メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2007年10月6日~12月22日 )
| スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く | |
![]() | ジョセフ・E・スティグリッツ 藪下 史郎 藤井 清美 ダイヤモンド社 2007-10-19 売り上げランキング : 2256 おすすめ平均 ![]() 2008年サブプライムローン問題の行方は?! 忙しい方はの第1章「21世紀初めの日本と世界」だけでも 投資効率は高いAmazonで詳しく見る by G-Tools |
グローバル経済幻想を打ち砕くノーベル賞経済学者の痛快さ
題名こそ「スティグリッツ教授の経済教室」だが、中身は「スティグリッツ教授の反グローバル経済論」という色彩が濃い。副題の「グローバル経済のトピックスを読み解く」も、その実態は「グローバル経済の幻想を打ち砕く」といったところだ。それだけ本書は、批判精神に満ち溢れている。ここに収録されている論考は、もともと月一回のペースで本誌に掲載されてきたコラムである。本書のために書き下ろされた第一章が加わり、この打倒グローバル経済の書が生まれた。
著者は、ご存知、二〇〇一年のノーベル経済学賞受賞者。一九九七年から二〇〇〇年まで、世界銀行のチーフエコノミストを務めた。グローバル化の成り行きをまさしく進行形で見守ってきた。その彼の目にグローバル化の功罪がどう映ったか。
端的にいって、「功」はあまり見当たらない。「罪」にはおよそ事欠かない。遠慮会釈もないグローバル化批判が痛快だ。
この痛快さをさらに味わい深いものにしている要因が、もう一つある。それは、本書がグローバル化批判論であると同時に、徹底した体制批判の書でもあることだ。権力とグローバル化が出会うとき、そこに生まれる弱い者いじめに、怒りのスティグリッツ節が切り込んでいく。
特に目を引くくだりがあった。ポピュリズムを論じた個所である。ポピュリズムという言葉を、人びとは大衆迎合といい、政治家の人気取りだといって糾弾する。
ところが、スティグリッツの解釈はひと味違う。いわく「ポピュリストは往々にして正しい」。なぜかといえば、体制派が人びとになにかをお仕着せようとするとき、ポピュリズムはその呪縛から人びとを解放する方向に働くからだ。その意味で、ポピュリズムに民主主義の守護神としての役割を見出している。
IMF方式の「改革」の導入を無理強いされて、多くの途上国が苦しんできた。その姿を目の当たりにするなかで、このスティグリッツ式ポピュリズム論が生まれた。傾聴に値する逆説である。【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 超長期予測老いるアジア―変貌する世界人口・経済地図 | |
![]() | 小峰 隆夫 日本経済研究センター 日本経済新聞出版社 2007-10 売り上げランキング : 239 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アジア各国の人口構成から見えてくる驚きの将来像
人口は他の変数に比べれば、五〇年後を予測することも可能な変数である。本書は、この変数を用いて、世界、特にアジアと日本の将来について、きわめて興味深い含意を引き出している。
多くの人びとは、漠然と、日本はともかく、中国とインドを中心とするアジアの発展は確実だと考えていると思われる。しかし、本書は、人口ボーナスと人口オーナス(重荷)という概念に基づき、必ずしもそうではないと指摘する。
経済が発展し、所得水準が上昇すると、初期の段階では人口が増加し、やがて少子化が始まる。そうすると、ある段階では、人口に占める勤労者のウエートが高まる。働く人の負担が少ないので、経済が成長しやすい。これが人口ボーナスである。しかし、やがて勤労者が高齢化すると、働く人の負担が増えて、経済が停滞しやすくなる。これが、人口オーナスだ。
アジアは一九六五~七〇年(日本は五〇年)頃から人口ボーナスの時代に入っていた。日本の高度成長は、これを活用したものでもあった。しかし、ボーナスの時代はまもなく終わりを告げ、アジアは日本を先頭にオーナスの時代に入っていく。本書は、オーナスによって経済成長率の低下を予測するが、この予測は絶対的なものではないとも認める。むしろ、政策的対応がなければアジアの時代は続かないという警告であるという。
残念ながら、日本は最も低成長の国のグループに入る。しかし、中国も成長率の低下は避けられない。ここで中国と米国の関係が興味深い。購買力平価では、中国のGDPは二〇三〇年に米国を追い抜くが、五〇年には再び、米国が中国を追い抜く。米国の人口が増加し続けるからだ。
アフリカでも一部で少子化が始まっていること、中国が老人大国になること、世界全体が人口オーナス状態になること、アジアで特に少子化が進んでいる理由など、興味深い分析が並ぶ。あえて批判を述べれば、人口オーナスの概念は明確だが、その数量的効果の説明は不明確なように思われた。
人口と人口構成の超長期予測によって、多くのことを発見し、また、考えさせる見事な本だ。【評者 原田 泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 波乱の時代(上) | |
![]() | アラン グリーンスパン 山岡 洋一/高遠 裕子 日本経済新聞出版社 2007-11-13 売り上げランキング : 114 おすすめ平均 ![]() 天皇の人間宣言 真のグリーンスパンがわかる 功罪Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 波乱の時代(下) | |
![]() | アラン グリーンスパン 山岡 洋一/高遠 裕子 日本経済新聞出版社 2007-11-13 売り上げランキング : 124 おすすめ平均 ![]() 下巻は"ご託宣"みたいなのがく、開発途上国の指導者たちに説く啓蒙書みたいな感じ 続・功罪Amazonで詳しく見る by G-Tools |
エコノミストとしての矜持を保ち続けたFRB議長の半生
社会経済環境がめまぐるしく変わる現代にあって、一八年以上も米国の中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)の議長を務めたアラン・グリーンスパンの自伝(上巻)と彼の世界経済分析と将来予測(下巻)から構成されている。
米国の政治や金融政策に関心のある人はもちろん、職業エコノミストの仕事を知りたい人にも最適の入門書になるだろう。上巻の自伝の部分はきわめて率直かつ飄々と書かれており、ユーモアに溢れている。また、自らが仕え、交渉した歴代の大統領に関しても遠慮なく評価を下している。すなわち、歴代の大統領のなかではニクソンとクリントンの二人が最優秀であったと明記している。あのウォーターゲート事件を起こして辞任に追い込まれたニクソンが、政治家としてはきわめて優秀であったという判断はいかにもグリーンスパンらしいと思う。
グリーンスパンは終始一貫して、FRB議長である前に一人の職業エコノミストとしてどう判断してきたかという立場を取っている。長年、産業アナリストあるいはコンサルタントとして実態経済を分析してきたという自負もあるのだろうし、FRB議長は最終的な判断の全責任を負っているという厳しさの表れでもあるだろう。
本書を読むと職業エコノミストとは個人の総合力で勝負する職業だということがよくわかる。もちろん、人生には運もつきものであり、グリーンスパンは自らを最も幸運なエコノミストであったと述べているが、それだけではなく、節度を保ち決定的な場面で判断を間違わないできた彼の実績に対して高い評価が与えられてきたのである。
下巻での世界経済の見通しと将来予測のなかでは、さまざまな側面への関心が表明されており、これがグリーンスパンの経済分析の多様性を反映しているものと考えられる。とりわけ、FRB議長としての経験から、将来のインフレ再燃を懸念し、それに絡んでFRBの独立性が問われるような事態に陥る可能性を憂慮している点は重要である。またヘッジファンドへの規制に懐疑的であるのも特徴的である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 貸し込み | |
![]() | 黒木 亮 角川書店 2007-09-26 売り上げランキング : 326 おすすめ平均 ![]() 銀行の融資に関する裁判を題材にした小説です。 やはり長編はすばらしい 駄作Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 貸し込み | |
![]() | 黒木 亮 角川書店 2007-09-26 売り上げランキング : 436 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
銀行に責任を押し付けられた元行員はいかに闘ったのか
「脳梗塞患者に二一億円の融資!」
そう聞けば、誰しも当の銀行の行動に驚いてしまうことだろう。さらに、厳正な裁きが期待されている公判の場で、その銀行が融資の責任をまったく無関係の元行員になすりつけてしまうことになれば、人びとの驚きが「怒り」に置き換えられてしまっても、決して不思議ではないはずだ。まったくかかわりのない人であっても、銀行の態度に腹立ちを覚えるに違いない。
では、濡れ衣を着せられた当事者は、いったいどのような反応を見せるのであろうか。おそらくは、「戦慄で全身が粟立つ」「あまりの怒りで眼痛と頭痛を感じる」といった経験をするに違いない。そう、この本には、当事者として、現実に事件の渦中に身を置くことを余儀なくされた著者の心情の一端が、主人公である右近祐介の姿を借りて吐露されているのだ。
バブルの時代、銀行は、企業・個人に対し、あらゆる理由を探し出して、過剰な貸し付けを行なった。しかし、さすがに今回のケースは常軌に逸したものであった。この作品は、本質的には非常に深刻な社会問題を扱っている。が、法壇で居眠りをする裁判長、くだらない理屈をこねる弁護士、平気で嘘をつく証人など、時に唖然とさせられ、それでいて、ユーモラスですらあるディテールが小説にふくらみを持たせている。
裁判に必要な手続きや資料、原告・被告の駆け引き、マスコミの反応、関係者の心の動きなどを淡々と綴った叙述で大部分が占められている。
とはいえ、読者の期待が裏切られることはない。裁判をよく知らない人にもわかりやすく書かれており、裁判がどのようなプロセスを経て行なわれていくのか、日本の裁判制度や民事訴訟法の「印鑑偏重主義」に内在する問題点とは何かを知る格好の素材となる内容になっている。
裁判の結果は、どうか? それは、読んだ人のみが知りうるお楽しみということにしておかねばならないが、裁かれるのは、決して法廷の場においてだけのことではないということを記しておきたい。【評者 堺 憲一 東京経済大学副学長】
| 財投改革の経済学 | |
![]() | 高橋 洋一 東洋経済新報社 2007-10 売り上げランキング : 8311 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公的金融改革はなぜ必要か 政策担当者が明かすその根拠
著者の高橋洋一(たかはし・よういち)氏は、財務省に入省後、財政投融資の制度改革や郵政民営化さらには政策金融改革を、実際に現場で担当してきた。本書では、それら一連の改革の考え方、論理的な裏づけが克明に記され、しかも各制度の歴史や海外の制度などが簡潔に説明されている。わが国の公的金融システムを鳥瞰できるよう工夫してある。
著者の主張は、大きくは二つに要約されるだろう。一つは、財投や郵便・簡易保険事業、政府系金融機関などの公的金融システムを現在の姿で維持することの合理性は低いという点だ。わが国の公的金融機関が生き残ること自体が難しくなると論証している。
規制や慣行などによって縛られた今までの公的金融システムは、本来の機能を果たすことができていない。これを放置しておくと、早晩、その存在すらも否定されることが懸念される。だからこそ、そうなる前に改革する必要があるというのである。
もう一つは客観的な分析、視点の重要性だ。改革という言葉には、感情論的なニュアンスが含まれる場合が多い。「なにがなんでも進めるべきだ」「そんな必要はまったくない」といった極論に流れがちだ。それでは適正な判断はできない。経済合理性を基に客観的に分析し、冷静に判断することが必要になる。
たとえば、郵便貯金の主力商品であった定額貯金は、一〇年間預け入れできる長期金融商品である一方で、六ヵ月間経過すると解約できるというプットオプションが付与された商品であると、その特性を明確に分析している。
そのうえで定額貯金は、特定の金融環境の下ではきわめて優位性の高い商品であり、商品を受け入れる側にもリスクがあると、問題の所在を明らかにする。
さまざまな制約を受ける公的金融機関が、こうした金融商品を将来も扱い続けることができるか否か。合理性の基準で判断すれば、おのずと回答は出るはずというのが著者の基本的な考え方と見る。
著者のように、経済や金融市場を理解し、しかも外に向かってわかりやすく発信できる人材が揃っていれば、わが国の改革はもう少しスムーズに運んだかもしれない。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| ユーロへの挑戦 | |
![]() | ハンス・ティートマイヤー 国際通貨研究所 村瀬 哲司 京都大学学術出版会 2007-09 売り上げランキング : 3708 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アジア統一通貨構想に示唆 ユーロ誕生の壮大なるドラマ
一九九九年に実現した欧州単一通貨ユーロの誕生が二〇世紀の世界経済における最大のイベントであったことには異論の余地がないだろう。本書は、ドイツ連邦大蔵省次官、ドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)総裁として、ユーロの誕生に中心的役割を果たしたティートマイヤーの回顧録である。
四〇年にわたる回顧は貴重の一語に尽きる。相次ぐ経済動乱を克服しながら欧州諸国、特にドイツ、フランスが通貨統合に向けて悪戦苦闘を続ける姿を、著者は詳細に、冷静に、鮮やかな臨場感を保ちながら描き切っている。世界経済史のドラマの見事な再現である。
読者は本書を読んで多くのことを学ぶだろう。私にとっては次の三つが最も重要に思える。
第一に、通貨統合のような大事業を成功させるには、二つの必須の条件がある。一つは、指導者たちが歴史的な洞察に裏打ちされた強い決意を共有していること。欧州は多くの優れた指導者に恵まれた。もう一つは、膨大な準備作業をきちんとやり遂げる優秀なテクノクラート集団の存在である。
第二に、ドイツとフランスという、制度も思想も異なる二大強国の協調の重要性である。通貨安定を最重要視し中央銀行に完全な独立性を与えたドイツと、通貨政策は内政と外交の一部と考えたフランスの相違は簡単に解消できるものではない。現在の欧州中央銀行総裁のフランス人・トリシェがECBをブンデスバンク的に独立させようとするのに対し、フランスの大統領が圧力をかけている状況は皮肉な現実である。
第三に、欧州の通貨統合がアジア統一通貨構想に何を教えるかだ。欧州とアジアには多くの相違点と共通点がある。アジアは自らの戦略を持たねばならない。しかし少なくとも、指導者たちの決意とテクノクラートの育成は不可欠だし、日本と中国の協力は必須である。
欧州統合はユーロで終わったわけではない。著者が指摘するように「重要な中間地点」にすぎない。今後も、財政規律確立や構造改革促進という深化と、トルコを含む拡大という二兎を追い続けることになる。その先にこそ本当の「欧州の時代」が待っているのだろう。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル | |
![]() | ジャック・デリダ 増田 一夫 藤原書店 2007-09-25 売り上げランキング : 598 おすすめ平均 ![]() 第三期デリダの開始Amazonで詳しく見る by G-Tools |
資本主義の「亡霊性」を読み解きマルクスの限界を指摘する
社会主義の崩壊とともに、マルクスも葬られたと思っている人が多いだろうが、哲学の世界では、マルクスの影響はいまだに強い。本書は、ポストモダンの中心的存在だったデリダが、あえて冷戦後の一九九三年にマルクスを初めて論じ、しかも「マルクス主義的精神を継承する」と明言したことで、大きな反響を呼んだ。
「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊が」という『共産党宣言』の冒頭の一節は誰でも知っているが、マルクスの著書には幽霊や亡霊という言葉がよく出てくる。それを単なる比喩と見るのではなく、デリダ流に「脱構築」したのが本書である。
脱構築とは、テキストのなかに著者の隠された意図を読み解く手法だが、デリダはその先駆をマルクスに求める。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、マルクスは「人びとは自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない」として、人びとを動かす「過去の夢魔」を分析する。また『資本論』では、商品の価値は「幽霊のような対象性」であるとして、価値を成立させている資本主義の「宗教的性格」を明らかにする。
このようにマルクスは資本主義の亡霊性を読み解き、価値の自明性を疑い、商品の「物神性」を指摘するが、その幽霊の謎はすぐ解かれてしまう。彼は亡霊の本質を労働に求め、そうした亡霊的な形態を取らないで労働が等価交換される、透明な「自由の王国」として未来社会を描く。
デリダは、この点を批判する。すべてのブルジョア的な価値を疑い、嘲笑したマルクスが、人間の本質が労働にあるという点だけは疑わなかった。現象を本質の現前ととらえる形而上学的思考から、彼も自由ではなかったのだ。
その結果、労働価値説という古典経済学の古い道具を使ったため、『資本論』は今では経済学としては役に立たない。さらに悪いことに、このように疑いえない「歴史的必然」の名によって、社会主義という資本主義を上回る悪夢が出現した。その遠因は、マルクスが亡霊を脱構築し切れなかった点にあるのかもしれない。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
晩年のスタイル
エドワード W.サイード (著), 大橋 洋一 (翻訳)
成熟と平穏を受け入れなかった芸術家たちの高潔なスタイル
『オリエンタリズム』をはじめ、数々の刺激的な評論を世に送りながら、二〇〇三年に急逝したエドワード・W・サイード。本書は、サイードが最期まで完成を企図していた文字どおりの遺作である。
サイードは、西欧文明が他の文明に向ける先入観を誰より徹底的に追究し批判した人であったが、同時に、音楽をはじめとする西欧文明を誰よりも深く理解し、愛した人でもあった。そのサイードの最後の作品の主題が、なんと「晩年」である。
晩年は誰にでも訪れる。そしておそらく晩年の生きざまは、若年よりも壮年よりも、人それぞれの個性を忠実に物語るだろう。穏やかな満足感とともに、自身の人生に温かく包まれようとする人もいれば、成熟と平穏をむしろ恐れ、そこから逃れ去るがために、不安と懐疑と不協和の渦巻く日々へ、わざわざ自分を追いやるかに見える人もいる。そしてサイードは、この後者のような「晩年のスタイル」にこそ、探究心をそそられるという。
そうした晩年を自ら選んだ人としてサイードは、ベートーヴェン、シュトラウス、ジャン・ジュネ、ベケット、ヴィスコンティ、グールドといった芸術家を取り上げる。
彼らはその晩年に、自らの芸術にどんな仕打ちを加えたのか。なぜ、万人に愛された自らの作品を、そのまま受け入れようとはしなかったのか。その冷徹ともいえる分析評論は、これまでのサイードともどこかスタイルが違う。まるで彼自身が「晩年のスタイル」を模索しているかのようだ。なかでもヴィスコンティの「山猫」論は、白眉をなす珠玉の一編だろう。
晩年(late)には「遅れる」という意味もある。思うに、評論という行為自体が時代の晩年を語る行為ではないか。その時代のなしたこと、なしえなかったことを少し遅れて見届けて、雷同しないなにかを言う。サイードはこれを「時代からの自己追放」と表現しているが、その結果、次の時代に先駆けることもできるのだ。
「晩年のスタイル」とはまさしく、評論の本質を突いた、サイードにして初めて語りえた遺言といえるものかもしれない。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| ゆうちょ銀行 | |
![]() | 有田 哲文/畑中 徹 東洋経済新報社 2007-09-07 売り上げランキング : 6404 おすすめ平均 ![]() 経緯を丹念に調べた好著 新聞連載記事のとりまとめAmazonで詳しく見る by G-Tools |
なぜ郵便貯金は“ゆうちょ”に変質せざるをえなかったのか
「こんなはずではなかった」。まずは「はしがき」のこの一文が目を引いた。まさしくここにこそ、郵政民営化顛末記の本質がある。
二人の著者は「朝日新聞」の記者だ。同紙上で「動く民営郵政」を連載した。この連載を基に本書が生まれた。こんなはずじゃなかった今日に向けて、何がどうなり、誰がどうして、どこがどうなってきたのか。その一部始終がぐいぐい描出されていく。
読み進みながら、わが意を得たり、と繰り返し思った。郵政民営化を「改革の本丸」と位置づけた小泉純一郎元首相は、自分は北極に行くと言いながら、途中で方向転換して南極に行ってしまった冒険家だ。筆者は常々そう考えてきた。
しかも、北極だろうが、南極だろうが、どっちも寒くて行くのが大変なところだから、それでいいじゃないか。そんなふうにうそぶいてみせる。それが小泉流郵政民営化だ。どうもそう思えて仕方がなかった。
本書を読んで、この感覚が間違っていなかったという確信が深まった。郵政民営化構想のそもそもの眼目は、すでに役割を終えて、時代適合性を失った郵便貯金という仕組みをうまい具合に廃止に持ち込んでいくことにあったはずだ。それが、いつの間にやら、絶対儲かる民営「ゆうちょ」の追求にすり替えられてきた。キツネにつままれる思いがあった。そこを本書が謎解きしてくれている。
「郵貯」は、なぜ「ゆうちょ」に生まれ変わって利益を追求しなければいけないのか。その一方で、郵政の本来業務であるはずの郵便事業について、地域住民たちはなぜ、効率化の名の下における切り捨ての影に怯えなければならないのか。
これらの疑問に対して、いかに説得力のある解答が提示されないままに、今日に至ってしまっているか。本書の随所にこの摩訶不思議な一部始終が語られている。まったく奇妙な物語だ。
結局のところ、この奇妙な物語にはまだ決着がついていない。著者たちが、結末に向けての展開を追跡し続けてくれるはずだ。そう期待したい。【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 歴史が教えるマネーの理論 | |
![]() | 飯田 泰之 ダイヤモンド社 2007-07-27 売り上げランキング : 6088 おすすめ平均 ![]() いい本なのだけど読者を選ぶ 日本史に詳しい方に特にお薦めの貨幣理論入門書Amazonで詳しく見る by G-Tools |
少数派・貨幣数量説の発展を歴史的事例に重ね合わせて検証
経済学は経験科学だから、歴史的事例で経済学を語ると著者は言う。タイトルの「マネーの理論」とは、貨幣数量が物価を決めるという理論だが、私と同業のエコノミストに、貨幣数量が物価を決めると思っている人はほとんどいない。おそらく、そう考えている人間は、経済学者や金融実務家のなかでも少数派だ。
本書は、このマネーと物価の理論を、歴史的事例によって説明していく。採用される事例は、一六世紀の新大陸の金銀流入によるインフレ、一九世紀後半英国ビクトリア女王時代の緩やかなデフレ、一九二〇年代のハイパーインフレ、昭和恐慌、幕末開港期の金流出、江戸時代の貨幣改鋳など興味深いものばかりだ。
理論の説明は、マネーが物価を決めるという単純な数量説から出発して、将来のマネーの量に対する期待が物価を決めるという現代の数量説にたどり着く。数量説は、各時代の出来事を考慮すべき新しい現実として受け入れながら発展してきたことが説明される。こうした理論の発展と現実を結び付ける手際は見事というしかない。
本書には興味深い歴史の事例がほかにも多々あるが、歴史という言葉に引かれて本書を手に取った読者が特に魅了されるのは、江戸時代の貨幣改鋳だろう。
貨幣改鋳とは一般には貨幣の中の貴金属の量を減らすことだから、貨幣が増えてインフレになる。しかし、インフレは、実質生産を増大し、また、所得分配を変化させることにもなる。この所得分配の変化が、江戸の経済政策の評価にどのように影響を与えたかの考察は、独創的、周到、かつ現代的意味を持つすばらしいものだ。
あえて疑問を呈すると、幕末開港期の金流出を、金銀比価を日本に不利な取り決めにしたことと評価しているところだ。
貿易が始まれば、さまざまな物資の交換比率が変わるのは当然だ。人為的な金銀比価で利益を得た外国人は多かったろうが、投機能力の高い江戸の商人も利益を得たのではないか。幕府がこのような投機を制度的に難しくしていたとしても。【評者 原田 泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 電子マネー最終戦争 | |
![]() | 岩田 昭男 洋泉社 2007-04 売り上げランキング : 72124 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
電子マネー普及元年の全体像を知るための報告書
今年は参議院選挙やその結果として自民党の敗北、さらに安倍晋三首相の辞任など一連の政治変動、そして年金記録問題、米国で発生したサブプライムローン問題およびその反応としての資本・金融市場の不安定化など、経済界でも大きな変動があったために見落とされているかもしれないが、電子マネーの本格的な普及元年といえる年である。
記憶に新しいかと思うが、二〇〇七年四月にはイトーヨーカ堂、セブン―イレブンを傘下に置くセブン&アイ・ホールディングスが電子マネーnanacoを発行し、同じく四月にイオングループでは電子マネーWAONを発行した。JRと都内の地下鉄・バスが共通して利用できる電子マネーPASMOが需要超過で販売を制限せざるをえなくなったのも今年の春のことである。
これらの現象は、電子マネーの第二世代に相当し、先行して使われてきたSuicaやEdyの普及が本格化し、それを利用できる商店数も急速に増えたこと、おサイフケータイとして電子マネーを搭載可能な携帯電話ができたこと、コンビニやスーパーを中心とした規模の大きい企業グループが一挙に参加したことで、ビッグバンが起きたことを反映している。
本書はこれらの事情を包括的に取材したきわめて有益な報告書である。しかし、現状は本書のタイトルにあるような最終戦争にはほど遠い状況ではないかと思う。
現在、日本で使われている電子マネーの基礎にあるフェリカの技術は、決済システムに関する国際ISO基準としては認められていない。それを満たした電子マネーに変貌しなければならないが、それはフェリカを発展解消するかたちで行なわれるのか、それともすでに国際基準に準拠したマスターカードが提供している電子マネーPayPassに取って代わられるのか、といった規格競争がある。さらに、その後には政府・中央銀行と民間企業とのあいだでの電子マネーの管理・規制をめぐる争いが待ち受けているはずである。
いずれにしても、電子マネーの進展については今後も注視していく必要があるだろう。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 会計操作―その実態と識別法、株価への影響 | |
![]() | 須田 一幸 山本 達司 乙政 正太 ダイヤモンド社 2007-06-08 売り上げランキング : 7361 おすすめ平均 ![]() 主に日本の会計操作(・粉飾)について概要を説明していますAmazonで詳しく見る by G-Tools |
なぜ決算の粉飾に走るのか 研究者がメスを入れた実態
研究者の手による“会計操作”の本である。内容は粉飾決算につながる会計操作の実態や、そのインセンティブ、さらには株式市場との関連を、先進の米国の先行研究を踏まえつつ実証的に研究された会計操作の論文集である。
企業とは、長期間にわたって経済活動を行なうことを前提とする社会的経済主体だ。企業が存続するあいだ、常に、財務・収益状況は間断なく変化することになる。
一方、当該企業の財務・収益状況は、一定の決算期間を前提にして開示される必要がある。期間損益がわからないと、投資家は、企業の財務・収益状況について知ることができず、適正な投資行動を行なうことができない。また、期間損益を確定させないと、正しい納税を行なうこともできなくなる。
これらの二つの命題を満足させるため、企業の財務・収益状況を整理する手続きを定めた。それが会計手続きである。企業は、そのルールに基づいて財務諸表を作成し、関係者に開示することが義務づけられている。
ところが、財務状況が悪化した場合、会計原則を曲げて、自分に都合のよい体裁を繕ってしまう。それが会計操作の動機だ。
この会計操作の幅が大きくなると、実態を大きく歪曲してしまい、財務諸表を頼りに投資行動を行なう人びとに大きな損害が発生する。そのため、粉飾決算を行なった経営者や、それを見逃した会計士には、かなり厳しい罰則規定が設けられている。
それでも、洋の東西を問わず粉飾決算は後を絶たない。本書はこうしたポイントを、豊富な実証研究を基にして分析している。そのプロセスは、専門研究者でなくとも興味深く、十分な説得力を持っている。これが、本書の真骨頂だ。
また本書は、粉飾決算が株式市場に与える影響についても言及している。粉飾決算を行なった企業の株価を、当該株式のビッド(買値)・アスク(売値)のあいだの開き=スプレッドをパラメーターとして検証している。それによって、株式市場という、特定マーケットの構造=マイクロストラクチャーを解き明かそうとの意図は、相応の賛同を得られるだろう。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2007年7月7日~9月29日 )
| 拡大するイスラーム金融 | |
![]() | 糠谷 英輝 蒼天社出版 2007-09 売り上げランキング : 15599 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
急速に存在感を高めているイスラーム金融の理論と実務
一〇年前、イスラーム金融という言葉にいささかなりとも反応を示すことができた人は非常に限られていただろう。どこか辺鄙な地方で昔ながらに行なわれている頼母子講(たのもしこう)のようなものだと思われていたに違いない。
ところが、世界は大きく変わったのである。今日、ロンドン、バハレーン、シンガポールという国際金融センターがイスラーム金融のハブとしての地位をめぐって競っている。欧米のグローバル銀行は専門の部局を立ち上げたり、既存のイスラーム金融銀行との合弁を行なったりしてイスラーム金融分野への進出を積極化している。
背景は二つある。一つは、原油価格高騰によって湾岸諸国を中心とするイスラーム諸国に巨大な金融資産が集積されたことである。一九七〇年代の石油危機のときも多額のオイルマネーが発生した。しかし、当時の産油国にはこの金融資産を活用する能力がなく、オイルマネーはロンドンやニューヨークの金融市場に流れただけだった。しかし、いまや中東産油国はオイルマネーを自らの手で運用しようという強い意欲と能力を持つに至っている。
第二に、イスラーム世界の国際的存在が大幅に高まったことである。経済力の増大と相まって、イラン、イラク、アフガニスタン情勢に象徴されるような、米国主導のパラダイムへのアンチテーゼとしてイスラーム世界の台頭がある。
イスラーム金融は、コーランに基づくシャリーアという宗教的規範によって律せられているから、われわれがなじんでいる金融手法とは違っている。日本のアジアの隣人にはインドネシア、マレーシア等の大きなイスラーム世界がある。ロンドンやシンガポールでのイスラーム金融の役割拡大は日本にとっても他人事ではない。
本書は、イスラーム金融研究の先駆者である著者が、金融マンとしての実務経験と研究者としての学識を最大限に注ぎ込んだ画期的な労作である。イスラーム金融についての啓蒙だけでなく、将来の課題、日本にとっての意味合いも十分に説かれている。その内容の豊かさは、歴史的な価値を持つ業績といってよい。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 冷戦―その歴史と問題点 | |
![]() | ジョン L.ガディス 河合 秀和 鈴木 健人 彩流社 2007-06 売り上げランキング : 23919 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
善意でも協調でもなく恐怖が核戦争を抑止した二〇世紀
二〇世紀は疑いなく、歴史上最も大量の殺人が行なわれた世紀だった。その前半には二度も 世界大戦が起こり、後半には人類の全滅する最終戦争が起こると多くの人が予想した。
しかし、それは起こらなかった。いわば全人類を絶滅させるダモクレスの剣を頭上につり下 げたまま、人類は半世紀を過ごしたのだ。何がこの奇跡を可能にしたのだろうか?
