週刊ダイヤモンド連載中の書評を紹介します。

メイン > 週刊ダイヤモンド『今週の逸冊』 2005年7月2日~9月24日

サウス・バウンド
サウス・バウンド奥田 英朗

角川書店 2005-06-30
売り上げランキング : 1,302

おすすめ平均 star
starやっぱりすごい人だ……。
star無駄な正義感をお持ちの方へ
star奥田の筋の通し方

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中野ブロードウェイで遊ぶ小学六年生、上原二郎の父親は元過激派でアナーキストだった。父は、国家は不要であり、人間は自立して自給自足で生きるべきだという思想の持ち主だ。子どもにとって父親は厄介者にすぎない。

変わった父親を持つ以外にはなにも変わらない子どもたちの生活が描かれていくが、舞台はいきなり暗転する。二人で一万円用意しろと中学生に脅されたのだ。喝上(かつあ)げする中学生たちと脅される小学生たちの、複雑で残酷な人間関係は、リアルで息苦しいほどだ。

子どもの世界では、おとなは無力だ。おとなにチクッても、さらにたちの悪い仕返しが待っている。おとなが子どもに与えることのできる罰はわずかなものだと、悪に走る子どもたちは知っている。打ちのめされる子どもたちの世界は重苦しい。父が言うように、おとなのつくった国家は役に立たないものなのかもしれない。

二郎は、おとなに守られた子どもの世界も垣間見る。そこにはいじめも喝上げもない。無色透明な子どもたちの世界と二郎の世界が対比される。階層社会とはどういうものかがわかる。

二郎の父親とは異なって、普通の親は子どもにおとなに守られた世界で過ごさせたいと思う。しかし、それにはおカネがかかる。国家が子どもが生まれてほしいと思うなら、不条理な子どもの世界におとなが介入することが必要だ。

二郎の苦しみは、自分が本気になって不条理な暴力に反抗し、おとなが本気になってくれたことで解決する。勇気を示した子ども二人の泣かせる道行きがある。

子どもの世界を描いていた小説は、後半、新たな展開を見せる。父親は自らの思想を実践すべく、家族を引き連れて沖縄に移る。父親は、そこで意外な力を見せる。

そんな父親は、二郎に、立場で生きない、人と違ってもいい、これは違うと思ったら負けてもいいから戦えと教える。

おとなの生き方は、そのとおりではなくても、その本質において子どもに伝わっていく。伝えるべき本質についておとなに考えさせる傑作だ。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】

■2005/09/24, 週刊ダイヤモンド

グリーンスパンの嘘
グリーンスパンの嘘ラビ バトラ Ravi Batra Pema Gyalpo

あうん 2005-07
売り上げランキング : 45,986

おすすめ平均 star
star嘘を暴くよりも、利他の精神文化をどうやって定着させるかが大切!

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著者も認めているようにグリーンスパン議長はいまや世界の金融界における偶像である。一九八七年の就任直後に発生したブラックマンデーの株価暴落、アジア金融危機、ロシアの債務不履行で破綻に瀕したヘッジファンド、ITバブルの崩壊。次々と金融市場を襲った危機を果断な流動性供給で乗り越えた。巧みな話術で市場の信頼を築き、誘導した。歴代大統領の信任も厚い。

このグリーンスパン氏が嘘つきであり、詐欺師だと主張するのだから、本書は誰にとっても興味津々たるものがある。しかし残念なことに評者の読後感はいささかの失望であった。 著者への疑問はあるけれど……

理由は三つある。一つは、グリーンスパン氏批判が一七年に及ぶFRB議長としての業績に対してより、就任以前に彼がかかわった社会保障制度改革に対して最も痛烈な口調で行なわれていることである。周知のように、ブッシュ大統領は二期目の主要課題として社会保障制度改革を掲げているが、百論百出でいまだに結論が出ていない。グリーンスパン氏が米国の社会保障制度を壊してしまったかのような議論は説得力がない。

