メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年10月8日~10月15日
| 祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上 | |
![]() | リチャード・ドーキンス 垂水 雄二 小学館 2006-08-31 売り上げランキング : 356 おすすめ平均 ![]() 倒叙の歴史は書きにくいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
| 祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 下 | |
![]() | リチャード・ドーキンス 垂水 雄二 小学館 2006-08-31 売り上げランキング : 358 おすすめ平均 ![]() 生物進化の概説Amazonで詳しく見る by G-Tools |
英国科学界の貴公子ドーキンスは、『利己的な遺伝子』という扇情的なタイトルを冠した本を30年前に出版し(邦訳書は26年前)、読書界に鮮烈なデビューを飾った。生命の進化を突き動かしてきた究極の単位は、自己の複製増殖を至上命令とする自己複製子すなわち遺伝子であるというメッセージは、誤解も含めて各方面に大きな影響を及ぼしてきた。
処女作出版時にはオックスフォード大学で動物行動学を講じていたドーキンスは、その後、刺激的な内容の一般向け進化学書を次々と送り出してベストセラー作家となり、10年ほど前からは同大学の寄付講座教授として、一般向けの著作・講演活動に専念している。
そのドーキンスも今年で65歳。近影を見ると、相変わらず理知的でハンサムではあるが、髪はすっかり白く染まっている。今回世に問うた大著のタイトル『祖先の物語』にも、さまざまな思いが込められているのだろう。
もっとも、本書の内容は、決して懐古趣味的なものではない。一般に生命の歴史を語る場合には、40億年近く前に起こった生命の起源から説き起こしてさまざまな生きものの盛衰を語り、われわれ人類へと至るというのがふつうである。ところがドーキンスは、生命の起源から現在まで連綿と続いてきた生物進化の系統樹を、現生人類から逆行するという、いわゆる倒叙法を採用している。そして、系統樹の枝分かれ地点に出くわすたびに、分岐点(結節点)上にいた祖先(彼はこれをコンセスターと命名している)にまつわる物語を語っているのだ。
カンタベリー物語を模して個々の結節点で語られる物語は、祖先をめぐる単なる解説ではない。それぞれが一冊の科学書に発展させられるほど含蓄に富んだ、きわめてぜいたくな内容である。本書一冊を読み通せば、現代進化生物学を総覧できるというしかけなのだ。俊才ドーキンスが腕をふるった豪華絢爛(けんらん)たるフルコースといったところだろうか。
しかし、人類を機軸に歴史を逆行する語り口には難点もある。人類の系統につながらないグループ、人類中心主義から見れば傍系にあたるグループ、子孫を残さずに潰えたグループについては多くを語らないまま置き去りにせざるをえないことである。いうなれば、勝ち組の歴史のみが語られる結果となるのだ。
それでもドーキンスがあえて人類のルーツを遡る巡礼の旅に出た大きな理由は二つ考えられる。一つは、創造論を掲げるキリスト教原理主義への反撃であり、もう一つは、進化の偶発性を強調する進化学の一派への牽制である。はからずもドーキンスは、自らに向けられたウルトラダーウィニスト(適応万能主義とも揶揄<やゆ>される立場)という批判を、むしろ誇らしい称号であると切り返している。一見懐古調のタイトルをもつ本書は、じつはきわめて政治的な意図を秘めてもいるのだ。
かつてぼくは、ドーキンスは説得される快感を味わわせてくれる著者であると書いたことがある。その点から言えば、本書の筆致はものたりない。それでもそこここで発揮されている筆の冴えは、さすがドーキンスである。【評 渡辺政隆(サイエンスライター)】
| 裁判員制度はいらない | |
![]() | 高山 俊吉 講談社 2006-09 売り上げランキング : 916 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
裁判官はシロウトには向かない職業である。「職」とは「専」だ。人を裁くことは誰もが簡単にできる仕事ではないから、専門的に訓練され、俸給を与えられ、身分と安全を保障された職業裁判官が特別に任命される。
本書は、二〇〇四年五月に超スピード審議で成立し、二〇〇九年五月までに、と施行を期す「裁判員法」を相手取り、なんらかの修正を求めるのではなく、真正面から裁判員制度そのものの廃止を主張する「全否定の書」である。
二十歳以上・七十歳未満の健康な国民は、呼び出しがかかったら指定の日に裁判所へ出頭しなければならず、裁判員に選定されたら、「やりたくない」といっても拒否できず、守秘義務を課されて裁判の内容は他人に口外できず、そのどれかに違反すると、懲役または罰金で処罰される。今まさに、そんな法律が実施されかけているのだ。
本書に特別寄稿した嵐山光三郎は、「人を裁くというのはげに恐るべきことで、神の仕事だ」といっている。たしかにその通りで、職業裁判官には民意によって約定された《法の女神》の代行というストレスがかかる。常人以上の権限を背負うという点で、裁判官は、逆説的に、オカミでなければ務まらない。
裁判員制度を支持する法律家は、「国民の司法参加で『司法はお上に』の意識を変える」といったそうだ。シロウトには裁判能力などないことを承知の上で、下々の一般市民を裁判に参加させるのだから、他に下心があると見られても仕方がない。ストレスの分散・転嫁である。最後には政府案に賛成させられる民間委員を連想するのは評者だけではないはずだ。
