メイン > 日経新聞日曜版『読書』 > 2006年8月20日~8月27日

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想
持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想広井 良典

筑摩書房 2006-07
売り上げランキング : 2027

おすすめ平均 star
star骨太の知的議論
star半端ではない学術書です

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人々の関心事として真っ先に上がるのは年金と医療の問題だ。解決に向け、様々な研究がなされている。本書もその一つ。これからの社会の福祉のあり方を人のライフサイクル、コミュニティーなどの面から多角的に論じている。ただ、問題の所在の指摘に重点が置かれ、解決策がもの足りないのが残念だ。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

雷蔵好み
雷蔵好み村松 友視

集英社 2006-07
売り上げランキング : 57905


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日本映画の全盛期に活躍した人気俳優の評伝。関係者の証言から浮かび上がるのは、ライバル、勝新太郎の強烈な個性に対して、変幻自在な存在感だ。著者はそれを和紙を通した陽光のようだと言う。大映京都の美術スタッフの西岡善信、映画監督の田中徳三らの生の声は貴重。雷蔵の人間に迫り、初心者にも読みやすい。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

アメリカの宇宙戦略
アメリカの宇宙戦略明石 和康

岩波書店 2006-06
売り上げランキング : 4304

おすすめ平均 star
star戦略がないのが戦略か? ところでミサイル防衛は「宇宙戦略」なのかい?
star外交や国家の威信がかかる問題

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軍事を含む宇宙戦略という視点からブッシュ時代の米国を考察した一冊。二〇〇三年にスペースシャトル・コロンビア号が空中分解する事故を起こして以来、米国の宇宙戦略は迷走しており、そこからの出口がいまだに見えてこない。だが、ブッシュ大統領は月面での長期滞在などの新宇宙政策を発表。軍事目的からも宇宙開発の手綱を緩めない。岐路に立つ米国の野望と現実を追った。著者は時事通信記者。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

モスクワと金日成―冷戦の中の北朝鮮1945-1961年
モスクワと金日成―冷戦の中の北朝鮮1945-1961年下斗米 伸夫

岩波書店 2006-07
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ソ連崩壊後の一九九〇年代にロシアはソ連時代のさまざまな外交資料を公開した。その中には謎に包まれた独裁国家の北朝鮮とソ連とのかかわりについて新事実を明らかにしたものもあった。本書はそうしたロシア側資料を基に北朝鮮「建国の父」とされる金日成の実像に迫っている。

一九四五年八月、日本軍との戦闘を目的として朝鮮半島に派遣されたソ連軍は急速な日本支配の崩壊に直面した。そのときソ連指導者スターリンが北朝鮮の統治者として選んだのが当時ソ連軍大尉の金日成だった。この無名の朝鮮系軍人がソ連からの指令の忠実な遂行役に適任との理由だったが、当初は金日成本人が必ずしも本国帰還には熱心でなく、モスクワでの軍務に戻ることを望んでいたとの記述は興味深い。

この一九四五年から北朝鮮とソ連が軍事同盟を規定した条約に調印するまでの朝ソ関係史ともいうべきものが本書の内容である。この中で金日成が初期のソ連型の国家建設から、朝鮮戦争、スターリン批判という波を経ていかにアジアでも特異な独裁体制を構築していったかが詳述されている。

北朝鮮が最近のミサイル発射などで国際社会のさまざまな関心と懸念の対象になっているとき、この独裁国家形成の経緯と歴史はもっと知られてよい。ただ本書がロシア側からの資料に依存していることだけは念頭に置いておく必要がある。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語
戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語小菅 正夫 岩野 俊郎 島 泰三

中央公論新社 2006-07
売り上げランキング : 2080

おすすめ平均 star
star動物園の使命とはなにか
star「旭山」と「風太」の違い

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活動する動物の姿を間近に見られる「行動展示」で注目を集める北海道旭川市の旭山動物園。閉園の憂き目にあいながら、地域住民の支援で再生した北九州市の到津(いとうづ)の森公園。本書は、いったんどん底の境遇を味わいながら、それぞれに理想の動物園像を追求してきた両園の歴史を、二人の園長が対談した記録だ。

旭山といえば、ペンギンや猛獣たちが空間を自由に動き回る光景がおなじみだ。園長の小菅正夫氏は強調する。「動物たちがつらそうに見えたら、その動物園は負けだ」。背後には人間に都合よく管理された姿ではなく、「野生の動物の命」を感じてもらおうという信念がある。

到津の岩野俊郎園長も、「動物園はやはり子どものため」という信条を保ち続けてきた。同園は一九三二年に地元の鉄道会社が開設。「林間学園」という試みを通じ、動物との触れ合いと音楽、俳句など文化活動を合わせた独特な教育活動を地元で展開してきた歴史がある。九八年に財政難で閉園を決めた際には住民から強力な存続運動が起こり、改めて公立の施設としてスタートを切った。

