メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年4月30日~5月7日

論よりダンゴ
論よりダンゴ山藤 章二

岩波書店 2006-03
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セールス電話を断る返事の決定版。小泉首相自らが頼みに来たブッシュ大統領の似顔絵。イッセー尾形、談志、志ん朝の芸の核心……。粋で軽妙、機知に富み、皮肉を忘れぬ“戯(ざ)れ絵師”が、この25年に書いたエッセー61編を選び、題名のいろは順に並べた。書名は、論でなく身近なものへの感想だから。映画やテレビ、食べ物に街、顔と言葉などに関する独自の“アングル”が続々。妻をはじめとする家族の話は、てらいもなくまっすぐ書かれていて印象的だ。あとを引くダンゴ61個。

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

建築のハノイ―ベトナムに誕生したパリ
建築のハノイ―ベトナムに誕生したパリ増田 彰久 大田 省一

白揚社 2006-04
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副題が「ベトナムに誕生したパリ」。アジアに残る西洋建築の多くは、植民地経営の名残だが、異文化の融合という面では興味深いモニュメントである。西洋そのままの建築では気候、風土に合わない。「インドシナ様式」が生み出されたベトナムでは、モダニズムも多様な展開を示し、ハノイは「建築の宝箱」のようだという。

最近はベトナムの雑貨や料理が若い女性に人気で、旅行客も多い。おしゃれな建築めぐりの予習に、いいかもしれない。

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

フラッシュ
フラッシュカール ハイアセン Carl Hiaasen 千葉 茂樹

理論社 2006-04
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ここ半年、海外ミステリーに収穫があった。先日紹介したローリー・リン・ドラモンドの大傑作『あなたに不利な証拠として』以外にも、ジェフリー・ディーヴァーの『クリスマス・プレゼント』(文春文庫)とカール・ハイアセンの『幸運は誰に?』(扶桑社ミステリー)がある。ディーヴァーはどんでん返しの名手で、ハイアセンは群像ミステリーのパイオニア。二作とも超絶技巧が発揮された傑作であり、同じく技巧派の東野圭吾の『容疑者Xの献身』が五十万部売れているなら、二百万部売れてもおかしくない。

さて、本書は、そのハイアセンが、YA(ヤングアダルト)用に書き下ろしたもの。得意の群像劇を封印し、少年の一視点で統一しているが、語りは溌剌(はつらつ)としていて実に愉快だ。

物語は、少年ノアが警察署に留置されている父親ペインに面会する場面から始まる。父親は汚水を垂れ流すカジノ船を沈めてしまったのだ。船の持ち主は狡猾(こうかつ)で証拠を掴(つか)まれないようにしていた。そこでノアは父親の指示に従い、証拠を掴もうと奔走する。

ハイアセンの小説のテーマのひとつが自然保護だが、それは本書でも変わらない。海亀が産卵におとずれる海を守るべきだという信念から、父親はあえて罪をおかした。その父の思いをかなえるために何をなすべきなのか?

というと真面目(まじめ)に響くが、ハイアセンのことだから、憎らしい敵を配し、心優しくも力強い仲間を与え、危機の連続を作り(カジノ船内での波乱にみちた冒険を見よ)、そして意外なゲストを登場させて心おどらせてくれる。

もちろんYAなので、『幸運は誰に?』のように奇矯な人物が賑々(にぎにぎ)しく出てきて、複雑に絡み合って暴走するようなクレージーな物語のドライヴ感はない。しかしほかの小説にもまして、家族愛を温かなユーモアと真摯(しんし)な議論で描き、ラストにはなんともいえない幸福感が満ちている。

自然保護の大切さと家族の絆(きずな)の強さ。あまりに真っ当なテーマだが、ハイアセンは、少しも啓蒙(けいもう)色を出さず、やや破天荒な物語でしかと感得させる。やはり大した作家だ。【評者 池上冬樹(文芸評論家)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

フランソワ・トリュフォー
フランソワ・トリュフォーアントワーヌ・ド・ベック セルジュ・トゥビアナ

原書房 2006-03-16
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トリュフォーは「愛とやさしさ」の映画作家だといわれる。じっさい、彼は、女と子供のほかに主題はないと断言した芸術家である。