第二に、著者がグリーンスパン氏の蓄財とか女性関係という根拠の定かでない個人攻撃のような論難に及ぶため、彼の金融政策におけるどのような欺瞞性が米国経済を苦境に陥れているかが理解できない。米国経済が一〇年を超える高成長を続け、世界経済を牽引する最大の機関車になっていることはまぎれもない事実だからである。

第三に、この著者がヒンドゥー教のマントラと瞑想の力によって予測能力を高めたとしていることに対する俗人的違和感である。

しかし評者は本書が単なる際物にすぎないと決めつけるつもりはない。本書によってグリーンスパン氏という偶像化された人物の、ほとんど報道されていない一面が生々しく描かれていることはそれなりに貴重であり興味深い。それにもまして、グリーンスパン氏への好悪にかかわらず、グローバリゼーションの下で急速に進展している世界経済の金融化の流れに対する深い底流としての危機感を、切実に訴えているからである。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】

■2005/09/10, 週刊ダイヤモンド

日経新聞の黒い霧
日経新聞の黒い霧大塚 将司

講談社 2005-06-26
売り上げランキング : 6,777

おすすめ平均 star
star「物言う」ジャーナリスト(普通か・・・)
star読み出したらとまらない
star読み出したらとまらない

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日本経済新聞の現役特ダネ記者が自社のトップの不正を追及し、懲戒解雇された事件は、読者の記憶に新しいのではないか。一年余を経て鶴田卓彦社長(当時)を退陣に追い込み、自らも法廷闘争のすえに復職を果たした男が、内幕の一端を明らかにした。

話は一九九〇年、中堅商社・イトマンの乱脈経営をめぐる報道に遡る。事件化の過程で、日経新聞社内に一〇〇〇万円ものマスコミ対策費を受け取った者がいるとの証言がなされ、さらには九五年、コスモ信用組合の破綻に際しても、社内のスキャンダルが浮上した。

いずれにも鶴田社長の関与が色濃かった。気づきつつ、著者は物事の正邪を問わない、現実に進行している事態をいち早くスクープすることばかりに全力を傾注していた。資本主義の発展を目指す日経に入社しておきながら、あたかも学生運動の延長線で取材先を批判したがる先輩や同僚に対する嫌悪ゆえのスタンスは、しかし、一方でジャーナリスト精神の喪失にも通じてしまっていたという。

千葉支局長に転出し、時間の余裕を得た著者は、自らと社のあり方を深く考え始める。社説の迷走。人事の歪み。猛省とともに彼は立ち、スクープ取材の積み重ねで身につけた調査能力をフル活用して、言論報道機関としての日経新聞の再生に賭けていった――。

不正を糊塗するためなら人事権の濫用を辞さないトップの醜悪や、雑誌「噂の真相」と「選択」だけは担当者に申し入れないと閲覧できない資料室等々、細部にわたる大手新聞社の内情は興味深い。社長賞や編集局長賞など九本もの賞状を破り捨て、スーパーのポリ袋に放り込むシーンがかっこいい。

宿敵・鶴田社長の人物描写もリアルだ。言論人としての責任感の代わりに、「ガキ大将のようなクソ度胸」だけがある。思えば近頃の自称リーダーたちは、みんなこんなふうになってしまった。

新聞記者に限らない。人間一人ひとり、それぞれの人生が、“サラリーマン”の形容だけで括られ、組織にしがみついていけばよい時代ではないと、評者は思う。すべての読者が楽しみながら学び、明日への糧にできる作品である。【評者 斎藤貴男 ジャーナリスト】

