メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年12月3日~12月10日
| 脳の学習力―子育てと教育へのアドバイス | |
![]() | サラ‐ジェイン ブレイクモア ウタ フリス Sarah‐Jayne Blakemore 岩波書店 2006-10 売り上げランキング : 189 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
右脳型・左脳型への分類に疑問あり
本書は、しごくまっとうな本である。「まっとうな本」という表現は、脳本ブームとも呼びたくなるほど雑多な脳関係の本があふれかえっている昨今の状況においては、心からのほめ言葉となる。
それにしても、そもそもなぜ、脳本ブームなのだろう。第一の理由は、脳は誰にとっても身近なテーマであると同時に、誰にとっても謎だからだろう。そこには、自分たちの脳の仕組みを解明できるほどに優れたヒトの脳を、ほんとうに解明することなど可能なのかという、考えれば考えるほど眠れなくなりそうなパラドックスも潜んでいる。
第二の理由は、生きている人間の脳を調べるさまざまな研究手法が新たに開発されてきたことだろう。以前は、脳波を測定するか、事故や病気によって脳を損傷した患者の機能を調べるか、死体を解剖するくらいしかなかった。それが今は、磁気や放射線を検出する装置などを用いて、被験者に苦痛を与えることなく、活動中の脳の機能を調べられるようになってきた。
しかし、それでも脳には依然としてブラックボックス的な要素が多く残されているため、何を言ったとしても完全な間違いとは言い切れない面がある。これが、玉石混淆の脳本ブームを生んでいる第三の理由だろう。
そんなわけなので、巷には脳科学に裏づけられた学習理論だの、脳を鍛えるといった言説や商品がたくさん出回っている。しかもそうした商法は、子供を持つ教育熱心な親や、自らの衰えを心配する中高年層の注目をひかずにはおかない。われわれは、誰の言葉を頼りにすればよいのだろう。
こうした状況なればこそ、「まっとうな本」に価値がある。本書は、脳科学でわかっていることとわかっていないことをバランスよく、学習能力という側面から正直に解説した良書なのである。
たとえば、子どもは何歳から読み書きの学習を始めるべきかに関しても、さまざまな説がある。発達の遅い子どもを考慮して就学年齢は七歳にすべきだとの説もあるし、初歩的な読み書きは幼稚園から始めるべきだとの説もあるといったぐあい。ところが著者たちは、「わたしたちには、これらの策のどちらがよいのか、またどのような子どものためによいのかはわからない」と、あくまでも正直である。
また、いわゆる右脳型人間と左脳型人間に分類したがる向きに対しては、「教育という点では、こうした分類は学ぶ力を妨げる障害でしかないとさえ思う」と述べている。この一文で共感できるのは、有害だと断定するのではなく、あくまでも自分たちの見解として述べている点である。証明されていない以上、断定などできるはずがないのだ。未だ白黒がついていない事柄に関してまで断定口調を押し通す怪しい本とのなんたる違いだろう。
脳科学に限らず、われわれは、「科学的」と称する言説に惑わされない力を身に着ける必要がある。それは、口当たりのよすぎる本や、やたら売り込み口調の強い本のうさんくささを見分ける力でもある。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 集合住宅の時間 | |
![]() | 大月 敏雄 王国社 2006-10 売り上げランキング : 2375 おすすめ平均 ![]() 最後の1章が秀逸Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本の都市住宅の歴史にとって、2003年は悲しい年だった。関東大震災後にモダンデザインで建設され、高い評価を得て、人々に親しまれてきた同潤会アパートが次々に取り壊されたのだ。本書はこれらの名建築へのオマージュでもある。
昭和初期に普及したアパートメントハウスは、集合して住む経験は長屋しかなかった日本に、新時代の輝く生活スタイルを導入した。その象徴、同潤会アパートの建物と住民の関係に拘り、建設後の住み方の変遷を深く追跡研究した気鋭の著者が、本書では時代を戦後まで広げ、関西にも目を配って、興味深い集合住宅の数々を探索し、濃密な「生活の記憶」を描き出す。
キーワードは「時間」。欧米では近代の住宅も大切に住み続けられ、時間とともに価値が増す。日本では土地だけが重要で、建物の資産価値は年々減っていく。失われる街の記憶。「国民総記憶喪失」の状況に何とか抵抗したいとの思いが本書を貫く。
登場する23の事例中、同潤会アパートは四つ。女性の社会進出を象徴した大塚女子アパートメント、深川の交差点に見事な外観で聳える清砂通りアパートメント、居住者が育てた緑溢れる中庭をもつ江戸川アパートメント、ケヤキ並木とマッチし外国を感じさせる表参道の青山アパートメント。今は亡き建築達だが、その濃密な記憶は今後の住まいづくりに生かしてほしい。
民間の手になる木造の愛すべきアパートメントの数々も、著者が掘り出した宝物だ。生活感溢れる古い集合住宅の中に、時間の蓄積を味わえるのが嬉しい。モダニズムの集合住宅には、街区型の構成で魅力ある都市景観を生むものが多い。デザインも格好よく、人々が活き活きと暮らした。