だが、トリュフォーは「孤独と暗さ」の映画作家でもあった。母親から愛されないことにどれほど苦しんだかは、『大人は判(わか)ってくれない』を見ればよく判る。生者との付きあいより死者の思い出に親しみを感じる資質は『緑色の部屋』で全開になっている。

マドレーヌ元夫人から話を聞いた時、トリュフォーは常々「長生きできない」と口走り、ひどい抑鬱(よくうつ)症状にも悩まされたと彼女は語った。

本書には、トリュフォーの数々の愛ややさしさの挿話とともに、その孤独と暗さが克明に記録されている。彼は「少年時代に受けた目に見えない傷と暴力の一部を、心の奥に秘め、ずっと抱えていた」。それは彼の「知られている側面ほどは人々の尊敬に値しない」が、「知られざる側面のほうがずっと面白いのだ」。

少年時代からの娼婦(しょうふ)との交渉がたたって鑑別所で受けた梅毒治療のための連続38回の尻への注射から、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ等々、自分の映画に主演したほとんどすべての女優との恋愛関係まで、これほど詳しい伝記はめったにない。

トリュフォーは52歳で亡くなる直前まで三度も自伝の執筆を企て、そのため、恋人の手紙から請求書や薬の処方箋(せん)にいたるまで何でも保存し分類し、それを部門別ファイルに収めて、自分の映画会社のオフィスに保管していた。

だが、この極端な自己収集癖はナルシシズムからは遠く、子供時代の愛の欠如のせいで、常に足元から分解してしまいそうな自分という存在を、なんとか外側からの証拠でまとめ、つなぎとめようとした必死の作業に見える。本書の詳細な記述は、トリュフォーが生涯かけて集めた一次資料によって可能になった。

そうして結晶した人間像は弱さや苦しみを抱えこみながらも、映画への愛と仕事の力で一歩でもいいからいつも前へ進もうとする驚くほど実直な実践的精神である。そこに心からの感動を禁じえない。【評者 中条省平(学習院大学教授)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 10ページ

ジーコスタイル―進化する日本代表
ジーコスタイル―進化する日本代表中小路 徹

朝日新聞社 2006-04
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“日本代表番記者”という立場を生かした最近3年分の報告と解説が本書の特長。ジーコ・ジャパン理解の副読本として読み進むうちに、悲観論者ですら、もしやドイツでやってくれるのではという気分になってくる。

「日本にとって最善の決断が取れるよう、神の導きがあることを祈っている」(05年8月15日のジーコ監督インタビュー「アジア最終予選を振り返って」より)

「(5月15日に、W杯のメンバー)23人を招集する時、間違ってしまうおそれがあるとわかっているし、皆を満足させることはできないのもわかっている。でも、間違わないよう努力している。何より不公正な判断をしてしまわないよう、神様に祈っている」(06年2月8日のインタビュー「いざ本番へむけて」より)

発言部分は鹿島の地に、銅像まで立っている現日本代表監督の言ってみれば“人間宣言”。68年生まれの著者によると、ジーコは非公開練習のないオープン主義の監督ということになる。

ただ、肯定的に捉(とら)えられた「ジーコ・スタイル」による果実の収穫は6月12日のW杯初戦、対オーストラリア以降。同じ著者による続編の執筆が待たれる。【評者 佐山一郎(作家)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

共和国アメリカの誕生―ワシントンと建国の理念
共和国アメリカの誕生―ワシントンと建国の理念本間 長世

NTT出版 2006-02
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いまのアメリカ合衆国が国連すらものともせず暴走し続ける姿勢は、しばしば単独主義(ユニラテラリズム)の名で批判される。それが、もともとアメリカ建国理念の内部に埋め込まれていたという通説は、さてほんとうだろうか。

本邦アメリカ研究の重鎮が放つ本書は、副題どおりワシントン初代大統領を中心に、現代アメリカ最大の問題をわかりやすく解き明かす一冊。必ずしも伝記という形式を採らず、セイラムの魔女狩りから9・11同時多発テロにおよぶパースペクティヴにおいて、ワシントン以後のさまざまな大統領たち、政治家たちの苦闘が縦横に検証される。