理想の動物園に向けた改装計画を掲げ、行政と粘り強く交渉し続けた旭山。市民の寄付やボランティア活動を黒字化に結びつけた到津。それぞれに事業を成功に導いたエピソードが興味深い。対談に連なる地の文章を執筆したサル学者、島泰三氏の情熱とユーモア感覚も、読者を引きつける。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

日本の電機産業再編へのシナリオ―グローバル・トップワンへの道
日本の電機産業再編へのシナリオ―グローバル・トップワンへの道佐藤 文昭

かんき出版 2006-08
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東芝とソニーの半導体部門とNECエレクトロニクスが統合すれば、米インテルに次ぐ世界第二位のメーカーが誕生する――。本書には、こんな大胆な再編シナリオが盛りだくさんに描かれている。

戦後日本を象徴する二大産業は電機と自動車だ。ところが、世界市場で自動車の躍進は続く一方で、電機産業の存在感は大きく低下した。典型例は半導体。一九八〇年代まで汎用メモリーで日本企業は世界を席巻していたのに、現在はエルピーダメモリ一社を除いて事実上撤退している。

その原因を分析し、復活の処方せんを示したのが本書だ。著者はハイテク株アナリスト。数字を駆使しながら、世界の中で電機産業が置かれた現状を浮き彫りにし、「このままでは大手メーカーも外資に買収される」と見る。

日本の電機大手には、半導体やテレビ、白物家電など多様な事業を手がける「横型コングロマリット」が多い。著者によると、これを事業部門ごとに統合して縦型の企業組織にすれば、日本に「グローバル・トップワン」と呼ばれる世界有数の企業が何社も生まれる。これこそが大手電機が世界で生き残るための唯一の方法という。

現実には、例えば液晶テレビでソニー、シャープ、東芝、三洋電機が統合し、世界シェア三割を握る巨大メーカーとなる状況は想像しにくい。だが、本書を読むと、そうしなければならないほど現状は厳しいということがわかる。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

筑波根物語
水上 勉

二年前に八十五歳で死去した水上勉さんの未刊行の小説『筑波根物語』が発見され、命日の九月八日の前に河出書房新社から出る。河井酔茗(すいめい)や伊良子清白と並び「文庫」派の三羽烏(がらす)といわれた茨城県出身の詩人、横瀬夜雨(やう)の生涯を追う評伝文学。身体障害者、貧困、闘病、母恋い、悲恋など水上さんの思いが凝縮された傑作だ。

横瀬夜雨(一八七八―一九三四年)は茨城県の旧真壁郡横根村(現下妻市横根)出身で「筑波根詩人」と呼ばれた浪漫主義的な抒情(じょじょう)詩人。豪農に生まれ、小説『土』で知られる長塚節とは縁戚(えんせき)にあたる。三歳の時に脊髄(せきずい)の病気に冒され、歩行が困難となったが、読書に親しみ、河井酔茗に認められて詩人としての地位を確立。病弱の身ながらも、古矢つぎ、依田芳枝、菊池柳子、山田邦子らの女性にモテたり、裏切られたりの恋の懊悩(おうのう)を繰り返した。

水上さんが薄幸の詩人に深い関心を寄せ、夜雨の生家を取材して、雑誌「中央公論」に四回にわたって『筑波根物語』を連載したのは一九六五年。『雁の寺』で直木賞作家となってから四年後で『越後つついし親不知』『越前竹人形』を発表し、地方の陰湿な風土、身体障害、貧困、母恋いをテーマに「永遠の女性像」を模索した時代。ただし、この作品は本にならなかった。モデル問題などで関係者の了解が得られなかったためといわれている。

しかし、水上さんは亡くなる直前に、この小説に執着し、出版しようと、長野県北御牧村(現東御市)の山荘で、ベッドに寝たまま拡大鏡を使いながらゲラに手を入れていたという。今年二月、遺族が仏壇の奥の整理箱の中から手の入った原稿を発見し、三回忌を前に河出書房新社から出版することになった。

河出書房新社編集部の小池三子男さんはこう語る。「詩人の平出隆さんが伊良子清白の評伝を三年前に出してから『文庫』派詩人への関心が急速に高まっている。横瀬夜雨は『文庫』派の詩人で、車いす生活者となった娘をもつ水上さんが共感を示してきた身体障害者。昭和初期の改造文庫などの古い資料を駆使して夜雨を丁寧に描いた。水上文学を研究する上でも、後の『宇野浩二伝』につながる評伝文学の秀作として興味深い」