人を裁いて死刑や懲役を言い渡すのはイヤだ、という庶民感覚には大義がある。本書が指摘するように「裁判員制度と陪審制のすりかえ」はやっぱり要注意だ。強引に本制度を実施した場合、法廷は雷同裁判の場になるか、何ともいえず不調法・不細工・不体裁な司法の漫画と化すのではないかと不安になる。 無理のある制度は、見直した方がいいのではないか。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 覚えていない | |
![]() | 佐野 洋子 マガジンハウス 2006-08-24 売り上げランキング : 120 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
痛快という言葉は、この本のためにある。いや、この著者のためにある。こんなにもまっとうなことを、まっとうな言葉で、真っ正面から、ずけずけと書いてしまう著者はすごい。まっとう、とはいっても、正論ではない。正論ではないところが、おもしろいのである。
たとえば著者は、ゴミを出してと言われなければ出さない男を罵倒する。そういう男に育てた女親を罵倒する。美人を信奉する男を罵倒し自分の選択を棚に上げて愚痴る女を罵倒する。上から見て罵倒しているのではない、横から見て罵倒しているのである。いついかなるときも、老若男女森羅万象に至るまで、著者は横から、つまり同じ地平に立ってもの申している。武器も防具も身につけず、体裁や面子なんてかなぐり捨てて、裸んぼうのすっぴんで、正々堂々と。
あまりの痛快さに、つい、私も本当にそう思っていた、と思いそうになってしまうが、それは嘘である。著者の言葉に目を開かせられ、自分もずっと同じことを考えていたような気になっているだけだ。自分以外のものを見下げず見上げず、関係ないと断じることなく、同じ地平に立ち、そこから言葉を放つことはとても難しい。痛快なのは、歯に衣着せぬもの言いではない、何にも曇らされることのない著者の目線が、武器も防具も用意せず闘いにいくその姿勢が痛快なのである。
正論は書かれていないが、しかし、真実は書かれている。まっすぐな目線は最短距離で真実を射抜くように照らす。あとがきを読むと、十年以上前に書かれたエッセイとあるが、しかし時代とともに後退していくところがまるでなく、反対に、現在をこそ書いていると思う。人が人らしく生きることとはどういうことか。「美しいばかりではないこの世を生きて行く力や希望を持つ」ことがどういうことであるのか。「スポーティ過ぎる」言葉の合間から、そうしたことが透けて見えてくる。おそらくあと二十年後に読み返しても、おんなじことを思うんじゃないか。真理とはそうしたものだ。【評 角田光代(作家)】
| 「豊かさ」の誕生―成長と発展の文明史 | |
![]() | ウィリアム バーンスタイン William J. Bernstein 徳川 家広 日本経済新聞社 2006-08 売り上げランキング : 2397 おすすめ平均 ![]() 歴史的偶然が生んだ人類共有のレシピAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「成長」の歴史を探る魅力的な物語
「思慮深い読者はそろそろ、本書が物質的側面に固執しすぎているのではないかと、疑問を抱く頃かもしれない」。385ページも読み進んだ後で投資アドバイザーの著者が語る。確かに書名を見れば「豊かさ」に括弧が付いている。心理的な幸福感ではなく物質的な繁栄(原著ではplenty)という意味だ。その繁栄の「誕生」が1820年前後だったと推理したのは歴史経済学者のアンガス・マディソンである。著者が本書で取り組んだのは統計で埋め尽くされたマディソンの著作を魅力的な物語に〈翻訳〉し、「近代世界に飛躍的な経済成長をもたらした文化と歴史の諸潮流を明らかにする」ことだ。
経済史の門外漢である著者が試みた歴史分析には、当然ながら〈粗さ〉が目立つ。しかし、古代ローマまで射程に入れて「持続的な富の増大」が西洋諸国で「常態化」する要素を抽出した著者の洞察力は〈粗さ〉を超えて見事だ。その要素とは私有財産権、科学的合理主義、資本市場および輸送・通信手段の四つであり、一つでも欠ければ「豊かさ」は生まれない。19世紀初めにイギリスが成長の〈離陸〉に成功したのも、最後の要素を満たす蒸気機関と電信技術が発明されたからだ。
著者は持続的な成長が民主主義を生み出すのであり、その逆ではないという。だから、独裁政権でも成長を重視するなら、いずれ民主主義が芽生えてくると楽観視する。もちろん、「豊かさ」の拡大はいつまでも続かない。いずれ終焉する。それはいつか、また、その要因は何か。著者の見方は冒頭の続きの386ページ以降で披露されるが、簡単に紹介すれば、格差や不平等の拡大は成長の結果であり、それが成長を促すことはないという。むしろ、放置すれば成長が終わる恐れもある。
「豊かさ」のためには過去の植民地政策までも容認する著者の議論には賛成できない面もあるが、ユニークな歴史研究で成長の要素を解明したり、繁栄の行方を予測したりするのは、資産の運用法だけを伝授する〈普通〉の投資アドバイザーよりも、ずっと真っ当なのかもしれない。【評 高橋伸彰(立命館大学教授)】
| ユーゴ内戦―政治リーダーと民族主義 | |
![]() | 月村 太郎 東京大学出版会 2006-09 売り上げランキング : 3736 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私たちはいまや、人権や民主主義といった普遍的価値の前では、内政不干渉の原則が絶対ではない世界に生きている。将来の世界史の教科書がその始まりに置く事件は、91~95年のユーゴ内戦であろう。この「内戦」こそ、軍事的紛争の主体を国家に限った近代的前提の崩壊を画す世界史的事件である。
