メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年11月19日~11月26日

ブラック・アトランティック―近代性と二重意識
ブラック・アトランティック―近代性と二重意識ポール ギルロイ Paul Gilroy 上野 俊哉

月曜社 2006-09
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近代史の隅々に生きていた黒人たち

標準的な世界史のなかで、大西洋は、いまもって近代の揺籃(ようらん)の地である。大航海時代の筆頭に挙がるのは常にコロンブスであり、産業革命もフランス革命もアメリカ独立革命も、みな大西洋で起こった事件である。少なくとも19世紀に至るまで、近代史を語ることは、大西洋史を語ることとほぼ同義である。

ここにヨーロッパ中心主義の匂(にお)いを嗅(か)ぎつけるのは、いまではむしろ常識的な話だ。近代はヨーロッパの白人だけを主人公とする物語ではない。近代史をグローバルな視野から書き直す試みは、現に盛んである。

考えてみれば、そもそも大西洋自体がヨーロッパ人の海などではなかった。近代の大西洋は奴隷貿易の海でもあり、そこで展開する近代史の隅々に黒人たちが生きていたからである。さらにその黒人たちは、「黒人たち」と単純に一括(くく)りにできるような存在ではない。たとえば、ガーナの黒人、アメリカの黒人、ハイチの黒人、イギリスの黒人は、それぞれ異なる文脈に埋め込まれていたからである。

言われてみれば当然の指摘ながら、このことを系統的に論じ、それを踏まえて世界史全体の書き換えと、近代概念そのものの再定義とを迫る本書の衝撃は凄(すさ)まじかった。

本書は、読み書きのできる白人の男性という、自己のアイデンティティーの一貫性に何の疑いもない抽象的な主体を前提とした啓蒙(けいもう)の概念を、全編にわたって完膚なきまでに打ちのめす。啓蒙のプロジェクトは、そこから排除されるひとびとのカテゴリーを作り出すことで成り立っていたのだ。著者は、その排除されるひとびとのカテゴリーに囲い込まれた黒人が、いかにして、その啓蒙の論理の矛盾を突き、その論理を逆手にとることで自らの解放を目指したか、その多様な戦術(特に読み書きの能力を身につける機会を奪われた彼らが、音楽という手段をいかに創造的に用いたか)を描き出す。

そして同時に強調されるのは、そこにとりついて離れない不安である。自らを排除する論理を逆用して自らを解放する戦術の可能性は、逆に自らを解放する論理に、自らを疎外する契機が潜んでいることを示唆するからだ。

この不安は、突き詰めると、決して「黒人たち」に固有のものではなく、むしろ啓蒙のプロジェクトそのもの、近代そのものにつきまとう不安である。近代に生きる人間は、潜在的に、誰もがそれぞれのしかたで「黒人」、つまり排除されるカテゴリーに囲い込まれる危険を負わされた存在なのである。

新しい問題設定を切り開く作品の常として、本書は長らく、熱狂的な賛辞とともに、当惑や拒絶にもさらされてきた。あたかも秘教の経典であるかのように、本書を敬して遠ざける向きもいまだに見受けられる。しかし原著刊行から13年の時間を経て、本書の問題意識はずいぶんと当たり前のものになった。実際、よく練られた良訳を通して、著者の議論に再度接すると、むしろその論旨の明晰(めいせき)さに吸い込まれるような思いがする。文化研究の原点を再確認する好機として、気負いなく読みたい作品である。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

東京の果てに
東京の果てに平山 洋介

NTT出版 2006-10
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多額の投資を呼び込んだ都市のホットスポットで、天空に向けてそそりたつタワーマンション。それは徹底したセキュリティー・システムによって防護され、周辺の街の文脈から独立した「飛び地」として内閉している。もはやそこには建築が都市を支え、都市が建築を支えるといった相互関係を見いだすことはできない。

一方で、バブル経済崩壊後、住宅価格の低迷から抜け出すことのできないコールドスポットが都市縁辺部、郊外に散在している。そうした空間分化は市場経済の論理によってもたらされただけではなく、政策的な介入によっても拡大されることとなった。「“ホットスポット”に多量の援助を与え、“コールドスポット”をいっそう冷却し、都市の空間と経済とを切り分ける、という人為の力が東京改造を形づくった」。こうした視点に立ち、著者は実証的なデータを踏まえながら、淡々と、しかしときに熱く、ポストバブル期における東京の空間分化の問題に切り込んでいく。

戦後日本は、中間層に位置する多くの人々が持ち家取得を目指して梯子(はしご)を登ることができるような政治・経済システムを整えてきた。住まいをめぐるライフコースの筋書きが作られていたということができよう。しかし、その梯子の存在が自明なものでなくなって以降、梯子のあり方は多様化・拡散することとなった。

著者はそうした拡散・多様化の過程を書き留めると同時に、多様化が社会分裂につながる可能性を鋭く指摘する。都市を「葛藤(かっとう)を受け入れる空間」であるとする著者は、高層タワー建築=「飛び地」への内閉を、都市における風景、暮らしの経験、建築と環境の差異を見えにくくする「反都市的」な試みとみる。世界都市として「成熟」へ向かっているかにみえる東京が、実は「都市」としての機能を失いつつあるのではないか――著者の問題意識は明確であり、また切実なものだ。

オリンピック誘致に乗り出すという世界都市・東京。本書は、その実態を見据え未来を考えていくうえで大きな示唆を与えてくれるだろう。【評 北田暁大(東京大学助教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

