メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年11月5日~11月12日
| 風が強く吹いている | |
![]() | 三浦 しをん 新潮社 2006-09-21 売り上げランキング : 55 おすすめ平均 ![]() 速さではなく"強さ" 現実の箱根駅伝と響き合う 駅伝素人Amazonで詳しく見る by G-Tools |
駆け出したくなるほど爽快な小説である。
蔵原走は、寛政大学の新入生。高校時代に不祥事を起こし、陸上部を退部したという苦い過去がある。コンビニでパンを万引きして全速力で逃走中、自転車で追いかけてきた同大四年の清瀬灰二に突然、声をかけられた。
「走るの好きか?」
走はそのまま清瀬が住む崩れかけのアパート竹青荘に無理やり連れ込まれ住むことに。
住人はみな寛政大の学生で、クイズマニアや漫画オタク、双子に司法試験合格者、アフリカの留学生など、九人がそれぞれ狭い部屋で自分の世界を築き上げていた。そこに走が加わったところで清瀬が宣言する。竹青荘は今、陸上部になった。箱根駅伝を目指すと。
十人必要な競技にぎりぎり十人で挑む。しかも、大半が陸上競技未経験者なのに。
ありえなーい、という設定。なのに、ずんずん心がわしづかみにされていく。なんだなんだ、このやろう、と悔しくなるほどに。
大学陸上部を実際に取材し、踏まえるべき事実を押さえたことも一因だろう。文句垂れつつも練習に励み、走ることの意味を問いながら成長していく彼らの姿は、決して絵空事と思えない現実味を帯びて迫ってくるのだ。
後半、箱根駅伝の襷リレーからはページを繰る手が止まらない。海岸線、温泉街、トンネル、芦ノ湖、富士山へとめまぐるしく変化する景色に、学生たちの過去の挫折や複雑な家庭事情が重なる。そこにいない九人は今その瞬間を走る一人に呼吸を合わせる。孤独な走りの中で知るのは、仲間の孤独。自分の殻に閉じこもり「厳しくなきゃ走らないやつも、楽しくなきゃ走れないやつも、走るのなんてやめればいい」などとうそぶいていた走も、一本の襷を通じて「自分以外のだれかを恃(たの)む尊さ」に気づいていく。
帯に「目指せ箱根駅伝」とある本書が、学生が互いの友情を確かめあい心身ともに成長していく物語だとは想像がついていた。だが著者は、読者に筋書きを予想されることなど恐れもしない。彼らの感情の起伏が丁寧に書き込まれているが、読者も一緒に走った気になってくれというような押しつけがましさも感じられない。それを望むなら本物の駅伝を応援すればいい。ならば読者としては、著者がなぜあえて小説で駅伝を書いたのかを考えてみたいのだ。すると、彼らの言葉がこれまでとは違う音色で響き始める。
〈俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所〉
人には、なんのためとか、誰のためとか、目的の定かでない行為を無性に必要とするときがある。それが何かは手にするまでわからないし、手にしたとしても他人に教えられるものではない。ただ、それはその人の人生を昨日までとはまったく違う色に塗り替える。
著者がこの直球勝負の物語で描いたのも、小説によってだけたどりつける「もっと遠く、深く、美しい場所」ではないか。本書を読み終えた瞬間たどりつける。私は確かに、その場所に立ったとしかいいようがない。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 昭和の住まい学 | |
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「サザエさん」にはさまざまな生活音があふれていた。ガラガラ――これは玄関の引き戸を開ける音。廊下を歩けばミシミシいい、ふすまを開ければガタガタいう。60年代も後半になると洗濯機がチャボチャボ回り、掃除機がゴォーとうなりはじめるが、テレビをつけるときはパチン、切ったときはプツン、電話はジーコンジーコンだ。
それがいまでは、玄関のチャイムがピンポーンと鳴り、ドアの開閉音はガチャン、バタンだ。ああ失われしガラリガラガラの戸。「ちびまる子ちゃん」の家も「ただいまァガラッ」だったのに。
『昭和の住まい学』は、とまあこんな具合にマンガや文学や広告や映画をダシや具材に用いながら、戦後の住まいの変遷をあの手この手でひもといた本。まとまった社会学的分析がなされているわけではないものの、豆知識がちりばめられて退屈しない。
もっともバカバカしい章を紹介しよう。題して「便所くんの野球日誌」。
便所くんは当初、打てない(ヒットが出ない)、守れない(定位置が取れない)の9番バッターであった。彼は奮起し洋式トイレ打法を開発するが、和式トイレ打法を打率で抜くまでに20年かかった。77年のことである。次に彼が開眼したのはシャワートイレ打法で、痔の人がファンについたが、これを認めさすには女性ファンが必要だった。そこで彼はCMに出た。「おしりだって、洗ってほしい」。82年のことだった。9回裏のこの逆転ホームランで便所くんはスターになり、3番ファースト浴室くん、4番サード台所くんに次ぐ5番に昇格する。だが、その後はこれといった打法がなく……。