本書の答えは「恐怖」である。二〇世紀前半までの戦争は、軍によって前線で戦われるもの だった。それを指令する政府や一般の国民は、基本的には戦闘から隔離されていた。しかし、 ある国の指導者が核兵器のボタンを押せば、報復によって彼の国土は壊滅する。そこにはも う「勝利」はないのだ。
こうした恐怖が維持されるには、双方の戦力が均衡し、しかも指導者が合理的であることが 必要だ。朝鮮戦争の頃には、戦力は不均衡であり、マッカーサーは核兵器の使用を主張した が、トルーマンは拒否した。これによって核兵器は「大統領の許可なく使えない特別な兵 器」になった。
冷戦が実際の戦争に転化する最大の危機は、一九六二年のキューバ危機だった。しかし実際 には、フルシチョフは十分なミサイルを持っておらず、これは単なる脅しだったと著者は見 ている。むしろ、この事件によって核兵器は「使えない兵器」だという歴史的事実が確定し たのである。
その後の米国の核戦略の主流は、キッシンジャー流の協調路線(デタント)であったが、こ れはソ連指導部の権力を維持しただけだった。むしろ冷戦を終わらせたのは、レーガン政権 のSDI(戦略防衛構想)をはじめとする軍拡戦略だった、と著者は評価する。これによっ て戦力のバランスが崩れ、それに対抗する経済力がソ連になかったことが、指導部の弱体化 やゴルバチョフの改革を招いたのだという。
この意味で本書は徹底した「核抑止力」論であり、日本の類書によく出てくる「核廃絶論」 や「国連中心論」はまったく出てこない。日本も、こうしたリアルな国際政治力学を学ぶべ きだろう。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| 中国を動 かす経済学者たち―改革開放の水先案内人 | |
![]() | 関 志雄 東洋経済新報社 2007-07 売り上げラ ンキング : 73595 Amazonで詳しく見る< font size="-2"> by G-Tools |
中国経済の行き先を決める経済学者一二人の思想と背景
中国にはどんな経済学者がいるのだろう。中国出身で世界的な活躍をしている経済学者は数 多いが、中国本土にあって、中国社会に向けて発言している経済学者には、どんな人がいる のだろう。そして、どんな議論を展開しているのだろう。中国経済の存在が、目を見張る驚 異から半ば自然な情景に変わってくると、ふとこうした方向に関心が向かう。しかし、英語 の文献だけでは偏ってしまうだろうし、中国語の文献となるとなかなか手が出ない。
そんな隔靴掻痒の感に、本書は見事に応えてくれる。ここに繰り広げられる一二人の群像劇 は、改革開放からの中国経済学の歴史そのものであろう。経済学に関心の深い読者には、ま たとない中国経済学史の入門書になるだろうし、そうでない読者にとっても、本書はさなが ら経済学水滸伝の趣をもって、中国経済学への関心を喚起するだろう。
本書によれば、現在の中国経済学の主流にあるのは、思想的には新自由主義、手法的には新 制度主義である。さらに中国は、ロシア的なビッグバン方式を巧妙に回避しつつ、独自の漸 進主義的改革を通じて今日の経済力を獲得した。
登場する楊小凱、張五常、周其仁、(レイ)以寧、呉敬(レン)といった経済学者たちは、 力点に相違はありながらも、こうした思潮を形成し、また支えてきた人びとであって、例外 なく英米の大学への留学経験を持つ。英米留学が盛んになるのはやはり一九八〇年代以降だ から、彼らは新古典派総合ではなく、最初から新制度主義を経験している。その微妙な痕跡 が、文脈を通して語られる彼らの近代経済学像に見て取れる。
他方で、効率重視の新自由主義に対抗する、公平重視の新左派についても本書はバランスよ く解説し、今後は発言力が強くなるだろうと予見している。
今後さらに、環境、格差、製品安全性といった、焦眉の具体的課題に取り組んでいる論者も 紹介されるようになれば、中国経済学の独自な性格がより明確になってくるだろう。その意 味でも本書は時宜を得た、新しいタイプの中国経済入門といえるだろう。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
地方崩壊再生の道はあるか
日本経済新聞社 (編さん)
「均衡」の「均等」への読み替えが地域社会の崩壊をもたらした
地方が安倍自民に引導を渡した。それが今回の参院選だった。地方はなぜ彼らに愛想を尽か したのか。その背景にある自治体行政荒廃のカラクリを、本書が整理してみせてくれている。
国破れて山河あり。一将功成りて万骨枯る。一国における地域社会の存在を考えるとき、ど うしてもこの二つのフレーズが頭に浮かぶ。
一極集中型の経済は必ずや活力を失う。一極が周辺部を支える負担が大きくて、エネルギー の浪費が起きる。内なる多様性を失った社会は必ずや創造性を喪失する。横並びのなかから、 独創的展開力は生まれてこない。
本書のまえがきにあるとおり、戦後日本の発展過程は「国土の均衡ある発展」を合言葉とし ていた。それなりに理にかなう基本設計だ。ところが、時とともに、「均衡ある発展」は事 実上の「均等な発展」に読み替えられていった。平準化の力が強く働くなかで、地域社会が それぞれに持つ独自性が蝕まれていった。
気がつけば世はグローバル時代。競争の嵐が地方を揺るがす。少子化と高齢化という成熟経 済の衰弱現象も追い打ちをかける。そのなかで、「均衡」転じて「均等」を目指す地方行政 がいかに空回りし、いかに危機助長的に働いたか。このありさまを本書はヒタヒタと描出し ている。
分権推進は、いまや日本の政治のお題目となった。結構なことだ。地球化は地域化だ。ロー カルなレベルに底力なき存在は、グローバルな土俵でまともな相撲は取れない。今、政策の 目が地域に向くのは当然だ。
だが、今の分権推進の動きは、どうもその意図するところが判然としない。方向性は悪くな いが、狙いが定まっていない。間違った理由で正しい解答を選択しているように見える。本 書のおかげで、この点がはっきり確認できた。
「国土の均衡ある発展」を目指した政策は、「国土の均等な発展」政策へと変質し、その行 き過ぎの結果、いまや「国土の不均衡な荒廃」をもたらしている。その制度的・行政的背景 を把握する材料として、資料的価値は大きい。【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメン トスクール教授】
| 王朝貴族 の悪だくみ―清少納言、危機一髪 | |
![]() | 繁田 信一 柏書房 2007-04 売り上げランキング : 180753 おすすめ平均 ![]() 王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪<
br />Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 神は妄想 である―宗教との決別 | |
![]() | リチャード・ドーキ
ンス 垂水 雄二 早川書房 2007-05 売り上げランキング : 427 おすすめ平均 ![]() いや、しかし 批判する立場から<
br /> 本書の意義Amazonで詳しく見る by G-Tools |
当代随一の進化生物学者が神と宗教を徹底的に批判する
本書は当代随一の進化生物学者である、ドーキンスが宗教に真っ向から挑んだ、きわめて刺 激的な書物であり、末永く読まれる古典となることを約束された内容を持った逸冊である。
ドーキンスが宗教、とりわけキリスト教原理主義に反発しているのは、彼の専門分野である 進化論がキリスト教と真っ向から対立しているということと関係している。また、米国のキ リスト教原理主義と中東のイスラム教原理主義の対立が、実際に武力紛争に結び付き、そこ からの出口が見えない状態であることにも関係している。
しかし、ドーキンスの真意は次に要約されていると思う。「宗教上の原理主義者たちは、自 分は聖典を読んだのだから自分の考えは正しいという考え方をする人たちで、何をもってし ても自分たちの信仰が変わることがないと、あらかじめ知っている。それに対して、私が科 学者として真実だと考えること(たとえば進化)は、聖典を読んだからではなく、証拠につ いて調査・研究をおこなった上で、真実だとみなしているのである。もし、それを反証する ような新しい証拠が出されれば、一晩で放棄することになるだろう」。これが、彼が宗教を 退ける決定的理由である。
ドーキンスの基本認識は、宇宙の中でとりわけ特別な位置にあるわけでもない地球に、生命 体が発生し、それが長い進化の過程を経て、人類が誕生し、われわれが今この地球に生きて おり、高度な文明社会を築いてきたということ自体が奇跡であり、途方もない幸運だという ことである。そして、この地球上では、われわれはたった一度の人生しか経験できないとい うことが、命をいっそう貴重なものとするはずであるということである。
本書は決して楽な読み物ではないが、思索にふけるには持ってこいの一冊である。典型的な 日本人であれば、特定の宗教を信じていない方が多いかもしれない。それでも世界の主要宗 教の内容を知りたい方には、中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』(みすず書房) を併せてお読みになることをお勧めする。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 第三セク ター―再生への指針 | |
![]() | 堀場 勇夫 望月 正光 東洋経済新報社 2007-06 売り上げランキング : 27427 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公と民を生かし合うための第三セクターの理論と実務
本書では、経済学者や財政学者、法律家、監査法人の代表社員など、さまざまな分野の専門 家がそれぞれの視点から述べている。内容は単なる理論展開にとどまらず、監査や情報公開、 さらには破綻処理などの実務にまで及んでいる。
そもそも第三セクターとは、第一セクター=民間営利部門や、第二セクター=政府・地方公 共団体などのパブリックセクターとは異なり、両者の性格を併せ持つ三番目の集合と位置づ けられる。民間企業の実務的なノウハウを取り込みながら、パブリックセクターからの経済 的な支援を受けて、両者のメリットの積集合として活動を行なうことを目指す組織である。
理念がうまく実現されればよいのだが、実際には、メリットの積集合どころか、経営の非効 率化と赤字体質の長期化という、デメリットの積集合組織になってしまう可能性が高い。本 書の中でも、そうした実態についていくつかの例が示されており、第三セクターという隠れ 蓑の下で、さまざまな不合理が発生しているのがわかる。天下り人材が多く、経済的に公的 支援を期待できるがゆえに、経営自体は長年にわたって赤字を垂れ流しているにもかかわら ず、ただ惰性で活動を続けるケースも数多く存在する。また、天下りの人材受け入れだけの ために、非効率な組織が運営されている例もあるようだ。
そうした問題点はあるものの、今後、少子高齢化が加速するわが国では、シニア層の福利厚 生のために第三セクターを使うことが多くなるだろう。そのとき、現在のようにデメリット の集積する組織をつくっていては、わが国経済全体の効率を著しく低下させることになる。 非効率を防ぐ有効な手立てが必要になる。
そのヒントの一つは、もっとしっかりした経営情報の公開システムだろう。費用負担者であ る納税者が常に見えるよう、経営情報をガラス張りにするシステムを構築するのだ。そのシ ステムによって、納税者はその情報を監視して、是正することが必要と認識する場合には“ 声”を上げればよい。それで、なにがしかの監視ベクトルをつくることになるはずだ。【評 者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 資本開国 論―新たなグローバル化時代の経済戦略 | |
![]() | ダイヤモンド社 2007-06-01 売り上げラン キング : 4837 おすすめ平均 ![]() 切れ味のよい論説
論理の刃 グローバル化と国内経済の関係を明快に描き出した好著!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本の脱工業化実現のために資本の国際競争促進を主張
著者は一九九五年に『一九四〇年体制』という刺激的な著作を発表した。戦後の日本経済を 構成する主要な要素は、四五年の敗戦という大変動を契機に新しく生まれたものではなく、 むしろ戦時期につくり出されたのであり、しかもそれが戦後も持続したのだという主張だっ た。特に重視したのは、戦後のさまざまな「改革」にもかかわらず、官僚制度と金融制度が 戦前のままに生き延びているという事実であった。
この主張に対しては当然多くの反発があった。しかし、九〇年代後半の日本経済の深刻な停 滞と、それが否応なしにもたらした二一世紀に入ってからの変化を振り返ると、著者の主張 は革新的先見性を持っていたといえる。
本書で著者は前書に劣らぬ刺激的主張を展開している。著者によれば、九〇年代以降の世界 経済は、情報技術の革命的進歩と国際的直接投資の急増によって新しいグローバリゼーショ ンの時代に入った。特筆すべきは、老化の過程に入ったと思われていたアングロサクソン圏 の工業国が、この流れに乗って脱工業化を図り、高成長と高所得を達成したことだ。
しかるに日本経済は資本面での国際競争にさらされていないため、製品の競争はあっても経 営の競争がない。そのため差別化特性のない製造業に依存する状態が続いている。しかも、 九〇年代の物価下落を国内要因によるデフレと誤診し、金融緩和と円安政策という愚かな袋 小路に自らを追い込んでしまっている。
日本に求められるのは、脱工業化を進め、未来型企業を育てるために企業の国際的流通を活 性化する「資本開国」だというのが主張である。加えて、年金問題や消費税引き上げ、法人 税引き下げ等の政治的課題についても、厳しい、しかし明快な論評を展開している。
主張の多くはきわめて説得的である。目からウロコが落ちる読者も多いに違いない。評者の 唯一の疑問は、著者の主張の行き着くところが結局はアングロサクソン型の市場競争モデル への収斂なのかということである。日本がその道を選択できるのか、選択すべきなのかは日 本人が考えるほかない。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| トクヴィ ル 平等と不平等の理論家 | |
| 宇野 重規 <
br /> 講談社 2007-06-08 売り上げランキング : 34364 Amazonで詳しく見る by G-Tools | |
特殊な国・米国の光と影をその生い立ちから読み解く
トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫、講談社学術文庫)は、フランスの貴 族が約二〇〇年前に書いた米国旅行記だ。古典としては誰でも名前を知っているが、学術文 庫版で全三巻、合計一五〇〇ページ以上に及ぶ大著を読破した人は少ないだろう。
本書は、これを現代の米国を理解する手がかりとして読み解く。ブッシュ政権の異様な軍 事・外交路線をネオコンなどの影響で語る人が多いが、その源泉は、じつはトクヴィルの見 た建国当時の米国にすでに芽生えているのだ。
トクヴィルは米国の「条件の平等」に強い印象を受ける。これは所得を同じにするといった 「結果の平等」ではなく、すべての人びとに同じチャンスがあるという個人の対等性だ。デ モクラシーも単なる「民主政治」ではなく、対等な個人からなる階層なき社会だ。トクヴィ ルの母国には革命後も貴族や教権の特権が残っていたが、そういう欧州から来た彼の目には、 米国はまったく新しい原理に基づく社会と映った。
トクヴィルは、この傾向はフランス革命のような「人権」の追求の結果ではなく、富が蓄積 されて多くの人びとに生産手段が行き渡るにつれて必然的に生じる「文明化」の帰結と考え た。このように既得権から自由な人びとの形成する地域共同体は、合理的で透明であり、統 治機構としては理想的だ。
しかし、このように社会的紐帯から切り離された抽象的個人は、その孤独に耐えることがで きるだろうか。この点についてトクヴィルが注目したのは、米国がきわめて宗教的な国であ り、教会が人びとの精神的共同体になっていることだ。しかし、合理的個人がこのような非 合理的共同体にアイデンティティを求めざるをえないところに、彼は米国のはらむ不安定性 を感じ取っている。
こう見ると、トクヴィルの見た米国の光と影は、今日の米国の状況をほとんど予言している ようでもある。そして著者が付け加えるのは、こうした米国という特殊な国の自由と不安を そのまま世界規模に拡大したのがインターネットだということである。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| 確率の科 学史―「パスカルの賭け」から気象予報まで | |
![]() | マイケル・カプラン エレン・カプラン 対馬 妙 朝日 新聞社出版局 2007-03 売り上げランキング : 6190 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経済学の新しい領域を開く確率論をめぐる人間ドラマ
今、経済学で話題にされることの多い新領域、たとえば進化経済学、複雑系経済学、実験経 済学、行動経済学などに共通するのは、いずれも「確率論的」な経済観を持っているという ことだろう。つまり、人間の行動にせよ、経済全体の動きにせよ、これらは方程式の解のよ うに一つに定まるものではなく、同じ状況の下でも複数の可能性がありうる、したがって確 率論的にしかとらえられない現象だと考えている。
これは従来の、経済を方程式になぞらえて読み解こうとする「確定論的」な経済観とはまさ しく対照的である。しかし、確率論的発想自体は決して新しいものではない。二〇世紀初頭 の経済学では、むしろ確率論的経済観のほうが優勢だった。そして、確定論的経済観を代表 する一般均衡理論などが本格的に発展したのは、戦後に入ってからである。してみると、確 定論的世界観と確率論的世界観のあいだには、どうも一筋縄ではいかない歴史のドラマがあ りそうだ。
本書は経済学の本ではないが、確率論的世界観の発展が、どれほど広範な領域を巻き込み、 どれほど人間臭いドラマであったかを、驚くべき数のエピソードを通して理解させる、いや それ以上に実感させてくれる。
著者の一人が放送プロデューサーでもあるためか、どこかテレビシリーズを思わせる語り口 で、古代ギリシャの哲学者からフォン・ノイマンに至る確率論の精神史が、人物ドラマとと もに語られてゆく。デカルトは「脳を正しく機能させるため正午まで寝床を離れなかった」 とか、パスカルが「自分の手紙が長いのは、短くするための時間がなかったからだ」と言っ たとか、思わず噴き出すようなエピソードもふんだんに盛り込まれている。他方でフォン・ ノイマンと原爆とのかかわりも……。
確率論入門であると同時に、どれほど確率に翻弄されてもなお確率へ挑もうとする、人間の 本性を考えようとした本でもあるだろう。それでも、有意検定の本来の意味合いなど、専門 家が心すべき話題も見落としていない。この夏じっくり読みたい好著である。【評者 井上 義朗 中央大学商学部教授】
| 実感なき 景気回復に潜む金融恐慌の罠―このままでは日本の経済システムが崩壊する | |
![]() | 菊池
英博 ダイヤモンド社 2007-06-15 売り上げランキング : 10548 おすすめ平均 ![]() 竹中構造改革の虚妄を暴く決定版!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
構造改革と市場原理主義者を痛烈に批判し金融恐慌に警鐘
金融恐慌という言葉を見聞きすると、どうも血が騒ぐ。世にこれほど怖いものはない。その 意味では、血が騒ぐという言い方は不謹慎である。だが、金融恐慌という現象ほど、経済と いう名の生き物の正体を余すところなくわれわれに示してくれるものはない。だから、血が 騒ぐのである。
この怖い現象をもたらす罠が、今の日本経済に潜んでいる。それが本書の警告だ。なかなか 過激な本である。だが、その過激さの足元には、周到に練り上げられた論理構成と、事実の 積み上げによって構築された堅固な土台がある。
小泉改革を小泉改悪と断じ切る筆致には迫力がある。市場原理主義者たちへの怒りの炸裂に も、これまた血を騒がせるものがある。アドレナリンの分泌不足に悩む向きには、まことに お薦めの逸冊だ。まずはこの点に太鼓判を押したい。
そのうえでいうなら、本書の真価は、この爆発的怒りを噴出させている問題意識の底辺部に ある。本書の苦言・提言は氷山の頂点部だ。そのとがった頂点の下には、水面下に潜む大き な底辺部の広がりがある。
この氷山の底辺部が、金融に関する著者の認識の世界だ。そして、恐慌発生の仕組みを徹底 解析した一連の事例研究である。第5章「歴史に学ぶ金融恐慌の教訓」に、この事例研究の 成果が集約されている。
金融という化け物は凶暴だ。牙を剥くとじつに怖い。本書がその怖さのカラクリを多面的・ 有機的に明かしてくれている。
金融なしに経済活動は成り立たない。信用創造がうまく機能していなければ、経済活動は早 晩袋小路に行き着いて消滅する。その意味で、金融は経済活動の命綱だ。だが、同時に命取 りにもなる。金融が持つこの恐怖の二面性こそ、本書の隠れテーマだ。
メッセージ性に富む本書だが、そのなかで、二つの点が最も目を引いた。その一が日本にお ける金融の寡占化問題、その二が地域金融の重要性という点だ。今の日本で、金融が牙を剥 かず、経済の命綱として機能するには、この二点が勘どころだ。この読後感が強く残った。 【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 日本経済 のリスク・プレミアム―「見えざるリターン」を長期データから読み解く | ![]() | 山口 勝
業 東洋経済新報社 2007-03 売り上げランキング : 129473 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
最新の理論とデータで解く日本の金融市場に起きる謎
本書は、金融工学と行動ファイナンス理論を用いて、日本の金融市場に起きているさまざま な謎を、解き明かすものである。
その謎は、株式のリスク・プレミアムが高いのはなぜか、割安株のリターンが成長株のリ ターンを上回るのはなぜか、小型株のリターンが大型株のリターンを上回るのはなぜか、日 本の長期金利は低すぎないのか、海外投資は為替リスクに見合ったリターンが得られるのか、 など興味深い。
多くの議論が、理論の紹介、海外、特に米国の事例、日本の長期データによる分析という順 に進むので理解しやすい。
リスク・プレミアムの謎について、日本においても株式リターンは国債リターンを大きく上 回っていたが、それは高度成長期までで、その後のリターンは国債金利並みになってしまっ た。そして株式リターンの減少は、法人税の引き上げによると分析する。ただし、私は、こ の解釈に疑問を持った。法人税の引き上げによってリターンが減少するなら、税の引き上げ 時点で株価が下落し、その後のリターンは減少しないということになるのではないか。
割安株と成長株、小型株と大型株のリターン格差についての分析は興味深い。日本の長期金 利の低さはインフレ率の低さによってかなり合理的に説明できるという。海外投資は為替リ スクに見合ったリターンが得られないという結論は意外だが説得的だった。
各章の分析は手堅いが、総論の主張は、分析と対応していないところがある。総論を読んで、 物価上昇が金利上昇をもたらして国債価格を下落させ、国債を保有する金融機関に損失が発 生することが、一部の金融機関がデフレを望む理由だとわかった。ただし、物価が上がって も預金金利が上がらないから個人が損をするというが、金利が自由化された現在では、そう はいえないのではないか。
本書が縦書きと横書きを併用しているのは、数式の展開を知りたい読者のためなのだろうが、 横書きの部分を読んでもわかりにくいところがある。トータルリターンがどういう意味の恒 等式なのか、理解するのに苦労した。【評者 原田 泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 日本国の原則―自由と 民主主義を問い直す | |
![]() | 原田 泰 日本経済新聞出版社 2007-04 売り上げランキング : 126940 お すすめ平均 ![]() 「自由と民主主義」の伝統を尊重するという原則Amazonで詳しく 見る by G-Tools |
歴史や哲学にまで視野を広げ論じる日本国にとっての自由
本書は現在、論壇で精力的に執筆活動を行なっている著者の最新論考である。本書のタイト ルにあるとおり、内容は経済に限らず、政治、文化、歴史、哲学を縦横に織り込んだきわめ てユニークな日本論になっている。
アカデミズムの世界では専門領域の蛸壺に入り込んで、なかなかそこから抜け出せないのが 普通であるが、著者はもともと経済企画庁で日本経済全体を見渡すことを仕事としてきてお り、また個人的な興味からか、歴史も古典から現代書までを自由に渉猟し、分野を超えた議 論をすることにいささかの躊躇も見られない。
本書の主張は、自由こそが国家発展の鍵であり、自由を保証するかたちでの民主主義の維持 が、日本国にとって最も重要だということである。それさえ確保できれば、少子化になろう が、地域紛争が勃発しようが、なんとか対応していけるだろうという建設的な楽観論で貫か れている。
全体的な歴史的、政治的判断はきわめてオーソドックスでありバランスが取れている。たと えば、日本軍が満州国で行なったことは、日本国民の貧困を救済する意味でも、東北中国の 発展に寄与するという意味でもまったくの失敗であったと手厳しい。一部の歴史学者による 満州国およびその統治機構を礼賛するような修正主義にはいっさい与していない。著者は教 育についても「型」を身につけることが大切で、個性やゆとりは「型」を突き抜けたところ にしかありえないと指摘しているが、これも、まったく同感である。
著者は自由が大切だとは言っているが、それは無制約に享受されるべきものであるとは言っ ていない。むしろ、人は制約を受けることで、そのなかで比較優位を見つけ、それに特化す ることで生きる道を見つけるべきだと主張しているように思う。日本国民は、島国で天然資 源に恵まれず、地形的に平地は少なく、しかも自然災害の脅威にさらされている環境下で、 土地の有効利用、貿易立国の必要性、教育を通した人的資本の重視などの生き方を、紆余曲 折はあったにせよ、理解し選択してきたということであろう。【評者 北村行伸 一橋大学 経済研究所教授】
| 新帝国主 義論―この繁栄はいつまで続くか | |
![]() | 武者 陵司 東洋経済新報社 2007-04 売り上げランキング : 640 おすすめ平均 ![]() ワン・ワールド経済体制を解き明かし
た快著 武者陵司が書いた世界経済の見通しAmazon で詳しく見る by G-Tools |
旧来の経済学では説明不能な事象を読み解く新パラダイム
センセーショナルなタイトルだが、現在の世界経済を理解するための新しいパラダイムを提 示するものだ。副題の「この繁栄はいつまで続くか」のほうが、本書の内容を的確に表して いるだろう。
この数年、世界経済は高成長を達成し、同時に株式や債券などの金融市場は安定した展開を 続けている。しかし、最近起きている経済現象のなかには、経済学の常識では理解できない ことが多い。
たとえば、米国では高い経済成長が続く状況下、金利水準は低位で安定している。経済学の 理論で考えれば、高成長を続けると資金需要が増大して、金利は上昇するのが本来の姿であ るはずだ。
また、経済が堅調に推移する日本や米国で、企業部門が資金余剰となっている。これも、今 までの経済の常識とは違う。経済活動が活発化すると企業部門で資金需要が拡大するため、 企業部門は借り入れを行なって資金需要を賄うはずだからだ。
著者は、こうした疑問に答えながら、現在の世界経済には新しいパラダイムが生成されてい るとの主張を展開する。そのパラダイムとは、「途上国での生産性の飛躍的向上」と「労働 力の不等価交換による先進国での超過利潤」によって、世界全体を包摂する新しい経済のメ カニズムだ。
BRICsをはじめとする新興国に安価で豊富な労働力があるため、それを有効に活用する グローバル企業には超過利潤が発生し、多額の資本が蓄積する。またグローバル企業は、投 資効率の高い新興国への設備投資を積極化させることで手元のキャッシュを温存することが 可能になった。
この超過利潤を原資として世界の金融市場に潤沢な流動性がプールされ、株価を上昇させる と同時に、金利水準を低位で安定させることが可能になると分析する。
「ドルの価値は安定している」という主張など細かい点については、見解を異にする専門家 もいるだろうが、同氏の主張全般には相応の説得力はある。問題は、日本の金利の引き上げ など、世界的に流動性の減少が予想される状況の下で、「新帝国主義」のパラダイムの寿命 がどれほどかという点だ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 現代中国 の経済改革 | |
![]() | 呉 敬レン 日野 正子 エヌテ ィティ出版 2007-03 売り上げランキング : 173892 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中国を代表する学者による経済改革のための冷徹な展望
中国経済の急速な発展と改革はいまや世界最大の関心事である。しかし、その歴史的変革を これほど包括的に、詳細に、的確に、理論的に分析するという大作業が中国の経済学者によ ってなされていたことを、恥ずかしながら、本書を読むまで知らなかった。
著者は現在七七歳、「中国経済学界の良心」と呼ばれている代表的経済学者である。この大 著は三部から構成されている。第一部は、中国の経済改革は何を目標として行なわれるべき かという問題提起である。それは社会的公正を追求し、共に豊かになることの実現を目指す 市場経済の樹立であり、民間部門を底辺から成長させるための条件をつくり出すという有機 的発展戦略が望ましいとする。
第二部は、この視点から農業、企業、民営化、金融、財政、対外関係、社会保障、マクロ政 策という具体的な分野で過去三〇年の改革過程が検証される。そして第三部では上部構造と しての社会、政治制度の改革が論ぜられ、著者の総括的な提言で締めくくられる。
本書の圧倒的な魅力は二つある。一つは、比較制度分析の手法で現実の事象を検討する理論 構成の確かさであり、もう一つは、国の正しい発展を願う者だけが持つ勇気と率直さである。 私が特に感銘を覚えたのは第一一章の「転移期の社会関係と政府機能」であった。ここでは 経済改革と社会・政治改革との歪み、特に不平等の激化と、それと表裏する腐敗の進行が赤 裸に冷静に語られている。著者は「錯綜する複雑な矛盾と経済社会危機の発生の可能性に直 面する中国」とすら言っている。
読了して残された疑問も二つある。一つは、著者も最も案じている貪欲さの弊害は法治とか 社会保障という制度改革で解消するのか。それとも、〓小平(トウ・ショウヘイ)が共産主 義のイデオロギー性を破壊したことによって顕在化した中国社会の精神的空虚に根ざすもの なのか。もう一つは、社会主義市場経済の理想実現と共産党独裁体制の崩壊は不可分なのか、 である。
青木昌彦教授の監訳者イントロダクションはサマリーである以上に、提起する問題について の優れた論評になっている。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 市場を創 る―バザールからネット取引まで | |
![]() | ジョン・マクミラン 瀧澤 弘和 木村 友二 エヌティティ出版 2007-03 売り上げランキング : 42867 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
高度で複雑な市場の不完全性を補う「見える手」の制度設計
アダム・スミスが市場を「見えざる手」と呼んだとき、それはニュートンの万有引力をつく り出しているのと同じ神の手だった。現代の経済学も、ニュートン力学をまねて物理的な 「均衡」を実現する過程として、市場メカニズムを描く。
しかし、この比喩はミスリーディングだ。万有引力は、どんな条件でも同様に働くが、旧共 産圏諸国で行なわれた市場経済化の大規模な「実験」は、経済学の「法則」が普遍的なもの ではないことを証明した。市場がなぜ機能するかを理解するには、それを支える制度を理解 する必要がある。
本書は、こうした市場を支えるメカニズムを最近の経済理論を使って解説し、それを利用し て市場を機能させる「制度設計」を考えるものだ。著者は、周波数オークションの設計も行 なった米国の指導的な経済学者である。
市場が機能するうえで、第一に重要なのは情報だ。特に、ある財を誰が最も高く評価してい るかという情報には、その人しか知らない「非対称性」があるので、これを回避する制度設 計として、オークションが開発された。
もう一つ重要なのは、財産権である。ソ連や東欧諸国で社会主義が崩壊した後、市場を導入 して国営企業を一挙に売却する「ショック療法」が取られたが、これはGDP(国内総生 産)が半減するような経済の大混乱を招いた。財産権を保障するには、法律だけでなく、人 びとが互いを信頼できる日常的な規範が必要なのだ。
著者は、市場も財産権も絶対的な価値とは考えない。それは人びとの生活を改善するための 不完全な手段にすぎず、それ自体を目的とすべきではない。情報を「知的財産権」として過 剰に保護すると、特許料が高いために感染症の患者に薬が届かないといった問題が生じる。 こうした問題を解決するにも、政府が特許を買い上げる「見える手」の設計が必要だ。
本書の内容は、ゲーム理論や契約理論の解説だが、記述は具体的にやさしく書かれている。 ただ学問的に新しい発見や深い思想が書かれているわけではないので、専門家にはもの足り ないだろう。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| ドルはど こへ行くのか―国際資本移動のメカニズムと展望 | |
![]() | ブレンダン・ブラウン 田村 勝省 春秋社 2 007-04 売り上げランキング : 20945 Amazonで 詳しく見る by G-Tools |
アメリカは巨額経常赤字でもドル暴落はないとする立脚点
アメリカ経済が微妙な局面に入っている。
公式発表では、アメリカ経済は依然緩やかな成長局面にあるというが、成長率の減少自体は 否定しようがない。特に懸念されているのがGDP比六%を超える経常赤字で、これを世界 からの資本流入が支えている。その額はまさしく巨額であって、皮肉というべきかニュー ヨーク株式市場は連日「歴史的な」活況を報じている。
これをアメリカ経済の強さの証しと見るか、弱さの裏面と見るか。エコノミストの論調も真 っ二つである。正統派であれば経常赤字の持続を困難とし、ドルと株価の暴落を恐れるだろ う。ところが本書は、経常赤字は当分持続可能であるという。
本書は単なる楽観論の書ではない。経常赤字・貯蓄不足の国があれば、他方に必ず経常黒 字・貯蓄過剰の国がある。言うまでもなく日本、中国、中東諸国などである。この過剰貯蓄 は、金利が高くリスクプレミアムが小さいアメリカに、今のところ流れざるをえない。
むろん、円からユーロなどへも資金は流れるが、ユーロからさらにドルへ資金が流れるから、 これはターンテーブルに乗せたようなものだと著者は言う。かくして経常赤字があってもド ル高は続き、経常黒字であっても円は下がってゆく。ゆえに為替による不均衡調整はもはや 期待できず、経常収支を変化させるには世界の需給構造が変化するしかない。これは当然ア メリカ一国で動かせるものではないから、ゆえにアメリカの経常赤字は当分持続せざるをえ ないという結論になる。アメリカ経済をアメリカにおいて見るのではなく、世界全体の経済 構造のなかにはめ込んで理解しようとする点に、本書の特徴がある。
多国籍企業が一般的になった現代において、本書のように資本移動を「国」単位で分析する 姿勢には批判もありえよう。とはいえ、個々の経済行動を全体的な構造制約のなかでとらえ ようとする姿勢は、古典的ともいえる一方、グローバリゼーションのなかでかえって現実味 を増しているのかもしれない。そうした点も含め、示唆に富む内容豊かな一書である。【評 者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 日本語は 天才である | |
![]() | 柳瀬 尚紀 新潮社 2007-02- 24 売り上げランキング : 1084 おすすめ平均 Where there is a will, there is a way この人なかなか根室の曲者ですAmazonで詳しく見る by G-Tools |
天才翻訳家が喜々として語る日本語の底知れぬ奥の深さ
このところ「日本語もの」の出版が多い。それだけ日本の言語状況に関する危機感が強いと いうことだろう。結構なことだ。ただ、それに乗じて、復古調の言論管理の世界に読者を引 き込もうとする下心を感じる面もある。
しかしながら、本書は違う。
天才的な翻訳家が日本語の天才性について語る。じつに相性のいい組み合わせだ。この組み 合わせが繰り出す言葉の綾は、機知と警告に富んでいる。
その機知によって、不可能と思われる表現が可能となる。まさしく、この著者の辞書に不可 能の三文字はない。
言葉の遊びを他の言語に移し替えることは至難だ。それを成し遂げる過程の苦労話と成功物 語を披露するとき、本書の語り口は歓喜に満ちている。
著者と言葉は本当に仲よしだ。仲よしであるだけに、言葉の退化に関する警告は機知に彩ら れた辛らつさがある。
最も目を引くのが次のくだりだ。
「……そもそも本は背伸びして読むものではないでしょうか。……だから本を読むと、使う 言葉も背伸びしたものになる。一段上の言葉を使うようになる。そうして言葉が成長するわ けです」
言葉とともに高みに飛翔する。まさにそうして人間の知性は開花していくのだと思う。とこ ろが、今はむしろ言葉の花の芽を摘もうとする世の中だ。
わかりやすさの恐ろしさが世界中に充満している。言語的背伸びから尻込みし、それをやめ させようとする世の中だ。
圧制者は人びとから言葉を奪う。言語浄化政策は恐怖政治の常套手段だ。
その究極の世界を小説化したのがジョージ・オーウェルである。彼の代表作『1984年』 には、辞書を薄くすることが仕事の官僚集団が登場する。「明るい」の反対が「暗い」であ る必要はない。「明るくない」でいいじゃないかというわけだ。
そんな国では、本書の著者は真っ先に非国民のレッテルを張られてしまうだろう。カタカナ 語好きの某国総理大臣にも、すでに嫌われているかもしれない。【評者 浜矩子 同志社大 学マネージメントスクール教授】
| 渡辺崋山< /a> | |
![]() | ドナルド・キーン 角地 幸男 新潮社 2007-03 売り上げランキング : 9099 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
肖像画の写実性に触発され西欧に目を開いた“家老画家”
渡辺崋山は、江戸時代末期に肖像画というジャンルを創造し、西欧文明の理解に努め、それ ゆえに幕府の鎖国政策を批判し、罪に問われ、一八四一年、自決という悲劇的な最期を遂げ た。明治維新のわずか二七年前のことである。
崋山が描いた肖像画を見ると、人物の内面までをも映し出す写実性に心を奪われる(本書に は崋山やその弟子の椿椿山の描いた肖像画、崋山が市井の人びとや風景を描いた絵が多数収 録されている)。
日本史の教科書に出てくる源頼朝のような肖像画を見ていた人びとには、崋山の肖像画は衝 撃的だったろう。崋山は、西欧の絵画に触発されて、まったく新しい日本の肖像画というジ ャンルを切り開いたのだ。
西欧の写実に感銘を受けた崋山は、その文明の本質を知りたいと思い、西欧の書物を集めた。 すでに壮年に達し、小藩ではあるが、家老として多忙を極めていたので、自ら語学を学ぶに は至らなかったが、蘭学者に翻訳をさせ、西欧文明を学んだ。その理解には、もちろん限度 もあったが、西欧社会の優れた面を的確に指摘し、日本の改める点を述べていた。
崋山は、知的異端者でも奇矯な改革者でもなく、忠孝を尊ぶ封建道徳のなかに生き、伝統的 教養人であり、家老として仁政を敷き(飢饉において餓死者を出さなかったという)、ゆえ なく問われた罪が主君の迷惑になることを恐れて見事に切腹して果てた。
江戸時代には、すでに知的な人びとのサークルがあり、崋山にとっても、そこでの付き合い は啓発的だった。また、家老であるよりも芸術家になりたいとも思っていた。家老の収入よ りも、画家としての収入のほうが多かったようでもある。その点では、江戸時代には市民社 会が成立していたといってもよい。
完璧に封建道徳をまっとうしながら、それに疑問を抱き、写実画を通して西欧文明の本質を つかんだ。そんな人間の悲劇的な生涯は魅力に溢れてもいる。このような人びとがいたから こそ、日本は明治時代を迎えることができたのではないか。【評者 原田泰 大和総研チー フエコノミスト】
| ファミ リービジネス 永続の戦略―同族経営だから成功する | |
|
| デニス・ケニョン・ルヴィネ ジョン・L・ウォード
富樫 直記 ダイヤモンド社 2007-01-27 売り上げランキング : 9051 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 持丸長者 [幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち | |
![]() | 広瀬 隆 ダイヤモンド社 200 7-02-02 売り上げランキング : 6686 おすすめ平均 < img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-4-5.gif" alt="star" / > 日本版・赤い盾、そして一本の鎖 明治政府ってそういう実態やったと
