メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年3月19日~3月26日

名もなき孤児たちの墓
名もなき孤児たちの墓中原 昌也

新潮社 2006-02-23
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中原昌也は嫌われる。あるいは、「まったく妙なことを言うやつだ」と訝(いぶか)しげに思われる。

なぜなら、「ぼくの書いた小説なんか読まないでください。世の中には、もっと楽しい小説があります」というような、小説家としてあるまじき発言をするからだ。

十六の短篇(たんぺん)を発表順に集めた、最後の一つを除くと、ただでさえ短い小説が、後半になるほど(たぶん書くのが苦しくなってきたせいで)さらに短くなっていく、この本を読んでいると、ほんとうになにもかもイヤになってくる。

この、ほとんど筋らしい筋のない小説集の中に、もしなにか意味を見つけようとしたら、それは一つしかない。

「イヤだ!」ということだ。作者が「イヤだ!」と渾身(こんしん)の力をこめて叫んでいることだけは、わかるのである。

なにが「イヤ」なのか。いちばんイヤなのは、小説を書くことだ。それは、「これは価値があるものですよ、とか何とか言って、本当は何の意味もない物を売りつけている」からだ。「自分の書いていることが大変切実なことであるかのように振る舞わなければならない」からだ。つまり、中原昌也は「小説を書くのがイヤ」なのではなく「ウソばかりの小説を書くのがイヤ」なのだ。そして、中原昌也が嘆く通り、小説の周りは、ウソだらけなのである。

たとえば、作家の多くは、読者のことなんか、ぜんぜん考えない。

たとえば、作家の多くは、もう新しいものなど何一つ産み出せなくなっているのに、知らぬふりをして、平気で書き続けている。

たとえば……いや、そんなリストアップを続けても、キリはない。その事実を知っていても、誰もなにも言わない。正直に書いて波風を立てたくない。「ほんとう」のことは厄介なのだ。恥ずかしいけれど、ぼくだって、そんな仲間の一人なのだ。

小説が、もしそのようなものであるなら、なぜ中原昌也が苦しむ必要があるのか。さっさとおさらばすればいいだけの話ではないか。

中原昌也が苦しんでいるのは、彼が世界一のアホだからだ。現実の小説が、どれほど悲惨な状態にあったとしても、もしかしたら小説にはまだ「ほんとう」が可能かもしれない、などと思っているからだ。

だが、彼の苦しみは、単なる一小説家の苦しみにすぎないのだろうか。文学(小説)が世界のミニチュアであるなら、我々はすべて、彼と同じように、「ウソ」で固めた世界に苦しんではいないだろうか。

人から「ほんとうのことがどこかにある」という思いが消えない限り、中原昌也のような作家が現れ、ほんとうのことを書いては、嫌われる。だが、そのような作家がまだ存在すること以外に、小説(文学)に希望はないのである。

四年間、お世話になりました。書評委員としての仕事は今回で最後です。さよなら。[評者]高橋源一郎(作家・明治学院大学教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 25ページ

ゴッホの靴
ゴッホの靴坂本 美智子

新風舎 2006-02
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救急車で担ぎ込まれた男は、登山中に仲間が遭難死して以来、仕事も家族も捨てたホームレス。いつも底が分厚い登山靴をはいていた彼を、看護助手の目で語る表題作ほか計6編の小説集。著者は32年生まれの介護支援専門員。召集令状書きで精神を病んだ女性、差し押さえ役に悩み自殺した市職員の残された家族、身辺を整理して転がり込んできた俳句仲間など、さまざまな人生と死を、「私」を含めた周囲の人間模様と絡め、味わい深く描いている。

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

雑草魂―石川光久 アニメビジネスを変えた男
雑草魂―石川光久 アニメビジネスを変えた男梶山 寿子

日経BP社 2006-02
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「アニメビジネスを変えた男」と言われるプロダクションアイ・ジーの石川光久社長。その型破りで雑草のように強い経営の秘密を、ノンフィクションライターが解き明かす。農協のタオルで作った下着をはいていた貧しい少年が、アニメ会社を起こし、映画「キル・ビル」でタランティーノ監督と組み、押井守監督の「イノセンス」を製作した。石川氏が提案した本書の題名が「農協パンツ」だったというのも印象的だ。