バカバカしいといったけれども、戦後の住まいとはつまるところ開発競争の歴史だったことがここにはよく表れている。(容器としての)住宅ではなく(人も込みの)住まいである点がミソ。台所や浴室や畳といった大物から、シャンプー、スリッパ、お父さんのステテコまで、幅広く考察した読み切りコラム形式のこの本を読むのに適した場所は、お風呂かなトイレかな。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】
マフフーズ・文学・イスラム―エジプト知性の閃き
八木 久美子 (著)
近代と伝統、宗教の相克に悩んだ作家
私に山本周五郎か藤沢周平の筆力があれば、エジプトを舞台に下町人情物語を書いていただろう。レバノンを書くなら三島由紀夫の、イラクならパール・バックの筆が。
中東世界の日常は、波瀾万丈だ。成功と貧困、愛情と裏切り、義侠心。封建制と近代への憧(あこが)れ、抑圧、栄光と破滅。近代エジプトが経験した劇的な変化が、そのまま庶民の人生の中に凝縮される。
エジプト随一のノーベル賞作家で、この夏逝去したナギーブ・マフフーズは、始めて民衆を語りかけの対象にした人物だ。常に社会の中に生き続け、エジプト近代小説の祖となった。本書は、そのマフフーズ作品の魅力を余すところなく分析、紹介する。
マフフーズの悩みは、近代エジプトの悩みそのものだ。つまり近代と伝統、宗教の相克だ。20世紀前半、他の知識人同様彼も近代西欧技術、思想に魅了される。だが彼は、彼や社会にとってイスラムは切っても切り離せない存在だと認識する。科学至上主義に傾斜しながら、イスラム教徒というアイデンティティーにどう折り合いをつけるか。
彼はその解答を、イスラムのなかでも内面を重視する思想、スーフィズムに見いだす。律法主義的な規範としてではなく、神と一対一で対峙(たいじ)し、自由な精神を約束する。応えぬ、姿を見せない神というテーマは、キリスト教に関して遠藤周作が問い続けた問題に通ずるものがあるが、マフフーズは最後に、応えぬが暖かく見守る精神世界を配置する。それこそがスーフィズムだ。
軍事共和制政権の誕生以降、彼の発表した作品には、イスラムのみならず三大宗教発生の故事をそのまま揶揄したものが登場する。現在のイスラム界の保守化を考えると、よくもここまで寓話化できたものだ。実際、その後これが反イスラム視されて、マフフーズはイスラム主義青年の襲撃を受けている。
一つ一つの作品の引用、解説が秀逸。作品自体を読みたいという気にされる評論だ。だからこそ、マフフーズ作品の邦訳の出版点数が数少ないのが、歯がゆい。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】
| 都と京 | |
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都(みやこ)と京(みやこ)
東京的価値観ばかりがのさばる今、逆に和の文化にこだわる京都の価値は高まる一方だ。観光客の数も増え、しかも九割がリピーターという。
東京文化とは異質な京都の魅力の秘密を、本書は独特の繊細で柔軟な観察眼で解き明かす。「負け犬」の言葉で大ブレークした著者だけに、巧みな造語術に随所で笑ってしまう。京都と東京の比較はとかく高尚な文化論になりがち。肩肘張らない生活感覚溢れるこんな愉快な二都論に出会ったのは初めてだ。
京都の特徴は、無論その長い歴史あってのこと。平等で効率中心の分かりやすい東京に対し、京都では、人にも場所にも裏や奥が複雑に存在し、一筋縄ではいかない。だからこそ、著者の言う「お楽しみの重層性」も生まれるのだ。
ウチとソト、外来と地元、仲間と非仲間が区別され、受け入れに巧妙なバリアーがある。その様を著者は絶妙なタッチで描く。象徴的なのは言葉。洗練された京都の言葉は複雑な迷宮で、他所者が簡単には中心に入れなくしているという。面倒臭い複雑な贈答術、クラスの存在に裏打ちされた身分相応の精神、店に相応しい客かどうかを料理人が観るために存在するカウンター文化等、熟達が生む京都の特質を面白く見抜く。だが京都人は閉鎖的ではない。仲間になれば接し方がまるで変わるというのだ。
人と場所への考察は経済の領域まで広がる。京都にはスーパーが少なく、しかも卸売市場とは違う朝市や伝統市場のようなイチバが多いことに着目。地産地消色が強く、マチとイナカが近いのだそうだ。それでいて、京都には「都会性」があるという。だとすれば、21世紀の成熟社会にふさわしいコンパクトシティーのモデルと言えるかも。
古い京都礼賛ばかりでない。オタクの若者が集まるプチ・アキバの存在、濃いめで美味しい外食文化の発達、東大が明るく開催するミスコンに反対する京大の学生達(たち)など、京都の今が軽妙に語られる。著者は実は東京も大好きだ。東京と京都。違う価値観で動く二つの都を自由に往来するとは最高の贅沢者だ。【評 陣内秀信(法政大学教授)】
| 芸能鑑定帖 | |