は・・・!Amazonで詳しく見 る by G-Tools |
社会全体をも動かして得たエリート層の役割を考える
ノンフィクション作家である広瀬隆氏が書いた歴史書だ。タイトルの持丸とは、大金持ちを 意味するが、その有力な金持ち=エリート層が、社会の発展のなかで果たした役割と、その 歴史的な系譜を克明につづった書物である。
本書には、大きなインプリケーションが二つある。一つは、歴史の流れのなかで、人のつな がり=血縁の流れを克明に提示していることだ。そのつながりが、あたかも川の流れのよう に、時間の経過とともに緩やかに継続しており、しかも、それが現代にまで続いていること を実感させてくれる。
こうした感覚を与えてくれる背景には、著者自身が、長い時間の流れのなかでの有力血縁同 士の婚姻や養子縁組、幼少期から成人期までの姓名の変遷まで、じつに細かく調査している ことがある。しかも、それを本の中で、わかりやすく図示する努力を行なっている。おそら く、本書の執筆には、多くの時間とエネルギーを要したことだろう。それは、本書の説得力 として結実している。
もう一つのインプリケーションは、資産家が、政治、経済、文化、芸術など社会のあらゆる 局面で、きわめて大きな影響を与えていることだ。資産家である有力者が、社会や自分たち の要請に基づいて政治、経済の方向性を規定することは理解できる。それに加えて、彼らの 存在は、文化や芸術の分野にまで大きなマグニチュードを与えることになる。ルネサンス期 のイタリアに、あれほどきらびやかな文化が集積したことを考えても、その重要性は十分に 理解できる。
エリートという言葉は、わが国ではあまり好ましい語感を持たれていないが、欧米社会では その必要性が当然のように扱われることもある。彼我には、歴史的な認識に違いがあるのか もしれない。ただ、社会がさまざまな方向に進化していくとき、能力と財力、行動力を持ち、 社会のために進むべき方向を明確に提示することのできる人材は、どうしても必要のような 気がする。エリートという言葉が悪ければ、他の呼称をつければよい。本書で扱われている 持丸とは、そうした機能を果たした人たちなのではないだろうか。【評者 真壁昭夫 信州 大学経済学部教授】
| ハイエク の政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境 | |
![]() | 山中 優 勁草書房 2007-03売り上げランキング : 45947 おすすめ平均 ![]() < img src="http://g-images.amazon.com/images/G/01/detail/stars-5-0.gif" alt="star" / >評価は出来るけど Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「市場原理主義」を嫌う心理を五〇年前に予見したハイエク
資本主義と社会主義の対立は前者の勝利に終わり、福祉国家と新自由主義の対立は後者の勝 利に終わったように見える。しかし「市場原理主義」や「格差社会」を批判する人は多い。 自由主義の今後はどうなるのだろうか。
ハイエクは新自由主義の元祖として知られるが、訳本もほとんど絶版になり、過去の人と思 われている節がある。しかし、ハイエクは五〇年以上前から現在の自由主義社会を構想する と同時に、その限界も予見していた。
社会主義との対比では、自由主義の優位性は明確だった。しかし自由主義が勝利し、敵がな くなったとき、人びとは自由主義の欠陥に不満を言い始める。無政府的な市場よりも政府の 介入による秩序ある社会を望むようになるのだ。
初期のハイエクは、自由は功利主義的な相対的価値ではなく、絶対的な道徳的価値だと主張 したが、自由がそれほど道徳的に望ましいものなら、人びとが市場原理主義や利己主義を嫌 うのはなぜか。ハイエクは、それを人間が数十万年のあいだ、狩猟や農耕のために集団で行 動してきた「部族社会」を維持する本能のためだという。
自由は、初期の彼が考えていたように人びとに好まれる自明の価値ではなく、それを維持す る制度的なインフラがなければ壊れてしまう、不自然で脆弱なメカニズムなのだ。したがっ て自由を守る闘いは、国家の介入を排除する積極的な自由主義になる。晩年は、「部族感 情」による国家の介入から市場を守るためのコモンローや議会改革などの制度を考えていた。
部族社会と市場を独特なかたちで組み合わせた「日本型福祉国家」は、今解体の危機に瀕し ている。高度成長期に社会の安定を支えてきた企業や地域社会などの中間集団が崩壊し、個 人が「原子化」しつつある。部族社会を解体する市場の力を肯定したハイエクは、「資本の 文明化作用」を肯定したマルクスと似ているが、それは本当に望ましいのだろうか。
本書は日本語で書かれたハイエク論としては出色で、特にハイエクの自由論における利己主 義と部族感情の葛藤を整理した手際は鮮やかだ。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| 東アジア の通貨・金融協力 | |
![]() |
村瀬 哲司 勁草書房 2007-02-20 売り上げランキング : 405086 < br /> Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 新自由主 義―その歴史的展開と現在 | |
| <
font size="-1">デヴィッド・ハーヴェイ 森田 成也 作品社 2007-02 売り上げランキング : 18462 おすすめ平均 ![]()
「新自由主義とは何か」を改めて考えるうえでAmazonで詳 しく見る by G-Tools | |
新自由主義という「現象」を喝破するマルクス主義の視点
昨年、ブッシュ政権から、いわゆるネオコン勢力が総退陣したことが一つの区切り感を与え たのか、このところ、新保守主義や新自由主義への歴史的反省を促す書物が目立って増えて いる。いまや世界中に浸透したこの政治経済思想が、今後数年のうちに大きく後退すること は考えにくいが、ならばなおのこと、現在の反省機運は貴重であろう。特に本書は、類書の なかでもおそらく最もユニークな位置を占める一書になるだろう。
著者ハーヴェイはもともと、計量分析を地理学に導入した経済地理学者で、その業績は地理 学における一つの革命と評されている。しかし彼はその方向での精緻化に満足せず、幾多の 変遷を経て現在ではマルクス主義の立場に立つ、最も活発な論客として広く知られている。 彼の批評は都市論、格差論、ポストモダニズム論と広範囲にわたるが、本書も期待に違わず、 新自由主義という「現象」への、包括的でかつ鋭利な解釈を提示している。
ハーヴェイは二つの視点を強調する。まず米英で起きたことは、金融資本を中心とする資本 家階級の勢力挽回策だったと喝破する。「階級」が時として「胡散(うさん)臭い」概念に なることは彼も認めているが、一九七〇年代のスタグフレーションが資産価値崩壊の危機意 識を醸成したこと、さらに所有と経営の分離を資本家階級の分裂と見たうえで、その再統合 の動きとして、ストックオプションやさまざまな経済学説を解することなど、その着眼はや はり鋭い。
他方でハーヴェイは、経済地理学者ならではの視点で、東アジアやラテンアメリカに新自由 主義が浸透したことの意味を問う。特に中国の分析は、本書の白眉といってよい。中国共産 党が、いくらなんでも資本家階級の育成を国是にはできまいと思うわけだが、だから外資を 活用しているのだと説かれると、なにかゾッとするような説得力を感じる。
新自由主義の本山であるモンペルラン協会を、ワルラス系統の新古典派経済学信奉者とする 点などはやや正確さに欠けるが、実感なき景気回復のゆえんにもかかわる時宜を得た一書で ある。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2007年4月7日~6月30日 )
| 日本国の原則―自由と民主主義を問い直す | |
![]() | 原田 泰 日本経済新聞出版社 2007-04 売り上げランキング : 126940 おすすめ平均 ![]() 「自由と民主主義」の伝統を尊重するという原則 「失われた十数年」においても「失われていないもの」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
歴史や哲学にまで視野を広げ論じる日本国にとっての自由
本書は現在、論壇で精力的に執筆活動を行なっている著者の最新論考である。本書のタイトルにあるとおり、内容は経済に限らず、政治、文化、歴史、哲学を縦横に織り込んだきわめてユニークな日本論になっている。
アカデミズムの世界では専門領域の蛸壺に入り込んで、なかなかそこから抜け出せないのが普通であるが、著者はもともと経済企画庁で日本経済全体を見渡すことを仕事としてきており、また個人的な興味からか、歴史も古典から現代書までを自由に渉猟し、分野を超えた議論をすることにいささかの躊躇も見られない。
本書の主張は、自由こそが国家発展の鍵であり、自由を保証するかたちでの民主主義の維持が、日本国にとって最も重要だということである。それさえ確保できれば、少子化になろうが、地域紛争が勃発しようが、なんとか対応していけるだろうという建設的な楽観論で貫かれている。
全体的な歴史的、政治的判断はきわめてオーソドックスでありバランスが取れている。たとえば、日本軍が満州国で行なったことは、日本国民の貧困を救済する意味でも、東北中国の発展に寄与するという意味でもまったくの失敗であったと手厳しい。一部の歴史学者による満州国およびその統治機構を礼賛するような修正主義にはいっさい与していない。著者は教育についても「型」を身につけることが大切で、個性やゆとりは「型」を突き抜けたところにしかありえないと指摘しているが、これも、まったく同感である。
著者は自由が大切だとは言っているが、それは無制約に享受されるべきものであるとは言っていない。むしろ、人は制約を受けることで、そのなかで比較優位を見つけ、それに特化することで生きる道を見つけるべきだと主張しているように思う。日本国民は、島国で天然資源に恵まれず、地形的に平地は少なく、しかも自然災害の脅威にさらされている環境下で、土地の有効利用、貿易立国の必要性、教育を通した人的資本の重視などの生き方を、紆余曲折はあったにせよ、理解し選択してきたということであろう。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 新帝国主義論―この繁栄はいつまで続くか | |
![]() | 武者 陵司 東洋経済新報社 2007-04 売り上げランキング : 640 おすすめ平均 ![]() ワン・ワールド経済体制を解き明かした快著 武者陵司が書いた世界経済の見通しAmazonで詳しく見る by G-Tools |
旧来の経済学では説明不能な事象を読み解く新パラダイム
センセーショナルなタイトルだが、現在の世界経済を理解するための新しいパラダイムを提示するものだ。副題の「この繁栄はいつまで続くか」のほうが、本書の内容を的確に表しているだろう。
この数年、世界経済は高成長を達成し、同時に株式や債券などの金融市場は安定した展開を続けている。しかし、最近起きている経済現象のなかには、経済学の常識では理解できないことが多い。
たとえば、米国では高い経済成長が続く状況下、金利水準は低位で安定している。経済学の理論で考えれば、高成長を続けると資金需要が増大して、金利は上昇するのが本来の姿であるはずだ。
また、経済が堅調に推移する日本や米国で、企業部門が資金余剰となっている。これも、今までの経済の常識とは違う。経済活動が活発化すると企業部門で資金需要が拡大するため、企業部門は借り入れを行なって資金需要を賄うはずだからだ。
著者は、こうした疑問に答えながら、現在の世界経済には新しいパラダイムが生成されているとの主張を展開する。そのパラダイムとは、「途上国での生産性の飛躍的向上」と「労働力の不等価交換による先進国での超過利潤」によって、世界全体を包摂する新しい経済のメカニズムだ。
BRICsをはじめとする新興国に安価で豊富な労働力があるため、それを有効に活用するグローバル企業には超過利潤が発生し、多額の資本が蓄積する。またグローバル企業は、投資効率の高い新興国への設備投資を積極化させることで手元のキャッシュを温存することが可能になった。
この超過利潤を原資として世界の金融市場に潤沢な流動性がプールされ、株価を上昇させると同時に、金利水準を低位で安定させることが可能になると分析する。
「ドルの価値は安定している」という主張など細かい点については、見解を異にする専門家もいるだろうが、同氏の主張全般には相応の説得力はある。問題は、日本の金利の引き上げなど、世界的に流動性の減少が予想される状況の下で、「新帝国主義」のパラダイムの寿命がどれほどかという点だ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 現代中国の経済改革 | |
![]() | 呉 敬レン 日野 正子 エヌティティ出版 2007-03 売り上げランキング : 173892 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中国を代表する学者による経済改革のための冷徹な展望
中国経済の急速な発展と改革はいまや世界最大の関心事である。しかし、その歴史的変革をこれほど包括的に、詳細に、的確に、理論的に分析するという大作業が中国の経済学者によってなされていたことを、恥ずかしながら、本書を読むまで知らなかった。
著者は現在七七歳、「中国経済学界の良心」と呼ばれている代表的経済学者である。この大著は三部から構成されている。第一部は、中国の経済改革は何を目標として行なわれるべきかという問題提起である。それは社会的公正を追求し、共に豊かになることの実現を目指す市場経済の樹立であり、民間部門を底辺から成長させるための条件をつくり出すという有機的発展戦略が望ましいとする。
第二部は、この視点から農業、企業、民営化、金融、財政、対外関係、社会保障、マクロ政策という具体的な分野で過去三〇年の改革過程が検証される。そして第三部では上部構造としての社会、政治制度の改革が論ぜられ、著者の総括的な提言で締めくくられる。
本書の圧倒的な魅力は二つある。一つは、比較制度分析の手法で現実の事象を検討する理論構成の確かさであり、もう一つは、国の正しい発展を願う者だけが持つ勇気と率直さである。私が特に感銘を覚えたのは第一一章の「転移期の社会関係と政府機能」であった。ここでは経済改革と社会・政治改革との歪み、特に不平等の激化と、それと表裏する腐敗の進行が赤裸に冷静に語られている。著者は「錯綜する複雑な矛盾と経済社会危機の発生の可能性に直面する中国」とすら言っている。
読了して残された疑問も二つある。一つは、著者も最も案じている貪欲さの弊害は法治とか社会保障という制度改革で解消するのか。それとも、〓小平(トウ・ショウヘイ)が共産主義のイデオロギー性を破壊したことによって顕在化した中国社会の精神的空虚に根ざすものなのか。もう一つは、社会主義市場経済の理想実現と共産党独裁体制の崩壊は不可分なのか、である。
青木昌彦教授の監訳者イントロダクションはサマリーである以上に、提起する問題についての優れた論評になっている。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 市場を創る―バザールからネット取引まで | |
![]() | ジョン・マクミラン 瀧澤 弘和 木村 友二 エヌティティ出版 2007-03 売り上げランキング : 42867 おすすめ平均 ![]() 経済学にとって重要なことは何だろうか、それがわかった。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
高度で複雑な市場の不完全性を補う「見える手」の制度設計
アダム・スミスが市場を「見えざる手」と呼んだとき、それはニュートンの万有引力をつくり出しているのと同じ神の手だった。現代の経済学も、ニュートン力学をまねて物理的な「均衡」を実現する過程として、市場メカニズムを描く。
しかし、この比喩はミスリーディングだ。万有引力は、どんな条件でも同様に働くが、旧共産圏諸国で行なわれた市場経済化の大規模な「実験」は、経済学の「法則」が普遍的なものではないことを証明した。市場がなぜ機能するかを理解するには、それを支える制度を理解する必要がある。
本書は、こうした市場を支えるメカニズムを最近の経済理論を使って解説し、それを利用して市場を機能させる「制度設計」を考えるものだ。著者は、周波数オークションの設計も行なった米国の指導的な経済学者である。
市場が機能するうえで、第一に重要なのは情報だ。特に、ある財を誰が最も高く評価しているかという情報には、その人しか知らない「非対称性」があるので、これを回避する制度設計として、オークションが開発された。
もう一つ重要なのは、財産権である。ソ連や東欧諸国で社会主義が崩壊した後、市場を導入して国営企業を一挙に売却する「ショック療法」が取られたが、これはGDP(国内総生産)が半減するような経済の大混乱を招いた。財産権を保障するには、法律だけでなく、人びとが互いを信頼できる日常的な規範が必要なのだ。
著者は、市場も財産権も絶対的な価値とは考えない。それは人びとの生活を改善するための不完全な手段にすぎず、それ自体を目的とすべきではない。情報を「知的財産権」として過剰に保護すると、特許料が高いために感染症の患者に薬が届かないといった問題が生じる。こうした問題を解決するにも、政府が特許を買い上げる「見える手」の設計が必要だ。
本書の内容は、ゲーム理論や契約理論の解説だが、記述は具体的にやさしく書かれている。ただ学問的に新しい発見や深い思想が書かれているわけではないので、専門家にはもの足りないだろう。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| ドルはどこへ行くのか―国際資本移動のメカニズムと展望 | |
![]() | ブレンダン・ブラウン 田村 勝省 春秋社 2007-04 売り上げランキング : 20945 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アメリカは巨額経常赤字でもドル暴落はないとする立脚点
アメリカ経済が微妙な局面に入っている。
公式発表では、アメリカ経済は依然緩やかな成長局面にあるというが、成長率の減少自体は否定しようがない。特に懸念されているのがGDP比六%を超える経常赤字で、これを世界からの資本流入が支えている。その額はまさしく巨額であって、皮肉というべきかニューヨーク株式市場は連日「歴史的な」活況を報じている。
これをアメリカ経済の強さの証しと見るか、弱さの裏面と見るか。エコノミストの論調も真っ二つである。正統派であれば経常赤字の持続を困難とし、ドルと株価の暴落を恐れるだろう。ところが本書は、経常赤字は当分持続可能であるという。
本書は単なる楽観論の書ではない。経常赤字・貯蓄不足の国があれば、他方に必ず経常黒字・貯蓄過剰の国がある。言うまでもなく日本、中国、中東諸国などである。この過剰貯蓄は、金利が高くリスクプレミアムが小さいアメリカに、今のところ流れざるをえない。
むろん、円からユーロなどへも資金は流れるが、ユーロからさらにドルへ資金が流れるから、これはターンテーブルに乗せたようなものだと著者は言う。かくして経常赤字があってもドル高は続き、経常黒字であっても円は下がってゆく。ゆえに為替による不均衡調整はもはや期待できず、経常収支を変化させるには世界の需給構造が変化するしかない。これは当然アメリカ一国で動かせるものではないから、ゆえにアメリカの経常赤字は当分持続せざるをえないという結論になる。アメリカ経済をアメリカにおいて見るのではなく、世界全体の経済構造のなかにはめ込んで理解しようとする点に、本書の特徴がある。
多国籍企業が一般的になった現代において、本書のように資本移動を「国」単位で分析する姿勢には批判もありえよう。とはいえ、個々の経済行動を全体的な構造制約のなかでとらえようとする姿勢は、古典的ともいえる一方、グローバリゼーションのなかでかえって現実味を増しているのかもしれない。そうした点も含め、示唆に富む内容豊かな一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 日本語は天才である | |
![]() | 柳瀬 尚紀 新潮社 2007-02-24 売り上げランキング : 1084 おすすめ平均 ![]() Where there is a will, there is a way この人なかなか根室の曲者ですAmazonで詳しく見る by G-Tools |
天才翻訳家が喜々として語る日本語の底知れぬ奥の深さ
このところ「日本語もの」の出版が多い。それだけ日本の言語状況に関する危機感が強いということだろう。結構なことだ。ただ、それに乗じて、復古調の言論管理の世界に読者を引き込もうとする下心を感じる面もある。
しかしながら、本書は違う。
天才的な翻訳家が日本語の天才性について語る。じつに相性のいい組み合わせだ。この組み合わせが繰り出す言葉の綾は、機知と警告に富んでいる。
その機知によって、不可能と思われる表現が可能となる。まさしく、この著者の辞書に不可能の三文字はない。
言葉の遊びを他の言語に移し替えることは至難だ。それを成し遂げる過程の苦労話と成功物語を披露するとき、本書の語り口は歓喜に満ちている。
著者と言葉は本当に仲よしだ。仲よしであるだけに、言葉の退化に関する警告は機知に彩られた辛らつさがある。
最も目を引くのが次のくだりだ。
「……そもそも本は背伸びして読むものではないでしょうか。……だから本を読むと、使う言葉も背伸びしたものになる。一段上の言葉を使うようになる。そうして言葉が成長するわけです」
言葉とともに高みに飛翔する。まさにそうして人間の知性は開花していくのだと思う。ところが、今はむしろ言葉の花の芽を摘もうとする世の中だ。
わかりやすさの恐ろしさが世界中に充満している。言語的背伸びから尻込みし、それをやめさせようとする世の中だ。
圧制者は人びとから言葉を奪う。言語浄化政策は恐怖政治の常套手段だ。
その究極の世界を小説化したのがジョージ・オーウェルである。彼の代表作『1984年』には、辞書を薄くすることが仕事の官僚集団が登場する。「明るい」の反対が「暗い」である必要はない。「明るくない」でいいじゃないかというわけだ。
そんな国では、本書の著者は真っ先に非国民のレッテルを張られてしまうだろう。カタカナ語好きの某国総理大臣にも、すでに嫌われているかもしれない。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 渡辺崋山 | |
![]() | ドナルド・キーン 角地 幸男 新潮社 2007-03 売り上げランキング : 9099 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
肖像画の写実性に触発され西欧に目を開いた“家老画家”
渡辺崋山は、江戸時代末期に肖像画というジャンルを創造し、西欧文明の理解に努め、それゆえに幕府の鎖国政策を批判し、罪に問われ、一八四一年、自決という悲劇的な最期を遂げた。明治維新のわずか二七年前のことである。
崋山が描いた肖像画を見ると、人物の内面までをも映し出す写実性に心を奪われる(本書には崋山やその弟子の椿椿山の描いた肖像画、崋山が市井の人びとや風景を描いた絵が多数収録されている)。
日本史の教科書に出てくる源頼朝のような肖像画を見ていた人びとには、崋山の肖像画は衝撃的だったろう。崋山は、西欧の絵画に触発されて、まったく新しい日本の肖像画というジャンルを切り開いたのだ。
西欧の写実に感銘を受けた崋山は、その文明の本質を知りたいと思い、西欧の書物を集めた。すでに壮年に達し、小藩ではあるが、家老として多忙を極めていたので、自ら語学を学ぶには至らなかったが、蘭学者に翻訳をさせ、西欧文明を学んだ。その理解には、もちろん限度もあったが、西欧社会の優れた面を的確に指摘し、日本の改める点を述べていた。
崋山は、知的異端者でも奇矯な改革者でもなく、忠孝を尊ぶ封建道徳のなかに生き、伝統的教養人であり、家老として仁政を敷き(飢饉において餓死者を出さなかったという)、ゆえなく問われた罪が主君の迷惑になることを恐れて見事に切腹して果てた。
江戸時代には、すでに知的な人びとのサークルがあり、崋山にとっても、そこでの付き合いは啓発的だった。また、家老であるよりも芸術家になりたいとも思っていた。家老の収入よりも、画家としての収入のほうが多かったようでもある。その点では、江戸時代には市民社会が成立していたといってもよい。
完璧に封建道徳をまっとうしながら、それに疑問を抱き、写実画を通して西欧文明の本質をつかんだ。そんな人間の悲劇的な生涯は魅力に溢れてもいる。このような人びとがいたからこそ、日本は明治時代を迎えることができたのではないか。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| ファミリービジネス 永続の戦略―同族経営だから成功する | |
![]() | デニス・ケニョン・ルヴィネ ジョン・L・ウォード 富樫 直記 ダイヤモンド社 2007-01-27 売り上げランキング : 9051 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
最先端の経営戦略とは正反対 ファミリー企業を見直す視点
戦後の日本の企業経営は終身雇用やメインバンク制度などの長期的契約関係に特徴づけられてきたが、過去一〇年に、成果主義や年俸制度、間接金融から直接金融へと向かい、企業価値の最大化を目指す米国流の経営手法を受け入れつつあるという印象を与えてきた。そのなかで、ライブドアなど、株式市場の期待をテコに増資による企業買収を繰り返して急成長を遂げた企業がもてはやされた。
しかし、少し考えればわかるように、消費者が必要不可欠とするような財やサービスの提供を独占的に行なっているならともかく、同業他社がたくさんあって、それほど特色もない企業は、買収を伴う株価上昇によって急成長しているように見えても、そこには必ず限界がくるはずである。
このような経営と対極にあるのがファミリービジネスの世界である。ファミリービジネスとはファミリー構成員が経営に参加し、それを継承していくことを前提としている企業経営形態を指す。実際、日本に二四五万社ある企業の九四%は同族企業で、上場企業でも四割はファミリー企業である。また、「フォーチュン」誌の選ぶ世界のトップ五〇〇のうち三分の一はファミリー企業であり、欧州連合の総生産の三分の二はファミリー企業によるものであるともいわれている。
ファミリー企業の業績が他の企業に比べて優れている理由として、(1)ファミリー企業は世代間のつながりを生かして多角化や垂直統合に積極的に取り組んでいること、(2)ファミリー企業はより長期的な戦略を持ち、負債は少なく、事業再投資率が高いこと、(3)ファミリー企業には実益をもたらす際立った企業文化があるということが挙げられている。
ファミリー企業は企業価値の最大化に加えて、企業の継続も経営目標に入れている。この制約が企業経営に健全性や先見性をもたらしているようである。
もちろん、ファミリー企業に問題がないわけではない。同族経営の甘さが露呈した例もある。それらの問題を認めたとしても、ファミリービジネスは今後、ますます注目されるであろう。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち | |
![]() | 広瀬 隆 ダイヤモンド社 2007-02-02 売り上げランキング : 6686 おすすめ平均 ![]() 日本版・赤い盾、そして一本の鎖 明治政府ってそういう実態やったとは・・・! 歴史観が覆されますAmazonで詳しく見る by G-Tools |
社会全体をも動かして得たエリート層の役割を考える
ノンフィクション作家である広瀬隆氏が書いた歴史書だ。タイトルの持丸とは、大金持ちを意味するが、その有力な金持ち=エリート層が、社会の発展のなかで果たした役割と、その歴史的な系譜を克明につづった書物である。
本書には、大きなインプリケーションが二つある。一つは、歴史の流れのなかで、人のつながり=血縁の流れを克明に提示していることだ。そのつながりが、あたかも川の流れのように、時間の経過とともに緩やかに継続しており、しかも、それが現代にまで続いていることを実感させてくれる。
こうした感覚を与えてくれる背景には、著者自身が、長い時間の流れのなかでの有力血縁同士の婚姻や養子縁組、幼少期から成人期までの姓名の変遷まで、じつに細かく調査していることがある。しかも、それを本の中で、わかりやすく図示する努力を行なっている。おそらく、本書の執筆には、多くの時間とエネルギーを要したことだろう。それは、本書の説得力として結実している。
もう一つのインプリケーションは、資産家が、政治、経済、文化、芸術など社会のあらゆる局面で、きわめて大きな影響を与えていることだ。資産家である有力者が、社会や自分たちの要請に基づいて政治、経済の方向性を規定することは理解できる。それに加えて、彼らの存在は、文化や芸術の分野にまで大きなマグニチュードを与えることになる。ルネサンス期のイタリアに、あれほどきらびやかな文化が集積したことを考えても、その重要性は十分に理解できる。
エリートという言葉は、わが国ではあまり好ましい語感を持たれていないが、欧米社会ではその必要性が当然のように扱われることもある。彼我には、歴史的な認識に違いがあるのかもしれない。ただ、社会がさまざまな方向に進化していくとき、能力と財力、行動力を持ち、社会のために進むべき方向を明確に提示することのできる人材は、どうしても必要のような気がする。エリートという言葉が悪ければ、他の呼称をつければよい。本書で扱われている持丸とは、そうした機能を果たした人たちなのではないだろうか。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| ハイエクの政治思想―市場秩序にひそむ人間の苦境 | |
![]() | 山中 優 勁草書房 2007-03 売り上げランキング : 45947 おすすめ平均 ![]() 評価は出来るけどAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「市場原理主義」を嫌う心理を五〇年前に予見したハイエク
資本主義と社会主義の対立は前者の勝利に終わり、福祉国家と新自由主義の対立は後者の勝利に終わったように見える。しかし「市場原理主義」や「格差社会」を批判する人は多い。自由主義の今後はどうなるのだろうか。
ハイエクは新自由主義の元祖として知られるが、訳本もほとんど絶版になり、過去の人と思われている節がある。しかし、ハイエクは五〇年以上前から現在の自由主義社会を構想すると同時に、その限界も予見していた。
社会主義との対比では、自由主義の優位性は明確だった。しかし自由主義が勝利し、敵がなくなったとき、人びとは自由主義の欠陥に不満を言い始める。無政府的な市場よりも政府の介入による秩序ある社会を望むようになるのだ。
初期のハイエクは、自由は功利主義的な相対的価値ではなく、絶対的な道徳的価値だと主張したが、自由がそれほど道徳的に望ましいものなら、人びとが市場原理主義や利己主義を嫌うのはなぜか。ハイエクは、それを人間が数十万年のあいだ、狩猟や農耕のために集団で行動してきた「部族社会」を維持する本能のためだという。
自由は、初期の彼が考えていたように人びとに好まれる自明の価値ではなく、それを維持する制度的なインフラがなければ壊れてしまう、不自然で脆弱なメカニズムなのだ。したがって自由を守る闘いは、国家の介入を排除する積極的な自由主義になる。晩年は、「部族感情」による国家の介入から市場を守るためのコモンローや議会改革などの制度を考えていた。
部族社会と市場を独特なかたちで組み合わせた「日本型福祉国家」は、今解体の危機に瀕している。高度成長期に社会の安定を支えてきた企業や地域社会などの中間集団が崩壊し、個人が「原子化」しつつある。部族社会を解体する市場の力を肯定したハイエクは、「資本の文明化作用」を肯定したマルクスと似ているが、それは本当に望ましいのだろうか。
本書は日本語で書かれたハイエク論としては出色で、特にハイエクの自由論における利己主義と部族感情の葛藤を整理した手際は鮮やかだ。【評者 池田信夫 上武大学大学院教授】
| 東アジアの通貨・金融協力 | |
![]() | 村瀬 哲司 勁草書房 2007-02-20 売り上げランキング : 405086 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
東アジア金融統合の可能性を冷静かつ的確な目で分析する
東アジアの通貨・金融協力というテーマは過去一〇年に国内外の経済論壇で最も熱心に議論されたものの一つであろう。本書は、その広汎な資料的価値、優れたまとめ方、そして的確な分析という点で、屈指の秀作である。
アジア金融危機とその後の域内貿易・投資の統合の進展という現実と、先行する欧州経済統合への追随願望という二つの動機に触発されて、このテーマは急速に活発化した。その結果、時として市場の実態とかけ離れてしまった議論が見られたことは否定できない。
本書はまず欧州通貨統合の制度的、機能的展開を大変要領よくまとめている。重要なことは、共通の歴史認識と、マクロ経済収斂と、強い政治意志と指導力だと指摘したうえで、具体的な課題として共通為替相場制度、信用供与制度と政策の相互監視制度の樹立を挙げる。これは正しい指摘である。
そのうえで、金融危機以後のアジアにおけるさまざまな通貨・金融協力の足どりと現状が分析される。この部分は多くの鋭い指摘を含んでいる。東アジアで現実に市場主導で貿易・投資・生産の地域統合が進んでいる以上、通貨・金融の統合も必要かつ望ましいことには異論はない。しかし、東アジアの政治経済の現状、特に欧州と比べての未成熟さを考えれば、その道程や速度はアジア自身の創意と判断で決められねばならない。
著者はアジア通貨・金融統合への具体的な工程表として、第一段階でドル・円・ユーロの共通バスケットの採用、それが不可能であれば、交換可能域内通貨で構成されるアジア通貨単位(ACU)の導入を提案する。この提案は大変興味深いが、本書の価値は提案そのものだけではなく、著者が提案実現のための具体的、現実的な環境整備が持つさまざまな困難について、冷静で的確な目を持っていることである。類書がほとんど触れない日本と中国の力関係や、日本経済の長期的視点が示されていることがよい例である。読者はアジア通貨・金融統合についてバラ色の夢を捨てることになるだろう。しかし、本当のところ何をしなければならないかを教えてくれる貴重な一冊といえる。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 新自由主義―その歴史的展開と現在 | |
![]() | デヴィッド・ハーヴェイ 森田 成也 作品社 2007-02 売り上げランキング : 18462 おすすめ平均 ![]() 「新自由主義とは何か」を改めて考えるうえでAmazonで詳しく見る by G-Tools |
新自由主義という「現象」を喝破するマルクス主義の視点
昨年、ブッシュ政権から、いわゆるネオコン勢力が総退陣したことが一つの区切り感を与えたのか、このところ、新保守主義や新自由主義への歴史的反省を促す書物が目立って増えている。いまや世界中に浸透したこの政治経済思想が、今後数年のうちに大きく後退することは考えにくいが、ならばなおのこと、現在の反省機運は貴重であろう。特に本書は、類書のなかでもおそらく最もユニークな位置を占める一書になるだろう。
著者ハーヴェイはもともと、計量分析を地理学に導入した経済地理学者で、その業績は地理学における一つの革命と評されている。しかし彼はその方向での精緻化に満足せず、幾多の変遷を経て現在ではマルクス主義の立場に立つ、最も活発な論客として広く知られている。彼の批評は都市論、格差論、ポストモダニズム論と広範囲にわたるが、本書も期待に違わず、新自由主義という「現象」への、包括的でかつ鋭利な解釈を提示している。
ハーヴェイは二つの視点を強調する。まず米英で起きたことは、金融資本を中心とする資本家階級の勢力挽回策だったと喝破する。「階級」が時として「胡散(うさん)臭い」概念になることは彼も認めているが、一九七〇年代のスタグフレーションが資産価値崩壊の危機意識を醸成したこと、さらに所有と経営の分離を資本家階級の分裂と見たうえで、その再統合の動きとして、ストックオプションやさまざまな経済学説を解することなど、その着眼はやはり鋭い。
他方でハーヴェイは、経済地理学者ならではの視点で、東アジアやラテンアメリカに新自由主義が浸透したことの意味を問う。特に中国の分析は、本書の白眉といってよい。中国共産党が、いくらなんでも資本家階級の育成を国是にはできまいと思うわけだが、だから外資を活用しているのだと説かれると、なにかゾッとするような説得力を感じる。
新自由主義の本山であるモンペルラン協会を、ワルラス系統の新古典派経済学信奉者とする点などはやや正確さに欠けるが、実感なき景気回復のゆえんにもかかわる時宜を得た一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2007年1月6日~3月31日 )
| 報道被害 | |
![]() | 梓澤 和幸 岩波書店 2007-01 売り上げランキング : 11232 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
報道被害がなぜ起きるのかを権力との関係性から論考する
この欄で以前に『ジャーナリズムとしてのパパラッチ』という著書を取り上げた。イタリア人暴露記者たちの奮戦記だ。彼らの姿はじつに生き生きとしていて、豪放で伸びやかである。
それに対して、本書に報道被害の加害者として登場するメディア人たちのイメージは暗くて生気がなくて頑なだ。この違いはどこからくるのか。どちらが報道者たちの実像なのか。なぜ事件報道という一つの行為を、光の側面から見るとパパラッチ礼賛論になり、闇の側面から見ると報道被害の告発になるのか。
本書を読みながら、この疑問が頭の中をしきりに行き来した。そして、最終的には本書がきっぱり答えてくれた。それは光と影というような安直な話ではない。事の本質は報道と権力との関係にある。
権力と対峙する報道に影はない。権力に迎合する報道に光はない。著者はこの構図を法律家らしい厳密さをもって確認している。
奇妙なねじれにも気がついた。多くの報道被害は、メディアの過大な警察情報依存体質に端を発している。つまり、日本においてメディアと権力の関係はそれだけ近いことになる。
そんなメディアが引き起こす報道被害が数を重ねていけばいくほど、メディアに対する世間の目は厳しくなる。そして、世間の目が厳しくなればなるほど、近しい関係にあるはずのメディアに対する権力の統制志向が強まっていく。メディア側にとって、こんなに割に合わない話はない。甘く見られたものである。
この点とのかかわりで、次のメッセージが鮮烈だ。
「……多くの市民の中に広がるマスコミ不信。これをそのまま放置すれば、それは、メディアへの法的規制や権力的規制に対する寛容な姿勢へと傾斜してしまう危険性があるのではないでしょうか。このことを……民主主義の危機として捉えるべきだと筆者は強調したいのです」
まことに然りだ。日本のパパラッチたちに、民主主義の危機を跳ね飛ばす反骨魂を期待したい。本書こそ、強い味方だ。【評者 浜矩子●同志社大学マネージメントスクール教授】
| 江戸時代の身分願望―身上りと上下無し | |
![]() | 深谷 克己 吉川弘文館 2006-10 売り上げランキング : 101236 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
身分上昇というモチベーションも利用していた江戸時代の体制
江戸時代は、身分制度が強固で、能力があっても出世できなかった。それが明治維新で一挙に変わり、立身出世の世の中になったというイメージがある。
しかし本書によると、江戸時代に身分上昇が難しかったのは事実だが、身分上昇への願望は強く、またそれはしばしば実現されたという。
身分は細分化されていたから、農民から武士へだけではなく、武士のなかでも、少しでも上の身分へという願望があった。
幕末の外交を取り仕切った川路聖謨(としあきら)は、少しでもいい役に就きたいと運動する若い武士の事跡を好意的に書いている。川路自身も百姓から立身した武士であり、自分の努力を若い武士に重ねているという。将軍や大名にとっても、国を治めるために有能な人間の登用は必要なことだった。幕藩体制を維持しようとすればこそ、世襲の枠にとどまらない柔軟な対応が必要になる。
幕藩体制とは、戦国の世に力を発揮した武士の子孫が世襲の治者となるという体制である。しかし、彼らが平和な時代の治者として有能というわけではない。体制を維持するためにも、身上がり願望を持つ有能な人びとを取り立てていくことが必要だった。
もちろん、身上がりだけが人びとの望みではなく、農業研究者や商人になることを選んだ武士もいた。殿様の娘をもらいながら逐電した武士もいたという。身分に執着しながらも、上下(うえした)なしという民衆の願望も生まれていた。
体制が危機になれば、なおさら能力を重視する必要性が高まる。幕末の新撰組とは、戦国武士の子孫たちの軍事力が弱まったので、百姓から新たな軍事力を調達したということだ。新撰組に旗本身分が与えられたことが、その士気を高めたことは間違いないようだ。しかし、幕府は崩壊の危機にあり、その身上がりにどういう意味があるかもわからなかった。新撰組は、それを承知で命をかけたという。新撰組は身分制度の崩壊を象徴するものだ。
身分に焦点を当てることで、江戸時代の多様性が明らかになっている書である。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 遠距離交際と近所づきあい 成功する組織ネットワーク戦略 | |
