メイン > 朝日新聞日曜版『書評』 > 2006年10月22日~10月29日
| 格差社会―何が問題なのか | |
![]() | 橘木 俊詔 岩波書店 2006-09 売り上げランキング : 88 おすすめ平均 ![]() 広く浅く 現状を考える上でもAmazonで詳しく見る by G-Tools |
深刻な〈相対的貧困〉に分析の光
格差をめぐる論争が再燃している。経済学の分野で新しい火種を作ったのは労働経済学者の大竹文雄氏だ。同氏は昨年話題になった『日本の不平等』(日本経済新聞社)で、日本の格差は所得分配の不平等を示す統計(ジニ係数)で測ると拡大しているが、それは高齢化や世帯構造の変化による「ある種の見せかけ」にすぎないと主張した。10年に及ぶ研究成果を基にした大竹氏の分析は格差批判に対する反証として注目を浴び、政府も今年度の『経済財政白書』では同氏の見方を追認する調査を公表している。
これに対して、8年前の著書(『日本の経済格差』、岩波新書)で日本における「平等神話崩壊」の背後で「理にかなわない不平等化」が進んでいると問題提起した橘木氏は、新著『格差社会』では格差拡大がいまや貧困問題にまで発展していると警告する。統計上の格差は「見せかけ」との見方を超えて、著者は日本のような先進国に存在する〈相対的貧困〉の深刻さに分析の光を当てるのだ。その狙いは、高齢化の進展に伴い、高齢単身の「貧困者の数が非常に増えて」いるのに、それを「『見かけ』として無視するのですか」という問いかけに象徴されている。
生存に必要な食料すら確保できない〈絶対的貧困〉がいまの日本で「大問題」になっているとは評者も思わない。だから、生活保護を受ける世帯が100万を突破しても、小泉前首相は国会で「格差はどこの社会にでもあり、格差が出ることは悪いことではない」と発言できたのではないか。
しかし、貧困がもたらす問題は、一国の経済発展に伴って変化することも忘れてはならない。特に先進国では、〈絶対的貧困〉よりも、同じ社会に属する他人との比較で悲観したり、不満を覚えたりする〈相対的貧困〉のほうが「大問題」だ。自分の所得が低すぎるために人並みに社会参加できないとか、様々な機会から排除されていると感じる人が増えれば、社会の連帯感や安定感、ひいては安全まで損ねる恐れがある。そうした〈相対的貧困〉の境界線を平均(中位)所得の半分で引くと、日本の貧困率は著者の推計によれば01年で17%に達し、先進国の中では最悪の部類に属しているという。
こうした貧困の実態や評価は、浦川氏との共著『日本の貧困研究』で詳しく説明されている。数式や統計が多く一見取っつきにくいが、具体的な事例や数値も多く、読んでみると意外にわかりやすい。例えば、所得分配の公平に関するアンケートの分析では、格差があっても全体の所得が大きければよいとか、完全な平等がよいといった見方に対する支持はいずれも低く、高いのは〈相対的貧困〉を回避する分配だという結果が示されている。つまり、多くの人はある程度の格差を容認しながらも、〈相対的貧困〉は可能なかぎり減らすことが望ましいと考えているのだ。
評者が、橘木氏の議論に共感を覚えるのは、格差論争の地平を貧困にまで広げた点だ。それは経済学者として絶対に忘れてはならない視点でもある。【評 高橋伸彰(立命館大学教授・日本経済論)】
| 荷風さんの戦後 | |
![]() | 半藤 一利 筑摩書房 2006-09 売り上げランキング : 369 おすすめ平均 ![]() 「断腸亭日常」で荷風の戦後生活を浮彫りにするAmazonで詳しく見る by G-Tools |
やっぱり予想していた通り本書の「あとがき」は、昭和三十四年(一九五九)四月、永井荷風が数え年八十一で壮絶な孤独のうちに死んだ時、石川淳が『敗荷落日』と題し、死者を鞭打つ激しさで酷評した一文に触れている。
愛読していた荷風の日記『断腸亭日乗』までが全否定されたことに「向っ腹をたてた」著者は、戦後の荷風も戦前に負けず劣らず、みごと狷介で反逆的な生き方をしていたことを「歴史探偵として」証明しようと思い立つ。
著者はかいなでの荷風愛好家ではない。つとに一九五〇年代前半、最初の全集に収められた『日乗』を毎月買って読んでいたのだから年季がたっぷり入っている。
昭和二十年(一九四五)三月の大空襲で、麻布偏奇館を蔵書もろとも焼き払われた荷風が、千葉県市川に移住し、電車で浅草のヌード劇場に日参する風狂にして助平な生活スタイルは江湖の話題になった。「国破れてハダカあり」とはけだし名言だ。四つ道具は、ベレー帽・安物の買物籠・コーモリ傘・軍隊靴。巨額な預金のある銀行通帳を肌身離さず持ち歩く。
練達の著者はもちろん文明批評だの反俗だのとヤボな理屈をいわない。歴史家らしく戦後史の主要事件を背景に持ってきても、当の荷風が徹底的無関心を決め込んでいて、接点が見つからないのもご愛敬だ。ひしひしと伝わってくるのは、著者も自認する「横恋慕」の情愛である。
荷風の数々の奇行は天下に名高い。その歯欠けも、ケチも、偏屈も、ヒガミも、被害妄想も、ノゾキ趣味も、全部愛しちゃっているのだ。しかしさすがにウラを取るのを忘れていない。『断腸亭日乗』といえども一方的には読まない。荷風の記載と他人の第三者的な観察とを突き合わせると、荷風のポーズにもけっこう恰好付けの面があったとわかって面白い。
みずから「永遠のホームレス」の境涯を選び取った荷風が、他人に看取(みと)られるのも拒絶し、ひとりで吐血して死んだ光景は、高齢化日本に《孤独死バンザイ》の痛烈なメッセージを発している。【評 野口武彦(文芸評論家)】