ワシントンはたしかに防衛的単独主義を構想し、モンロー宣言を経て単独主義は墨守されたが、にもかかわらず、それと昨今の超大国アメリカの単独主義とは区別すべきである、というのが著者の立場だ。ジェファソンやハミルトンの政治理念を融合したセオドア・ローズヴェルトが掲げた「ニュー・ナショナリズム」の再検討から、今日、すでに特定の民族集団を名乗らないアメリカ人たちが織りなす「ポストエスニック・アメリカ」の展望まで、多彩なアメリカ像にふれることができるのもうれしい。【評者 巽孝之(慶応大学教授)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

アドルフ・ヒトラーの一族―独裁者の隠された血筋
アドルフ・ヒトラーの一族―独裁者の隠された血筋ヴォルフガング シュトラール Wolfgang Zdral 畔上 司

草思社 2006-03
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二十世紀の暗部を演出したヒトラーとスターリン。この二人に関する関心はいまも尽きることがない。

ヒトラーに関するおもしろい一冊がまた出た。本人のことでなく、家系や親類縁者の詳細な調査である。その発端は、婚外子として生まれ、また三度結婚し、多くの子どもをもうけた父親にある。つまりヒトラーには異母兄弟のほかに、甥(おい)や姪(めい)がたくさんいた。

自殺によって、若い命を絶ってしまった姪のゲリ。ヒトラーが唯一夢中になった女性ともいわれる。

ゲリの母でもあり、ヒトラーにも強くものが言え、結果として遠ざけられた異母姉のアンゲラ。レストランを開き、血縁を売り物にした異母兄アロイス。重婚の罪で告発された人物でもあった。彼が英国に残してきた息子ウィリアムは、これまた数奇な運命をたどる。叔父さんがあのヒトラーと知った彼の驚愕(きょうがく)と行動。しかし、英国に戻り、今度は渡米し、反ナチス講演で金を稼ぐ。しかも海軍に入隊、戦闘に参加する。もうひとり、生涯独身を通した妹パウラも忘れてはならない。

一族にヒトラーのような人物が生まれたとき、人々はどんな行動に走るのか。歴史に翻弄(ほんろう)された「ふつうの人」の悲喜劇がここにある。【評者 小高賢(歌人)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

陰謀国家アメリカの石油戦争―イラン戦争は勃発するか!?
陰謀国家アメリカの石油戦争―イラン戦争は勃発するか!?スティーブン ペレティエ Stephen Pelleti`ere 荒井 雅子

ビジネス社 2006-03
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無知、無責任、非人道的、でたらめ、ナンセンス、おとり商法……と、アメリカの中東政策をクソミソにこき下ろした本書が面白いのは、反戦家や人権活動家の筆によるのではなくて、米中央情報局(CIA)上級分析官を務め陸軍大学でも教鞭(きょうべん)を執った、中東専門家が書いた点だ。

石油のため、軍産複合体のため、自己欺瞞(ぎまん)に満ちた戦争をアメリカが中東に仕掛けたとの視点は、アメリカに振り回されたイラクのクルドを分析した四半世紀前の著作『クルド民族』から一貫している。イラン・イラク戦争以降つぶさに現地を見てきた著者ならではの情報は、重みがある。

宗教勢力が中東の混乱の原因ではないし、サダム・フセインはイラクの高度成長を実現したし、イランの民族自決は理のあることだった。近年全く逆に喧伝(けんでん)されるこれらの事象は、70年代以降の中東を知っていれば当たり前の事実だ。自らの知識の蓄積を無視され失策が続くことに、ベテラン情報官たる著者は、憤懣(ふんまん)やる方ない。

特にアメリカが、何でもイランのせいにすることの間違いを、繰り返し非難する。イランが脅威だと主張する今のブッシュ政権への、強烈なダメ出しだ。【評者 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

日本人の遺訓
日本人の遺訓桶谷 秀昭

文藝春秋 2006-03-20
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人のまさに死なんとする、その言や善し(論語)。この一冊は、三十四人の日本人が後世に言い残した「最後の言葉の語録」である。

遺訓は遺書ではない。形式の制約はなく、特定の個人に宛(あ)てられる文書でもない。多くは生涯ついに飼い慣らせなかったエゴの発話でありながら、なぜだか不思議な無私性がにじみ出る。