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

CHINA BLUE・CHINA RED
CHINA BLUE・CHINA RED馮 學敏

アップフロントブックス 2006-07
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赤と青。それぞれの色を基調に中国の自然や生活をとらえた。青には悠久の歴史と素朴さを、赤には人の心の温かさを託して表現したという。焼き物の里景徳鎮や、紹興酒の産地紹興で働く人々は「赤」の部に、雲南省の美しい棚田と少数民族の暮らしは「青」の部に収める。著者の馮學敏(ひょうがくびん)は日本を拠点に活躍する中国人写真家。写真はチベットの結婚式を撮った「祝いの席」。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

資本主義から市民主義へ
資本主義から市民主義へ岩井 克人 三浦 雅士

新書館 2006-07
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おすすめ平均 star
star岩井経済学のフィロソフィー

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『貨幣論』や『会社はこれからどうなるのか』で知られる理論経済学者、岩井克人氏へのインタビュー集。書籍の緻密(ちみつ)さは当然ながら望むべくもないものの、岩井氏がこれまでその著書で示してきた考え方のエッセンスは、インタビューをおこした文面からも十分に感じとることができる。手っ取り早く「岩井ワールド」を知りたい人には、お薦めの一冊かもしれない。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

地元学のすすめ―地域再生の王道は足元にあり
下平尾 勲

地元学という聞き慣れない言葉が地域再生を目指す各地で広がっている。国内外との競争による空洞化、東京一極集中、財政危機、人口減少が進む中、自分たちの住む地域の自然、伝統、技術、文化、食材など足元の「お宝」を見つめ直すところから出発しようという考えだ。地元という共通基盤のもとで、企業、大学、様々な人材が連携して一丸となって新産業創出などを進めるべきだと提唱する。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎
「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎デイヴィッド ウォルマン David Wolman 梶山 あゆみ

日本経済新聞社 2006-07
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人類の約一割は左利きだという。左利きに天才が多いとかいう俗説もある一方、右利きと左利きが遺伝的にどう決まるのか、そもそも遺伝と関係があるのか、など分かっていないことが多い。自らも左利きである米国のサイエンスライターが、世界の脳科学者や進化学者を訪ね、その真相に迫っていく。利き手を巡るスポーツ選手や歴史上のエピソードもちりばめてあり、左利きの人ならずとも楽しく読める。梶山あゆみ訳。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

文学の中の駅―名作が語る“もうひとつの鉄道史”
文学の中の駅―名作が語る“もうひとつの鉄道史”原口 隆行

国書刊行会 2006-07
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文学と駅の関係は深い。「ふるさとの訛なつかし停車場の……」という石川啄木の歌もあれば、松本清張の「点と線」では東京駅のホームがトリックのカギになっている。本書は鉄道ジャーナリストがつづった「文学の中の駅」をめぐる文章を収録。一編が紀行でもありエッセーでもあり評論でもある。鉄道も文学も、時代を映す鏡。著者は「もうひとつの鉄道史」というが、本書は鉄道や駅が文学に欠かせないものであることを如実に語っている。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

バッハから広がる世界
バッハから広がる世界樋口 隆一

春秋社 2006-06
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イタリア音楽に学んだモーツァルトは、バッハに出会うことでより高次元の表現をつかんだ。叙情的な音楽を作るショパンも、堅固な作品構成の背後にはバッハ研究の跡を発見できる。シューマンしかり、マーラーしかり、バッハの近代音楽への影響は計り知れない。本書で著者は、バッハを起点に論考を繰り広げる。「バッハ論」を展開しているシェーンベルクには特にページを割き、十二音音楽を巡る両者の関係を追究した。十五年間にわたる様々な論考を集成した本書からは、著者の長年の思考の軌跡がくっきりと見て取れる。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実
ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実B.エーレンライク 曽田 和子

東洋経済新報社 2006-07-28
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おすすめ平均 star
star初めて描かれるワーキングプアの世界
star新しい低賃金労働者の現実!

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仕事がないわけではない、怠けているのでもない。働いても働いても貧しさから抜けられず、明日への希望が見えない。こんな「ワーキング・プア」が日本でも話題になり始めた。本書は、米国の下流社会の現状を描いた話題作。二〇〇一年に出版され、現在までに百万部を売り上げるミリオンセラーになっている。

著名なコラムニストである著者がとったのは「実際にやってみる」という、ジャーナリズムの古典的手法だ。フロリダ州でウエートレスとして働き、メーン州で清掃業に従事し、ミネソタ州でスーパーの店員を勤める。求職活動から家探し、複合就労の実態まで、時にユーモアをまじえ生々しくつづる。同僚の多くはまじめに働く普通の人たちだ。