| 樹をみつめて | |
![]() | 中井 久夫 みすず書房 2006-09 売り上げランキング : 487 おすすめ平均 ![]() 「オトナ」のエッセイ集Amazonで詳しく見る by G-Tools |
3歳のときに祖父から何を植えてもよいという花壇を与えられ、色とりどりのキンギョソウに導かれた人である。精神科医となり初めて赴任した病院へは、徒歩40分の林道をクヌギを眺めつつ通った。
長年、統合失調症の診療にあたり、阪神大震災では被災者の心のケアに取り組む。幼少時からの植物体験は、医学という人間中心の動物学大系に身を置く著者の思考に大きな広がりを与えたという。
この随想集にあるのも、植物の側に立ち、無用にみえるものの「存在自体を肯定して福をもたらす」という著者の視線だ。地蔵が増えた神戸のこと。認知症の人が思い出の品で「記憶の煤払い」をし過去を思い起こす光景。ハンセン病の療養所に精神科を設けた神谷美恵子の人生。とりわけ小学六年で敗戦を迎えた著者が平和への祈りを込めた長編「戦争と平和についての観察」は、国家の枠組みも民族も超え複眼的に歴史が捉えられ、読み進めるうちに心に壮大な宇宙絵巻が広がるよう。
戦争は勝敗に至る「過程」、平和は無際限に続く「状態」という前提に目を開かれる。戦時は格差も不道徳も棚上げされるが、平時は社会の要求水準が高まり堕落が意識されやすい。平和の言葉は同調者しか共鳴しないが、戦争の言葉は単純で万人に訴える。平和は凡庸、戦争は物語を生む。なるほど著者は人が戦争に向かう容易さに比べ、平和がいかに理解しにくく構築に努力を要するかを説くのである。
指導者の多くが早期に自国勝利で終戦するという願望思考に陥る心理や、略奪や強姦へと戦争が堕落する背景も観察の対象だ。カウンセリングのように分析するのでも日本人特殊説を持ち出すのでもない。国益に左右される巷の歴史解釈ともほど遠い。観察とは真実を理解せんとする態度である。時空を超え人間をその内側から見つめる。そんな姿勢で歴史に臨む人を本来、歴史家と呼ぶのではないか。
「精神科医の心の中にはいくつかの墓がある」。多くの理不尽な死を目前に見た著者にとり、戦争を書くことは魂の供養でもあったろう。静謐(せいひつ)だが重い余韻の残る一冊。【評 最相葉月(ノンフィクションライター)】
| 緋色の迷宮 | |
![]() | トマス・H. クック Thomas H. Cook 村松 潔 文藝春秋 2006-09 売り上げランキング : 304 おすすめ平均 ![]() いかにもクックの作品 どっぷり漬かりました 気持ちを深く洞察し、表現豊かに描く秀作Amazonで詳しく見る by G-Tools |
誰にでも偏見はあるけれど、僕の偏見を一つだけ言わせていただくなら、トマス・H・クックを知らない人は小説ファンではない。トマス・H・クックを読まずして現代小説を語ることはできない。アメリカ探偵作家クラブの最優秀長篇(ちょうへん)賞を受賞した『緋色(ひいろ)の記憶』(文春文庫)、家族を殺した父親を追及する『死の記憶』(同)、取調室を舞台にした息詰まる密室劇『闇に問いかける男』(同)など、複雑巧緻なプロットと切々たる哀愁の人間ドラマで読者を圧倒する。ミステリのファンのみならず純文学のファンをも満足させるし、両方の分野においても、クックほどの小説巧者は数えるほどしかいない。それは新作の本書を読んでもわかるはずだ。
写真店を経営しているエリックは、教職につく美しい妻とおとなしい息子との生活に満足していた。だがある日、八歳の少女エイミーが行方不明になり、ベビーシッターの息子キースに疑いがかかる。誘拐して性的暴行に及び殺したのではないかというのだ。エリックは憤慨するが、エイミーの両親も町の住民たちも疑惑の目を向けだす。やがてエリックは自らの家庭生活、さらには自分が生まれ育った家族の秘密にも気づきだす。
他のクック作品がみなそうであるように、ここでは誰もがみな弱さを抱え、いえぬ傷をもち、激しい不安のなかで生きていて、ある者は倒れ、ある者は破滅へと突き進む。人々は対峙し、交錯し、事実を探り合い、奥深く埋め込まれた謎を解きあかしていく。その巧緻な仕掛け、堅牢なプロットはさすがにクックである。スリリングなミステリ的昂奮と優れた人間ドラマの点で、前記三作には及ばないものの、それでも小説の醍醐味を充分に味わわせてくれる。
とはいえ、正直いって、辛く哀しい小説である。読後感は苦く厳しいけれど、それでも随所で語られる諦観は人生の真実を照らし、絶望感を抱く者には何がしかの慰謝を与えるし、幸福と思いこむ者にはいずれ訪れる絶望のレッスンになる。それほどクックの凝視は深く、強く、切ないのである。クックを読め!【評 池上冬樹(文芸評論家)】
| けむりの居場所 | |
![]() | 野坂 昭如 幻戯書房 2006-09 売り上げランキング : 5529 おすすめ平均 ![]() 煙草の詩、紫煙の文学Amazonで詳しく見る by G-Tools |
喫煙者が、ほとんど軽犯罪者のように扱われる昨今に、喫煙をテーマにした本を出版するその心意気がすばらしい。執筆者は、開高健、藤沢周平、赤塚不二夫、田中小実昌と、数え上げればきりがないほどの豪華さである。最初から終わりまでみっちり、煙草、煙草、煙草の話。
煙草を通して時代が見えてくる。戦前の煙草の銘柄、空襲のただ中に防空壕で見た煙草の火、戦後、物資不足のときに拾って歩く他人の吸い殻。数人が「火を貸す」という行為について言及しているのが興味深い。知らない人同士の距離がすっと縮む、緊張と親和の入り交じる瞬間が、それぞれの筆で書かれている。こんな光景は、今はもう見ることができない。