![]() | 吉川 潮 牧野出版 2006-10 売り上げランキング : 1375 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
当代きっての落語・演芸の見巧者、吉川潮による演芸コラム99連発である。随所で膝(ひざ)を打ち留飲を下げる、めっぽう楽しい時評集に仕上がった。
吉川潮の美点の第一は、目の確かさである。彼が推薦する芸人は本物であり、注文をつける芸人には本質的に足りない所がある。例えば、先ごろ正蔵を襲名した林家こぶ平。吉川は正蔵の落語に偽善を感じるという。落語とは悪を含めて人間のすべてを肯定する芸なのだ。正蔵はその本質を見誤っている。なんと厳しく、潔い落語観だろう。
第二の美点は、文章の生きのよさだ。まさに江戸前、ほめる時も、けなす時も歯に衣着せず、その威勢のよさが文体になっている。本書の圧巻はかつての同志・快楽亭ブラックの借金踏み倒し・使いこみ事件の顛末だが、そこでの吉川はまるで「大工調べ」の棟梁だ。烈火のごとく怒りながら、その怒りを他人に見せる芸に昇華している。さすがというほかない。
美点の第三、いや、これがことの核心だが、吉川潮の書くものには愛があふれている。演芸評論は金にならず、長いつきあいが必要で、いくら芸人を愛しても見返りはない。その無償の愛が吉川潮の素なのだ。【評 中条省平(学習院大教授)】
| 戦後の巨星 二十四の物語 | |
![]() | 本田 靖春 講談社 2006-10-06 売り上げランキング : 2434 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
美空ひばり、手塚治虫、中上健次、現役では長嶋茂雄、井上陽水、ビートたけし……。この豪華絢爛たる顔ぶれを相手に、一人のノンフィクション作家が週刊誌上で行った対談が、二十余年後に一冊となった。いままで刊行されなかったのが不思議だが、タイムラグの分、昭和末という時代のにおいが伝わってくる。
おととし亡くなった著者は、野球に譬えれば、狙い球を絞って打つ強打者であった。だから、つぼにはまれば素晴らしい打球を放つ。
独断を承知で言うと、出色は“ショーケン”こと萩原健一の回。たとえば、かつての不良仲間に“ダイケン”と“チュウケン”がおり、二人は在日朝鮮人で、彼らに何度も助けられたと打ち明けるところ。萩原の、
「ボクらは河原乞食(かわらこじき)ですよ」
という言葉に、著者が、
「陰歩いてる特権もあるんだよね」
と応じるところ。朝鮮からの引き揚げ者だった出自に終生こだわりつづけた著者だからこそ交わせた対話である。著者と話すと、誰でも自分の中の“無頼”の血が騒ぐ。長嶋茂雄でさえそうなのだ。本書を貫くのは、この何ものにもまつろわぬ“不逞(ふてい)”の精神である。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】
| ブレイキング・グラウンド―人生と建築の冒険 | |
![]() | ダニエル リベスキンド Daniel Libeskind 鈴木 圭介 筑摩書房 2006-09 売り上げランキング : 19431 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
記憶に形を与える営み描く
リベスキンドは記憶に「形」を与えることによって、私たちの空間に対する政治感覚を触発し続けてきた建築家だ。ベルリンのユダヤ博物館や、アウシュビッツで絶命したユダヤ人画家ヌスバウムの美術館、そしてグラウンド・ゼロ。ポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、イスラエル、アメリカを渡り歩いたリベスキンドのまなざしは常に、建築の根底に位置づく歴史的記憶へと向けられている。
本書では、そうした記憶の建築家が、ライフヒストリーを織り交ぜながら、自らが関(かか)わったプロジェクトの舞台裏を語っている。というわけで、本書は有名建築家のコンペ奮闘記として読むことができるだろう。建築界をめぐるかなり人間くさい記述も見受けられ、読み物として面白く仕上がっている。
しかし、何よりも、私的な記憶と政治的な記憶が、建築を媒介として交差する瞬間を描き出す筆致が見事だ。ソ連の収容所経験を持つ両親から継承した記憶や、9・11犠牲者の遺族たちの声、故郷を47年ぶりに訪れた際の感慨。建築や都市が人々の重層的な記憶とともにあることを改めて痛感させられる。記憶の建築家の「らしさ」が存分に発揮された活字作品といえよう。【評 北田暁大(東京大助教授)】
| 文学全集を立ちあげる | |
![]() | 丸谷 才一 三浦 雅士 鹿島 茂 文藝春秋 2006-09 売り上げランキング : 807 おすすめ平均 ![]() この全集ほんとに出したら、売れなくて文春倒産するよね 文学ファン必読の書 冗談なのか本気なのかAmazonで詳しく見る by G-Tools |
文芸復権へ、雨夜の品定め
え、今どき文学全集だって? しかも世界文学を一三三巻、日本文学を一七二巻も立ちあげようなんて、本気なの?
