である子午線の測量を中心に描いた科学史ノンフィクションといったところだ。フランス革命論としても読めるし、測量(とその誤差の処理)技法の近代化をめぐる技術史としても読める。グローバリゼーションを諸物の規格の標準化の過程とすれば、本書をグローバリズムの起源を描いた作品とする解釈も可能だろう。だが、本書の面白さにはそれら以上の奥行きがある。

メートル法に限らず、度量衡の統一は、古今の政治権力にとってつねにおおきな課題であった。それは直接的には、おおむね徴税と用兵の実際的必要のためである。だが原理的には、およそ単位というものが、人間のあいだの決まりごとの領域、つまり社会のシステムに属して定義されるべき面と、そういった人間の意志や利害からは独立して存在する自然のシステムに属して定義されるべき面という、必ずしも調和しない二つの面を持っているからでもある。いわばその不調和の調停の巧拙に、権力の正統性がかかっているのである。

しかし、この潜在的な不調和を徹底して排除しようとする意志は、しばしばかえってこの不調和の矛盾を深刻化し、むしろこの不調和を根源的なところで受け入れるある種の諦念(ていねん)が、そういった矛盾に処する実際的効用を持つ。近代性とは、まさにこの二つの契機の動的な相互作用で織り成されるものだ。本書の奥行きは、このことが、子午線の測定に携わった2人の人物、すなわちメシェンとドゥランブルの対照的な歩みに投影して描かれているところにある。読者は、この2人の人生に交互に共鳴しながら、近代性が立ち上がる構造的瞬間を追体験するだろう。

テーマの深さにもかかわらず、推理小説仕立てのたくみな構成と、生き生きとした人物描写で、まったく飽きさせず最後まで読ませる。多くの読者に開かれた好著である。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

球体写真二元論―私の写真哲学
球体写真二元論―私の写真哲学細江 英公

窓社 2006-03
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カメラのシャッターを切れば写真はうつる。そのとき写真は外界の反映、つまり現実の「鏡」になっている。しかし、被写体やレンズの選択、アングルや絞りの調節によって、写真家は現実の反映を自己表現に変える。その意味で、写真は、写真家の心の「窓」でもある。この記録と表現、客観と主観の矛盾のなかに、写真芸術のダイナミズムがひそんでいる。

細江英公は写真を、客観を北極とし主観を南極とする球体だという。この球体上では、写真家が客観的記録をめざして北極に到達しても、そのまま旅を続ければ、ふたたび主観という反対の極に向かうことになる。そのような写真のありようを、著者は「球体二元論」と名づけるのである。

細江は『ガウディの宇宙』では、石の建築という死んだ物質をまるで生きている皮膚のように描きだし、物質を、死を、肉体化した。

逆に、三島由紀夫をモデルとした『薔薇刑』では、生と死を二極に置き、生きている三島の肉体を永遠化し、変化しない死に変えた。

写真とは瞬間を永遠に変えることもできれば、死の永遠を生の瞬間に変換することもできる錬金術なのだ。ここに細江芸術の秘密がある。【評 中条省平(学習院大教授)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

紛争と難民 緒方貞子の回想
紛争と難民 緒方貞子の回想緒方 貞子

集英社 2006-03
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著者は、1991年から10年間、国連難民高等弁務官として世界の難民の保護と救済に専念した。本著は、昨年刊行された英文回顧録の日本語版である。

多くの人道状況の中から、難民流出の規模の大きさや事情の複雑さなどを考慮して、イラク北部、バルカン地域、アフリカ大湖地域、アフガニスタンの四地域の問題に焦点を絞り、関連する事実の検証と分析を試みた。「難民の恐怖と苦痛を故郷に戻れるという喜びに変えたい」と強力なリーダーシップを発揮、人道援助の最前線で献身的に働いてきた姿が、歴史的事実を背景に浮き彫りになる。