だが、これらの仕事は時給が七ドルから八ドル。最低ランクのアパートやモテルに住み、食費を切りつめて節約を続けるが、最後は家賃が払えずギブアップせざるをえない。「通勤用の車まで持っている健康な独身者が、額に汗して働いているにもかかわらず、自分一人の生活を維持するのさえままならないというのは、どこか間違っている」と怒りをぶつける。

同様の手法で書かれた英国の『ハードワーク』は、低賃金に固定される移民社会の問題を浮き彫りにしたが、本書は人種にかかわらず格差社会が人々を飲み込む現状を伝えている。世界最大の小売業、ウォルマートの店員として働きながら最低生活を営む賃金が得られない現実。「雇用主はあらゆる策を弄し、賃金上昇に抵抗している」との舌鋒(ぜっぽう)は、体験に基づくだけに鋭い。

一夜で何億のカネを稼ぐ人がいる一方で、懸命に働きながら病気の治療さえままならない人がいる。これを「能力の違い」と突き放していいのだろうか。収入に応じて生活空間が分離される社会では、互いを理解することすら難しくなっている。

「ほんとうに単純な仕事なんてなかった」と著者は振り返る。日本でも低賃金の非正社員の増加が話題になり、処遇改善に関心が高まっている。どんな社会を目指すのか。一歩先をいく米国のリポートだけに興味深い。

▼著者は41年米国生まれ。「タイム」「ミセス」などのコラムニストとして広く活躍。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

君だけの物語
君だけの物語山本 ひろし

小学館 2006-07-21
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会社の会議で上司に刃向かったばかりに地方都市に左遷され、清掃作業員として過ごす日々。妻とは離婚、小学生の一人息子からも対話を拒絶される。そんな男がある日小説を書くことに目覚め、新たな道を歩み始めた。主人公は著者の山本ひろし本人だ。谷底からはい上がる再生物語だが、小説を書くための具体的な技術や心構えがちりばめられており、小説家志望者への指南書としても読める。

「フィクション、ノンフィクション、ハウツー本、どう読んでもらってもいい。ジャンルの壁を壊してみたかった」

こう話す著者は地方都市の役所で七年間勤務しながら、文学賞への応募、挫折を自ら経験した。江戸川乱歩賞最終選考の一つ前まで残り手応えを感じたが、その後が鳴かず飛ばず。文学賞では予選落ちを繰り返し、「これまでやってきたことは何だったのか」と三年ほど何も書かない日々が続いた。だから挫折の記述にリアリティーがある。ただし、左遷と離婚は虚構。「妻と三人の男の子に囲まれ、幸せに暮らしていますよ」と笑う。

フィクションとノンフィクションの間を行き来する本書では、意図的に現実の世界の要素を織り込んだ。実在のミステリー作家、山本甲士(こうし)が登場し、主人公をなだめすかしつつ、小説の書き方を巧みに教え込んでいく。本文中に挿入されている本書と同名の「君だけの物語」は、著者が実際に小川未明文学賞優秀賞を受賞した作品だ。スポーツジムの会員で筋骨隆々の著者は、「体を鍛えたおかげで心が強くなり、作家になれた」と、主人公にも通わせて立ち直りの助けにした。

小説家指南書は、デビュー前よりも賞獲得後、多く読んだという。「新人賞が毎年何十人も出る中で生き残り競争が待っていたから。でも雨の日に出勤せずにすむのは妙にうれしい」。 (やまもと・ひろし)1963年滋賀県生まれ。96年『ノーペイン・ノーゲイン』が横溝正史ミステリ大賞優秀作。2004年「君だけの物語」が第13回小川未明文学賞優秀賞。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

アメリカによる民主主義の推進
アメリカによる民主主義の推進猪口 孝 G.ジョン アイケンベリー マイケル コックス

ミネルヴァ書房 2006-07
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国際政治と日本外交の歴史や現在の課題などを検証するシリーズ「国際政治・日本外交叢書」(ミネルヴァ書房)の刊行が始まった。既刊の猪口孝ほか編『アメリカによる民主主義の推進』(七千五百円)は、世界中の民主化に米国が執心する背景を解説する。次回(九月中旬)は信田智人『冷戦後の日本外交』。編集委員は猪口孝中央大教授、五百旗頭真防衛大学校長ほか。

■2006/08/27, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

麺の文化史
麺の文化史石毛 直道

講談社 2006-08-11
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食文化に詳しい文化人類学者が、世界の麺(めん)を歩いて調べた。中央アジアの冷製サラダ風麺料理、だったんそばを使ったブータンの麺など、各地の珍しい麺料理を紹介。アジアの麺文化の源流は中国にあると結論づけている。イタリアのパスタ文化との接点についても、独自の考察を試みている。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 21ページ