にもかかわらず、この事件について私たちはあまりにも無知である。原因の一端は、それが圧倒的に複雑なことにある。本書は、セルビアのミロシェヴィッチ、ボスニアのイゼトベゴヴィッチ、クロアチアのトゥジマンという三人の政治指導者に軸足を置き、彼らによって民族的利害がいかに政治的に翻訳されたか、それがどのような弊害や限界を伴って事態を収拾不能としたかを、克明に描いている。
民族主義には大きな動員力がある。しかしそれゆえ、いずれ政治指導者の制御を超えてしまう。いくら強調してもしすぎることのないこの教訓を基調音に、三人の政治家の言動を軸に大胆に焦点を絞った記述のおかげで(また要を得た種々の付表のおかげで)、この複雑にして巨大な悲劇を理解する窓が、多くの読者に開かれた意義は大きい。【評 山下範久(北海道大助教授)】
| ヒバクシャになったイラク帰還兵―劣化ウラン弾の被害を告発する | |
![]() | 佐藤 真紀 大月書店 2006-08 売り上げランキング : 11040 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
原発や核兵器製造過程で生ずる核廃棄物を再使用した劣化ウラン弾は、湾岸戦争やコソボ、アフガニスタンで使われ、多くの癌患者を出し続けている。
なのに、地雷廃絶のように国際的な関心にやや欠けるのは、被曝の科学的立証が困難なこと、米がその危険性を認めないこと、政治的議論に埋没しがちなことがあろう。爆撃のインパクトが外部世界に見えにくいことも、無関心の一因だ。
本書の特徴は、イラク戦争後のイラクでの米兵の被曝実例を取り上げた点にある。米軍が遠くから攻撃しただけの湾岸戦争では、住民が死んでも外から見えなかった。だがイラク戦争後、多くの外国兵がイラクに留まる今では、放射能汚染の広がりは隠しようもない。イラクに関わる者すべてが被曝の危険にさらされていることを、本書は指摘する。
だが本書は、武器を扱う側の安全を確保すればそれでよしという具合に、問題が矮小化されてはいけない、とも危惧する。「イラク人の被害を訴えてもアメリカの世論は動かない」から被曝米兵の声を聞く、というのでは、攻撃される人々の痛みを軽視することにならないかと、自戒を繰り返す。誠実な本だ。【評 酒井啓子(東京外国語大教授)】
| 孫子兵法発掘物語 | |
![]() | 岳 南 加藤 優子 岩波書店 2006-08 売り上げランキング : 38546 おすすめ平均 ![]() 「孫子」誕生の歴史的背景が生き生きと蘇える本Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「始めは処女のごとく後は脱兎の如し」など、孫子の兵法は日本でも昔から知られている。しかし『孫子』の作者は永く謎だった。『史記』は呉王に仕えた孫武が書いたとするが、何者かが後に偽作したか、孫武の子孫であり史上実在したことが確認できる孫ヒン(そんびん)が著したとする説の方が有力となっていた。
この論争に終止符を打ったのが、72年に山東省銀雀山で出土した大量の竹簡だった。その分析によって、『孫子』13篇は確かに孫武の著作であり、それとは別に『孫ヒンの兵法』があることが遂に判明したのだ。
著者は、その竹簡の発掘から調査、保存までの過程を生き生きとした実録小説に描き出した。発見当初の不適切な取り扱いによって竹簡の一部は損傷してしまうが、そこは専門家が切歯扼腕する場面だろう。
また本書には作業員から国家文物局長まで、発掘や保存に関わった人物の経歴や言動が克明に描かれており、文革当時の社会状況が窺い知れて興味深い。出土品の保管権をめぐっては省と県が激しく争い、また96年には偽の『孫武兵法』82篇が“発見”されたそうな。宝物に惑わされる人々を見て、著者は孫子とともに苦笑しているようだ。【評 高原明生(東京大教授)】
| スケートボーディング、空間、都市―身体と建築 | |
![]() | イアン ボーデン Iain Borden 齋藤 雅子 新曜社 2006-08 売り上げランキング : 17427 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
独特の身体技法で「読む」建築
以前ある郊外都市に住んでいた時、夜寝静まった商店街でスケートボードに興じている若者たちの姿をよく見た。マッタリとした雰囲気を醸し出していたあの少年たちが、夜の都市空間に何を見ていたのか、私には知る術(すべ)もなかったわけだが、本書を読んで少しだけ分かったような気がした。
著者は自身ボーダーであったという建築史研究家。建築とスケボ、というと何やら奇妙な取りあわせに思えるが、それは私たちが建築物を特権化する建築―都市史観に毒されているからである。建築や都市の歴史は、単なる建造物の歴史ではありえない。そこに内在する人々の身体的経験によってたえず再解釈される意味空間、それが都市であり建築である。こうした視点に立って、著者は既存の建造物の正しい使用法を逸脱していくボーダーたちによる都市の作られ方を、その歴史とともに丁寧に記述していく。その意味で本書は紛(まご)うことなき建築の書なのである。
夜の商店街に佇(たたず)んでいたボーダーたち。彼らは私たちが自明視している都市や建築の物質的なあり方を、独特の身体技法をもって、たえず「読み替え」続けていたのだ。私たちは、彼らの都市への想像力に正しく嫉妬(しっと)すべきであろう。【評 北田暁大(東京大助教授)】
