メイン > 日経新聞日曜版『読書』 > 2006年2月19日

大国の明日 シュミットが読む勝者と敗者
ヘルムート・シュミット (著), 五十嵐 智友 (翻訳)

みると、アメリカは極めて予測可能性の低い行動をとっているのである。対イラク戦争がその最たるものであり、これは「曖昧(あいまい)な前提で始めた戦争」であり、この戦争には「具体的な敵がいないままなので」、「対テロリズム戦争」は「必要に応じてどんな中身でも盛り込める空っぽのスローガン」になってしまっているという。つまり首尾一貫した戦略になっていないのである。

このような特色をもつ外交政策のため、アメリカとその他の国々との関係も「不透明」なものになっており、国際政治の将来が極めて読みにくくなっている。

第二章のアメリカ論が中心になっているが、冒頭の第一章ではグローバル化した世界の特色が指摘され、人口問題や環境問題などとならんで、小型武器の問題もとりあげ、その取引などに国際規制を早急にかけるべきであると主張する。第三章では中国・日本・インド・中東・ロシア・EUなどが扱われ、いずれもその内部に大きな問題を抱え込んでおり、その対応に膨大なエネルギーを割かざるをえない内向きの傾向が顕著であるという。だがヨーロッパはアメリカの誤りを妥当と認めたり、それに追随したりしてはならないと強調する。「唯々諾々たるイエスマン」になってはならないというのである。シュミットが、理想主義に根ざす現実主義者といわれる所以(ゆえん)である。【評者 東京大学教授 高橋進】

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト
「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト小菅 正夫

角川書店 2006-02
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北海道の人気施設、旭山動物園の園長が、閉園寸前の状況からの復活の道のりを振り返った。最大の成功要因は施設を改良し、ペンギンに水中を自在に泳がせるなど動物本来の能力が発揮できる「行動展示」に変えたこと。人間にも「自分らしさ」を生かせる環境が重要だという組織論も展開する。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ

出世ミミズ
出世ミミズアーサー・ビナード

集英社 2006-02-17
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詩集『釣り上げては』で中原中也賞を受賞した米国生まれの日本語詩人の新エッセー集。出世魚のアメリカ版はミミズかもしれないとの仮説を唱え、戦争とWarの意味のズレから日米の戦争・平和観に切り込む。日英二つの言語のはざまに、硬軟さまざまな話題を掘り起こす著者の眼力が光る。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

仏教vs.倫理
仏教vs.倫理末木 文美士

筑摩書房 2006-02
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『仏教VS.倫理』末木文美士著 現代における人間関係のあり方について、仏教学者が倫理と仏教に則して考える。通常の倫理が社会の規範や常識に収まる「人間」を前提とするのに対し、仏教では誰もが互いにそうした規範や常識に収まりきらない理不尽な「他者」であると認識することが大きな違いだという。究極の他者が「死者」であり、誰もが他者なしには存在できないということを、法華経の菩薩論などから論じるくだりには説得力がある。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

場の論理とマネジメント
場の論理とマネジメント伊丹 敬之

東洋経済新報社 2005-12
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人々が集い、コミュニケーションをとり、相互に作用しあう――。そんな人々の間の情報と心理の相互刺激の舞台こそ、本書のタイトルにもなっている「場」であるという。ではなぜ今、改めてその場を私たちが論じる必要があるのだろうか。

著者によれば、経営学をはじめとする社会科学が物理学的、機械論的な見方にとらわれるあまり、物事のプロセスに関して十分な分析をしてこなかった点に理由があるという。確かに経営学でも主役はあくまで構造やコンテンツであり、プロセスはせいぜい脇役どまりである。

しかし、現実の経営がより複雑化していくなか、そうしたプロセス軽視の経営学では早晩行き詰まる。それゆえ、もっとプロセスの分析に、また、その具体的な方途として場の論理の分析に真剣に取り組むべきだというのが本書の中での著者の主張である。

場という新たな分析枠組みを持ち込むことで、既存の経営学ではこれまで十分検討されてこなかった関係性に光があたり、論理的に位置づけられるようになった点に本書の醍醐味(だいごみ)がある。

しかしその一方で、「場のマネジメント」がどういう経路をたどってどの程度実際の経営効率の改善に結びつくのかなどは、今ひとつはっきりしない。こうした点に若干不満が残るものの、既存の経営学の行き詰まりと今後の発展の方向性を考える上では興味深い一冊である。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理
ビッグ・ピクチャー―ハリウッドを動かす金と権力の新論理エドワード・J. エプスタイン Edward Jay Epstein 塩谷 紘