萌えるクラシック―なぜわたしは彼らにハマるのか
萌えるクラシック―なぜわたしは彼らにハマるのか鈴木 淳史

洋泉社 2006-07
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おすすめ平均 star
starシュタイアー発見

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高尚な言葉で解説されがちなクラシック音楽を、「深い思い込み」という意味の流行語「萌(も)え」を手掛かりに語る。アーノンクールからチェリビダッケまで約二十人の音楽家を取り上げ、彼らの音楽が興奮を呼ぶわけをユーモラスにつづる。軽妙な文章ながら西洋と日本の文化の違いといったテーマにも触れる。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 21ページ

謝々!宮沢賢治
謝々!宮沢賢治王 敏

朝日新聞社 2006-08
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宮沢賢治を研究する中国人学者が、若き日々を振り返り、賢治作品の魅力を伝える。文革後に再開した大学で日本語を学んだ著者は「人間も自然界の一存在」ととらえる賢治の世界観に衝撃を受ける。資料が乏しい中、日中両国の恩師から熱意のこもった支援を受けながら、ひたむきに研究を続ける姿は感動的。単行本は十年前に刊行されたが、日中関係が冷え込んだ今こそ求められる相互理解の精神がある。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 21ページ

誰のための会社にするか
誰のための会社にするかロナルド ドーア Ronald Dore

岩波書店 2006-07
売り上げランキング : 303

おすすめ平均 star
star切り口が面白いです

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ライブドア事件や村上ファンド事件を経て、英米流の株主至上主義への批判が広がっている。本書も英米流にくみせず、株主を第一にする「株主所有物企業」に否定的だ。

著者は半世紀にわたり日本を研究してきた英国人。ナショナリズムの論調とは一線を画しつつ一貫して日本的経営の良さを訴えてきた。世の風向きを見て安易に株主至上主義を批判するわけではない。

本書では、会社法導入などの改革が「株主所有物企業」を前提として行われていると指摘。そのうえで、従業員や顧客などほかのステークホルダー(利害関係者)も重視した「ステークホルダー企業」を念頭に置いた改革を目指すべきだと主張する。

ただ、一九九〇年代前半までの代表的な日本企業である「準共同体的企業」への逆戻りには反対だ。従業員主権の意識が強すぎ、「企業エゴイズム」が生まれていたと見るからだ。

理想とされる経営モデルは時代とともに変わってきた。日本経済がバブル崩壊で失速する以前は、日本型モデルはミシェル・アルベールの『資本主義対資本主義』などで評価されていた。最近では、岩井克人の『会社はこれからどうなるのか』が株主主権論に疑問を投げかけ、ベストセラーになった。

本書には私的所有権の制限など過激とも思える主張もある。だが、「会社とは何か」について改めて本質的な議論をするには欠かせない論点だ。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ

芸術起業論
芸術起業論村上 隆

幻冬舎 2006-06
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おすすめ平均 star
star賛否評論だと。僕は賛成です。
star成功への戦略
star論証がない

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「芸術は、アートは、『マネー』との関係なくしては進めない。一瞬たりとも生きながらえない」。今最も意気盛んな日本の現代美術家である著者の言葉は、芸術に金銭をからめることを避けるきらいのある日本の美術界には刺激的に響く。

本書は、美術家が美術界の構造を知ることの重要性、評価されるための周到な戦略などを説くビジネス書だ。例えば、江戸時代、一介の町絵師だった葛飾北斎の浮世絵が世界で受けた歴史から、著者は「日本の異端は欧米の評価を受ける」という法則を導き出す。美術界から見たら異端といえるアニメや漫画などのサブカルチャーを「知的芸術資源」ととらえて自分の作品に取り込み、日本のオタク文化を世界に知らしめた。欧米の美術界に食い込むための独自の考えを明らかにした語り口には、強い信念が見える。

苦労談も興味深い。米国のオークションで六千八百万円の値をつけたフィギュア作品「Miss ko2」は、フィギュア製造業者、海洋堂との息の合った連携の成果に見える。しかし実際には、フィギュアが分かっていないと、著者は海洋堂から何度も追い返されていた。あきらめずに執拗(しつよう)に食い下がった結果できた作品だったのだ。

今年六月の米国のオークションでは著者の絵画が一億円超で落札された。欧米での評価が高まる作家の、美術界をたくましく生き抜く自伝としても読める。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ

仮想経験のデザイン―インターネット・マーケティングの新地平
仮想経験のデザイン―インターネット・マーケティングの新地平石井 淳蔵 水越 康介

有斐閣 2006-07
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おすすめ平均 star
starユーザーとして・・・
starミクシィの可能性
starネット・コミュニティから見えてくるもの