| 黒木和雄とその時代 | |
![]() | 佐藤 忠男 現代書館 2006-08 売り上げランキング : 1859 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
黒木和雄の遺作の映画「紙屋悦子の青春」は評判が高く、僕が見に行った時は満席であった。観衆には高齢者の姿が多かったが、戦争体験世代に共感される作品である。戦争末期の日常生活を切り取ったようなその映画は、ひたすら真面目(まじめ)でありながらトンチンカン、という会話が続く物語であり、戦時下の生活を丁寧になぞりつつ、その時代から距離を保っている不思議な秀作であった。
本書は、本年4月に急逝した映画監督の黒木和雄を扱った映画論である。黒木は60年代に、前衛的な映画の監督として世に出た人であった。前衛的というのは、映画の手法であるだけでなく、その主題の問題でもあった。それは、当時の分裂・先鋭化する学生運動を反映しながら、その主体形成のあり方を問うような性格のものだった。彼はハッキリした答えの見つからないその主題を、映像を通じて模索していたのである。
ところがそんな黒木は晩年になって、かつての前衛的な映画とはやや異質な、自分の戦争体験に立脚した作品を発表するようになる。「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」など、戦争と庶民生活をテーマにしたその静かな反戦映画は、「紙屋悦子の青春」も合わせて彼の代表作となった。70歳を超してから新たに代表作を生み出すというのは、そう普通に見られることではない。
本書の著者の佐藤忠男は、その変化していく黒木の作品を、一貫性を持った視点で捉(とら)えるのに成功しているように見える。それは佐藤の映画論が、いわば人生論的な視点を持っているからだろう。ここでいう「人生論的な」とは、政治を意識しながらも政治イデオロギーによって裁断せずに、自分の生活の体験と重ね合わせて作品を把握しようとする視角であり、時代の中で翻弄されていた自分自身を立ち止まって振り返るような見方ともいえる。佐藤は、突然の黒木の死に接して、「同時代を、多少の距離はあってもともに歩んで」きた人物とし、思えば映画の「同志」だったと記した。哀惜の念が溢れた言葉といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大学教授)】
| 江戸東京の路地―身体感覚で探る場の魅力 | |
![]() | 岡本 哲志 学芸出版社 2006-08 売り上げランキング : 794 おすすめ平均 ![]() 「街」とは何かを考えさせられたAmazonで詳しく見る by G-Tools |
都市づくりの根幹に、未来への提言
路地が今、注目されている。つい最近、ドイツから建築と文学の女性研究者が東京の路地で博士論文を準備中と言って、別々に訪ねてきたのには驚いた。また芸大の女子学生が北千住の路地を若い感性で描いたビデオ作品を見て、新鮮な感動を覚えたものだ。
路地と言えば従来、防災上も危険な、暗くて貧しい否定的存在だった。だが、近年の大型開発で都市が単調で退屈になるにつけ、逆に路地のもつ魅力に人々が惹(ひ)かれる。日本の都市を特徴づけ、よく話題になる路地だが、それを真正面から研究し書かれた本は意外にもなかった。それだけに本書は価値ある路地論だ。
著者は、実践的都市史研究家。東京を歩き尽くし、隅々まで知っている。同時に、古地図を今の地図に重ねて変遷を追う術(すべ)に長(た)け、都市を読む研究を次々に発表してきた。その経験が本書に結実した。
路地と聞いてすぐ思うのは、裏長屋が並ぶ江戸庶民の生活空間だろう。だが著者は意外にも、明治初めに遡(さかのぼ)り今も残る銀座の近代路地への思いから出発する。路地という懐かしい伝統空間に、現代的視点から新鮮な光が当てられる。本書を読むと、日本の町の体質として、路地的な空間がどこにも再生産された歴史がよく分かる。まるで遺伝子が受け継がれるように。
その空間は実に多様だ。江戸起源の佃島、菊坂、下谷・根岸、明治・大正期の銀座、月島、神楽坂、谷中・根津。昭和初期では渋谷百軒店や築地場外市場、戦後は駅前の闇市を引き継ぐ界隈(かいわい)、そして高度成長期以後のポストモダンの渋谷スペイン坂や代官山、といった風に。
今の東京に潜む、様々な時代を語る路地を著者と共に訪ね、場の雰囲気を身体で感じる楽しみを疑似体験できるのが、この本の面白さだ。路地を語る時に陥りがちな懐古や趣味の世界を越えて、日本の都市形成の特質を理詰めで描く点がよい。しかも、路地の精神が都市づくりの根幹に据えられるべきだ、という未来への強いメッセージが込められている。皆さんも読破すれば、大都会に潜むラビリンスにめっぽう強くなれますよ。【評 陣内秀信(法政大学教授)】
| 戦争大統領―CIAとブッシュ政権の秘密 | |
![]() | ジェームズ ライゼン James Rissen 伏見 威蕃 毎日新聞社 2006-09 売り上げランキング : 444 おすすめ平均 ![]() 知識と知性の総和と政策Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私を含む、ベトナム戦争を知る世代には、アメリカにまつわるふたつの神話があるような気がする。“CIA(中央情報局)神話”と“ジャーナリズム神話”である。
私見では、同時多発テロからイラク侵攻にかけての日々、誰かの台詞(せりふ)ではないが、「アメリカのジャーナリズムは死んだ」と思った。翼賛報道一色に塗りつぶされ、ベトナム戦争やウォーターゲート事件で論陣を張った頃の輝きは、見る影もなくなっていたからだ。