消えゆく住宅が多い中、明るい話題もある。本郷にある宗教施設、求道会館の裏に潜む求道学舎が、コーポラティブ方式の設計で、リノベーションされ、集合住宅として見事に蘇ったのだ。豊かな未来は、過去の経験から学び、文化の遺伝子を次世代に伝えることから始まる。本書のメッセージもそこにある。【評 陣内秀信(法政大学教授)】
| 韓国野球の源流―玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス | |
![]() | 大島 裕史 新幹社 2006-11 売り上げランキング : 7868 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本のプロ野球には、今後破る者が出ないのではないかと言われる記録がある。たとえば大投手・金田正一の四百勝、たとえば“安打製造機”張本勲の三千本安打。二人のルーツは朝鮮半島で、ともに異邦人の親を持つ者が打ち立てた大記録なのだ。
日本チームが世界一に輝いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は記憶に新しいが、イチローが感情を剥き出しにするほど日本を窮地に追い込んだのは韓国チームであった。そこまでのレベルに達した韓国の野球史と、戦前からの日本との関わりを軸に描いた本書は、いま書き残しておかねば歴史の闇に消えてしまうにちがいない、貴重な証言に満ちている。
振り返れば、三つの時代があった。戦前、日本で野球を学んだ金永祚(キムヨンジョ)らが、朝鮮半島に野球を根づかせた一九四〇年代と五〇年代から、在日コリアンが実業団野球を盛り上げた六〇年代を経て、ついにプロ野球が誕生した八〇年代へと至る流れである。そこに、むろん多難な歴史が絡む。ある在日の選手は、“帰国運動”で両親が北朝鮮に渡ったため、韓国の公安から凄まじい拷問を受け、日本に戻ったあと酒浸りになって早世してしまう。「韓国でも外人、日本でも外人」の彼らが、それでも野球を続けたい一心で懸命に生き抜いてゆく姿を、著者は淡々と描出する。その安易な感傷を排した文体が潔い。
意外なことに、日米よりも「代表チームを築いてきた歴史は韓国のほうが断然長い」と著者は記す。代表監督になった金永祚は、チームを悲願のアジア選手権優勝に導くが、病に倒れ、五十八歳の若さで帰らぬ人となる。その土饅頭に、東京の帝京商業(当時)で一年後輩の、フォークボールで一世を風靡した杉下茂が手を合わせ、戦前からの友情を懐かしむ場面は感動的だ。
WBCの韓国チームは、在日が育てた監督やコーチが率い、日本で首位打者になった白仁天(ペクインチョン)によって素質を開花させられた巨人の李承ヨウ(イスンヨプ)らを主力として勝ち進んだチームであった。アジアの野球が新しい時代に入ったことを、この労作は静かに告げている。【評 野村進(ジャーナリスト)】
| 打ちのめされるようなすごい本 | |
![]() | 米原 万里 文藝春秋 2006-10 売り上げランキング : 92 おすすめ平均 ![]() 今年最大の収穫!打ちのめされました。 最初で最後の書評集 最高の読み手、最強の書き手Amazonで詳しく見る by G-Tools |
書名の「打ちのめされる」とは、速読多読を自任する筆者が過去に書評でとりあげた本たちのことを指すが、本書を読む者が「打ちのめされる」のは、今年逝去するぎりぎりまで執筆活動を続け、しかも死に抵抗してじたばたし続ける筆者の末筆だろう。癌告知の衝撃、いい加減な癌療法の本や医者への徹底的な批判、死と痛みへの断固拒否――。これほどじたばたをさらけ出した文章はない。
死を前に諦観などできるか。十年前に突然事故で亡くなったポーランド研究者の吉上昭三氏が、やはり日々そう言っていたが、じたばた抵抗するぞと宣言した者ばかりが早く召されるとは、神は意地悪である。道半ばで書くことを止められた者の無念が、痛い。
とはいえ、最期の言葉の衝撃に隠れて、筆者が伝えようとしたことを見落としてはいけない。アフガニスタン戦争、イラク戦争、チェチェンでのロシアによる非道など、世界で進行する理不尽な戦争、弾圧に対する非難、抗議は容赦がない。
他者が理不尽な、無念の死を強いられることに、我慢のならない人であった。自らの死へのじたばたは、全世界の戦争への納得のいかなさに繋がっている。【評 酒井啓子(東京外国語大教授)】
| 中国・アジア・日本―大国化する「巨龍」は脅威か | |
![]() | 天児 慧 筑摩書房 2006-10 売り上げランキング : 12336 おすすめ平均 ![]() 現状分析はしっかり理解・整理できた 警戒意識が弱いAmazonで詳しく見る by G-Tools |
10月の安倍訪中によって日中関係は新展開を遂げた。だが約束された戦略的な互恵関係が実現し、東アジアで「両雄は並び立つ」のか、期待と不安が入り交じる。日中関係と中国の内政外交の現状を解き明かし、日本の外交戦略を大胆に構想するのが本書だ。
著者によれば、日中でアジアの盟主の座を争うのは間違いだ。犬猿の仲だった薩長が協力して新生日本を築いたように、二国間関係を超えた視点を持ち、アジアと世界のためにも主導権争いを超克せよと説く。