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

という、はなし
という、はなし吉田 篤弘

筑摩書房 2006-03
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初めに、イラストありき。画家のフジモトさんがまず、編集者が提示したお題の「読書の情景」に喚起されたイメージを形にする。主人公は全部動物。例えば夜汽車の中で黒ネコが、あるいは灯台に寄りかかってペンギンが本を読む……。次いで作家の吉田さんが絵から連想したところを文章化。そんな生い立ちの絵物語集だ。24話収録。絵も文もどれもひっそり。悠然と本を読みたい愛書家の「見果てぬ夢」を描いていて、そこはかとなく切ない。

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

聖書の日本語―翻訳の歴史
聖書の日本語―翻訳の歴史鈴木 範久

岩波書店 2006-02
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よく政界で使われる「選挙の『洗礼』を受ける」とか、「『三位一体』の改革を進める」とかいった比喩(ひゆ)がもともと神学用語であることは、日頃あまり意識されているとは思えない。

今ではそのくらい日常の言語生活に溶けこんでいる聖書の日本語は、いつから、どのようにして形成されてきたのか。この一冊は、キリスト教の移入と普及の過程を翻訳思想史という角度から丹念にたどった労作である。

最初の布教者だったザビエルが「デウス」を「大日(だいにち)」と訳し、後であわてて取り消した話は有名だ。江戸時代後期の国学者平田篤胤(あつたね)が禁制の中国天主教書を手に入れて神道教義に応用した秘話も紹介される。いちばん力が籠(こも)っているのは、近代以後の翻訳事業であり、「明治元訳」「大正改訳」「口語訳」「新共同訳」と積み重ねられてきた訳語の検討を通じて、「その言葉によって象徴されるものが何であるかが、いかに重大な文化的・政治的問題を惹起(じゃっき)することになるか」という大きなテーマを探求している。

日本語に定着したと見なす「聖書語」のキーワードは、愛・神・救世主・教会・天国・福音……など三十語にわたる。そのうち二十三語は中国語訳聖書からの流入であるという。日本語訳聖書に初出する言葉は、悪魔・クリスチャン・宣教・造主・伝道者・ハルマゲドン・隣人の七語だというのは、それこそ「眼(め)からウロコ」(これも聖書語!)だった。

この事実はたんなる影響関係だけにとどまらず、外来の「思想語」がはらむ在来語との危険な裂け目をあぶりだす。いったいGodと神とカミとは同一の対象を意味しているのか、という根源的な問いかけをはらんでいるのだ。中国語訳聖書では、「上帝」である。最初の訳業に参加したヘボンは、日本語で「神」とするのをためらったそうだ。『和英語林集成』では、カミは「神道の八百万(やおよろず)の神々」と語釈されている。

子どもの頃、「悪いことをしてはいけない。神様が見ているよ」といわれたことを思い出す。頭にどんなイメージを浮かべるかは、人それぞれに微妙だ。[評者]野口武彦(文芸評論家)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

リベラリズム 古代と近代
レオ シュトラウス (著)

本書は19世紀末にドイツに生まれ、ナチスを逃れてアメリカに移ったユダヤ人思想史家の40年近く前の論文集の翻訳である。著者の弟子の選定による論文集『古典的政治的合理主義の再生』の翻訳が10年前に公刊されたが、その時から予定されていた訳書である。

「訳者あとがき」にもあるように、本書の公刊まで時間がかかったのはその高度に専門的な内容ゆえである。ギリシャ哲学や中世思想の詳細な検討を含む本書の訳業に多大の精力を要したことは容易に想像できる。しかしその間、この思想史家を巡る世の関心は大きく変わった。かつて政治思想史の専門家以外にはほとんど知られなかった著者の名は、今やネオコンの教祖という評判と共に広く認知されるようになったのである。