反西洋思想
反西洋思想イアン・ブルマ アヴィシャイ・マルガリート

新潮社 2006-09-15
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おすすめ平均 star
starなかなか
starすごく面白い!
star読んでると、なるほど、と思いますが

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何者かに脅かされている危機感反映

冷戦後の世界における衝突、対立を論ずる議論は概して、対立の原因を冷戦期のような「主義」にではなく、民族や家の宗教・宗派のような、先天的要素に帰する。ハンチントンの『文明の衝突』は代表例で、人はどういう生活空間に生まれ育ったかで衝突する、と考える。

こうした発想が厄介なのは、生まれ育ちが原因だから対立は解決不能だ、との結論に導かれがちなことだ。衝突が政策や経済対立から発生する、との視点は見られない。

9・11を契機に執筆された本書は、近代自由主義世界が反西洋思想によって攻撃されている、と認識する。ここでの反西洋主義は、西洋の物質主義、合理主義、都市性を、非人間性、魂のなさ、腐敗(西洋毒)として嫌い、精神性や信仰に重きを置く。

反西洋思想の起源は西洋内部にあり、地理上の非西洋が反西洋と同義ではない、との指摘は正しい。反西洋の代表例として挙げられる全体主義もイスラーム主義も、西洋近代の副産物だからだ。

だがそこで実際に取り上げられる事例の多くは、アジア、イスラーム諸国といった地理的非西洋である。ドイツ、ロシアも挙げられるが、ここで想起させられるのは、19世紀から根強く存在する、近代化先進国としてのフランス、イギリスに対するドイツ、ロシアの後進性、との認識だ。反西洋思想の出現に、近代性受容の先進/後進という、進化論的な前提、歴史規定性が見える。

だから本書は真っ先に、戦前日本の「近代の超克」論を反西洋として挙げる。ここでは日本は明らかに、反西洋思想の豊かな土壌だ。先進西洋から見て日本がそう括(くく)られる類(たぐい)であることを知るだけでも、本書は読む価値がある。

個々の分析はかなり雑。しかし雑でも反西洋で括らずにはおられないほど、西洋は、何者かに脅かされている、との危機感を抱えている。それを反映したのが、本書だ。雑に括って対立構図を固定化するより、個別事例を正確に認識して、それぞれの反西洋性の原因を腑分(ふわ)けした方が、解決につながるのだが。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

選ばれた女〈1〉
選ばれた女〈1〉アルベール コーエン Albert Cohen 紋田 廣子

国書刊行会 2006-09
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選ばれた女〈2〉
選ばれた女〈2〉アルベール コーエン Albert Cohen 紋田 廣子

国書刊行会 2006-09
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途方もない奇書である。たとえていえば、プルーストをこえる瑣末(さまつ)主義、セリーヌの塁を摩する錯乱、ジョイスに匹敵する内的独白が、滔々(とうとう)として恐るべきお喋(しゃべ)りの激流に溶けこみ、音高く泡を立てているといった趣なのだ。

主な筋立ては典型的な宿命の恋、現代版のトリスタンとイゾルデといってもいい。

舞台は第二次世界大戦を控えたジュネーヴ。主人公のソラルは国際連盟の事務次長を務める中年の美男で、生まれながらの誘惑者だ。この男が一目惚(ぼ)れの恋に落ちる。相手は自分の部下の妻で、貴族出身の美女アリアーヌ。ソラルは夫を出張命令で海外に放逐し、彼女をものにする。

その狂気の愛の凄(すさ)まじさ!まずはそこが読みどころだ。

純乎(じゅんこ)たるロマンチシズムと悪魔的な嘲笑(ちょうしょう)とを混ぜあわせて、愛と性の諸相が病的な執拗(しつよう)さで描きだされる。

おりからのナチスの台頭で、ユダヤ人のソラルは国連から追放される。作者のコーエンはユダヤ人難民のための国際パスポートの起草者であり、物語後半のソラルを呑(の)みこむ受難には、作者自身の個人的な体験がにじみだす。

国籍さえも奪われたソラルは、アリアーヌだけを伴侶として放浪の旅に出るが、物語の後半では、宿命の愛の暗黒面がこれでもかこれでもかと畳みかけられる。引き金を引くのは嫉妬(しっと)である。アリアーヌが短い関係をもった男のことをたねに、ソラルはねちねちと彼女を責める。

その情熱的な愛から絶望的な嫉妬への転換が恐ろしい。そこには明確な理由はなにもないからだ。男と女が社会的な絆(きずな)を絶たれて一緒に生きることの必然としかいいようがない。その必然に導かれて二人は醜悪な心中に至る。理由を欠いた、絶対的な運命悲劇。どうして作者はこんな物語を書かなければならなかったのか。それが最大の謎だ。

とはいえ、上下二段組で千ページ近い大冊の大半を占めるのは、官僚政治、パーティー、家系、ファッション、美食、ユダヤ民族誌等々をめぐる饒舌(じょうぜつ)きわまるトリビアである。結末までたどり着けるのは、選ばれた読者であろう。【評 中条省平(学習院大学教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

メディア・ナショナリズムのゆくえ―「日中摩擦」を検証する
メディア・ナショナリズムのゆくえ―「日中摩擦」を検証する大石 裕 山本 信人

朝日新聞社 2006-10
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おすすめ平均 star
star一章は面白い