米国一辺倒の問題は何か。中国の台頭とその積極外交によってアジアではパワーの移行が進む。日本のプレゼンスは対話を通した中国への影響力の増加によって高まるのであり、日中が没交渉になれば米国だって日本を頼りにしない。確かに、この点の理解が肝心だ。
著者は、東西の米中および南北の韓・台・東南アジア・豪を結ぶクロスロード・アプローチを日本は採るべきとも説く。また、大局的戦略的な思考に長けた中国人と、きめ細かく物事を処理することに長けた日本人は相互補完的だともいう。確かにそうだが、どうしてどうして、著者の戦略的思考も決して中国の戦国時代の縦横家たちに劣らない。【評 高原明生(東京大教授)】
| よろしく | |
![]() | 嵐山 光三郎 集英社 2006-10 売り上げランキング : 4869 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
とにかくよく人が死ぬ小説である。人の死なない章はないのではないか。 「ぼく」の自宅の隣には老齢の両親が住んでいる。元T美術大学教授の父親ノブちゃんと、その妻トシ子さん。几帳面で博識のノブちゃんが、じょじょにぼけはじめ、トシ子さんと「ぼく」は相談して、彼を老人介護施設に入れることにする。その一方で、「ぼく」の暮らす近所では殺人事件が起き、不穏な空気のなか、意外な人間関係があらわれてくる。ノブちゃんのいる施設でも、老人たちが日夜大小の事件を起こす。色恋沙汰もある。どこでも人が暮らしているかぎり、ざわざわと騒がしい。
老いを扱った小説だが、文章はおおらかに乾いていて、暗さが微塵もない。暗さはないが悲哀がある。死ぬ悲しみではなく、生き残っていくせつなさである。ところどころ挿入されたノブちゃん、トシ子さん、「ぼく」三人の俳句が、そのせつなさを見事に切り取ってみせる。
老いてもなおつきまとう猥雑さをあっけらかんと小説は書く。死のあとだってそのざわつきは逃れられない。しかし死の瞬間だけは、騒々しい日常のなか、ふと目をとらえた草花や夜の月のごとく、高潔である。その簡素な高潔さに胸を打たれた。【評 角田光代(作家)】
| 北京の檻―幽閉五年二ヶ月 | |
![]() | 鈴木 正信 香取 俊介 文藝春秋 2006-09 売り上げランキング : 3001 おすすめ平均 ![]() ある時代、ある国での言論統制 中国を見る眼 深い経験Amazonで詳しく見る by G-Tools |
文化大革命期、中国当局による外国人記者や商社員の逮捕監禁が相次いだ。68年、身に覚えのないスパイ容疑で5年2カ月監禁された商社兼松の鈴木正信もその一人。本書は満州に生まれ、終戦直後は人民解放軍軍医助手として従軍した経験をもつ鈴木の生涯を香取が取材、共に書き上げたノンフィクションである。
国交がないのを理由に日本政府も外務省も積極的に鈴木の救出交渉を行わず、メディアも無関心。日中貿易に携わる他の「お墨付き」商社は個人の問題として無視した。夏至以外は光の射(さ)さない独房で厳しい取り調べに耐える日々。精神に破綻(はたん)をきたしてもおかしくないのに、差し入れの新聞が増えたり取調官の口調が優しくなったりすることに世界情勢の変化を感じとる冷静な判断力を持ち得たのは、二つの国の間で「個」として踏ん張るしかない人生を生きてきたためか。国交回復後、皮肉にもそんな鈴木が対中ODA第一号の病院建設の功労者となるのだ。
中国共産党は文革が誤りだったと総括、自己批判した。だが当時、文革を支持した日本の組織や団体がこれを真摯(しんし)に検証しただろうか。強い怒りと愛憎相半ばする中国への思いが全編を貫く。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 現代資本主義と福祉国家 | |
![]() | 加藤 榮一 ミネルヴァ書房 2006-10 売り上げランキング : 4714 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
資本主義の原理に従えば、希少な資源や所得の配分は市場に任せ、政府の介入は可能なかぎり小さくするのが望ましい。実際、「夜警国家」と言われた19世紀のイギリスにおける政府支出の対GDP(国内総生産)比は10%前後と低かった。しかし、現代においては「小さな政府」の代表であるアメリカでも、その規模は同40%近くに達している。増大の主因は社会保障費にある。2度の世界大戦を経て「夜警国家」は「福祉国家」に変身したのである。
変身の背景には19世紀末の「大不況」を契機とする「労働の組織化」と、社会主義に対する脅威があった。だから、資本主義国家は労働者階級に参政権や団結権などの権利を認め、福祉の面でも「社会主義の要素を取り込んで資本主義」の「矯正」を図ってきたはずだ。その意味で、ソ連の崩壊にともない勝利したのは、「たんなる資本主義ではなく、社会主義を吸収して自己改造した資本主義なのである」と著者はいう。
それにもかかわらず、「あたかも『純粋』資本主義が『純粋』社会主義を滅ぼしたかのように、その影響」が広がることを、福祉国家論を中心に現代資本主義を研究してきた著者は懸念する。事実、冷戦の終焉を転機にアメリカの母子家庭に対する保護はウェルフェア(給付による支援)からワークフェア(就業の促進)に変わり、スウェーデンの年金制度も老後の給付額が変動する確定拠出に後退するなど、ほとんどの先進諸国で従来の福祉国家が「解体」しはじめている。