遠藤周作は煙草について「無駄にみえても、その無駄が人間のうえに大切なような楽しみなのである」と書く。本書はまさに、無駄ながら大切な瞬間を、ていねいに集めてある。仕事や日常からふっと遠くを見遣るような、ささやかながら貴重な時間を詰め込んだような随筆集である。
それにしても、かつての文人は喫煙マナーにじつにうるさかった。煙草よりも、格好悪い吸い方のほうが、害だったのである。【角田光代(作家)】
| パブリッシャー―出版に恋をした男 | |
![]() | トム マシュラー Tom Maschler 麻生 九美 晶文社 2006-09 売り上げランキング : 17953 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
巻末に、日本の読者のためにブックガイドが掲載されている。その名前のすごさにあきれるだろう。S・ラシュディ、T・ピンチョン、J・アーヴィング、R・ダールといった作家をはじめとして、科学者、俳優、芸術家など、手がけた著者陣のすごさ。いかにマシュラーが敏腕な編集者であったかを示している。
本書は、その回想録であるからおもしろくないわけがない。映画監督の夢が破れた青年が、ペンギンブックスを経て、ジョナサン・ケイプに入社したのは、一九六〇年五月だった。それからたちまち、同社は一流の出版社にのしあがる。
まだ無名の存在だったG・マルケスに、一度に五冊という前代未聞の契約をする。その中の一冊が『百年の孤独』だった。いたずら書きがおもしろいというところから、『絵本ジョン・レノンセンス』を発想する。動物園の哺乳(ほにゅう)類管理者だったD・モリスに『裸のサル』を書かせた経緯。
編集者ゆえに知りえる多くのエピソードから、著者との個人的つきあいまで、まさにひとつの出版の歴史だ。この良質出版社が、結局、ランダムハウスに吸収され、さらにベルテルスマンに売却されるというプロセスはなんとも皮肉である。【小高賢(歌人)】
| 学校再発見!―子どもの生活の場をつくる | |
![]() | 岡崎 勝 岩波書店 2006-09 売り上げランキング : 579 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
学校はどうなってんだと思わされるニュースが続いている。安倍政権の教育再生に期待したくなるのもわかるけど、安倍首相はおそらく学校現場を知らない。あなたも知らない、私も知らない。親でさえ学校の日常は知らないのだ!
知らないことによる頓珍漢な改革がいかに現場を疲弊させてきたか。と憤っても子どもは毎日登校してくるし、給食から掃除当番まで学校の日常は待ってくれない。『学校再発見!』はそんな待ってくれない学校の現状を率直に誠実にリポートした、親も教師も必読のリアルな小学校論だ。
学力低下、ゆとり教育、愛国心といった話題もだけれど、特に傾聴すべきは労働現場としての学校が抱える問題である。非常勤が増え、正規の教員が減ったための労働強化。害の多い教員評価制度。教育委員会に気がねする校長の横並び主義。
著者は現役の小学校教諭で、優れた小学校生活のガイド『がっこう百科』(ジャパンマシニスト社)などの編著書もある岡崎勝さん。学校はまず子どもたちの生活の場、公的な集団託児所であるという主張には目を三角にした教育論にはない視点がある。人件費を削ればサービスの質が落ちるのは当たり前なのだ。【斎藤美奈子(文芸評論家)】
| 2大政党制は何をもたらすか 日本大変革の道 | |
![]() | 川上 和久 ソフトバンククリエイティブ 2006-09-16 売り上げランキング : 21122 おすすめ平均 ![]() 受け狙いで中身がないAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「二大政党制になれば、それだけで理想の政治が実現する」という神話がいまだ消えない。しかし、現実的には二大政党制になっている米国や英国で、理想の政治が実現していると考える有権者は多くない。
本書の著者も基本的には二大政党制を評価しているが、そうした手放しの二大政党制神話とは明らかに一線を画し、二大政党制がもたらす長所短所を冷静に述べている。
著者によれば、二大政党制下では与党に緊張感が生まれ、有権者の政治に対する関心も高まる。投票が業績本位となることによる長所だ。反面、政党間の差別化をはかるために些末(さまつ)な事柄が争点化し、逆に、政策が似るために重要な事柄が顕在化しない短所がある。
また、二大政党が有権者の過半数の支持を得ようとして穏健中庸な政策を打ち出すため、選択肢を欠く事態も起こりうる。事実、昨年の衆院選における自民・民主両党のマニフェストは酷似していた。
著者は、自民・民主両党の集票組織は形骸(けいがい)化しており、今後は政策を軸にした議員集団化が進むと期待する。政策による無党派層の緩やかな取り込みが両党の行く末を決めることになる。有権者の“眼(め)”も問われよう。【小林良彰(慶応大教授)】
| ぼくと1ルピーの神様 | |
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インドの現実が素材の謎解き娯楽作 めちゃくちゃ、面白い。
学校にも通っていないインドの貧しい孤児の波瀾(はらん)万丈の物語、というので、暗く深刻な話だろうと思って読み始めたら、見事なエンターテインメントだ。楽しめる。