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日中関係揺るがすネット言論

自分に敵意をむき出しにしてくる相手を好きになる者は、まずいない。まして異国同士がメディアを通して感情的な批判を繰り返せば、お互いに嫌悪感を増幅することになる。いわゆる「メディア・ナショナリズム」と呼ばれる現象である。

05年に中国で起きた反日デモ前後の新聞ならびにインターネット上の言論も、その例に漏れない。

本書によれば、中国では新聞などの既存メディアが政府の統制下にあるために自由に発言できず、それが国連常任理事国入りを目指す日本に対するネット上の書き込みにつながり、反日デモの呼びかけ役になったという。

しかし中国のネット言論は専制政府が掌握するプロパガンダ・マシンではなく、むしろその暴走を嫌って検閲に乗り出した中国政府と、規制の網をかいくぐるユーザーとのいたちごっこが起きている実情も紹介されている。

安倍政権発足以来、新たな局面を迎えた日中関係にとって、双方におけるネット言論が与える影響は計り知れない。タイムリーで重要なテーマに取り組んだ点は評価でき、それぞれの章も興味深く印象に残ったが、全体の統一感に欠けるのが惜しまれる。【小林良彰(慶応大教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

アルジャジーラとメディアの壁
アルジャジーラとメディアの壁石田 英敬 西谷 修 中山 智香子

岩波書店 2006-09
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おすすめ平均 star
starガイドブックの域を出ない

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アラブで育つジャーナリズム

情報記号論、経済・社会思想史、フランス文学・思想、映像人類学と専門の違う4人の研究者による中東・カタールに本拠を置く衛星放送局・アルジャジーラの報告である。

アルジャジーラが日本で知られるようになったのは、2001年9月に起きた米国・同時多発テロ以降であろう。その後の米軍のアフガニスタン侵攻、イラク戦争で、アルジャジーラは米軍の攻撃に曝(さら)される側の声、アラブ社会の声を積極的に拾い上げ、世界の注目を集めることになる。

国際的なニュース流通における西側メディアの優越性は、歪(ゆが)んだ非西欧社会の姿を流布させるとの批判がしばしばなされてきた。他方で、第三世界のメディアには、健全なジャーナリズム機能が期待できないとの批判もあった。

だが、本書が指摘するように、アルジャジーラの活躍は、西欧社会の近代化のなかで生成・発達したジャーナリズムの原理に忠実であろうとするメディアが非西欧社会にも育ちつつあることを明らかにするものだ。筆者らのインタビューに応えるアルジャジーラの記者たちの経歴や、そのジャーナリズム論は、グローバリズムの意味を考える上でも示唆的である。【音好宏(上智大助教授)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

カラダで地球を考える
カラダで地球を考える中野 不二男

新潮社 2006-09-21
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本書は文字どおりの体験レポートである。なにしろ著者自ら、体内に入れたもの(酸素+食物+水など)と出したもの(二酸化炭素+水分+ウンチなど)の計量までしているのだ。

そもそものきっかけは、ジャーマン・シェパードの子犬を飼い始め、ウンチの山と日々格闘するようになったことだった。11歳になった愛犬は、体重は安定しているものの、相変わらず大量に食べては大量に出すの繰り返し。試しに愛犬の収支決算を測ってみたら、食べた固形物は590グラム、ウンチの重さは880グラム。差し引き290グラムの増だが、呼吸によるエネルギー消費や水分も考えないと。

厳密な測定をしたくなった著者は、「ヒューマンカロリーメーター」なる装置に自身をゆだね、平均的な1日に自分が消費する酸素は596リットル、吐き出す二酸化炭素は500リットルとの数値を得る。ざっと計算すると、255グラムの炭素を肺から吐き出していることになる。

うーんと唸(うな)った著者の関心は地球全体の「呼吸」量へと向かい、日本の食糧自給率の低さに愕然(がくぜん)とする。一方、12歳を迎えた愛犬は、家族全員に見守られながら収支をゼロに戻し、静かに息を引き取ったという。【渡辺政隆(サイエンスライター)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

生かされて。
生かされて。イマキュレー・イリバギザ スティーヴ・アーウィン 堤江実

PHP研究所 2006-10-06
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おすすめ平均 star
star希望の書
star「偶然」は説明のつかない「必然」
star魂の軌跡

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大虐殺を耐え希望取り戻す

アフリカ・ルワンダでの大虐殺は、遠い国の不幸な出来事と、すでに記憶から薄れていた。しかし本著から受けた衝撃は、今後忘れることなど絶対にないと誓えるほど強烈だった。

94年、100万人ものツチ族がフツ族に殺害された。当時、女子大生だったツチの著者イマキュレー・イリバギザは、牧師の家の小さなトイレに7人の女性と3カ月ほど身を隠した。

槍(やり)や大鉈(おおなた)を手にして自分を殺そうと探し回る声が、壁一枚を隔てて聞こえてくる。しかも彼らはかつての友人や隣人だ。想像を絶する恐怖の中、神との対話を力として耐え抜く。

フランス軍キャンプに駆け込んだ後は、両親と兄弟の無残な死を知らされた。そもそもツチとフツの争いは、ベルギーなど元宗主国が採り入れた差別的な階級制度に発する。彼女は留置場の殺人者に面会、「あなたを許します」と告げたのだった。

98年、アメリカに移住、ニューヨークの国連で働き始める。虐殺や戦争の後遺症に苦しむ人を癒(い)やすための基金設置にも奔走する。ナチの犠牲者アンネが綴(つづ)った日記と並ぶ、感動的な物語。身の毛がよだつ状況を描きながら、勇気と希望にあふれて輝く。【多賀幹子(フリージャーナリスト)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