![]() | 西口 敏宏 NTT出版 2007-01-25 売り上げランキング : 13561 おすすめ平均 ![]() あらゆる企業人、官僚や政治家にも熟読していただきたい名著 日中英の代表的経営をネットワーク論の視点から捉えた名著 久しぶりの好著Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ネットワークの最新理論で読み解く問題解決の組織論
本書は世界中の製造業におけるサプライヤー関係の実地調査を過去二〇年間にわたって、精力的に行なってきた著者が、スモールワールド理論に刺激を受けて、著者の経験を基に書き下ろした、近年希に見る刺激的な経営学・組織論の研究書である。経営者に限らず、一般読者も十分に楽しみ、かつ学習できる内容になっている。
とりわけ評者がお薦めしたいのは、中国からイタリアにまで飛び出した温州人たちのネットワークの形成とその意味をスモールワールド理論から説き起こした第一章、アイシン精機の火災事故からただちに立ち直ったトヨタ自動車の下請け企業集団の結束力と問題解決能力について熱く語っている第四章、英国防衛調達庁が装備調達をいかに民間のベストプラクティスを吸収して効率化したかを解説した第八章、そして、日本の防衛庁(当時)の防衛調達過払い事件に端を発する防衛調達改革に関与しながら、日本政府の改革問題にまで踏み込んだ第九章である。
なんらかの問題が起こったときに、それをうまく解決する方法は、近所の仲間の助けと、遠く離れたところにいる専門家の協力にある。近所付き合いだけでは、新しい発想は生まれてこないし、でたらめに助けを求めても、本当に解決方法を知っている人に出会う確率はかなり低いだろう。遠くの専門家を探す方法は、偶然に頼るのではなく方向性を持った探索に基づくべきであろうし、近くの友人とも信頼関係ができていなければ、本当に困ったときの助けにはならない。そして現実には友だちの友だちが問題をいともたやすく解決してくれたりする。これを「世間は狭いね」ということで片づけるのではなく、その背景には、信頼に裏打ちされた「近所づきあい」と適度にランダムな「遠距離交際」の柔軟性の高いネットワークが織り込まれた「スモールワールド」があることが明らかにされてきたのである。
著者の切り開いたのはスモールワールド理論家の描いた世界をはるかに超え、現実に裏打ちされた社会科学の豊穣かつ深遠な新世界である。お薦めの“逸冊”である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか | |
![]() | リチャード クー Richard C. Koo 東洋経済新報社 2006-12 売り上げランキング : 59004 おすすめ平均 ![]() 条件付きで★5つ 経済がわからない人の為の経済学の本 経営者のはしくれとして共感をもったAmazonで詳しく見る by G-Tools |
企業のバランスシート毀損から不況のメカニズムを解明する
本書は、リチャード・クー氏が二〇〇三年に書いた『デフレとバランスシート不況の経済学』の発展版だ。主な内容は、氏が以前から主張してきた、“バランスシート不況”にかかわるロジックだ。一九九〇年代初頭のバブル崩壊以降、わが国が経験した長期経済低迷の主な原因は、“バランスシート不況”であることを、前書より発展的に論証することを意図している。
今回、クー氏は、詳細なデータや参考文献を引きながら、より体系的な主張を展開している。バブルの局面で、借入金によってギアをきかせた経済主体が、バブル崩壊による資産価格の大幅な下落=デット・デフレに見舞われて、経済活動の機能を極端に低下させたことは間違いない。また、そうした苦い経験が鮮烈な学習効果として頭の中に残り、“羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く”状況を現出したことも確かだろう。それが結果的に、経済全体の有効需要を低下させ、バブル期の過剰投資による供給能力とのギャップが拡大することで、日本経済は長期低迷を余儀なくされたという論理だ。
一連の経緯を客観的に見ると、大規模なバランスシート調整の過程では、金融政策の機能が十分にワークしないことが考えられる。その点においては、クー氏の言うとおりだろう。
一方、金融政策の運営方法によっては、バブル発生を防いだり、発生を加速したりすることがあるのも確かだ。
八〇年代中盤、プラザ合意に基づく円高局面で、日本銀行が注入した多額の流動性が株式や不動産市場に流入して、資産バブルをつくったことは記憶に新しい。また、バブル崩壊の局面で資産価格下落の速度に影響を与えることを通して、経済をソフトランディングさせることも考えられる。二〇〇〇年代初頭、ITバブルが崩壊した米国で、グリーンスパン議長(当時)率いるFRB(米連邦準備制度理事会)が、迅速かつ積極的な金利の引き下げによって不動産価格を上昇させ、株価下落の“負の資産効果”を、不動産価格上昇の“正の資産効果”で打ち消し、米国経済のソフトランディングを成功させた例もあるのだ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 60年代って何? | |
![]() | 石川 好 岩波書店 2006-11 売り上げランキング : 259739 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ラヴ・アンド・ピースの言葉が持つ重みを軸に描く米国現代史
一九六〇年代の米国というものは、それを知る者にとってなんとも表現の難しい、複雑で、しかも濃密な感慨を呼び起こす存在である。六三年に起きた米国民の希望の星ケネディ大統領暗殺という衝撃的事件は激動の世代の不吉な予兆であった。
だが、この時代の混沌のエッセンスを最も象徴的に表現したのが全米の大学に多発した学生運動である。学生たちが掲げたスローガンは「ラヴ・アンド・ピース(性の解放と反戦)」だった。著者はこのスローガンの歴史的な意義を強調する。それはすなわち、権威主義に対する猛烈な嫌悪感であった。学生たちは、民主的な市民社会を持っているはずの米国にも権威主義が横暴に君臨していることを感じ取った。その象徴が、伝統と宗教による性の抑圧であり、政府が勝手に自分たちを死に追いやる戦争だったのである。この分析は鋭く正鵠を射ているというべきだろう。その時期を米国の大衆のなかで過ごした著者ならではである。
本書のおもしろさは、六〇年代の分析にとどまらず、六〇年代の出来事がどのように米国の現在と将来にその影を色濃く残しているかを説得力をもって語っていることにある。六〇年代の学生運動を主導したのは、第二次大戦直後に生まれたいわゆるベビーブーマーであった。そして、クリントン(民主党)とブッシュ(共和党)という二人の対照的な大統領はベビーブーマーなのである。
クリントンは自らも徴兵回避したり、六〇年代の学生運動でドロップアウトしたシリコンバレーのベンチャー企業家たちの支持を得たりしていて、六〇年代ラヴ・アンド・ピースのOBめいた面影を持っている。対するブッシュは、九・一一のテロを契機に、ラヴ・アンド・ピースとは正反対な、伝統的道徳観の尊重、民主化のためには先制攻撃も辞さない軍事外交を推進している。
六〇年代以後の米国現代史を生き生きと描いているその目は冷静で鋭いが、同時に、出世作『ストロベリー・ロード』以来の、人間味のある視点が失われていない。米国を理解するための、類書にない価値を持った一冊である。
【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 経済停滞の原因と制度 | |
![]() | 林 文夫 勁草書房 2007-01-30 売り上げランキング : 60619 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「失われた一〇年」の本質を生産性低下に見出す実証研究
英語に「街灯の下で鍵を捜す」という表現がある。鍵を落としたところが暗いので、明るい街灯の下で捜すという笑い話だが、一九九〇年代の「失われた一〇年」をめぐる論争もこれに似ている。そこでは、なぜこのように長期にわたって不況が続いたのかという原因がわからないまま、インフレ目標などの対症療法が提案された。
これは本末転倒である。必要なのは、まず鍵をどこに落としたかを考えることであり、それには九〇年代の日本経済についてのミクロ的な実証分析が必要だ。本書は精密な実証研究を集めた三巻からなる論文集の第一巻である。一般向けではないが、日本のマクロ経済学の最新の到達点を示している。
中心的なテーマは、全要素生産性(TFP)だ。これは経済成長から資本・労働投入の増加を差し引いた生産性を示す指標で、技術進歩だけではなく、資本と労働が生産性の低い部門から高い部門に移動する効果も含まれる。
本書の結論は、九〇年代に日本の成長率が低下した主要な原因はTFP成長率の低下にあるというものだ。資本効率が九〇年代に低下したのは、債務超過なのに銀行からの追い貸しで生き延びた「ゾンビ」企業に資金が滞留したためと考えられ、労働生産性が低下したのは、長期雇用による「労働保蔵」で業績の悪化した企業からの労働移動が妨げられたためと考えられる。これらの仮説は、本書で実証的に確かめられている。
不況を長期化させた要因としては、九〇年代後半の信用収縮によるデフレと、それに対する日本銀行の対応が遅れたことも見逃せない。しかし、金融政策によってデフレを和らげることはできても、不況を止めることはできなかったというのが本書の結論だ。
長期不況の本質が生産性の低下にあるとすれば、バブル崩壊は資本・労働をIT産業などの成長性の高い部門へ移動して生産性を高めるチャンスだったが、不徹底な不良債権処理によって、日本はそのチャンスを逃してしまった。今後、成長率を回復するには、あらためて生産性の向上に取り組まなければならない。まさに「構造改革なくして成長なし」なのである。【評者 池田信夫 上武大学大学院客員教授】
| アメリカの終わり | |
![]() | フランシス・フクヤマ 会田 弘継 講談社 2006-11-29 売り上げランキング : 16664 おすすめ平均 ![]() ネオコンの適切な解説と優れた提言 「重層的多国間主義」の内実Amazonで詳しく見る by G-Tools |
生粋の新保守主義者が物した訣別宣言の基底に流れる思想
フランシス・フクヤマの新著である本書は、すでに多くのメディアで取り上げられているようだが、注目はやはり、フランシス・フクヤマの「ネオコン訣別宣言」に向けられているようだ。
確かに、本書においてフクヤマは、9・11後のブッシュ政権を完膚なきまでにたたいている。「ネオコン」はこれまでブッシュ政権の代名詞ともいえたが、アラン・ブルームの薫陶を受けたというフクヤマは、いわば生粋のネオコンサーヴァティヴ(新保守主義者)である。思想としてのネオコンを深く理解する彼にとって、現在のネオコンはそのまったくの逸脱者であり、これを諄々と説く前半部分には、群を抜く読み応えがある。
特に日本では、一九八〇年代に新保守主義(ネオコン)とリバタリアニズムがほぼ同時に言われ始めたせいか、二つを同じものとして扱う傾向がある。しかし、リバタリアニズムが最終的には国家を不要とする急進的個人主義である一方、ネオコンはグローバリズムの時代にあってもなお国家を重視する立場である以上、この二つは本来微妙な関係にある。本書は、米国の政権周辺で、リバタリアニズムとネオコンのあいだに微妙な勢力交替があったらしいことをにおわせている。米国の言動を見て、規制緩和から憲法改正までをひと続きの論理と思い込んでいる政治家がもしいるなら、本書を読んで事実を認識してほしい。
他方で疑問点も少なくない。フクヤマはブッシュ政権がネオコン思想を歪めて利用し、その結果、正統と異端の区別がつかなくなったというけれど、そういう展開が可能であったこと自体、正統ネオコンの思想に、ブッシュ政権的行動を生み出す要素が含まれていたことを示唆しないだろうか。あるいは正統ネオコンは原則として、安全保障における国際機関の効果に懐疑的だというが、これは「思想」だろうか。そのあたりの論理をもう少し知りたかったが、現状分析に議論が移ってしまったのはやや残念であった。
とはいえ本書の懸念は皆、今の日本にも当てはまる。討論の題材を多く含む重要な問題作である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 上海新風―路地裏から見た経済成長 | |
![]() | 谷口 智彦 中央公論新社 2006-09 売り上げランキング : 234538 おすすめ平均 ![]() 上海という街の履歴書である。 深い視点のエッセイ集Amazonで詳しく見る by G-Tools |
成長パワーが炸裂する大都市上海の素顔を路地裏から点描
ダイナミックな著者がダイナミックなテーマに挑んだ。本書を目にしたときの第一印象である。
著者は名うてのジャーナリスト転じて外務副報道官。外交・戦略問題が得意分野だ。アクの強い突っ込みと裏読みが鋭い。その彼が今をときめく成長パワー炸裂の上海を語る。そこで巻き起こる「新風」は、さだめし疾風怒濤の極彩色に満ちているに違いない。そう思った。読むほうも、元気なときでないとシンドイ読み物かな。そうも思った。
ところが、読み進んでみれば意外や意外、であった。ゴッホ的に分厚くて狂気の躍動感に満ちた世界が展開されるかと思いきや、そうではない。本書の筆致はむしろ点描画的である。さながらスーラだ。きめ細かくて、繊細でパステル調だ。
最後まで読めば、著者の上海紀行には、亡き父君の足跡をたどる側面があったことを知る。そのことが、本書のけれんみのないタッチににじみ出ている面があるだろう。そのように感じた。
同時に、じつをいえば、本書が醸し出す雰囲気こそ、上海の本質を突いているのではないかとも思う。向かうところ敵なき極彩色パワーの表看板は、その裏側に戸惑いと不安とノスタルジーを秘めている。それが上海なのかもしれない。本書がそれを思わせる。
著者が行く先々で出会う人びとはとても不思議だ。エネルギーに満ちてはいるが、どこか刹那的な危うさがある。自信満々の成長路線驀進(ばくしん)中という感じでもない。
思えば上海の歩みは数奇だ。華の租界時代から文化大革命下の抑圧時代へ、そして二一世紀の成長センターへ。歴史の巨大な振り子に大きく激しく揺り動かされ、翻弄されて今日に至っている。次に振り子が揺れるとき、彼らはどこに連れていかれてしまうのだろう。
その辺の不安感が、著者の敏感なセンサーに触れたのかもしれない。副題にあるとおり、本書の視点は路地裏にある。路地裏にこそ、人の営みの真相がある。これは世の常だ。ゴッホ的勢いに満ちた目抜き通りの裏側に、スーラ的はかなさの路地がある。それが素顔の上海か。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 日本近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス | |
![]() | 中岡 哲郎 朝日新聞社 2006-11 売り上げランキング : 23735 おすすめ平均 ![]() 見逃しそうな、、、Amazonで詳しく見る by G-Tools |
西洋技術を前にした職人が困難を乗り越える感動の道程
幕末の武士たちは西洋の黒船を見て、自分たちも同じものを造ろうと奮い立った。図面を取り寄せ、実際に蒸気船を造ってしまった。しかしそれは、なるほど蒸気船で、オランダ海軍士官を驚かせはしたが(読者も驚かれるだろう)、とうてい西洋の黒船に対抗できるようなものではなかった。
蒸気船を造ることに最も熱心だった人びとが、最も深刻に力の差を理解し、西洋からの購入を考えるようになった。しかし、その代金はどうするのか。
強兵を求めた幕末の武士たちは、黒船の背後にある富を理解し、技術と産業化によって国を富ますことを考えるようになる。そのため、身分制を打破し、能力ある人びとを活用する近代国家をつくらなければならないと知る。
明治の技術形成は、官営模範工場に代表されるように、上からなされ、それが成功したあとで民間に払い下げられたという説があるが、著者はそれを否定する。発展は払い下げ工場からではなく、民間の新しい工場によってなされたからだという。もちろん、模範工場が刺激を与えたこと、その失敗から学んだことは確かだが、成功は民間の工夫から生まれた。
本書は、技術の形成を産業ごとに、詳細に解剖する。言葉もよく理解できない職人が欧米に出かけ、彼我の差を理解し、何を導入することが、費用を賄い、市場を得ることができるかを的確に判断するありさまに驚嘆する。明治の在来産業には、手工業的製造過程に、西欧の小規模機械を導入しながら発展する戦略があったという。
近代技術を習得するうえでの幾多の困難を克服していく道程は感動的だ。この感動を味わうには本書を読んでいただくしかないが、一つだけ、標準化について記しておきたい。大量生産するためには、機械加工した部品をそのまま組み立てるのが基本である。ところが、日本では加工精度が低く、熟練工がやすりで削りながら組み立てていたという。これではトラックも飛行機も大量には造れない。夷狄(いてき)と戦うための黒船を自ら造って己の非力を思い知った幕末の武士が戦前にもいたら、無謀な戦争はなかったと思った。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 世界秩序の崩壊 「自分さえよければ社会」への警鐘 | |
![]() | ジョージ・ソロス 越智 道雄 ランダムハウス講談社 2006-10-12 売り上げランキング : 26915 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
世界最大の慈善活動家となったジョージ・ソロスが描く理想
本書は現在七六歳の投資家ジョージ・ソロスが世界の現状に対して警鐘を鳴らすべく書き上げたものである。ソロスといえば、巨額の利益を得てきたヘッジファンド投資家として記憶されているかもしれないが、いまやビル・ゲイツと並ぶ世界最大の慈善活動家でもある。
主題は彼が運営するオープン・ソサエティ財団を通したソロスの慈善活動の内容を紹介したものである。このオープン・ソサエティという概念は次のように要約できる。すなわち、われわれの知識は不十分なもので、また社会は多くの不確実性に満ちている、その結果としてわれわれは多くの誤謬を犯す、しかし、それは健全なことであって、その誤りを正して軌道修正すればいいし、それが認められているような社会を指している。
ソロスはこのようなオープン・ソサエティを理想として旧社会主義国や貧困にあえぐアフリカ諸国に多額の資金移転を行なっている。本書を読むと、ソロスが政府関係者あるいは民間団体と交渉し、『貧困の終焉』(早川書房)で描かれている経済学者ジェフリー・サックスが具体的な処方箋を書くようなプロセスが、多くの国で見られることに気づく。
世界の諸問題に対して世界基準の価値観を提示し、世界規模で解決に当たるという活動は、少し前なら国際連合、IMF、世界銀行などの国際機関、あるいは覇権国家米国が行なうということが常識であった。しかし、現在は経済的成功者が私財を投じて、政治家や官僚を通すことなく、しかも米国や受け入れ国政府の意にそぐわないような活動であっても支援できるようになってきたことを雄弁に物語っている。
実際、ソロスは「9・11」以来、米国社会が不愉快な現実から目をそらす「自分さえよければ社会」になってしまったこと、その結果として突入したテロとの戦争というアプローチを強く批判し、自ら代替策を模索している。
ソロスの慈善活動を見ると、日本で論じられている格差社会の議論で欠けている富者の社会的貢献とはいかにあるべきかという問題に目を開かされる。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 「反日」を超えるアジア―北京の目、ソウルの目 | |
![]() | 田中 直毅 東洋経済新報社 2006-11 売り上げランキング : 20768 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
克明に分析された東アジア史に見る日本の“風体”と力量
時宜を得た、わが国の将来への提言書だ。本書の特徴の一つは、過去の歴史を振り返るという丹念なプロセスを励行していることだ。
時間は単に流れ去るものではなく、積み重なって歴史を形成する。その歴史のなかで、人びとは、さまざまな観念をつくり上げる。観念が心の働きの一部である以上、合理的な理論をもってしても、簡単に氷解させることはできない。だからこそ、定着した観念は大切な要素になる。本書では、過去一〇〇年の歴史を振り返って、中国や韓国などのアジア諸国が、わが国をどのように見ているかを克明に分析する。
人は、自らの風体を鏡によって見ることができる。しかし、それは、あくまでも己の姿を見るのであって、他人がどのように見ているかを意味するものではない。グローバル化のパラダイムが浸透しつつある現在、わが国は、アジアや世界の諸国から、どのような認識を受けているかを考えることが必要不可欠といえる。
「米国をめぐる資金流の変化」や「中国が海外資産の取得に向かう理由」の項では金融実務家にとっても有益な視点を提示している。特に、現在の基軸通貨であるドルに関する考察は興味深い。一九六〇年代、“ドル不足時代”は終焉を迎え、“ドル過剰時代”へと突入した。それ以降も米国は基軸通貨たるドルを刷り続け、世界中から商品を買い集め、高水準の消費活動を継続している。このシステムは、グローバル・インバランスとして問題視されているものの、今のところ、それに対する具体的な処方箋は示されず、今後、世界経済にとって大きな不安要因になろうとしている。
最後に示された、「高付加価値製品の開発に見る活路」は示唆に富んでいる。少子高齢化が進展し人口減少段階に入ったわが国にとって、国際社会のなかで相応のポジションを維持するためには、デジタル家電のような付加価値の高い新技術を生み出すことが必須の条件になるという論理は、十分な説得力がある。問題は、わが国の教育が、長期的にそれを可能にする、能力的なインフラを提供できるか否かだろう。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| テキスト株式・債券投資 | |
![]() | 川北 英隆 中央経済社 2006-10 売り上げランキング : 6329 おすすめ平均 ![]() 投資のための教科書 ◎Amazonで詳しく見る by G-Tools |
投資の理論と実践的な指南の双方を兼ね備えた貴重な一冊
ちょっと大げさな言い方だが、これは近来まれに見る「貴重」な経済書である。
日本の証券市場や証券投資が米英のそれと比較して未熟であったことは否定しようがない。原因はいろいろあったろうが、基本的に日本では証券というものがなぜか企業活動の外縁で浮動しているもののように受け取られてきた。だからそれは優れて投機の対象になった。そうではなくて、証券は企業活動を支える基盤の一つだという認識が社会的になかなか確立されなかった。近年さまざまに努力は行なわれているものの、たとえば個人による株式保有比率は二〇%前後で低迷し、明確な上昇傾向は見られない。
本書は、著者が大学での講義ノートをベースにして、証券市場の解説と証券投資への理解を高めるために、大学生と若い社会人をターゲットに書かれたものである。従来、証券に関する本は、一部の理論書か大多数のいかがわしい投資指南書に限られていた。本書の強みは、そのいずれでもないことにある。証券市場の構造と機能について十分に理論的で、しかしわかりやすく解明してくれると同時に、そこから証券投資についての基本的で、しかも具体的な指針を示してくれるのである。私が「貴重」だと思うのは、まさにそのコンビネーションにある。
もっとも、本書が説く投資指針はセンセーショナルなものではまったくない。それは基本的に分散投資であり、著者も認めているように、「少なくとも大損をせずに、多少なりとも儲ける」ことを目指すというまことに「まとも」なものである。
この本を読んだからといって、デートレーダーがいなくなるわけではないだろう。市場というものの魅力と活力の源泉は、それがいつでも、長期的な理性的合理性の優位と、短期的逸脱を併存させていることにあるからである。しかし、日本で証券市場と証券投資をまともに育てていくために今最も必要なのは、まさにまともな投資家を増やすことだ。今まではそのための教室も教材もなく、本書はその欠落を初めて埋めるであろう貴重な一冊であると信ずる。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| イスラーム帝国のジハード | |
![]() | 小杉 泰 講談社 2006-11-15 売り上げランキング : 14585 おすすめ平均 ![]() イスラム理解への一助としてAmazonで詳しく見る by G-Tools |
宗教ではなく社会原理としてイスラムの歴史を理解する
米国の対イラク戦略は、完全に挫折した。反政府テロは「内戦」に拡大し、米軍撤退の展望も見えず、ラムズフェルド国防長官は更迭された。この最大の原因は、イスラムを非合理的な宗教として軽視し、経済援助をすれば簡単に欧米的な合理主義を移植できると考えたブッシュ政権の自民族中心主義にある。
その根底には、宗教は経済的な「下部構造」に支えられるイデオロギーであり、下部構造を変えれば社会全体が変わる、というネオコン(新保守主義)の発想がある。これは、彼らが(その出身母体である)マルクス主義から継承した思想だ。
しかし本書も指摘するように、イスラムは単なる宗教ではなく、「社会原理」としてのウンマ(共同体)を統合する、政治から日常生活に至るルールの総称である。イスラムがかつて民族を超えた大帝国を築くことができたのは、このような法的=精神的な結束の強さが、軍事的にきわめて強力だったからだ。
だが、こうした宗教的統合に依存した帝国は、大きくなり過ぎると求心力が弱まる。末期のオスマン帝国は、宗教も言語もバラバラだった。イスラムが衰退したのは、それよりも強力な軍事共同体である西欧の主権国家に敗北したからである。主権国家は、キリスト教から科学技術を分離して強力な武器を開発し、宗教に依存しない民族主義(ナショナリズム)によって兵士の士気を維持した。
今日、アラブでイスラムが再び勢いを増しているのは、民族主義が崩壊したからだ。イスラエルとの紛争に敗れてアラブ民族主義が分裂したとき、民族を超えて欧米世界への反抗を訴えるイスラムが、貧困に苦しむ人びとを束ねる唯一の社会原理として力を増してきたのだ。
だから、アル=カイーダを単なるテロ集団と考えるのは正しくない。その背景には、欧米諸国によって分断され、貧富の格差が拡大する中東の現状への人びとの怒りがある。これを是正することは、もちろん容易ではないが、著者の言うように、まず大事なのは彼らを理解し、対話することだろう。【評者 池田信夫 上武大学大学院客員教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2006年10月7日~12月23日 )
| 東京の果てに | |
![]() | 平山 洋介 NTT出版 2006-10 売り上げランキング : 22457 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
東京から多元性を奪っていった都市政策の根元問題を突く
かつて「都市の空気は、人間を自由にする」といわれた。都市は、理由はともあれ故郷を去った人びとが流れ着く場所であり、ゆえに多様な価値観が交錯し、多様な習慣の衝突があった。人は、そうした都市の「多元性」を、総じて「自由」と表現してきた。
では現在の東京は、都市の生命ともいえる「多元性」を、はたして大事にしているだろうか。
本書は、バブル崩壊後の都市政策が、東京から多元性を奪ってゆく過程を、丹念にかつ切実に説いてゆく。バブル崩壊後、住宅投資は景気対策の柱にされた。政府は、建設規制を次々に緩和し、容積率の拡大を認め、新設住宅にのみ有利な金利・課税優遇策を採った。
これを後押ししたのが、「危機と競争の時代」なるスローガンだと著者は言う。今の時代、人も都市もいつ淘汰されるかわからない、激しい競争時代を生き抜くためには、人も都市も変わり続けねばならない、という例の切迫感にあおられて、東京には、それだけで一個の都市足りうるような大型マンションが続々と建設された。そして、その上層階に住むことが、なんらかの成功を意味するかのような変な心理が、人びとの心を浸しつつあるという。
さらに、そうした住宅は、再開発指定区域などの、開発規制の緩やかな地域に集中する傾向があるため、過剰なほどの投資を呼び込める地域と、必要な更新投資すら進まない地域とに、東京はますます分断されるだろうと著者は予見する。あたかも都市空間に現れた格差問題のようだ。いやまさしく、格差問題と都市問題がじつは同根であることを、視覚的なイメージに訴えて気づかせようとしている点に、本書のユニークさがあると評者は思う。
景気対策とは、原則的にフロー政策である。その眼目に、機械設備よりもはるかに耐久期間の長い、住宅ストック形成を当てたことの矛盾は、やがて明白になるだろう。しかしそれ以上に、「自由」をうたった市場の時代は、人びとの住む都市をより多元的に、そしてより自由にしたのだろうか。その根本問題にあらためて目を向けさせる、時宜を得た一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 「伝える言葉」プラス | |
![]() | 大江 健三郎 朝日新聞社 2006-11 売り上げランキング : 10733 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
文体論の視点から読み解く教育基本法の根底にある思想
「初めに言葉ありき。」新約聖書の中のヨハネによる福音書が、この一節から始まる。言葉は神と人間とをつなぐ魂の絆だ。
現代の文学者たちのなかで、言葉へのこだわりと感受性が最も鋭利なのが、大江健三郎だと思う。その人の「伝える言葉」が本になった。
「伝える言葉」は「朝日新聞」に連載された著者のコラムのタイトルそのものだ。本書の書名に付け加えられた「プラス」の一語は、連載と同時期を通じて、折に触れて著者が語ったさまざまな別の言葉たちを指している。
「プラス」の部分の一つに、「教育の力にまつべきものである」という章がある。教育基本法改正問題について、著者が「憲法・九条の会」の支援者たちとやり取りした質疑の内容を軸に、この問題に関する著者の考え方が語られている。
卑俗としかいいようがないような性急さで、教育基本法改正案の国会通過がごり押しされていく。そのことがどのような結果をもたらすことになるのか。現行法と改正案との文言の違いは、実態的にどのような違いにつながるのか。魂からの言葉を発し続けてきた著者が、本書でその本質を解き明かしてくれる。
そのなかで、著者は現行の教育基本法、そして憲法の執筆者たちに思いをはせる。その人たちの家族のなかに、多くの戦死者たちがいたかもしれない。彼らは、「数多い戦争による死者たちへの思いとともにある人たちだった」に違いない。著者はそう考えている。
その人たちの「倫理観と未来への責任感」が現行教育基本法、そして憲法の言葉を「有機的に構築」している。それが著者の認識だ。その「有機的な文章の統一」に土足で踏み込み、そこにある理念を解体していこうとするのが、目下の教育基本法改正案だ。
言葉が言葉を破壊していく。このことの恐ろしさが本書からひしひしと伝わってくる。言葉の暴力とはまさにこのことだ。一つの文章の中に、以前にはそこになかった「国」というたった一つの言葉を挿入することで、すべてが変わる。神の言葉か悪魔の言葉か。今、われわれの理念が問われる。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活 | |
![]() | 岩瀬 彰 講談社 2006-09 売り上げランキング : 10786 おすすめ平均 ![]() 物価で見る戦前世相Amazonで詳しく見る by G-Tools |
戦前の中流サラリーマンは格好をつけて暮らしていた
戦前の日本とはどんな時代だったのか。ファシズムと戦争の時代とはいうものの、日中戦争が本格化するまで、日本人はなんとか楽しく暮らしていた。敗戦直後の日本の復興のスローガンは「昭和八年に帰ろう」だった。
戦前のことを書いた谷崎潤一郎や向田邦子の作品にわからないことがたくさんあるという著者が(評者もわからない)、戦前の生活感覚を理解するために書いたのが本書だ。
当時はすでに、郊外から都心に通うサラリーマンの生活パターンが確立し、お受験が過熱し、出世のノウハウ本が流行り、学生は勉強をせずにいい会社に就職することを望んでいた。
本書は、おカネ、衣食住、就職、サラリーと昇進、都市生活に分けて、戦前の生活を教えてくれる。どこを読んでも新鮮な発見に満ちているが、なかでも、戦前の奥様には驚いた。月給八〇円の若手サラリーマンに、家賃一五円、衣服費一五円(ほとんど婦人服である)の生活が推奨されている。月給一〇〇円がまあまあの暮らしとされているのだから、それに足りないサラリーマンの妻の衣服費が家賃と同じということだ。婦人の和服が身分制と一体になっていた戦前の社会では、そうするしかなかったという。
和服を着て、女中を雇い、御用聞きから買い物をするという生活に、日本の中流階級は収入の割に格好のつけ過ぎだという批判はあった。しかし、体裁が悪いということは絶対にまずいことで、そう簡単に変えることはできなかったという。
戦前は明治の学歴プレミアムが低下していった時代である。文官や会社員には第一次大戦のバブルの恩恵もあったが、軍人にはなかった。軍の将校は薄給に耐え、かつ、格好をつけた中流階級の生活をしなければならなかった。戦争をすれば手当てと出世でなんとかなる。戦争しないわけにはいかないという切迫感がわかる。
戦後の天皇の人間宣言は、社会の身分制秩序も破壊した。そして、格好をつけなくてもいい生活は、人びとを幸せにしたのではないかと私は思った。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| わたしを離さないで | |
![]() | カズオ イシグロ 早川書房 2006-04-22 売り上げランキング : 1029 おすすめ平均 ![]() 無慈悲で、残酷な世界 人は生きる、それぞれの「自分勝手な解釈」で 心が痛くて腫れ上がってる感じ・・Amazonで詳しく見る by G-Tools |
クローン人間の物語が問う生きることの根元的な意味
臓器売買による腎臓移植が発覚したかと思えば、さらに病気で摘出された腎臓までもが移植に用いられていたことが明らかになり、波紋が広がっている。確かに、日本移植学会の倫理指針では生体腎移植は親族間に限られており、第三者からの提供は原則として認められていない。当然ながら、供給される臓器は限られている。一方、腎臓病患者が血液をろ過するために人工透析を定期的に行なうことの負担は非常に大きく、腎臓移植を望む患者は多い。この根強い生体腎移植の要求に誰がどのように答えればいいのだろうか。
今回紹介するのは、現在最も高い評価を得ている作家の一人であるカズオ・イシグロの最新作である。テーマは臓器提供を前提としたクローン人間である。凡庸な作家であれば、臓器移植をめぐる医師と患者のやりとりや国家の倫理と人間の尊厳などについて書くのだろうが、イシグロはクローン人間の学園生活に焦点を当て、しかもクローン人間の話であることがほとんどわからないような筆致で淡々と物語を進行させていく。クローンヒツジであれば数年もすれば成長するだろうが、クローン人間は成人に達するまでに二〇年を超える年月が必要になる。また、感情もあれば知性もあるので、いずれ臓器提供者になることが運命づけられていたとしても、ある程度の情操教育を行なったり、健康維持を図ることが必要になる。
もし、われわれがクローン人間であれば、何を望んで生きていくだろうか。もし、クローン人間がきわめて優れた資質を持っていれば、臓器提供以外に、その資質を伸ばして人類のために貢献することは認められないのだろうか。そしてなにより、クローン人間は愛する人と新しい生活を始めることは許されないのだろうか。イシグロの想像力の世界の中で、われわれはクローン人間をどう受け入れればよいのかという切実な問題に迫られる。
われわれの目の前にある臓器移植の問題に底の浅い倫理観を振り回す前に、稀代の作家の手になるクローン人間の物語を静かに読んで、人間の業の深さや生きることの悲しみを受け止めてほしい。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 金融ビジネス論―お金の不思議から業界再編の行方まで | |
![]() | 富樫 直記 日本評論社 2006-09 売り上げランキング : 11695 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
金融機関を本質的に理解する四つの自己資本という考え方
本書は、日本銀行から金融コンサルタント事業に転身した著者による、新しくて、わかりやすい金融論だ。同氏は、日銀勤務時代に考査局や信用機構局、さらには英国駐在等を経験しているだけあって、視野の広い観察眼を持っている。扱っている分野は金融の基礎である貨幣の本質論から、リスク管理、ライブドア事件と多岐にわたっており、金融に関する知識を整理するのにも役立つだろう。
特に参考になったのは、金融機関の自己資本を、“会計上の自己資本”“経済上の自己資本”“時価総額”“規制上の自己資本”の四つの角度から見ることによって、自己資本の意味をわかりやすく説明している点だ。
貸借対照表に記載される自己資本は、基本的には簿価によって表示され、その金額が企業にとって事業開始時の元手資金であることを示す。しかし、その金額はあくまで、会計原則という特定のルールによって算定された数値であり、必ずしも、企業の利害関係者=ステークホルダーに有用な情報とはいえない。企業経営者にとっては、企業の公正価値(フェアバリュー)=経済上の自己資本のほうが、よほど役に立つ概念だ。
また、株式市場の投資家から見れば、時価総額が、重要なメルクマールとなるはずだ。さらに、金融機関にとって重要なルールであるBIS規制の観点からすれば、資本の中身まで考慮して算出される“規制上の自己資本”が最も大切な数値となる。
金融機関は私企業であるものの、その存在は公共性を帯びている。一九九〇年代後半の金融システム不安を思い返すまでもなく、経済全体に与える影響は大きい。金融機関に対する認識を高めるためにも、自己資本を四つの角度から見る方法論は相応の説得力がある。
ただ、その一方、かなり広範なトピックを扱っているため、著者の考えが読み取りにくい部分や、消化不良の部分があるかもしれない。著者自身、「これからの金融ビジネスは解のない世界に突入する」と述べている。“解のない世界”で、われわれがいかに対応することが必要か、より明確な提言が示されることを期待したい。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| トヨタ・レクサス惨敗―ホスピタリティとサービスを混同した重大な過ち | |
![]() | 山本 哲士 加藤 鉱 ビジネス社 2006-06 売り上げランキング : 101231 おすすめ平均 ![]() レクサスの苦戦は、高品質な車を安価で大量に提供するトヨタシステムにあるという分析 レクサス・・? 訳がわからない。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
レクサスの惨敗が暗示するものづくり企業の不吉な兆候
センセーショナルな書名に興味を引かれた。日本でのレクサス販売は売れ行きが芳しくないという新聞報道を読んだとき、どうして別会社にして、まったく新しいモデルを売り出さなかったのかなと素人考えで思った。その後、トヨタ車の大量リコールや米国現地法人社長のセクハラ訴訟のニュースが続いた。他方、ソニーの製品不具合も次々と話題になった。
正直にいって、ものづくり日本を代表するエクセレントカンパニーに次々と問題が起きるのはなにか不吉な兆候なのかといやな感じがした。そして本書がなにかその疑問に答えてくれるかと期待したのである。
残念ながら本書に示された答えは私には明快でなかった。著者たちも巷間で語られるいくつかの理由については十分に認識している。特に強調されているのが日米ディーラーの違いである。
米国レクサスが成功したいちばんの理由として挙げられている要因は、「レクサスという車体を売ったのではなく、新たなライフスタイルを提案・提供し、これまでのサービス経済に決別してホスピタリティ経済を実行するため、ディーラー・システムをまったく変えてしまったことにある」。そして、キーワードであるホスピタリティとは何かというと、「ホスピタリティとは美の経済そのもの。美のエコノミーを創造していくことなのだから」というわけである。
非常に明快な言いぶりなのだが、著者が描写する米国ディーラーの模様を見ても、実際に何がそれほど大きな日米の差をつくっているのかがいま一つピンとこない。結果的に、何故日本で「惨敗」したかはわからなかった。
しかし、著者がいくつかの興味ある問題意識を持っていることは評価されるべきである。日本国民が将来とも経済的・文化的に豊かな生活を享受するために「ものづくり」が果たすべき役割は何なのか。また、IT技術の発展を自動車産業はどう吸収していくべきなのか。日本製造業を支えるエクセレントカンパニーに死角があるとすればそれは何であり、いかに克服できるか、というテーマに著者が取り組んでいくことを期待する。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 | |
![]() | クリス アンダーソン Chris Anderson 篠森 ゆりこ 早川書房 2006-09 売り上げランキング : 398 おすすめ平均 ![]() 肩のこらないビジネス書 WEB2.0が齎しはじめた 新しい世界観 メディア関連の人は必読Amazonで詳しく見る by G-Tools |
すきま商品の集積から見える大衆消費社会の終わり