早川書房 2006-01
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ハリウッドには表裏とも呼ぶべき二つの顔がある。ひとつはセレブリティーの世界であり、その情報はメディアを通じて十二分に報じられている。もうひとつは映画産業や企業経営の世界だ。実はこちらの情報はほとんど入手することができない。ハリウッド大手企業の多くは上場企業の一部門であるにもかかわらずディスクロージャーに消極的だ。各映画の収支や利益配分の実態は決算報告書を見ても分からないのである。

本書は副題に「ハリウッドを動かす金と権力の新論理」とある通り、不透明な映画ビジネスの仕組みに切り込む。二〇〇三年にメジャー六社は映画製作・配給に百八十億ドルの費用をかけたのに対して、興行収入からは六十四億ドルしか回収できなかった。各社はDVDやテレビ放映によって利益を上げていくわけだが、ベテランジャーナリストである著者は豊富な取材と資料によって事実を積み重ね、その様子を描いていく。

注目すべきは映画スタジオの機能を分析する第五章だろう。著者はスタジオを「映画の製造工場」ではなく、知的財産を開発・生産し、その使用料を徴収・配分する「集配センター」として定義する。その是非はともかく独自の分析は興味深い。

網羅的であるがゆえに冗長な部分があり、グラフや写真などのビジュアル性が乏しい点も惜しいが、一読すれば米映画ビジネスの概要が分かる労作だ。塩谷紘訳。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

写真家・熊谷元一とメディアの時代―昭和の記録/記憶
写真家・熊谷元一とメディアの時代―昭和の記録/記憶矢野 敬一

青弓社 2005-12
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熊谷元一(もといち)(一九〇九年―)は長野の農村で小学校教諭を務めながら、田舎の人々の生活ぶりや子供たちの姿を撮影し続けた。自らをアマチュア写真家と称するが、第一回毎日写真賞(五五年)を受賞するなど昭和写真史に輝かしい軌跡を刻む。静岡大学助教授の著者は様々な資料を渉猟、熊谷自身にも取材を試み、この評伝をまとめた。

著者の詳細な記述から浮かび上がるのは、熊谷の被写体に密着した粘り強い取材姿勢だ。熊谷は小学校の新入生たちや、ある一軒の農家の暮らしを一年間にわたり毎日撮影した。一つのテーマを一日も欠かさず撮り続ける意志の強さは並大抵ではない。それは、「写真の芸術性ということはあまり考えず、ただ記録一点張りでやってきた」熊谷の自負を物語る。

熊谷と同様に、農村の過酷な労働状況に目を向けた写真家に濱谷(はまや)浩がいる。二人の表現の微妙な違いについての指摘が興味深い。濱谷は全身泥まみれで苗を植えようとする婦人を被写体にインパクトの強い写真を発表するなど、奥底には鋭い社会批判の精神があった。熊谷の写真は似たような被写体でも素朴で温かい。そこから熊谷の深い郷土愛を読み取ることもできる。

熊谷への取材でしばしば口に上がったのは「~をするとおもしろいんではないかと思った」との言葉だという。飽くなき好奇心が「昭和の記録」という貴重な写真を生み出したことが分かる。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

吉本隆明の東京
吉本隆明の東京石関 善治郎

作品社 2005-12
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吉本隆明という希有な詩人・批評家をめぐって、吉本が誕生して以後に住んだ十一カ所の都内の土地と住居を、位置と内部の間取りにいたるまで明らかにした異色の労作である。

住居は人体の内臓に似せて作られている。間取りは、内臓である。内臓のありかを知ることが出来れば、どんな暮らし方をしていたかがわかる。内臓まで分け入ったという点で、この本はこれまでの吉本探求・吉本探索ものとはくっきりと一線を画している。

吉本隆明が育った東京、吉本隆明を育てた東京とは、どんなところだろうか。吉本は母親のお腹(なか)にいる状態で熊本の天草から東京の月島に越してきて、月島で生まれている。両親の引っ越しは月島を含めて新佃島で二回、そしてお花茶屋の合計四カ所である。そのあと吉本は両親宅を離れ駒込坂下町、田端、駒込林町、仲御徒町、谷中初音町、田端、千駄木、本駒込(現在)と移っている。

同じ東京であっても、父と子の住まいの選択は違っている。吉本の父親は船大工であり、天草から上京してきた一家が最初に居を構えたのが、船と一体になった水のある場所、隅田川の河口、東京湾に浮かぶ月島であった。幼少年期を水に囲まれて過ごした吉本が独立後に選んだ場所をみると、父親との距離のとり方が見えるような気がする。