よく引用される著者の「人道問題に人道的解決なし」の発言は、実はいらだちの発露であって、人道行動は政治行動にとって代わることはできないとの説明は、過酷な現場と数多く向かい合った人ならではの説得力を持つ。

無数の生命を救い、人々の苦しみを緩和した喜びをかみしめたいとしながらも、紛争を起こした根本問題を解決できず、批判されたことや悔恨の念にかられたこともあったと率直だ。

一人の日本女性の大きな貢献に勇気を与えられ、誇らしさと感謝の念がこみ上げる感動の一冊。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

窓から読みとく近代建築
窓から読みとく近代建築酒井 一光

学芸出版社 2006-04
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昨年『日本全国近代歴史遺産を歩く』(阿曽村孝雄著・講談社+α新書)という本を読んで以来、私のにわかブームは「ヘリテージング」(近代化遺産を見て歩くこと。ヘリテージは遺産の意味)である。ババアくさいといわばいえ。散歩がてらのレトロな建築見物は楽しいのだ。

『窓から読みとく近代建築』は、そんなヘリテージングの楽しみを広げる本。機能の面での窓の役目は採光や通風だ。が、デザインの面からいえば、窓は建築物の顔、目玉である。

泉布観(大阪市)や旧グラバー邸(長崎市)に特徴的な扉と同様に人が出入りできる「フランス窓」。南海ビルディング(大阪市)や明治生命館(東京都)に配された、古代ローマの大浴場に由来する「ディオクレティアヌス窓」。箱根富士屋ホテルや日光金谷ホテルの壁を彩る東洋風の「花頭窓」。窓の文化と歴史を丁寧に追い、窓の外側と内側の風景を論じながら紹介される建築は約120軒。

〈名建築といわれるものには、たいてい優れた窓があり、ごくありふれてみえる建築にもそれなりの窓がある〉。窓は建築を知るための入り口、と著者はいう。読むだけでも楽しいが、やっぱり実物も見に出かけなくっちゃ。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

黄砂―その謎を追う
黄砂―その謎を追う岩坂 泰信

紀伊國屋書店 2006-03
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十代のころ本書に出会っていたら、私は黄砂研究者を目指したかもしれない。

科学のおもしろさ、途方もなさ、苦労も喜びもひっくるめてつまっている。日本に黄砂研究の第一人者が存在すること自体にまず驚いたが、そんなすごい人がああでもないこうでもないと一般人の疑問を先取りするような筆致で黄砂研究の最先端を教えてくれる。その真摯(しんし)さに感銘を受けた。

四年ぶりに猛威を振るい死者まで出した黄砂だが、黄砂が何者で、いつどこでどのように発生し、どうやって移動し何を一緒に運ぶのか、環境にどんな影響を与えるのか、といったことを知るには格好の書だ。

著者は黄砂をいい意味での「空飛ぶ化学工場」と呼ぶ。黄砂が大気中の亜硫酸ガスと反応していることが確認され、黄砂に大気汚染物を掃除する機能があるのではないかと推測されるようになったためだ。最近では、海に降った黄砂がプランクトンの餌となり、食物連鎖の一端を担っていることまで解明されつつあるらしい。さらに著者は、黄砂に微生物が住み着いている可能性まで示唆する。いやでも興味がわくというものでしょう。

敦煌での気球観測など現場のエピソードも楽しく、夢がある。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

江戸の橋
江戸の橋鈴木 理生

三省堂 2006-04
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橋と水のテーマは、これまで好んで文学的な都市風景論として語られてきたが、この一冊は、情緒に流れず、技術面にこだわるところから新鮮な視界を開いて見せる。

橋材にどんな材木が使われ、工事現場までどうやって運ばれるか。橋柱はどう打ち込むか。建設費は誰が出資し、誰がメンテナンスをするか。江戸の橋は動力がなかった時代に巨材、巨石を使いこなした土木技術の精華だったことがわかるし、昔から手抜きや民営化や崩壊事故といった問題の構図も出ているのが興味深い。

