メイン > 日経新聞日曜版『読書』 > 2006年3月5日~3月12日
| 脳のなかの倫理―脳倫理学序説 | |
![]() | マイケル・S. ガザニガ Michael S. Gazzaniga 梶山 あゆみ 紀伊國屋書店 2006-02 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
米国では感情を読み取るATM(現金自動預け払い機)が開発中らしい。利用者の表情から悲しいとか怒っているという感情を知り、それに合わせて広告を流す――というものだ。本書にあるエピソードだ。
感情や意識といった脳に関する知識が急速に蓄積している。機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)や脳磁計などの技術の発展も大きく寄与している。まさに脳の時代である。「脳力アップ」とか「脳を鍛える」といった魅力的な言葉もよく聞く。
ただ、忘れてはならないのは倫理である。「今の社会ではどこまでが許容可能なのか」を常に考えないと、科学の行き過ぎを抑えることはできない。放っておけば科学は人々が考える範囲を超えて進みがちだ。
脳の研究も例外でない。近い将来起こるであろう犯罪を予知し、“犯人”を捕らえる映画『マイノリティ・リポート』が数年前に作られた。原作が書かれたのは一九五〇年代半ばである。そうしたことが、もはや空想の世界だけではないと思わせるほど研究開発の進展は速い。
著者のガザニガは、右脳と左脳を結ぶ脳梁(のうりょう)を切断したとき何がおきるかを調べる分離脳の研究者。米大統領生命倫理評議会で誕生間もない「脳神経倫理学」に取り組んでいる。その問題提起の書である。脳科学の広がりを前に私たちがまず考えるべきことを示している。
倫理を考える際、「滑り坂」論法を避けるべきだと著者は言う。この論法に従うと、ある行為を許すとそれが坂を滑るようにどんどん非倫理的なことに向かう。だから、最初の行為を許すべきではないというのである。しかし、科学や技術がどこまでできるのかあるいはできないのかという「限界」を知っているのは科学者である。だから、倫理を検討する時は科学者と法学者など現実の社会を見る人双方からの検討が欠かせない――という指摘は、ごく当たり前ながら一種の新鮮さを覚える。
生・老・病・死は人間(あらゆる生命)が直面する課題である。「脳」はこれらすべてにかかわる。だからこそ、それにまつわる倫理を真剣に考える時ではないかと思う。
| ブランド王国スイスの秘密 | |
![]() | 磯山 友幸 日経BP社 2006-02-23 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
スイスに関する書籍は多い。観光関係はもちろん、「永世中立国」という政治的な側面に注目したものも多い。そんな中で、本書はスイスのブランドや企業、経済に焦点を当て、異色を放つ。
著者は人口七百三十万人の小国なのに一人当たり株式時価総額では世界一であることに注目する。なぜなのか。その疑問が本書の出発点だ。
スイスには、食品のネスレや時計のスウォッチなど、世界的なブランド企業が多い。それだけではない。安全と守秘義務を売り物にする銀行も有力ブランドだし、「観光立国」と呼ばれるほどスイスという国自体もブランドだ。
本書はブランドを磨き、守る伝統がスイスの力の源泉だとみる。スイス時計業界は、一時日本企業との競争に敗れた。そこから復活できたのも、伝統の高級ブランド路線を捨てなかったからだという。
著者は、スイス大統領側から単独インタビューを持ちかけられた話も紹介している。銀行秘密について否定的な記事を書いたことが原因らしい。大統領自らスイスのブランドを守るために日本人記者に面会を求めたわけだ。
スイスと日本には共通項が多い。国民は勤勉で、交通機関は時間に厳格。「日本製」と同様に「スイス製」も品質の高さで定評がある。日本は島国と呼ばれるが、アルプスに囲まれたスイスも「陸の孤島」だ。だからこそ、著者は日本がスイスから学べる部分も多いと指摘する。
| フランス暴動----移民法とラップ・フランセ | |