だいたい舞台設定となるクイズ番組が、あの「クイズ$ミリオネア」(ファイナル・アンサー?と司会者が迫るあれは、日本で生まれたものではない。英国に端を発し、世界中ではやった番組)のバージョンアップ版だというのが、読者の親近感を呼ぶ。
さらに「小学校の教育もない孤児がどうしてクイズに全問正解できたのか」の答えが、彼の人生経験のなかから導きだされる記述が、実にうまくできている。時系列がバラバラなので、ちょっと混乱するところはあるけれど。
そして、全問正解で10億ルピー(約26億円)を手にする青年が、クイズに挑戦した真の理由は何か、回答に不正があったのではと嫌疑をかけられた主人公を救おうとする弁護士は、いったい何者なのか。最後の大団円で奇麗に解決される、その気持ちのいいことといったら! 伊坂幸太郎風と言ったら褒めすぎかしら。
もちろん、インド版わらしべ長者の夢物語的な、お気楽小説ではない。貧困、子捨て、誘拐、売春、体を傷つけた子供を見せ物に小銭を稼ぐ悪党、DV、退廃的なキリスト教会、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の殺し合い、戦闘から逃げる腰抜け兵士。小説中にちりばめられるインドの過酷な姿は、いずれも誇張ではない現実だ。
ここにはあしながおじさんもいないし、主人公も清廉潔白な優等生ではない。見様見まねでモグリの観光ガイドをやるあたり、観光案内の中途半端な聞きかじり方が妙にリアリティーがあって、笑える。貧しいけれど天才、という美談ではない。
孤児ゆえに、周りの勝手な判断で世界の三大宗教の名前を同時につけられてしまった主人公は、その多重的アイデンティティーをちゃっかり生かしてタフに生きていく。そのくらい小器用なほうが世界はラクなのに、という作者のメッセージとも取れる。【評 酒井啓子(東京外国語大学教授)】
| 国家論のクリティーク | |
![]() | イェンス バーテルソン Jens Bartelson 小田川 大典 岩波書店 2006-09 売り上げランキング : 15098 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
語ることも語らぬことも困難な概念
ベストセラーとなった首相の著書を始め、近頃「国家」論は、ちょっとしたブームの観がある。が、ブームというものは往々にして不安の裏返しだ。はたして、国家という概念の根拠は、今日、かなり問題含みなものとなっている。著者は、近代政治学の起源にさかのぼり、国家とは、なにか実体のある制度としてよりも、むしろ政治的なものを語る言語体系のなかで、いわばへその緒のような地位を占める概念として、私たちの思考のあり方を制約しているのだと説き起こす。
しかし、そう説かれても心外な向きは少なくはなかろう。国家などという「危険な」言葉を用いることに、なんとなくためらいを感じる人はむしろ多いくらいだろうし、実は、専門の政治学者の多くにとっても、もはや国家はまともな分析概念とはみなされていない。要するに、国家の概念は、ある種のイデオロギーとして、避けられるべきところでは避けられているのではないかということだ。
さにあらず、と著者は説く。すなわち、国家という概念自体を使わずにすますことと、国家という概念からつむぎだされた言語体系から自由になることとは、似て全く非なることだというのだ。そしてこの一点への粘着的なまでのこだわりが本書の凄みである。
著者は、国家概念の再定義の試みを、批判されるべき当の言語体系を結果的に再強化するものとして批判するだけではなく、国家という概念を廃棄しようとする試みまでも徹底的に批判する。なぜなら、国家という言葉の使用をどれほど回避しても、そこで話されている言語の前提に国家という概念が埋め込まれ、他の諸々の概念が国家という概念との関係において定義されているかぎり、それはいわば、頭隠して尻隠さずのお粗末な隠蔽でしかないからである。
国家を語ってもだめ、語らなくてもだめ。本書の批判から明快な処方箋を導くのは難しい。しかし、本書を読んだあとでは、国家を語ることだけではなく、語らないことについても慎重にならざるをえないことはたしかである。【評 山下範久(北海道大学助教授)】
| 資本主義に徳はあるか | |
![]() | アンドレ コント=スポンヴィル Andr´e Comte‐Sponville 小須田 健 紀伊國屋書店 2006-08 売り上げランキング : 425 おすすめ平均 ![]() 考えてみましょうAmazonで詳しく見る by G-Tools |
道徳を経済・政治に持ち込む危険
われわれは、ある現象を体験するとき、たんに知的に認識するだけではない。同時に、それに対して道徳的な判断をし、また快・不快のような情動を感じる。これらを区別することは難しい。そこで、あるものを知的認識(科学)の対象とするには、それに対する美的判断や道徳的判断をカッコにいれなければならない。一方、それを美的判断の対象とするには、真偽の判断や道徳的関心をカッコに入れなければならない。たとえば、これは虚構だとか、主人公が悪いといっていたのでは、小説を読めないであろう。このような領域の区別とその根拠をはっきりさせたのが、カントの「批判」であった。
本書で著者がやっているのも同じような仕事、つまり「批判」であるといってよい。ただ、著者は領域を「秩序」と呼び、またそれをつぎのように四つに分けている。第一に、経済―技術―科学的秩序。第二に、法―政治の秩序。第三に、道徳の秩序。第四に、愛(倫理)の秩序。