狭い地域を移動する吉本の住まいの選び方について、左の坂を下ると下町的なこまやかで温かな情緒にふれることができ、それがうっとうしいときは右の坂を下ると隣に住む人の顔も知らない大都会型の冷たい情念に触れることができる、その境界線に固執して選んできた、という吉本の声を著者はぬかりなく紹介している。

新しい発見に満ちているが、とりわけ驚いたのは疎開先の福島県稲田村(現須賀川市)を探し当て、実際に足を運び、吉本家が借りた養蚕農家の一部屋の間取りを調べ上げていることだ。著者に残された課題は唯一、天草の住まいの様子を書き込むことだけであると思った。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

ヒロシマ2005
ヒロシマ2005土田 ヒロミ

日本放送出版協会 2005-12
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1951年に出版された少年少女らの被爆体験記『原爆の子』。かつて著者は3年かけてその執筆者を訪ね歩き、79年にルポを発表した。本書は彼らのその後を追った続編だ。遺影となった人、顔を見せることを拒み続ける人、逆にようやくカメラの前に立った人――。前回と今回の写真を並べてヒロシマの今を浮き彫りにする。戦後60年を迎えた昨年8月6日の平和記念公園(写真)や市内の様子も収めた。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

おじいさんがかぶをうえました―月刊絵本「こどものとも」50年の歩み
おじいさんがかぶをうえました―月刊絵本「こどものとも」50年の歩み福音館書店編集部

福音館書店 2005-11
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福音館書店が一九五六年四月に創刊した月刊絵本「こどものとも」が今年の三月号で五十年を迎える。六百号を数える絵本からは世代を超えて読み継がれる作品も生まれた。その歩みは児童書出版の歴史に確かな足跡を刻んだといえる。

「こどものとも」の特徴は、数ページの記事をつなげて構成する学習雑誌などと異なり、毎号が五歳前後の幼児に向けた一話完結の物語絵本であること。年間契約の定期購読を基本とするのも当初から変わらない。

同社が創刊五十年を記念して刊行した冊子『おじいさんが かぶを うえました』は、すべての絵本の表紙とあらすじを掲載。創作の経緯などを語った作家や画家のインタビューも収めており、読み応えがある。

創刊に携わった同社相談役の松居直氏はこの冊子で、半世紀前には幼児向けの「本格的な物語絵本といえるものがなかった」と振り返る。子供のために「本格的な絵画の見られる絵本作品を編集しようと」考えたのが出発点という。

人気の高かった作品は単行本として改めて刊行してきた。部数が最も多いのは六七年刊行の『ぐりとぐら』で四百万部。ほかにも『おおきなかぶ』『だるまちゃんとてんぐちゃん』『ぐるんぱのようちえん』『しょうぼうじどうしゃ じぷた』『かばくん』といった作品は六〇年代に刊行された後も読み継がれ、百回以上増刷を重ねている。

親には「つまらない」と不評でも、子供には好評だったために単行本として刊行され、ロングセラーになった作品もあるという。親は自分が気に入った絵本ばかりを子供に与えがち。毎月届く絵本の中から子供自身が選んだ作品が残っていくというのは、定期購読ならではの現象だろう。

九四年から編集長を務めている作田真知子氏は「大人が子供に読み聞かせることを想定して編集している」と話す。「子供は大人の声で言葉を聴き、絵に集中することで物語を自分のものにしていく。大人とともに絵本を楽しむ時間が子供にはとても大事」とも。

今は書店に様々な絵本が並び、小さな子供がページを繰る姿がごく普通に見られる。「こどものとも」の五十年は、日本社会に幼児向けの絵本が普及する過程でもあったといえそうだ。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 24ページ

『資本論』も読む
『資本論』も読む宮沢 章夫

WAVE出版 2005-12
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劇作家で小説家の著者が「資本論」に挑んだ。といっても「よくわかる『資本論』」といった解説書ではない。「ことによると私は、砂漠を歩いているのではないか」と不安を覚えつつ、この難解な叙述が頻出する書物との格闘がつづられている。著者はそこかしこに、マルクスの批判精神に基づく言葉の鋭さを見る。理解するよりも言葉を味わおうとする姿勢がにじみ出たユニークな読書記録。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