■2005/09/03, 週刊ダイヤモンド

サルトルの世紀
サルトルの世紀ベルナール=アンリ レヴィ Bernard‐Henri L´evy 石崎 晴己

藤原書店 2005-06
売り上げランキング : 7,296


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今年はサルトル生誕一〇〇周年だが、彼ほど生前と死後の評価の落差の大きい哲学者も珍しい。かつては世界的な大知識人として、その派手な言動は賛否さまざまな反響を呼んだが、今では哲学的にも政治的にも破綻した過去の人として忘れられている。

著者は、かつて「新哲学」の旗手としてサルトルに代表される左翼知識人を攻撃したが、本書では一転してサルトルを再評価する。それは「実存主義はヒューマニズムである」と宣言した戦後のサルトルではなく、「物」の確かさへの畏怖と「意識」への不安を抱く初期のサルトルだ。

『嘔吐』の主人公はヒューマニストを冷笑し、『存在と無』の自己は他者と決して和解しない。「実存は本質に先立つ」という命題も、個の実存を大きな共同体の本質に回収してしまうヘーゲル主義への反抗である。

それは時代をはるかに超えて、ポストモダンの哲学者たちの〈人間〉を否定する思想に通じる面を持っている。

しかし戦後、論壇のスターになったサルトルは、かつて否定したはずの共同体を共産党のなかに発見し、スターリンを擁護する。さらに一九六八年五月以降は毛沢東派のリーダーとなり、最後はユダヤ教に回帰するかのような謎の文書を遺して世を去る。 “転向”後も顔を出す初期のサルトル

この矛盾に満ちた生涯を、著者は初期の「第一のサルトル」と戦後の「第二のサルトル」の分裂として説明する。サルトルの「転向」は、彼の捕虜収容所における集団生活の体験をきっかけにして起こったが、晩年に至るまで、第一のサルトルは彼の著作のあちこちに顔を出すとする。

著者の論証は、厳密な文献考証ではなく、未整理で冗漫な部分も多いが、不思議な説得力がある。文体はジャーナリスティックで読みやすく、なによりもサルトル論として圧倒的におもしろい。サルトルの矛盾がすっきりと説明されているわけではないが、それは二〇世紀という時代の抱えた矛盾でもある。

この意味で、まさに二〇世紀はサルトルの世紀だったのである。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】

■2005/08/27, 週刊ダイヤモンド

功利主義は生き残るか―経済倫理学の構築に向けて
功利主義は生き残るか―経済倫理学の構築に向けて松嶋 敦茂

勁草書房 2005-05
売り上げランキング : 35,242

おすすめ平均 star
star一見単純に見える功利主義の豊かさ

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功利主義という言葉は、通常あまりいい意味では使われない。「功利」という語感がそうさせるのか、功利主義的というとたいてい、打算的とか利己的といったニュアンスで使われる。しかし、功利主義の標語とされる「最大多数の最大幸福」の本来の意味は、最大多数の幸福をもって「公益」を定義することにあった。現に、「功利」の原語「ユーティリティ」には、公益企業という意味があって今日でも普通に使われている。

他方で功利主義には、所得格差の縮小が公益の増進につながることを示す論理も含まれていて、それが現在の累進課税制度につながっている。経済学は、ある時期から功利主義との縁を切ろうとしてきた。しかし、経済のあるべき姿を考えようとするとき、特に、分配の公正を問題にしようとするとき、功利主義を完全に凌駕できるだけの思想は、いまだに現れていない。

本書は、こうした経緯を背景にしながら、そして格差拡大の声が日々強まる日本の現状もおそらく見据えながら、功利主義に現代思想としての可能性を見出そうとする。ミル、エッジワース、ヴィクセルといった一九世紀の経済思想家から、ロールズ、シンガー、スキャンロン、フッカーといった現在の思想家まで広く取り上げ、著者自身自問を重ねながら思考を深めてゆく。話題は経済に限定されず、たとえば野生動物の保護を言いつつ、他方で大量の魚を捕獲している現状を、正しいと考える倫理思想なども紹介されている。 質の目線を持った功利主義