これらはそれぞれ異なる秩序にあり、それぞれに固有の原理をもっている。ゆえに、それらは混同されてはならない、というのが著者の主張である。しかし、これらの秩序は別々にあるのではない。どんな個人も、同時に四つの異なる秩序に属している。だから、それらを混同してしまうのも無理はない。
その中でも最も危険なのは、経済や政治の秩序と道徳の秩序の混同である。たとえば、ひとびとが平等であるべきだという考えは、道徳の秩序に属するが、それを経済的に実現しようとすると、経済を破壊することになる。その結果、平等そのものが実現されなくなるだけでなく、道徳的な理念が嘲笑(ちょうしょう)的に否定されるようになる。それは旧ソ連の社会主義経済とその崩壊がもたらした事態である。
しかし、経済や政治の秩序と道徳の秩序の混同は、今日でも別の形で生じている。たとえば、道徳性が政治の領域にもちこまれている。「聖戦」とか「正しい国家」のような考えがその例である。
一方、「企業倫理」というような言葉がよく使われている。まるで経済が道徳的でありうるかのように。しかし、個人のレベルに存する道徳性や愛を、集団である企業に見いだすべきではない。企業は何よりも利潤を追求しているのであり、そうでなければ成り立たないのだ。
といっても、著者が目指しているのは、経済や政治を道徳性からまもることではない。むしろ、道徳性を経済や政治からまもることである。いいかえれば、道徳や愛の秩序を高い理念としてあくまで保持しつつ、現実的な経済と政治に即しながら、それらを徐々に忍耐強く変えていこうということである。このような著者の立場は、一言でいえば、「自由社会主義」ということになるだろう。それは新自由主義と福祉国家主義の両方を批判するものである。前者は道徳性を欠いており、後者は経済の秩序を無視している。著者はそのような事柄を、普通の人たちに向けて、明晰(めいせき)に且(か)つ平易に語ろうとしている。【評 柄谷行人(評論家)】
| 別世界,幽霊を呼ぶ少女(全2冊) | |
![]() | 楳図 かずお 小学館クリエイティブ 2006-09 売り上げランキング : 3740 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
いつ見ても少年のように若々しい楳図かずおだが、今年で70歳になった。1995年に完結した20巻の大作『14歳』をもって「最後の作品」と本人が宣言しているので、新作はもう読めない。
だが、21世紀に入ってレアな作品の復刻が相次いでいる。本書はとくに貴重な1冊だ。楳図がオリジナルストーリーに基づいて単独で描いた長編第1作『別世界』が収録されているからだ。このマンガを楳図は17歳のときに描きあげた。真の天才である。
舞台は原始時代。人間は様々な部族に分かれて争っている。その部族間闘争を生きぬいて人類の救済に向かうリバー少年の冒険物語だ。
主題の一つは人類の滅亡である。物語の初めでリバーは奇妙な岩に立って空を見上げている。彼は気づかないが、読者にはその岩がガイコツの形であることが見えている。つまり、映画『猿の惑星』のラストの自由の女神のように、この岩はすでに一度人類が滅びたことの痕跡なのだ。
『14歳』の結末近くでも、人間の滅亡後、ゴキブリがガイコツの上に立って、人間の再生を予言する。ガイコツ岩は楳図かずおのなかで40年間も持続した人類の滅亡と再生のシンボルなのである。
また、『別世界』で、生き延びた人類が火星人の子孫であると示唆される件も興味深い。火星人の目から見れば、地球こそ「別世界」なのだ。他者の存在につねに想像力を開き、別世界をけっして拒否しない寛大なまなざしこそ、楳図マンガの哲学的深さを保証するものである。
『別世界』の冒頭に夕やけが現れていることも感動的だ。楳図の最高傑作『わたしは真悟』も、最終作『14歳』も世界を覆う夕やけで始まるからだ。夕やけは世界を焼きつくす滅亡の光景であると同時に、浄化の炎による再生の可能性のイメージでもある。
本書に収録された『幽霊を呼ぶ少女』は四谷怪談をベースにした恐怖マンガだが、冒頭に見開きカラー2ページで描かれる夕やけの輝かしさはマンガ史に比類がない。この本をカラー復刻してくれた編集者に心から感謝したい。【評 中条省平(学習院大学教授)】
| アメリカ第二次南北戦争 | |
![]() | 佐藤 賢一 光文社 2006-08-22 売り上げランキング : 6725 おすすめ平均 ![]() エンターテイメント小説としては、抜群 生ぬるい小説Amazonで詳しく見る by G-Tools |
歴史小説の手練れによる最新作は、まず書名からしてトリッキイだ。その響きはいやおうなしに、かれこれ一五〇年ほどもむかしの北米で、かのリンカーン大統領が奴隷解放を実現した南北戦争のことを連想させる。
しかし本書は、断じて歴史小説ではない。あくまで二一世紀初頭における近い将来、アメリカが再び南北に引き裂かれる内乱に突入し、北米全体が戦火に包まれたらどうなるか、という設定で思考実験をくりひろげた壮大な近未来小説なのである。
そこでは、ピューリタニズムによって成立したこの国の原点を「新興宗教国家」と捉え「アメリカは成功したオウム真理教」と断じたうえで、北部中心の合衆国から「第二のジャンヌ・ダルク」が降臨し、南部中心の連合国にかの白人優越主義秘密結社の精神を継ぐ「ネオKKK」が暗躍していくさまが、生き生きと描かれる。
これまで「世界の警察官」として「世界平和」のために諸外国での戦争を続けてきたアメリカが、さていかにして内乱へ突入するのか?