時代的には、『古事記』のヤマトタケルの「倭(やまと)は 国の真秀(まほ)ろば」に始まって三島由紀夫の檄文(げきぶん)に終わり、人選としては、特攻隊中尉の遺書から変人永井荷風の日記に及ぶまでの幅がある。顔ぶれはすべて著者の好みで選(よ)り抜かれ、和泉式部に親鸞が続き、武田信玄と芭蕉が隣り合わせ、乃木大将と夏目漱石が連接するなど、各人の魂の孤独な旋律が雅楽のように多声法的に響き交わし、天来の楽曲を奏でる趣だ。

二千年の歴史からわずか三十四顆(か)の珠玉を拾い出すのは容易な業ではない。著者は二百六十枚を書き下ろすために五年の歳月を要したという。文章の結晶度の高さに努力のありかが見える。各章は古典的な歌物語の様式をそなえている。先人の言葉はウタであり、著者の解説はそのちょうど詞書(ことばがき)に当たる。めいめいの叙情的な頂点に向かってまっすぐ登りつめてゆく個々人の生命の時間を緻密(ちみつ)に語りこめるのである。

本書で紹介される遺訓は決して悟り澄ました名言ではなく、むしろ執着や迷妄や動揺の跡をとどめているからこそ非凡だったといえる。たしかに「少数の天才の最後の言葉は、多数の声なき生活人の最後の言葉と連続してゐる」のだ。著者は西郷隆盛の遺戒の教訓性にではなく、この人物の「巨大な感情量」に感動する。太宰治を論じては、その死後、「日本の現代文学から、含羞(がんしゅう)が急速に失はれていつた」としめくくる。

日常の言葉が万事につけて軽くなってきた昨今、人々が求めているのは力強く心を打つ言葉である。著者の浪漫人の風骨は、「品格」といわずに品格への渇きを満たしてくれる文章が存在することをおのずと示している。【評者 野口武彦(文芸評論家)】

■2006/05/07, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

現代イスラーム世界論
現代イスラーム世界論小杉 泰

名古屋大学出版会 2006-04
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中東の歴史を学んでいて残念に思うのは、19世紀から20世紀前半の中東・イスラーム地域には、驚くほど魅力的な歴史的ヒーローが数多く登場するのに、彼らをビビッドに描いた邦語の書がないことだ。西欧の中東進出という脅威に対して改革と祖国防衛を高らかに謳(うた)い、イランからエジプト、トルコを駆け巡ったアフガーニーは、そうした傑物の代表例である。日本で言えば坂本竜馬、現代史ではチェ・ゲバラに匹敵するこの革命児の辿(たど)った軌跡を追うだけでも、中東近代史版「峠の群像」の息吹が感じられる。

彼だけではない。後に続くアブドゥやリダーなど当時のイスラーム近代知識人は、言論界に幅広く影響を与えたが、彼らがエジプトで発行した雑誌はインドネシアでも読まれていた。イスラーム近代史の面白さは、「黒船到来」の何倍もの震度を持つ動乱のなかで、人と思想が縦横無尽に広がり、思わぬところで思わぬ結節点を生むところにある。

本書は、数少ない邦語での本格的なイスラーム現代政治の研究書のひとつだが、多くの章で記述されるのは、そうした近代イスラームの多様性と広がり、思想的社会的営為の豊かさだ。なによりも、イスラームを本質主義的、静態的なものとみなし、伝統墨守的な人々の集団と考える発想が批判される。

研究書としての本書の目的は、実に明確である。「現代の政治研究は、国民国家と世俗主義を学問的な前提としている」がゆえに、「宗教政治を分析するようにはできていない」。イスラームを(政教一致ではなく)「政教一元」でかつ「教経統合」(経済はイスラームが人々の生活を律する最も直接的な分野である)と論ずる著者は、既存の政治学を超えて、「イスラーム政治」を理解するための新たな政治理論を構築する必要がある、と主張する。21章の「イスラーム政党」論などは、そうした試みの一環である。

そのために、国民国家の枠組みや地理的近接性だけでまとめられた「地域」とは異なる、「メタ地域」を分析対象とすべきだ、と著者は言う。一定の政治環境のなかで何らかの連鎖性を持ち、地理的領域を超えて成立するネットワークの「メタ地域」(「第三世界」や「途上国」もそうだ)として、イスラーム世界を捉(とら)える。イスラーム世界は、「真のイスラーム」が単独でどこかに存在する固定的な領域ではなく、それぞれの現場で「誰もが自分の思想を『イスラーム』そのものの理解として語る」空間だからだ。