「解体」を推進しているのはグローバル化にともなう「多国籍企業の発展」である。自由に国境を超え、世界規模で利益を追求する多国籍企業に、国内の福祉充実に要する財政負担や雇用の保障などを求めることはますますむずかしくなっているからだ。ここに社会主義への対抗という大義を失った福祉国家の危機がある。危機に対する著者の処方は、改めて「世界的な規模で労働市場を組織化」することだが、その実現に向けた理念や運動は未だに形成されていない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| つばき、時跳び | |
![]() | 梶尾 真治 平凡社 2006-10-19 売り上げランキング : 7138 おすすめ平均 ![]() 突然の別離の描き方 時代小説だけどタイムトラベル・ロマンスAmazonで詳しく見る by G-Tools |
二年前の夏、出張先の熊本で初めて松本喜三郎の生人形展を訪れ、その躍動感にみちたリアリティに感銘を受けたものだった。つい最近では、湘南は平塚にて、『美味しんぼ』の原型ともいわれる明治文学『食道楽』の著者・村井弦斎を記念する行事に足を運び、一世紀以上昔の珍味に舌鼓を打った。
折も折、大ヒット映画『黄泉がえり』の原作小説で広く知られる熊本在住のSF作家・梶尾真治の最新長篇『つばき、時跳び』を読み、それらの記憶があざやかに甦る。デビュー作「美亜へ贈る真珠」以来、すでに三十五年にもおよぶキャリアのうちで、著者は時間旅行テーマの短篇を得意としてきたが、同じテーマでも本格的な長篇という形式では初挑戦となる本書は、奇しくも熊本のサブカルチュアと明治のグルメをぞんぶんに堪能させてくれる、堂々たる歴史改変小説の骨格を備えていたからである。
主人公の新進作家・井納惇(いのうじゅん)は、熊本市郊外は花岡山の中腹に位置し、独特な肥後椿の咲き乱れる「百椿庵(ひゃくちんあん)」にたったひとりで暮らす。祖父母の死後に譲り受けた家だが、そこにはかねてより幽霊が出る、という言い伝えがあった。そして彼自身も屋敷の中で着物姿のうら若き美女と不思議なかたちで出会い、てっきり噂の幽霊かと思うが、接触し会話が成立してみると、このつばきと名乗る娘は明治維新直前、元治の時代から百五十年の時を超えて平成の時代へさまよいこんだ時間旅行者であるのが判明する。
タイムマシンを演じているのは、天井裏の梁に差し込まれた謎の金属棒。それを介した惇とつばきが時を超えて育む恋は、おなじみ梶尾節全開といったところだが、しかしまったく同時に、著者は長篇ならではの大仕掛けを用意した。謎のタイムマシン発明者にして未来からの旅行者「りょじんさん」の足跡を辿ると明治維新勃発の歴史的真相がわかるというダイナミックなドラマと、生人形を介して成就される恋人たちのタイムトラベル・ロマンスとを融合しきった手腕には、梶尾真治独特の「味」が堪能できる。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで | |
![]() | アンドルー ゴードン Andrew Gordon 森谷 文昭 みすず書房 2006-10 売り上げランキング : 176 おすすめ平均 ![]() 歴史が自然と頭に入るAmazonで詳しく見る by G-Tools |
| 日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで | |
![]() | アンドルー ゴードン Andrew Gordon 森谷 文昭 みすず書房 2006-10 売り上げランキング : 214 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
欧米と通じる近代化の矛盾描く
人は通史といったとき、何を思い浮かべるのだろうか。昨日の次に今日が来るというふうな年代記が、頭に浮かんでくるかもしれない。でも通史とは本来、太い論理の筋を軸に全体を叙述し、歴史の豊かな可能性に気付かせてくれるものなのだ。
本書は、ハーバード大学の歴史学の教授によって書かれた日本近現代の通史である。この本の魅力は、日本の近代に見られる上からの権威に基づく革命という矛盾が、後になって思いもよらないような展開を生み出す、ダイナミックな過程を描き出している点にある。本書では全17章のうち5章分が、社会経済史の叙述にあてられているのも一つの特徴だ。そこでは近代の日本社会が、都市と農村、中間層と労働者、ジェンダーの違いなどによって、いかに分断され緊張を孕(はら)んだ社会であったのかが説明されている。同時に人々の抱く価値観や欲求が、政治的支配や体制を形作る大きな要素として扱われている。
またこの本の大きな特徴は、その時代区分の中にある。帝国議会が始動する1890年代から大正デモクラシー期が終わる1920年代末までを、対外膨張と政治参加の拡大が同時に進行する「帝国民主主義」(インペリアル・デモクラシー)の時代、昭和恐慌が画期の1930年代初めから50年代末までの戦争を挟んだ前後の時代を「貫戦期」と呼んで、現代国家化の時代と捉(とら)えているのである。この「帝国民主主義」と「貫戦期」は、日本に限らず欧米にも見られる、ある種の世界史的な範畴(はんちゅう)と考えられているようだ。