死後30年余りを経たこうした展開に最も驚いているのは著者自身ではなかろうか。確かに彼は、近代合理主義の内包する限界を指摘し、古代及び中世の古典研究の必要性を訴えた点で異端の研究者であり、「保守主義者」に分類しても間違いとは言い切れない。また、彼の近代合理主義批判の一端には、ヒトラーの台頭を抑制できなかったワイマール時代の経験に恐らく由来する価値相対主義への批判と、ソ連共産主義への道徳的対抗の必要性の認識があり、そこに知的戦闘性の要素を見ることも不可能ではないだろう。しかしネオコンの主張が自由民主主義の世界的拡張にあるとするなら、安易な自由民主主義の称揚こそ厳に戒めたという点で、ネオコンの最も厳しい批判を著者の論考から導き出すことも可能である。

ネオコンとの関連といった俗な関心を超越し、思想史に取り組むことで主張をなした思想家として著者は読まれるべきであろう。率直に言って、本書は政治思想史の門外漢が気楽に読める著作ではなく、先述の前訳書を入門として先に読むことを勧める。知的格闘を余儀なくされること間違いなしだが、著者の問題意識さえ了解すれば、古代、中世の難解なテクストを鮮やかに読み解いてくれる最良の教師としての側面が見えてくるだろう。[評者]中西寛(京都大学教授=国際政治学)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理
ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理エドワード・J. エプスタイン Edward Jay Epstein 塩谷 紘

早川書房 2006-01
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「二〇〇四年までに、アメリカの映画はおおむね世界を征服した」と著者は書く。欧州と日本を合わせた興行収益に占めるハリウッド映画の割合は、すでに八割。近年、仏の「赤ちゃんに乾杯!」「ニキータ」や日本の「リング」など、他国製映画のリメイクも盛んだが、「世界の市場をつかむのには、米人俳優が登場する、アメリカン・スタイルの映画が必要だということが明白になった」とも。

パラマウント、ユニバーサル、ワーナー・ブラザーズなどのスタジオを創業したのは、いずれも貧しいユダヤ系東欧人移民だ。エジソンの特許侵害の追及を逃れて西海岸に本拠を移したのが「映画の都」の誕生につながった。いまや「世界のアメリカ化」の象徴ともいえるハリウッドのその後の変遷と、経費や収益など、映画ビジネスの裏側を克明に明かしてなかなかに刺激的である。

何より、ハリウッド映画の大部分が赤字であることに驚く。メジャー六社が〇三年に封切った映画の配給経費百八十億ドルに対し、世界中で回収した入場料収入は六十四億ドル。全世界の収益のうち劇場の占めるシェアは一八%で、映画づくりはいまや、ビデオやDVDとテレビの放映権料に支えられている。それらを含めて収益のあがる映画は、全作品の五%以下しかない。

一流スターの出演料が八桁(けた)(一千万ドル)を超えるなど、製作経費や宣伝費の高騰が背景だ。ところが「ハリー・ポッター」や「スター・ウォーズ」シリーズ、「スパイダーマン」のように、さほどのスターは出演しないが、キャラクター商品やDVDを含め、一本で十億ドル以上を稼ぐ超ヒット作がまれにある。こうした「子ども向け」映画が、スタジオ全体の財政を何年間も支え、「大人の映画」づくりや映画人たちの文化を支えているとの指摘は、興味深い。

「新生ハリウッドを造った男たち」の一人として、ソニーの故盛田昭夫氏に相当のページ数を割く。松下や東芝といった企業名も再三登場するし、海外の配給市場として最大であるなど、日本がハリウッドを支えている構図も見えてくる。[評者]佐柄木俊郎(国際基督教大学客員教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 26ページ

学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求
学徒兵の精神誌―「与えられた死」と「生」の探求大貫 恵美子

岩波書店 2006-02
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死に意味を与える。そこには自らの生の有り様が反映する。そしてその生は、個人を超えた時代や国家の有り様に枠づけられている。死の確実な戦いに赴く若者にとって、戦争のために死ぬとはどういうことだったのか。第2次大戦下に綴(つづ)られた7人の若者の手記を通して、アメリカ在住の人類学者が、学徒兵の精神誌を繙(ひもと)く。本書は、教養も知性も世界的視野も持っていた当時の大学卒業者が、軍国主義やこの戦争の無意味さを承知しつつ、死を受け入れていった軌跡を明らかにした好著である。