雑誌のカタチ―編集者とデザイナーがつくった夢
雑誌のカタチ―編集者とデザイナーがつくった夢山崎 浩一

工作舎 2006-10
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「器」の手触りからさぐる可能性

以前、糸井重里さんにインタビューしたとき、氏はウェブについて「面積という概念のなくなった世界」と語っていた。なるほど確かに、ウェブにはあらかじめ定められた面積――「器」はない。そこに盛り込まれるコンテンツは、クリックやスクロールによっていくらでも拡張する。

一方、雑誌は、最初に「器」ありきの世界である。サイズはもちろん、重さや厚さも含む〈雑誌のカタチ〉が、コンテンツの質や量を決める。その〈カタチ〉は制約でもあるだろうし、逆に、モノとしての〈カタチ〉が定められているからこそ、ページをめくる読者の脳裏に広がる世界(=幻想)が伸びやかに広がることだってあるはずだ。

山崎浩一さんの雑誌論は、そこから始まる。〈情報はパッケージと分離できない〉を大前提に、限られた「器」の中になにを入れ、それをどう伝えるか、さらには「器」そのものをどうつくるか――編集とデザインが紡ぎ出す雑誌の魅力を、つくり手へのインタビューを織り込みながら論じていくのである。

本書で採り上げられている雑誌は、「POPEYE」「少年マガジン」「ぴあ」「週刊文春」「ワンダーランド」「婦人公論」「クイック・ジャパン」、そして小学館の学年誌。メジャーからマイナーまで、一九六〇年代から現在までと、選択は幅広い。

〈雑誌のカタチ〉は、読者が手に取ってページをめくるという身体の運動と不可分である。編集者やデザイナーもまた、綿密な手作業や足で稼いだスクープ記事など、体を張って雑誌をつくる。本書にノスタルジーがあるとすれば、つくり手と読み手がかつて確かに共有していた「手触り」「肌触り」という言葉に象徴される雑誌の身体性を浮き彫りにしたことだろう。

しかし、ウェブの時代に雑誌の可能性を探るとき、その懐かしさは新しさに変わる。山崎さんは決して単純に古き良き時代を振り返っているわけではない。本書は「過去の名雑誌」を論じたのではなく、いまだ創刊されていない魅力的な「新雑誌」のための提言に満ちた一冊なのだ。【評 重松清(作家)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

寺田寅彦 妻たちの歳月
寺田寅彦  妻たちの歳月山田 一郎

岩波書店 2006-09
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おすすめ平均 star
star寅彦の決定的な伝記, 第二部 

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寺田寅彦といえば、戯歌「好きなもの いちご コーヒー 花 美人 懐手して宇宙見物」で知られるように、科学と文学の間を軽やかに往来したスーパー物理学者である。私もまた、耳の中の音や金平糖の話など日常に潜む不思議を題材にした科学エッセーを愛読してきたひとりだ。

だが本書を読み、寅彦にもっとも似合うのはそのいずれでもなく、晩年の随筆「曙町より」にある「風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい」という一節だったと知った。

土佐藩士の父と士族の娘だった母をもつ寅彦の生涯を母・亀と夏子、寛子、紳という三人の妻の人生からたどり、「女の髪」の背後にあるひとりの男の心情を描き出した評伝である。著者には、生い立ちや文学の師、夏目漱石との交流を描いた『寺田寅彦覚書』(81年)があるが、前作で伏せた寺田家のいくつかの禁忌も初めて明かされた。

肺病で亡くなった若妻を描いた随筆「団栗(どんぐり)」のモデル、夏子の出生の秘密。四人の子を産み、科学者として絶頂期にある寅彦を支えた寛子の急死。とりわけ多くの紙数が費やされたのが、前作にほとんど登場せず、悪妻との風評があった下町育ちの紳である。

亀との確執や前妻の子との不仲に寅彦も振り回され離婚の危機はあったが、著者は紳の日記やノートなど一次資料をもとに人間らしくふくよかな夫婦関係を浮かび上がらせる。晩年は隠居所の絵図を描き将来の相談をするなど穏やかな日々があった。紳は、自分より先に逝くなという夫の切なる願いに応えたのだ。

もうひとつの禁忌とは、寅彦の父が、刃傷沙汰(ざた)に座し切腹を命ぜられた弟の介錯(かいしゃく)をした「井口事件」に端を発する不幸であるが、ここでは、係累の多い寅彦は一族の「悩める家長」だったという著者の述懐を記すにとどめよう。寺田家とゆかりのある高知浦戸湾に生まれ、遺族の信頼を受けてきた著者だからこそ、寅彦の「受苦の生涯」(友人代表安部能成の弔辞)が何を意味するか、その悲劇を語る資格と覚悟を持ち得たのだろう。

寅彦の随筆集をもう一度、一から再読したいと思った。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

現代語訳 般若心経
現代語訳 般若心経玄侑 宗久

筑摩書房 2006-09
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おすすめ平均 star
star親戚が寺だが、、、
star仏教の神髄へのアクセスを高める本
starまさに「現代語訳」

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「般若心経」、本文はたった262字。難解なその内容を、芥川賞作家にして僧侶である著者が、「実感のもてる言葉に置き換え」、観音菩薩(かんのんぼさつ)が釈迦の弟子・シャーリプトラに語りかけるスタイルで170ページにわたるストーリーにした。