歴史や理論だけでなく、現代の中東地域のアクチュアルな政治現象にも、本書はさまざまな視角を提示する。現在頻繁に問題視される「宗派対立」について、伝統的な宗教社会共同体が現代の国家システムのなかで新たに「利権集団」化したこと、その共同体が持つ世界観に密接な関係を持つイデオロギー集団が、同じ共同体構成員のなかから支持者を動員していることを指摘するが、これはまさに今のイラクで進行中の出来事を言い当てている。「対立」は、心や信仰ではなく、政治や経済にある。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 17ページ

魔女の薬草箱
魔女の薬草箱西村 佑子

山と溪谷社 2006-04
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人間は観察と経験によって得た薬草の知識を暮らしに生かし、後世に伝えた。中世ヨーロッパで「賢い女」と呼ばれた人々もその流れをくむ。ところが、その営みがキリスト教に反するものだと「魔女」狩りの対象にもなった。本書は、ドイツの魔女を調べてきた著者が、空飛ぶ軟膏(なんこう)や媚薬(びやく)、堕胎や受胎の薬、あるいは魔よけなどに使われた薬草を語る。今日では「薬草魔女」と名乗る女性たちもいて、「賢い女」たちの自然観・知恵が見直されていることも紹介している。

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 18ページ

人形愛の精神分析
人形愛の精神分析藤田 博史

青土社 2006-03
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愛らしいフランス人形や、荒廃した雰囲気を持つ球体関節人形。人形は、安全と危険、生と死の境界に位置して、いつの時代でも魅惑的な存在であり続けてきた。本書は、01~02年に行われた20回に及ぶ人形愛に関するセミナーの報告書。著者は、ジャック・ラカンの精神分析を基軸に、人が人形に抱く愛情の実像を解き明かそうとする。人体各部位の精神分析上の意味を人形にあてはめて、人形愛に潜む「眼差(まなざ)し」「声」「乳房」などへの欲望の姿をあぶり出す。

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 18ページ

裏社会の日本史
裏社会の日本史フィリップ ポンス Philippe Pons 安永 愛

筑摩書房 2006-03
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もちろん書き手によるけれど、海外の読者に向けて日本を紹介した本は国内の読者にも有効な場合が少なくない。あうんの呼吸でわかったような気になっている(でも本当はまるでわかっていない)事象が一から解きほぐされることで、霧が晴れるような気分がまま味わえるのだ。

本書でいう裏社会とは、排除されることで漂泊の民となり、社会の周縁に押しやられた人々のこと。第一部で語られるのは中世の賎民(せんみん)に起源を持つ被差別民、明治以降の下層労働者、横山源之助が『日本之下層社会』で描いたような貧困層、そして著者が「どんづまりの街」と呼ぶ現代の山谷や釜ケ崎の住民までを含む「日陰の人々」である。

一方、第二部の主役は「やくざ」である。これには博徒とテキヤの二系列があると著者はいう。江戸の侠客(きょうかく)。明治の義賊。極右思想と結びつき軍との協力関係さえ築いた戦前の「愛国的やくざ」。そして、戦後の政界や財界との結びつきを強めた「黒幕」や三大暴力団の「親分」。

貧窮者とやくざが一冊の中に同居する。そこがこの本のキモというべきだろう。〈社会は「良き」貧者と「悪(あ)しき」貧者、また「おとなしい」放浪者と「手ごわい」放浪者との区別には無関心だった〉と著者は書く。

〈表面上は国家への異議を唱えているようでいて、結局は並列的かつ補完的な国家のコマ割だった〉と断罪されるやくざと、〈最後の偉大な拒絶のヒーロー〉かもしれない物言わぬ貧窮の民。

最終的に下される判断は逆だけれども、そこには確かに連続性が認められるのだ。17世紀から20世紀末までを俯瞰(ふかん)した論証は緻密(ちみつ)で、「へぇへぇへぇ」の連続。