たまたま本書と時を同じくして、イアン・ブルマ『近代日本の誕生』(ランダムハウス講談社)という、やはり外国人によって書かれた日本近代史が刊行された。ブルマの本はより思想史的であり、アンビバレントな性格をもつ近代の日本人の精神的態度史ともいえる。そこでは、政治的自由主義・個人主義の流れとそれを押しつぶす権威主義・国家主義との対抗の動きが、叙述の背後を流れるテーマに設定されている。ブルマはその複雑な様相を、ちょっとしたエピソードなどによって巧みに表現している。それに比べるとゴードンの本書は、むしろ大河ドラマに近い。
とはいえ外国人によって書かれたこの二つの通史には、似た観点があるように思えた。それは一言でいえば、日本が特殊な国だという見方に対する批判である。彼らは日本の近代化過程には、むしろ西欧を含めて他の国々との共通現象が多く、日本独自の問題と自覚された事柄自体が、近代社会に普遍的な課題であったりすると言うのだ。
日本が特別な国であるとの思い込みは、時として日本人が陥る傲慢(ごうまん)さや自己中心的な姿勢を生みだす元となる。しかし同じ理解によって、逆に日本人が劣等感に打ちのめされることもある。その意味でこの両書での日本特殊論への批判は、ナショナリズムの高まりに身を任せようとしている日本人を批判するとともに、今や自信喪失に陥りかけている日本人を、歴史を振り返る中で、励ましているようにも見えたのである。【評 赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)】
| 虹色天気雨 | |
![]() | 大島 真寿美 小学館 2006-10-20 売り上げランキング : 28179 おすすめ平均 ![]() 友だちの輪が重なり連なり和になるAmazonで詳しく見る by G-Tools |
たとえば三年前のことを思い出そうとするとき、まずできごとが思い浮かぶ。だれそれが結婚した、離婚した、子を産んだ、転職した、等々。けれども実際の日々は、できごとの隙間(すきま)の、だれかとの他愛(たわい)のない会話とか冗談とか、言葉にする必要もなかった思いとか、淡々と消えていく想像とか、そうしたものでできている。本書は、できごとの合間のそうした隙間、決して写真には残らない瞬間を、ていねいに描き出した小説である。
主人公の市子は、幼なじみの奈津から、小学生の娘美月を数日預かってほしいという電話を受ける。奈津の夫であり美月の父である憲吾が、突然姿を消したというのである。小説は、憲吾の行方を追いながら進行するかに見え、その実、市子と奈津、そのほか、風来坊のような恋人を好きでたまらないまりちゃんや、恋多きゲイの三宅ちゃん、彼らからちょっと疎まれている辻房恵など、昔ながらの友人たちの、わさわさとした関係が描かれていく。
彼らの関係が見えてくるにつれ、時間の流れがくっきりとあらわれてくる。彼らの共有したエピソードが丹念に書かれているわけではないのに、市子と奈津とまりが過ごしていた高校時代が、恋愛や仕事について語り合っていた夜が、奈津の結婚と出産を祝福した瞬間が、幼い美月を交えて遊んでいたまだ若さを残す時間が、まるで私自身もそこにいたかのように、濃いなつかしさと淡い生々しさを持って、たちあらわれてくる。
『水の繭』『チョコリエッタ』など、これまでの作品で、著者はいつも、居心地のいいシェルターのような場所を描いてきた。ときに幻想的に、ときに昨夜の夢のように。この小説でも、居心地のいい場所を描いているのは変わらないが、それはシェルターではなく関係のなかにある。
友情という言葉をいっさい用いず、それよりもはるかに強く、はるかに美しいものを描き出した。時間、という手出しのできないものを、さりげなくも完璧(かんぺき)に、私たちの味方につけてしまった。【評 角田光代(作家)】
| 朝鮮通信使をよみなおす―「鎖国」史観を越えて | |
![]() | 仲尾 宏 明石書店 2006-10 売り上げランキング : 10856 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
愚かしい反復を免れるために
近年、日本と中国や韓国・北朝鮮との関係が緊迫してきている。これをたんに「戦前の回帰」として見るのは不十分である。たしかにそれは歴史的な反復ではあるが、そのような反復は以前からもあり、もっと根深いものだ。本書は、「朝鮮通信使」の史実を、東アジアに存する反復的な構造を見すえつつ読みなおすものである。
東アジアには、中国を中心にする冊封体制という「華夷秩序」が存在した。その中で、日本と朝鮮は、中国との関係において同格の位置にあった。それを覆したのが、豊臣秀吉の朝鮮侵略である。むろん、それは失敗しただけでなく、国内でも没落する結果に終わった。しかし、豊臣側から権力を奪った徳川家康は以後、甚大な被害を与えた朝鮮との関係を修復せねばならなかった。それは、中国との貿易を再開するために、つまり日本が東アジアの政治・経済システムに復帰するために、不可欠だったのである。
徳川側の「反省」はあいまいなものであったが、李朝側はそれを受け入れた。東アジアの秩序の再建と平和を優先したのだ。その結果、朝鮮側から「通信使」を送るという慣例が成立した。これはたんに外交儀礼の問題ではなかった。十二度にわたり、毎回五百人に及ぶ、朝鮮の一流の学者、医者、芸術家などが来日したからである。日本側も同じレベルの人たちが関与した。したがって、江戸日本の儒学、医学、文学、美術その他を考えるには、朝鮮通信使の研究が不可欠である。本書はそれを多様な観点から示している。