かたや“CIA神話”のほうは、しぶとく脳裏に残っていた。そのイメージは、底知れぬ情報力と工作力を併せ持ち、ときにえげつない謀略をも辞さない秘密組織といった、われながら素朴なカリカチュアである。もしあなたも同様のイメージをお持ちなら、本書によって木っ端微塵(みじん)に粉砕されるはずだ。
著者が描き出すCIAの現状は、「惨状」と言っても過言ではない。イラクにもイランにも、CIAはまともな情報網を構築していない。イラク侵攻前に大量破壊兵器の存在を証明しえなかった事実や、その後の戦況の泥沼化を示す報告は、途中で握りつぶされ、大統領と側近たちにとって「聞きたい」情報だけが伝えられてきた。
著者の大スクープのひとつは、CIAが在米イラク人たちをスパイとして本国に送り込み、かつて核開発に従事していた科学者らを通じて、現在は「核開発計画など存在しない」との明言を得ていながら、CIA内部の縄張り争いのせいでホワイトハウスに伝達されずに終わってしまった出来事である。開戦数カ月前の実話だが、ブッシュはそれを知ったとしてもイラクに攻め込んだのではないか。
もうひとつの大スクープは、NSA(国家安全保障局)が内外の膨大な電話を盗聴し、電子メールも盗み見ている行為を暴露したことで、アメリカ国民にはさぞ衝撃的であろう。
著者によれば、ブッシュ政権は事実上、ラムズフェルド国防長官とチェイニー副大統領に乗っ取られている。彼らは、国務省を蚊帳の外に追いやり、CIAを手玉にとって、情報機関の軍事化を着々と推し進めてきた。これは軍と情報機関を峻別(しゅんべつ)する国是に反する、「最悪の致命的遺産」になりかねないと、著者は厳しく批判している。
こうした見方には、たしかに“図式化”のきらいがある。おそらくはCIAや国務省、国防総省の反主流派と元幹部らがおもな情報源であろうから、逆・情報操作に陥る危険もないわけではない。だが、インテリジェンスの世界に精通した著者が繰り出す情報の質と量は圧倒的で、通り一遍の批評など寄せ付けない迫力に満ちている。アメリカの“ジャーナリズム神話”を再び信じたくなるような、調査報道の底力を感じるのだ。
私が本書を真っ先に読ませたいのは、先日の国会答弁で、イラク侵攻時に「大量破壊兵器が存在すると信じるに足る理由があった」などと前任者の強弁を繰り返した『美しい国へ』の著者である。ちなみに、「美国」とは中国や韓国では「アメリカ」の謂(いい)だが、もちろん単なる偶然であろう。【評 野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)】
| エンターテインメント作家ファイル108 国内編 | |
![]() | 北上 次郎 本の雑誌社 2006-08-24 売り上げランキング : 2463 おすすめ平均 ![]() 偏愛する書評家Amazonで詳しく見る by G-Tools |
発掘・発見、書評の力を教えてくれる
著者のあとがきに異論がある。エンターテインメント小説の書評はその時々で消費されればそれでいい、“その本を買うかどうか迷っている読者の指針になれば、それで充分(じゅうぶん)だ。あとからこうして一冊の本にまとめなくてもいい”というのだが、これは明らかに新刊を対象とした発言だろう。新古書店やインターネット古書店の増加を考えれば、現代はかつてないほど本が容易に入手できる情況(じょうきょう)にある。新刊だけを視野に入れては困るし、北上次郎ほどの評論家となると活躍が幅広く、読者はフォローできない。書評集をまとめるべきなのである。それは本書を読めばわかる。
ここには一九七九年の西村寿行の『闇に潜みしは誰ぞ』の文庫解説から、今年の伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の文庫解説まで百八本収録されている。およそ八百五十枚。しかもミステリ、SF、時代小説、恋愛小説、青春小説、ジュブナイルと守備範囲も広いし、一つひとつのジャンルの歴史が語られ、新たな解釈があるので参考になる。
特に北上次郎の功績として大きいのは新人発掘だろう。児童小説出身の佐藤多佳子、あさのあつこ、森絵都、時代小説の荒山徹、富樫倫太郎など彼に見いだされ、読者に“発見”された新人は数多い。いや、“発見”というなら、評価の定まった作家たちにもいえる。戦後の大衆小説のベスト1と力説する阿佐田哲也の『ドサ健ばくち地獄』などは、ギャンブル小説という従来の見方を覆して、心理小説の傑作として読者の前に鮮やかに提示する。そのように提示されたら読者は読まないわけにはいかなくなる。
そう、北上次郎の書評は煽動(せんどう)だ。その小説が読みたくて仕方がなくなるし、書評を読んでさらに関連作品も読みたくなる。宮本輝の『地の星 流転の海第二部』についての書評をもじるなら、“書評がこれほど力に満ちた世界であることを教えてくれる本はそうあるものではない”のだ。
本が溢(あふ)れるいま、読書の指針として、新たな作家や馴染(なじ)みのないジャンルへの入門書として最適の本だし、小説好きなら必携の本であろう。【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| 何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集 | |
![]() | 中島 らも 白夜書房 2006-08 売り上げランキング : 261 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中島らもが転落死して二年。その後も著作は何冊も出たが、本書こそ彼の〈最後の作品〉の名にふさわしい。総合誌「論座」に連載された評論「笑う門には」を収録しているからだ。笑いをめぐるこのエッセーは、中島らもの実質的遺言ともいうべきラディカルな思考を展開している。