著者のフィリップ・ポンス氏は、04年4月のイラク邦人人質事件の際、人質になった3人の若者を力強く弁護する論評を「ルモンド」紙に載せ日本の世論に鋭い一撃を加えた、あの東京支局長である。とかく「同質性」が強調される日本社会の多様性を浮き彫りにし、〈日本列島は不服従の者たちの住処(すみか)でもある〉ことを示した快著である。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 18ページ

デス博士の島その他の物語
デス博士の島その他の物語ジーン ウルフ Gene Wolfe 浅倉 久志

国書刊行会 2006-02
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動物を人間に生体改造し近代文明を教え込む――H・G・ウェルズの名作『モロー博士の島』(一八九六年)の恐るべき設定は、一見したところ植民地主義的なアイデアの深層に、いまもなお多くの可能性を孕(はら)んでいる。ここに届けられたアメリカSFの重鎮によるオマージュ、すなわち一九七〇年代に書き継がれた「デス博士の島」「アイランド博士の死」「死の島の博士」の三部作プラス一編から成る連作は、ウェルズ以後の異常な「博士」像や、冒険心を誘う「島」という設定、それに生と「死」を経た永遠の生命の問題が、いったいなぜ現代の文学的想像力をかきたててやまないのかを、徹底的に思索してみせる。

表題作は何度読み返してもすばらしい。あらすじだけとれば、美女と怪物、多くの危機を乗り切る船長とマッドサイエンティストに彩られた俗悪(キャンプ)なるパルプフィクションに夢中の少年タッキーが、いつしか自分自身と物語との境界線を乗り越えてしまうという、典型的なファンタジーあるいはメタフィクションに映るだろうか。だが、虚実をまたぐデス博士が少年に「きみだって同じなんだよ」と囁(ささや)く瞬間、読者もまた神ならぬ何らかのマッドサイエンティストに作られた怪物かもしれないことを予感させる。

三部作最終作では、マイクロコンピュータを駆使した発声書籍という発明により多くの読み書きに不自由な人々が救われた未来において、ひとつの文学作品のキャラクターが他作品に流出し感染するという「本の性病」が描かれており、表題作での予感は実感に変わった。ハイテクによって読書という文化自体の意義が変わり果ててしまったこの未来像には、現代社会そのものへの最もアイロニカルな洞察がある。

また、併録された「アメリカの七夜」(一九七八年)は、『アラビアン・ナイト』にもとづきながら、遺伝子異常が蔓延(まんえん)し怪物化した人間たちが徘徊(はいかい)するアメリカの廃墟(はいきょ)をイスラム系訪問者の視点より活写しており、まさに二一世紀の預言書と呼んでも過言ではない。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 18ページ

それにつけても今朝の骨肉
それにつけても今朝の骨肉工藤 美代子

筑摩書房 2006-02
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ベースボール・マガジン社の社長をつとめる男と、彼の別れた妻、妻が引き取った三人の子ども(障害を持つ兄、聡明(そうめい)な姉、勉強嫌いな妹)。女優でもある男の愛人。男の、現在の妻とその子どもたち。気の強い彼の母親。登場人物をこうして書き出しただけでも、人間関係がどのくらい複雑であるか推測できよう。語り手は勉強嫌いな妹、ミヨコであり、これは著者の自伝的小説である。

なんだかはちゃめちゃである。ミヨコの父と母は離婚したはずであるのに、縁が切れない。娘はしょっちゅう父の会社にいき、父はしょっちゅう彼らの家にやってくる。父の新しい家庭にも、娘二人は招かれて滞在する。母は父の悪口を言いながら、けれどすっぱりと関(かか)わりを断つことをしない。文字通り、死ぬまで。

出版社を興し、東欧文学に興味を持つようになる父の有り様は、終戦から高度成長期を突き進む時代背景と重なり合う。泥臭くて野心的、そして、人間らしい体温がある。

家、というものを思う。そこに定義はない。ここに書かれているのは、時代とともに走った男が、不器用ながら懸命に作り上げた、愛も憎も覆うほど大きなひとつの家のかたちである。【評・角田光代(作家)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ
ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ上田 一生

岩波書店 2006-02
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ペンギンは大の人気者である。直立二足歩行をする姿が、愛着を感じさせるからかもしれない。それと関連して、ぼくにもペンギンにまつわる思い出がある。