徳川幕府が朝鮮に対してとった政策は、明治時代には、秀吉の侵略を「朝鮮征伐」として礼賛する声によって否認された。その結果が東アジア諸国への帝国主義的侵略であった。そこから再出発した戦後日本の政策は、ある意味で徳川の政策に似ている。ところが、現在は、明治以後の日本のやり方を正当化する声が高まっている。これは愚かしい反復である。これを免れるためには、東アジア諸国の関係構造を粘り強く組み変えていくほかない。【評 柄谷行人(評論家)】
| 政治診断学への招待 | |
![]() | 将基面 貴巳 講談社 2006-11-11 売り上げランキング : 12895 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「医学が癌(がん)について語るように、政治学も暴政について語るべきだ」というのが、政治思想史研究者である著者の問題意識である。たしかに、政治学は政治学者の生活のためにあるわけではないし、現実の政治を良くすることに繋(つな)がらない政治学で良いのかという思いは、どの政治学者にもある。
しかし、現実の政治学は、「理想の政治を模索する」規範的アプローチの政治思想研究と「現実の政治を分析する」米国流実証的アプローチの政治過程分析に二分され、両者の連携は希薄である。
このため、前者は「何が正しい政治かを論じる」健康学であっても、そこから現実の問題発見や治療の手だては出てきにくい。その一方で、後者においては改革する志向性をもたない現状説明だけの浅薄な研究になりがちである。
そこで著者は、医学における基礎医学と臨床医学の有機的連携を政治学に活(い)かそうとする。すなわち医聖・古代ギリシャのヒポクラテスが「病状を個々の事例として記述した」のに対し、17世紀のイギリスの医師トマス・シデナムが採用した「病状を一般化できるように記述し、過去の事例に基づいて診断」する手法を用いた政治学の捉(とら)え直しを提唱する。
こうした試みの背景には、著者の研究対象である政治思想家に医学の素養がある者が多かったことがあろう。荻生徂徠や佐久間象山らは医学に造詣(ぞうけい)が深かったし、ジョン・ロックが最初に世に出たのは医学者としてであった(「あとがき」によると、著者の父親も元臨床医である)。
ただ、本書は、政治思想史研究者の立場から政治診断学を提唱したもので、マス・メディアが発見した病気を計量分析政治学者が技術を駆使して検査し、その結果を一般的総合診療医である一般有権者が判断したとしても、それを誰が治療するのかについては明らかでない。
「有権者が負託した民意を裏切る」ことが「暴政」であるとすれば、その治療を政治家に担わせられない。他日を期すという著者の「本格的検討」に期待したい。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| カラスはなぜ東京が好きなのか | |
![]() | 松田 道生 平凡社 2006-10-19 売り上げランキング : 2641 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
書名に対する答(こたえ)はズバリ一言、カラスにとって東京は住みやすいからである。ただし、漠然とカラスと呼ばれている鳥には、ハシブトガラスとハシボソガラスの二種類がいる。東京好きなのは前者で、後者は郊外の畑などでよく見かける種類。
ハシブトガラスは、本来は森に住むカラスだった。それなのに東京が好きなのは、公園や街路樹、お屋敷の高木、高層ビルなどが散在し、おまけに生ゴミも手に入るからである。
本書は、鳥類研究家である著者が、自宅周辺の散歩をかねて五年間にわたって行ってきたハシブトガラス調査の報告である。ただし、なにせ、頭のよさでは鳥類界随一とも言われるカラスが相手のことだけに、苦労も多い。巣があるとおぼしきあたりを見上げただけでも姿を覚えられ、以後、しっかりマークされるといった調子なのだ。
カラスにも個性があるようで、気の強さもいろいろだという。人を攻撃するカラスが、たまにニュースになるが、五年間でカラスに痛撃を浴びせられたのは一度きりで、そのときは、やっと自分も「自慢話」ができるとうれしかったとか。
本書を読めば、あなたもカラス好きになれるかも。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 彼女がその名を知らない鳥たち | |
![]() | 沼田 まほかる 幻冬舎 2006-10 売り上げランキング : 2853 おすすめ平均 ![]() 傑作 [彼女がその名を知らない鳥たち]を道徳で裁けるか 不器用な愛の交差Amazonで詳しく見る by G-Tools |
『九月が永遠に続けば』で第五回ホラーサスペンス大賞を受賞した沼田まほかるの第二作。相変わらず鳥肌たつほどの不気味さで気色悪い。でも面白い。
三十三歳の十和子は、八年も前に別れた黒崎のことが忘れられなかった。ふとしたきっかけで、自信過剰タイプの中年男の陣治と関係をもつようになり、生活をともにするようになるが、ある日、陣治の部屋から黒崎からもらったピアスを発見する。いったいなぜここにあるのか?