途中で観音菩薩が茶やまんじゅうを勧めるなど、原文にはないユーモアを交えつつ、「縁起」や「無常」といったことを、僧侶として人生相談も受ける著者の巧みな話術によってわかりやすい訳文にしている。

「新井満さんや柳澤桂子さんの訳も話題になりましたが、本書の場合、玄侑さんが現代人に読まれている仏教者ということがまず大きい。読者が親しみをもって手にしたと思います」と担当編集の磯知七美さん。

話の中には、いたるところに科学知識が織り交ぜられる。たとえば、ものには実体がない、とする「色即是空」。これは、物質が「粒子であり、しかも波である」とする量子力学の見方にも通ずると諭す。

「『えんぴつで奧の細道』が売れたことに見られるように、現代にふさわしい古典の入門書が求められている時期。この本は科学の知見を借りて説明していることが今風です。読まれているのは、そういうことがあると思っています」

イラストを多く使い、音読のためのひらがなだけのページもつくり、仏教に縁のない人たちも読んでくれるよう工夫した。「これなら読める」という感想が届いているという。

刊行当初は30代、40代の男性中心の読者層だったが、広告や書評が出るなかで次第に広がり、今ではまんべんなくどの層にも読まれているという。

■2006/11/26, 朝日新聞 朝刊, 14ページ

ザ・ペニンシュラ・クエスチョン―朝鮮半島第二次核危機
ザ・ペニンシュラ・クエスチョン―朝鮮半島第二次核危機船橋 洋一

朝日新聞社 2006-10
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たとえばブッシュ政権の内幕を詳細に描いたアメリカのノンフィクションを読むにつけ、この水準の作品が日本にはなぜ生まれないのかともどかしい思いがする。だが、日本語から翻訳されて世界に発信してもおかしくない一冊がようやく現れた。

著者が描くのは、四年前の電撃的な小泉訪朝から先頃の北朝鮮によるミサイル発射と核実験に至る、政治・外交の舞台裏である。この複雑きわまりない経緯を、著者はいわば“鳥瞰図”と“虫瞰図”の視点を自在に行き来しながら、練達の筆致で再現している。七百五十ページに及ぶ大著だが、長距離走者たる著者の呼吸はゴールまで乱れない。

その錯綜した、“積み木くずし”がいつ起こるやもしれない世界でのやりとりを、あえて当事者たちが発した激しい言葉のみ抜き出して例示しよう。平壌の首脳会談用特別控室で、官房副長官だった安倍晋三は盗聴を意識しつつ、金正日に聞こえよがしに、日本人拉致への謝罪がなければ「席を立って帰りましょう」と小泉を促す。一方、北朝鮮側の「ミスターX」は外務省の田中均に、「私は命がけでやっているのです」と洩らすのである。

ブッシュ政権閣僚は金正日を「あんなうそつきをどうやって信用できるのか」と罵るが、米政府内では国務省と国防総省および北東アジアの「地域の専門家」と核の「不拡散専門家」との対立が先鋭化し、国務副長官のアーミテージなど、副大統領で“ネオコン”のチェイニーを陰で「あのアホ」と罵倒するのだ。

北朝鮮側の悪態は、枚挙にいとまがない。ところが彼らにしても、ロシアの外務次官から「狂っている」と呆れられたり、中国国家主席には苦虫を噛み潰したような顔をされたり、おまけに頼みの綱の韓国政府高官からも「韓国をなんだと思ってるんだ」と公衆の面前で怒鳴りつけられる体たらくなのである。

北朝鮮、韓国、アメリカ、中国、ロシア、そして日本の六カ国は、国家の「理性」と「獣性」に由来する、不信やら鬱憤やら恐怖心やらで身動きがとれない。“三すくみ”ならぬ“六すくみ” なのだ。逆“ウィンウィン・ゲーム”と言ってもよい。各々の内部事情と駆け引きを、著者はこんがらがった糸玉をほぐし、一本一本の色合いと絡み合ったときの文目(あやめ)を示すかのごとく明らかにしてゆく。

かくして辿り着いた地点には、しかし、あまりにも多くの機会が失われてしまったあとの荒漠たる風景が広がるばかり。むろん最も多くの機会を失ったのは北朝鮮だが、日本も日朝首脳会談を国交回復に結びつけられず、パフォーマンスに長じてはいても地域秩序構想に欠けていた小泉政治によって、「北朝鮮外交で失った機会とは比べものにならないほど大きな機会を逃したのではないか」と著者は記す。この指摘は鋭く、かつ重い。

本書には、ボブ・ウッドワードらの調査報道に見られる断定調の歯切れよさはない。だが、泥沼を精密に解析したうえで、泥沼を泥沼として差し出して見せた本書は、外交という“魔物”の手触りを生々しく読者に感じさせるはずだ。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 11ページ

生命と現実 木村敏との対話
生命と現実    木村敏との対話木村 敏/檜垣 立哉

河出書房新社 2006-10-19
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「病」を排除する効率主義への警告

「自己」であるとは、なんだろう。古今東西の哲学や文学がテーマとしてきたこの問題に対し、「自己が自己であることの病」、つまり精神病の観察と考察を通じて取り組んできた人に、精神病理学者の木村敏がいる。

木村は臨床にこだわる精神科医だが、診察室での病者とのやり取りから得られた独創的な自己論や時間論は、多くの人たちを魅了してきた。本書で、木村の思索の足跡を丁寧にたどり、的確に紹介しながら質問を繰り出す哲学者の檜垣立哉もそのひとりだ。