だが、編者たちは、若い読者も楽しめる全集をと、ゴシップまじりで、かつ大まじめに論じているのである。
内容は型破りで、正典(キャノン)をめざした世界編はともかく(それでも、フロベールなら『ボヴァリー夫人』だろうとか、ロマン・ロランが入ってないぞとか、異論が続出するはず)日本編では志賀直哉と武者小路実篤が二人で一巻、芥川龍之介と菊池寛も同様なのに、内田百けんは一人で一巻、さらに小林秀雄が保田與重郎とあわせて一巻だが、吉田健一は一人で一巻。佐々木邦と岩田豊雄、林達夫と吉田秀和の巻まである。
編者たちの意図は明白だろう。求道的で禁欲的な作品やイデオロギー小説、とりわけ西欧の自然主義を矮小化して、誠実な告白を至上とする私小説が日本文学の幅を狭くした。志賀直哉神話や、小林秀雄美学の呪縛を解いて、生きる歓びを描く豊潤な作品を広く提示しよう――。
一覧表(リスト)を眺めて、文学好きな大人は雨夜の品定めよろしく秋の夜長を楽しみ、若い読者は創作のヒントを得る、これは文芸復権のための刺激的な本である。【評 杉山正樹(文芸評論家)】
| 官のシステム | |
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「官僚的」という言葉は往々にして、「形式的」、「権威主義的」の意味を持つ。日本の役人は実際「気の毒ぐらいの評判の悪さ」だ、と著者はいう。なぜ、そうなのか。どうしたら、現状を変えられるのか。本書は、日本の組織や制度から生じる「官僚の心理」に着目し、彼らの行動原理を解き明かし、併せて具体的な提言を行うものである。
著者はまず、役所の「大部屋主義」を取り上げる。各自が個室を持つ欧米の官庁と異なり、日本では官民ともに、大勢が一つの部屋で仕事をする。それは、同じ職場の者に迷惑をかけまいとする「気兼ね」を育む半面、時に「眼差の地獄」を生む。こうしたなかで、「自分の位置と役割をわきまえ、他の職員の足を引っ張らない」行動原理が生まれ、不適切な事務処理や不祥事があっても外に漏らさない「ウチ意識」ができる。
著者は、官僚の権力乱用を防ぐ諸法規を「鉄格子」にたとえる。万全に整備されている分、前例を離れて自由に裁量するのが難しいという。人事も硬直的で、「入府省四年で総括係長、八年で課長補佐……」というキャリア・パス(昇進街道)が完成しており、ノンキャリアの幹部登用は極めて限定的である。
その一方、日本では各省庁事務方トップによる事務次官会議が閣議の前日に持たれ、閣議決定にかかる事項を決めている。立法府に属する政治家が行うべき法案作成も、日本では官僚の仕事である。だから、機関委任事務の廃止をうたった第一次地方分権改革も、「この道一筋の結束力で公共事業予算のシェア確保を図っている」技官集団の妨害で、公共事業の抜本的見直しにメスが入らない。
がんじがらめの現状を改めるには何から手をつけるべきか。著者の提案は至って具体的だ。事務次官および各府省の審議官を廃止したうえで、現行の大臣政務官を複数の副大臣補にして自由任用も採り入れて政治部門の充実を図る。また、局長以下の一般職員が政治と直接かかわることを禁止すべきだ、というのである。行政改革論議の核心を突く問題提起と思われる。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| ブルー・ローズ〈上〉 | |
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| ブルー・ローズ〈下〉 | |
![]() | 馳 星周 中央公論新社 2006-09 売り上げランキング : 1657 おすすめ平均 ![]() なんで?? 激しさを増す後半戦Amazonで詳しく見る by G-Tools |
あの馳星周が帰ってきた! ここ数年、意図的に暴力と性描写を抑えた物語を作っていたが、ただ狙いも出来も悪くないものの(『雪月夜』のような秀作も生まれたが)、充(み)たされないものがあった。しかし本書で戻ってきてくれた。熱く激しい物語の世界、人物たちが劇的に対決し、感情が沸騰するような凶暴なる狂気の世界がここにある。
物語は、元警部補の徳永が警視総監の井口の家を訪問する場面から始まる。五日前から行方不明になっている、井口の娘の菜穂の調査依頼だった。菜穂は一昨年に結婚し、趣味の薔薇作りに精を出していた。徳永は早速薔薇作りの仲間の主婦たちと会うが、彼女たちの行動には不審な点があり、深く追及していくと、隠された秘密が見えてくる。
スタイルは一人称一視点でテーマは失踪人探しである。これはもう典型的な私立探偵小説。徳永が借金まみれで酒びたりというのも、ハードボイルドにありがちな“うらぶれた探偵”だし、やがて見えてくるSMクラブや警察の腐敗もお馴染みのものだ。
ノワールの旗手が、オーソドックスな私立探偵小説を書いたとみえるが、それは前半のみ。馳星周のヒーローにしては珍しく正義を求めるのだが、警察内部の権力闘争にまきこまれて暴走していく。この暴走が圧倒的だ。下巻の中盤から怒濤の暴力と熱情の世界が繰り広げられ、息をつめて読んでしまうことになる。