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ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の最大手、ミクシィが九月に上場するなど、新しいネット企業が次々と登場している。SNSは紹介があった人だけ参加できる会員制の情報サービスで、自己紹介や日記の公開などを通じ人脈を広げられるのが特徴だ。本書はそうした新しいネット・コミュニティーを研究者二十人がかりで調べ上げた報告書である。

SNSと同様、利用者が急増しているのが「ブログ」と呼ばれる電子日記サービス。自分専用のホームページを簡単に作れるのが人気の理由で、第三者も自由に添え書きができる。カリスマ的なブログ開設者も登場し、各ブログが新しいコミュニティーを形成している。本書はその先駆けとなったライブドアのブログサービスを分析するなど、新しいネット事業を理解するには格好の参考書である。

こうしたネット・コミュニティーは仮想社会の一つといえるが、そこで活躍するのがネット上で自分の代役を務める「アバター(化身)」である。本書はヤフーのアバターを例にネットが生んだ仮想社会のプラスとマイナスの両面を研究している。

やや堅い題名からは想像できないが、ネット事業の新しい潮流である「Web2・0」を理解するのにも本書は役立つ。ネット事業を営む人、あるいはこれから興そうという人には貴重な資料だ。もちろんネット利用者にも、裏側の世界が見えて面白い。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ

カムイミンタラ
カムイミンタラ藤井 保

リトルモア 2006-07-07
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「カムイミンタラ」とは、アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」の意味。日本各地で「神」を感じる風景をとらえた写真集だ。雪と霧の白が一つに溶け合う八ケ岳、大地から上るガスがゆらめく北海道の硫黄山、生き物の触手のようにうねる千葉・太東崎(たいとうさき)の大波。どの写真も静けさの中に大気の動く気配が感じられる。この世のものではないような、神秘的な瞬間を写し出している。写真は北海道の旭岳で撮影。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ

日本の黒い霧〈上〉
日本の黒い霧〈上〉松本 清張

文藝春秋 2004-12
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おすすめ平均 star
starただの陰謀論ではない
star歴史の空白を独自の史観で
star今なお晴れない「黒い霧」

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日本の黒い霧〈下〉
日本の黒い霧〈下〉松本 清張

文藝春秋 2004-12
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おすすめ平均 star
star巨大な言論人としての清張の正義感
star今なお晴れない「黒い霧」
star今なお晴れない「黒い霧」

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昭和史発掘 <新装版> 8
昭和史発掘 <新装版> 8松本 清張

文藝春秋 2005-10-07
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おすすめ平均 star
starリアルです。絶賛!

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「黒い霧」は晴れたか―松本清張の歴史眼
「黒い霧」は晴れたか―松本清張の歴史眼藤井 忠俊

窓社 2006-02
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松本清張の陰謀―『日本の黒い霧』に仕組まれたもの
松本清張の陰謀―『日本の黒い霧』に仕組まれたもの佐藤 一

草思社 2006-02
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松本清張事典 決定版
松本清張事典 決定版郷原 宏

角川学芸出版 2005-04
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社会派ミステリーの巨匠、松本清張(一九〇九―一九九二年)は、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』といった昭和史の謎に独自の視点で切り込んだ作品も残した。そうしたノンフィクションに再び注目が集まり、「清張史観」を問い直した本が今年に入って相次ぎ刊行されている。

下山定則・国鉄総裁が出勤途中に行方不明となり、線路上で、れき死体で見つかった四九年の「下山事件」など、占領期(四五―五二年)には様々な不可解な事件が起きた。六〇年に雑誌に連載された『日本の黒い霧』はこうした謎に挑んだもので、清張は当時日本を支配していた米国の謀略があったとの説を打ち出した。例えば、下山事件は「他殺」であって、GHQ内部でGS(民政局)と対立していたG2(参謀第二部)がかかわったという。

藤井忠俊『「黒い霧」は晴れたか』(窓社、二月刊)で、歴史家の著者は「(警察が)なぜ自殺説で強引なと思われるような幕引きをしたか、(清張は)そこに下山事件の本質がかくされていると感じ取った」と指摘。「事件の追及にあたり、占領期にはタブーであったことを堂々と展開してみせた」と評価する。

『日本の黒い霧』だけでなく、二・二六事件など昭和前期を扱った『昭和史発掘』にも、清張ならではの独創性があるとして再評価する本も登場している。

一方、『日本の黒い霧』に対して、藤井本とは正反対の見方を示しているのが佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社、二月刊)。著者は四九年に福島県の松川・金谷川駅間で電車が脱線、三人が死亡した「松川事件」の元被告。最高裁で無罪が確定した後は、冤罪(えんざい)事件の支援をするかたわら、占領史を研究してきた。下山事件は「自殺」だったとの自説に基づき、清張の見方は謀略史観だと指摘。「四九年から五〇年代の現実を隠蔽(いんぺい)」していると批判する。