木村が、病者の理解ひいては人間理解のために紡ぎ出した理論にはいくつものキーワードがあるが、檜垣はその焦点は〈あいだ〉だと考える。

〈あいだ〉とは“自己と他者とのあいだ”なのだが、ただそれだけの中間的な場所、部分という意味ではない。例えば音楽を演奏する自分と、「合奏全体の流れに流されて方向付けられている」自分との間にも〈あいだ〉がある。

木村は言う。「横に拡げれば自分と他人の〈あいだ〉になり、縦に折り畳めば自分と自分の〈あいだ〉になるような〈あいだ〉、それが自己という現象を成立させている」

そこで発生した自己は、自分の身体でもって、個別のものとして生きようとする。だから、自己と他者には圧倒的な非対称が生じる。しかしその一方で、個別的ではない生命が私の身体で生きてもいる。

こういったユニークな〈あいだ〉論、自己論は、あくまで木村の臨床場面での経験や実感から生まれたものだ。思索の機会を与えてくれた病者に対する木村の敬意が、行間にあふれている。

精神医学はいま、人間科学から脳科学に変身しようとしている。それに対する批判もあるが、「心の病か脳の病か」といった二律背反に閉じ込めることじたい、本質を逸脱していると木村は戒める。

「症状はすべて生体にとって、意味のある反応である」。これは、「病であること」をマイナス要因としてとにかく排除しようとする効率主義的な現代社会への大いなる警告でもあろう。【評 香山リカ(精神科医)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

音楽と文学の対位法
音楽と文学の対位法青柳 いづみこ

みすず書房 2006-09
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おすすめ平均 star
star 音楽と文学がもっとおもしろく見えてくる

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「楽譜どおり弾け!」という罵声が強烈な人気まんが『のだめカンタービレ』は、音楽大学を舞台にしたスポ根ふう青春コメディだが、テーマそのものは新しいようで古い。名ピアニスト青柳いづみこの最新刊をひもとけば、モーツァルトからドビュッシーへ至るクラシックの楽聖たち自身が、さまざまな青春コメディを体現しつつ、ムージルからランボーに及ぶ文学の巨匠たちと直接的ないし間接的に共振し、芸術の本質へと立ち至る歩みが、テレビドラマ顔負けの解像度で描き出されていくのがわかるだろう。

冒頭のモーツァルトの章からして、シェーファーの『アマデウス』やカポーティの「カメレオンのための音楽」のみならずマッカラーズから筒井康隆、宮本輝らの諸作品におけるモーツァルト観を自由自在に織り交ぜる。作曲家シューマンと文学者ホフマンが逆方向より音楽と文学を横断していたこと、ワーグナーがボードレール以降のフランス象徴派のアイドルであり文字通りのドラッグ的存在であったことなどをめぐる博引旁証(はくいんぼうしょう)も圧倒的だ。

とはいえ、本書が最も燦然たる輝きを見せるのは、即興演奏の名手としてのショパンが、自由自在な「想念」としてあらわれた「音楽」を「記譜するときの苦しみ」を語り、そこに「楽譜という記号に書きつけることによってもそこなわれてしまうような、瞬間的だからこそ唯一無二であるような、生の形のポエジー」を読み取るときである。そして、ドビュッシーがめざした「即興と想像力で生きた音楽を創り出す作業」を浮き彫りにするときである。ひいては、まったく同時に、ラヴェルのごとくルーセル的「独身者の機械」を想わせる音楽のうちに漂う「放っておくと際限なくロマンティックになってしまうのがこわくて、可能なかぎりそれを隠そうとするラヴェルの含羞」に共感が示されるときである。

「楽譜どおり弾け!」という命令が指す「楽譜」自体が一枚岩ではないことを解き明かす本書は、文学作品の表現もまた「文字どおり」ではないことを示唆してやまない。【評 巽孝之(慶応大学教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

自由主義の二つの顔―価値多元主義と共生の政治哲学
自由主義の二つの顔―価値多元主義と共生の政治哲学ジョン グレイ John Gray 松野 弘

ミネルヴァ書房 2006-09
売り上げランキング : 1237


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多様な社会に即した「寛容」のあり方

自由主義の最大の徳目は寛容だ。著者は、この自由主義的寛容には二つの系譜があるという。ひとつは、寛容の実践が最終的には単一の理想的な体制に収斂していくと考える系譜。もうひとつは、寛容の実践を、個別の状況に応じて平和的共存を目指す政治的過程そのものとして理解する系譜である。前者を捨て後者を純化する道を説くのが本書の眼目である。

しかし、なぜ単一の理想的な体制を目指してはいけないのか。それは善というものが、多様な歴史に根ざすさまざまな生活様式に根ざしたものであり、それらの多元的な諸善のすべてを調和させることが論理的に不可能だからである。

こう書くと、著者は、よくある共同体主義の立場で自由主義を批判しているかに聞こえるかもしれないが、そうではない。なぜなら、善が文脈づけられるところの生活様式は、ひとりの人間のなかにさえ多数のものがしばしば矛盾をはらんだまま共存しており、個人や、ましてや共同体といった単位で、一対一の整合的な対応があるわけでは全くないからである。

著者の議論は、自由主義が陥りがちな、いわば寛容の強制(多くの場合それは、自文化中心主義に汚染されている)の矛盾を回避しつつ、社会の多様化が進む時代に、自由主義を再生させる方途を探るものである。単一の理想的体制が論理的にはありえないとしても、現実の政治的過程において相対的な善悪の判断はできるし、するべきだという著者の主張は、自由主義と無原則な相対主義とを区別するギリギリのラインだ。