こうして男と女の関係の深い闇が静かにあきらかになっていくのだが、読者はいつしか悪酔いしたような気分になる。目に見えるものがすべて歪(ゆが)み、しかもたえず揺れていて、いつしか悪臭がしてくる。精神の腐臭ともいうべき妄執と破壊と狂気のイメージが重なり、深く捉(とら)えられて身動きできなくなるからだ。逃れたい。一刻も早く立ち去りたくなるけれど、とことん最後まで覗(のぞ)きたくなる。
おそらく途中で真相に気づくだろう。それでもおりられない。どこまでも暗く重く異常で、どこまでもリアルで切迫しているからだ。救いのなさが逆に絵になる、とびきりの絶望の物語。異様に明るい関西弁が狂気を研いでいて、怖い。 評・池上冬樹(文芸評論家)
| ティンブクトゥ | |
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タイトルは、もともとはアフリカ西部の地名だが、それと同時に「どこか遠いところ」を意味する。多くの英語辞典では“time”の直前の項目が “Timbuktu”であることも、「時間に先立つ国」を連想させるゆえんかもしれない。はたしてアメリカ作家オースターが九九年に放った長篇(ちょうへん)でも、ティンブクトゥは来世、つまり「霊たちのオアシス」「この世界の地図が終わるところで始まる場所」をさす。
主人公は、瀕死(ひんし)の詩人ウィリー・G・クリスマスの飼い犬で人語を解する雑種のミスター・ボーンズ。彼は、詩人の死を超えてメリーランドからヴァージニアへ南下し、さまざまな人々のもとで暮らすも、けっきょく自分を「欠かせない存在」だと実感させてくれたのはウィリーだけだったことがわかり、何とかして主人と同じティンブクトゥへ赴こうとする。彼は主人の話をあたかも自分の人生であるかのように共有し、死後の主人とも対話を続けていく。種族を超えた友愛に、わが国であれば、忠犬ハチ公の物語を思い出すかたも多いかもしれない。だが、本書の忠誠心は典型的なアメリカ南部の封建精神を反映することで、独特な感動を与えてやまない。【評 巽孝之(慶応大教授)】
| ぬけられますか 私漫画家 滝田ゆう | |
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親しかった編集者が夭折(ようせつ)してもう八年になるが、いまだにその人のことを思い出さぬ日はない。
広範な読者がつく見込みのない私のような書き手を、なぜそこまで贔屓(ひいき)にしてくれたのか。その答えの一端を本書に見いだした気がする。
漫画家・滝田ゆうの生涯を綴(つづ)ったこの本は、だが、かつての担当編集者による懐古談ではなく、故人の家族や友人知己、仕事仲間の多数に取材をしてまとめあげた、しっかりとした造りの評伝になっている。
戦前の“私娼窟(ししょうくつ)”で育つ少年の世界を描いた傑作『寺島町奇譚(きたん)』が、いかに生まれたか。これが本書の山場だが、晩年、肥満体の着流し姿でテレビの人気者になっても、終生「楽しまない人であった」滝田という故郷喪失者を見守りつづけた著者の視線の“満ち引き”が、本当の読みどころである。
名うての遅筆家にして、度を超した飲酒癖の持ち主だった滝田に始終振り回されながら、必ずしも売れる漫画家ではなかった彼に、どうしてかくも執心したのか。私は、ここにも作者と編集者という、ある意味で異常な人間関係に潜む“魂の相似形”のようなものを感じてしまうのだ。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】
| ラシーヌ論 | |
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30年も前からみすず書房の近刊予告に載っていた伝説の書物がついに姿を現した。これだけで「事件」である。
その上、本書はバルトの本のなかでも〈ヌーヴェル・クリティック(新批評)〉の理念を具体化し、従来の実証主義的文学研究者の激怒を呼んだ記念碑的な著作だ。実際、パリ大学教授・ピカールは「新批評あるいは新たないかさま」という本を書いて、バルトを攻撃し、文学史に残る論争に発展したのだった。