中島らもは「笑いとは『差別』だ」と断言する。同じことをフランスの劇作家で映画監督のマルセル・パニョルはこう表現していた。「笑いとは優者の劣者に対する優越的感情の爆発である」
例えば「センセーショナリズムとピーピング趣味とサディズムと吉本の芸人で成立しているテレビ番組」を見よ、と中島らもはいう。そこには愚かなものを見て、優越的感情をもって笑うという差別が構造化されている。だが、この愚かなものは愚かな視聴者のために作りだされた虚構にすぎない。そのからくりに嫌気がささないか、と著者は私たちに問いかけるのだ。
その一方で、ある人物にはこんなふうにも語っている。
なぜ人間は笑うのか。それは自己救済のためだ。他人を笑うことで自分を救っているのだ。だとするならば、その笑い=差別は、善悪をこえた人間の条件ではあるまいか。人間が絶望に追いこまれたとき、生きるための不可欠の手段ではあるまいか。
中島らもがそう語りかけたある人物とは、のちに自殺する落語家・桂枝雀だった。二人は朝の六時まで笑いについて語りあったという。
「この夜の六時間をもしテープに録っておけばゆうに一冊の本が出来ただろう。買う人も多少はいたかもしれない。何故ならこれはショウマン派同士のセメント試合[真剣勝負]だからである。しかしそんなことは世故に長けた出版社の考えることだ。おれには思い出だけで十分だ」
この孤独な自負だけを武器に、中島らもは喜怒哀楽の喜と楽だけでなく、怒と哀にも踏みこんでいく。「笑う門には」のある回は、怒と哀を扱い、差別の問題に正面から切りこんで、雑誌への掲載を拒否された。この原稿も本書には完全収録されている。【評 中条省平(学習院大学教授)】
| ファイアースターマン日記 | |
![]() | D[di:] マガジンハウス 2006-08-24 売り上げランキング : 6734 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ネット舞台に癒やしの物語かと思えば……
誰もが心地よい「ぬるま湯」を求めている現代。インターネット上でも、気心の知れた仲間だけに限定できるソーシャル・ネットワーキング・サイトが人気沸騰中だ。そんな時代の温泉気分へ鋭く斬(き)り込んだこの「ノベルコミック」は、文句なしに楽しい。
主人公は失恋と失業のダブルパンチにあえぐ二六歳の水沢マリノ。彼女が新しく始めたアルバイトは、漫画家ダキマクラ・ダイスケが作り出した、ボーボー燃える炎そっくりの妖精ファイアースターマン(FSM)というキャラクターになりすまし、ネット上の交換日記で、現実生活に疲れたユーザーたちを元気づけるという仕事だ。じつのところこの妖精はかつて人間の男性で、多くの罪を犯して死神にすがたを変えられたため、罪の数だけ人間を救ってもとに戻ろうとしているらしい。ゆえに本書は、ひとまず癒やしの物語として受け止められるだろうか。
しかし著者D[di:]は漫画や小説、それに音楽まで多くの分野で活躍する多才なアーティストだけに、その構成は一枚岩ではない。彼女の視線は、時にシニカルなほど、悩める者たちの傷口に塩を擦り込む。
各章の冒頭が「『がんばって』という言葉が嫌いだった」「クールなんてくそくらえ」「闇雲(やみくも)なファンタジーは、打ち壊されなければならない」といった、世界を呪うかのごとき過激な警句で始まるのは序の口。やがては、ファイアースターマンに変身してユーザーたちをとことん愛し抜こうとするマリノたちオペレーター自身が、ふとしたことから、ゴスロリ系女子高生を含む現実のユーザーたちと接触してしまい、あろうことか自分自身の家族の秘密をはじめ、このキャラクター自体の恐るべき成立の秘密にまで立ち至るのだ。
ほんらいユーザーたちを甘やかすべきオペレーター自身が、この仕事を通じて癒やされるかと思えば新たに傷つき、傷ついたかと思えば再び癒やされる。現代の「ぬるま湯」の本質を問いつめた本書に、わたしはなみなみならぬ批評精神を感じた。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 私の老年前夜 | |
![]() | 長塚 京三 筑摩書房 2006-09 売り上げランキング : 6791 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は俳優・長塚京三の、二冊目になるエッセイ集である。複雑にして香気高い、瑞々(みずみず)しい文章が並んでいる。稚気と幽(かす)かに触れ合うほどの、頑固なやっかいさが魅力である。
俳優とあえてここに書くのが、不要なことだと思われもする。だが、本書のなかのどの一篇(ぺん)をとっても、著者が俳優であることを忘れさせてくれるものは一つもない。役者であることと人格が、みごとに融合していると思う。いや、融合とはきれいすぎる。生来の人格と職業が、かみつきあいながら、ここに一人の人間を、確かに在らしめたという感触が残る。
様々な場面で、著者は自分を、冷静に解体し吟味する。時にその作業は、幼い頃の自己をあぶりだすが、還暦を過ぎた今現在と、一体どこが違うのか。私の目には同じに見える。七面倒臭くて複雑で、ゆれ動く内面を持った少年。幼年と今が、かくも直列に、激しく繋(つな)がりあっている。奇妙にも胸打たれる点である。
むしろ読み難い文章である。独特の粘りとこらえ方がある。だから私も、「こらえて」読んだ。こらえるというのは我慢ではない。気持ちを溜(た)めながら、ゆっくりということ。稀有(けう)な文章に出会ってうれしい。【評 小池昌代(詩人)】
| 黒い傘の下で―日本植民地に生きた韓国人の声 | |