本書は、新しい功利主義像を確立するものではない。しかし本書の議論からすれば、新しい功利主義とは、「最大多数の最大幸福」を基礎にしながらも、その重点を大きく後半へ移したものになることが予想される。つまり「最大多数」が幸福になればそれでよいとしてきた古い姿勢から、いかなる「最大幸福」を目指すべきかを繰り返し問うような、「質の目線」を持った功利主義への転換が求められている。それを功利主義の進化と見るか破綻と見るかは議論を大きく分けるだろう。

この夏、じっくり腰を据えて読みたい一書である。【評者 井上義朗 ●中央大学商学部教授】

■2005/08/20, 週刊ダイヤモンド

投資に勝つためのニュースの見方・読み方・活かし方
投資に勝つためのニュースの見方・読み方・活かし方吉田 恒

実業之日本社 2005-06-01
売り上げランキング : 18,299

おすすめ平均 star
star為替の本でした。
star相場の「歪み」にチャンスあり

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先日、本書の著者とテレビの討論番組でご一緒した。その直後、書店のビジネス書コーナーで本書を発見した。これは運命の出会いに相違ない。

タイトルが少々散文的だが、本書の全編を通じて語りかけてくる著者の感性はなかなか詩的だ。詩的だといっても、甘い叙情性の話ではない。マーケットジャーナリストの乾いた観察眼がそこにある。

マーケットジャーナリストというのは、いい言葉だ。マーケットに翻弄されず、ジャーナリズムに溺れない。それがマーケットジャーナリズムの神髄だ。 エコノミストとの数多い共通点

そんな特性を持つマーケットジャーナリストと、私のようなエコノミストとは似た者同士だ。本書を読んでそう思った。それが証拠に、本書の中には、これは自分が書いたのじゃないか、と思う言い方がたくさん出てくる。ざっと挙げていけば、「『言葉』とは論理」「経済統計のカラクリ」「常識はまず疑ってみる」「ストーリーテラーになれ」といったところである。

論理性のある言葉は社会科学にとって命だ。これを言うのは唇寒いが、真理は真理だから、致し方ない。また、経済統計はそのカラクリを知っていればこそ、分析力の軸となり、自己主張の強力な武器となる。カラクリを把握することなく無批判に受け入れて振り回されれば、経済統計は麻薬であり、劇薬だ。

なにはともあれ常識を疑ってみることは、真実を探り当てようとする者の常識だ。むろん、なんでもむやみに疑ってかかればいいというわけではない。それだけであれば、単に性格が悪い人間だということにすぎない。

だが、マーケットもジャーナリズムも、そしてまたエコノミストも、時として非常識なことを常識だと思い込んでいる。その思い込みの呪縛をどう振りほどくか。そこが問われるところだ。この力学の妙味を本書がふんだんな時事的実例で示してくれている。

論理性をもって主張し、経済統計のカラクリを承知し、常識の非常識を暴き、そして、語るべき自分のストーリーを持つ。これだけ揃えば世に怖いものなしだ。【評者 浜矩子 同志社大学マネージメントスクール教授】

■2005/08/06, 週刊ダイヤモンド

半島を出よ (上)
半島を出よ (上)村上 龍

幻冬舎 2005-03-25
売り上げランキング : 1,736

おすすめ平均 star
starありえる! 話。
star想像力に圧倒される
star徹夜で読んでしまいました。

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半島を出よ (下)
半島を出よ (下)村上 龍

幻冬舎 2005-03-25
売り上げランキング : 1,274

おすすめ平均 star
star圧倒的なディティール
star胸に迫ってきます
star貧困と死、愛と犠牲、人格と破壊。

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二〇一一年、日本経済は失墜し、日本は落ちぶれていた。本書の経済論には、エコノミストとして不満がある。しかし、自由で暴力から隔離された国の持つ弱さと美しさ、暴力が日常的に人びとを支配している国の恐怖、そして、暴力でしか自由を守れないという真実についての、息苦しいまでの洞察に満ちている。