オーストラリアの南岸沖に浮かぶタスマニア島を旅していたとき、思いがけず、ペンギンという町に行き合わせた。そこの海岸には、コガタペンギンが生息している。沖合に出ていたペンギンたちは、ねぐらに帰るために、日没と共に上陸する。夕闇に紛れて波打ち際に泳ぎ寄り、「よいしょっ」とばかりに立ち上がるその姿は、まさに人間を連想させるものだった。

そんなわけで、キャラクターグッズは数知れず、北の動物園のペンギンパレードに人々は行列をつくる。

しかし、ペンギンにとって人間との出合いは受難の始まりだった。北半球のペンギンともいうべきオオウミガラスは乱獲の末に絶滅した。南半球の本物のペンギンたちも、船乗りの食糧や油採取を目的に大量殺戮(さつりく)の憂き目にあった。それがいつの間にアイドル視されるようになったのか。

本書は、キャリア三〇年の自他共に認める「ペンギン好き」が蘊蓄(うんちく)を傾けた貴重なペンギン文化史である。これを読めばあなたもペンギン通。【評・渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

スローフードな日本!
スローフードな日本!島村 菜津

新潮社 2006-02-23
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イタリアで始まった「スローフード」運動の紹介者が、日本に舞台を移し、この国の食の在り方を根本から問い直す力作だ。

豊かになった日本は、イタリアと並ぶグルメ大国に見える。だが実は、この40年、急激な社会の変化で、日本の食を支える構造は空洞化し、危うい状況にある。食料自給率は先進国では最低クラス。農薬、食品添加物を多用し、遺伝子組み換え食品に頼るから、安全性もあやしい。大規模な生産と流通を優遇する国の政策で、農家や個人店舗は苦しく、農村風景も商店街も荒廃する。

食を問いつつ、生活意識ばかりか現代日本の環境問題、さらにムラおこしの経済問題に鋭く切り込むジャーナリスト感覚は見事だ。

嬉(うれ)しいのは、こうした厳しい現状に抗して、徹頭徹尾おいしいものを作るべく、土地に根差して頑張る人達(たち)が各地にいることだ。著者は北海道の農場から沖縄・宮古島の農家民宿まで、本物の食にこだわる小さな生産者達の活動を紹介し、エールを送る。公害を克服し、環境から地域再生を進める水俣の食のリポートも感動的だ。

食を通じた文明批評でもある本書は、人と人、人と自然の関係を取り戻し、日本の社会が真の元気を回復する道を示してくれる。

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

イリアス―トロイアで戦った英雄たちの物語
イリアス―トロイアで戦った英雄たちの物語アレッサンドロ バリッコ Alessandro Baricco 草皆 伸子

白水社 2006-01
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ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』はあまりにも有名だ。でも、いざ通読しようとすると、しばしば挫折してしまう。ひとつには、「語り」が近代と大きく違っていることがあるだろう。

『海の上のピアニスト』の原作者、バリッコは、この長大な叙事詩を語り手ごとに分けた。人間の物語として、神々の登場する場面を取り除いた。するとどうだろう。すっきりとした骨格が現れたのである。古代から伝承されてきた「声」の文学が、現代の演劇的な場に、朗読として甦(よみがえ)る。

本書の特徴は、語りなおされた叙事詩の読みやすさではない。バリッコが記す巻末のエッセイは、『イリアス』の魅力と、現在、古典を読むなかで何を考えるのかを、深く示してくれる。そしてこう記すのだ――「今日、真の平和主義がしなければならないことは、戦争が諸悪の根源であると極論することではない。わたしたちがほかの種類の美学を創出できないかぎり、戦争の与えてくれる昂揚(こうよう)感がなければわたしたちは生きていけないのだということを理解する必要がある」。

『イリアス』への入門書としてだけでなく、戦争なるものを考える一助として、本書の読み方はある。【評・小沼純一(文芸批評家)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

世のなか安穏なれ
世のなか安穏なれ高 史明

平凡社 2006-03-18
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高史明は死ぬことをずっと考えてきた人である。極貧の在日朝鮮人の家に生まれ、三歳で母と死別し、父親が首をくくろうとするのを泣き叫びながら制止しようとした人である。