![]() | 陣野 俊史 河出書房新社 2006-02-21 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年十月末、警官に追われた北アフリカ系の少年二人の死をきっかけにした暴動は、パリ郊外からフランス全土へと広がった。暴動を担ったのは低所得層の多い郊外地域に住む、多くは移民の子孫である若者たち。著者は彼らの貴重な表現手段であり、時に「暴動を刺激した」とも批判されたラップミュージックに注目。歌詞の詳細な検討を通じ、仏社会の現実をあぶり出す。
「ひろく行き渡った無関心の中で、惨禍がふつうに起こる。/俺(おれ)の住んでる地区では、暴力はあまりに凡庸なものになっちまった」(NTM『明日の世界』)
米国起源のラップは一九八〇年代に仏社会の下層に受容され、九〇年代に反人種差別などの政治性を獲得していった。背景には、移民規制の法改正や極右政党「国民戦線」の躍進など、保守化の進む社会への「郊外」からの批判があったと本書は指摘する。
ただ、最近では聴衆が白人の中産階級にまで広がり、ラップは「政治性と非政治性を標榜(ひょうぼう)する二大潮流へと再編成」された。依然として郊外に渦巻く貧困や差別への怒りを代弁する歌と、享楽的な生活をたたえる歌。著者がえぐり出すラップの二極分化の現状には、統合の危機にひんした仏社会の姿が重なる。
「下流社会」日本の現実を歌う、ある日本人ラッパーのインタビューを収録。仏の暴動を対岸の火事として受け流してはいけないという著者の主張が伝わってくる。
| 外交を喧嘩にした男 小泉外交2000日の真実 | |
![]() | 読売新聞政治部 新潮社 2005-01-26 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小泉政治を読み解く二つの本質「ぶれない」「リスクを恐れない」は、外交にも当てはまる。二〇〇一年九月の米同時テロ直後の日米首脳会談では「日本は米国をテロリズムとの戦いで支援していく」、二〇〇二年九月の電撃的な北朝鮮訪問前には、外務省の田中均に「絶対に譲歩するな」。その強さゆえに、米国のブッシュ政権とはたぐいまれなる蜜月時代を築きつつも、中韓とは靖国参拝などでぎくしゃくした関係を続ける小泉外交の舞台裏を克明に描く。
| ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる | |
![]() | 梅田 望夫 筑摩書房 2006-02-07 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ライブドアによる証券不祥事を例にネット株バブルの再来を指摘する声が強い。米国でIT(情報技術)バブルがはじけた時もベンチャーの光通信が話題を呼んだ。おかげで日本では高収益を上げるネット企業に対し偏見があるが、本書を読むとむしろ日本の状況に疑問を覚える。
著者は米シリコンバレーで十年以上にわたりIT企業の盛衰を見てきたコンサルタントで、文字通り次のネット時代を展望した。従来のIT革命は情報の流通コストが劇的に下がる「チープ革命」であり、今後はその上に生まれる無数の情報が新たな市場メカニズムを生むという。
その一つが検索サービスのグーグルに象徴される「ロングテール現象」である。検索キーワードを件数の多い順にグラフ化すると恐竜の尾のような右下がりの曲線を描く。グーグルはそうした尾の先にあたるニッチで利益の大きい市場をあぶり出すことに成功したというわけだ。
米国ではまた「ウェブ2・0」という言葉が話題だ。インターネットが普及したことを受け、今度は様々なウェブサイトが情報を共有し合い、顧客満足度の高いサービスを可能にするという主張である。
そこでは顧客の知識や好みなど様々な情報がネット上に蓄積され、膨大な知のデータベースとなる。無償基本ソフトの「リナックス」やネット百科事典の「ウィキペディア」がマイクロソフトや「ブリタニカ」に対抗しうる勢力になっているのは、チープ革命と自由な情報流通がその背景にあると著者は指摘する。
だが本書の真の問題提起はネット上の新しい変革が相変わらず米国を中心に進み、日本がそこにくみしていないことにある。欧米ではオープンソース(公開仕様)のソフトが力を持つが、硬直的な日本の社会システムがそうした開発に合致していないという。