政府が「殺した」と著者はいう。死に至るまでに記録された苦悩に満ちた死への意味付けの痕跡。そこには、知性や人間性の証明だけではなく、国家と個人の葛藤(かっとう)が見事に描かれている。殺されたのは知性なのかもしれない。

「国を愛する心」の教育の一歩先に何があるのか。それを考えるためにも、生きることさえ選べなかった若者から学ぶことは多い。[評者]苅谷剛彦(東京大教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 27ページ

生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠
生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠上野 千鶴子

岩波書店 2006-02
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ひとつの偽造メールで大混乱をきたした先日の国会だが、ひとつの重要な社会的概念「ジェンダー」(性差)をめぐる保守派の曲解と事実の捏造(ねつぞう)については、何ら問い直さぬままだ。フェミニズム抑圧の風は、ますます強まろうとしているかのように見える。

そんな状況下、論争の達人・上野千鶴子は、湾岸戦争以後の過程で思索した「女性兵士」の投げかける様々な問題を皮切りに、ナショナリズムがいかにヒロイズムによって個人を切り捨てる「死ぬための思想」であったか、いっぽうフェミニズムがあくまで戦争にもテロにも加担せず、民主主義の罠(わな)を回避しようと試みる「生き延びるための思想」であるかを、力強く説く。

独自の理論から概念定義をめぐる論争、今日の国家と性差を考えるための必読書の紹介、自己解題を兼ねた末尾のインタビューまで、著者が新しい思想たりうる「新しい言葉」を希求する姿勢は、読者に深い感銘を与えてやまない。 [評者]巽孝之(慶応大教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 27ページ

ジョン・コルトレーン『至上の愛』の真実
ジョン・コルトレーン『至上の愛』の真実アシュリー カーン Ashley Kahn 川嶋 文丸

音楽之友社 2006-02
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ジャズの名盤の中でも、コルトレーンの『至上の愛』は、最高位の敬意を表されてきた。ところがこのアルバムには謎がある。彼の「黄金のカルテット」は結成期間である3年の間、「マイ・フェイバリット・シングス」をほぼ毎日のように演奏し、無数のライブ盤が流通しているのに、この組曲はほとんど公開演奏されていないのだ。

本書は膨大な資料と新たな証言を巧みに構成することで、この偉大なサックス奏者がR&Bのテナー吹きからマイルス楽団を経て巨人へと成長する過程を追い、ビートを放擲(ほうてき)した晩年までを感動的に描いている。他の曲が錯綜(さくそう)した音楽技術を追求するのに対し、『至上の愛』は彼の幼児からの宗教体験に回帰した点で隔絶しているのだ、という謎解きには納得した。

晩年には練習風景を観客が安く覗(のぞ)けるロフトを探していたとか、オリジナル・テープは廃棄されたといった逸話も満載。[評者]松原隆一郎(東京大学教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 27ページ

「みんなの意見」は案外正しい
「みんなの意見」は案外正しいジェームズ・スロウィッキー

角川書店 2006-01-31
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本書の原題を直訳すると、「群衆の知恵」である。すなわち、本書は「群衆の狂気」あるいは「衆愚」という伝統的な通念に、異議を唱えるものである。

著者があげている例では、見本市に出された雄牛の重量を当てるコンテストで、雄牛についてよく知らない八〇〇人の人たちが投票した値の平均値が、専門家の推測よりも正解に近かったという。

この理由は説明されていない。ただ、個々の専門家よりも群衆のほうが知力・判断力において優越する場合があるということは、衝撃的な発見である。

しかし、集団が賢明な判断をくだすためには、いくつかの条件がいる。それは、集団の成員が、多様性、独立性、分散性をもつことである。さらに、多様な意見を集約するリーダーシップが不可欠である。そして、実は、これらの要件を満たすことは容易ではない。

たとえば、集団の中で討議すると、個々人は賢くなるだろうが、討議を重ねるほどに、皆が同じ意見をもつようになる。そして、多様性・分散性・独立性が失われ、いわゆる「群集心理」に陥ってしまう。ゆえに、群衆がいつも賢いというわけではない。一定の状態にある群衆が賢いのである。