きっかけは、二〇一三年一月三日、テキサス州ダラスを訪問中だった史上初の女性大統領ケイト・マクギルが暗殺され、副大統領マーチン・ムーアが史上初の黒人大統領の座についたことにあった。もともと白人優位主義の強い南西部諸州は、それだけで反発する。かてて加えて、彼は、かねてからの腹案だった銃火器規制法案を強行し、それがNFA(全米銃火器協会)を刺激してしまい、国家を二分するほどの事態を招く。
主人公はジャーナリストの森山悟。彼は義勇兵の結城健人と親交を結び、女性軍曹ヴェロニカ・ペトリとの恋愛を深め、フランス系外交官僚ファビアン・リシュラと行動をともにするうちに、そもそもマクギル大統領暗殺の背後には思わぬかたちで「日本」が介在していたことに気づく。しかもその陰からは、米中戦争、転じては第三次世界大戦の可能性まで浮かび上がってくる。現在の日米関係の本質に斬り込む、これは今日最もリアルな近未来史である。【評 巽孝之(慶応大学教授)】
| 階級社会―現代日本の格差を問う | |
![]() | 橋本 健二 講談社 2006-09 売り上げランキング : 419 おすすめ平均 ![]() 社会の流れは変えられる 静かに鼓舞する一冊Amazonで詳しく見る by G-Tools |
フリーター・無業者層をどう規定するか
日本の思想界では、ごく最近まで「階級」という言葉は死語に近かった。日本は階級社会であるなどと発言する人間は、変人か「極端な政治思想の持ち主」かと見なされかねなかったそうだ。
本書はそのタブーを破り、二十一世紀に入ってから顕著に進んで、「格差社会」「不平等社会」「縦並び社会」などと表現されてきた日本社会の貧富差固定の構造を「階級社会」と規定している。「階級」の概念を「社会的資源によって区分された社会階層」と定義し、脱マルクス主義的・脱政治的・脱革命思想的な「普通の」用語だと強調しているのが特色である。
現代日本の社会構成は、(1)資本家、(2)旧中間階級、(3)新中間階級、(4)労働者という「四つの階級」を大枠として分析される。
最初の二つは雇用者側で、「従業員規模が五人以上の経営者・役員・自営業者・家族従業者」は資本家であり、同五人未満は旧中間階級とされる。吹けば飛ぶような中小企業主と寡占資本の経営陣との差異はどうなるのだろう。
著者が特に力を籠めるのは、被雇用者側の問題であり、その内部に走る「階級の分断線」のことだ。コンピューター・リテラシーが高く、専門・管理・事務職に従事する新中間階級は、今や労働者に対する「最大の搾取階級」であるとされる。被雇用者なのに搾取する側なのか。いちばん抑圧されている日本の労働者階級は「政治的には最も不活性な階級」であり、「階級闘争が発展する可能性はきわめて低い」と悲観的だ。
焦点になるのは、その労働者階級からも落ちこぼれて「一種の下層階級」を形成し、三十五歳未満人口の二八・七%(五五〇万)を占めるフリーター・無業者層である。
格差を解消する階級闘争の突破口は、新中間層の労働時間短縮にありとする著者はこれらフリーター・無業者層を「アンダークラス」と規定している。評者のような老世代にはこの労働者以下の「使い捨ての階級」こそ、正真正銘のプロレタリアートの出現と見えるのだが、この用語はやっぱり古いのだろうか。【評 野口武彦(文芸評論家)】
北東アジア事典―環日本海圏の政治・経済・社会・歴史・文化・環境
環日本海学会
ロシア極東、中国東北3省、モンゴル、朝鮮半島、日本を含む地域をテーマにした『北東アジア事典』が刊行された。国際関係、安全保障、局地経済圏構想、物流と観光、ポップカルチャーまで幅広い分野をカバーし、用語解説のコラムも多数収める。94年に発足した環日本海学会の設立10周年記念事業として企画された。
| 松岡正剛千夜千冊 (1) | |
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松岡正剛の書評集、全7巻に収め刊行
『松岡正剛 千夜千冊』(求龍堂)が刊行された。02年から04年にかけて、希代の読書家、松岡正剛さんがインターネット上で書き続けた書評を書籍化した。その千冊分を大幅に加筆したほか、その後新たに書いた分も加えて計1144冊分の書評を体系的に分類、収録している。「遠くからとどく声」「脳と心の編集学校」「日本イデオロギーの森」「茶碗とピアノと山水屏風」などテーマ別の全7巻と、解説、索引などを収めた特別巻という構成。百科事典のようなたたずまいで、博覧強記の読み手による壮大なスケールの読書案内だ。
| 捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間 | |
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国際捕鯨委員会による捕鯨の一時停止から、すでに20年近くが経(た)っている。そこでは環境や捕鯨文化を語る非政治的なはずの議論が、国際政治やナショナリズムの立場と密接に関連する構造が生まれている。日本政府も日本沿岸の小型沿岸捕鯨は、日本の民族的な捕鯨の伝統文化に基づくものだと唱えている。