だが従来のような抑圧された感情を解き放ち、カタルシスを得る物語ではない。馳星周はあくまでも人間の深層意識にある破壊衝動を見据えている。“狂乱の世界で、わたしは己だけを恃みながら生きてきた。だが恃むべき己が崩壊し形を失って”しまったいまどうなるのか。人は性と暴力の奴隷になるのかを探る。
性と暴力のアナーキーな快楽を徹底的に追求し、同時に快楽への深い畏れも視野にいれて、壊れた自己の残骸を生々しく描破する。読者を厳しく選ぶが、ノワールの王者ジェイムズ・エルロイの凄(すさ)まじい狂熱と、現代ハードボイルドの雄、北方謙三の沈潜した内面凝視が出会った傑作だ。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 日本災害史 | |
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阪神淡路大震災の体験から生まれた「災害は社会の深部を抉り出す」という言葉は時代を超えた真理であり、この一冊をつらぬくキーワードになっている。
地震・洪水・飢饉・噴火など巨大規模の災害は、一過性ではなく、社会に不可逆的な痕跡を残さずにいないから、深甚な自然災害はかならず歴史災害の性質を帯びる。
本書は古代・中世・近世・近代・現代と五部に分けて構成されているが、ただ時代を下るだけの通史ではない。個々の章には独立性があり、各時代に発生したモニュメンタルな災害のいくつかを典型化し、複数の筆者が、それを切り口として当該社会に固有の内部矛盾に迫るという構成を取る。
加うるに、本書には従来の災害研究から一歩踏み出した大きな特色がある。災害史は被害を語るばかりでなく、復興を視野に入れなければ災害史として成り立たないとする信念から、人間が災害を克服する《復興》に軸足を据えたことである。各章に収められた考古学・地震学・火山学・水理学・土木工学など諸分野にわたる専門家の知見が、災害学の基礎理論・基礎概念を整理するのに役立つ。
復興はたんなる復旧ではなく、社会インフラの増大を伴うが、一定規模以上の大土木工事は国家権力でなければ営めない。その意味では、権力とは《災害復興の能力を有する者》に他ならない。また逆に、災害は時々の権力者に鼎(かなえ)の軽重を問うのである。
古文書や発掘調査で復原される災害史の断片から歴史の現場が見えてくる。
たとえば古代日本では、天仁元年(一一〇八)の浅間山噴火。降灰地域の復旧の遅れには「律令社会の弛緩」が読み取れるという。中世になると、各地で繰り返される大洪水に対応する築堤工事の分担をめぐって荘園領と国衙(国司役所)との対立が目立ち、その間に現地で実務を請け負える地域権力が台頭してくる。鴨長明の『方丈記』に描かれる元暦二年(一一八五)の京都大地震が、平家滅亡と同年に起きているのも象徴的だ。
近世では宝永四年(一七〇七)に富士山大爆発、天明三年(一七八三)に再び浅間山噴火。どちらも被災藩領だけでは自力解決できず、幕府単独でも処置できない。治水事業についても同様で、幕府が強権で大名に出費させるしかなかった。災害史上の近代とは、廃藩置県を経て一国全体での対策が可能になった時代なのである。また大正十二年(一九二三)の関東大地震のように、都市部への人口集中による被害規模の激甚化という新しい事態にも直面した。阪神淡路大震災の復興過程で、被災者支援よりインフラ整備計画が優先されたとの指摘も、背後に見え隠れする《災害と権力》の関係を鋭く衝いている。
大災害は常に《想定外》のかたちで発生する。一つの災害の復興事業は、未発の災害に対する予行演習だ。災害源は確実に増えている。日本列島が、近い将来、スケールも性質も異なる新しい災害に遭遇する予感におののいている昨今、本書はうずたかい難問の山に一条の光を差しかけた労作である。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 空飛ぶタイヤ | |
![]() | 池井戸 潤 実業之日本社 2006-09-15 売り上げランキング : 2736 おすすめ平均 ![]() 正義は勝つ!な世の中だといいなあAmazonで詳しく見る by G-Tools |
マンション耐震強度偽装やエレベーター事故、いじめの事実隠蔽などのニュースを見聞きするたび、なぜ大の大人が責任のなすりつけ合いを何カ月も続けるのか、私はつねづね不思議に思っていたのだが、この小説を読んで「ああ、こういうことであるのか」と深く納得した。
大型トレーラーのタイヤが突如外れ、歩道を歩いていた子連れの主婦を直撃した。男の子は軽傷ですんだものの、主婦は死亡。大型トレーラーを所有していた運送会社に、業務上過失致死容疑の捜査が入る。スピード違反と過積載の事実はなかったものの、整備不良だったのか否かが確認できない。トレーラーの製造元であるホープ自動車にはなんの過失もなかったのか。そのことを究明するために、運送会社社長の赤松は全国を走りまわり、やがてホープ自動車の欠陥隠しを確信する。