M&A最強の選択
M&A最強の選択服部 暢達

日経BP社 2005-12-22
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昨年来、M&A(企業の合併・買収)関係の書籍は大量に出ている。その中で本書がひと味違うのは、著者が「最強の投資銀行」とも呼ばれる米ゴールドマン・サックスの在日拠点で長らくM&Aの責任者を務めた人物である点だ。ライブドアによるニッポン放送株取得をはじめ最近の実例も豊富で、学術書には見られない実践的な分析が多い。日本では見落とされがちな「買収プレミアム」についての見方などが興味深い。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

ゲーム理論の愉しみ方 得するための生き残り戦術
ゲーム理論の愉しみ方 得するための生き残り戦術D・B・バラシュ 桃井 緑美子

河出書房新社 2005-12-10
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昨年のノーベル経済学賞がゲーム理論の応用研究者二人に与えられたこともあって改めてゲーム理論が関心を集めている。解説書は枚挙にいとまがないが、ほとんどは経済学者や数学者の著作でどこかに堅さがある。本書は心理学、動物行動学の専門家の手になるもので、著名な「囚人のジレンマ」はじめ理論を説明する題材を身近な出来事からふんだんに取り入れている。語り口も極めて分かりやすい。くつろいで読めるゲーム理論読本である。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

ソフトランディングの科学―ゆっくり、時間を長く
ソフトランディングの科学―ゆっくり、時間を長く池内 了

七つ森書館 2006-01
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宇宙物理学者が勧める身近な環境保護への取り組み。大量生産、大量消費、大量廃棄の行き着く先は、人類と地球にとって悲惨なハードランディングでしかない。ソフトランディングに変えるには、一人ひとりが必要な思想を身につけ、小さなことでも始めることだ。そう唱える著者自身が、家庭で実践している太陽光発電、井戸水利用などを公開。人類の歴史と現状を分析し、環境と調和した暮らしを提案する言葉に説得力がある。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

増税が日本を破壊する
増税が日本を破壊する菊池 英博

ダイヤモンド社 2005-11-18
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本書は日本経済が抱える膨大な財政赤字問題を「虚構だ」と切って捨てる。それだけなら際物的だが、財政問題を債務残高でなく、国の資産を差し引いた純債務で論じる点で、米コロンビア大のワインシュタイン教授らと共通する「国際標準」に沿っている。少なくとも財務省のオオカミ少年的な財政危機論よりは説得力がある。ただ、少子高齢化を迎えると純債務の増加も避けられない。そこで著者は日本経済の成長戦略を提唱する。データ分析も豊富で、“知的バトル”の一冊に仕上がっている。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ
パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へミチオ カク Michio Kaku 斉藤 隆央

日本放送出版協会 2006-01
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もしタイムマシンが完成して過去への時間旅行が可能になったとする。問題は未来の人間が過去の歴史に影響を与えてしまうことだ。数十年昔を旅行した人物Aが自分の父に出会い、誤って殺してしまったら、Aはこの世に生まれることができない。では父を殺したAは一体だれだったのか――。「親殺しのパラドックス」と呼ばれる問題だ。

この矛盾解消のため、SF小説ではパラレルワールド(並列世界)という宇宙観が好んで描かれてきた。我々の宇宙とは異なる宇宙があると考えるのだ。時間旅行者が過去に手を加えても、時間が枝分かれして別の宇宙が生まれるだけなので不都合は生じないという理屈になる。

物理学者の間でもこれに似た多世界解釈という考えが唱えられ、特に一九九〇年代以降この仮説が真剣に論じられている。この本は最新の宇宙論から説き起こして、多宇宙の理論や、次元を超えたタイムトラベルの可能性などを物理学者の視点で縦横無尽に論じている。

日系米国人の著者は理論物理学の第一人者であるとともに、一般向けの科学解説者としても著名。我々の住む宇宙が遠い将来終末を迎えるとき、未来の先進文明は別の宇宙=パラレルワールドに至る方法を必ずや発見するであろうとする。

もし時間旅行が可能なら、なぜ未来の人物と我々は出会わないのか、というのも有力な反論だ。ところが二〇〇〇年に米国のインターネット掲示板に「自分は二〇三六年からやってきた」と称する匿名の男性が現れた。

この人物は自分のタイムマシンの写真を公開したり、その後に起きた米同時テロ後の事態の展開を示した。さらにその親が「未来の息子と暮らした」と証言したことから、騒ぎが大きくなった。

手の込んだイタズラとみる向きからは「ミチオ・カクの著作のアイデア盗用ではないか」との声が上がった。真偽はともかく、SFと理論、そして現実? は限りなく近づきつつあるようだ。そんな興奮を味わいつつ、最先端の科学に触れるとともにエンターテインメントとして楽しめる。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