本書では日本の近代捕鯨は、必ずしも伝統文化を継承したものではないとしている。それは、技術を西欧から輸入し植民地を基盤としながら、国家的保護の下に発展した一つの「産業」であったとするものである。つまり「産業」化した捕鯨は、技術も労働力編成も伝統的なそれとは異なり、古い時代からあった日本人の鯨に対する観念との摩擦・軋轢(あつれき)を生みながら、新たな鯨肉市場を開拓する拡張主義的なものだった、というのである。
本書は、かつて森田勝昭が『鯨と捕鯨の文化史』の中で提起した日本の近代捕鯨に関する論点を、実証的に深め豊かにしたものともいえる。著者は、文化論が政治的意味を持ってしまう仕組みがあることを指摘しているが、政治と結びつきながらそれを越えた実証研究の確かさを感じさせる著書といえよう。【評 赤澤史朗(立命館大教授)】
| 僕たちは池を食べた | |
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「小説の精神科医」といえば、今は誰もが奥田英朗の小説に登場する精神科医・伊良部一郎を思い浮かべるだろう。だが残念ながら、実際にはあれほど破天荒な精神科医はいないし、治療だっていつも劇的とは限らないのだ。
それに比べれば、この作品集の主人公・カスガ先生はかなりリアル。それもそのはず、著者は現役の精神科医だからだ。看護師の妻とともに幸福な日常生活を営むカスガ先生だが、病院に行けばいろいろな患者がやって来る。うつ病に強迫神経症、失声症などという珍しいケースもある。丁寧に話を聞きながらゆっくり彼らの心のうちを探り、治療の方針を決めていく先生。精神科の診療はどう行われるのかと興味を抱いて本書を読む人は、「こんなに淡々と進むものなのか」と驚くかもしれないが、現場はこうだ。
誠実かつ常識的なカスガ先生には、精神科医には「患者の命とは直接かかわらない呑気(のんき)な連中」が多い、と言うなどなかなかシニカルな一面もある。この「自分の仕事をちょっと冷めた目で見ている」というところも、実に精神科医らしい。等身大の精神科医や精神医療の実像に感心するか失望するかは、読む人次第ということだろう。【評 香山リカ(精神科医)】
| アンダースロー論 | |
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プロ野球選手の日常とスキル(技能)を事細かに言語化した一冊である。表題の投法は言うまでもなく下手投げのこと。『サイドスロー』では、いまひとつインパクトが足りない。「絶滅危惧(きぐ)種」と言われる『アンダースロー』であるからこそのロマン発生が不思議なところだ。各章の扉に配された杉浦忠、山田久志ら往年の同型・名投手連の投球フォームが美しい鳥の羽ばたきのように見える。
千葉ロッテマリーンズに在籍する30歳の著者は、球界屈指のアンダースロー投手。今シーズンこそ振るわなかったが、王貞治監督からワールド・ベースボール・クラシック日本代表のエースに指名され、期待に応えたことも記憶に新しい。
本書中、再三繰り返されるのが自身の素質の乏しさ。常に二番手でありながらも研究熱心さをよりどころに「プロ野球にたどり着きました」と渡辺は記す。身体の柔軟性を生かせる道がアンダースローと、中2の夏に勧めた炯眼(けいがん)の厳父の存在も大きい。
口語文体の新書という軽さはあくまで表向き。野球の奥深さを伝える上での心憎い裏切りが待っている。渡辺俊介にとってのアンダースロー投法は、「希望」や「第三の道」の別名であるのかもしれない。【評 佐山一郎(作家)】
| 戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島 | |
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日本軍による重慶爆撃は二年前のサッカー試合で、日本チームが市民の激越なブーイングを浴びたことで、忘却のかなたから多少とも甦(よみがえ)った。ピカソで有名な「ゲルニカ」爆撃は一日限りだが、翌年に始まる「重慶」は三年間で二百回以上。実相解明に取り組んできた著者が、新資料を含めて旧著を大幅に書き改めた。
都市を住民ぐるみ攻撃の対象とし、「戦政略爆撃」の名称を掲げた「重慶」を、著者は「広島の前の広島」と位置づける。その軍事思想がハンブルクやドレスデン、米軍による日本本土への無差別爆撃へと戦争を進化させ、ついには原爆投下へと連鎖する。「核を落とす思想」に、日本は無罪を申し立てることはできない――がメッセージである。
奥地へ後退する中国軍に手を焼き、抗日戦時首都に爆弾を降り注ぐことで、局面を打開しようとした作戦は、エドガー・スノーやセオドア・ホワイトらによって詳細に報じられ、「アンフェア日本」の印象を世界に広めて、米国の対日戦機運を盛り上げた。この作戦に、リベラルな対米不戦論者として知られた井上成美が、海軍参謀長として深く関(かか)わっていたのも、歴史の皮肉というべきだろう。【評 佐柄木俊郎(国際基督教大客員教授)】
| 公共の役割は何か | |