19世紀の自由主義の敵は国家だった。しかし今日の自由主義は、無秩序をこそ恐れるべきだというのが、新ホッブズ主義を標榜する著者の時代診断である。たしかに、自由主義の修辞に突き上げられた理想主義が無秩序を引き起こす病理は、現在の私たちの眼前の光景でもある。その病理への処方が、著者の言う通り、妥協的な共存への合意の積み重ね以外にないならば、私たちに求められている政治的器量は不安なほど大きい。【評 山下範久(北海道大学助教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 12ページ

性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶鈴木 透

中央公論新社 2006-09
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おすすめ平均 star
starアメリカを突き動かすダイナミズムを描いた一冊。
starアメリカはもはや他人ではない時代に、その他人を知るための大変興味深い一冊
star面白い

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普通の国(?)の例として、私どもはよく「アメリカでは……」という言い方をする。これは正しい認識なのだろうか。いいえ、とんでもない、というのが本書を貫く主張である。厳格な性道徳と性解放が併存し、同性愛や妊娠中絶をめぐる争いが絶えないアメリカ。2億挺を超える銃が存在し、凶悪犯罪が多発するアメリカ。こと性と暴力に関しては、アメリカはむしろ「特異な国」なのだ。

本書はその理由を歴史的な背景から検証する。先住民を暴力で制圧し、戦争という暴力で独立を勝ち取った建国の歴史。加えて根強く残る「リンチ」の伝統。チャールズ・リンチ(彼はフロンティア時代の自警団長だった)という人名に由来するリンチは、マイノリティーを集団的暴力で排除し処刑してもよしとする思想をこの国の人々に植えつけた。異端者を排斥する思想は性や人種に対しても適用され、対外的には疑わしきを罰する「リンチ型戦争」として遂行されてきた。

「理念先行型国家」であるアメリカの内部には中世的な価値観が残っているとの指摘にギョッとしつつも深く納得。だってあの事件もこの戦争も……。特異な国が世界を牛耳っている現実に目を開かされます。【評 斎藤美奈子(文芸評論家)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

中国がアメリカを超える日
中国がアメリカを超える日テッド・フィッシュマン 仙名 紀

ランダムハウス講談社 2006-09-22
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チャイナパワーの光と影

国内にピーキン(北京)という名前の市町村が14、カントン(広州)が32もある国は米国をおいてほかにないだろう。ネットで検索してみたらシャンハイだって6つもある。米国が発展する過程で、中国との交易が重要だったことの証しだ。

時はめぐり、中国経済の台頭とグローバル化の相互推進作用によって、本書によれば今や米国のほとんどすべての都市が中国と密接につながって成長している。イリノイ州ピーキンの農家はトウモロコシと大豆を輸出し、そこに本社を置く重機械部品メーカーは中国製品と世界で競争しつつ自らも中国進出する。そして郊外に店舗のあるウォルマートは、衣料や家電製品など、なんと中国の国内総生産の1・5%を輸入しているという。

ビジネスマン上がりの米国人ジャーナリストである著者は、現場をまわり、「中国の衝撃」を詳細に報告する。にわか勉強のせいか、細部の誤りが目立つ上、翻訳にも固有名詞の漢字表記の間違いが散見される。しかし、勘違いや早とちりはあっても、偏見や思い込みは少ない。増補版も含め米国では10万部が売れたベストセラー。ライバルが中国をどう見ているのか、日本の企業戦士たちには参考になるだろう。【評 高原明生(東京大教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

フレッド・アステア自伝 Steps in Time
フレッド・アステア自伝 Steps in Timeフレッド アステア Fred Astaire 篠儀 直子

青土社 2006-10
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アステアは人類の歴史が生んだ最も偉大なダンサーの一人だ。バレエ好きにとってニジンスキーがそうであるように、映画ファンにとってはアステアが「最高」なのだ。とはいえ、ニジンスキーはもはや見た者がいない伝説だが、アステアは誰でも見られる現実だ。「トップ・ハット」を、「バンド・ワゴン」を、「絹の靴下」を見よう。みんなアステアが最高だと認めるだろう。

そのアステアが書いた自伝が日本語になった。読まずに死ねるか。むろん面白い挿話に事欠かない。彼のトレードマークであるあのオールバックの薄い髪がカツラだったというような話がさらりと語られる。

稀代の名コンビ、ジンジャー・ロジャーズとの「艦隊を追って」で、彼女はひどく重いビーズのドレスを着て踊った。ジンジャーの素早いターンで、数ポンドもの重さの袖がアステアの顎を直撃し、彼はグロッギーになりながら踊り続けた。画面を見ても、その痕跡もとどめないのだが。

ユーモアたっぷりに、淡々とした上品な語り口で、アメリカのショウビジネスを生き抜いた一人の男の人生が描かれる。その天然自然のエレガンスこそ、アステアのダンスの魅力の源泉でもあった。【評 中条省平(学習院大教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

日本的エロティシズムの眺望―視覚と触感の誘惑
日本的エロティシズムの眺望―視覚と触感の誘惑元田 與一

鳥影社ロゴス企画 2006-09
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伝統にみる余韻・余白の美学

美の基準は民族によって違うし、時代によっても変化する。エロティシズムもしかり。今や西洋的価値観に洗脳された我々が失った日本独自のエロティシズムを著者は正面から論ずる。