さらに小説は、ホープ自動車側の目線でも描かれる。「官僚以上に官僚的」な社内の体質故に、社内の力関係ばかりに敏感な社員たち、徹底的に事なかれ主義の幹部。その体質にまみれつつも、「車を造りたい」という夢を追う沢田。さらに、事態を冷静に見つめる系列会社東京ホープ銀行の井崎と、立場のちがう多数の登場人物たちを緻密に描き出し、隙のないリアリティが細部を覆っている。
なるほど、このようにして人は、たやすくものごとの本質を見誤るのか。ひとりの命より、社名や肩書や世間体が重要だと、このようにして思いこんでしまうわけか。小説の向こうに、昨今のニュースが透けて見えてくる。四年前に実際に起こった死亡事故と、その後の展開を思い出す人も多いだろう。赤松とともに怒ることのできる自分に、安堵してしまう。
「結局のところ人は皆、歯車である」というのは、赤松がつぶやく言葉である。企業や社会において歯車でしかない私たちが、どのように自分自身を獲得するか、その過程を書いている。じつに牽引力のあるエンターテインメント小説であり、同時に、人間性を疑うような事件の多い現在への、痛烈な批判でもある。【評 角田光代(作家)】
| 夏の力道山 | |
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温かくて力強くて、清々しい小説である。シンプルだが微妙なニュアンスがこめられていて節々で読ませる。
副題をつけるなら、「働く主婦五十嵐豊子、四十一歳の生活と意見」となるだろうか。五歳の男の子と三歳の女の子の母親で、映画監督兼時々俳優の夫をもつ豊子は、友人と小さな編集プロダクションを経営して、仕事と家庭生活をうまく両立させている。
小説では、そんな豊子の一日を追う。朝、夫に起こされて、二人の子どもの食事を作り、子どもたちを保育園に預け、仕事に出かけ……といった細々とした生活がスケッチされていくだけなのだが、読み応えがある。出色の受付嬢小説『いらっしゃいませ』(角川文庫)をあげるまでもなく、夏石鈴子の手にかかると、ありきたりの日常生活がとたんに輝きだす。
ここで輝くのは家庭と仕事である。豊子は仕事と家庭を両立させているが、その苦労は並大抵のことではない。夫はほとんど経済力がなく、自分が稼ぐしかないのだが、彼女はあまり不平を言わずに、その苦労を、持ち前の“知恵”で乗り切っていく。つまり正しく判断し処理する能力である。この正しく判断する能力こそが、読者にとっては発見につながり、語られる台詞が卓見となる。
すなわち、相手が何を必要とするかを理解するために“雑用の玄人”になれ、仕事はどんな仕事であれ“芸”である、“母親の一番大切な仕事は、子どもを正しく支配し、諭すことだ”。そのほか男のさばき方、セックスの基本形、結婚が成り立つ三つの要素についても溌剌とした解釈を示して唸らせるのである。ときにニヤリとするような見方を示して、生き方を楽にさせてくれる(夏石鈴子は優れた解説本『新解さんの読み方』の作者でもある)。
『いらっしゃいませ』同様、とても短いのが不満だが(これが唯一の欠点。もっともっと長く書くべきだ)、でもこれほど日常生活を読ませる作家も珍しいだろう。何でもない日常から、こんなに箴言を引き出す作家もまた珍しい。注目すべき豊かな才能である。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| それでも家族を愛してる | |
![]() | ポー・ブロンソン 桐谷 知未 アスペクト 2006-09-29 売り上げランキング : 1498 おすすめ平均 ![]() いろいろ経てみて見える家族があるAmazonで詳しく見る by G-Tools |
結婚するのは簡単だ。が、そのあとがむずかしい。昔からそう言われてきたけれど、いまはもっとずっと大変だ。ましてや夫婦が子供を無事に育て上げ、終生添い遂げるなど至難の業に見えてくる。だから、世界中で「家族の崩壊」が叫ばれる……。といった通念に、著者は断固として「NO!」を突きつける。
かくも激変する世の中で、家族は驚くべき適応力を示し、新しい様々な形を生み出している。つまり、家族は「進化しつつある」というのだ。著者にそう確信させたのが、十九の家族を描き出したこのノンフィクションである。
各々の家族やその複雑な物語を紹介するよりも、彼らが抱えてきた問題を列挙するほうが、読者のイメージを鮮明にするだろう。たとえば、両親の不和、結婚生活のすれ違い、親子の断絶、幼少期のトラウマ、家庭内暴力、精神障害、浮気、失業、離婚、老親の介護、片親の家庭……。どれにもまったく無縁の家族などないはずだ。
しかし、語る側はいかにもそれらしい物語をなぞる通弊に陥りやすい。そこで著者は同じ内容の話を五回から八回もさせ、陳腐で「安全な」ストーリー化を許さなかった。
実のところ、家族をテーマにしたノンフィクションは滅多に成功しない。本書が稀な例外となったのは、七百人もの候補の中から十九の家族を選び抜き、そのうえで長期間に及ぶ粘着的なインタビューを繰り返して、それぞれの一筋縄ではいかない物語を紡ぎ出した著者の力量による。
ただし、本書に即効的な処方箋を望むと当てが外れる。ここには、気の利いた箴言や、スピーチで使える“ちょっといい話”はほとんど出てこない。登場人物がおずおずと、だが腹蔵なく自身と家族を語るにつれ、それらがいわば“まるごと”われわれに働きかけてくるのである。