![]() | 奥野 信宏 岩波書店 2006-08 売り上げランキング : 1808 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公共経済学の第一人者である著者によれば、年金問題や財政赤字は、現在世代と将来世代の間の利害対立が顕著になったことを意味する。つまり、「ものいわぬ将来世代や将来の自分を犠牲にして、現在の国民が至福の時を送る」ことを、これ以上、続けることが許されなくなってきたことになる。
その一方で、「社会資本の崩壊は古来から文明の危機と崩壊を暗示する」ため、全(すべ)ての整備をやめてしまうのではなく、必要不可欠な社会資本のひとつひとつについて具体的な将来計画を国民に示して理解を得なくてはならない時期に来ているという。
こうした問題意識に基づき、著者は様々な提言を行う。日本は世界で最も厳しい高齢化を迎えており、その中で安定感のある生活環境を作り出すことは日本だけではなく世界に貢献することになる、との考えからである。
具体的には、従来、行政によって行われてきた街づくりに住民の参加を求め、高齢者がそれぞれの地域で主役となれるよう、現状では利便性の面で自家用車に負けてしまっている公共交通を再び、市民が利用できるよう行政のバックアップをすべきである、と主張する。
大学についても、この30年間は社会の信頼を失ってきた時代であったと手厳しい。これからの大学は、象牙の塔に留(とど)まることなく、人材供給や技術供給で地域に貢献し、行政と共に地域の核となるべきであると強調する。そのためには、学部の壁を低くして教育分野をもっと大括(ぐく)りにし、基礎学力と知的教養を鍛えることができるようにすべきであると提唱している。
また、今日の日本では政治家・官僚だけでなく、市民ひとりひとりが「公共」を意識し、かつ努力してゆくことが重要だと力説する。事実、日本はかつて未曽有の公害問題に直面したが、それを克服して、同じ問題に苦しむ世界各国の環境問題の改善に貢献した実績をもっている。
「公共」の新たな役割を問い直すことで、直面する諸課題を乗り越え、人類に貢献しようとする意欲作である。【評 小林良彰(慶応大学教授)】
| 心にナイフをしのばせて | |
![]() | 奥野 修司 文藝春秋 2006-08 売り上げランキング : 56 おすすめ平均 ![]() 堅実でない本 現代日本の縮図~加害者の暴虐~ 少年法の悲劇Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一九六九年に神奈川県で起きた、高校一年生による同級生殺害事件――本書は、被害者の遺族が過ごしたその後の日々を克明に伝え、同時に加害者の少年Aが弁護士になって社会復帰を果たしていながら、慰謝料の支払いはおろか、いまだ謝罪すらしていないことを明かす。
……という内容だけでも十二分に「問題作」「衝撃作」に値する本書だが、「それがどう書かれているか」に目を転じると、本書が「問題作」となる所以は、じつはむしろこちらのほうなのではないか、と気づかされる。
本書の大半は、被害者の妹の一人語りで構成されている。〈四半世紀以上も前の悲しみを、いまだに癒やされずに背負いつづけている〉遺族の姿が、書き手の目を介さずに描かれる。事実関係の吟味や補足はあっても、遺族に全面的に寄り添った手法である。それがノンフィクションの枠からはみ出しかねないことは、むろん、ベテランの奥野さんは百も承知のはずだ。
だからこそ、あえて一人語りを採用したことは、本書のテーマそのものとつながる。無念を抱いて死んだ父親、精神障害を疑われるまで心に痛手を負った母親、感情が消え去ってしまった妹。そんな遺族の傷の深さは、書き手が整理して代弁するのではなく、遺族自身の揺れ動く声でなければ伝えきれない――奥野さんはそう考えて、厳密な「事実」に担保されたノンフィクションからの逸脱も覚悟のうえで、当事者の「内面」をダイレクトに描く手法を選んだのではないだろうか。
その覚悟を踏まえるなら、「Aが弁護士になっていた」というスクープが強調されすぎるのは、本書の望む読まれ方ではないだろう。遺族の苦しみは、決してAの事件だけの特殊なものではない。被害者側の救済が置き去りにされた少年法に対する〈釈然としない〉奥野さん自身の思いもそこに重なるはずだし、遺族の「内面」を描いた本書は、少年法論議はもとより、少年犯罪が起きるたびに加害者の「内面」=心の闇にばかり目が行ってしまう風潮にも一石を投じているのだから。【評 重松清(作家)】
| 新書365冊 | |
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月刊誌で5年以上連載した新書評を元にジャンル別に紹介する。新書は「日本型啓蒙(けいもう)」の中核を担うメディア、と語る著者だけに、第1章「教養」、以下「哲学・論理学・数学」「政治・国際問題」……と硬派な切り口で、ベストからワーストまで、評価つきだ。最終章で最近の刊行本もカバーする。


広く浅く
現状を考える上でも


気持ちを深く洞察し、表現豊かに描く秀作









生ぬるい小説