近代日本の身装文化―「身体と装い」の文化変容
近代日本の身装文化―「身体と装い」の文化変容高橋 晴子

三元社 2005-12
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まず身装(しんそう)とは。この馴染(なじ)みのない言葉は、「身体と装いというふたつのことばの合成」。身体と動作・しぐさ、髪形、それを包む服、下着、靴、帽子など、あらゆる付属的な品を含めて私達(たち)の装いが包括的に身装と呼ばれる。

本書は、その途方もなく広範な対象の、明治維新以降、第二次世界大戦終結までの時々の状況を、大量の画像データと文献データを駆使して明らかにしようとする。目が眩(くら)むような壮大な計画である。というのも、西欧文明に揺さぶられた時代であり、しかも言説と実態が時に乖離(かいり)する服と装いは曖昧(あいまい)で手ごわい対象だから。しかし、著者はそこへ迷わずに踏み込んでいく。

それは、国立民族学博物館の身装文化に関するデータベース構築の主要メンバーである著者に、約三十年間に及ぶ過程で膨大な資料を蓄積しているという自信があればこそだろう。

これまで必ずしも系統的に整理されず、丹念に読みこまれなかった女性雑誌、新聞などの資料から関連情報が綿密に拾い上げられる。教えられることは限りなく多い。たとえば、日本女性の洋装化を促した簡単服・アッパッパに関連する情報、フォーマルウエアの日本的変容の過程など興味深い。身装を読み解く資料として、裁縫書、作法書などにも目が配られ、各章はそれぞれに面白い。だが、その意欲的な試みは時に広がりすぎ、データ論としての本書の構造を見えにくくする。とくに第三部「近代日本における〈美しいひと(女性)〉イメージの諸類型」は切り離されるべきだった。

また、身体・装いに関(かか)わる情報の複雑に絡みあう位相から、実態を取り出すのはそれほど容易ではない。主観的見解が散見されるが、すばらしい資料が作られたものとなる危険性があることを熟知しているなら、読む側に情報解読のより多くを委ねてもよかった、のではないだろうか。

ただし本書が貴重な資料を読み込んだ、まさに労作であることに少しも変わりはない。ちなみに本書は大阪大学に出された博士論文を基にしている。

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

経済分析の歴史〈上〉
経済分析の歴史〈上〉ヨゼフ・A. シュンペーター Joseph A. Schumpeters 東畑 精一

岩波書店 2005-12
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近年日本でも再評価が進むシュンペーター。その経済学史研究の集大成で、遺著ともなった大作を理論経済学の泰斗が五十年ぶりに改訳、まず上巻を送り出した。「最初に依頼を受けたのは三年前。しばらく逡巡(しゅんじゅん)したが、これも何かの因縁かもと思い引き受けた」

一九五三年から米国のハーバード大学に留学。シュンペーターは三年前に既に亡くなっていたが、たまたま病床の夫人に面会する機会があり、その際、日本の弟子に届けてほしいと自筆原稿を託された。その送り先こそ、本書を最初に訳した故東畑精一氏だった。夫人は夫の没後、未完成となった本書の出版に向け遺稿を整理していたが、出版間際に亡くなった。

「いってみれば本書はシュンぺーターと夫人の二重の遺書。しかもそれを最初に訳したのが自分が原稿を送った東畑先生だった縁を考えると、ほかの人に頼むわけにはいかなかった」

かつて、ボストン到着の日にガルブレイスに会ったのを皮切りに、留学時代は錚々(そうそう)たる経済学者の直接指導を受けた。「あのころ私が感じた知識や文化の、せめて雰囲気だけでも今の若い人に伝えたい」というのが、今回の仕事を引き受けたもう一つの動機だった。

作業に際しては新たに訳し直す形をとり、分かりにくい言い回しや表現をなくすことに細心の注意を払った。同時に体裁も全七巻から全三巻に変更した。「専門家のなかにさえ敬遠して読まない人が少なくなかった。これを機により多くの人にシュンペーター経済学の神髄に触れてもらえればありがたい」

自身も既に八十一歳。年内には岩波書店から自身の論文集の刊行を予定しているが、「実は担当編集者が同じで、その前に中巻、下巻を完成させてくださいとクギを刺されているんですよ」。笑みの絶えない顔が一段とほころんだ。【書評 福岡正夫 慶応大名誉教授】

■2006/02/19, 日本経済新聞 朝刊, 25ページ

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