反乱軍であると名乗る九人の北朝鮮兵士が福岡ドームを占拠する。日本は、三万人の観客を人質に取られてなすすべもない。さらに、北朝鮮から五〇〇人の兵士が到着する。彼らが、福岡を支配する。そして、一二万人の北朝鮮反乱軍が日本に向かって来る。

日本のような平和で自由な国でまっとうな教育を受けると、自分が苦しむのも、他人が傷つくのもいやになる。しかし、北ではそうではないと本書は描く。日常的な暴力によって、人間の尊厳を貶め、人を支配する。そのような暴力に、日本人は対応できなくなっている。

自由で豊かな国の魅力がさまざまに描写されている。北の将校は、命令を拒否する女を日本で初めて見て驚愕する。しかし、その女は、日本人を殺さないでと、哀願するしかない。日本の自由は、暴力によって自らを守ることができず、ただ哀願するしかない。

わずかに、北の反乱軍の人びとも日本の自由に呼応する。これは感動的だが、ハリウッド映画のように、敵の改心が被征服者を救うというわけにはいかない。自由であるためには、やはり暴力を行使するしかない。 はみ出し者たちの反乱が示唆するもの

日本でも、社会から除外されていた人びとはいる。経済破綻は、そのような人びとを増大させた。その人びとは、暴力に向き合って生きることを余儀なくされている。いつ殺されてもおかしくない少数者として生きていた社会のはみ出し者たちが、思わぬかたちで北の支配者に反撃する。暴力が自分を守ることを知っている者たちだ。しかし、はみ出し者たちの見事な反撃にもかかわらず、日本は変わらない。だが、占領されていた福岡は変わる。そこに希望が見える。

暴力と自由についての洞察が生んだ最高のエンターテインメントである。【評者 原田泰 大和総研チーフエコノミスト】

■2005/07/30, 週刊ダイヤモンド

地図に仕える者たち
地図に仕える者たちアンドレア バレット Andrea Barrett 田中 敦子

DHC 2004-09
売り上げランキング : 144,955

おすすめ平均 star
star仕事と人間関係が相乗効果を及ぼして……。

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本書は二〇〇一年にO・ヘンリー賞を受賞したタイトル作の「地図に仕える者たち」を中心に、なんらかの意味で科学に携わっている人びとの生活や考え方を静謐なタッチで描いた短編集である。

短編小説には紙幅の制約があり、時代や環境の設定によって読者を一気に別世界に引き込む工夫が必要である。ストーリー展開も波瀾万丈というわけにはいかず、人生の一側面を切り取ったものになる。しかも、読み終わって確実にメッセージが伝わることが望ましい。このような制約のなかで独特の世界を見せてくれるのが優れた短編小説であり、本書はその見本といってもいいだろう。

また本書の六編の小説のなかの登場人物はどこかで繋がっており、実際に活躍した科学者が登場することで、全体として一〇〇年以上の現実の歴史の流れに対応した長編小説にもなっている。これは『人間喜劇』でバルザックが用いた手法と同じものである。短編集の技法としても完成度が高い。 純粋な知的好奇心を持った下積みの人びと

「地図に仕える者たち」は一九世紀後半にインド北部の山岳地帯に分け入って測量と地図製作に携わった若いイギリス人技師の物語である。この状況設定によって、一九世紀には世界中に未踏のフロンティアが残っており、それを果敢に調査したイギリス人の博物学的関心が高まっていた時代に一気に読者は引き込まれる。

そのうえ、主人公が下積みの技師であることも重要である。著者は、社会経済的な成功や権力欲ではなく、植物、化石、昆虫、地理といった、誰もが子どもの頃には持っている純粋な知的好奇心を持ち続けて、膨大な知的財産の蓄積に貢献した人びと、あるいはそれを支えた下積みの人びとの人生を評価している。