マーケティングの世界では、売り上げの八〇%を上位二〇%の「売れ筋」商品が占めるという「八〇対二〇の法則」がよく知られている。しかしインターネットの電子書店、アマゾン・ドットコムでは、三〇〇万以上ある本のうち、上位四万で売り上げの半分を占めるという。四万というのは、中型書店の本の在庫総数に匹敵する。残りの半分は、普通の本屋には陳列もされない「すきま(ニッチ)商品」の売り上げなのだ。
ランキングの高い順に左から右に商品を並べ、その売り上げを縦軸にとってグラフを描くと、本書の表紙に描かれているように、左端(ヘッド)に大きなピークがあり、右端(テール)が長く伸びる分布になる。これを著者は「ロングテール」と名づけた。
これは統計学では「べき分布」と呼ばれ、多くの経済現象に見られる。前に本欄で取り上げた『経済物理学の発見』(光文社新書)で述べているように、株式市場の値動きや個人所得もべき分布に従う。
だからロングテールは、本質的には新しい現象ではない。しかし、それが注目を浴びるようになったことは、二〇世紀型の大衆消費社会が終わり、インターネットによって著者の言う「ニッチ文化」が創造されようとしていることを示すのかもしれない。
これまで商品は画一的に大量生産され、それをテレビや新聞などのマスメディアで数百万人に宣伝して売る「マスマーケティング」が主流だった。しかしグーグル(世界最大の検索エンジン)の検索広告は、キーワードに関連する商品を紹介することによってロングテールの市場を創造した。それは消費者の潜在的な欲求が、想像以上に多様であることを示唆している。この多様性は、今まではマスメディアによって抑圧されてきたが、インターネットはそれを解放したのだ。
ただ本書は専門書ではないので、実際のデータがロングテールにどこまで近似しているのかについての統計的な検証は厳密には行なわれておらず、べき分布になる理由も分析されていない。それは経済学者の仕事だろう。 選択した文字列で記事検索します。【評者 池田信夫 上武大学大学院客員教授】
| 思想空間としての現代中国 | |
![]() | 汪 暉 村田 雄二郎 小野寺 史郎 岩波書店 2006-09 売り上げランキング : 188532 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
社会主義という言葉が持つ複雑な意味合いを解きほぐす
標題だけ見ると、現代中国思想の手頃な入門書などを想像するかもしれない。しかし、読者が実際に本書を手に取る場合には、そうした淡い期待は持たないほうがよい。本書は、気鋭の中国知識人による本格評論であって、読み通すにはそれ相応の覚悟がいる。それは難しいからではなく、評論のケタはずれの大きさが、読み手に緊張を強いるのである。
本書は「近代性」をめぐる五つの論稿から成る。しかし、評者の念頭について離れなかったのはむしろ「社会主義」の一語だった。現代の中国において、「社会主義」という言葉ほど複雑な言葉はないだろう。その幾重にも折り重なった意味合いを解きほぐすことが、今最も必要な思想的作業に違いない。なぜなら本書を読むと、そうした作業を経ない限り、たとえば天安門事件を歴史として語ることも、とうていできないことがわかるからである。
天安門事件は、既得権にしがみつく社会主義体制派と、民主化を求める反体制派との単純な衝突ではなかった。反体制派はじつは、自由化を求める人びとと、その自由化に伴う格差是正を求める人びとの二つの層を含んでいた。前者は今日の市場主義を先取りしているが、後者はむしろ、市場を導入し始めた国家体制に対して「社会主義」の刷新を訴えた人びとだった。つまり彼らは、体制にその「声」を代弁してもらえなかった「社会主義」者だったのだ。
その体制が今度は市場主義に移った。したがってかつての前者は、現代の「社会主義」によってその声を代弁してもらえるようになった。しかし後者には今度も代弁者が現れなかった。彼らのような存在が、現代の中国では「声」にならないのである。著者はここに、現代中国が「隠蔽」したものを見る。天安門事件はまだ終わっていないのだ。
「社会主義」の再考は「近代性」の再考に帰結する。欧米化とは異なる中国独自の近代化はありえたのか、またありうるのか。本書後半に展開されるこの問題は、そのまま日本の問題につながろう。なぜなら「資本主義」もまた、優れて思想的な現象だからである。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 野蛮(バーバリズム)の世紀 | |
![]() | テレーズ デルペシュ Th´er`ese Delpech 中谷 和男 PHP研究所 2006-06 売り上げランキング : 96323 おすすめ平均 ![]() 今を理解するに必読の書Amazonで詳しく見る by G-Tools |
過去を振り返らぬ人類には野蛮の未来が待つという警告
「暴力のグローバル化が始まっている」「暴力は陳腐化した」「幼児化した時代」。恐ろしい言葉の数々が、本書から飛び出して目に突き刺さる。退行する人類の知性に対する嘆きと怒りの書。それが本書である。
著者は政治と哲学の分野において最高級のキャリアを経てきた研究者だ。その彼女が今日の世界を考察し、未来に思いをはせた。そのとき彼女の眼前に浮かび上がったのが、「野蛮の世紀」の姿である。
人類の歴史とは、すなわち野蛮と未開からの飛翔の旅だったはずである。ところが、二一世紀に足を踏み込んだ今、われわれは野蛮への回帰を強いられている。なぜなのか。それは人類が過去を振り返ることを忘れたからだ。そう著者は主張する。
世の中に集団的記憶喪失症が蔓延している。近頃、そう思うことしばしばだ。安倍晋三新首相の意味不明な所信表明演説を聴きながら、その感を強めた。そんな今、本書の警告が恐ろしくも、心強い。
確かに、すべての世代がすべての世代の体験を記憶にとどめておくことは不可能だ。だが、記録にとどめておくことはできる。そのために歴史家が存在する。いみじくも、本書とよく似た観点から『短い二〇世紀の歴史』という著作を世に出したエーリッヒ・ホブスバウムが、歴史家は全人類のための記憶装置だと言っている。
せっかくの記憶装置から情報を引き出すことをやめてしまえば、人類は確実に幼児化し、凶暴化していく。本書が、それを情け容赦なく語りかけてくる。
本書は、まず一九〇五年を回顧し、それを踏まえて二〇二五年を展望し、最後に〇五年へと視点をあらためて帰着させる。二五年に向けては、バイオテロと宇宙戦争の可能性が示唆される。
それも怖いが、〇五年に関する言及が気がかりだ。戦後六〇年の〇五年において、著者は極東から「世界に不安をかきたてる」四つのメッセージが発せられたと言う。そのうち二つに日本が登場する。すなわち、「地域の安全保障に関する日本の発言の硬化」と「日中間の緊張の高まり」だ。安倍新首相必読の書である。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 奪われる日本 | |
![]() | 関岡 英之 講談社 2006-08-18 売り上げランキング : 962 おすすめ平均 ![]() 「アメリッポン」への道 これからの日本 必読!真の国益とは何かを教えてくれる名著である!!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
“権力の道化”たちがあわてて否定した主権在米経済の指摘
私は著者と違って「皇室の伝統をまもれ!」と叫びたくはない。だから、後半の第三部の主張についてはまったく賛成しないのだが、第一部と第二部の「主権在米経済」(小林興起)のひどさの指摘には、大いに共感の拍手を送る。
加藤紘一ら、日中友好派を「媚中派」などと非難する人がいる。ならば、小泉純一郎は「媚米派」だろう。その米国への“忠犬ハチ公”ぶりは苦々しき限りである。しかし、著者が説くように、そのカラクリは“小泉劇場”の観客には見えていない。
小泉がブッシュのポチなら、小泉のポチの竹中平蔵はポチのポチで、その竹中が著者を次のように切り捨てた。それこそ、根拠もなにもない欠席裁判。そうさせたのは“権力の道化”の田原総一朗である。田原はテレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、著者らの主張を取り上げ、竹中に「郵政民営化はアメリカが仕掛けたんじゃないか、特にアメリカの保険業界が簡保を民営化させたいということで、竹中さんはアメリカの要望にそって民営化したんじゃないか、特にそれがアメリカの年次改革要望書に出てると……」と問いかけた。ところが竹中はそれを「あまりに稚拙な妄想」と断定し、田原とこうやりとりする。
「マスコミがたいした根拠もなく、勝手におもしろおかしく書いているんだと、こういうたぐいですね」
「たいした根拠というか、なんの根拠もなく」
「なんの根拠もなくね。わかった」
米国政府の公式文書であり、インターネットで公開されている日本への年次改革要望書をこんなかたちで一蹴する。逆にいえば、竹中がいかに触れられたくないものであったかがわかるだろう。
このやりとりについて、著者は「こうした権力と報道のあられもない癒着ぶりに、私は昨今の我が国のとめどない退廃を感じる」と断罪している。
郵政民営化は、私に言わせれば「郵政米営化」だった。
著者は第四章の「医療――世界がうらやむ皆保険をなぜぶっ壊すのか」で、簡易保険、医療保険に続く米国の第三の標的は、日本の「共済」だと結んでいる。【評者 佐高信 評論家】
| 金融工学者フィッシャー・ブラック | |
![]() | ペリー・メーリング 今野 浩 村井 章子 日経BP社 2006-04-20 売り上げランキング : 129741 おすすめ平均 ![]() フィッシャーブラックにも紆余曲折があったのね。 工学者というより科学者じゃないかな タイトルがAmazonで詳しく見る by G-Tools |
資産運用に革命をもたらした経済学者の真実探求の生涯
本書は、ブラック=ショールズの公式で知られるフィッシャー・ブラックの伝記である。米国の金融革命は、企業の資金調達におけるコスト、株式のリターンとリスクの関係を理解することから始まった。ここから資産運用の革命的変化やデリバティブが生まれた。
実業の世界にいたブラックは、ファイナンス理論での業績によって学界に招かれる。そこで彼は、経済学にも革命を起こそうとする。中央銀行が人為的に金利を決定しても、トレーダーは、金利が高ければ資金を貸して利益を上げる。中央銀行は、通貨や債券のトレーダーが儲けたぶんを損するだけだとブラックは言う。
マネタリストにせよ、ニューケインジアンにせよ、この議論に同意できないのは明らかだ。ケインジアンは、人間が大規模かつ組織的に自己の利益に反する行動を取ると仮定するが、これは間違っていると彼は言う。
学界で衝突した後、彼は再び実業の世界に戻る。価格に歪みがあれば、人びとが自由に行動することによって正すことができる。それは自分の属する会社にとっての利益であり、また社会の利益である。だから、誤った政策によって歪みをつくり出している政府を出し抜くことは正義であると考える。
自分の関心のあることだけをして投資銀行の高給を得ていたブラックに対するやっかみがあったかもしれない。しかし、彼は真実を探求していただけだ。一九九四年、ノーベル賞経済学者も参加したロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)への参加を彼は断った。LTCMの投資戦略について、過去に一度も起きたことがないから将来に起きないと考えてよい理由はなにもないと判断したからだ。LTCMは九八年のロシア金融危機時に破綻する。
彼の考えた一般均衡理論は、経済学者からは拒否され続けた。経済学者の発想とあまりにも異なっていたからだ。しかし、死の直前、彼の学術論文集が出版された。
ブラックの生涯は栄光に包まれているが、結局のところ経済学者からの最終的な賞賛を、最も誇りとしただろう。彼は、真実の探求者だったからだ。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて | |
![]() | 鶴 光太郎 日本経済新聞社 2006-07 売り上げランキング : 4422 おすすめ平均 ![]() 良書ではない 全体をサーベイするには良いかも 読み応え有りですAmazonで詳しく見る by G-Tools |
経済全体を見渡す立場から示された改革の四つの原則
本書は長年、官庁エコノミストとして活躍してきた著者が、日本の経済システムを改革するにはどうすればいいのかという大問題に対処するために提示した処方箋である。
いわゆる従来型の官庁エコノミストはマクロ経済、とりわけ景気判断に関する部分的情報を用いて、当面の政策を提案することを主たる仕事とし、また過去の歴史的経験や偉大な経済学者の一節を引用しつつ自説を正当化することが多い。著者は彼らとは違い、一貫してシステムを理解することの重要性を指摘し、相互依存関係のなかで部分的に制度に変更を加えてもそれは機能しないことを多くの実例をもって示してきた。
本書も、蛸壺化した経済学研究のなかで、経済全体を見渡すような展望を与えようと、金融システム、コーポレートガバナンス、雇用システム、企業組織、政府統治といった本来個別に行なわれてきた研究を徹底的に読み込んで、著者独特の選択眼によって日本の経済システムの枠のなかに、あたかも巧緻なジグソーパズルのように組み込んだものである。実際、著者が引用している研究論文は組織論や契約論に基づく理論研究から、銀行行動や雇用に関する実証研究まで多岐にわたっている。
著者が日本経済のフロンティアを切り開く改革原則として最終的にたどり着いたのは次の四点である。(1)メリハリのない包括的な制度改革ではなく、成長への「ボトルネック」を特定し、それを除去する改革が必要であること。(2)市場経済が有効に機能するために、自由化、規制緩和、民営化などの制度改革と個々のインセンティブが整合的となるような「土台」づくりが必要であること。(3)改革の目標・理念が明確化されれば、それを実行する手法・道筋も多様であることを許容する改革であること。(4)不確実性の高い環境で新たな制度設計を行なうためには試行錯誤、実験志向的な改革を認めるべきだということである。
「失われた一五年」という大調整期を経て、新しい成長軌道に乗ろうとする今、本書で提示された考え方はきわめて有益な道標となるであろう。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2006年7月1日~9月30日 )
| 日本企業改革開放論―中国人の上司とうまくやれますか | |
![]() | T.W. カン T.W. Kang 東洋経済新報社 2006-08 売り上げランキング : 161719 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
脱亜入欧から和して同ぜずへ 体質改善がアジア進出の課題
著者のT・W・カン氏は、日本で生まれ育った韓国人。国で大学・大学院の高等教育を受け、米国のIT企業に勤務した後、経営コンサルタントとなった。この本は今後、日本企業が国際社会、特に中国を中心としたアジア社会の中で生きていくためには、いかに自分を変革する必要があるかを説いた啓発書である。
日本企業はかなり辛口ではあるものの、その言葉には傾聴に値する部分は多い。また、コンサルタントとして遭遇した実例や、それにまつわるエピソードがちりばめられており、相応の臨場感がある。
同氏の主張は、福沢諭吉の「脱亜入欧論」から始まる。「脱亜入欧論」とは、読んで字のごとく、日本はアジアから脱して、先進の欧米の仲間に入るべきとの考え方だ。
西洋文明に触れるのが比較的早かったこともあり、われわれはとかく、アジアの一員というよりも欧米並みの先進国の一人と考えたがる。しかし、日本は間違いなくアジア社会の一員だ。この思い違いから修正しなければならない。自分たちは違うと考えるから、他のアジア諸国に行っても企業活動がうまくいかないのだという。
しかも、日本企業は海外で経済活動を行なう場合、国内の慣例やカルチャーをそのまま持ち込むケースが多い。経営の意思決定は、すべて本社からの指示がないとできない。それでは、現地の事業展開に独自性を発揮することはできず、意思決定にも気が遠くなるような時間を要する。
その結果、中国などでは大手であっても日本企業に人気がない。「同業他社が海外に出たので、仕方なく出て行った」。その程度の認識の企業が多いからだろうか。
カン氏の処方箋は、日本企業は自分の考え方を明確に持って、「和して同ぜず」のカルチャーと組織をつくることである。他の人たちと和することは重要だが、だからといってすべてに同調する必要はない。自分の考えや価値基準で判断を行ない、しかも、独自の方法で事業展開を行なうべきなのである。最近、日本企業も少しずつ改革していると思っていたが、コンサルタントの目から見ると、まだ変革の速度が遅いようだ。【評者 真壁昭夫●信州大学経済学部教授】
| ファイナンス課税 | |
![]() | 渡辺 裕泰 有斐閣 2006-06 売り上げランキング : 9670 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
世界経済の急速な金融化で喫緊の課題となる課税問題
一九八〇年代以降、世界経済の金融化の流れのすさまじさには目を瞠らされるものがある。このような急速な金融化が起こった背景は、第一に世界的な国際収支不均衡、金融取引の国際化・自由化による流動性の急増であり、第二には情報処理技術の急速な進歩に支えられた金融工学の革新である。
金融取引の拡大と多様化は経済活動の実態を変化させ、それに伴って法律をはじめとするさまざまな制度的対応を必要とさせる。これら金融取引にどのような課税を行なうかは身近で、かつ喫緊の課題である。金融取引がますますクロスボーダー化していることを考えると、この問題は国際的なスタンダードを誰が支配し、誰が税収を確保するかという生々しい話になってくるからである。
本書はファイナンス課税というテーマについて、基礎的な問題意識からスタートしつつ、理論的かつ実務的な検討を行なうという日本では初めての試みに挑戦した力作である。刻々と進化する金融取引について幅広く最新の実態を取り上げているだけでなく、実際の判例や海外の状況についても適切で豊富な紹介が行なわれている。研究・解説だけでなく、実際に金融取引に携わるビジネスマンにとっても貴重な指南書として役立つであろう。
著者は国税庁長官としての経験を持つ一方、プリンストン大学で最新の財政金融理論を学び、現在は大学で教鞭を執っている、この分野での重鎮である。
ファイナンス課税というのは当然優れて専門的分野であるから、本書も素人が気楽に読めるというものではない。しかし、この本は早稲田大学大学院での講義をベースにしているため、受講者の関心が反映されており実務的理解がしやすくなっている。
ファイナンス課税は今後も発展を続けなければならない重要な国家的課題の一つである。そこで大切なのは市場参加者のニーズが十分に吸収されることであろう。そして当事者が適切で有効な声を上げるためには、現状と課題についての理解が必須である。この本が多くの実務者たちに読まれることはその意味でも望ましいことだ。【評者 行天豊雄●国際通貨研究所理事長】
| コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て | |
![]() | コルナイ ヤーノシュ Kornai J´anos 盛田 常夫 日本評論社 2006-06 売り上げランキング : 39204 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
激動の世紀に生きた経済学者の人生と社会主義の崩壊
よくも悪くも、二〇世紀の歴史を動かした最大の思想は、社会主義だった。それが間違いだったことも明らかだが、どこでどう間違えたのかは明らかではない。
一九二八年にハンガリーで生まれた著者の人生は、そのまま社会主義の歴史と重なる。本書は、一個人の自伝を超えて「経済学の目で見た二〇世紀」ともいうべき貴重な同時代史である。
著者は共産主義者として青春を過ごし、戦後はハンガリーの社会主義政権の下で、ナジ首相のスピーチライターも務めた。しかしハンガリーの民主化運動は、五六年にソ連の軍事介入によって弾圧され、著者は政治の世界を離れて研究者になる。
彼の学問的名声を世界的にしたのは、六〇年代に発表した計画経済モデルである。これはワルラスの一般均衡理論を社会主義経済に応用したもので、著者はそれを計算機に実装して経済計画を立てる実験を行なった。
しかし実験は失敗した。それは計画に明確な目的や厳密な予算制約がなく、情報が中央当局に報告されるとき政治的に歪められるためだった。ハイエクの言うように、市場の本質は社会全体に分散した情報を分散したまま使えることにある。つまり著者の実験は、社会主義を効率的に運営することは不可能だということを逆に証明してしまったのである。
したがって社会主義経済が破綻することを、著者は早くから予想していた。彼は、その非効率性の原因を「ソフトな予算制約」に求めた。これは国営企業への融資が焦げついたとき、政府が「温情主義」で追い貸しして融資がズルズルと拡大する現象で、日本の不良債権問題にも応用された。
ベルリンの壁が崩壊すると、著者の予想以上のスピードで社会主義は崩壊したが、それは過去の思想ではない。社会主義を意識して導入された「福祉国家」は、今でも先進国の政治を強く呪縛している。著者は、福祉国家が財政的に破綻する危機も迫っていると警告し、官僚統制による温情主義を批判する。社会主義の負の遺産はいまなお残っており、それを清算することは現代的課題である。【評者 池田信夫●須磨国際学園研究理事】
| バイオテクノロジーの経済学―「越境するバイオ」のための制度と戦略 | |
![]() | 小田切 宏之 東洋経済新報社 2006-07 売り上げランキング : 84723 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
二一世紀の基幹産業を初めて包括的に分析した“基本文献”
先駆的な業績というべき一書である。バイオテクノロジーと聞けば、誰であれ一般的なイメージは持っているし、この分野が二一世紀の科学と経済において先導役を果たすであろうことも、巷にいわれるとおりであろう。
しかし、では実際にバイオテクノロジー産業の現状はどうなっているのか、そしてどのような問題を抱えているのか、公的な政策支援はあるのか否かといった具体的な知識を得ようとすると、期待の大きさの割には、案外情報に乏しいと感じている人も多いのではなかろうか。本書は、まさしくこうした論点について産業・企業経済学の立場から、きわめて包括的に取り組んだ労作である。じつに情報量の多い本であって、この分野の基本文献に位置づけられることは間違いなかろう。
主な論点を見ると、まずは日本におけるバイオ産業の規模と広がりを整理し、次に大学等の研究機関と産学連携の実情、特許権の諸問題、ベンチャーその他企業形態の比較、アウトソーシングの現状などを分析し、さらに具体例として医薬品産業を取り上げ、米国との比較から日本の政策の遅れを指摘し、最後に残された諸問題を総括する。これだけでもその視野の広さは十分伝わると思うが、評者個人は特に特許権問題の分析に焦点を感じた。
特許とはそもそも、その権利保護とともに、当該技術の達成水準を公開させることで、無用な二重投資を避けさせることに意義があった。ところが、バイオの世界では大学を含め、ますます基礎研究的な部分に特許をかけるようになり、特許料が原因で有望な研究開発が次々に頓挫しているのが現状だという。これを回避するため、特許にかからないように同種の知識や技術を得ようとすれば、結局、特許によって回避したはずの二重投資を、ほかならぬ特許自身が招き寄せることになる。こうした矛盾に陥らない適正な特許制度はどうあるべきか。本書が提供している情報には、大いなる示唆が含まれているように思う。
豊富な情報のなかに一貫した問題意識を滲ませた、時宜を得た一書といえるだろう。【評者 井上義朗●中央大学商学部教授】
| 人口減少パニック | |
![]() | 高橋 乗宣 PHP研究所 2006-07-19 売り上げランキング : 36707 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
人口減少という恐怖の現実が日本にもたらす意外な変革
本書を読んでいたら、かの『タイムマシーン』という小説を思い出してしまった。H・G・ウェルズの筆になる例の元祖タイムトラベル物語だ。そのなかに、進化の頂点に達した結果、あとは退化していくしかない人びとの成れの果て集団が登場する。人口が減少に転じるとは、つまりああいうことかと、ふと恐怖に駆られた。
その恐怖の世界を、本書が精緻に網羅的に広角的に描き出す。
まず第一部で人口減少にかかわるさまざまな数値が検討される。ここでの視野はマクロ的だ。マクロ的な見地から、人口減少の意味するところが徹底的に解き明かされていく。
次いで第二部では、第一部の分析が生身の人間たちのドラマとなって出現する。この第一部と第二部との平仄の合い方がいい。そこにあるのは、マクロとミクロの出会いの醍醐味だ。
時節柄、人口問題を取り上げた書物は世に多い。そのなかで、本書に読み応えを与えているのが、マクロの視点の確かさとミクロのドラマの鮮烈さだ。
かくして、怖いテーマが徹底解析されていく。大いに暗澹たる思いにさせられる。だが、それだけではない。新たな進化につながる希望の道も、ほの見える。
なぜなら、本書には意外なメッセージが秘められているからだ。それは、人口減少という現実に直面したとき、人びとは建前では生きられなくなるということだ。移民受け入れ問題にせよ、育児休暇問題にせよ、養護にせよ、介護にせよ、孤独死にせよ。
これらの諸問題を、真正面から受け止めるのはつらいが、もはやそこから逃げられない。直面しがたきに直面するなかで、人びとは次第に共通の認識基盤を持つようになる。育児分担が進むにつれて、男女間の性差意識が消える。共存することにしか、共栄への筋道がない出会いのなかで、人種間の差別が消える。
いずれの場合も、終点までの道のりはなお遠そうだ。だが、そこに至る兆候が本書のなかに見え隠れしている。H・G・ウェルズが二一世紀にタイムトラベルして来たら、真っ先に読むべきは本書だ。【評者 浜矩子●同志社大学マネージメントスクール教授】
| 脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本 | |
![]() | 安達 誠司 藤原書店 2006-05 売り上げランキング : 6791 おすすめ平均 ![]() 歴史分析の意義 「通貨」で負けた日本、そして歴史は繰り返すのか? 現状分析の為にどうぞAmazonで詳しく見る by G-Tools |
近代日本デフレ克服の歴史を政策の分析を通じて検証する
本書は、明治以降の日本の経済政策を、「政策レジーム」間の競争という概念で分析する。「政策レジーム」とは、政策当局が目的とする経済成果とそれを実現するための手段の組み合わせである。
具体的には、大隈財政と松方財政期の欧米へのキャッチアップ期、井上財政から高橋財政期におけるデフレ脱出期、高橋財政から大東亜共栄圏期の政策をこの概念で分析する。これらはデフレ期を含んでいるか、デフレ期の経験が大きな意味を持っている。政策には、経済のみならず国際関係も含んでおり、戦争への途も分析の視野に入っている。
「政策レジーム」という広範な視野と、通説にとらわれない分析が、多くの発見をもたらしている。
松方財政期のデフレ時代に日本経済が整理合理化され、産業勃興期をもたらしたという通説に対して、本書は、大隈期の末期にすでにインフレは終わっていたという。松方期の発展は、銀本位制の採用が為替下落をもたらし、それが結果として輸出増大、正貨蓄積に結び付いたことによるという。
一九二〇年代の経済停滞については、デフレ政策の影響が大きく、決して日本資本主義行き詰まりの結果ではないという。当時のエコノミストが、キャッチアップが終わったと主張していることには驚く。当時の自動車や工作機械産業をみても明らかなように、欧米の新産業を必死に移植していた時代であるにもかかわらずだ。
現に、井上財政の後を受けた高橋財政のリフレ政策により、日本は力強く成長する。しかし、大東亜共栄圏レジームに洗脳された人びとは、満洲こそが成長の原因と誤解する。これが太平洋戦争へと続く悲劇の一因だ。
最終章では、明治初期から太平洋戦争期までの分析のうえに立って、九〇年代以降の「失われた一〇年」の原因とデフレからの脱却策を探っている。答えは、当然ながら、金融政策の発動となる。
構造ではなく、為替制度選択などの金融政策の失敗が、長期の停滞をもたらし、それがさらに、大東亜共栄圏のような誤った政策を呼び込むことを示す卓越した分析である。【評者 原田泰●大和総研チーフエコノミスト】
| 冠婚葬祭のひみつ | |
![]() | 斎藤 美奈子 岩波書店 2006-05 売り上げランキング : 27589 おすすめ平均 ![]() 社会学的アプローチによる情報本(かな) 膨大な文献を読み解き、「しきたり」「伝統」の怪しさを喝破する 必須の「マニュアル」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
家意識も死の悲しみも薄らぐ今どきの冠婚葬祭を考える
最近、結婚式や告別式に参加した人は、個人が表に出て、家の意識が消えてしまったスタイルに戸惑われたのではないだろうか。本書は、冠婚葬祭の一〇〇年の歴史をたどりつつ、現在進行中の「少子高齢化」あるいは「少婚多死」の下での結婚と葬儀の新しいあり方を考えてみようという趣旨で書かれたものである。
もちろん、本書は巷に溢れている「冠婚葬祭入門」のハウツーものではない。しかし、最新の冠婚葬祭をどう乗り切るかということを率直かつ辛らつに解説しているので、どうすればよいのか戸惑っている方にはお読みになることをお勧めする。
第一章で明らかにされているのは、家意識が薄らいできたというけれど、明治になるまでその意識に縛られていたのは武家と豪商ぐらいであり、人口でいえば二%程度であったこと、財産も名字も持たない農民や労働者が重視していたのは家より共同体、血縁より地縁であったことなどである。
第二章では最近の結婚式の新しい「しきたり」をひとしきり、辛口解説をしたあとで、結婚のかたちについて女流評論家ならではのコメントをしている。民法では「夫婦は、婚姻の際に夫または妻の氏を称する」と規定されているにもかかわらず、九六・二%の夫婦が夫の姓を選んでいる。長男長女ばかりの現在、本当にこだわらないなら、妻の姓を選ぶ夫婦が半分はいてもいいのに、この数字は何なのかと疑問を投げかけている。
第三章では「葬送のこれから」と銘打って、葬儀のノウハウを具体的に明らかにしている。いろいろと役に立つアドバイスのなかでも、次の点は特に重要だろう。すなわち、身内が亡くなった場合、小学生以上なら通夜、葬儀、告別式、出棺、火葬、収骨、精進落としまで通して付き合わせるべきだということである。
人の死が日常から隔離されている昨今、葬儀は死を身近に学べる機会であり、大切な人の死がどれほど人を悲しませるか、子どもや若者は知ったほうがいいということである。「勉強が遅れる? そんなことよりお葬式のほうが重要な勉強ですよ」。まったく同感である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学 | |
![]() | ゲーリー・S. ベッカー リチャード・A. ポズナー Gary S. Becker 東洋経済新報社 2006-06 売り上げランキング : 7663 おすすめ平均 ![]() 経済学とブログの新たな可能性Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ノーベル賞受賞の経済学者が市場原理で読み解く“世の中”
本書は、ノーベル経済学賞受賞者であるシカゴ大学のベッカー教授と、同校ロースクールのポズナー教授とのブログによる対話、さらには、ベッカー教授が「ビジネスウイーク」誌に投稿したコラムの一部を収めている。
後半のベッカー教授のコラム部分は、さすがにコラムの名手といわれるだけあって、興味深く、新しい視点を提供してくれる。
特に、「厳格な司法が米国の都市を救いつつある」は、刺激的な内容だ。米国では、刑事犯に対する司法の制度を厳格化し、犯人の検挙率を引き上げ、刑務所への収監率を大幅に上昇させたことによって、過去二〇年間に米国の犯罪率が顕著に低下したという。
この指摘は、大きなインプリケーションを含んでいる。もちろん、犯罪率が低下した主な理由には、米国景気の回復がある。しかしそれだけでなく、政府が司法制度の厳格化=犯罪に対する反対給付を上昇させることによって、潜在的な犯罪者のインセンティブを低下させることに成功したと論じている。これは、市場の価格機能=プライスメカニズムが、犯罪者に対して、「重い刑事罰を科せられる=高いコストを払うのであれば、犯罪を起こすことは割に合わない」と思わせることが可能ということである。
最近わが国では、犯罪を起こした側の人権や更生の可能性を強調するあまり、刑事罰が軽くなりつつあると指摘されることが多い。わが国の政策当局も、真剣に考えるべきポイントがある。
ベッカー教授の基本的な考え方は、一種のプライスメカニズムを働かせることによって、人びとが自然に、なにかをするインセンティブを持つ、あるいは、なにかをしないように誘引することにある。人びとが、本源的に持っているインセンティブを目覚めさせることが重要なのである。
本書を読み終わって、英国のサッチャー前首相を思い出した。同氏は、労働党政権下の企業国有化政策によって競争力を失った英国経済を、規制を緩和して自由競争を促すことによって見事に立ち直らせた。わが国の改革の方向性は、間違っていないはずだ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| ヒルズ黙示録―検証・ライブドア | |
![]() | 大鹿 靖明 朝日新聞社 2006-04 売り上げランキング : 1811 おすすめ平均 ![]() 当事者も驚愕の問題作 よくわかった! 村上会見での記者による、衝撃本!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
荒々しさの裏に潜むものとは “一揆集団”ヒルズ族の素顔
最初の一~二ページを読んだだけで、私は六本木ヒルズの異形の世界に引き込まれてしまった。
冒頭は、ライブドアに強制捜査が入った日の描写で始まる。社員たちは踏み込んだ捜査員たちを携帯電話のカメラで撮影し、広報担当の乙部綾子は社内のコンビニで同僚女性と明るい声で話し、珍しいイベントを生で体験できる興奮が社内を包んでいた。本書では、こうしたビビッドな描写が、透明感ある鮮烈な文章で、至るところに散りばめられている。
著者はライブドアとヒルズ族に長年密着し、強制捜査が入った当日も、中国・大連にいたCFOの宮内亮治と電話で二度話せるほど、親密な関係を築き上げた。本書は、膨大な情報のなかからえりすぐった珠玉のエッセンスだけで書かれた、ヒルズ族に関する決定版である。草創期には至ってまじめだったが、やがて誇大妄想で「麻原彰晃化」した堀江貴文、すばしこく立ち回る村上世彰、徹底してライブドアを見下す三木谷浩史、生家が江戸時代から漢籍を輸入し、自宅の書斎が本に埋まっている北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)、ディール中毒の「武器商人」持田昌典(ゴールドマン・サックス日本法人社長)など、関係者の実像が生々しい。
また、主要な登場人物だけでなく、さまざまな人びとの生い立ちを丹念に調べ上げ、ヒルズ族を広い裾野から描き上げている。宮内は生後まもなく両親と離れて暮らし、ライブドア取締役だった熊谷史人は学生結婚して子どもの養育費稼ぎのため深夜までバイトに追われた。ライブドアの他の幹部たちも、子どもの頃父親の会社が倒産し、弟が高校を卒業した年に母親が急死した者、実父に認知されず母子家庭だった者、自分の病気の治療代のために父親が借金し、その後父親が急死した者など、強烈な原体験を持つ人びとが多かったという。彼らは内面に沈殿した敵愾心や復讐心をバネに、荒々しい行動に転じやすい「雑兵の一揆集団」であったと著者は分析している。
読んで背筋が震えるような本に出合えるのは年に一度くらいだが、本書はそうした一冊である。【評者 黒木亮 作家】
| 周極星 | |
![]() | 幸田 真音 中央公論新社 2006-05 売り上げランキング : 21797 おすすめ平均 ![]() かつての良作を期待 星を見て・・・Amazonで詳しく見る by G-Tools |
得体の知れない強い引力を持つ中国で出会った男と女の違和感
明確なロードマップなどないまま、市場経済化を推進した中国。高度成長を実現させたものの、市場経済のルールや秩序は十分に整備されていない。したがって、市場ルールが確立した先進国の人びとに対し、“中国って、なんて無秩序なんだ! どうして、こんなにいい加減なことがまかり通るの!”といった印象を与えてしまうのも、あながち理由がないわけではない。
中国の最大の魅力は、無尽蔵ともいえる巨大なマーケット。至るところに、儲け話が転がっている。それゆえ、「得体の知れない強い引力」に引き寄せられるかのように、多くのヒトとカネが集まってくる。そのような環境の下、ビジネスマン・ビジネスウーマンは「強欲で」たくましく育て上げられていく。
本書の舞台は、中国の経済的中心地である上海。主人公は、日本人の父と中国人の母を持つ美貌の女性実業家の胡夏琳(フーシャーリン)と、父が貿易商であった関係で、北京で生まれ、投資顧問会社の社長をしている織田一輝。子ども時代に知り合い、いがみ合ったまま別れてしまう。やがて、「中国の自動車ローンを証券化して、日本の投資家に売っていこう」というビジネスとの絡みで再会を果たすのであるが……。お互いの存在が気になって仕方がなく、本当は引かれ合っているのに、憎み合わざるをえない二人。あたかも日本と中国のごとしか。
夏琳には、多くの日本人ビジネスマンは、礼儀正しいとはいえ退屈で、「言動は、みんな予測がついてしまう」。逆に、「前しか見ない上海」の人間には、煮えたぎるような溢れんばかりの不思議なバイタリティが備わっている。延長線上に浮上する二つの“イフ”。
(1)そうした荒削りの強欲さに、市場ルールの遵守が加味されるならば……、(2)日本人や中国人といった「国籍」ではなく、両者の資質を併せ持った「アジア人」としての自覚が成立し、緻密な計算のできるコスモポリタンとしての資質が整えられるならば……。
これからの国際的なビジネス展開に不可欠な要素とは何かを考えさせてくれる「おシャレな経済小説」である。【評者 堺憲一 東京経済大学副学長】
| 六十歳から百名山 | |
![]() | 米倉 久邦 新潮社 2006-04-22 売り上げランキング : 6385 おすすめ平均 ![]() 勇気ある60歳 本当の山屋による百名山Amazonで詳しく見る by G-Tools |
定年を迎えたジャーナリストによる登山紀行のにじみ出るような“深み”
ベテランジャーナリストが「六〇歳になったら何をしようか」と考える。彼が人生の中締めとして選んだのは、二年間で日本の“百名山”を踏破することだった。周到な準備のうえで、定年最初の元日に富士山頂を極めるのを皮切りに、厳冬の稜線でブリザードと闘い、春のお花畑で可憐な高山植物を愛で、夏山のガレ場で汗を流し、秋の渓谷を彩る紅葉を賞美感嘆しながら、一週一山のペースで北海道から鹿児島に至る百山を登り尽くした。さすが手練れのジャーナリストだけに、自然描写も人びととの出会いや語らいも淡々としていてしかも味がある。
しかし、この日本山岳紀行を読み終わってつくづく感ずるのは「自然を愛すること」に対する日本人の態度のお粗末さである。著者が何度も嘆いているトイレットペーパーの川とゴミの山、登山者のマナーの悪さ、劣悪で俗悪な設備、商業主義が平然と犯す自然破壊を見ると、なぜこういうことが続くのだろうと腹立たしい。
根本的なことは社会の構成員たちが「自然を愛すること」をどれだけ大事だと思っているかということである。そしてその感覚は物質的な豊かさだけでなく、それと一緒に育まれた精神的な豊かさと美しさがつくり出す。 登りながら考えたこととは
本書がもう一つ教えてくれることは、山に登るということは「想う」ことなのだなということである。歩きながら何を考えたかを著者はまったく語っていない。淡々と自然を描くだけである。しかしそもそも六〇年の人生の一つの整理として百名山踏破を決意したということは、山を登り続けることで、誰に憚ることなく、六〇年の想いを自らに語りたいと思ったからではないのか。足元だけを見ながらアイゼンで雪を踏みしめて雪渓を登るとき、背中を流れる汗を感じながら真夏の急坂を喘ぐとき、著者の頭の中は空っぽではなかったはずである。六〇年の歓びと悲しみ、怒りと安らぎは大地との触れ合いのなかで著者に甦えり、そしてかすかな痛みと快感を残しながら昇華していったのであろう。
淡々とした登山記録の後ろに、定年を過ぎた男の心の深みを感じさせる。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 貧困の終焉―2025年までに世界を変える | |
![]() | ジェフリー サックス Jeffrey D. Sachs 鈴木 主税 早川書房 2006-04 売り上げランキング : 6266 おすすめ平均 ![]() ほっとけない、世界の貧しさ 問題は世界が見て見ぬふりをしていることAmazonで詳しく見る by G-Tools |
いま最も重要な地球的課題に挑む国連事務総長特別顧問の臨床経済学
現代の世界で最も重要な問題は何だろうか? 地球温暖化を挙げる人がいるかもしれないが、温暖化で死んだ人はいない。テロを挙げる人もいるだろう。確かに9・11では、三〇〇〇人あまりの人命が失われた。しかし、毎年八〇〇万人以上の人びとが感染症で死亡していることを、どれほどの人が知っているだろうか。
人命を基準にする限り、最大の問題は途上国の感染症だ。なかでもエイズとマラリアだけで、それぞれ毎年三〇〇万人が死亡している。これらの病気には治療法があるのに、医療施設がないために多くの人命が失われているのだ。したがって、その根底には絶対的貧困の問題がある。 途上国への援助は有効ではないのか?