読み始めは、著者の独特な話法や異文化への不慣れから、内容が頭にすんなり入ってこないかもしれない。
願わくば、再読味読していただきたい。いくつかの家族の物語は、必ずあなたに食い込んでくる。【評 野村進(ジャーナリスト)】
| 闇の底 | |
![]() | 薬丸 岳 講談社 2006-09-08 売り上げランキング : 1456 おすすめ平均 ![]() 前作が良かっただけに‥ 読みやすいですが…… 本の帯の文言が意味するところはAmazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年、江戸川乱歩賞を受賞した薬丸岳の第二作。受賞作『天使のナイフ』は、妻を少年たちに惨殺された男を主人公にして、被害者の家族感情を無視し、未成年の犯人を過剰に保護する側面のある少年法の不備を鋭く突く作品だった。
一方、本作は、幼女を強姦したり殺害したりしながら、社会復帰して再犯に走る性犯罪者の問題を扱っている。
主人公の刑事・長瀬は少年時代、自分の不注意から妹を幼女性愛者に殺された過去の持ち主だ。その長瀬の周辺で、幼女への残虐な犯罪が起こるたび、性犯罪の前歴者が殺される事件が発生する。犯人はサンソンと名乗る。フランス史に名高い首切り役人の名だ。その名の通り、サンソンは見せしめに性犯罪の前歴者の首を切断する。捜査の結果、斬首された男たちに共通する過去が見えてくる……。
過去のトラウマゆえサンソンに共感しかねない刑事・長瀬。サンソンをもてはやすマスコミ。劇場型犯罪への対応を迫られる警察。そしてサンソン本人の内心。多面的に絡みあう事件をスピーディに描きだす作者の腕は確かだ。この種のミステリーではどんでん返しはお約束だが、あなたは犯人を見抜けるか?【評 中条省平(学習院大教授)】
| アナーキカル・ガヴァナンス―批判的国際関係論の新展開 | |
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今日、リベラリズムは、ケインズ的経済政策と市民的自由を尊重する政治体制との組み合わせというかつての社会的リベラリズムの様式から、ハイエク的経済政策と治安管理を重視する政治体制との組み合わせという、いわばネオリベラリズムの様式へと転換を遂げつつある。著者はこの転換を、それなりに良かったものからの堕落や腐敗としてではなく、リベラリズムに内在する病理の全面化としてとらえ、徹底した批判の立場をとろうとする。
その病理とは、リベラリズムの外部に絶対悪があるとし、他者にその絶対悪を投影することで、その表象から人間性が剥奪され、暴力への歯止めが失われるメカニズムと要約されよう。つまり今日「テロリスト」に向けられる暴力は、かつて新世界の先住民に、あるいはナチス・ドイツ下のユダヤ人に向けられた暴力と同型の論理によるというわけだ。
批判が容赦ないだけに、希望のある将来像はなかなか見えない。ネオリベラリズムと表裏を成す共和主義の芽の評価は最後まで両義的なままである。しかし、ポストモダニズムの思想的問題意識を国際政治学の次元で正面から受け止める著者の継続的努力は貴重だ。【評 山下範久(北海道大助教授)】
| マンションの地震対策 | |
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欧米に比べ日本のマンションの歴史は短いが、今その数は急速に増えている。しかも日本は世界有数の災害国。来るべき大地震にどう備えるべきか。もし地震で壊れたらどうするか。姉歯元建築士の構造強度偽装事件で不安が広がる中、安心への心構えを伝授してくれる有り難い本が出た。
著者は、マンション保全コンサルタントとして長年の実績をもつ工学博士。我が国の度重なる地震の苦い経験を糧に、マンションの安全性がいかに高められてきたかを平易に説く。だが同時に、構造的には安全なはずの新しいマンションにも、玄関ドアが開かなくなる閉じ込め事故、電気・ガス・水道の停止等、多くの危険があると警告する。
本書の価値は、11年前の阪神・淡路大震災の被災状況と復興の紆余曲折を徹底検証した生々しさにある。その教訓として著者がこだわり批判するのは、補修すれば十分に住み継げるのに、建て替えを選択したマンションが多かった点だ。建て替えのみに公的支援をする行政の姿勢や社会風潮を問題視している。被害を最小限に抑えるにも、復興を円滑に進めるにも、結局は人と人の繋がり、コミュニティの日頃の活動が大切だというのが著者の思いだ。【評 陣内秀信(法政大教授)】
| ラビリンス 上 | |
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| ラビリンス 下 | |
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英国に住む著者は、南フランスのカルカソンヌの町を旅してその魅力の虜になった。家まで求めて地域の村々を訪ね回り、5年をかけて本書を完成した。