だが、そうした歴史的な事情から遠ざかったいま、虚心にこの書物に接する読者を打つのは、バルトの読解のこの上ない鮮烈さだろう。
フランス古典主義を代表する大詩人ラシーヌ。優雅をきわめる恋愛悲劇の作者というイメージは一挙に覆される。
「悲劇の偉大な場所は、海と砂漠のあいだの、絶対的な影と太陽に追いつめられた不毛の土地である」
冒頭の一文に代表される直感的な世界把握の鋭さ。そして触覚的ともいえる感性の冴(さ)え。一方には、夜と影、灰燼(かいじん)、涙と眠りと沈黙の断絶なき現前があり、もう一方では、武器、松明(たいまつ)、叫び声、きらめく衣装、生贄(いけにえ)を焼く祭壇、金と炎とが際立つ。そんな明暗法の世界としてラシーヌを再構成するあざやかな読解に、私たちは息をのむしかない。
しかし同時に、バルトは恐るべき荒々しさで、ラシーヌの世界を、エロスと暴力、血と罪、挫折と死が渦まく原始遊牧民的な欲望の世界としても図式化してみせる。
その繊細さと暴力性のコントラストに、哲学、言語学、精神分析の薬味を絶妙の匙(さじ)加減でふりかけるバルト節、こんな文章のアクロバット芸は誰にもまねできない。どんなに難解な概念を操っても、どれほど荒唐無稽(こうとうむけい)に論理を飛躍させても、バルトの書くものには、つねに名人芸の色と艶(つや)があって、読む者を楽しませ、酔わせてくれるのだ。
解題と訳注の密度と量にも驚嘆する。特に、100ページに及ぶ卓越した解題は、フランス演劇に精通する訳者ならではの、ラシーヌを通して現代演劇の最前線を照らしだす試みにもなっているのである。【評 中条省平(学習院大学教授)】
| 滝沢馬琴―百年以後の知音を俟つ | |
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真の理解者と出会った江戸の戯作者
雄大な歴史伝奇小説『八犬伝』の作者滝沢馬琴は、生涯に何度か「百年(ももとせ)以後(のち)の知音(ちいん)」を待つと記している。
草双紙から読本にわたって多くの作品がベストセラーになり、良質の読者にも恵まれていたのに、自分の真の理解者は百年後にしか出ないと言い放ったのだ。この言葉には名声にあぐらをかいた傲慢(ごうまん)の響きがないだろうか。
かねて馬琴再評価の前線で孤剣を揮(ふる)ってきた高田衛は敢然とこの発言を擁護する。またそれを突破口にして馬琴の心の深奥に迫ってゆく。
評伝ジャンルの制約はかえって視界を整理するのに逆利用され、尨大(ぼうだい)な伝記史料のうちから日記と書簡を捨てて家譜を取る。戯作者(げさくしゃ)馬琴は、実人生では断絶に瀕(ひん)した滝沢家の当主であった。代々旗本に仕える用人クラス武士身分の最下層である。微々たる家系であるが故に、馬琴はその存続に一生苦労した。
かつて馬琴は、近代日本の文学者から目の敵にされていた。口に勧善懲悪を唱えながら、私生活ではケチでしつこくて、小心で陰険な二面性のある男で、八犬士は仁義道徳の化物だと酷評されていたのである。著者はそうした人間的な欠陥にも眼(め)をつぶらない。むしろそれを「苦闘する人間像」の証しとするのだ。
馬琴の個人的なエゴとしての《我執》と超自我的な《家格》意識とは、癒着した臓器のように切り離し不可能な状態でつながっている。
自分は町家に婿入りして兄弟と子孫を《士分》にしようと奮闘し、しかも次々と死なれる惨憺(さんたん)たる家族史は、『八犬伝』世界から形而上(けいじじょう)的な光で照らし出される。それはこの世にありえない崇高な父性愛が、乱世にはびこる弑逆(しぎゃく)・流血・獣姦(じゅうかん)といった諸悪と戦って勝利し、地上に仁政の里見王国を樹立する幻想の物語だ。八犬士の随一で「仁」の化身として活躍する犬江親兵衛に孫の太郎を重ねることにも特別の意味が籠(こも)る。
深読みは精読と紙一重であり、しばしば洞察への最短距離になる。謎の言葉を馬琴の《この人を見よ(エッケホモ)》であると看破した高田衛こそ、百年後の知己の名に恥じない。【評 野口武彦(文芸評論家)】







現状分析はしっかり理解・整理できた
警戒意識が弱い