IT革命に遅れた日本は国家戦略のもと高速ネットのインフラ整備で世界の頂点に立った。しかし新しいソフトやサービスの担い手となるはずの若者はまだ組織に埋もれている。シリコンバレー礼賛論といえばそれまでだが、日本が抱える矛盾を突いている。
| 貯蓄率ゼロ経済―円安・インフレ・高金利時代がやってくる | |
![]() | 櫨 浩一 日本経済新聞社 2006-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本は名実ともに人口減少の世紀を迎えた。経済や社会、そしてこの国に暮らすわたしたちは人口減の影響を陰に陽に受けることになる。だが、その表れ方は緩慢で、かつ長期にわたって続く。実感はなかなか持ちにくい。
著者は人口減や少子化・高齢化の衝撃度を家計が持つ貯蓄を通じて推し量ろうとした。貯蓄好きだったはずの日本人が貯蓄率ゼロに直面する日は遠からずくる。そのとき円相場や長短の市場金利、物価はどう動くか、近未来図を描こうとしている。結論はどちらかというと悲観的だ。
じつは、家計貯蓄率の低下はいまに始まったことではない。家計調査でみると一九九〇年代後半を頂点に低下を続けている。国内総生産(GDP)統計では、八〇年代から行きつ戻りつしながらも趨勢(すうせい)的に下がり続け、二〇〇四年度は二・八%。戦後間もないころの水準に戻った。人口増時代も低下していたことを考えると、ゼロになる日は予想外に早く訪れるだろう。
しかし毎年の貯蓄率がゼロ、あるいはマイナスになったとしても日本人が積み上げてきた金融資産がなくなるわけではない。大切なのは貯蓄率ゼロの日本を生きる人びとが海外、たとえば中国からお金を引き寄せられるだけの磁力を持つ国づくりに成功するかどうかという点ではないか。
貯蓄率ゼロ経済の向こうにあるもの。そこまで透視してほしかった。
| チャター―全世界盗聴網が監視するテロと日常 | |
![]() | パトリック・ラーデン キーフ Patrick Radden Keefe 冷泉 彰彦 日本放送出版協会 2005-11 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
米同時テロを機に世界各地で多発するテロを防ごうと米国や英国が諜報(ちょうほう)活動に力を入れている。その衛星を使った世界通信傍受システム、いわゆる「エシュロン」の存在が注目されている。本書は米国の大学院生がエシュロンの全容に迫ろうと自らの足で追った記録である。
「チャター」は英語で「たわいもないおしゃべり」という意味で、インターネットの雑談を表す「チャット」と語義は同じだ。ところが米同時テロを受け、欧米ではテロリストによるものと思われる交信をチャターと呼ぶようになった。時折出されるテロ警戒警報も、エシュロンがとらえたチャターの量が判断基準になっているといわれる。
著者がエシュロンに関心を持ったのは、テロ対策で諜報活動の重要性が指摘される割には受け皿に関する情報が秘密にされているためだ。そこで通信傍受を実際に行っているといわれる通信基地局などを自ら探し当て、実態をあぶり出そうとした。
本書は綿密な取材をもとに構成され、米国の安全保障体制の問題点も突くなど大学院生が個人で書いた作品とは思えない部分も多い。世界的に通信傍受が正当化されつつある今、それが我々の生活を本当に守ってくれるのか、我々のプライバシーを損なうものなのか、本書が提起する基本的な疑問は極めて重要だといえよう。読み物として読むには面白い作品である。
| バリュー消費―「欲ばりな消費集団」の行動原理 | |
![]() | 田村 正紀 日本経済新聞社 2006-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
独自の調査をもとに消費者動向を分析し、所得制約がある中で豊かな生活を実現したいという欲張りな行動を「バリュー消費」と命名した。特定分野にこだわって支出する傾斜消費は個々の消費者のライフステージによって多様な分野で確認されている。傾斜消費の大半が潜在需要を顕在化した商品やサービスだという。成熟した消費社会では欲求や不満は抽象的になる。商品開発などのマーケティング担当者には「市場の心」を理解する力量が問われていると指摘する。