『松本清張事典 決定版』の著者で評論家の郷原宏氏は「清張にとってノンフィクションは小説と両輪。戦後史の謎にいち早く挑んだ先駆性は、今も色あせていない」と話す。実際、下山事件などの真相は現在も解明されていない。清張史観に賛否はあっても、著書は昭和史を見る際の一つの視座を今も提供し続けている。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ

センダイウイルス物語―日本発の知と技
センダイウイルス物語―日本発の知と技永井 美之

岩波書店 2006-07
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日本の微生物学は伝統がありレベルも高い。一九五二年に発見されたセンダイウイルスもそうしたものの一つだろう。その後、このウイルスには細胞を融合させる能力があることがわかり、がぜん注目されるようになった。長くウイルス研究に携わってきた著者による感染の仕組みの謎解き、研究者の悩みや見方、インフルエンザなどの研究につながる話は興味深い。研究のオリジナリティーについても考えさせる。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

黒沢清の映画術
黒沢清の映画術黒沢 清

新潮社 2006-07-28
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8ミリ自主映画、蓮實重彦の授業、ディレクターズカンパニー、ピンク映画、伊丹十三との仕事、ビデオ用映画、Jホラー、海外映画祭への進出……。最も作家的な映画作家と目されている黒沢清の足どりを追うことは、実はここ三十年の日本映画の状況の変遷を論じることとぴたりと重なる。状況に流されるのではなく、どんな状況にあっても黒沢清は黒沢清である、というブレのなさが伝わってくる。大寺眞輔と安井豊によるインタビューで構成。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

職人ことばの「技と粋」
職人ことばの「技と粋」小関 智弘

東京書籍 2006-08
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町工場で旋盤工として働いた経験を持つ作家が、職人言葉を聞き集めた。ある料理人は良い職人になるのは「恨みにつく」タイプと言う。師匠の力や情けを頼りにそこそこ仕事を覚えるのでなく、なにくそと踏ん張る人間だ。しかられてしょげる弟子には「嫁入った晩だ」と声をかける。嫁の気持ちでこらえろという意味である。どの一言にも仲間や弟子に対するいたわり、道具や材料への愛情がにじむ。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

アジア市場のコンテキスト【東アジア編】-受容のしくみと地域暗黙知-
アジア市場のコンテキスト【東アジア編】-受容のしくみと地域暗黙知-川端 基夫

新評論 2006-07
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おすすめ平均 star
star文化論からの脱却

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日本の数多くの消費財メーカー、小売業が中国、台湾、韓国に現地進出している。しかし、進出したのはいいものの、収益をあげることができず、苦しんでいる企業も実は少なくないという。東アジアの消費市場はどんな脈絡(コンテキスト)で動いていて、どのような取り組みが有効なのかを詳述した本書は、そうした企業の担当者のみならず、消費に関心のある普通の人が読んでもなかなか興味深い。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!
チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!ウーゴ チャベス アレイダ ゲバラ Hugo Ch´avez

作品社 2006-06
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キューバ革命の立役者、エルネスト・チェ・ゲバラの娘によるチャベス・ベネズエラ大統領らへのインタビュー集。反米、親キューバの大衆迎合型政治家として取り上げられることが多い軍部出身の大統領が、自らの政治信念や理想の経済モデルを雄弁に説く。財界首脳らによる謎の多い二〇〇二年のクーデター未遂事件を巡っては、死の危機に直面したという迫真のエピソードも。今は病床にあるカストロ・キューバ国家評議会議長との親密なやりとりも明かされる。伊高浩昭訳。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け
インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け中島 岳志

新潮社 2006-07-22
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おすすめ平均 star
star現代のインドをまっすぐに捉えた好著
starこれまでの筆者の作品に比べると期待はずれ

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躍進する経済の「輝き」ばかりが目立つインドの真の姿を伝える気鋭の研究者による現地ルポルタージュ。マクロ統計の数字や多国籍企業のビジネス商機の視点からの礼賛ではない。新興経済大国に暮らす人間を見据え、彼らが内面に抱える「暗さ」までを描き出した迫真のインド論といえる。

ソフトウエア産業の拠点である南部の都市バンガロールを訪れて評者自身も戸惑った経験がある。ジーンズ姿で肌を露出する若い女性。そびえ建つ白亜の殿堂のような大企業のビル群。「ニュー・リッチ」と呼ばれる消費者が競って買う高級車。新しい光景の裏に透けて見えたのは、輸入された「米国社会」のイメージだった。

生涯の職業までを規定するという厳格なカースト制度と、その価値体系の柱であるヒンズー教。これらの旧来の社会秩序の骨格を残したまま、異質の消費文化や性をめぐる意識が驚くべき速度で浸透している。そのエネルギーの矛盾は社会のどこに蓄積されるのか。経済統計や日々の報道を追い、同国を短期で見て回るだけでは、ひずみの所在は見えてこない。