学歴も何もないまま、当時の過酷な朝鮮人差別の世に投げ出され、作家として自立しかけたとき、深く深く愛していた一人っ子のご子息が自死を遂げてしまう。これで誰が生きつづけられようか。

親鸞の『歎異抄』と出会って、著者はかろうじて生への道を歩み出した。爾来(じらい)、三十余年に及ぶ思索と求道の結果が、この講演録である。

会話体とはいえ、わかりやすい本ではない。いや、われわれの「わかる」という骨がらみの合理主義をいったん捨て去らなければ、本書を「わかる」ことはできないのかもしれない。ところが、読みはじめるや、活字が目に食い込んで離れなくなる。

とりわけ、作家・野間宏の文学と親鸞とのかかわりを論じた章に、異様な迫力がある。現代人の生き難さを見抜き、『歎異抄』を読み込んでいた野間でさえ、私たちと、親鸞の説いた念仏とを結びつける「つなぎ目」を見いだせなかったのではないかと、著者は問う。そのつなぎ目を求める私の前に、だが、著者は『歎異抄』などの仏典の言葉を原文のまま示して、「わかる」ところまでは導かない。

現代人の「超えがたい奈落」ゆえなのか。そこが「信心」と言われればそれまでなのだが、著者もまたつなぎ目を万人に「わかる」ように伝える方途を、いまだ持ちえていないのではないか。

亡きご子息は芥川の『蜘蛛(くも)の糸』を読み、感想文を書き残していた。しかし、芥川の描くお釈迦さまの姿はおかしいと、著者は言外に述べている。お釈迦さまなら、再び地獄の血の池に落ちたかん陀多(かんだた)を、極楽の上から哀れむのではなく、自ら地獄に降りて共に苦しまれるはずだというのである。私を含む“かん陀多”たちが、いくら「信じない」「信じられない」と言おうが、お釈迦さまはなおどこまでも寄り添ってくださると著者は説きつづけてやまない。【評・野村進(ジャーナリスト)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー
14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー窪田 順生

小学館 2006-04-01
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最近、事件取材がむずかしくなったと聞く。現場で聞き込みをしていても、個人情報保護を理由に協力を拒まれることが増えたというのだ。その一方で、ネット上に当事者の写真や日記がさらされる。

なんか変だ。それでも現場を歩けば何かがつかめると信じたい。桶川ストーカー殺人事件のように、一人の記者の執念が事件解明の突破口を開くこともあるのだから。

本書を手にしたのも、当時28歳の男が9歳の少女を9年2カ月にわたり監禁した部屋に、初めて足を踏み入れた貴重な報告であるためだ。同じ家に住む男の母親がなぜ少女の存在に気づかなかったのかという点にも、一定の事実を読者に提示している。

暴力に耐え、息子のため競馬雑誌を買う「従順な下僕」のような母親の姿がある。歳の離れた亡き父親もまた、軌道をずれていく息子を叱(しか)ることのできない人だった。当初報道されたような、少女わいせつの前科をもつ「引きこもり」男の異常犯罪というイメージからこぼれ落ちた、男とその家族の姿が見えてくる。

そして読者はついに、20年以上、母親が上ることはおろか見上げることも許されなかった14段の階段を上り、「王国」の全貌(ぜんぼう)を知る。そこで発見した男の「宝物」と父親の遺品から父子関係と事件との因果を探る仮説はやや強引だが、案外核心を突いている点もあるかもしれない。

しかし、事件の闇は依然深い。少女が発見された日、保健師に促されて2階に上った母親に少女はこう話しかけたという。「お母さんですか?毎日ご飯を作っていただいて、どうもありがとう」

本書はまだ、この言葉の本意には到(いた)り着いていない。

著者は三たびの現場に立つだろうか。一度目は写真週刊誌記者、二度目はフリーライターとして現場に立った著者は、取材者としての逡巡(しゅんじゅん)を時折吐露している。母親に説教するように質問を重ねる不遜(ふそん)さに気づき、言葉を呑(の)み込む場面もある。本筋とは無関係だが、人の人生を奪うという不条理に心底憤り、迷い、行動できるのは、今の時代、もはや希有(けう)な才能と思える。【評・最相葉月(ノンフィクションライター)】

■2006/04/30, 朝日新聞 朝刊, 19ページ

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