実際には、集団がこのような要件をみたす場合は多くない。その要件を満たす代表的な例として、意思決定を市場にまかせる「予測市場」がある。確かに、市場では、人々は相互に独立している。とはいえ、市場であれば何でもいいというわけではない。利潤を目指す市場にはいつも、付和雷同的なバブルが生じる危険があるからだ。

すると、本書は、少数の専門家や指導者よりも大衆が賢い、といっているのではない、ということがわかる。むしろ、私には、集団の成員の多様性・分散性・独立性を保持し、さらにそこから創造的な意見を集約できるようなリーダーシップこそが望ましい、といっているように思われる。

だから、本書の言い分は、見かけほど奇抜ではない。ただ、実行するのが難しいだけである。[評者]柄谷行人(米コロンビア大学客員教授)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 27ページ

にほんの建築家 伊東豊雄・観察記
にほんの建築家 伊東豊雄・観察記瀧口 範子

TOTO出版 2006-02
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個々人の情熱、企業の財務、行政との押し問答が複雑に絡まりあうその渦中に立ち、数日の出張でベネチア、ミラノ、パリ、あるいはバルセロナの建設現場や展覧会場を回り、帰国すればこんどは、日本地図を縦横斜めに切り裂くかのように事務所と現場と学校を飛び回る。そんな移動生活のなかで、ひとり、ずっと、だれも考えたことのない空間をあたまのなかで感じ、組み立て、しぶとく発酵させている……。かくも頑固で緻密(ちみつ)、それでいてじつにノンシャラン(力が抜けて無頓着なのだがどこか物憂げ)な男。本書は、建築の最前線で爪先(つまさき)だっている男の、言ってみれば密着取材記である。

70年代は、広間が白く円弧に続く「中野本町の家」、80年代は、内/外の境を溶解させた半透明な「シルバーハット」というふうに、都市と消費社会の変容に真正面から向きあってきたこの建築家は、いま、柱ではなく外壁に構造の役を担わせる布のような建築(たとえば「トッズ表参道ビル」)、あるいは内と外が反転するチューブのような建築(ゲント市文化フォーラム・プラン)にはまっている。「道を究める」のが嫌い、「茶碗(ちゃわん)をなでるように、洗練させていくだけのような建築のアプローチは嫌いだ」と言い切る伊東らしい、大きな旋回である。

その伊東に密着して、事務所での議論、施主との対話、講演や授業をつぶさに観察したのは瀧口範子。細胞が増殖するかのようなうねる曲線だらけのスケッチをのぞき込み、会話の端々に注意し、顔面に走る微細な異変を鋭くキャッチし、ポップとシックをきわどいところで両立させるその服装をぬかりなく報告し……というふうに、伊東の建築とおなじくディテールにこだわりながら、それでいて彼がいま建築のどんな問題にぶつかり、どんな刃を研いでいるかを、距離を置いて思想的にきちんととらえる。

とんでもないことを考えつく、だれも即座についていけない、激しい怒りがいつ発火するかわからない、そんな緊張感と、ただ居眠りしているだけともみえるポーカーフェース。瀧口はこの静かな革命家の肖像をスリリングに描ききった。[評者]鷲田清一(大阪大学教授=哲学)

■2006/03/26, 朝日新聞 朝刊, 27ページ

他人を見下す若者たち
他人を見下す若者たち速水 敏彦

講談社 2006-02
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若者の行動が奇異になっている。個人的な怒りはすぐ爆発させるが、社会悪には無反応だと言われて時久しい。

最近ではすっかり日常化した「キレる」行為を《自尊感情が傷つけられた場合に些細(ささい)なことで怒る》現象と定義する著者は、そうした行動の根底にある心理的メカニズムを「仮想的有能感」と名づけて、日本の最新世代に起きている心性の変化を解明しようとする。

著者が初めて使用するこの用語はたいへん有効であり、さまざまな事例を(1)感情表出の変質、(2)やる気の低下、(3)他者軽視、(4)自己肯定感への渇望、と四つの分野にわたって分析してゆく。挙げられるのは、謝らない子どもとか、人前で化粧する少女とか、「自分以外はバカ」という態度で振る舞う青年とか、「オンリーワン」感覚とか、読者にもなじみ深いはずの話題の数々である。