本書は、国連のアナン事務総長の特別顧問として、こうした問題に取り組んでいる著者が、これまで歩んだ道をたどったものだ。それは、彼が専門とする開発経済学を応用する「臨床経済学」の実践でもある。
国連が二〇〇〇年に発表した「ミレニアム開発目標」は、一五年までに飢餓人口の比率を半減させるなどの目標を掲げた包括的なプロジェクトだが、その実現は不可能ではない。先進国がGNPの〇・七%を途上国援助に回せばよいのだ。
しかし専門家や政治家には「途上国への援助は、腐敗した政治家の隠し財産になるだけだ」といったシニカルな見方が多い。それに対して著者は、援助の水準があまりにも低いことが、効果の出ない最大の原因だと反論する。たとえば米国の途上国援助予算は、軍事予算の三〇分の一だ。
著者の情熱とヒューマニズムには、誰しも脱帽するだろうが、途上国援助への批判がすべて人種的偏見であるかのような主張には、いささか鼻白む。また「反グローバリズム」のデモに理解を示す姿勢には疑問がある。
最近は、本書に序文を寄せたボノ(ロックシンガー)やビル・ゲイツ(マイクロソフト会長)などの著名人が感染症対策に多くの寄付をすることで、問題の所在が認識され始めた。これが一時の流行に終わらないためにも、各国政府の努力が必要である。【評者 池田信夫 須磨国際学園研究理事】
| 維持可能な社会に向かって | |
![]() | 宮本 憲一 岩波書店 2006-05 売り上げランキング : 140052 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公害から環境問題へと変化する視点 薄れゆく加害責任への意識に警鐘
本書の主張はこの表題に、特にその副題にズバリ示されている。「公害」という言葉、考えてみれば確かに使われなくなった。法律の名称も公害対策基本法から環境基本法へ改められた。しかしいったん「公害」という言葉を目にしなくなると、人はいつの間にか、「公害」という問題そのものがなくなったかのように思い始める。が、しかし……と著者は言う、「公害は終わっていない」と。
アスベスト問題は公害ではないのか
本書はまず、昨年来のアスベスト問題から入る。しかし、あの問題をはっきり「公害」と呼んでいたかというと、なるほど記憶がはっきりしない。著者は、公害問題が環境問題へと発展してゆくなかで、加害責任の所在をしっかり問いただす姿勢が、なし崩し的に弱められているのではないかと危惧する。
加害者と被害者を比較的はっきり分けられる公害問題に対し、環境問題は、環境破壊の被害に遭う市民の一人ひとりが同時に加害者にもなりうることを教えた点に、一つの意義があった。そしてこの発想が下支えになって、ゴミの分別やリサイクルに、一般市民も自発的に取り組むようになった。これはまぎれもない一つの成果であって、著者もこの点については評価を惜しまない。
しかし、それがために、加害責任への意識までが薄れてしまったのでは元も子もない。本書はこうした問題意識から、現在のアスベスト対策に欠けている基本的な問題点を明らかにする。そしてさらに、かつての水俣問題、四日市問題が、じつはまだ終わっていないことも説き明かす。
公害対策は中央政府の管轄であり、政府の姿勢がなにより重要なのは一見、そのとおりだが、同時に、そもそもの発生地である地域や都市で、今どれだけの自治が可能であり、どれだけの対策を自主的に打つことができるのか、これを問わなくては過去の犠牲が教訓として生かされないと著者は言う。真の公害対策とは、真の自治を求めることなのだ。本書の主張は明快である。
環境問題がより複雑になるなか、あらためて公害問題の原点を問い直した一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2006年4月1日~6月24日 )
| ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する | |
![]() | スティーヴン・レヴィット スティーヴン・ダブナー 望月 衛 東洋経済新報社 2006-04-28 売り上げランキング : 54 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経済学は、答えを出すための道具は揃った学問だが、おもしろい質問が深刻に不足していると著者は言う。本書は、おもしろい質問と答えを取りまとめたものだ。
おもしろい質問とは、たとえば、麻薬の売人がそんなに儲けているなら、彼らがいつまでも母親と住んでいるのはなぜ? 銃とプールと危ないのはどちら? 過去一〇年のあいだに犯罪率を大幅に引き下げたのは何か? といったようなものだ。
著者は、データの山から、誰も発見できなかった真実を引き出し、誰も計測不能だと考えていた効果を計測できる方法を考え出す。
本書を読むと、経済学が金銭的インセンティブについて分析するものであるとともに、非金銭的インセンティブについても分析するものであることがわかる。
献血をした人を思いやりがあるとほめる代わりに少額の奨励金を払うと献血は減る傾向があるという。もちろん、より多くの奨励金を払えば献血は増えるが、インチキをする人も増える。
生徒がよい成績を取れば先生が昇進できる制度が生まれたとき、先生はどうインチキしたか、また当局はそれをどう見破ったかが分析してある。
建築確認という制度をつくっても、それがインチキされないように運営することを考えない日本人にはぜひ読んでほしいところだ。 いかにも米国的な知的探究心
中絶の合法化が犯罪を減少させたという論文は、すでに日本でも有名かもしれない。八勝六敗の力士が千秋楽で七勝七敗の力士に負けるという論文も有名だろう。私としては、八勝六敗の力士が負けるのは、立ち合いに変化しないことなどで説明できることを希望しているが、それは難しいようだ。
クー・クラックス・クランと不動産屋の行動を見ることによって、情報の力を分析している。どんな子育てをすればうまくいくかという分析もある。結果は、あなたが何をするかではなく、どんな人であるかが子どもに影響するという。
著者の両親は、子どもに人と違っていていい、と教えたという。著者の知的探究心は、米国文化が生んだものだ。本書を読めば、それがいかにすばらしいかがわかる。【評者 原田 泰 大和総研チーフエコノミスト】
| ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感 | |
![]() | 内田 洋子 光文社 2005-10-14 売り上げランキング : 305026 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「報道の自由とプライバシー保護のどちらかを選べ、と言われて、倫理感に縛られて〈プライバシーの保護〉を選んでしまうようでは、マスコミで働く意味はない」。イタリアのメディア業界を代表する名編集者、グイド・カルレット氏の言葉である。本書が取材対象に取り上げている名うてのジャーナリストたちの一人である。
この卓見を披露したカルレット氏が尊敬し、賞賛してやまないのがパパラッチたちだ。すっぱ抜き写真ジャーナリズムを業とするパパラッチ。語源はフェデリコ・フェリーニ監督の名画「甘い生活」のなかにある。そんなパパラッチはあくまでもイタリア的存在だ。
独善的で反権力的で無秩序で恐れ知らず。このイタリア魂なくしてパパラッチ・ジャーナリズムなし。そのからくりを徹底的に追究したのが本書である。楽しい本だ。
ただし、楽しいだけではすまされない。今の日本には、個人情報保護の行き過ぎが報道の自由を脅かしかねない状況があると思う。そう思って少々危機意識を抱いていた矢先に、情報源に関する守秘のあり方をめぐって、司法判断が揺れ動くという騒動も巻き起こった。このところどうも、日本のジャーナリズムの手足にはさまざま各種の束縛のクモの巣がまとわりつきつつあるように見える。
そんな今こそ、日本にたくさんのパパラッチが必要だ。お行儀よさなんぞくそ食らえ。執拗に、貪欲に、なり振り構わず、物事の裏側と奥底とを暴き出していく凄みが欲しい。
だが、それが仕事だからこそ、パパラッチは一方で知的に清く正しく、そして賢くなければいけない。このバランスが微妙だ。ここを忘れると、パパラッチは単なるゴシップ野郎だ。知的告発者と三流恐喝屋のあいだの細くてきわどい境界線上をどこまで大胆に、どこまで繊細に渡り歩くか。そのパパラッチ的醍醐味を本書が痛快に描き出している。
これぞ、じつはジャーナリズムそのものの本質ではないのか。イタリアからの声援の書として、日本のメディア関係者にもお薦めの一冊だ。【評者 浜 矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 障害者の経済学 | |
![]() | 中島 隆信 東洋経済新報社 2006-02-10 売り上げランキング : 8841 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
“弱者扱い”が遠ざけている自立 経済学の立場から障害者政策を提言
障害者に限らずすべての人にとっての理想の社会とは、社会のメンバーとしてそれぞれが比較優位に基づいて分業しつつ、陰に陽に互いを支え合い、共存している社会ではないだろうか。そして豊かな社会とは、自分の能力や好みに応じて職業や消費が選択でき、政治に関しても多様な選択肢が残されており、それを選ぶ自由を保証してくれるものであろう。
しかし、現実には予算や資格制限や競争によって、その選択肢がさまざまなかたちで制約を受けることで、本来の選好とは違ったかたちで最終的な選択をしている。障害者は健常者よりもはるかに多くの制約を受けており、本来享受することが保証されているはずの選択肢にさえも手が届いていないのが実情である。
本書では著者が家族とともに経験してきたさまざまな事例を振り返りながら、障害者に対する政府の態度を過保護的な「転ばぬ先の杖」型の政策から「案ずるより産むがやすし」型の政策に変更することで、障害者の選択の余地が広がること、そしてそれが障害者の自立に結び付くことを繰り返し論じている。
著者は差別される側である障害者が現状を正しく伝える情報発信をすべきであるとも主張している。障害者は助けてもらう存在でもなく、かわいそうな人たちでもないことを自らが示さなければならないということである。 経済学を社会に生かす好例
障害者をめぐる環境としては、本年四月より障害者自立支援法が導入され、障害者本人およびその家族への負担が増えつつあるというのが現状である。著者は必ずしもこの法律に否定的ではないが、障害者が自立するためのインセンティブが十分準備されていなければ、この制度は機能しないことを冷静に指摘している。
本書は、障害者ができることの自由度もさまざまであり、新法で求められる負担の許容度も本人および家族によって違っていることを認識させてくれる。障害者の実態に迫りながらも客観的に書かれており、障害者問題に関心のある人のみならず、現実を考えるうえで経済学がどのように使えるかを教えてくれる好著である。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| エコノミストたちの歪んだ水晶玉―経済学は役立たずか | |
![]() | 野口 旭 東洋経済新報社 2006-03 売り上げランキング : 62013 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
論旨のはっきりした書物である。読んでいて痛快だ。著者は、『間違いだらけの経済論』『経済学を知らないエコノミストたち』などを執筆した野口旭氏である。“水晶玉”とは、経済専門家の分析ツール(占い師の水晶玉に相当する)を指している。本書で取り上げている内容は、バブル崩壊後に続いた長期経済低迷に関する、主要経済学者やエコノミストの分析・政策提言の評価と、その背景、原因の分析など多岐にわたっている。
本書の重要なインプリケーションは、わが国の経済低迷期に行なわれた“経済論戦”を客観的に見直すことによって、今後の適切な政策提言の“糧”にすることだろう。現在、日本経済は長期の低迷期を脱して、ようやく新しい成長過程に入ろうとしている。こういう時期だからこそ、低迷期に行なわれた“経済論戦”を適切に評価することができる。どうやって経済低迷から脱却したかを考えることで、何が正しい政策提言だったかを判断できるからだ。 需要不足か 不良債権か
二〇〇二年初頭から始まった日本経済の回復のエンジンは、輸出=海外要因による需要の拡大であった。需要が拡大したため、景気が上向きに転換したのである。長期にわたる景気低迷の主な要因が、需要不足であったことはいまや否定できない事実となった。
景気が回復したことによって、金融機関の不良債権処理が進んだ。不良債権処理が進展したから、経済活動が回復したのではない。景気の回復は〇二年初頭から始まったのに対し、大手銀行の不良債権処理が進んだのは、その後のことである。景気回復が原因で、不良債権処理はその結果だ。それは、ファクトを時系列に並べてみると明らかである。低迷期に、“不良債権が景気低迷の元凶”と叫んでいた人気エコノミスト諸氏は、今、この点について、どのような論法を組み立てているのであろう。野口氏ならずとも、尋ねてみたいところだ。
本書は、一部の経済学者や人気エコノミスト諸氏には警鐘の書である。注目を得るためのメディア迎合主義の専門家の存在意義は薄いとの警告を発している。専門家には相応の研鑽が必要だ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 基礎から学ぶ日本経済―実体経済と対外取引を中心に | |
![]() | 湯本 雅士 東洋経済新報社 2006-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は、経済を構成するモノ、サービス、ヒト、カネ、ソトとのかかわり合いという五つの基本的要素の動きから説き明かす。これらの要素がどういうかたちで、どういう経路で経済全体にかかわってくるのかということである。このアプローチは経済をまず鳥瞰的に見ることを教えるという点で大変、効果的であると思う。 理論から現実まで
本書には優れた特質が三つある。一つは、基礎的な解説を行ないながら、同時にそれぞれの問題について、昔から現在に至るあいだ、どういう理論的解明の努力がなされてきたかを簡明に紹介していることである。これはさらに一歩先の勉強を志す学徒にとって貴重であろう。
もう一つは、こういう基礎的な事象が現実の日本経済のどういう問題にどういうかたちで表れているのかを非常にわかりやすく、かつ迫真力を持って説いていることである。その点で本書は単なる解説書の域を超えている。
そして最後は、全編を通じて著者の日本経済の将来への熱い思いが横溢していることである。円高、金融バブルとデフレ、農業、エネルギー、環境、社会保障から格差に至るまで、日本経済の抱えるすべての問題が国を思う視点で取り上げられている。しかもそれが著者の豊富な理論的知識の集積のうえで行なわれていることが強みなのである。
もちろん、これだけ豊富な素材が満載されているから気軽に読める入門書ではない。そうとうな基礎知識が必要だし、またこの先を求めるためには読者が自分で勉強しなくてはなるまい。
学問の要諦は三つあるという。鳥のように大空から地形を観じ、虫のように地表を探り、魚のように流れを知ること、である。二一世紀初頭の四半世紀は日本経済にとって今までになかった課題と向き合わねばならない時期になるのであろう。著者が言うように、求められるのは課題を正しく認識することと、そのうえで強く行動することである。本書を学んだ学生や社会人に著者の思いが受け継がれればよいなと思う。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 神話論理〈1〉生のものと火を通したもの | |
![]() | クロード レヴィ=ストロース Claude L´evi‐Strauss 早水 洋太郎 みすず書房 2006-04 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
いつの時代にも、その「時代精神」を象徴する本がある。一九世紀を代表する本が『資本論』だとすると、それに質的にも量的にも比肩する、二〇世紀を代表する本が『神話論理』だといっても過言ではない。
ところが一九七一年に原著が完成してから、この邦訳が刊行されるまでに三五年もかかった。その原因は、当初の訳者が死去したことなど、不幸な事情が重なったようだが、この間に「ポスト構造主義」が流行しては消え去り、著者もすっかり「乗り越えられた」思想家のように思われている。
しかし、そういう先入観なしに本書を読めば、それが今なお輝きを放っていることがわかるだろう。「[私が]示したいのは、神話が、ひとびとの中で、ひとびとの知らないところで、どのようにみずからを考えているかである」(本書二〇ページ)という有名な一節は、原著が刊行された頃は「非科学的だ」という批判も浴びたが、今読めば、ポストモダンの主題である「主体の不在」を語っていることがわかる。
二〇世紀最大の思想的革命は構造主義言語学の誕生であり、二〇世紀は「言語の時代」だった。それはポストモダンまで含むとともに、すべての情報を二項対立による「差異」の束と考える点で「デジタル革命」の源流ともなったのである。 デジタルとして読み解く神話
本書で明らかにされる米国先住民の思考も、デジタルである。著者は「生のもの/火を通したもの」あるいは「自然/文化」といった二項対立によって神話を読み解き、多くの神話を一つの主題の変奏として位置づける。その手際は、科学というよりは芸術であり、神話全体があたかも一つの交響曲のようにハーモニーをつくり出す。本書も「序曲」で始まり、最終巻の「終曲」で終わる。
ただ学問的には、本書の神話解釈は実証的に検証不可能な「物語」にすぎないという批判も強い。一般の読者には、神話の詳細な分析は読みづらいかもしれない。しかし、神話と音楽の関係を論じる「序曲」は二〇世紀を代表する名文であり、著者を批判するにせよ乗り越えるにせよ、必読である。【評者 池田信夫 須磨国際学園研究理事】
| 東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち | |
![]() | クライド プレストウィッツ Clyde Prestowitz 柴田 裕之 日本放送出版協会 2006-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本がもし、「二一世紀に世界経済の中心は西洋から東洋へ移る」とか、「中国とインドは近い将来必ず脅威になる」と声高に叫ぶだけのものであったら、あえてここに取り上げる必要はなかっただろう。
しかしこの本の目線は、むしろそうした流れをつくり出した米国経済のほうへ向けられている。確かにそれは、米国をなにより大事と考える著者の姿勢からきたものであろうが、著者はズバリ、米国経済にとっての真の脅威は他国の台頭ではなく、自前の産業基盤を自ら放棄してしまった、その失策にあると断言する。 生産力そのものを失った米国の誤り
米国の貿易赤字と借金体質は、他国が米国債券を引き受けることで成り立っている。しかしそれは米国経済への信頼というより、ドル資産を持つことの便利さに多く由来するものだと著者は言う。したがって、今後中国・インドをはじめとするアジア経済圏が台頭し、アジア通貨での決済が増えてくれば、近い将来ドル離れが起きたとしてもなんら不思議なことはない。
かくしてドルが下落したとき、米国に輸出生産力が残っていればまだよい。しかし米国は、ITバブル以降も他国へのアウトソーシングをいっこうにやめる気配がなく、産業空洞化どころか生産力そのものを失いかけている。よってドル下落は、もはや米国にとってただのダメージでしかない。このアウトソーシングに頼った短期戦略なるものがいかに誤った選択であったかを、無数に近い事例を挙げて説いてゆく。
本書は中国・インドの現状についてもじつに豊富な情報を載せている。ただし、分析が多少粗いところもあって、たとえば中国は製造に強く、インドはサービスに強いという分け方は、ビジネスの現場から見て今でもうなずけるものだろうか、とも思う。
また、これからの日本についても、ちょっと驚くべき提案を行なっている。評者はこれに同意しないけれども、その内容については、実際本書を手に取って読者自身で確かめられたい。「生産から資産へ」という風潮がますます強まるなか、あらためてその意味を問いかけた一書といえよう。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| バーナンキのFRB | |
![]() | 加藤 出 山広 恒夫 ダイヤモンド社 2006-03-03 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「現時点でこれほど詳細なバーナンキ分析は米国においても存在しないだろう」。著者たちが自らこう書いている。その自負に誇張はない。だが、それだけではない。著者たちは、本書で「米国金融政策の本質に迫る『FRB(FED)ウオッチング』の決定版を目指した」とも言っている。
FRBウオッチングのあり方は時代とともに大きく変わった。第五章で指摘されているとおり、かつてのFRBは政策金利の誘導目標水準さえ公表していなかった。目標が公表されていなければ、それが変更されたかどうかはわかるわけがない。
そこをなんとか、日々の公開市場操作のとり行なわれ方のなかから読み取っていく。それが一九八〇年代までのFRBウオッチングだった。評者が駆け出しエコノミストとして奮戦中だった七〇年代までさかのぼれば、FRBウオッチングという言葉さえ誕生の前にあった。状況を一変させたのが、グリーンスパン前議長であった。彼が金融政策をめぐる神秘のベールをいかにして剥ぎ取っていったか。その一部始終が本書に活写されている。
もっとも、その後の米国の金融政策は、グリーンスパン語録という新たな神秘のベールに覆われた。その透視術についても、本書が余すところなく語り尽くしてくれている。 上質な教科書でありドキュメンタリー
米国金融政策の本質に迫るという意気込みにふさわしく、本書はきわめて重要な基礎的事項の手ほどきに力を入れている。グリーンスパン・トークの謎解きもさりながら、ここに大きな価値がある。フェデラルファンド市場の仕組みを徹底解説した第四章。FRB形成史とその今日的な機能を詳述した第三章。そこには、上質の教科書と上質のドキュメンタリードラマを組み合わせた世界がある。
惜しむらくは、本書には書かれていない一章があることだ。中央銀行と金融政策に関する著者たちの見解披瀝の章である。その片鱗は随所に魅力的なかたちで顔をのぞかせている。その集大成が欲しかった。
これは批判ではない。本書を堪能した読者の次著への期待だ。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 日本型ヒーローが世界を救う! | |
![]() | 増田 悦佐 宝島社 2006-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、アメリカンコミックスに対する嫌悪の表明と日本マンガに捧げる賛辞からなる。
アメリカンコミックスは、すべての人物がヒーローの引き立て役にすぎず、男尊女卑で、正義の押し付けしか描かれていない。対する日本マンガは、味方の弱点をかばいながらしのぎを削る、集団主義的で男女平等な英雄像と正義の複雑さまでを描く。これが日本文化の本質であって、だからこそ日本のマンガはすばらしいという。
男性は当然だが、女性においても欧米文化はエリート主義だという。エリート女性だけが王子様を待つ権利があるという欧米文化に対して、日本の少女マンガは、普通の少女が愛について考えることを可能にした。
現実には、王子様は平等ではないが、日本マンガによって、平凡な人間が英雄の悩みを抱くことが可能になった。それは、日本人の人間性を豊かにしたと著者はいう。
バービー人形が小学校教師、看護婦、婦人警官などになっていることを米国の女性の社会進出ととらえる見方に、異議を申し立てる。米国において、これらの職は給与の低い職である。バービー人形は、女の子たちをこれらの職に誘導する役割を果たし、米国を先進国のなかで男女賃金格差が大きい国にしている。 日本マンガの奥の深さ
それに対して、日本の職業紹介系マンガは、あらゆるジャンルにわたっている。日本のマンガは、すべての人間が英雄になれるという思想を提供するとともに、現実とも向き合っている。よく生きるとはどういうことかが、日常を描くこれらのマンガにある。
日本のマンガには、暴力もセックスも秩序騒乱も既存道徳への異議申し立ても、あらゆるものが描かれている。それに眉をひそめる人もいるだろう。しかし、最もヒットしたマンガは、ほとんどなにも起こらないほのぼの系のマンガである。英雄譚とともに、平凡な幸福の意味を描き出すのが日本マンガだという。
子どもが読みたいマンガが、おとなが読ませたいマンガに勝ったのはなぜか、といったアナリストらしい分析もおもしろい。【評者 原田泰●大和総研チーフエコノミスト】
| コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語―生産者を死に追いやるグローバル経済 | |
![]() | ジャン=ピエール ボリス Jean‐Pierre Boris 林 昌宏 作品社 2005-10 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
バレンタインデーのチョコレートの山、いい香りを立てているカフェ、高級フランス料理に用いられるコショウや岩塩、とびきり生きのいい伊勢エビ、口に入れるととろけそうなマグロのトロ。われわれはグローバリゼーションの恩恵を受けて世界中から高級食材を輸入している。ではこれらの一次産品はどのようにして生産され、どのように届けられているのだろうか。われわれの払った代金は誰の収入になっているのだろうか。
著者はジャーナリストとしてフランスをはじめ、アジア、アフリカ諸国の報道に携わってきた人で、本書は著者がフランスの国営放送ラジオ・フランス・インターナショナルで「一次産品の市場動向」という番組を七年間続け、世界中の関係者を取材してきた成果をまとめたものである。 生産者と買い手の本質的な格差
本書のテーマはグローバリゼーションの陰の部分である。世界銀行やIMFが推進した市場自由化、規制緩和の流れのなかで、生産者協定が弱体化され、国際商品価格が崩壊し、生産者である農民だけが極度の貧困に陥った経緯が詳しく描かれている。
これはグローバリゼーションの問題なのだろうか。アマルティア・センは『人間の安全保障』(集英社新書)のなかで、グローバル化自体が問題なのではなく、グローバル化がもたらす利益の配分の仕方に問題があるのだと論じている。確かに、先進国の貿易商社や製造業者は農産物の価格変動や天候リスクに対して、金融派生商品を購入するなどして、危険回避を行なっているが、農民には、さまざまなリスクを回避するための手だてもなければ、金融派生商品を購入するカネもない。これではリスクが一方的に農民に転嫁され、貧困が増幅されていくのは避けようがない。この仕組みを変えることなく、直接買い付けによって生産者に最低保証価格が国際市場相場価格にかかわりなく支払われる制度である流行のフェアトレードを導入しても焼け石に水だということで、著者はフェアトレードの有効性に対しては懐疑的である。
本書はグローバリゼーションの多面性を見つめ直すいい機会を提供してくれる。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| エコロジストのための経済学 | |
![]() | 小島 寛之 東洋経済新報社 2006-01-27 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者の小島寛之氏は、一風変わった経歴を持っている。同氏は、当初、自然科学の分野に進み、卒業後、企業に就職して社会人になった。その後、世田谷区が主催した市民講座で、宇沢弘文氏の経済学ゼミに参加したことをきっかけに経済学の勉強を開始した。同氏の言葉を借りると、“経済のけの字も知らない”ところからスタートして、現在では、大学で経済学の教鞭を執っている。象牙の塔の中で“学者”ではなく、自発的な関心と意欲によって自家育成された研究者である。
こうした同氏のバックグラウンドが、本書の最大の特徴である、“一般読者のところまで下げた視線による、わかりやすい書きぶり”を生み出している。 環境問題の現実を経済の理論で解説
本書を貫く主張である、「環境問題は経済問題」との認識は説得力がある。タイムスパンを短期化すると、経済合理性を持った人びとが自分自身の経済合理性を考えて行動することになり、その誤謬として公害などの環境問題が発生する。本書は、それを、ゲーム理論やケインズ経済学を駆使して、懇切ていねいに解説している。特に、各個所で使っているケースはいずれも平易で、経済学の素養がなくとも理解可能だ。エコロジストに限らず、経済学の理論と、実際に起きていることを勉強したり、整理するためにも有益である。
また、環境問題解決の方策の一つとして、宇沢氏が提唱する、「社会的共通資本の理論」を紹介している。河川や海洋などの自然環境を、「自然資本」と位置づけて、環境を経済理論の外に置くのではなく、経済理論のなかに取り入れることによって、社会全体にとって、よりよい経済システムを構築しようという考え方だ。今後の環境問題の取り組みには、重要なアプローチ方法と考える。
最近、資本市場で、企業の社会的責任(CSR)の考え方が確立しつつある。これは、投資家自身が、企業の環境問題への取り組みを含めた社会的責任を評価する考え方だ。CSRを意識した企業のパフォーマンスは、相対的に好調といわれている。株式市場も、CSRを重視し始めた証拠といえるかもしれない。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| データで示す日本の大転換―「当たり前」への回帰 | |
![]() | 大武 健一郎 かんき出版 2005-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本経済の将来に一〇〇%の自信を持てる人は残念ながらほとんどいないだろう。皆不安を抱いている。そして、その不安が本当のところ何に起因しているのか、それは取り除けるものなのか、どうやったら取り除けるのかわからない。だから不安がなくならない。
本書は現在の日本人のすべてを悩ませている、最も一般的で、しかも最も根源的なこの難問を大変わかりやすく説得力を持って解き明かそうとしている、ユニークな力作である。
著者はまず、戦後三〇年続いた日本経済の目覚ましい発展は、いくつかの特別な条件の下で可能になったものであり、その条件がなくなってしまったことが不安の根源にあるのだと説く。その条件とは、(1)人口増加、(2)人口移動、(3)有利な為替レートであった。この指摘は適切である。従来の数多い論者のなかでも、この点を単純明快に提示した者はいない。
一九七五年以降この条件は次々に消滅していった。条件の消滅は日本経済がもはや、戦後三〇年の発展のパターンを繰り返しえないことを決定づけたのである。この点の論旨はきわめて明快で、これほど明々白々たる事態が進展しているのに、政治家や役人や経営者はなぜ無為に過ごしていたのだろうかと暗然とした気持ちになる。
ある意味で、日本経済は振り出しに戻ったと考えるべきなのであろう。高度成長を可能にしたさまざまなボーナスはなくなった。これからの日本経済は、自分が持っている本当の力は何なのかということを冷静に正確に見定めて、その力をどう使ったらいちばんよい生き方ができるかを、考えねばならないのである。
著者は、アジア諸国との分業、日本に蓄積されたアートとサイエンスを活用した質の時代への挑戦など、豊富な知識と現場体験から生まれたいくつものアイディアを紹介している。二一世紀の日本の課題は、こうしたさまざまな日本経済の強みが総合的に有効に力を発揮できるような、国としての意思決定の仕組みをつくるということになるだろう。誰にでもわかる問題提起で、日本経済の問題の核心を突いている好著である。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2006年1月7日~3月25日 )
| セイヴィング キャピタリズム | |
![]() | ラグラム ラジャン ルイジ ジンガレス Raghuram G. Rajan 慶應義塾大学出版会 2006-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ライブドア事件をきっかけに、小泉政権の改革路線への批判が高まってきた。弱肉強食の資本主義を捨てて武士道に立ち帰れ、と説く『国家の品格』(新潮新書)がベストセラーになるのも、人びとの不安を反映しているのだろう。
こういう議論は、今に始まったものではない。一九三〇年代には、ルーズベルトもヒトラーも、大恐慌の原因は市場原理にあり、政府の介入が必要だと主張した。米国では銀行を強く規制するグラス=スティーガル法ができ、ドイツや日本は全面的な統制経済によって危機を克服しようとした。その規制は戦後も残り、日本が「金融ビッグバン」で戦時体制以来の護送船団行政に終止符を打ったのは、九六年である。
どこの国でも「グローバリズム」を憎み、国内企業の保護を求める声は強い。それはたいてい「弱者保護」を理由にするが、実際に保護されるのは、大企業の既得権である。特に資本市場の自由化は、新しい企業や外資が既存企業に挑戦することを容易にするため、最も恐れられる。
本書は、シカゴ大学の二人の若い経済学者(ラジャンはIMFに出向)が、最新の金融理論を使って金融市場の歴史を分析し、「資本主義を資本家(の悪事)から救う」(原題)方法を考えるものだ。シカゴ学派のなかでも、フリードマンの世代は市場が効率的に機能することを前提にして政府の介入を批判したが、著者はむしろ金融市場が円滑に機能するためには多くの制度的な基盤が必要であることを強調する。
自由な市場は、自然に生まれたものではない。かつて王や貴族は、特定の商人だけに貿易を許可し、恣意的に課税した。こうした略奪を防ぎ、財産権を保障する制度によって初めて市場は機能したのである。
現代でも、ライブドア事件で明らかになったように、市場をオープンにするときは、それに見合うルールの整備やチェックの強化が必要だ。ただしそれは、「大きな政府」にすることを意味するのではなく、独立行政委員会のような司法的な機関によって市場を監視することである。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】
| 狂牛病とプリオン―BSE感染の恐怖 | |
![]() | フィリップ ヤム Philip Yam 長野 敬 青土社 2006-02 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
BSEの「病原体」がプリオンと呼ばれていることは、今では広く知られているだろう。そしてこのプリオンがバクテリアでもウイルスでもなく、一種のタンパク質にすぎないこと、したがってそれ自体は生物体として定義できないものであることも、多くの人が知っているだろう。
しかし生物体でないとしたら、それはいったい何なのか。そしてそれはいつ、どこからやって来たのか。こうした肝心な点になると、プリオンは忽然として寡黙になり、専門家をも欺く存在になる。この得体の知れなさに、プリオン独特の不気味さがある。 悪玉プリオン増殖のメカニズム