かつて「橋」と「端」が同義語だった由来は、草創期の江戸では、たんなる語源ではなくて目前の事実だった。海岸を埋め立てて土地を造成し、堀を切り開いて分割する。川の流れを付け替える。常に新しいウオーターフロントができるから、「橋」とは対岸に向かって伸びる「端」に他ならなかった。

取り上げるのは両国橋・新大橋・永代橋など隅田川に架けた橋、日本橋界隈(かいわい)の橋、銀座近辺の橋であり、著者はつつましく「江戸・東京の橋の全部を対象にしていない」とことわっているが、これら江戸の中心地域だけでも話題性はたっぷりある。

若い読者の中には、外濠(そとぼり)通りが以前に文字通り江戸城外濠だったのを知らない人もいるのではないか。橋は消滅して、呉服橋・鍛冶(かじ)橋など地名にだけ痕跡を留めている。

とりわけこんな一情景は、現代の東京が何を失ったかを示して余りあろう。

明治大正の東京でも、日本橋の上にたたずむと、下流には「菱形(ひしがた)をなした広い水」(永井荷風)が連なり、江戸橋・思案橋、流れに交叉(こうさ)する堀割(ほりわり)の荒布(あらめ)橋・鎧(よろい)橋が一望できた。現在では日本橋川の上空が高速道路に蓋(ふた)をされ、その支柱が川の中に林立する「東京一の薄暗い水面」が排気ガスに煙っている。

江戸の橋を昔の美しい姿で再現する行間には、現代日本の橋梁(きょうりょう)行政に対する静かな批判が秘められているが、それにもまして、今も変わらず生活の一部である橋と川への深い愛情がこもる。【評 野口武彦(文芸評論家)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

思索日記〈1〉1950‐1953
思索日記〈1〉1950‐1953ハンナ アーレント ウルズラ ルッツ インゲボルク ノルトマン

法政大学出版局 2006-03
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本書は、アーレントが一九五〇年から七三年にいたるまで書いたノートを編纂(へんさん)した本の第一巻である。ここには五〇年から五三年にかけてのノートが収録されているが、それは著者が『全体主義の起原』を出版したのち、『人間の条件』を書くにいたるまでの思索の跡を示している。

多彩な内容をもったこれらのノートに一貫しているのは、いわば「全体主義の起源」を近現代においてよりも、古代においてみようとする志向だ、といってよい。全体主義は西洋の哲学・宗教に反するものではなく、むしろそこにこそ胚胎(はいたい)する。一口でいえば、それは、人間の「複数性」を認めない思考である。

たとえば、西洋の哲学は内省、つまり、自己との対話にはじまった。それは、実際に他人と話すこととは違っている。他人との対話がどこに向かうか予測不可能であるのに対して、自己との対話は確実であり、絶対的な真理に向かうことになる。この意味で、西洋の哲学的伝統は、異質な他者を排除することによって成立している。

アーレントは、こうした思考の伝統を社会認識においても見いだす。たとえば、マルクスは古典派経済学にもとづいて、「労働」を根底におき、生産物の価値が交換過程において見いだされる次元を軽視した。それは、交換という「活動」の次元、つまり、予測不可能な他者との関係の次元を見ないことである。こうして、「労働」を根底におくことが、複数性(他者性)を否定する「全体主義」に帰結したのである。

このような伝統の中で例外的であったのは、複数の相異なる人間の間で、趣味判断の普遍性がいかに成り立つかを考えたカントである。ここから、カントの『判断力批判』を政治哲学として読む、アーレント独自の考えが出てきたのである。のみならず、そこに、彼女は、複数性を前提するような社会主義への鍵を見ようとした。総じて、本書には、のちに本としてまとめられたときには消えてしまう、豊かで多様な思考がとどめられている。【評 柄谷行人(評論家)】

■2006/05/14, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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