本書全体を通しても、主人公たちは大成功を収めるわけでもなく、歴史に名を残すわけでもない。しかし、各人の人生を振り返ったときに、数々の困難はあったとしても、ささやかな幸せを感じとれる人びととその生き方を繰り返し描いている。この科学者に対する温かい眼差しと彼らを取り囲む自然への憧憬が、本書の普遍的なメッセージとなっている。【評者 北村行伸 一橋大学経済研究所教授】

■2005/07/23, 週刊ダイヤモンド

シルクロードの滑走路
シルクロードの滑走路黒木 亮

文藝春秋 2005-06-10
売り上げランキング : 9,262

おすすめ平均 star
star商社はリスクを取ってなんぼ
starやはりおもしろい
star白熱する交渉戦

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本書の主な舞台となるのは、中央アジア最深部、アカエフ大統領時代の小国キルギスタン。一九九一年に、旧ソ連から独立。人びとの生活感覚は、いまだ市場経済にはなじんでいない。先進国にはびこる「効率」とはおよそ無縁の世界。そのような国で、航空機ファイナンスという、グローバルな契約意識と複雑な手続きが要求される商取引がなされるとしたら、どのようなことになるのか。この本は、そうした興味深いテーマを扱った経済小説である。そして、途上国キルギスの昔ながらの慣行・考え方と「グローバルスタンダード」が交錯する様を描いている。 もう一つのグローバルスタンダード

主人公は、三二歳の商社マン小川智。彼が進めているプロジェクトとは、世界中の航空会社やリース会社から情報を収集し、マナス航空(キルギスの国営フラッグ)が求めている大型旅客機二機のリース、もしくは購入を仲介するというものである。

キルギス側との交渉過程で予期せぬ出来事の数々に遭遇する。送ったはずの書類が届いていない。あらかじめ読んでおくべき書類を読んでこない。国際融資契約の常識を理解しようとしない。問題をあげつらうだけでなにもしない。合意に達したはずの事柄を何度も蒸し返す……。交渉は、遅々として進まない。交渉相手側のドロドロとした思惑(政治的野心、利権、賄賂の要求、権力闘争など)が、交渉をさらに長引かせる。対する小川の「武器」は忍耐、柔軟さ、機転。これらもまた、交渉に必要なもう一つの「グローバルスタンダード」と、読者は気づかされるだろう。

しかし、ゴール直前のトラブルで、万事休すかと思われたとき一条の光が……。

シルクロードの興亡をのみ込んで静まり返るキルギスの大平原。「ここで人々は生き、死に、耕し、放牧し、商い、争い、栄え、滅びた」。キルギスの人びとの生活・習慣、民族問題の影にかかわる描写が随所にちりばめられている。この作品は、四季折々のシルクロードの風景をバックに、交渉のディテールや熾烈な駆け引きを描き込んだ一枚の壮大な絵画のごとき美しさをたたえている。【評者 堺憲一●東京経済大学教授】

■2005/07/16, 週刊ダイヤモンド

鎮魂 吉田満とその時代
鎮魂 吉田満とその時代粕谷 一希

文藝春秋 2005-04
売り上げランキング : 43,258

おすすめ平均 star
star今、必要なものは。
starぜひ読んで考えて欲しい本である

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迫真のドキュメンタリー作品である『戦艦大和ノ最期』を書いた吉田満の名を知る者は多いであろう。本書はその吉田満の五六年の生涯を、単に彼個人の伝記としてではなく、それを彼が生きた時代の日本と世界の動きのなかで描き出そうとする意欲的な作品である。著者は吉田満の七歳年下だが、同じ時代を共有した者としての共感と矜持が行間に溢れている。