著者は中間層の日常生活を子細に取材し観察する手法で、人々の心の問題を含めたインド社会の内側の変質を鋭くえぐり出す。描写されるのは物質的な豊かさを享受して歓喜する中間層の笑顔だけではない。「何か大事なものを失ってしまったのではないか」と自問し、喪失感や虚脱感を抱くインド人の隠された心細げな表情だ。

急速な社会変化への国民の戸惑いは国内の政治構造を変える力も秘めている。ヒンズー・ナショナリズムやカルト新興宗教の台頭、寺院の建設ラッシュ、癒やしブームなど、同国の新たな社会現象は、著者が指摘する価値観の「二重性」から政治的な意味を解読できる。流行のテレビドラマや企業広告の潮流、宗教団体の活動など豊富な写真とともに紹介される具体的な事例に、多くの読者は未知のインドを知り、驚くだろう。

グローバリゼーションがインドという「パンドラの箱」をこじ開けた。その箱から何が飛び出すのか。本書は新興大国が世界に与えるインパクトを多角的に考える視点を提供している。

▼なかじま・たけし 75年生まれ。京大人文科学研究所所員。『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞を受賞。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア
昨日の戦地から―米軍日本語将校が見た終戦直後のアジアドナルド キーン Donald Keene 松宮 史朗

中央公論新社 2006-07
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一九四五年の終戦直後から翌年にかけ、米軍で日本語業務に携わった将校らが交わした書簡集『昨日の戦地から』(中央公論新社)が刊行された。海軍大尉として勤務していた日本文学者のドナルド・キーン氏ら九人が、敗戦後の日本社会、混乱を続ける東アジアの状況を克明に記した計四十通を収める。五二年、七五年に日本語抄訳が出版されたが、全訳は初めて。松宮史朗訳。二千八百円。

紀元前七〇〇年―紀元後四〇〇年までの古代ケルトの世界を神話や伝説に関連する事物からひも解く『ケルト神話・伝説事典』が、東京書籍から刊行された。古代の文献、文学や考古学の成果を基に、聖なる動物、遺跡、器物、思想など四百七十四項目を立てて解説。二百四十三点のイラストや写真も理解を助ける。ミランダ・J・グリーン著。井村君江監訳。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

大塚久雄 人と学問―付 大塚久雄「資本論講義」
大塚久雄 人と学問―付 大塚久雄「資本論講義」石崎 津義男

みすず書房 2006-07
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『近代欧州経済史序説』『共同体の基礎理論』などの著作を通じ、戦中・戦後の社会科学の発展に大きく貢献した経済史家、大塚久雄。没後十年にあたる今年、生前に担当編集者として身近に聞き取った話をもとに、大塚の素顔を描いた。「戦争、病気と様々な苦労を抱えながらも学問への情熱を失わない研究者の姿を後代に伝えたかった」

一九六九年に刊行が始まった『大塚久雄著作集』の仕事で頻繁に自宅を訪ね、話を聞いた。故郷の京都・鴨川の橋から飛び降りるなど、やんちゃできかん坊だった幼少期。医師のミスがもとでの左脚切断、心臓が五時間止まったという肺の大手術。他人にはあまり語らなかった素顔のエピソードが印象的だ。「無理に話を引き出そうとせず、聞き役に徹したのがよかったのかもしれない。もともと編集者は黒子だから」と笑う。

膨大な量のメモをじっくり読み返したのは、九七年に出版社を退職した後のこと。断片的な内容を整理すると「まさに幼時からの受難の歴史が浮かんできた。でも、自分の記憶にある大塚さんは満身創痍(そうい)とは思えないすがすがしい姿をしている。あの強さの源を、探りたかった」

大塚の多彩な人付き合いが、印象に残った。学生時代に内村鑑三と出会い、キリスト教の信仰と学問の真理を両立させる心構えを学ぶ。一方、太平洋戦争中には右翼の大物だった中野正剛とも交わり、中野の東条内閣批判や冷静な時局観に感銘を受けた。「人に対する懐の深さ、広さが大塚さんの業績の大きな糧になっていたことが分かる」

大塚との交流を思いだしつつ、改めて編集者とは何かと考えることがある。「編集者は『文化の伝達者』。著者と読者を大事にして、両者をつなぐ。その役割は当時も今も、変わっていない」。後輩に伝えたい思いである。(みすず書房・二、六〇〇円)

(いしざき・つぎお)1930年東京生まれ。49年岩波書店入社。宣伝、編集、経理などの業務を経験し、90年専務。97年退社。

■2006/08/20, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

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