著者は、女性作家の小説を対象とするオレンジ賞の創設者の1人。それだけに登場する2人のヒロインは、造形が巧みだ。
その1人、アリスは、2005年にフランス南部の遺跡の発掘調査に参加、洞穴を見つける。その中には、二体の骸骨と壁に刻まれた迷路(ラビリンス)、石の指輪があった。一方、13世紀初頭カルカソンヌに住むアレースは、聖杯の秘密が記された書の守護者となり、危険な旅に出る。800年の時空を越えて運命の糸で結ばれた2人は、ともに勇敢で愛情深い。
背景に、十字軍によるフランス南部の征服という壮絶な歴史がある。城の陥落前に、カトリック教会から異端とされたカタリ派信者が秘宝を持ち出したとの言い伝えも存在する。史実と伝説とフィクションが絶妙なバランスを保ち、ミステリー、ロマンス、ファンタジー小説と、いずれの読者も楽しめる。一つに織り込まれた二つの物語は、英国で100万部を突破、39カ国での出版が決定したベストセラーである。【評 多賀幹子(フリージャーナリスト)】
| 思想空間としての現代中国 | |
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高度経済成長、環境問題の深刻化、消費文化の成熟、格差社会化の進行。ポスト89年――天安門事件以降――の中国は、あたかも日本の60年代から90年代を一挙にやり遂げようとしているようにも見える。そのせわしない社会変動のなかで、中国の知識人たちは何を思想的課題として受け止め、いかなる議論の場を創り出そうとしているのか。本書は、中国研究者でなくとも気になるこうした問いに取り組んでいく上で、有益な示唆を与えてくれる。
著者にとって最も根源的な問いは次のようなものだ。「いま世界で使われている中国についてのさまざまな解釈枠は、中国を各種理論や方法で説明されるべき、受動的な客体としてのみ扱っている。とするならば、中国は真の意味で『思想空間』となりうるであろうか?」
「思想空間としての中国」を脅かす議論には二つの種類がある。ひとつは、経済的な自由主義や西洋的な近代化論などを普遍的な評価基準として設定し、現代中国の成熟度を測定するもの。著者は、そうした知の従属化に抗(あらが)うべく、80年代の「新啓蒙主義」やマックス・ウェーバーの理論(の中国への直接適用)を批判的に検討する。
いまひとつは、ヨーロッパ中心主義を批判するあまり、中国あるいはアジアなどを、無前提に実体化してしまうものである。真の意味で西欧中心主義を超克するためには、アジア中心主義を肯定するのではなく、グローバルな世界システムの連関を歴史的に把握することによって、「自己中心的・排他主義的・拡張主義的な支配論理」を打破しなくてはならない。著者が新自由主義に批判的スタンスをとりつつも、終始グローバリゼーションのダイナミズムを重視するのも、そのためである。
知の従属化と「アジア」の実体化のあいだを縫って、目まぐるしく変化し続ける現代中国の思想的来歴を追究する著者の姿勢。そこからうかがえる切実な問題意識を、日中関係が微妙な今だからこそ、アジアの隣人の一人として真摯に受け止めたい。【評 北田暁大(東京大学助教授)】
| 星々の生まれるところ | |
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ホイットマンの詩で占う人類の運命
ストウ夫人が黒人奴隷制批判をこめた長篇小説『アンクル・トムの小屋』(一八五二年)が南北戦争の引き金と目されて久しいが、そのことは誰よりも時の大統領リンカーンが堅く信じていた。文学は時として世界を動かし、歴史をかたちづくる。
前作『めぐりあう時間たち』(一九九八年)ではモダニズムの巨匠ヴァージニア・ウルフに挑戦したカニンガムが昨年二〇〇五年に放った最新長篇は、十九世紀アメリカのロマン主義文学を代表するウォルト・ホイットマンの名詩集『草の葉』(初版一八五五年)をモチーフに選んだ野心作だ。過去・現在・未来の三つの視点から編み出された三つの連作は、ホイットマン文学に九・一一同時多発テロ以後の時代を乗り越えるヒントを見いだし、人類全体の運命を占う。
第一部「機械の中」では十九世紀後半のニューヨークを舞台に、工場の機械に飲み込まれ非業の死を遂げた兄サイモンを偲びつつ、兄の恋人キャサリンに恋心を抱く弟ルーカスが、街角で詩人ホイットマンと出会い、機械の中より死せる兄の声を聞いて啓示を受け、ひとつの決断を下す。
第二部「少年十字軍」では二十一世紀前半のニューヨークを舞台に、黒人女性警察官であり、かつて息子ルークを亡くした過去をもち、いまは年下の恋人サイモンその他と奔放な生活を送るキャットが、不動産界の大物を巻き込むテロ事件実行犯の母親で「ウォルト・ホイットマン」と名乗る老女に出会う。
かつてホイットマンは「星々の誕生を見に宇宙へ連れて行く」と歌ったが、それを承けた本書は、地球という星自体の新生を夢見ようとする、最も詩的な祈りである。【評 巽孝之(慶応大学教授)】


速さではなく"強さ"






この全集ほんとに出したら、売れなくて文春倒産するよね


激しさを増す後半戦




前作が良かっただけに‥