一九四五年に終わった日中・太平洋戦争は日本国民にとって歴史的な悲劇であった。数百万の日本人が死に、数千万の日本人が体と心に深い傷を負った。悲劇の受け止め方は千差万別であったろう。しかしそのなかに、吉田満のようにこの悲劇を個人としてどう受け止めるべきかを真摯に悩んだ多くの人たちがいたことはまぎれもない。死者はもはや黙して語らない。生き残った者は、死者のぶんも含めて、この重い問いに耐えていかねばならないのである。

吉田満は日本のエリートとして教育された。戦後の彼は日本銀行のエリート行員として三十余年を過ごした。

著者は吉田満の生涯を追いながらも彼が彼の世代の代表として戦争の悲劇に向き合ったのだという、いささかの思い込みを含んだ視点で、あの一五年の戦争は日本人にとって何だったのかという重い問いに対している。あの戦争の積極的な解釈は、要するにそれが「やむにやまれぬ大和魂」の発現だったということだろう。そこにそれなりの論理と倫理があることは否定できない。 日本人はなぜ“糾弾”しなかったのか

しかし、著者と同世代の人間として私がいちばん残念に思うのは、あの悲劇について天皇、政府、軍部という指導者たちの無責任と愚かさの咎を日本人が日本人として糾弾しなかったことである。その結果、日本人は一億総懺悔と一億無懺悔のあいだを迷走することになる。日本人と同じようにあの戦争の悲劇を味わわされた中国人が、悲劇の責任者として日本を糾弾するのに対して日本が明確に対応できないでいる原因は正にそこにあるのである。

ともあれ、悲劇は行なわれた。本書は、吉田満を含むその被害者たちへの重く哀しい挽歌である。【評者 行天豊雄 国際通貨研究所理事長】

■2005/07/09, 週刊ダイヤモンド

中国製造業のアーキテクチャ分析
中国製造業のアーキテクチャ分析藤本 隆宏 新宅 純二郎

東洋経済新報社 2005-04-22
売り上げランキング : 50,206


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中国は脅威か、巨大市場か、それともパートナーか――その位置づけをめぐって議論が交錯しているが、おそらく中国は、そのどれでもあるのだろう。問題は、どういう部分が脅威で、どういう部分ではパートナーになれるのか、といった仕分けだ。それは一部の産業だけを見ていてもわからないし、貿易統計でもわからない。本書は「アーキテクチャ」という概念を手がかりにして、その仕分けを行なったものだ。

日本はインテグラル(統合的)な製品に強いのに対して、中国はモジュラー(分散的)な製品に強いといわれるが、この関係は単純ではない。

たとえば、日本ではインテグラルな製品であるオートバイは、中国では部品ごとにモジュール化されて模倣され、モジュラー型の製品になっている。他方、エアコンやテレビのように周辺部品がモジュールとして出回っている製品でも、コンプレッサーやブラウン管などの中核部品だけはインテグラルな輸入品である。

全体として、高度な技術の必要な製品ほどインテグラルで、それを中国の企業が模倣するうちに標準化され、モジュラーになって大衆化する、という過程が繰り返されている。このような「モジュール化圧力」から逃れることは難しいが、日本企業がインテグラルな製品だけにこだわっていると、巨大な中国市場のなかの「すき間商品」に終わってしまう。そんな中国市場対策として著者は、製品の性格に応じてアーキテクチャを使い分け、日本の得意分野に「牽引」する戦略を推奨している。

本書では、インテグラルやモジュラーという概念は、所与の分類尺度として使われているが、現実に中国にも見られるように、アーキテクチャは産業構造や技術水準によって内生的に変化する。

ところが、こうした概念は標準的な経済学のなかでは理論的に位置づけられていない。これは本書の欠陥ではなく、経済学の怠慢である。評者は近く、この間隙を少しでも埋めるべく『情報技術と組織のアーキテクチャ』(NTT出版)という本を上梓する予定にしている。【評者 池田信夫 須磨学園情報通信研究所 研究理事】

■2005/07/02, 週刊ダイヤモンド
 
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