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喜びや屈辱を聞き取り多彩
歴史は、数多くの人生の束ともいえる。とすると歴史認識というものも、その時代に生きた多様な人生を理解することではないのか。韓流ブームが続いているにもかかわらず、日本人と韓国人のかつての植民地支配をめぐる歴史認識の差は、縮まってはいない。しかし、その時代の「朝鮮人」の目から見えた世界を知ることは、その差を縮めるものだろう。
本書は在米の韓国人51人の、戦前の植民地時代の思い出の聞き取りを集めたものである。そこには力ずくの植民地支配と、古い社会から脱する近代化の動きとが絡み合っている現実があった。語ってくれた人の中には、植民地の近代化の中で設置された高等教育機関の出身者もいた。彼らは、民族差別の中での僅(わず)かな上昇の機会を求め、人生の可能性を切り開いていったのである。
しかし独立運動に対する警察の抑圧や暴力は強烈なものだった。たいした政治活動をしていなくとも一度目をつけられると、しつこく監視され投獄されて、人生を台無しにする場合もあった。喜びや屈辱などさまざまな思いを抱いた多様な人生が、植民地支配という「黒い傘の下で」展開していたことを知らせる好著といえよう。桑畑優香訳。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| 崩壊について | |
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風変わりな建築史だ。建築の歴史といえば普通、出来上がる過程を扱い、いかなる考えで、どんな特徴をもつ建物がつくられたかを論ずる。完成後の姿、末路を問うことは稀(まれ)だ。本当は心象風景に結びつく建築のその後こそ重要なのに。
それが不満な著者は、建築にとって最も不吉な崩壊というテーマに注目した。
歴史上、多くの建物が崩壊し、執念で再建された。教会の塔や天井が崩れ落ちた例は枚挙に暇(いとま)がない。地震、嵐、雷の他に、鐘やオルガンの音までも原因になりえたという。よくぞ沢山(たくさん)の例を調べ上げたものだ。崩壊は人間の力を超えた事象でもあり、畏敬(いけい)の念を生んだ。ミサの間、天井が落ちないよう、祈りを捧(ささ)げることもあった。
ピサの斜塔のように、傾いているが故に、世界の人々の人気を集め、その崩壊を巡って賑(にぎ)やかな話題をまく建物もある。
崩壊は危険な由々しきことだが、西欧では同時に一種甘美で夢幻の世界と結びつくこともあったと著者は言う。地震、火事、水害に悩まされ続ける木造文化の日本とは違った美の感覚が育まれたのだ。比較文化論としても興味が尽きないが、一方でなぜこんな不思議な本を書いたのか著者に聞いてみたい気もする。【評 陣内秀信(法政大教授)】
| 宇宙飛行士は早く老ける?―重力と老化の意外な関係 | |
![]() | ジョーン ヴァーニカス Joan Vernikos 白崎 修一 朝日新聞社 2006-09 売り上げランキング : 478 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
重力と老化の関係を考察
質問。地球から重力が無くなれば体はどうなるでしょう。答えは、老ける。血圧は上昇、骨はスカスカ、筋力は衰え、耳の聞こえは悪くなり、めまいがする。重力が戻っても、赤ちゃんのようによちよち歩き、人によっては失神する。
といったことは、過去の宇宙飛行士が体を張って証明してきた科学的事実で、巷(ちまた)にあふれるアンチエイジング商品よりはるかに説得力に富む老化予防の秘訣(ひけつ)が本書には書かれている。
仮説にまず引かれた。それは、老化現象とは長い人生をかけて重力の恩恵を徐々に避けるようになることが原因ではないかというもの。寝たり座ったりする時間が長くなれば若々しさを失うことは感覚的にわかるが、それを重力との関係から考察していくのだ。元NASAの生命科学部門責任者で、健康な男女にベッドで数週間寝てもらう実験を考案した著者によれば、宇宙に2週間いた30~50代男性とベッドで30日間寝た同年代の男性と70代男性では筋肉の衰えがほぼ同じという。
地球に帰還すると紙一枚が重く感じるという宇宙飛行士。華やかな報道の陰で彼らの心身に何が起こり、どんなリハビリで健康を回復してきたかも意外性に満ちている。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 永遠の球児たち―甲子園の、光と影 | |
![]() | 鈴木 洋史 谷上 史朗 中村 計 矢崎 良一 山岡 淳一郎 佐々木 亨 津川 晋一 竹書房 2006-07 売り上げランキング : 2136 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
甲子園を沸かせた新旧の高校球児と、彼らの指導者をめぐる短編ノンフィクションのアンソロジーである。書き手は七人。鈴木洋史氏や山岡淳一郎氏のように既に何冊もの単著を上梓(じょうし)している書き手もいれば、一九七〇年代生まれの若い書き手もいる。だが、寄せ集めの印象はない。編集の「柱」がしっかりと通った一冊である。
その「柱」とは――副題の「甲子園の、光と影」がなによりもはっきりと示している。「怪物」と騒がれながらもプロでは大成できなかった投手や、完全試合達成目前で大記録を逃した投手、常勝を義務づけられた強豪校の監督、ひっそりとグラウンドから去った名将……収録された七編はいずれも、甲子園という晴れ舞台で得た光の輝きと、「その裏」の影や「その後」の影を描き出す。
だとすれば、これは悲劇と挫折の作品集なのか――?