自分のミスに思い至らず、まず「相手の落ち度を鋭く指摘する」しか能のない政治家も多くなった。

自身への甘さは、自尊心(プライド)とも自己愛(ナルシシズム)とも微妙に違っているらしい。攻撃的に見えて、実は過剰に自己防御的なのではないか。大づかみに《いつも「自分より下」を必要とする他者軽視で成り立つ防衛機制》と見ているのは当たっていよう。「2ちゃんねる」の閲覧とこの種の有能感とには相関性が高いという観察は、なるほどそうかと納得する。

この仮想的有能感という仮説は心理学の立場からの発言であるが、近年流行語にもなった「格差社会」「下流社会」など社会学の概念と重なる関心事から出発していて、非常に大切な問題への切り口になっているように思われる。

こういう心理機制が働くのは、若者だからだろうか。それとも、世紀の代わり目の日本人だからなのだろうか。著者が「今後増大する」と予測しているのが何だか不気味だ。

キレやすい若者をじっとガマンづよく論じてきた著者が、ついぽろりと、この人々には「汚れっちまった悲しみ」(中原中也)がないのではないかと洩(も)らしているところが妙味である。[評者]野口武彦(文芸評論家)

■2006/03/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

経済のグローバル化とは何か
経済のグローバル化とは何かジャック アダ Jacques Adda 清水 耕一

ナカニシヤ出版 2006-03
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表参道ヒルズが華々しくオープンした。中高生で賑(にぎ)わう竹下通りを擁しながら原宿が大人の町でもありえたのは、ひとえに同潤会アパートのしっとりした佇(たたず)まいあってのことだ。同潤会は、関東大震災の後に耐震構造に配慮すべしという政治的・社会的要請を受けて建設されたアパートである。そのような時を経た名建築だけが持つ文化や歴史を解体してそこに現れたのは、海外ブランド店がぎっちりと効率的に集積する空間であった。

「グローバル化現象は、『社会的なもの』『政治的なもの』に対する『経済的なもの』の復讐(ふくしゅう)である」と著者は言う。それならば同潤会を海外ブランド店に置き換えた表参道ヒルズこそがグローバル化の象徴的事例ということになろう。だが「経済のグローバル化」にかんする大半の議論は、「世界市場の統合」を指摘するにとどまってきた。それだと海外ブランド店が表参道に軒を並べることまでしか指さないことになる。

社会や政治も視野に収めると、グローバル化を通して見える光景は一変する。「市場統合論」では、分業の広がりによって生産性が向上し、局地的な村落経済の余剰を交換する地域市場が生まれ、それが結合して国民市場となり、開放されて国際市場へ成長したとされる。一方、本書は、グローバル化を昨日今日の現象ではないとし、その起源を11世紀ごろから地中海や北海・バルト海あたりで行われた遠隔地商業に求める。のちに商人は国家と結託し、外部から国内の諸規制を撤廃するに至ったというのである。

市場は「競争」だけでなく「組織化」も不可欠の要素としている。ケインズ主義や日本的経営といった「組織化」は、グローバル化の過程で解体された。だが「組織化」は需給調整だけではなく、政治や社会と経済の折り合いをつける役割も果たしている。それが競争一元論によって破壊されたせいで世界市場はとくに金融面で不安定化し、周辺国は停滞を余儀なくされたとする。

ポラニーやウォーラーステイン、ブローデルらを引きながら、啓蒙(けいもう)書の枠を超え、スリリングな議論を展開している。[評者]松原隆一郎(東京大学教授=社会経済学)

■2006/03/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

日はまた昇る――日本のこれからの15年
日はまた昇る――日本のこれからの15年ビル・エモット 吉田 利子

草思社 2006-01-31
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外国人による評価がとても気になる日本人にとって、その共同意識に影響を与えるような書物が節目、節目に現れることがある。四半世紀前にでたボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、著者の意図とは関(かか)わりなく、大いに日本人の集団的自己意識のバブルに貢献したし、また90年のエモットの『日はまた沈む』は、続く集団的「喪失症候群(シンドローム)」(いわゆる「失われた十年」論)の先駆けとなった。本書は同じ著者による対照的なタイトルの論攷(ろんこう)だ。