プリオンに関する本は数多いが、本書は特にプリオンの「感染」経路に注目している。これまでの本では、プリオンがなんらかの経路で体内に侵入すると、それ自身がBSEなどの症状を直接引き起こすような印象を与えていたと思う。
しかし本書によると、プリオンにはじつは善玉と悪玉があり、善玉は人間を含め、多くの動物が普通に持っているものらしい。ところがそこに悪玉プリオンが入ってくると、これが善玉の形状を悪玉と同形のものに変えてしまい、ゆえに悪玉プリオンが一挙に増えることになって、BSEなどの症状を引き起こすという。
では悪玉プリオンはどこで作られるのか。それがわかればBSEの撲滅も可能ではないかと思うわけだが、これにはなにかごく稀な遺伝子配列が関係しているらしく、もしそうなら悪玉プリオンの発生自体は一種の自然現象ということになる。ならばいきおい、悪玉の感染をいかに食い止めるかが対策の焦点になるはずだ。肉骨粉のばらまきに近い投与がいかに無謀な行為であったか、あらためて理解されよう。
本書はさらに、米国のシカに同種の症状が出ているという気になる情報も伝えている。人間への感染は報告されていないようだが、詳しくは本書を直接参照されたい。BSEに関しては新しい研究が次々となされているようだ。こうした知見が政治的決定に生かされてゆくことを期待したい。ところどころ難しい部分もあるが、内容密度の濃い一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 日はまた昇る――日本のこれからの15年 | |
![]() | ビル・エモット 吉田 利子 草思社 2006-01-31 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年六月、久しぶりに著者と再会した。本書の核となった英「エコノミスト」誌の特集記事執筆に向けて、彼が取材旅行中のことである。あのときのやり取りが、この本のこんな切り口に取り込まれたのか。そんな感慨を持ちながら読み進んだ。
『日はまた沈む』で一世を風靡した著者が、「日はまた昇る」と宣言する。これはなかなか詩的である。もっとも、中身を見れば、著者のメッセージには、むしろ「日はまた昇る――されど前途はなお多難なり」というニュアンスが強い。要は日が昇る勢いと、その前途に立ちはだかる多事多難との綱引きであり、この構図を提示しているのである。ここが、本書に対して最も共感する点だ。
日が昇る勢いはどうか。これがなかなか力強いものとなっていることは、著者が指摘するとおりだろう。日本経済は、よもや、現代において再出現することはあるまいと思われていた古典的デフレの洗礼を受けた。
その冷たい炎によって、戦後の経済過程で充満してきた塵芥の類いが焼き尽くされた。すっきり・しゃっきりした日本経済となって返り咲いたから、その体力はかなり蘇生されていると考えてよさそうだ。 政治・外交面に前途多難
前途の多事多難のほうはどうか。著者は、その中核部分に東アジアにおける日本の位置づけ問題を見る。ここだけ読めば、日は昇りそうにない。お隣さんたちとのあいだでこれだけのギクシャクを抱えていながら、天頂を目指すのは難しい。そう考え込んでしまう。
だが、じつはこのあたりがいちばんおもしろい部分だ。この部分が本書に厚みを加えている。
デフレ脱却のための集中治療室からようやく外に出た日本。その日本が本格的に社会復帰できるためには、経済面でのリハビリもさることながら、政治・外交面での成熟化が肝要だ。そのことを語るくだりに、本書の真価がある。
さて、日はまた昇ったが、昇ってみれば、そこにあるのはライブドア問題であり、耐震強度偽装問題だ。著者の日本探求も、これで完結とはいきそうにない。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| マオ―誰も知らなかった毛沢東 上 | |
![]() | ユン チアン J・ハリデイ 土屋 京子 講談社 2005-11-18 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| マオ―誰も知らなかった毛沢東 下 | |
![]() | ユン チアン J・ハリデイ 土屋 京子 講談社 2005-11-18 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
毛沢東が大躍進や文化大革命で引き起こした混乱によって、数千万人の中国人が死亡したことは、多くの人が認めるようになっている。しかし、本書の語る毛は、それ以上の恐ろしさに満ちている。
毛は、ほぼ意図的に殺戮を行なった。毛は、その初期から暴力と恐怖で民衆を抑えつけていた。毛が権力を得たのは、暴力と恐怖を生み出すことを躊躇しないという性向を、ソ連(当時)が利用価値ありとして支持したからだった。
粛清は一九三〇年代から盛んに行なわれており、農民はもちろん、共産党の軍人も党員も数限りなく処刑された。秘密警察が処刑するのではなく、人民が相互に処刑することを求めた。恐怖が人びとのあいだに広がり、処刑に参加した人びとは毛に従うしかなくなるからだ。
毛は、人民を、中国を征服するためのカネ、食糧、労働力、兵力という資産の供給源と見ていた。それを供給させるためには恐怖が必要であり、毛はそのために躊躇しなかった。毛は、党の軍隊を乗っ取るために画策し、主導権を握るために仲間の軍を敵が殺すに任せた。
毛は日本軍と戦わなかった。国民党軍に日本軍と戦わせ、弱った国民党を打倒するのが中国征服の道だと考えていた。 発見に満ちた迫力ある記述
上下一一〇〇ページを超える大著は、発見に満ちており、読み出すと止まらない。書かれているすべてが真実なのか、私にはわからない。しかし、否定するには、著者の示す証拠を覆すだけの反証が必要だ。
私は、おもしろ過ぎる部分には疑問も感じたが、記述の迫力から、多くのことが真実だと思った。本書を読んで、共産党が住民の移動を禁じ、役人が地方住民を搾取の対象と考え、かつそれを実行できる理由が理解できたからだ。
台湾に逃れた国民党は、結果としては、この島に繁栄と民主主義をもたらした。もし、日本の侵略がなければ、国民党軍は共産党軍に勝利し、繁栄と民主主義は、中国本土でも実現していただろう。日本の侵略の中国に与えた犠牲はあまりにも大きいと思うのは、自虐史観になるのだろうか。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| 郵政攻防 | |
![]() | 山脇 岳志 朝日新聞社 2005-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
マンション耐震強度偽装やライブドアの証券取引法違反など社会的に注目を集めている問題が発生し、昨夏から秋にかけての郵政民営化騒動がすっかり色あせてしまった感がある。
しかし、郵政民営化の経緯を冷静に振り返り、主要人物の発言を記録しておくことは、二〇一七年の本格民営化時点で今回意図されたことが達成されたかどうかを振り返るためにも貴重な資料となる。本書はそのような目的に合致した第一級のドキュメンタリーである。しかし、本書はそれだけではなく、巷に流布されている仮説に対して著者の判断を加えている。
はたして“外圧”はあったのか
第一に、郵政民営化を米国の外圧によるものだという批判は根拠がないと退けている。郵便貯金などを通して明治以来、富国強兵のための集金マシーンとして機能してきた郵便局の役割は終わっているし、郵便事業の役割もインターネットや携帯メールに取って代わられようとしている事実が、郵政民営化への主因であるという認識である。第二に、小泉純一郎首相の初選挙時における横須賀地区の特定郵便局長たちに対する怨恨が今回の民営化につながったという説も退けている。むしろ大蔵政務次官の頃に財政投融資の資金源としての郵貯の過大さに気づいたときから、郵政民営化を主張し始めたという説を採っている。小泉首相が問題にしたのは特定郵便局ではなく、郵貯簡保からの資金の流れにあることは疑いがない。
第三に、歴史的調査を通して、全国特定郵便局長会は戦時中の統制下で、「一九四〇年体制」の申し子として機能したことが明らかにされている。歴史的事実として三七年一一月より郵便局を通して戦時国債が大々的に販売されていった事実にも言及してほしかった。
ジャーナリズムの仕事には、リアルタイムで報道しながら、一定の評価を下さなければならないという難しさがある。ともすれば偏向しがちな状況のなかで、幅広いソースから情報を取り、それを冷静に判断し、理がどこにあるかを見極めることによってバランスを取ることが必要である。本書はそれを見事に成し遂げている。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 増税が日本を破壊する | |
![]() | 菊池 英博 ダイヤモンド社 2005-11-18 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、財政再建のために不可避と考えられている増税が、わが国の経済に大打撃を与えることを論証した書物だ。「本当は『財政危機ではない』これだけの理由」という副題が付いている。
日頃、われわれが心配している政府債務残高は、一般的にいわれているほど危機的状況ではない。通常、メディアなどで報道されている債務残高は、政府が保有している債権を勘定に入れていないからだ。債務残高から、保有する債権額を差し引いた純債務のベースで考えると、わが国の財政状況は決して悪くない。増税を実施したい財務省の、「財政危機が発生している」という広報活動に騙されているというのが著者の主張だ。
だから、増税するよりも減税を実施して、経済の活性化を図り、税収の拡大を図るべきであるとする。その意味では、現在のわが国は、「財政危機」ではなく、誤った政策による「政策危機」と断じている。また、わが国の信用格付けをダウングレードしたことは、明らかに誤りであると主張する。論理の展開は歯切れがよい。 無視されている政府保有債権
著者の見解のすべてに賛同できるわけではないが、いくつかの点については十分な説得力がある。
特に、政府が保有する債権を捨象し、債務残高のみを見て、すぐにでも財政破綻が起きそうに騒ぐことに大きな意味はないだろう。冷静に、債権・債務、両方のバランスを考えることが必要だ。ご指摘のとおりだろう。
また、債務者の格付けの発想しか持ち合わせない人たちに、債権者の信用状態を評価するノウハウがないことは明らかだ。一定の資産を保有する経済主体は、いつでも、当該資産を売却して、返済原資に充てることが可能だ。一方、純債務者には、それができない。両者の信用力評価には、おのずから違った手法が必要になるはずだ。
ただ、フローベースで見た財政赤字は、垂れ流しでよいというわけにはいかないだろう。特に、わが国では少子高齢化の進展の速度が速く、社会保障費の増加ペースが急だ。減税で経済を活性化することによって、財政赤字が解決できるか否かは、もう一度考えてみたい。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 国富消尽―対米隷従の果てに | |
![]() | 吉川 元忠 関岡 英之 PHP研究所 2005-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経済を理解しようとすれば、政治を知らなくてはならない。ましてや国際経済においてはなおさらだろう。このあまりに自明のことが、しばしば日本の経済報道やエコノミストたちの議論には欠けている。本書は、まさに経済と政治との関係を詳細に観察し、鋭利に分析してきた吉川、関岡両氏による日米経済論である。
両氏は、昨年のライブドアによるニッポン放送買収劇を取り上げながら年内にも加速する外資の日本企業買収を予測し、また簡易保険の一二〇兆円を米保険業界に開放しただけの郵政民営化を批判し、さらにこれから始まる医療・保険改革が高負担低レベルの医療サービスをもたらすことを憂慮する。
米国流経済学の目で見れば生産性を上げるはずの「構造改革」が、政治的な視点を加えれば単なる「対米隷従」の経済政策でしかなく、日本には多くの災厄をもたらすことが、両氏の該博な知識と冷徹な観察眼によって明らかにされていくのである。 「神の手」ではなく「政治」がつくる経済
政治と経済の密接な関係を論じるのは、アカデミズムでも決して珍しいことではない。たとえばE・カプスタインの『世界経済を統治する』(ハーバード大学出版)は、米国が自国の財務省証券をいかに世界中に売り付けてきたか、また、いかに自国の都合でBIS規制などの国際制度をつくり上げてきたかを綿密な調査によって暴露した。それらの経済現象が「法則」や「神の手」によるものではなく、じつは大国の「政治」によって成されたことを示したのだ。
ここにある重厚な対談は、一九八〇年代に世界最大の債権国となりながら、九〇年代は長期不況に陥った日本に、米国のいかなる「政治」が仕掛けられてきたのかを、克明に浮かび上がらせている。
かつて吉川氏は、自著『マネー敗戦』に投げつけられた「正統派」経済学者の批判に対し、「私の立論はすぐれて論理的。現在の状況を従来の経済学の枠組みでとらえられないのは、むしろ経済学の貧困」と論駁したことがあった。吉川氏は対談直後に逝去したが、「遺作」となった本書でも、複雑な現実を強靭な論理で語り切っている。【評者 東谷暁 ジャーナリスト】
| デフレから復活へ―「出口」は近いのか | |
![]() | 伊藤 隆敏 東洋経済新報社 2005-10 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「失われた一〇年」といわれる長い停滞から日本経済はやっと抜け出したように見える。五五年体制と呼ばれた政策決定システムは、歴史的な変革を強いられた。この「明るさ」が株式市場に久びさの大活況をもたらしている。英誌「エコノミスト」が言うように「陽はまた昇る」ときがきたのだろうか。
このようなときにこそわれわれは一五年間日本経済に何が起こり、われわれがそれにどう対応し、今何が残された課題であるかを、世界的かつ歴史的な視野で検証する必要がある。 平易さと視野の広さ
本書は現在国際的に最も高く評価されている日本経済研究者の一人である著者が、まさにそのような問題意識を持って取り組んだ力作である。
バブルの発生と崩壊、長いデフレとその過程で露呈した多くの構造問題、それへの対応の成功と失敗、何が成就し、何が未完であるか。著者は鋭い理論的解析力と現実把握力を駆使してこの一五年間における日本の財政、金融、為替、国際貿易の軌跡を明快に説得力をもって描き出している。
特に評価したい点が三つある。第一は本書が政策と実体経済の相互作用を、立体的に動態的に描いている点である。生き物である経済の活写というべきか。第二は本書が理論的堅牢さを失わずにしかも平易に語られている点である。よくわかっている人の話がいちばんやさしいということのよい例である。第三は著者の視野の広さである。海外の読者にとっても十分読み応えのあるものになっている。
注文も二つある。一つは、政策評価についてはもっと歯に衣着せずに行なってほしい。経済とは畢竟、因果関係の連鎖なのだから完全無疵の評価はありえないのである。もう一つは、この一五年民間企業部門で起こった変化についての分析も欲しかった。マクロ政策がほとんど無意義であったこの数年間に日本経済が再生したとすれば、その原動力はすぐれて民間企業部門にあったと思うからである。
ともあれ本書は、いずれ著者が取り組むであろう世紀をまたぐ日本経済変動史の総括的大著の予告編として、推奨に値する一冊である。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| スティーブ・ジョブズ-偶像復活 | |
![]() | ジェフリー・S・ヤング ウィリアム・L・サイモン 井口 耕二 東洋経済新報社 2005-11-05 売り上げランキング : おすすめ平均 ![]() 勉強になります。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書の原著は昨年、アップル・コンピュータ社が出版を差し止めようとしたが、出版社(ワイリー)が拒否したため、アップル・ストアからワイリーの本がすべて撤去される騒ぎとなり、これがかえって話題を呼んで全米でベストセラーになった。しかし、その内容は特にスキャンダラスなものではなく、アップルの共同創立者スティーブ・ジョブズの劇的な半生を、バランスを取って描いている。
とはいえ、主人公がとてもバランスの取れた人物とはいえない。たとえば、ジョブズは億万長者になってからも、最初の恋人に生ませた子どもを認知せず、彼女は生活保護を受けなければならなかった。また彼は、自分の使っているホワイトボードに他人が書き込もうとしただけで激怒して罵倒し、その相手は退社した。
他方、ビジネスは結果がすべてだとすれば、ジョブズは勝者である。ガレージから出発して世界有数のコンピュータメーカーをつくり、そこから追放された後、アニメーション会社・ピクサーで世界初のフル三次元コンピュータ・グラフィックス映画を作って成功した。そして再びアップルに経営者として迎えられ、iPodなどのヒット商品を生み出した。コンピュータと映画と音楽という三つの分野で成功を収めた経営者は、ほかにはいない。
ジョブズの成功と失敗に共通する原因は、彼のエゴの強さである。これが数々の独創的な商品を生み、エゴイズムの渦巻くハリウッドで大物と対等に渡り合う交渉力の源泉となった。一方で、それが多くの優秀な(ジョブズに従わない)技術者を失い、「ネクスト」のような美しいが売れないコンピュータを作り出す結果ともなった。日本のベンチャー企業経営者に欠けているのは、よくも悪くもこのエゴの強さだろう。
本書は、企業戦略や技術にはあまり言及していないので、ビジネス書としてはもの足りない。また、アップルについての本はこれまでにもたくさんあり、本書にはその孫引きと思われる部分もある。しかし、個性的な起業家の一代記としておもしろく読めることは間違いない。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所研究理事】
| 物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進 | |
![]() | エマニュエル ダーマン Emanuel Derman 森谷 博之 東洋経済新報社 2005-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「資産」という言葉、以前はまったくのひとごとだったが、気がつくとずいぶん身近な言葉になった。つい最近まで、A銀行に口座を作った理由といえば、たまたまその銀行が家の近くにあったからであり、なぜB保険に入ったかといえば、たまたま「保険のおばちゃん」と仲よしになったからであって、実際それで十分だった。
しかし今は違う。生命保険にせよ、預金と債券の組み合わせにせよ、資産は自分で「選択」するものになった。他方、金融実務の世界でも、もはや経験知の時代は過ぎ去ろうとし、高度な数学とコンピュータの知識が求められる時代になった。そうした金融技術を担うのが計量フィナンシャリスト、別名「クオンツ」と呼ばれる人びとである。
本書は、物理学者からクオンツへ転身し、ゴールドマン・サックス証券の計量戦略グループを率いた著者ダーマンによる、緊張感溢れる、しかしどこか等身大の、ウォール街半生記である。
著者は(おそらく)一九四七~四八年頃の生まれ。物理学者になる夢を抱いて故郷・南アフリカから米国の大学へ留学。大学院へ進学し研究職を志望するが、いわゆるポストドクターの生活苦は今も昔も変わらない。任期制助手職では勤務地も選べず、幼い子どもを残しての単身赴任となる。この小さな場面では、泣きすがる子どものひと言に転機の訪れをすべて語らせていて、経済書にはまれな、美しいシーンになっている。
ベル研究所に転職してのち、ゴールドマン・サックスに移籍。そこであのブラック=ショールズ方程式を編み出したフィッシャー・ブラックに出会う。この運命的な出会いが第二の転機となって、金融工学の歴史に残るであろう数々の業績を上げてゆく。
だがしかし、その後も決して成功街道を驀進したわけではない。なにせ、クビになる経験までするのだから……。
本書は金融工学の「心得」についても語っている。実務家の率直な言として、熟読に値する文章だと思う。豊富な経験と豊かな人物描写に彩られた、才気溢れる一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| 会津戦争全史 | |
![]() | 星 亮一 講談社 2005-10 売り上げランキング : おすすめ平均 ![]() 斬新かつ冷静な分析による、明治維新解釈!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
昨年は戦争を思う年だった。そう心がけるべき年だと思ったのが、戦後六〇年として、太平洋戦争を語る本の数々が書店の店頭に並び始めた初夏の頃だった。
「戦争を思う」ところから、発想は「戦争を知る」というところに展開した。人はなぜ戦争をするのか。国境を越えた戦争と内戦とでは、どこがどう違うのか。かりそめにも、正当化できる戦争というものはあるのか。戦争は時を超えてどのような爪痕を残していくのか。こんなところを追究しようとする観点から、本書を読んだ。
著者は会津戦争を、薩長革命政府軍と奥羽越列藩同盟による東西対決戦ととらえている。列藩同盟の目指すところは東日本政権の樹立にあった。薩長によるゴリ押しの権力奪取の試みに対して、東北勢が新生国家樹立の夢を抱いて対抗した。
これが、鳥羽・伏見の戦いから会津戦争に至る一連の戦闘の基本構図だ。そう著者は主張する。明治新政府軍による旧幕府側の討伐戦だったという考え方を断固として排除している。著者の視点からいえば、戊辰戦争が引き分けに終わり、東西両陣営による連立政権ができていてこそ、過去を引きずらない理想的な明治国家が誕生したはずだった。
この考え方にはさぞや異論が百出であることだろう。それはそれとして、定説・通説をラジカルに否定する考え方が提示されることはとても重要だ。歴史が定説化されることは恐ろしい。定説が正統である場合にもそうでない場合にも、それをめぐっての異説や疑念に対して、どのような反論が成り立ちうるのかを知っておくことが、歴史をより深く理解するために不可欠だ。
本書いわく、「会津戦争からすでに一三七年が経過した。しかし心の決着はまだついていない」とある。一方で、戦後六〇年が過ぎて、太平洋戦争に関しては戦争の記憶の風化が懸念されている。この違いは何なのだろうか。
当事者性か、痛みか、怨念か。にわかには答えが出てこない。答えを追究するなかで、戦争というものの議論の余地なき非正統性を確認できるはずだと思う。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 改革の経済学 | |
![]() | 若田部 昌澄 ダイヤモンド社 2005-11-05 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
改革という言葉が盛んに唱えられているが、具体的にそれが何であり、どのような効果をもたらすのかは明確ではない。本書は、それを明らかにしようとする。
経済学に最も重要な原則は、「人びとはインセンティブに反応する」「無料(タダ)のランチはない」とまとめたうえで、それを使って、財政再建、企業家活動、郵政民営化などを論じている。さらに改革とともに、不況からの脱却、すなわち回復という課題があるという。
著者は、経済学説史の専門家であるから、過去の歴史的経験と学説が縦横無尽に使われている。 北極探検とオリンピックに学ぶ
郵政民営化の議論では、北極探検の事例が紹介される。公的探検と民営探検を比較して、公的探検は民営よりも劣っていたという。探検がそうであるなら、民営化は一般に効率的であるに違いない。企業家活動に対して、不況が効率を高めるという立場を取らない。企業家活動が盛んになるのは経済全体の状況がよいときであって、その逆ではない。
オリンピックのメダルの数は、前回のオリンピックのメダルの数でかなり予想できるという。選手の育成には時間がかかるが、一度育成した選手は次回のオリンピックでも活躍できるからだ。
日本経済の過去の蓄積も長期にわたって経済を支えるだろう。とすれば、一度成功した経済が一挙に停滞する理由が、構造的ということはなさそうである。
金融緩和によるデフレ脱却政策に反対する議論として、清算主義がある。不況は経済のムダをそぎ、効率的にする。物価を安定化するようなごまかしではダメというわけだ。しかし、実際にはそう潔かったわけではない。
清算主義に依拠してあえて不況を選択した昭和恐慌時の井上準之助蔵相のデフレ政策でも、現実には、日本興業銀行融資を増額するなど、選択的延命政策が採られていた。清算主義とはかなり怪しげなものだった。
著者は、最終的に、改革とともに回復のためのリフレ政策を推奨する。本書を最後まで読んだ読者は、この提案に賛同されるだろう。縦横無尽の語り口と一貫した経済学の理解が魅力的だ。【評者 原田泰●大和総研チーフエコノミスト】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2005年10月1日~12月14日 )
| “現代家族”の誕生―幻想系家族論の死 | |
![]() | 岩村 暢子 勁草書房 2005-06 売り上げランキング : 5,087 おすすめ平均 ![]() 伝統の断絶 現代の食の激変のきっかけは戦後にあったAmazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、昨年五月に本欄で取り上げた『変わる家族 変わる食卓』を書いた岩村暢子氏による現代家族を知るための「実証考察学」の第二弾である。前書は一九六〇年以降生まれの一五一世帯の主婦が提供する一日三食の食事の詳細な記録を取り、日本の家庭の食卓が崩壊しつつあることを明らかにしたものであったが、本書では、どうしてそのような崩壊が起こったのかを、前書に登場した主婦たちの実母四〇人にインタビューすることで検証したものである。
著者の分析手法は、観念的な(著者によれば幻想系)家庭生活観を客観的な事実確認によって論駁していくというユニークなものである。 根が深い社会や家族の問題
著者が発見した事実は、
(1)いま食を崩し始めている現代主婦の母親たちは戦中・戦後の食糧難時代に成長期を過ごし、昔ながらの家庭の食を食べることができずに育った世代であったこと(2)この世代は、戦前・戦後の価値観の転換や高度成長で次々に新しい電化製品や便利な加工食品が登場したこと、テレビや雑誌からの情報で新しいライフスタイルを取り入れていったことなどを通して、固定的なスタイルを守るというより、常に新しいスタイルに追いついていくべきだということを実体験した世代であること
(3)この世代は高度成長期の恩恵を最も受けており、十分に子どもに資金や時間をかけて育てていること。また、自分たちの戦中・戦後の苦労を子どもたちにはさせたくないという意識や自由放任主義志向も強かったこと、である。
このような事実を前に、著者は「今日浮上しつつある深刻な家族問題や奇妙な社会現象のいくつかは、このような家族の歴史のうえに、今ようやく顕在化し始めたことのように思えてならない」と結んでいる。
社会経済の構造変化は短期的で表層的な政策や一過的な流行によってもたらされるものではなく、世代を超えて無意識のうちに、しかも社会全体が一定の方向性を持って変わっていく。評者も、現代の家族問題に端を発する社会問題の解決は容易ではないということを、本書を読むことで実感した。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 不均衡発展の60年―低収益経営システムの盛衰と新時代の幕開け | |
![]() | 井手 正介 東洋経済新報社 2005-11 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、一九九四年にファイナンス理論の研究者である井手正介氏が出版した『日本の企業金融システムと国際競争』の続編だ。同氏は企業金融システムの面からわが国経済を詳細に考察し、過去の成長が不均衡な発展であったと断じている。さらに、今後、わが国の企業経営が取るべき進路を示しており、ぜひ、参考にしたいポイントである。教科書にして、何度でも読み返したい書物だ。
同氏が提示している三つの考え方は、今後のわが国の企業金融や経営手法に、きわめて有益な視点を示している。
一つは、わが国経済が、伝統的に“マクロ資本主義”の形態であったことだ。わが国では、従来、個々の企業が収益性を犠牲にしてでも、マーケットシェアを維持する行動様式を取ってきた。それは、資本効率を犠牲にしてでも、経済全体の規模や輸出競争力の向上を優先する“マクロ資本主義”であった。一方、米国では、個々の企業がそれぞれ経営効率を上げて収益を極大化する“ミクロ資本主義”であり、両者の基本的な考え方には、大きな差異が存在する。この事実認識は、今後の進路を考えるうえで、重要な出発点になる。
二つ目は、わが国経済が“マクロ資本主義”に基づいて成長してきた過程で、“マクロ資本主義”を標榜するあまり、資本収益性を犠牲にしてきたことだ。これが、「不均衡発展」の正体である。本来、資本主義の原理に従えば、資本効率の低下は企業の淘汰に帰結するはずなのだが、わが国の場合は、金融・資本市場の政府の管理政策や、企業と金融機関との密接なリレーションシップなどの要因が、その不合理を温存してきた。その歪みが、九〇年代初頭のバブル崩壊によって露呈した。本書には、それが実証的に示されており十分な説得力がある。
三つ目は、今後の企業経営が進むべき指針が、欧米型の「株主価値重視経営」と述べている点だ。経済・金融がグローバル化した現在、わが国だけが資本効率を犠牲にし続けることはできない。資本効率を重視して、株主の期待に応える経営を行なうことは不可欠であり、必然といえるだろう。【評者 真壁昭夫●信州大学経済学部教授】
| 川本裕子の時間管理革命 | |
![]() | 川本 裕子 東洋経済新報社 2005-07-29 売り上げランキング : 321 おすすめ平均 ![]() 【大切な時間の管理方法】 今すぐ使える、というものではない 特に新しいことはないけど基本かもAmazonで詳しく見る by G-Tools |
四〇年、一年二五〇日、一日一六時間とすると人間が一生のあいだで仕事に使えるのは一六万時間ということになる。多いと思うか少ないと思うかは本人次第だが、生きる以上はできるだけムダをしたくないと思うのが当たり前の人情だろう。
本書は銀行員、ビジネスコンサルタント、そして大学教授という多彩な職業をこなして現在大活躍中の著者が自らの職場と家庭での生活で会得した知恵と経験から、どうしたら時間を有効に使えるかを教えてくれる読み物である。説教めいた調子がまったくなく、すべてが大変具体的で平易に語られているからとても読みやすい。幅広い読者層に重宝がられることだろう。 成功と失敗を分けるもの
しかし、この本を単なる実用書だと言ったら著者は怒るだろう。軽い語り口の底に著者の並々ならぬ強い人生観が貫かれているからである。著者が繰り返して主張しているのは、われわれは何をしていても常にその行為の意義を考えようとする視点を持っていなければならないということである。それによって初めて時間を有効に使うことができる。
そしてそれができるためには、自分のしていることを同じ平面からでなく、少し高いところから見る努力がなければならない。自己を客観視するということ、それでなおかつ情熱を失わないというのは決して容易なことではないが、そこに人生の意義があるのだと著者は言うのである。
これは重要な指摘である。著者の意をあえて敷衍(ふえん)すれば、それは自己矯正能力の重要性ということになるのではないか。
個人のみならず市場も企業もさまざまなベクトルで動いている。個々の行動はいずれも主観的には合理的な判断に基づいているはずである。問題は、合成の誤謬が生じたとき、それを自ら矯正する力を持っているかどうかで市場や企業や個人の成功失敗が決まるのである。著者が強調する「自分を知ること」の重要さはそれがあって初めて自己矯正が可能になるからであろう。
単なるハウツー物から一歩先に出た啓蒙書である。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 現代企業の組織デザイン 戦略経営の経済学 | |
![]() | ジョン・ロバーツ 谷口 和弘 NTT出版 2005-11-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本経済は「失われた一五年」を抜け出す出口がようやく見えてきたようだ。
しかし、これを景気循環だと考えると、その長さと深さは理解しがたい。これを克服したのは「小泉構造改革」だ、というのも短絡的だろう。その原因は、著者も日本語版序文で指摘するように、「一時は環境に適応していた日本の企業モデルが、環境の大きな変化に適応できなかった」ことによると考えられる。
こうした問題を経済学で分析することは難しい。新古典派理論では、企業は内部構造を持たない個人商店のような存在と考えられているからだ。しかし、ここ一〇年ほどのあいだに、企業についての経済理論は急速に発達した。本書はそうした新しい企業理論の成果をコンパクトにまとめたものだ。 環境の変化に対応するための理論
本書のエッセンスは、第二章「組織デザインの主要概念」にまとめられている。そこでは「補完性」や「非凸性」などの概念で組織を分析している。
たとえば日本企業が高い競争力を発揮した自動車・家電などの分野では、生産要素の補完性が強く、複雑な共同作業の整合性(コヒーレンス)が重要で、一つの要素の水準だけを引き上げても全体の水準は上がらない。
しかし社内の調整では対応できない環境変化もある。高い山と低い山があるとき、低い山の頂上でいくらがんばっても高い山の頂上にはたどり着けない。このように「局所的最適」な点が複数ある(凸凹した)環境を「非凸」の集合と呼ぶ。この凸凹のなかで、どこが「大域的最適」であるかを見極めるのが企業戦略だ。
日本の企業の意思決定は内向きで、社内のコヒーレンスは大事にするが、環境変化に社内の調整で対応しようとする傾向がある。しかし大局的な環境変化を見極め、一時的にコヒーレンスを断ち切ってでも改革を行なうことが経営者の仕事なのである。
本書は、こうした理論を展望するとともに、それを多くの具体的な企業のケースで検証している。企業戦略を系統的に考えようとするビジネスマンには、参考になるであろう。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】
| 零度の社会―詐欺と贈与の社会学 | |
![]() | 荻野 昌弘 世界思想社 2005-10 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
経済学は、経済現象を「交換」になぞらえて理解しようとする。ただし、かつての理論では、交換当事者が同じ条件にあることが要求された。つまり一方は素人、他方は名うてのプロ、といった場面は除外された。