本書は問う。日本人は裸体に関心がなかったか、と。

西洋美術では、神の時代の中世を除けば、美しき女性の裸体のオンパレード。理想の美が追求され、エロスの世界が表現された。一方、前近代の日本では、女の乳房は男にとって、エロティックでも美の対象でもなかったというから驚きだ。日本の男の乳房への性的な視線は、西洋への憧れの結果だという。だが日本には、西洋のあからさまなそれとは違う独自のエロティシズムが育まれたのだ。

日本には古くから肉体拒否の思想や余韻・余白の美学の伝統があり、そこから女達の表情や容姿から滲み出るほのかなエロティシズムが発達した。それを最も巧みに描いたのが江戸時代の浮世絵。ふくらはぎや太ももの一部を露出させる鳥居清長の女の姿表現に日本的エロティシズムの神髄を見る著者は、次に近松門左衛門の『曽根崎心中』で、男の人形の手が女の人形の素足や肌を触るエロティシズムを艶やかに描く。日本人の心の深層に迫る刺激的な文化論だ。【評 陣内秀信(法政大教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

戦争という仕事
戦争という仕事内山 節

信濃毎日新聞社 2006-10
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ライバルを倒し、勝者が市場という「占領地を拡大」する企業競争は「戦争」に似ている。本当の戦争とは違い、市場での競争なら歓迎する人は多い。自由な競争を通して商品価格は下がり、新しい技術が開発され、消費者の利益が高まるのは望ましいと考えられているからだ。

ところがこの結果、かつては「自然や環境、地域」などに配慮しながら行われてきた仕事は、今や自分が所属する組織の命令や方針に従うだけの仕事に変わり、「社会にどんな影響を与えるのかについて深く考えることもなく」遂行されるようになっているのではないか。著者は「現代の労働のなかに『戦争という仕事』と共通する何かがある」という。

1年の半分近くを群馬県の山村で暮らし、自ら農業を営みながら思索を続ける著者は、「現代の戦争を人間たちの寒々とした仕事のひとつとしてとらえたとき、そこから何がみえてくるの」だろうかと自問する。

現代の戦争が「敵」の社会のすべてを破壊するように、市場競争における勝利を目的とした現代の労働も、進出先の社会が持っていた「伝統的な関係の世界」を市場の力で解体してしまう恐れがある。「グローバル化する経済が世界をこわしていく姿」を見すごし、「お金さえあれば大半のことは解決できる」便利な市場システムに浸かっていると「人間も社会も蝕まれるように頽廃していく」。

大切なのは労働を単なる収入の手段とするのではなく、自分の仕事にこだわりを持ち、生きがいをみつけることだ。著者は、「自然と人間が助け合うように働いていた過去」に戻れと勧めているのではない。現実しか見ずに、「過去から学ぶことを忘れたら……未来への想像力も失う」と忠告しているのだ。

かつて戦争の抑止力として期待された「近代国家、近代社会」が実現しえなかった「戦争のない社会」を、私たちが仕事のあり方を変えることによって創造できるなら、お金や便利さを捨てても挑戦してみる価値があるのかもしれない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

コレラの時代の愛
コレラの時代の愛ガブリエル・ガルシア=マルケス 木村 榮一

新潮社 2006-10-28
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命の尊厳と哀しみで「奇跡の渦巻き」

ガルシア=マルケスの全小説が、いま、相次いで刊行されている。現在、手にすることができるのは『わが悲しき娼婦たちの思い出』、そして『コレラの時代の愛』。川端康成の「眠れる美女」に想を得たという前者は、二年前に発表された新作だが、後者のほうは、二十一年前に刊行された、怒涛の長編。

どちらの作品にも、老齢・色好みの男主人公が登場する。女の魅力にあまりに易々と傾く彼らは、死が常に至近距離に意識されている分、粋で軽妙、ユーモラス、尊厳があって哀しみに満ちている。

『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生日祝いにしようと考えた」男が、十四になるかならないかの娼婦と数度、機会を持つも、少女が眠りこんでしまったりで、うまくことが運ばずという、その顛末を描いたもの。

一方、『コレラの時代の愛』は、半世紀、一人の女を思って、独身を貫いた男の話。一途とはいえ、この男、その都度気のむくまま、様々な女性遍歴も重ねてきた。内戦やコレラ流行などで、至るところに死体がころがっている、そういう時代を背景として、男は女たちとの肉体的恋愛に燃えるが、物語の最後、意中の人と船旅に出たとき、二人は既に七十を超えていた。老醜のすえた匂いを自他の肉体にかぎ、二人は皺よった皮膚で愛しあう。

少女を斡旋した、娼家の女主人は言う。「まじめな話、魂の問題は横ヘ置いて、生きているうちに愛を込めて愛し合うという奇跡を味わわないといけないわ」。うん。そのとおりね。そしてマルケスの作品は、実にその奇跡の渦巻きで出来ている。

男が女を愛するというシンプルな物語の骨組みを、南米・コロンビアのエキゾチックな風景描写が肉付け、豊穣なイメージが作中を乱舞する。とにかく飽きさせないのは、さすがマルケス。

訳者による「解説」は、読後のもう一つの楽しみである。マルケスの世界を俯瞰しつつ、この訳者もまた、渦に巻き込まれた一人とわかる。【評 小池昌代(詩人)】

■2006/11/19, 朝日新聞 朝刊, 13ページ

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