違う。七人の書き手は決して影の悲劇性を強調してはいない。むしろ逆だ。甲子園のヒーローや名将の人生を、ただ悲壮感や悲運や悲哀に満ちた影一色で塗りつぶしてしまうのは〈他者が抱く勝手な、底の浅い思い込み〉かもしれない、という意識こそが、本書を貫く太い「柱」なのだ。
七編で描かれる球児や指導者は、だから、意外なほどよく笑う。さばさばと過去を振り返る。光と影の記憶を恨みごとでは語らない。たとえ光のまばゆさが影を際立たせてしまうのは事実だとしても、七編の主人公は皆、いまの光の中で、それぞれの日々を生きている。甲子園で得た光に比べれば、いまのそれは、まばゆさでは負けているかもしれない。だが、影の暗さが底を支える光は強く、深い。そして、その影の奥底にも、じっと目を凝らせば大切な宝物としての甲子園の光がキラリと輝いているんだと、七編は教えてくれるのである。
僕は本書を「挫折を乗り越えたノンフィクション集」として読んだ。それは「球児」という限定された若者だけのドラマではないはずだし、指導者として「球児」と向き合うオトナだけの物語でもないはずだ、とも信じている。【評 重松清(作家)】
| 近代日本の陽明学 | |
![]() | 小島 毅 講談社 2006-08-11 売り上げランキング : 1860 おすすめ平均 ![]() 朱子学国家への回答Amazonで詳しく見る by G-Tools |
知りて行わざるは未(いま)だこれ知らざるなり。目前に不正を見たら、ただちに正さなければ気が済まない。「知行合一(ちこうごういつ)」の標語で有名な陽明学のエッセンスである。
明の王陽明に始まるこの儒学の一潮流は、幕末の日本で本家から独り立ちし、行動的な変革思想として強い影響力を持った。たとえば、三島由紀夫が最晩年の「革命哲学としての陽明学」で特筆したのは大塩平八郎・吉田松陰・西郷隆盛の三人である。
自分でも「反・陽明学的な心性を持つ」と認める若い著者は、日本陽明学に対して意地悪なまでに醒(さ)めたスタンスを保つ。大塩の蜂起は「成功する見込みもない暴挙」、松陰は「自己陶酔」。こう身も蓋(ふた)もなくいわれると評者の年齢では何だかムッとするが、意図的な挑戦かもしれないと思い返して先を読む。
近代日本の思想界に持ち伝えられた陽明学の系脈をたどる作業が本書の眼目だ。
著者の見るところ、日本陽明学の特色は「純粋動機主義」にある。動機が正しければあまり政治的結果を問わない《動機オーライ主義》といってよい。幕末維新の峠を越えた陽明学は、一回的な思想史上の役割を終了せず、この形質を優性遺伝子として保存させながら、多種多様な思想と習合して、一貫してしぶとく生き延びる。
陽明学の本流は今や日本にあると豪語したのは三宅雪嶺である。この「革命哲学」は大正天皇の侍講になった三島中洲によって宮中に入り、内村鑑三の手でキリスト教と合致させられ、井上哲次郎の労作でカントと調和するに至った。大逆事件の幸徳秋水にも大川周明の国粋主義にもひとしくその影が落ちている。赤色陽明学・白色陽明学どちらもOKなのである。最近では「歴代宰相の師」といわれて政界の黒幕視された安岡正篤の名前が記憶に新しい。
それにしても本書の巻頭と巻末で、「心の問題」を信条として靖国神社参拝を続けた前首相をクローズアップしているのは、陽明学の相場低落なのだろうか。それとも心性相容(あいい)れない著者による陽明学の戯画化だろうか。【評 野口武彦(文芸評論家)】
