理論としてはそれでよかろう。しかし現実の「商売」ではありえない話だ。加えてもう一つ、この条件の下では「詐欺師」もまた現れようがない。そして詐欺師の現れなかった経済というのも、古今東西例があるまい。はたして「詐欺」を例外視していて市場経済を理解できるのか。本書は、こうした斬新な角度から問いを投げかけつつ、身近な例外である「詐欺」について、刺激的な論考を展開している。
本書のユニークさは、「詐欺」を「騙す」側からではなく、むしろ「騙される」側から読み解こうとした点にある。また単に犯罪としての詐欺を考えるというよりは、詐欺とわかっていて、なお身を委ねてゆくかに見える「被害者」たちの行動心理に、経済ルールと一体化しつつある日常への一種の抵抗を読み取ろうとする。
つまり、いかにして詐欺から身を守るかといった実学的関心が本書のテーマではなく、市場のモラルとルールの裏をかくものとしての詐欺に現代ならではの解放願望を読み取ろうとする。われわれが映画「スティング」や「水戸黄門」(本書によれば水戸のご老公も立派な詐欺師である)のような見事な詐欺に、思わず喝采を送ってしまうのはそのためである。なるほどとうなずける展開である。
もっとも、本書の言からすれば、詐欺師とセールスマン、あるいは詐欺と販売は紙一重ということになろう。それは誰でも感じていることだ。それが手口だとわかっていてもつい乗せられてしまうあたり、著者の言う「騙される」側の解放願望と共通する面があろう。
しかし、多くの人はそれでも詐欺と販売は違うはずだと感じているだろう。これは単なる錯覚なのか。日常経験にも応用できるような理論化がなされていれば、さらに興味が深まったと思われる。
着眼の新鮮さを堪能できる一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| ハードワーク~低賃金で働くということ | |
![]() | ポリー・トインビー 椋田 直子 東洋経済新報社 2005-06-17 売り上げランキング : 263 おすすめ平均 ![]() チャレンジ精神は認めるけど・・・ 現代への布石か 『ムハマド・ユヌス自伝-貧困なき世界を目指す銀行家-』と合わせ読みたいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
第一章に怖い一節がある。いわく、「上下の所得格差が開くにつれて、社会的な上下移動にもブレーキがかかってきたのだ。……いまや、下にいる人たちは、どうやっても頂上にはたどり着けない」。
著者は英国「ガーディアン」紙の熟練コラムニストだ。副題にある「低賃金で働くということ」の実態を知るために、生活困窮者になりすます。そして、斡旋されるままに、病院の運送係に、電話の押し売りセールスに、老人ホームの介護助手に、給食のおばさんに、にわかケーキ職人に、と手当たり次第、ありとあらゆる低賃金労働に従事する。本書は、その体験記である。
孫もいるという年ばえの著者にとって、これだけの多様な重労働に就くこと、それ自体がまさしくハードワークだ。だが、鉄のおばさま記者はそれを物ともしない。低所得者用のボロ宿舎で一人暮らしをしながら、アングロサクソン資本主義下における社会的弱者たちの実態を全面体感し、余すところなくルポしている。
弱者たちの生活実態はすさまじい。だが、それにも増してすさまじいのが、「民間委託」というやり方に潜む搾取と差別の構図だ。
著者が体験したハードワークの一つに、英国外務省内の託児所での仕事があった。エリート外務官僚の子どもたちが相手だから、すばらしい設備だ。だが、その運営を委託された民間会社は、コスト圧縮のために派遣従業員を多用し、彼らを超低賃金でこき使う。「民間委託」で経費節減を実現した外務省は、その実情から徹底的に目を背ける。見ぬ物清し、である。
やれ「エージェンシー化」だ、やれ「市場化テスト」だ、と「民にできることは民に任せる」方式を無神経に貫くと何が起きるか。そこに追及の目を向けたところに、本書の大きな価値がある。
お役所仕事を民活導入で効率化することはいい。雇用形態の多様化・柔軟化も結構だ。だが、そうしたなかで起きる切り捨てを黙殺すると、その先にあるのは結局のところ経済社会の荒廃だ。
小泉純一郎首相向けの推薦図書である。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 素数ゼミの謎 | |
![]() | 吉村 仁 文芸春秋 2005-07-12 売り上げランキング : 306 おすすめ平均 ![]() 大自然の中で生き残るために進化していく生物の驚異を味わえる書 あっという間に!読み終えて 興味深いですが、大人向けではありませんAmazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は米国南部・東部で定期的に発生するセミの大群の秘密を、進化論と数学の概念を使って見事に説明した科学読み物である。
セミは生涯の大半を地中で過ごし、地上に現れてわずか二週間のうちに子孫を残して死んでしまう。日本のセミの生涯は七年周期であり、出現する地域も限定されていないのに対して、米国のセミは一三年周期と一七年周期であり、それぞれの年に出現する場所が限定されている。
本書はこの米国の周期ゼミに関する三つの謎を解くことで進行していく。すなわち、(1)なぜこんなに長年かけて成虫になるのか?(2)なぜ同時に同じ場所で大発生するのか?(3)なぜ一三年周期と一七年周期なのか? 交雑の機会は二二一年に一度
まず、長年かけて成虫になるのは、北米各地が氷河期に入り温度が低下し、成虫になるのに時間がかかるようになり、やがてそのパターンが身についたということである。また、同じ場所で大発生するのも、氷河期に生き延びたセミが、成虫になって地上に出たときにパートナーを容易に探すことができるように、一定地域に群れをなして発生する性質を身につけたのだと解釈されている。
最後に、なぜ一三年周期と一七年周期なのかという問題の答えがユニークだ。すなわち、一三と一七は共に素数であり、その周期ゼミが同じ年に出会うのは最小公倍数の年であり、この場合は二二一年に一度ということになる。これが六年周期と八年周期のセミであれば、二四年に一度出会うことになり、はるかに頻繁に周期の違うセミ同士の交雑が起こる。その結果、親とは違うさまざまな周期の子どもが生まれ、パートナーがうまく見つからず、子孫を残すことなく絶滅していったと考えられる。それに比べて、素数周期ゼミはほかの周期ゼミとの交雑の確率が少なく、同一周期のセミが生き残ったということである。
セミが地中で生存できる生物的限界がほぼ一七年ぐらいであるともいわれており、素数の概念など知る由もないセミが進化の極限まで行き着いた姿は感動的であると同時に、自然の摂理の合理性にただただ驚かされる。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】
| 消費税15%による年金改革 | |
![]() | 橘木 俊詔 東洋経済新報社 2005-08-31 売り上げランキング : 19,214 おすすめ平均 ![]() 素晴らしい提案と思う。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、労働経済学などの研究で著名な橘木俊詔氏が書いた年金改革の啓蒙書だ。タイトルはやや刺激的だが、同氏の年金改革の提言は明快で、説得力がある。また、年金制度の歴史がコンパクトにまとめられており、年金の仕組みを理解するにも役立つ。
今後、急速な少子高齢化に直面するわが国では、国民の公的年金に対する信認は低く、年金制度の改革は喫緊の課題である。 年金一元化と消費税方式を提言
同氏の提言は、主に二つの部分からなっている。一つは、公的年金制度を一元化することだ。年金とはそもそも、リタイア後に大きな不自由なく安定的な生活ができることを保障する仕組みである。現在のように雇用者や、雇用の条件などによって異なる制度を採ること自体が不自然だ。厚生年金、共済年金、国民年金を一つの制度に集約する。至極当然の議論だ。
二つ目は、基礎年金部分を全額消費税、しかも累進性の消費税によって賄う方式への変更だ。現在のように未納率の高い保険料徴収の仕組みを、インボイス方式による消費税方式に変えることによって、年金財政を無理なく継続できるように改革するのである。消費税は、品物の贅沢度に応じて、税率を累進性にして、中・低所得者に対する負担を軽減する工夫もビルトインしてある。
そうした条件を前提にすると、将来の年金制度を維持するために、消費税を一五%に引き上げる必要があるというのが本書の主張だ。
これらの議論は、いずれも同氏のしっかりした基礎研究のうえに組み立てられている。それに反論があるとすれば、人びとの価値観の違いや、改革案の実現可能性についての議論だろう。
ただ、改革提言の出発点は明確な理念や目的意識が必要だ。本書には、国民に安心感を与えると同時に、経済効率を損なわないという、明確な目的が示されている。その目的を実現するために、何を行ない、何を捨てるか、という優先順位の議論をすればよい。
その意味で一五%の消費税は、大きな意味を持つ。国民が公的年金制度を真剣に考えるとき、有用なメルクマールとなるからだ。【評者 真壁昭夫 信州大学経済学部教授】
| 日露戦争史 - 20世紀最初の大国間戦争 | |
![]() | 横手 慎二 中央公論新社 2005-04-25 売り上げランキング : 1,184 おすすめ平均 ![]() 一般向けに冷静に書かれた良書です 互いの無知と不信が原点か オーソドックスな日露戦争通史Amazonで詳しく見る by G-Tools |
二〇世紀の初頭に行なわれた日露戦争でアジアの新興国が欧州の大帝国を破った。それは近代日本にとってきわめて重要かつ貴重な経験であったのみならず、その後のアジアと世界の動きに大きな影響を与えた出来事でもあった。現在に至るも日本人にとって日露戦争はほとんどかげりのない栄光として記憶されている。司馬遼太郎(しば・りょうたろう)著『坂の上の雲』に代表される明治賛歌は二〇世紀末の閉塞状況にあった多くの日本人にとって貴重な清涼剤でもあった。
だが、日露戦争は日本と世界の近代史を冷静に考えるという視点からはさらに広く深く、そして現在と結び付いた洞察の対象となってしかるべきテーマであるだろう。
その意味で本書は、簡潔ではあるが、そういう問題意識を明確に提示した優れた業績であると思う。歴史を観る者は鳥のように大空から俯瞰し、虫のように地表を探り、魚のように流れを見出さねばならぬといわれるが、本書はまさにそのような歴史観を追究しようとする貴重な試みである。
著者は広範な史料を基にして日露両国における政策決定の過程や主要な戦闘の経緯を再現している。冷静で詳細なその記述はあたかも記録映画を見ているような臨場感と緊迫感を味わわせてくれる。のみならず著者はそのような微視的描写と並行してその背景をなす世界の動きに目配りすることも忘れないのである。
印象に残った著者の指摘がいくつかある。一つは、日露戦争における日本の政策姿勢が「欧米諸国に対しては分をわきまえた新興国として振る舞い、東アジアでは巧みに自己の地歩を固めて影響力を増していた」というところである。もう一つは、ロシアでは戦後日露戦争の歴史を検討する委員会が設置され、膨大な史料を基に非常に詳細で厳しい戦史が編纂されたのに対し、日本の公式の戦史が奇妙なほど分析姿勢を欠いていたという指摘である。
日露戦争後四〇年の日本を振り返ると、戦争で大事なのはそれが正義のためだったかどうかではなく、賢かったか愚かだったかだとつくづく考えさせられる。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 明日は誰のものか イノベーションの最終解 | |
![]() | クレイトン・M・クリステンセン スコット・D・アンソニー エリック・A・ロス ランダムハウス講談社 2005-09-16 売り上げランキング : 4,509 おすすめ平均 ![]() 判りやすいのだが,,, やっとわかった! 歯ごたえ十分Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者の一人、クリステンセンが八年前に書いた『イノベーションのジレンマ』(邦訳は翔泳社)は、いまや経営学の古典の一つといってもよいだろう。
彼は、優良企業が、その技術が優秀であるがゆえに新しい企業の挑戦に敗れるというパラドックスを分析した。その後、彼の理論は『イノベーションへの解』(翔泳社)として発展したが、本書はその理論を多くの産業のケーススタディによって検証したものである。 変化のシグナルから未来を予測
この理論の中核にあるのは、『イノベーションのジレンマ』以来のテーマである「破壊のイノベーション」だ。企業は、普通、既存の製品を改良する「生き残りのイノベーション」に力を入れ、それよりも安価で質の劣る破壊のイノベーションを「おもちゃ」として軽視し、結果的に競争に敗れることが多い。
もう一つの柱は、「バリューチェーンの進化」である。製品の性能が市場の要求に満たないときは、製品全体を調整して性能を上げる必要があるので、統合的なイノベーションが行なわれる。製品が成熟すると、要素技術が「モジュール化」され、製品がばらばらの部品の組み合わせで実現できるようになり、「日用品化」する。第二部では、この理論を教育、航空、半導体などの産業に適用して、それらの今後の方向を予測している。
そこに一貫しているのは、未来を過去の単純な延長と考えるのではなく、業界の状況を前述のような理論で分析し、そこに見られる「変化のシグナル」から、次に何がくるかを予測する姿勢である。
経営学の教科書といえば、ケースを羅列したものが多いなかで、本書はそれを理論的に解明している点に特色がある。
ただ、理論といっても経済学のように抽象的なモデルではないので、とっつきやすい反面、どうにでも都合よく解釈できる曖昧さがある。
また全体に繰り返しが多く、冗漫だ。邦訳は、やや生硬でわかりにくく、「回線交換」を「回路交換」とするなど、専門用語の誤訳が散見されるのが残念である。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】
| ここが危ない!アスベスト―発見・対策・除去のイロハ教えます | |
![]() | アスベスト根絶ネットワーク 緑風出版 2005-08 売り上げランキング : 8,999 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
アスベスト問題が後を絶たない。先日も、ある小学校で教室の天井からアスベストが発見され、急きょ体育館に仮教室を作って授業をしているというニュースがあった。そもそも日本でアスベスト問題が浮上したのは一九八七年。小中学校の教室にアスベストが使われていたことが報じられ、大問題になったことがきっかけだった。以来二〇年近い時日が経過しているというのに、なぜいまだに、基本調査すら完了していないのか。 まだまだ足りない知識と情報
アスベストの使用範囲からすれば、ほとんどの日本人が、大なり小なりアスベストを吸い込んでいると考える必要がある。そしていったん悪性中皮腫などを発症した場合、有効な治療法はまだ存在しないという。
それにしては、行政当局はもとより、一般市民の危機感もなぜか弱い。知識と情報の不足がやはり大きいのではないか。
本書は一六〇ページ程度の小著ながら、アスベストについてわれわれがまず知りたいと思う基礎的な知識を要領よく伝えている。これほど問題化しているのだから当然アスベスト使用は禁止されているだろうと思っていたが、日本ではまだ年間二〇万トンものアスベストが輸入されているという。
アスベストというと、ビルやマンションのエレベーターシャフトや駐車場をイメージするが、木造住宅の防火用外壁や、最近の洋風戸建て住宅などに見られる薄い瓦にはアスベストを使っているものがあるらしい。いずれも代替品があるというから、これから住宅を建てる人は知っておく必要があろう。本書はさらにアスベスト相談窓口、アスベスト検査機関、対策工事に関する融資制度の情報なども載せている。実際、アスベストが気になっても、相談先がわからずに困っている事業所も多いのではないか。
こうした問題は本来、地域差を残さぬよう広域行政で対処すべきであり、向こう四年間安泰になったのであれば、腰を据えてまず取り組むべき国政課題にも思えるが、事は急を要す。
物騒な表現ながら、なんにつけ市民の知識武装が求められる時代になったと思う。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】
| もう、神風は吹かない | |
![]() | シュミット村木眞寿美 河出書房新社 2005-07-14 売り上げランキング : 100,836 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
戦後六〇年の今年、書店は第二次世界大戦を語る著作の数々でいっぱいだ。そのことに少々安堵する。節目節目で戦争の記憶をたどろうとする世相が消滅したときが怖い。そうならないことを祈る。
数冊読んだ類書のなかで、本書に最もつらい思いをさせられた。読みにくいわけではない。筆致は簡潔だ。つらいのは、著者と取材相手とのあいだに起こる思いの衝突と交錯である。
「『特攻』の半世紀を追って」の副題のとおり、本書は生還した特攻隊員たちとの会話を軸に展開していく。著者はドイツ在住が長い。娘の夫がドイツ放送協会の極東特派員で、特攻に関するドキュメンタリー番組をつくることになった。その彼の取材に通訳を兼ねて同行するなかで、著者独自の神風探訪が進む。 涙のテーマパーク 特攻平和会館
著者は鹿児島・知覧の特攻平和会館を繰り返し訪れている。「特攻の勇士」を徹底的に美化するその設計思想とセンチメンタリズムに、著者は限りなく怒りとおぞましさを感じている。「知覧、涙のテーマパーク」と言い捨てる筆運びに、胸をえぐられる彼女の思いが滲み出ている。みぞおちが凝縮する感じなのだろうなと思う。
涙のテーマパークを語る件(くだり)に、驚くべき一節があった。「いろいろなところに、たくさんの千羽鶴がかかっている。見学の生徒のものらしい。『ありがとう。あなたのお陰で平和がきました』……」。とんでもない論理の転倒がそこにある。これを目の当たりにした著者が、「ちょっと待って。もう少し考えて。千羽鶴よさようなら」とやり切れなさを悲鳴にしている。
このやり切れない思いを、著者は特攻生還者たちと共有したい。ところが、それが決して簡単ではない。言下に戦争を否定し、自分たちを自爆死に追いやった軍部への怒りを爆発させてほしい。だが、彼らの口は重く、心境は複雑だ。
そのときの自分の全否定につながる特攻批判に、彼らはそう簡単に乗ってはくれない。もどかしさに著者の胸がかきむしられる。ここが本書のつらいところだ。だが、そのつらさのなかから、戦争というものの邪悪さの根源が浮かび出てくる。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 ( 2005年7月2日~9月24日 )
| サウス・バウンド | |
![]() | 奥田 英朗 角川書店 2005-06-30 売り上げランキング : 1,302 おすすめ平均 ![]() やっぱりすごい人だ……。 無駄な正義感をお持ちの方へ 奥田の筋の通し方Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中野ブロードウェイで遊ぶ小学六年生、上原二郎の父親は元過激派でアナーキストだった。父は、国家は不要であり、人間は自立して自給自足で生きるべきだという思想の持ち主だ。子どもにとって父親は厄介者にすぎない。
変わった父親を持つ以外にはなにも変わらない子どもたちの生活が描かれていくが、舞台はいきなり暗転する。二人で一万円用意しろと中学生に脅されたのだ。喝上(かつあ)げする中学生たちと脅される小学生たちの、複雑で残酷な人間関係は、リアルで息苦しいほどだ。
子どもの世界では、おとなは無力だ。おとなにチクッても、さらにたちの悪い仕返しが待っている。おとなが子どもに与えることのできる罰はわずかなものだと、悪に走る子どもたちは知っている。打ちのめされる子どもたちの世界は重苦しい。父が言うように、おとなのつくった国家は役に立たないものなのかもしれない。
二郎は、おとなに守られた子どもの世界も垣間見る。そこにはいじめも喝上げもない。無色透明な子どもたちの世界と二郎の世界が対比される。階層社会とはどういうものかがわかる。
二郎の父親とは異なって、普通の親は子どもにおとなに守られた世界で過ごさせたいと思う。しかし、それにはおカネがかかる。国家が子どもが生まれてほしいと思うなら、不条理な子どもの世界におとなが介入することが必要だ。
二郎の苦しみは、自分が本気になって不条理な暴力に反抗し、おとなが本気になってくれたことで解決する。勇気を示した子ども二人の泣かせる道行きがある。
子どもの世界を描いていた小説は、後半、新たな展開を見せる。父親は自らの思想を実践すべく、家族を引き連れて沖縄に移る。父親は、そこで意外な力を見せる。
そんな父親は、二郎に、立場で生きない、人と違ってもいい、これは違うと思ったら負けてもいいから戦えと教える。
おとなの生き方は、そのとおりではなくても、その本質において子どもに伝わっていく。伝えるべき本質についておとなに考えさせる傑作だ。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】
| グリーンスパンの嘘 | |
![]() | ラビ バトラ Ravi Batra Pema Gyalpo あうん 2005-07 売り上げランキング : 45,986 おすすめ平均 ![]() 嘘を暴くよりも、利他の精神文化をどうやって定着させるかが大切!Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者も認めているようにグリーンスパン議長はいまや世界の金融界における偶像である。一九八七年の就任直後に発生したブラックマンデーの株価暴落、アジア金融危機、ロシアの債務不履行で破綻に瀕したヘッジファンド、ITバブルの崩壊。次々と金融市場を襲った危機を果断な流動性供給で乗り越えた。巧みな話術で市場の信頼を築き、誘導した。歴代大統領の信任も厚い。
このグリーンスパン氏が嘘つきであり、詐欺師だと主張するのだから、本書は誰にとっても興味津々たるものがある。しかし残念なことに評者の読後感はいささかの失望であった。 著者への疑問はあるけれど……
理由は三つある。一つは、グリーンスパン氏批判が一七年に及ぶFRB議長としての業績に対してより、就任以前に彼がかかわった社会保障制度改革に対して最も痛烈な口調で行なわれていることである。周知のように、ブッシュ大統領は二期目の主要課題として社会保障制度改革を掲げているが、百論百出でいまだに結論が出ていない。グリーンスパン氏が米国の社会保障制度を壊してしまったかのような議論は説得力がない。
第二に、著者がグリーンスパン氏の蓄財とか女性関係という根拠の定かでない個人攻撃のような論難に及ぶため、彼の金融政策におけるどのような欺瞞性が米国経済を苦境に陥れているかが理解できない。米国経済が一〇年を超える高成長を続け、世界経済を牽引する最大の機関車になっていることはまぎれもない事実だからである。
第三に、この著者がヒンドゥー教のマントラと瞑想の力によって予測能力を高めたとしていることに対する俗人的違和感である。
しかし評者は本書が単なる際物にすぎないと決めつけるつもりはない。本書によってグリーンスパン氏という偶像化された人物の、ほとんど報道されていない一面が生々しく描かれていることはそれなりに貴重であり興味深い。それにもまして、グリーンスパン氏への好悪にかかわらず、グローバリゼーションの下で急速に進展している世界経済の金融化の流れに対する深い底流としての危機感を、切実に訴えているからである。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】
| 日経新聞の黒い霧 | |
![]() | 大塚 将司 講談社 2005-06-26 売り上げランキング : 6,777 おすすめ平均 ![]() 「物言う」ジャーナリスト(普通か・・・) 読み出したらとまらない 読み出したらとまらないAmazonで詳しく見る by G-Tools |
日本経済新聞の現役特ダネ記者が自社のトップの不正を追及し、懲戒解雇された事件は、読者の記憶に新しいのではないか。一年余を経て鶴田卓彦社長(当時)を退陣に追い込み、自らも法廷闘争のすえに復職を果たした男が、内幕の一端を明らかにした。
話は一九九〇年、中堅商社・イトマンの乱脈経営をめぐる報道に遡る。事件化の過程で、日経新聞社内に一〇〇〇万円ものマスコミ対策費を受け取った者がいるとの証言がなされ、さらには九五年、コスモ信用組合の破綻に際しても、社内のスキャンダルが浮上した。
いずれにも鶴田社長の関与が色濃かった。気づきつつ、著者は物事の正邪を問わない、現実に進行している事態をいち早くスクープすることばかりに全力を傾注していた。資本主義の発展を目指す日経に入社しておきながら、あたかも学生運動の延長線で取材先を批判したがる先輩や同僚に対する嫌悪ゆえのスタンスは、しかし、一方でジャーナリスト精神の喪失にも通じてしまっていたという。
千葉支局長に転出し、時間の余裕を得た著者は、自らと社のあり方を深く考え始める。社説の迷走。人事の歪み。猛省とともに彼は立ち、スクープ取材の積み重ねで身につけた調査能力をフル活用して、言論報道機関としての日経新聞の再生に賭けていった――。
不正を糊塗するためなら人事権の濫用を辞さないトップの醜悪や、雑誌「噂の真相」と「選択」だけは担当者に申し入れないと閲覧できない資料室等々、細部にわたる大手新聞社の内情は興味深い。社長賞や編集局長賞など九本もの賞状を破り捨て、スーパーのポリ袋に放り込むシーンがかっこいい。
宿敵・鶴田社長の人物描写もリアルだ。言論人としての責任感の代わりに、「ガキ大将のようなクソ度胸」だけがある。思えば近頃の自称リーダーたちは、みんなこんなふうになってしまった。
新聞記者に限らない。人間一人ひとり、それぞれの人生が、“サラリーマン”の形容だけで括られ、組織にしがみついていけばよい時代ではないと、評者は思う。すべての読者が楽しみながら学び、明日への糧にできる作品である。【評者 斎藤貴男 ジャーナリスト】
| サルトルの世紀 | |
![]() | ベルナール=アンリ レヴィ Bernard‐Henri L´evy 石崎 晴己 藤原書店 2005-06 売り上げランキング : 7,296 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
今年はサルトル生誕一〇〇周年だが、彼ほど生前と死後の評価の落差の大きい哲学者も珍しい。かつては世界的な大知識人として、その派手な言動は賛否さまざまな反響を呼んだが、今では哲学的にも政治的にも破綻した過去の人として忘れられている。
著者は、かつて「新哲学」の旗手としてサルトルに代表される左翼知識人を攻撃したが、本書では一転してサルトルを再評価する。それは「実存主義はヒューマニズムである」と宣言した戦後のサルトルではなく、「物」の確かさへの畏怖と「意識」への不安を抱く初期のサルトルだ。
『嘔吐』の主人公はヒューマニストを冷笑し、『存在と無』の自己は他者と決して和解しない。「実存は本質に先立つ」という命題も、個の実存を大きな共同体の本質に回収してしまうヘーゲル主義への反抗である。
それは時代をはるかに超えて、ポストモダンの哲学者たちの〈人間〉を否定する思想に通じる面を持っている。
しかし戦後、論壇のスターになったサルトルは、かつて否定したはずの共同体を共産党のなかに発見し、スターリンを擁護する。さらに一九六八年五月以降は毛沢東派のリーダーとなり、最後はユダヤ教に回帰するかのような謎の文書を遺して世を去る。 “転向”後も顔を出す初期のサルトル
この矛盾に満ちた生涯を、著者は初期の「第一のサルトル」と戦後の「第二のサルトル」の分裂として説明する。サルトルの「転向」は、彼の捕虜収容所における集団生活の体験をきっかけにして起こったが、晩年に至るまで、第一のサルトルは彼の著作のあちこちに顔を出すとする。
著者の論証は、厳密な文献考証ではなく、未整理で冗漫な部分も多いが、不思議な説得力がある。文体はジャーナリスティックで読みやすく、なによりもサルトル論として圧倒的におもしろい。サルトルの矛盾がすっきりと説明されているわけではないが、それは二〇世紀という時代の抱えた矛盾でもある。
この意味で、まさに二〇世紀はサルトルの世紀だったのである。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】
| 功利主義は生き残るか―経済倫理学の構築に向けて | |
![]() | 松嶋 敦茂 勁草書房 2005-05 売り上げランキング : 35,242 おすすめ平均 ![]() 一見単純に見える功利主義の豊かさAmazonで詳しく見る by G-Tools |
功利主義という言葉は、通常あまりいい意味では使われない。「功利」という語感がそうさせるのか、功利主義的というとたいてい、打算的とか利己的といったニュアンスで使われる。しかし、功利主義の標語とされる「最大多数の最大幸福」の本来の意味は、最大多数の幸福をもって「公益」を定義することにあった。現に、「功利」の原語「ユーティリティ」には、公益企業という意味があって今日でも普通に使われている。
他方で功利主義には、所得格差の縮小が公益の増進につながることを示す論理も含まれていて、それが現在の累進課税制度につながっている。経済学は、ある時期から功利主義との縁を切ろうとしてきた。しかし、経済のあるべき姿を考えようとするとき、特に、分配の公正を問題にしようとするとき、功利主義を完全に凌駕できるだけの思想は、いまだに現れていない。
本書は、こうした経緯を背景にしながら、そして格差拡大の声が日々強まる日本の現状もおそらく見据えながら、功利主義に現代思想としての可能性を見出そうとする。ミル、エッジワース、ヴィクセルといった一九世紀の経済思想家から、ロールズ、シンガー、スキャンロン、フッカーといった現在の思想家まで広く取り上げ、著者自身自問を重ねながら思考を深めてゆく。話題は経済に限定されず、たとえば野生動物の保護を言いつつ、他方で大量の魚を捕獲している現状を、正しいと考える倫理思想なども紹介されている。 質の目線を持った功利主義
本書は、新しい功利主義像を確立するものではない。しかし本書の議論からすれば、新しい功利主義とは、「最大多数の最大幸福」を基礎にしながらも、その重点を大きく後半へ移したものになることが予想される。つまり「最大多数」が幸福になればそれでよいとしてきた古い姿勢から、いかなる「最大幸福」を目指すべきかを繰り返し問うような、「質の目線」を持った功利主義への転換が求められている。それを功利主義の進化と見るか破綻と見るかは議論を大きく分けるだろう。
この夏、じっくり腰を据えて読みたい一書である。【評者 井上義朗 ●中央大学商学部教授】
| 投資に勝つためのニュースの見方・読み方・活かし方 | |
![]() | 吉田 恒 実業之日本社 2005-06-01 売り上げランキング : 18,299 おすすめ平均 ![]() 為替の本でした。 相場の「歪み」にチャンスありAmazonで詳しく見る by G-Tools |
先日、本書の著者とテレビの討論番組でご一緒した。その直後、書店のビジネス書コーナーで本書を発見した。これは運命の出会いに相違ない。
タイトルが少々散文的だが、本書の全編を通じて語りかけてくる著者の感性はなかなか詩的だ。詩的だといっても、甘い叙情性の話ではない。マーケットジャーナリストの乾いた観察眼がそこにある。
マーケットジャーナリストというのは、いい言葉だ。マーケットに翻弄されず、ジャーナリズムに溺れない。それがマーケットジャーナリズムの神髄だ。 エコノミストとの数多い共通点
そんな特性を持つマーケットジャーナリストと、私のようなエコノミストとは似た者同士だ。本書を読んでそう思った。それが証拠に、本書の中には、これは自分が書いたのじゃないか、と思う言い方がたくさん出てくる。ざっと挙げていけば、「『言葉』とは論理」「経済統計のカラクリ」「常識はまず疑ってみる」「ストーリーテラーになれ」といったところである。
論理性のある言葉は社会科学にとって命だ。これを言うのは唇寒いが、真理は真理だから、致し方ない。また、経済統計はそのカラクリを知っていればこそ、分析力の軸となり、自己主張の強力な武器となる。カラクリを把握することなく無批判に受け入れて振り回されれば、経済統計は麻薬であり、劇薬だ。
なにはともあれ常識を疑ってみることは、真実を探り当てようとする者の常識だ。むろん、なんでもむやみに疑ってかかればいいというわけではない。それだけであれば、単に性格が悪い人間だということにすぎない。
だが、マーケットもジャーナリズムも、そしてまたエコノミストも、時として非常識なことを常識だと思い込んでいる。その思い込みの呪縛をどう振りほどくか。そこが問われるところだ。この力学の妙味を本書がふんだんな時事的実例で示してくれている。
論理性をもって主張し、経済統計のカラクリを承知し、常識の非常識を暴き、そして、語るべき自分のストーリーを持つ。これだけ揃えば世に怖いものなしだ。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】
| 半島を出よ (上) | |
![]() | 村上 龍 幻冬舎 2005-03-25 売り上げランキング : 1,736 おすすめ平均 ![]() ありえる! 話。 想像力に圧倒される 徹夜で読んでしまいました。Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 半島を出よ (下) | |
![]() | 村上 龍 幻冬舎 2005-03-25 売り上げランキング : 1,274 おすすめ平均 ![]() 圧倒的なディティール 胸に迫ってきます 貧困と死、愛と犠牲、人格と破壊。 |


2008年サブプライムローン問題の行方は?!
忙しい方はの第1章「21世紀初めの日本と世界」だけでも


天皇の人間宣言
功罪














王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪<
br />

いや、しかし
批判する立場から<
br />


切れ味のよい論説
グローバル化と国内経済の関係を明快に描き出した好著!


竹中構造改革の虚妄を暴く決定版!


「自由と民主主義」の伝統を尊重するという原則

ワン・ワールド経済体制を解き明かし
た快著




この人なかなか根室の曲者です
![持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち](http://ec1.images-amazon.com/images/P/4478920443.01._SCMZZZZZZZ
_V45677943_.jpg)








![持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち](http://ec1.images-amazon.com/images/P/4478920443.01._SCMZZZZZZZ_V45677943_.jpg)























レクサス・・?






























