日本は失われた十年といわれる間にも様々な斬新的改革(ルール、慣習、プラクティスなど)を続けた。その累積的な効果は殆(ほとん)どの人が気づいている以上に政治と経済と金融市場を変え、生産性向上による新しい持続的成長を可能としている、というのが本書の主要なメッセージだ。同意しうる歴史評価である。しかし、その変化は一つのグランドデザインにもとづいて起きたのではないだけに漸進的であり、未完である。この本は喪失症候群の治療には効くだろうが、「日本復活宣言」などと浮かれていると、また逆に振れてしまう。自戒が必要である。

とくに目を引かれたのは、中国の興隆と政治的不安定性、朝鮮半島の政治的統一の可能性という地政的大変動の見通しのなかで、日本がとるべき国際戦略の提案だ。日本は勝ち目のない地域の指導権(リーダーシップ)を巡って中国と争うより、地域機構や条約という地域ルールや手続きの設定に積極的に参画し、それを梃子(てこ)に隣国の「横暴」を抑制するのが良いという。それによって、経済的安定性と民主主義的成熟度を測る「水路標識」としての役目を果たし、世界の問題についての発言力も強まる。これは欧州でかつてフランスが抱き、成功した野心になぞらえられるという。靖国問題についても一見奇想天外だが、一考に値する指摘がある。

「着実に歩む亀(日本)が、足の速い兎(うさぎ)(中国)に勝つ」という御託宣を担ぎ回るより、国益となる地域的・国内的ルールの設計を冷静に考える、という英国流発想に触れるところに、日本人にとっての本書の本当の価値があろう。[評者]青木昌彦(米スタンフォード大学名誉教授)

■2006/03/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

水車・風車・機関車―機械文明発生の歴史
水車・風車・機関車―機械文明発生の歴史坂井 洲二

法政大学出版局 2006-02
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水車に魅せられた民俗学者が機械文明発生の歴史を論じた労作だ。三十数年前にドイツに留学した著者は、山間の村で壮大な水車小屋と出あい感動した。人々の暮らしを扱う民俗学者でありながら、機械にも強い。辺鄙(へんぴ)な土地を訪ねて水車の遺構を観察し、メカの発展史を解き明かした。

本書の真骨頂は、技術の在り方をめぐり、東西世界の比較文明論を示す所にある。米は雨の多い東洋に、麦つまりパン食は比較的雨の少ない西洋に広まった。米は脱穀が簡単でご飯として食べられるが、麦は殻をとるのに力が必要で、製粉水車が発達したというのだ。

川がない所では、風車の製粉機を考案し、さらにその発想を製材や鍛冶(かじ)用の水車にも応用したという。

畜力を活発に利用したのもヨーロッパの特徴で、その代わりに登場した蒸気機関車が畑を耕したというから滑稽(こっけい)だ。本書を読むと逆に、水車も畜力も控えめだった日本が技術大国になりえた理由も考えたくなる。[評者]陣内秀信(法政大教授)

■2006/03/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流
水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流ウィリアム・R. ラフルーア William R. LaFleur 森下 直貴

青木書店 2006-01
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中絶は殺人か基本的人権か。米国を二分する政治的課題だ。いい加減、二元論の隘路(あいろ)から抜け出したい。そう願う米国の日本研究者が水子供養に手がかりを求めた。殺人でも権利でもない、あわいをすくい上げる仏教的な中絶文化を真正面から論じた日本文化論だ。

神仏の領域に送り返すという意味の「カエス」、農作業の言葉を借りた「間引き」、救い救われる対象としての「地蔵」。こうした言葉や慣習に罪悪感を和らげる意味をこめた日本人のプラグマティックな生命観を解きほぐす。あくどい水子商売には批判的だが、中絶が必ずしも道徳の荒廃につながるわけではないとして、人々の心を支えるために仏教が果たした役割を前向きに評価する。

原著は一九九二年刊行。隔世の感を覚える部分もあるが、今、翻訳されたことは意義深い。生命倫理の観点からだけではない。痛みを抱えつつ生を紡いできた日本人の心の根にふれた気がするからだ。 [評者]最相葉月(ノンフィクション作家)

■2006/03/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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